【書評】『天使のナイフ』(薬丸岳、2005.8.8.発行、講談社)
本年度の江戸川乱歩賞の受賞作である。主人公はかつて三人の中学生たちに妻祥子を殺された桧山貴志。彼はその事件の時に助かった娘の愛美と二人暮しで、埼玉大宮でブロードカフェ(セルフサービスのコーヒーショップ)を営んでいる。そこに県警の三枝刑事が姿をあらわすところで物語は始まる。
本書の大筋は、かつての事件の犯人であった少年AとBが殺され、Cが駅のホームから突き落とされるという、一見復讐劇風のストーリーである。しかもいずれの場合も、桧山が近隣にいたか、またはアリバイの無いときに起こるという含みを持っている。
桧山にとって妻の殺害事件は大きい衝撃であったのはもちろんのことであるが、それにも増して犯人であった少年たちのその後の措置について、現行の少年法の矛盾と直面させられ続けてきた日々であった。例えば、犯人たちが捕まって、三枝刑事と署長が桧山を訪問した時に、このことが特徴的に描かれる。
「今、祥子さんにもご報告しましたが、・・・」三枝は祥子の遺影を振り返り、苦い表情を桧山たちに戻して言った。「犯人が捕まりました」/(中略)/「やっと逮捕されたんですね」/桧山はようやく言葉を摘み上げた。/「逮捕はされません」/三枝は無念さを滲ませた表情で告げた。/桧山は、その言葉の意味を図りかねて三枝を凝視した。/「捕まったのは所沢市内の中学校に通う、中学一年の三人の男子生徒でした。祥子さんを死なせた少年たちは、いずれもまだ十三歳なのです」/桧山は絶句した。/(後略)
「・・・今朝から少年たちを署に呼んで、あらためて詳しく事情を聞きました。一時間ほど話をすると、少年の一人が泣きながら自供を始めました。そして少年たちの指紋と桧山さん宅にあった指紋も一致しましたので、先ほど署の方から桧山祥子さんを殺害したと言う非行事実を児童相談所に通告して、少年たちを補導しました。逮捕ではなく、補導です」/三枝の最後の言葉は、自分のやるせなさを吐露するような、どこか投げやりな口調に聞こえた。/「補導?」/桧山は自分の耳を疑った。/(後略)
「桧山さんは刑法四十一条というのをご存知でしょうか」/三枝が切り出した。/「知りません」/「刑法四十一条には十四歳に満たない者の行為は、罰しない、とあります」/桧山は暗澹たる思いで三枝を凝視した。/「十四歳未満の少年は刑事責任能力がないんです。刑罰法令に触れる行為をしても犯罪を行ったとはいえないので、触法少年と呼ばれて保護手続きの対象になります」/「そんな馬鹿な!」/桧山は声を荒げた。(後略)
少年審判で少年A とB は児童自立支援施設に送致、Cは保護観察処分となるが、このことすら被害者側には知らされず、2001年4月の改正少年法施行によってはじめて、事件の記録閲覧が可能になったのである。
このように少年たちによる殺人事件は、現行の少年法の問題点を焙り出していくが、これと並行して、主人公をめぐる人物たちがより過去に犯した事件が明らかになっていく伏線が張られている。ミステリーという性質上その詳細は割愛せざるを得ないが、筋としてはしっかりした複雑な構造となっている。
そして少年法、少年犯罪における罪を犯した少年と刑事責任の免責という構図を、その後それぞれがどのように生きてきたのかを問う、贖罪の視点と絡めて描いているのが本書に社会派ミステリーとしての厚みを加えている。
なおこの点と関連するが、死刑制度と恩赦に焦点を合わせた社会派ミステリーとして、喧嘩による殺人で仮釈放中の青年が、職務上で挫折した元刑務官とともに、冤罪で執行寸前の死刑囚を救うという『13階段』(高野和明、2001年、講談社)がある。この書も第47回江戸川乱歩賞を得ている。関心のある読者は、あわせて読まれたい。(R)
【出典】 アサート No.334 2005年9月24日