【投稿】権力の三位一体のたかりのために「新銀行東京」はつくられた
2008.7.1 東京 和田三郎
1.「新銀行東京」は税金を食い潰す
「新銀行東京」は、2005年4月、資本金(および資本準備金)1187億円で発足した。その84%、1000億円は東京都の出資であった。
開業後の事業実績は、各種報道が描くとおり惨憺たるものであった。2008年3月期決算短信によると、『当期純利益は、前期比360億円の改善』としたが、それは、前期△547億円が今期△209億円に‘改善’したことであり、開業以来3か年で累積赤字は1000億円を越えた。減資により累損の解消を図ったので、つまりは、東京都の出資分は泡と消えた。
業務内容を見ても、前期比で、預金総額は、5231億円から3757億円へ1474億円の減、貸出金総額も、2464億円から1894億円へ570億円の減となっている。営業店舗はすべて閉店し、都営地下鉄駅構内にあったATMはすべて廃止した。現在は、都の分庁舎を間借りし、取次ぎ窓口を置くのみとなった。どう見ても、縮小へ突き進んでいる。当初の計画は開業3年目の単年度黒字化(「都新銀行マスタープラン」2004年2月)を標榜していたが、その実現をさらに3か年引き延ばした。
しかし、2月策定の「再建計画」においても、3月の「調査報告書」においても、経営上の実効を生み出しそうな事項は、まず見当たらない。石原知事の今任期中に黒字転換できると信じる者は、都議会与党内にもいないだろう。
東京都は、都議会第一回定例会で、400億円の追加出資議案を、与党(自民党、公明党)の賛成で承認し、4月30日には払い込まれた。石原知事の主張は単純であり「追加出資しなければ潰れる。」であった。しかし、追加出資すれば潰れないという根拠は、何も語られていない。
この400億円は、自己資本比率4%割れを回避するための一時しのぎに過ぎないだろう。
(都の主張は、図らずも、副知事猪瀬直樹が書いた都労働経済局長都議会答弁紹介文がリアルだ。http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/inose/080318_33rd/index4.html)
石原のこの論理は、今後も「新銀行東京」への追い銭が発生することを示している。いままでの都の直接出資額1400億円は、都民1人当たり1万円強になる。なお、都の当初出資額1000億円は、その7割を30年償還起債によっているので、元利償還金の総計は2000億円近くになるという試算もある。(この他に、新銀行担当幹部職員へ支払われた給与総額は、1億円を上回るだろう。)これらがすべて、納税者の負担によって実行された。
さらに、新銀行東京には、現在、金融庁の立ち入り検査が行われている。他行への検査と同様な(債権者区分の厳しい)査定が行われれば、その結果によっては、巨額の貸倒引当金の積み増しが必要となってくる。
2.金融危機下の石原妄想と腹心官僚群の跋扈
新銀行構想の出発点は、2001年にある。大前研一氏によると、彼自身が知事に「メトロポリタン銀行」構想を提案したところ、翌日には、大塚俊郎出納長(:当時。後に副知事、現・新銀行東京取締役会議長)が来訪し、プロジェクトチーム立ち上げを決めた、という。
(大前氏は、その後、意見の相違により、「新銀行東京」と離れている。)
2001年には、金融クライシスからの回復がまだ果たせず、大銀行の株価は、年内に36から67%も下落していた。社会全体に、金融機関への不信と不安が満ちていた。既存金融資本の弱体化と社会からの批判は、歴史的に高まっていた。国による公的資金注入にも世論の支持は低かった。
