【書評】『現代規範理論入門—ポスト・リベラリズムの新展開』

【書評】『現代規範理論入門—ポスト・リベラリズムの新展開』
(有賀誠・伊藤恭彦・松井暁編著、2004.5.10.発行、ナカニシヤ出版、2,600円+税)

 本書によれば、「規範理論」とは、「社会のあり方に関する価値判断的な議論を研究対象とする」分野である。従ってそれは価値判断に関わるという性格を持つ以上、絶えず「規範的諸理論と規範的諸価値との関係」を混同することなく、明確に区分しておく必要を持つ。

 このため本書では、対象とされた諸価値–正義、自由、平等、人権、福祉、疎外,共同体、公共性、民主主義、多元主義–のそれぞれに関して反省的思考を保持するという視点から、叙述の形式を整えている。すなわち(1)当該概念が問われている必要性を提起、(2)その概念の基本的な定義の説明、(3)現代の理論的動向や論争状況の紹介、(4)筆者の見解、という順序になっている。ただし上にあげられた諸価値は、現代社会の根幹に関わるものであり、これらについての議論を限られたスペース行うことは難しい。このため本書の説明には「入門書」としては難解な部分もあることを指摘しておきたい。以下いくつかを紹介しよう。

 「第1章 正義–他者と私との間柄の正しさ」(伊藤恭彦)は、「現実政治における正義に対する不信とアカデミズムにおける正義の過剰」という落差の認識から、正義を検討する。それによれば、正義の原型とされるのは、古代ギリシャの正義観念–「正義が共同体の根底にある『正しさ』の客観的な基準」であり、「個人の正義(徳)と共同体の正義」が関係付けられていた–である。ところが20世紀にケルゼンによって、「正義を合法性に限定」し、正義の実質的な規範内容の探求が放棄されてしまった(「価値相対主義的正義、」「形式的正義」)。

 このような状況下で現代の社会正義論では、ロールズの『正義論』以降、分配的正義において「等しいものと等しくないものを選別する実質的な基準」が論じられており、また「実質的規範の正当化」(正義の正当化)の方法をめぐる論戦も展開されている。そして後者の議論は、正義が貫徹すべき共同体の理解の問題へと連なっていく。しかし正義という規範は、ケルゼンによる否定に加えて、現代ではさらに現実の暴力の中で殺されつつある。そしてこれに対して正義の復帰が探られるが、この方向は、デリダなどの、他者への応答責任にそのラディカルなかたちを見ることができるのではないかとされる。

 「第5章 福祉–他者の必要を把握するとはどういうことか」(神島裕子、山森亮)は、「直接、福祉そのものを、『援助』や供給に還元しない」視点から取り組む。それによれば福祉概念には、「福祉を主観的な効用として捉える見方」(ヘドニズム派–J.ベンサム、A.C.ピグーなど)と「福祉を客観的な概念として考えようとする考え方」(エウダイモニア派–A.スミス、C.メンガーなど)があるが、ここでは主として後者が取り上げられる。そして現代におけるその出発点としてのロールズの理論–「正義にかなった社会の基本構造を提示する」ために、「資産の平等主義」と指摘される規範理論–が紹介されて、これに対する批判として、A.センの「ケイパビリティー・アプローチ」(人間の多様性の組み入れとその機能への注目)の理論とT.ポッゲによる福祉のナショナル化批判が検討される。

 またこの議論に関連して、M.ヌスバウムの「人間の中心的なケイパビリティー」のリスト–「人間性を構成する特徴が自然の選択肢の変化を受けて変わる可能性があること、また、他文化との出会いによって普遍と特殊の関係が交代する可能性があること」を含む「可変的」リスト–が示される。

 この他、「第7章 共同体–自己と道徳性の諸源泉」(坂口緑)は、共同体と自己との関係を結びつける「道徳性という契機」へ注目する。また「第8章 公共性–市民社会という準拠点(有賀誠)での、「S.ジジェクが『民主主義』について語った次のような言葉は、おそらく『公共性』に置き換えたとしても、そのまま妥当する。『歪みを取り除いて、〈宇宙〉をその純粋無垢な形で捉えようとすると、正反対の結果になってしまう。いわゆる『真の民主主義』とは非民主主義の別名である』」との指摘も鋭い。

 このように本書は、現代社会に通用している諸概念が、規範理論的には根深い論争を含んでいることに気付かせてくれるという意味では「入門書」と呼ぶに適した刺激的な書である。しかしこれらの理論そのものが高度な専門性を持つという状況を踏まえれば、本書で紹介されている諸規範をどのように普及理解させていくのかが、今後著者たちの知恵の絞りどころと言えよう。(R) 

 【出典】 アサート No.332 2005年7月23日

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