【投稿】醜悪なパリオリンピック開会式
福井 杉本達也
パリオリンピックのトライアスロンとオープンウォータースイミングの競技が予定されているセーヌ川で7月28日、トライアスロンのスイムの公式練習が中止となった。日経新聞のコラム『春秋』は50年ほど前にパリに立ち寄った開高健の辛口のセーヌ川批評を引用して「ワインをラッパ飲みしながら同行者と毒づくのだ。『きたない川だね』『油もずいぶん浮いてるね』。五輪を前に水質改善を図ったそうだが、効果はどうだったのか」と書いている。7月26日にパリオリンピックが開幕し、市中心都を流れるセ―ヌ川を舞台に開会式が行われた。コラムは「国旗を振る選手を乗せた船がゆっくりと橋をくぐる。川面を舞台装悶に使うという発想は斬新だ」と続けたが(日経:2028.7.28)、その開会式は醜悪そのものであった。
ロシアやベラルーシがオリンピックから排除され、パレスチナ人を大虐殺しているイスラエルが参加した。王妃マリー・アントワネットに扮した女性が赤いドレスを身にまとい、ギロチンで切り落とされた自身の生首を抱えて登場。その生首が突然歌い始めると、同時にメタルバンドの演奏が始まった。舞台となった王妃幽閉建物(コンシエルジュリー)からは赤いテープや、赤い煙が噴き出す演出であったが(『THE DIGEST』2024.7.28)、生首はイスラエルによるガザ虐殺を連想させた。
キリスト教団体などから批判が続出したのが、「イエス・キリストが処刑される前夜に弟子たちと食卓についたエピソードを描いたレオナルド・ダビンチの『最後の晩餐』をモチーフにした場面が『キリスト教をやゆしている』と受け止められたためだ。物議を醸しているのは、26日の開会式でエッフェル塔近くの橋で演じられたパフォーマンス。女装して踊る『ドラッグクイーン』らが『最後の晩餐』の構図を再現した。これに対し、フランスのカトリック司祭の団体は『残念ながらキリスト教をからかう場面が含まれていた。深く残念に思う』との声明を発表」した(毎日:2024.7.28)。長いテーブルでポーズをとったことを思い出してください。中央に、イエスを描いた絵画に描かれた光輪に似た大きな銀の頭飾りをし、入れ墨したふっくらとした女性がいた。彼女は微笑んで手でハート型の形を作り、そこに巨大なトレイがテーブルの上に降ろされ、その上には頭からつま先まで青く塗られたギリシャのワインと祝祭の神ディオニュソスに似せた半裸の男性が中に丸まっていた。LGBTQのパフォーマーや多様な人種のキャストが登場する「ウォーク(wake(目が覚める、起きている)の過去形woke(社会問題に対する意識が高いと自称する)」なショーだとの解説であるが、キリストに扮した女性の前に大皿に乗せられた半裸の男性が載せられているのはあまりにも異様である。カニバリズム(cannibalism)=人間が人間の肉を食べる行為を表しているのではないか。そのグロテスクさには思わず目を背けた。
テレビに水面を動く白いロボットの馬のようなものが写っていた。キリスト教文化にほど遠いものとしては、それが何を意味するのかは不明であったが、後ほどのSNSでの解説によると、青白い馬(蒼ざめた馬)に乗った騎手がセーヌ川をパレードするシーンだという。これは、黙示録の四騎士のうちの1人、つまり死を表す騎士の一人(側に黄泉(ハデス)を連れている。疫病や野獣をもちいて、地上の人間を死に至らしめる役目を担っているとされる。)、聖書の黙示録への言及と見なされる。そのようなシンボルの使用は、一部の人々によって「悪魔的」と認識され、「キリスト教徒の視聴者には歓迎されない」ことを明確にしている(RT:2024.7.27)。「見よ、青白い馬がいた。それに乗っている者の名は死といい、地獄がそれに従っていた。そして彼らには、地球の4分の1を支配する権威が与えられ、剣と飢えと死と地上の獣で人を殺す力が与えられた。」(黙示録6:8)
フランス革命は「自由・平等・博愛」を旗印にしたといわれるが、今日のフランスは開会式のセレモニーにおいて、これまでのすべての伝統も、思想も、文化も、芸術も、道徳も、倫理も破壊した。これが今の西欧の真の姿である。いま、西欧金融寡頭制は死期が迫っており、自暴自棄に陥っている。死の騎士に従って、「黄泉の国」=核戦争への道に引きずられてはならない。