【討論編】 広がりつつある能力・成果主義-

【討論編】 広がりつつある能力・成果主義-
             どうなる?これからの賃金システム
                                                 (参考:広がりつつある能力・成果主義<報告編>

<公務員と民間における問題>

A:東京都の場合、2003年6月から係長級職員に対して「勤勉手当てへの成績率」が導入されています。また2004年4月からは、業績評価に基づき第1次評定総合及び第2次評定総合がDの者(A~E)は、「普通昇級不可」となり3月延伸となります。実際にそれを「告知」された職員はとてもショックを受けています。また公務労働の場合にはメリットがあるのかどうか疑問です。そして生涯賃金を考えた場合、今の若い人の場合、ある程度高い給料から出発していきますが、年齢の高い人々は、若い時に10年は低い賃金でも、10年20年したら、人並みになる。最後は年金も出るから、トータルとしてはたくさん貰えるよ」などと言われて働いてきたわけです。そんな団塊の世代が、定期昇給も止まり、加えて何年も4%カットされているのですから、この5年間は連続の年収減でカーブは下を向いてしまっています。組合はどう対応していくべきかということです。
 
B:民間の場合は営業実績といった、ある程度数値化できる場合が多いのでしょうが、公務労働の場合、何をもって業績評価するのか-という事が難しいと思います。ただ、「日本的雇用慣行」が最も残っているのが公務員と思いますが、その公務員の中でも若年層に限らず、指摘された事とはまた別の不満もあるのではないでしょうか。私も現実に悪平等はあると思っています。しんどい仕事から逃げている人でも、毎日出勤していれば給料は下がらないわけですから。A・B評価は別にしても、職務に後ろ向きな場合、ペナルティーをもたらす評価は入れざるをえないのではないか。今後の公務員制度を考えた場合、それもダメということにはならないと思います。それでなくても公務員批判が強い中では社会的批判にも耐えられないのではないでしょうか。
 ただ一方、公務員の成果主義を考えた場合、個々の公務労働をどう評価するかが難しいという点に加えて、役所の単年度主義の中で、いわゆる「企業の中長期ビジョンと、それに応じた個人の目標管理」といったことがなかなかできない。また成績評価も、民間企業よりも主観的になりやすい傾向もあります。その意味で下からの評価制度も入れていかないといけない。公務員の管理者ほど自分には甘いのが実態ですから。労働組合もその点をしっかり主張すべきだと思いますね。
 団塊の世代の賃金問題ですが、民間でもどんどん見直しが進んでいます。能力成果主義賃金導入の動機の一つが中高年の賃金対策にあると述べましたが、その最たるものが退職金制度であるわけです。確かに団塊の世代の不満もよくわかるのですが、制度が転換していく時には、どこかに一定のしわ寄せが来ることも事実で、そのコンセンサスを得ることは実に悩ましい問題です。しかし一方、企業は強引に導入しようとしており、そこでは絶対反対論では立ち行かない事もあるのではないでしょうか。
 望むと望まないに関わらず、賃金制度を巡って大きな転換点にあるわけで、いかに軟着陸をさせていくかも労働組合の選択肢と役割ではないかと思います。
 
C:民間でも製造部門、営業部門、そして事務管理部門があると思いますが、後方作業になる事務部門などは公務員と同じような仕事です。私も人事評価や賃金体系などについても、取り組んだ経験がありますが、事務労働を成果主義と結びつけるというのは非常に難しい問題ですね。一人の人間がいくらがんばったって、小さな会社なら突出した有能な人がいればすごい成果をあげる事もあるけれど、規模が大きくなるほど事務労働というのは評価が難しい。特に組織が円滑に流れていくことが求められる事務管理部門では、各自の成果を評価するなどということは、まず無理ですね。
 また仕事は部門に分かれていますから、最後の成果が見える部門だけを評価するわけにもいかない。前工程なしに後の工程はありえないのに、成果が見えやすい後の工程だけを評価したら、前の工程の人は腐りますね。

B:最近では、事務部門についてはアウトソ-シングして、部門として能力成果主義の対象外とする会社もありますが-。

C:確かに一時的にはアウトソーシングによって合理化されたかのように見えます。ただ、パートや派遣社員で事務部門をアウトソーシングした会社も、また元に戻り始めています。何故かというと、事務部門の仕事に連続性がなくなるからです。顧客対応についても継続的な対応が実際はできない場合が多いのですね。仕事の連続性が無くなってうまく回らない場合も多いのです。

<能力成果主義をどう評価する>

D:成果主義賃金について、そもそも日本の経営者として、賃金のあり方について自信をもっているものではない。例えばトヨタの場合でも、「業績主義だ」と言いながら、給料を上げているかというと上げていない。能力主義についても、評価できないものを無理に評価しようとしてギクシャクする。結局は、経営者全体としての狙いは総賃金の抑制であって、それしかない。組合側はどう抵抗するのかということになる。
 地方自治体でも成績導入が始まっているということですが、やる気云々という議論もあるが、総賃金の抑制という点から言えば、生活給をどう確保するか、という視点をしっかり持って対応していくことしかないと思いますね。23歳で月給50万の人と18万の人がいるというのはバランスが悪い。
 今日、転職が当たり前といわれますが、それは賃金や労働条件が保障されないから転職するのであって、引き抜かれて転職するという例はほんの少数でしかないのです。転職すれば労働条件は悪くなるのが常識です。そういう現実を見れば経営側の思う壺にはまっていくのはいかがなものか。総労働対総資本の視点で見ることが必要です。
 能力主義導入に対しては、最初の報告にも指摘されていたように、多面的な歯止めを行う必要があるとして、そこで新たな規制をどうつくるかというと、現実的には結局、ほとんど電産型賃金のようになっていくのではないかと思います。
 いずれにしても、今後の賃金制度のあり方として考えた場合、歴史的経過などを踏まえていくと、なかなか時間のかかる課題という事になる。労使関係や社会保障の問題なども踏まえた議論にしないといけない。どんな産業にいっても最低限の給料は保障すべきというのが原則ですから、最低保障給なり、最低賃金を確保した上でどうするのか-ということでしょうね。

