「反省する勇気」さん 投稿9

これと同じようなことを何度か、僕も、経験してきた。(以下参考)

きょう、フリマに行った  2016-5-22
https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201605220002/

きょう、中之島の中央公会堂で、「戦場体験を語り継ぐ老若の集い」があったので、顔を出してみた
https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201609050001/

友人へのメール「9条があったから、日本は、戦争しないですんだ」「戦後の平和は、9条のおかげだ」と、よく言われますが・・・・・果たして、そうだろうか??
https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201507140002/

つい最近、リベラル?の友人夫婦と旅行した時も、この(平和憲法)(第9条)の話で、盛り上がった。

おきまりの「戦後日本が、戦争しないで済んだのは、平和憲法のおかげだ」「安保条約で、戦争に巻き込まれる・・・」というセリフ。
もうこれまで、何度、聞かされてきたことだろう・・・この勘違い!!

幸いなことに、この(9条真理教)の人々の誤りには、多くの国民が気づき始め、(支持)しなくなっている。
戦後の平和運動の洗礼を受けた、我々のような高齢者の一部が、もがいているのが目につくようになっている・・・・

それが、上記の(きょう、フリマに行った 2016-5-22)であり、(きょう、中之島の中央公会堂で、「戦場体験を語り継ぐ老若の集い」があったので、顔を出してみた)であるというわけだ。

彼らの認識は、極めて自己中心的な独善的考えで一貫してきた・・・と思える。

この僕のブログを読んでいただければ、ほぼ、言い尽くされていると思うし、今回紹介した山岡鉄秀さんの主張と、ほぼ共通していることが分かる。

そう、リベラルたちは、日本の平和や安全を考えるときに、周辺国の動静、とりわけ好戦的で、侵略的な(無法国家)の存在を、見て見ぬふりをしていること・・・それを、常套手段としていることだ。

彼らは、在日米軍や強化されつつある日本の自衛隊の存在が、大きな抑止力となり、そのおかげで、日本は、戦争の惨禍から守られてきたのだ・・・という真実を認めようとしない。

彼らは(平和憲法)や(第9条)などが、あっても、侵略する側にとっては、(屁のツッパリ)にもならない・・・ことが、わからないし、わかろうとしない。

このような(不都合な真実)こそ、本来、真剣に向き合って、議論するべきなのだが、頑(かたく)なな予断と思い込みで、眼が曇らされていることに気づかない・・・・

硬直した考えに洗脳された頭の固い高齢者が、オウムのように(憲法守れ)(9条改悪反対)を繰り返す様子を見るにつけ・・・僕には、ため息が出るしかないのが、悲しい・・・・

皆さんは、どう思われるか?      (H)
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海外で戦争するなとビラを配る「九条の会」の面々から漂う悲壮感  
2019.10.29    by 『日本の情報・戦略を考えるアメリカ通信』   まぐまぐニュース

 「戦争のない世界」を希求するのは人類として正しい姿勢であることは間違いありません。
しかし、憲法9条を死守することで、他国からの侵略を防止することはできるのでしょうか。

今回の無料メルマガ『日本の情報・戦略を考えるアメリカ通信』では情報戦略アナリストの山岡鉄秀さんが、「九条の会」の行動指針に異を唱えると同時に、一部日本人知識層に浸透する「独善的平和信念だけの国防意識」に疑問を投げかけています。

九条の会は日本を窮状に追い込む会

小雨がぱらつく夕方、私(山岡鉄舟」は都内の電車の駅から地上に降りるエスカレーターに乗っていました。
すると、地上でエスカレーターを両側から挟むように、雨合羽を来た老人が無言で通行人にビラを差し出しています。

左側は70歳代か80歳代のお爺さん。右側はやはり同世代のお婆さん。
なんでまたこんなご老人たちがビラ巻きなどしているのか?

エスカレーターを降りる人は誰もビラを受け取らず、無言で避けるように立ち去って行きます。

お爺さんもお婆さんも、修行僧のように無言のままです。痛々しくて見ていられません。
高齢者福祉充実要求のビラでも撒いているのか?

