【書評】白井聡、カレル・ヴァン・ウォルフレン『偽りの戦後日本』
(2015年、角川学芸出版、1,600円+税)
『永続敗戦論』(2013年、太田出版)で知られている新進の政治学者とオランダの新聞の特派員として長年日本に滞在したジャーナリストとの対談である。ウォルフレンはまた世界的ベストセラーとなった『日本/権力の構造』(早川書房、1990年)の著者でもある。
さて白井の言う「永続敗戦」とは、「戦争に負けたことをきちんと認めないために、ずるずると負け続けているという状態」、すなわち「本当の意味で、あの戦争の体制が否定されないままで現在に至っている」=「戦後」をずっと引きずっている状態を指すのであるが、そのことは、「敗戦」を「終戦」と言い換え、国際的にはそれほど評価されない8月15日を「終戦記念日」としてきたことに端的に示されている。(日本が国際的に正式に降伏したのは、降伏文書に調印した9月2日であり、多くの国々ではこの日を戦勝記念日・「VJ Day」と呼んでいる。)
ウォルフレンもこう指摘する。「なぜ、日本人は敗戦を認められないのか。白井さんは、日本人が戦争を“起きた”こととして捉えていると指摘していますね。自分たちが“やった”ことだと考えていない、と。戦争を“やった”のは『日本軍』であって、そこに『日本人』は巻き込まれたという感覚を持っているわけですね」。
そしていま安倍政権はこの状態を放置したまま、「戦後レジームからの脱却」を主張している。これはウォルフレンによれば「マッカーサーが戦後の日本にもたらした改革を否定すること」であり、「戦後レジーム」は「功罪はあるにせよ、彼がもたらした改革自体は民主的な性格が強かった」と評価される。
これについて白井は、「脱却」という言葉に二つの意味があるする。
その第一は、「まず『脱却』と言いながら、実は戦後レジームを守ろうとしていることです。戦後レジームの本質は対米従属にある。『脱却』するのであれば、まずはアメリカとの関係を根本から見直す必要があるのです。しかし、集団自衛権の容認を始めとする安倍さんの政策は、逆にレジームの維持につながってしまう」。
そして第二に、「一方で、安倍さんは戦後の日本社会に根づいてきた重要なコンセンサスを壊そうとしている。そのコンセンサスとは、『戦争に強いことを国家の誇りにはしない』ということです。敗戦の反省に立ち、日本は軍事国家としての道を歩まないと誓いました。そのことは大部分の日本人の共通認識だったはずです。(略)しかしこのコンセンサスが安倍さんによって壊されようとしている」。これが「戦後レジームからの脱却」のもう一つの意味である。
そして「安倍政権が推進するのが『積極的平和主義』です。この考え方が、政権の安全保障戦略の基本にもなっている。ただし、この場合の『平和主義』には全く意味がない。注目すべきは『積極的』というフレーズです。わざわざ『積極的』と言うのは、これまでの政策が『消極的』だったことを意味している」。つまりできるだけ戦争から距離を置くことで自国の安全を守ろうとする「消極的」なやり方ではなく、「敵を名指しして、武力を用いて攻撃して自国への危険を除去する」「積極的」なやり方への方針転換である。「こうした姿勢を貫いてきたのがアメリカです。安倍さんが『積極的平和主義』へと転換するというのは、要するに日本をアメリカ的な安全保障のやり方に改めることを意味している。そのためには、戦争に強い国でなければ話になりません」。
ここに問題の核心があるが、しかし安倍政権のやり方には矛盾する諸要因が含まれている、と白井は指摘する。
「原発と核武装の関係を見る限り、安倍さんの政策や主張は一貫しています。自ら東アジアでの緊張状態をつくり出し、核武装を含めた軍事力の必要性をアピールする。一方で、原発再稼動によって核兵器の開発能力を維持しようとしている。(略)/だけども、安倍さんの政策全般を見ると、やっていることは支離滅裂です。彼に代表される右翼勢力は、日本を独立した状態にしたいとの希望を持っています。しかし実際には、アメリカへの従属を強める政策ばかりを実行しようとしている」。
そしてこれに輪をかけているのが、「メディアと官僚は『現状維持』を求め続ける」という状況である。ウォルフレンは、「秩序が乱れることへの恐怖は、日本社会を覆っている大きな特徴だと言えます。もちろん、ヨーロッパでもアメリカでも時の政権や官僚機構は、社会の安定を望むものです。しかし、日本の場合、単に『安定』というよりも『現状維持』へのこだわりが異常に強い」として、次のようなエピソードを語る。それは2、3年前に元官僚たちの集まりに招かれ、スピーチをした後のことである。
「グループのリーダー格の人が私にこう食ってかかってきました。『そんな勝手なことを言えるのも、あなたが日本人ではないからですよ。われわれは責任を持って、日本の将来について考えなくてはならないんです。日本には原発だって必要なんだ。アメリカに従属していてはダメだと言うが、他に日本が世界で生きていく道があるのですか』と。(略)/彼の意見を聞き、私は言葉を失ってしまいました。(略)人生の大半を日本に捧げてきましたが、徒労感すら覚えます」。
確かにこれは白井が語った、元外務官僚、孫崎享との対談での「『在日米軍基地の見直し』と『中国との関係改善』は、日本にとっては踏んではならない“虎の尾”だという話になりました。この二つのテーマに手をつけようとした日本の政治家は皆、アメリカによって潰されてきた」という話と通じるものがある。
このように現在の政権は、「戦後レジーム」を脱却しようと危険な方向に大きく舵を取っているが、しかしその流れは複雑怪奇であり、矛盾に満ちている。白井は、日本が閉塞状況から抜け出すことができないのは、「その背景には、過去を否定することへの不安があるのではないかと思います。言い換えれば、これまでの体制が間違っていたことを認めることができない。日本は戦後70年間、『アメリカにくっついて行けば何とかなる』という思考でやってきました。その結果、それ以外のやり方を想像することすらできなくなっている」と批判し、「では、次にどんなレジームを作るのか。安倍さんが描くような日本でいいのか。それとも、全く違う方向を取るべきなのか。日本人は今、深く考えるときにきています」と問いかける。
そして「永続敗戦レジーム」の象徴である沖縄で、“オール沖縄”の力がこれを打ち破った事実に希望を見出し、「沖縄では『基地』という大きなテーマがありました。それと同様、本土にもテーマはある。『原発』などその典型だと思います。本土でも、沖縄で起きたようなことを現実のものにしていくことは決して不可能ではない」と提唱する。
戦後の時代、「戦後レジーム」をどのように捉えるかについては、まだまだ論議されなければならないが、本書は、敗戦後70年に大きな石を投げかけている。
なおこの他に白井には、笠井潔との対談『日本劣化論』2014年、ちくま新書)、内田樹との対談『日本戦後史論』(2015年、徳間書店)等があるが、いずれも興味深い内容である。(R)
【出典】 アサート No.454 2015年9月26日