C:単純にはいかないよね。年功賃金や体系はその会社の歴史ですからね。それを一挙に崩すというのは難しい。能力成果主義賃金も賃金の抑制という機能が強く、今日的には年功賃金が、全体の賃金コストを高くしたことも事実だろうと思います。企業側からすれば、これを何とかしたいと出てきたのが能力成果主義賃金だろうと考えます。

D:年功賃金も、実は職場経験とともに能力も自然に上がるという前提での一種の能力主義賃金だとも言えますね。

<男女雇用均等法もひとつの契機だった>
C:年功賃金制の歴史の中で賃金コストが企業にとって重くなってきたという議論とともに、もう一つは男女雇用機会均等法ができた時に、僕は必ずこの問題が出てくると思っていました。結局、男女賃金格差というのは大企業程、大きかったわけですね。それが均等法が出てきた時に、その格差を残せなくなったわけですね。そこで総合職制だとかいろんな形で能力主義を少しずつ取り入れて崩しにかかったわけだ。均等法も能力成果主義賃金導入の契機になっていると思いますね。それがどんどん変形してきて現在の形になったのでは-。

E:言われていることもあると思うけれども、雇用している人をいつでも首が切れる状態にしたいという経営側の意図もあるのではないか。年功制度というのは、人が長く居てもらう方が成長の根源だったからで、多く人を雇用して、初めは賃金を安くしてきたということだ。それが経済が変わり、需給関係がまったく逆転し、年功序列で抱いてきた人が重荷になってきた。できるだけ辞めてもらいたいというのが本音だと思う。今、勤続10周年で報償を与えるとか、長く勤めることが良いことだという制度はほとんど廃止されてきています。会社にとって必要な時には人を雇うけれど、必要でなくなれば、できるだけ早く縮小したいという状況になってきています。評価の公平性という議論もあるが、一番大切なのは生活保障給の確保ということです。
 それから社会保障制度の充実も図っていかなければならない。「会社に貢献のある人だけ残ってもらいましょう」というのが能力成果主義ですから、そこに公平性を求めても限界があります。やはり、生活保障給を確保する法律といったことが必要ですね。能力成果主義賃金の制度に対案を出していくのも意味のないことではないが、生活保障給を要求していく方が、団結の方向に向かうのではないか。そもそも分断が目的の制度なのだから。
 特に大切なのは年金ですね。企業は、退職金・年金の負担に耐えられなくなって、この負担をなくそうとしています。これを公的に保障する制度にしていく必要があります。
 
B:望むと望まざるとに関わらず、雇用の多様化は進行しているという現実があります。ハローワークの求人の多くが非正規雇用になってきています。「世の中が非正規雇用の時代に入った」と言っても過言ではないでしょう。雇用が流動化していくということは、企業の枠を超えていく人が数値としては多くなるわけです。だとするならば、何処で働いても、また離職しても生活の保障があるシステムをつくる必要がある。例えば退職金ですが、何処の企業で働こうが通算して退職金が出る制度とか-、現に建設業界には退職金共済制度のようなものがあります。雇用保険の失業給付にしても、ヨーロッパ並の長期にするとか-。年金も基礎的部分を引き上げ、また企業負担を引き上げるとか-。雇用は流動化しても、企業が労働者への負担から逃がさない制度・システムが必要になると思います。
 ただ、能力成果主義の評価について言えば、民間の経営側の担当者は、結構、問題点も認識して研究もしています。経営側も悩んで出してきているので、決して短絡的に見てはいけないと思います。
 

<能力成果主義と年俸制>

C:能力成果主義との関係で年俸制の問題ですが、今、若い人にも年俸制が取り入れられてきています。しかし年俸制という名の下で、無茶苦茶な時間外労働をさせられています。もちろん無給でね。「年俸制なのだから」と言って、夜の12時、1時まで働かされています。
 
B:「年俸制だから時間外賃金を払わない」というのは、明らかな労働基準法違反です。「残業代も含むという年俸制」の場合、契約の中に残業代はいくらと明記する必要があります。そして、残業実態が残業代より上回れば、その差は未払い賃金ということになります。法律的にはそうですが、それをチェックし、監視することができているかということとは別ですが-。
 付け加えて、先ほど「能力成果主義賃金とは、企業側が総賃金を抑制するためだ」という意見がありましたが、それをさらに補強する動きがあります。この間、大企業でも不払い残業の摘発が続いていますが、経団連の労働部会の中で、能力成果主義賃金制度に係わって「時間ではなく成果で見るのだから、残業代を支払うのはおかしい。労働基準法の方が間違っている」として改悪を検討しているようです。これに対しては、個別企業や個別産別の問題ではなく、まさにナショナルセンターの課題であり、真剣な取り組みが必要ではないかと考えています。
 ただ、私の能力成果主義に対する意見は、確かに経営側は、能力成果主義から労働基準法の改悪まで考えていることは事実ですが、能力成果主義自体は一つの流れとして受け止め、そうした経営側の目論みにいかに対抗するか、また制度内容において、どう歯止めをかけていくかが問われており、そのためには、労働側内部の論議とコンセンサスを早急に図ることが重要だと考えます。
(文責:ASSERT編集委員会) 

 【出典】 アサート No.318 2004年5月22日

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