私はお爺さんからビラを受け取ることにしました。しかしそれは、福祉充実ではなくて、
「安倍9条改憲NO!私たちは、日本がふたたび海外で戦争する国になるのはゴメンです」と書かれた「九条の会」のビラでした。

歩きながらビラを眺めて、「九条の会」の方々が、理想主義というよりも、非常に偏狭な視野と思想の持主であることが一目瞭然でした。

この方々にとって、戦争とは、日本が外に出て行って外国と戦争を始めることで、それ以外の戦争は想定していないようです。
今の日本にとっての差し迫った課題は、いかに近隣国の覇権主義的進出から日本を防衛するか、なのですが、
外国が攻めてくるなんて絶対にあり得ないと信じ込んでいることがわかります。

この団体のホームページに行ってみると、ポスターもありました。そこには若い男女が大写しになり、こう書いてあります。
「ゆくのはわたしら 集団的自衛権の行使は海外で戦争すること」

つくづく身勝手な発想だと嘆息しました。
この人たちは、日米安保条約なしで日本の防衛ができると思っているのでしょうか?

サンフランシスコ講和条約と同時に締結された日米安保条約は、その前文に、「国際法で認められている集団的自衛権の行使としてこの条約を結ぶ」と明記されています。

つまり、日本は独立回復と同時に70年近くに渡って集団的自衛権を行使しているのです。
今更集団的自衛権が違憲だとか、その行使がそく戦争、それも海外で戦争を始めることに繋がると短絡するのはあまりにも無責任で身勝手です。

むしろ、いかに集団的自衛権を自国防衛のために有効に活用するか?それこそ直接関係のない海外の戦争に巻き込まれないようにどう歯止めをかけるのか、を真剣に議論しなくてはなりません。

しかし九条の会は訴えます。
外国が攻めてくることは絶対にない。戦争とは日本が外国で始めること。九条があればそれを防げる。
自国防衛のための集団的自衛権行使は見て見ぬふりをする。

ホームページに並ぶ、有名文化人たちの顔を眺めながら、この方たちの知性とはいったい何なのだろう?と思わずにはいられませんでした。
それぞれの分野で卓越した業績を上げている優れた知性の持主のはずなのに、ここまで短絡的で無責任で非現実的な思想に疑問をもたず、小雨の中で老人にビラ配りをさせるとは!

有名文化人の写真の中に、田原総一朗氏の顔を見つけて、この人もそうだったのか、と思いました。
長年政治の第一線と向き合って、様々な政治家や知識人と議論を交わす機会に恵まれながら、田原氏は本当に九条さえあれば戦争を防げると信じているのでしょうか?

田原総一朗氏といえば個人的に思い出深いのが、1991年1月にある米系企業で開催された講演会です。

中東ではアメリカが率いる多国籍軍がクエートに侵攻したイラク軍と対峙していました。
いつ戦争が始まるのかと世界中が固唾をのんで見守っていました。

若かりし田原氏は明朗に語りました。
「僕は85%の確率で戦争は起こらないと思う。どちらにとっても得にならないからです」
その数日後、多国籍軍の攻撃が始まり、第一次湾岸戦争が始まりました。

アメリカは最初から戦争をするつもりだったのです。あの時、若かった私も現実の恐ろしさを思い知ることになりました。
田原氏もそうだったと思ったのですが。

そんなことに思いを馳せていると、不意にお爺さんやお婆さんの後ろから、若い男性の大きな声がしました。
拡声器を持った若い男性がリーダーだったようです。
「みなさん、こんばんは。こちらは日本…あ、いや、九条の会です」
「日本」で始まる政党が日本にいくつあったでしょうか。やはり、そういうことなのだな、と思いながら駅を後にしました。

現実を完全に無視した九条の会の独善的平和主義が流布したら、85%どころか、100%確実に日本を窮状に陥れることでしょう。
そう、九条の会は窮状の会に名称を変更すべきです。

※ 「反省する勇気」さんから、投稿をいただきましたので、事務局の方でアップさせていただきます。(佐野)

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