そのとき、石原が、この世論をてこに、金融業界支配を通した一大支配圏構想を妄想したとしても、不思議ではない。(あのヒットラーも、大不況の中で金融資本への国民の憎悪を煽り、ついには金融独占資本主義の最も凶暴な支配形態、ファシズム支配を確立した。) 「東京こそ日本であり、世界である。」 その後に来る、東京金融マーケットの凋落を、予測だにしていない。もとより、政治家石原の野望は、関東平野3300万人口圏での総領(=首都州長官)になることである。それでこそ、中央政府=内閣総理大臣に対峙できる。これが第一の注目点。
第二の注目点は、都庁官僚群の対応である。
1990年代の中小金融機関の淘汰整理は、東京においても、地域金融の機能を縮小させた。代わって地域金融に登場した都市銀行も、中小零細企業向け与信を放棄していた。貸し渋り・貸し剥がしである。
そこで主張されてきたのは、地域金融を行政による公的金融が担うことである。従来から、東京都や都内自治体による制度融資(行政による貸出利子補給と信用保証)は、実績を上げていた。貸出元の民間金融機関への自治体からの預託金は、10倍の融資額を生み出すと言われていた。
制度融資の融資先には、経営不安定なより小規模零細事業者が多く、金融危機の中で最も痛手を負っていた層であった。ところが、この層への資金シフトは、都庁内で主張はされたが、新銀行設立の趣旨(「知事の本心」と読み替えるべし。)とは違うとして、採用されなかった。
石原知事にとって必須なのは、既存の金融業界へ華々しく割って入ること、すなわち、自ら支配できる民間金融機関の設立と、その成育による覇権確立であった。スローガンは「東京から金融革命」となった。
この意図を知ったが故に、全国銀行協会はじめ既存金融機関は、‘都立銀行’の設置に大反対した。セブン銀行など新銀行開設時には、既存金融機関が実務スタッフを送り込むのが通例であったが、新銀行東京にはそれもなかった。(あったのは、リストラに励んだ金融機関が解雇・退職させた、つまり経営者が不要とした実務経験者の採用である。)だから、1年間の準備期間で金融業のマネージメントを確立すること自体、画餅であった。
知事の本心を読み取った腹心官僚群がとった手法は、次の3点に整理できる。
第1は、すばやく発足するために、既存金融機関を買収し、民間金融機関として運営することである。2005年春の都議選が迫っていた。
外資であるBNPパリバ信託銀行の買収が2004年4月に実現し、看板を付け替えて、1年後に新銀行東京は発足した。注目すべきは、公的金融機関の設立ではなく、行政が出資(買収)した民間金融機関を設立したことである。
この結果、2つの矛盾を抱えた。1つ、地銀・都市銀が(リスクを包含できず)撤退した中小企業向け融資を、‘新しい’公設民間金融機関が担うことになった。既存金融機関が負うべきだった負債(焦げ付き債権)は、‘新しい’公設民間金融機関がすべて負う。これは、実質的に、民間から自治体への負債の移転であり、発足3年間をして都の1000億円の出損金棄損は、必然的な結果である。
もう1つの矛盾は、発足当初から、フルスペックのフルバンキングメニューの営業形態をとったことによる経営不全である。既存都市銀行さえ凌駕してみせるという石原知事の高揚感を満足させることは、彼らの発想の根源である。初期投資は、新設金融機関の例に反し肥大化した。すべて既存金融秩序に割って入るために必要と主張された。つくられたのは、中小企業向け融資専業銀行ではなく、個人顧客向けセフティネットも最初から採用された。勘定系を含めコンピュータシステムも、既存の各種パッケージの寄せ集めであり、全体として他行の規模に比べ誇大なものであったといわれている。
(そういえば、某課長が新銀行東京への定期預金を勧誘して回っていたのを思い出した。紹介パンフレットも配られていた。とにかく10万円でもと粘り、周りの管理職連中は皆応じていた。都内自治体管理職の内5000人が10万円ずつ預金しても5億円になる。すご!)
