【書評】『本当は憲法よりも大切な「日米地位協定入門」』
──前泊博盛編著、2013年、創元社。1,500円+税
①「日米地位協定って何ですか?」、④「なぜ米軍ヘリの墜落現場を米兵が封鎖できるのですか?」、⑤「東京大学にオスプレイが墜落したら、どうなるのですか?」、⑥「オスプレイはどこを飛ぶのですか? なぜ日本政府は危険な軍用機の飛行を拒否できないのですか? また、どうして住宅地で危険な低空飛行訓練ができるのですか?」、⑦「ひどい騒音であきらかな人権侵害が起きているのに、なぜ裁判所は飛行中止の判決をださないのですか?」、⑧「どうして米兵が犯罪をおかしても罰せられないのですか?」、⑨「米軍が希望すれば、日本全国どこでも基地にできるというのは本当ですか?」
本書の「日米地位協定Q&A(前17問)」の一部である。本書は、現在問題となっているオスプレイ配置の根拠である「日米安全保障条約」とともに結ばされた「日米地位協定」(旧「日米行政協定」)の重要性を解明する。上記の諸項目を見れば、われわれ国民が抱いている素朴な疑問が並んでいる。しかしこれらについてわれわれは日常、何となく不問に付してしまっている。本書はその疑問に真正面から答える。
本書は、日本が置かれた戦後体制(サンフランシスコ体制)を、講和条約–安保条約–地位協定という3重構造において、一般の見方【講和条約>安保条約>地位協定】とは逆に、【地位協定>安保条約>講和条約】という順番に見るべきだとする。
例えば、現在日本には、沖縄のみならず、全国に米軍基地があるが、首都東京を取り囲むように、横田、座間(ざま)、厚木、横須賀の基地がある。そして首都圏の上空には「横田ラプコン(RAPCON=レーダー侵入管制=米軍の管理空域)」が一都八県の上空を覆っている。(要するに一都八県の上空が米軍の巨大な支配空域になっていて、これを横田基地が管理している。)このため羽田空港を離陸した民間機は、4000~5000メートルの高さがある「横田ラプコン」を越えるために、一度房総半島(千葉)方面に向かい、急旋回と急上昇を行わなければならない。「日本の首都である東京は、こうした巨大な外国軍(引用者註:米軍)の支配空域によって上空を制圧」されている。これと地上の米軍基地を重ね合わせると、首都圏はすぐに外国軍によって制圧されてしまう状況に置かれていることが理解されるであろう。
このような状況を作り出した戦後の政治家たちとそれを補強してきた官僚たちや司法制度であるが、その問題点を本書は鋭く批判する。旧安保条約が「秘かに」結ばれた時、そしてその半年後に「日米行政協定」が結ばれた時の吉田茂首相や政府の卑屈な対応は本書を読んでいただきたい。
そしてこの戦後占領体制を追認したのが「砂川事件際高裁判決」の「統治行為論」である。すなわち「安保条約のごとき、(略)高度の政治性を有するものが、違憲であるか否かの法的判断は、(略)裁判所の司法審査権の範囲外にある」という判決である。本書はこの判決が出るにあたって、アメリカ側から露骨な圧力があり、最高裁(田中耕太郎長官)もこれに応えたという事実を検証した上で、この「憲法判断をしない」という判決によって「安保を中心としたアメリカとの条約群が日本の法体系よりも上位にあるという戦後日本の大原則が確定するのです」と指摘する。
かくして、占領期の【GHQ=アメリカ(上位)>日本政府(下位)】という権力構造が、【安保を中心としたアメリカとの条約群(上位)>日本の国内法(下位)】という形となり、現在に至っている。そしてこの結果、「アメリカの意向をバックにした日本の官僚たちまでもが、日本の国内法を超越した存在になってしまった」=「『アメリカの意向』を知る立場にあると自称する日本の官僚たちの法的権限」が生まれてしまったと警告する。
例えばなぜ米軍機は日本の住宅地を低空飛行できるのか? それは日本の国内法に特例法があるからである。「日米地位協定と国連軍地位協定の実施にともなう航空法の特例に関する法律」(1952.7.15.施行)にはこうある。
「3項 前項の航空機〔米軍機と国連機〕およびその航空機にのりくんでその運航に従事する者については、航空法第六章の規定は、政令で定めるものをのぞき、適用しない」。
「航空法・第六章」とは、航空法第57条~99条であるが、ここには最低安全高度を含むいわゆる航空機が飛んではならない区域・高度等が規定されている。ということは、「米軍機はもともと、高度も安全も、なにも守らなくてよい」のである。
こうして日米地位協定は、免法特権・治外法権・米軍優位の権利関係を規定し、実行されている。本書ではそれを「ドラえもん」の「ジャイアンとスネオ君」の関係に例える。「いじめっ子のそばにいれば、自分はいじめられない。いじめる側にいれば、自分は安心。(略)ジャイアンの不条理な要求、横暴な態度、暴力の前に奴隷のようにひれ伏すスネオ君が、日米関係の日本にたとえられる。しかも、ほかならぬ日本人自身が、そんな自虐的な表現で日米関係を描いている」とされる。
ではこのような状態は、脱出不可能であるのか? 本書はこれに大きなヒントも与えてくれる。先ほどのQ&Aには、次のような項目も提供されている。
⑪「同じ敗戦国のドイツやイタリア、また準戦時国家である韓国などではどうなっているのですか?」、 ⑫「米軍はなぜイラクから戦後八年で完全撤退したのですか?」、⑬「フィリッピンが憲法改正で米軍を撤退させたというのは本当ですか? それとASEANはなぜ、米軍基地がなくても大丈夫なのですか?」と。
こうしてわれわれは本当に身近な問題としての日米安保体制に直面することになる。本書の意義は、まさしくこの問題提起にある。一読を勧める次第である。(そして本書によってわれわれはまた、この異常な状況に置かれている首都東京の石原前知事が、自らの足元も見ずに小さな無人島〔尖閣諸島〕の件で「愛国心」をあおって自分の政治的立場を強化しようとした的外れと卑小さをも理解することができるであろう。)(R)
【出典】 アサート No.451 2015年6月27日