【投稿】ベトナム戦争から何を学んだか–

【投稿】ベトナム戦争から何を学んだか–
      —イラク日本人人質解放におもう—

 私は、2004年春、ホー・チミン市のWar Remnant Museumをおとずれた。
 学生時代、ベトナムに平和を市民連合(ベ平連)の主催する反戦デモに参加した事を思い出した。当時はデモに参加することにしばらく悩んだ挙げ句(人生初めてのデモだった)に参加し、反戦の意思表示をしたと自分なりに納得していた。
しかし、ベトナムの戦地では、1965年ダナンに始めて米軍が上陸して以来、1975年の米軍撤退まで、実に300万人のベトナム人民殺されており、米軍の投下した爆薬800万トン、枯れ葉剤7800リットルと記録されていた。

<今なお枯れ葉剤に苦しむベトナム>
 枯れ葉剤による奇形児の出生や発病、死亡はあとをたたず、そのための奇形児といわれたベトちゃん、ドクちゃんは、今20才になり、一人は大学生で恋人もいるが、もう一人はホー・チミン市の病院に植物人間となって入院しているという。
 枯れ葉剤が含むダイオキシンが遺伝子の異常を誘発するのは学問的にも証明されており、ベトナム全土の被害者は300万人といわれている(毎日新聞『インドシナの光と影』04.02.17)。ベトナム戦争の間に、枯れ葉剤を作った会社や戦闘機や爆弾など武器を作った会社はどんなに稼いだことか。世界各国で反戦運動が起きたが戦争がようやく終わるまでの10年間に、米国は300万のベトナム人を殺し、爆薬や枯れ葉剤を購入するために米国政府は国民の税金でその金を支払ったのだ。枯れ葉剤の影響は現在第3世代にも表れて始め、タイビン省の調査では15才以下の枯れ葉剤の影響を受けたとみられる子供は約4000人、そのうち200人は祖父が従軍経験者という(前掲毎日新聞)。
 
<村に落とされた地震爆弾>
 中庭には、当時アメリカ軍の戦車や戦闘機とともに、巨大な円筒形の鉄の固まりが展示されていた、これは地震爆弾と呼ばれて恐れられた6.8トン爆弾であった。直径100メートル以内を破壊し尽くし、その為の振動は3、2キロ範囲に地震を引き起こしたと説明がついていた。
 しかし平和な日本に住む当時の私には、やはり遠い他人の事であり、何度かの「デモに参加した」ことで、良心の呵責から逃れられるかのごとく自分に感じさせていた事実が、胸に厳しく迫って、涙があふれた。
 この時期、極東におけるアメリカのグリーンベレー:対ゲリラ戦専門の特殊部隊(ボリビアのチェゲバラを殺したのはパナマの基地から派遣されたグリーンベレーの兵士であった)の基地が沖縄にあり、この基地からはベトナム爆撃の戦闘機が毎日のように飛び立っていた。
 当時、アメリカは『共産ゲリラが民族解放闘争の仮面をかぶって浸透してくる』のを防ぐための戦場にベトナムを選んだといわれていた。
 現在アメリカが『テロと大量破壊兵器を温存する悪の枢軸を根絶やしにする』とフセイン攻撃を始めたイラク戦争の展開と酷似しているではないか。
 
<日本人フォトジャーナリストの活躍>
 記念館に展示されていた沢田教一の「河を渡る親子」「拷問の末、された農婦の殺される直前のうつろな、しかし強い意思の読み取れるベトナム農婦の写真」や「ソンミ村虐殺現場の500人近い村びとの死体;ほとんどは子供、婦人、赤ん坊」「飛行機から落とされるベトコン捕虜」「記念写真を撮る4人の米兵;ベトコン捕虜の首をきりそれを手にしている」などなどの写真、それらの多くは日本人写真家沢田教一のものであった。展示場には撮影活動途中に死亡した各国のフォトジャーナリストの30人近い遺影も飾られていた。
 『戦争の原因に深くメスを入れ、2度と同じような事を起こさせないための証拠となる報道写真をりたい』とベトナム戦争従軍記に記した岡村昭彦など、命をかけて発信されたこれらの写真は、インターネットのない時代、反戦運動の強力な起爆剤であった。
 