第2は、都議会与党など、政治銘柄の紹介・持込案件へ簡易に融資する装置と仕組みを考案することであった。2003年知事選の公約を、2005年春の都議選に向け実施に移すことで、彼らはその後の地位保全にリーチした。双方にとって甘い汁が湧き出た。
「赤字でも、すぐに融資する」ために、スコアリング・モデルを変形させた。元来スコアリングとは、青色申告程度の記帳を最低要件としていたが、それも無視された。融資担当社員のフェイスツーフェイスの高度スキルは、不要とされた。内部からの批判(日経ビジネス2008年3月)も生かされなかった。
なぜか。こうしておくことによって、議員や支持団体有力者や一部役員による‘紹介’案件が、「新融資方式による見える化」(実は、エセ見える化による不良債務者隠し)として、融資実行できたからである。もとより、多くは都銀等では相手にされにくいグレーゾーン融資であった。本年1月までに、融資先企業のうち2345社が経営破たんし、285億円が焦げ付く(「調査報告書」2008年3月)。もちろん、既存金融機関の常套手段である、個人担保保証も求めなかった。
この場合、新銀行東京の貸出利率は、年利10から15%といわれている。「都立バンクだから、返済は気にしなくて良い。」と紹介者からささやかれていれば、この利息制限法限度に近い高金利も、障害にはならない。実際、「経営破たんした融資先の内、法的措置をとり回収に乗り出したのは、わずか2.5%の59社14億円にとどまっている。」(読売新聞2008年3月10、13日) 乗り出した結果の回収額は明らかにされていない。
新銀行維持経費が、都財政支出2000億円であっても、それは、かの臨海再開発事業の清算額に比べそんなに多くの額ではない、と考えているのだろう。伝統的な保守都政の中心支持基盤である「各種団体連合会」は、中小企業経営者による支えを細めていた。新銀行東京による融資こそ、彼らの‘活性化’の‘紐’(紐付きの)になると考えた。このように、新銀行東京を、保守地盤の再構築のためにしゃぶり尽すことは、彼ら陣営の使命でもあった。
(これらに加えて、石原ファミリーの選挙地盤である城南地域への融資が濃厚であったとの報道もある。このデータは、金融庁が検査結果を公表しない限り隠されたままになるだろう。都議会野党に、そこまでの意気と力があるか。)
手法の第3は、民間企業経営者の招請である。
民間金融機関経営者では、知事による既存金融機関大批判が生きてこない。
民間資本の導入に失敗した後に、都と民間企業との協業という風袋をとるには必須の条件となった。トヨタグループから仁司氏が代表執行役に送り込まれた。
その結果、市場経済の動向に無知な腹心官僚群が設計図を描き、銀行経営に経験の無い経営者に、その実行を引き渡すことになった。およそ、コーポレート・ガバナンスの確立など期待できなかった。中小企業向け地域金融の確立は、石原知事の選挙公約であったが、それを選挙戦術の口上に過ぎないと社内で喝破する経営幹部はいなかった。
新銀行発足の2005年当時、地銀・信金・信組の淘汰再編が一山越えていた。首都圏では、都市銀行が地域金融に乗り出し、商工ローンを新たな収益源としてきた。公的資金の注入によって金融クライシスを乗り越えた既存金融機関が描いた新ビジネスモデルであった。
仁司氏は、「新銀行マスタープラン」に従い、事業拡大路線を進んだ。それが、石原知事の意向であると信じたからである。ところが、都官僚群は業績悪化を心配し、事業縮小に路線転換した。その対立の結果、2007年3月決算を発表した6月、仁司氏は‘更迭’(日経ビジネス2008年3月)された。(新銀行東京は、現在、仁司氏の刑事責任も追及するとしている。)
後任には、皮肉にも、既存金融機関・りそな銀行取締役を経験した森田徹氏を招請したが、5か月間で退任した。次にいよいよ、銀行開設時の都・銀行設立本部長であった津島隆一元港湾局長が、代表執行役員に登場した。
ここに至って、金融関係者は誰もが、都が新銀行東京の店じまいを目指すことになったと知った。知事腹心官僚群が打ち立てた初期経営フレームの完全破綻である。
津島元港湾局長は、臨海再開発の膨大な第3セクター負債を、融資元金融機関と交渉し‘円滑に’処理した功績者であると、都庁の中では評価されている。また、都関係第一級格の港湾利権(調達と権益)支配の当事者でもあった。関係優良企業は、‘自主的に’新銀行東京からの融資を受けると期待されているのだろう。
一方、都が秘かに進めた民間金融機関への売却交渉は、津島代表の威光をしても、外資系ファンドを含めすべて成立しなかった。冷厳な市場の法則が貫徹している。(貸出債権あるいは銀行全体の民間売却交渉は、津島代表の下で、その後も続けられている。売却が、唯一可能な店じまいの方法だからである。)
3.三位一体のたかり構造と新銀行東京の今後
以上の状況を要約すると、
(1) 石原知事は、客観的な合目的性の無い政治的プロパガンダに、新銀行設立を使った。緊急の必要性があったにもかかわらず、中小企業向け地域金融政策の確立を阻害した。
(2) 周辺政治勢力は、ハイエナのように新銀行東京を食い散らした。企業コンプライアンスを一顧だにしないことを示した。
(3) 知事腹心の都庁官僚群は、客観性が無いと分かっていても、無理な計画を推進した。自らの勢力拡大と保身と名誉欲のためである。天下り組織の新たな確保が見込まれるため、 都官僚機構は、全体として、新銀行東京の新設を支持した。
の3項目になる。どれもが、自治体が本質的に持つ公共の役割を踏みにじった‘三位一体のたかり’であり、石原都政が持つ構造的欠陥の現れである。
では、今後の展望はどう開くか?
