【日々雑感】どうする?この罪は! 孫子の代まで及ぶツケ 

【日々雑感】どうする?この罪は! 孫子の代まで及ぶツケ 

 先月のアサート403号でお約束していた2011年6月15日(水)の日経夕刊のコラムを紹介させていただきます。筆者はドイツ文学者・エッセイストの池内紀という人です。
 ・・・・福島第一原発の事故から3ヶ月が過ぎた。冷静を取り戻した頭で整理のためにメモをとってみよう。
 第1に私たちの無知である。原子力発電の恩恵を受けながら、それがいかなるものかを知らなかった。たとえば原子炉の寿命が40年とされ、その後の廃炉、また使用済み核燃料の処理に莫大な費用と長い歳月を要するということを知らなかった。
 第2に私たちの怠慢である。原発の危険、また建設と廃棄に要する巨大な経費を考えれば、決して安い電力ではないことは、少数の学者たちがくり返し警告していた。それに耳をかそうともせず、きちんと受けとめて考えるのを怠った。
 第3に私たちの欺瞞である。必ずしも無知だったわけではなく、チェルノブイリやスリーマイル島の事故のことを知っていた。地震大国に原発を50基も設置した無謀さも感じていた。絶対安全といわれても、世の中に「絶対」といえるものなど何ひとつないことをよく承知している。知っていながら知らないふりをし、感じながら自分とは関係ないようにみなしてきた。
 第4に利益のこと。私たちを無知にとどめ、怠慢にさせ、利己主義と自己欺瞞に導いたものがある。無知にとどめておくほうが自分たちに都合がよく、知らないと思いこませることが利益になる。それについて私たちはうすうす感じていたのだが、大勢に従って安楽を享受してきた。
 日本人が大きな罪を犯した。とてつもなく地球を汚し、とり返しのつかない荒廃を引き起こした。しかもこの罪は孫子の代まで私たちにつきまとう。罪に目をつぶるのは、とても卑しいことなのだ。・・・・・
 以上がコラムの全文ですが、これを読むにつけても1996年に故平井憲夫氏(アサート402号の拙稿で紹介)が書き残されたことが見事に的中したかと、やりきれない気持ちにさせられます。すこし原稿が長くなりますが、平井氏の文章の最後の部分を、噛みしめる思いで書き出して筆を置きます。
 ・・・だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。
 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は反対だという信念でやっています。そして稼動している原発も、着実に止めなければならないと思っています。原発があるかぎり世界に本当の平和はこないのですから。
 優しい地球 残そう子どもたちに・・・・・(以上) 早瀬 達吉(2011-07-18)

  【出典】 アサート No.405 2011年8月27日

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