<イラク日本人人質事件の解決>
 4月15日、高遠菜穂子、郡山総一郎、今井紀明の3氏が解放された。国際的な救出の声が届いた証である。
 アメリカは、今もファルージャ市民を殺戮している、子供100人以上を含む600人の市民がアメリカの爆撃で殺されている(毎日4.17)。その極限状況においてさえ、3人の日本人を解放すると判断し、実現したことは、イラク・イスラム聖職者協会を含め、イラク人の理性を信じる事ができる。
 ベトナム戦争という言葉が事の本質を覆い隠していて、ベトナムではアメリカが侵略したのであり、抗米戦争と呼ばれている。これと同様にイラク戦争はイラクの国民にとってすでに「抗米戦争」であり、自衛隊はその同盟国日本の軍隊でしかない

 この救出事件のなかで、被害者と加害者、被抑圧者と抑圧者、被差別者と差別者、人間の歴史の中にあるその構図が、誰がどの立場に立つのかが、首相をはじめそれぞれの発言と行動に明らかにされてきた。NGOの活動家、ジャーナリスト、劣化ウラン兵器反対運動が、イラク人の側に立つ支援者であり、イラク人が求めている「支援」が何なのかが明らかにされている。
 ちなみに自衛隊の派遣費用は377億円とされているが、イラクの10万人の1年間の給水費用は6000万円で可能という、我々の税金を無駄に使って欲しくない。NGOへの資金を含め積極的な協力を通じた生活支援こそ行うべきである。
 我々は、平和外交に力をつくし、諸国が互いの存在をその文化も含めて認めあい、共生するために働き、相互の繁栄をめざす政府を自分達の代表として選びたい。  
 
<どん欲な戦争嗜好者はいらない>
 ベトナ戦争、湾岸戦争、イラク攻撃、さらには朝鮮半島へと「戦争の場」を次々に求めるアメリカは、兵器産業と利権集団に突き動かされる戦争嗜好者としかみえない。
 自民党は、選挙時に”公約”として国民に判断を求めただろうか。小泉首相は「平和憲法を捨てる」という大きな外交方針転換に際して、憲法改悪も含めて十分に国民に説明責任を果たさなければならない。その後に「国民投票」など国民がみずから判断する機会を作ってこそ、一国のリーダーとして認められる。
 59.8%の投票率(2003年11月第43回衆議院)のその半分の自民党が国の重大な方を議席の半数プラス1で決める事ができるのは、現在の民主主義:選挙制度の重大な欠陥である。国政選挙で議席の過半数を得れば「国民が全権委任した」として十分な説明も判断の機会も与えずに、国会運営だけで事を決めるのであれば、我々は、それを補う方法を考え実現させなければならない。
 来る2004年7月参議院選挙の大きな争点として「平和外交を日本の方針とする」ことを論争し『強欲なブッシュの戦争に加担して加害者となることを拒否する』道を国民一人一人が判断できる状況を作り出すべきだと思う。
 戦地に赴くのは小泉やブッシュでなく、労働者や学生であり、爆撃で殺された何百万の人間も、戦争の後遺症に苦しむ多くも、女性や子供を含む一般市民である。 
 今イラクでアメリカがしている事、ダーテイーウィーポンといわれる劣化ウラン爆を使い殺戮をくり返し、何世代にもわたってイラク国民と米兵をともに苦しめる、その事実とそれを支持する小泉政権を野放しにしてはならない。(2004.4.17 東京 E.T)

 【出典】 アサート No.317 2004年4月24日

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