第一の視点は、新銀行東京とは離れた、中小零細企業融資のフレームを、都の手でつくることである。当面、制度融資を大幅に拡充し、少額事業融資は、都が原資を負担し、市区町村による直接融資も行う。また、社会的起業向けなどソーシャル・ファンド設立を、資金面でサポートすることも必要となる。
(栃木県の保守県政は、足利銀行の倒産・国有化に際し、地元企業向け制度融資の大拡充を図り、地域金融の空白を埋めた。その試みは現段階では成功している。これが実例!)
第二の視点は、新銀行東京の機能と営業範囲を徹底的にスリム化することである。ビジネスモデルを樹立できない中で、市場に存在する必要性は無い。早い時期に(売却できなかった)貸出債権のみを管理する清算会社に転換する必要がある。
第三の視点は、新銀行東京に対する情報公開を、徹底して求めることである。合わせて、4分の1以上出資団体への、地方自治法第199条で定める監査委員監査あるいは同第252条の27で定める個別外部監査によって、出資金(資本金等)棄損原因を調査させなければならない。
現経営陣は、どうも、都の調達関係企業への融資獲得に焦点を当てているように思われる。優良貸出先の確保による利益計上を目指しているのだろう。しかし、政治的手法による行動は、官僚の発想である。金融という最もグローバルな商品には、経済的合理性が貫徹する。
すでに、新銀行東京の中小企業向け融資は総融資額の5割を割った、といわれている。ますます都市銀など既存金融機関とのマーケット競合が激しくなる。すでにフルバンキング化を放棄し、事業縮小に進み始めた新銀行東京が、フルバンキング機能を持つこれら金融機関と競争する経営力量を持っていくのは困難だろう。
前章で、知事腹心の官僚群がとった手法を3点あげた。
その計画つくりは、知事腹心の大塚俊郎取締役会議長(元副知事)を中心にすすめられた。大塚氏は、局長時代から、知事の唱えた「銀行戦争」の現地司令官であったが、結局は、銀行新税(外形標準課税)も都運用資金のみずほ(都指定金融機関であるみずほ銀行)剥がしも、実益をもたらさなかった。今また、新銀行東京の再建に失敗したとして、だれも意外とは思わないだろう。閉鎖計画を、(津島代表執行役とともに)作成し、実行することにより、むしろリベンジに満足感を覚えるに違いない。
来春の都議選に向けて、与党が、新銀行東京を(前回のように)集票装置に使うことは、まったく不可能になった。むしろ、争点隠しに狂奔するだろう。次に石原知事の夢想は、都庁官僚群によって逆の方向へ動き始めている。民間経営者はすでに去った。
課題解決を具体的に考えるなら、もはや新銀行東京は消滅してもらうのが必然である。
実効的な中小企業振興への資金シフトに、東京都は全力をあげるべきである。
以上
【出典】 アサート No.368 2008年7月30日