【雑感】寺島実郎氏の憂い
(大木 透)
国連安全保障理事会は、5月22日、米英とスペインが共同提案した対イラク経済制裁解除決議を採択した。これによって、フセイン政権後のイラク復興が、米英などの占領下で進められることを国際社会が承認したことになったらしい。この二ヶ月間の出来事が夢のように思い出される。フランス、ドイツ、ロシアはなぜこの決議案に賛成したのか★国連中心主義への復帰だの、イラク国民の人道問題への考慮などが、その理由に挙げられているようだが、どうしても、石油利権なのをめぐる「帝国主義列強」による再分割の取引の結果だろうという疑念が生じてしまう★レーニンの言った「帝国主義論」は生きている。経済が政治を決定するというのも、あいかわらず真理だ。表向きこうした唯物論的世界観を標榜しないだけで、批判者達は、黙々とこれらの理論を実践している。こういう背理が罷り通るようになったについては、こうした理論を汚してしまったもの達の責任は免れない。しかし、そのもの達は、今どこにもいない★こういう見せかけの「イデオロギーの終焉」の時代は、人々を、あてどない心の荒廃と彷徨に導く。あの盛り上がった「反戦」の記録(世界特別号)を見ると、この感を深くする。エネルギー不滅の法則はこの場合も真理であろうか。テロの頻発のような形で、このエネルギーが保存され爆発させられないようにするにはどうしたらいいか。それには、この「敗北」によって生まれた真空状態を恐れず、そこを立脚点にして、よく思考しなくてはなるまい★こうした状況のなかで、一貫して、日本の良識を代表して発言してきた寺島実郎の世界六月号の提言は感銘深いものだし、その根底に流れるヒューマンな鮮烈な心性に強く打たれる。すでにお読みの方も多いと思うが、あえて、ここに、その前半部分をそのまま紹介させていただく。
★いわゆる「奴顔」からの脱皮についてー寺島実郎《(財)日本総合研究所理事長・早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授》―「バグダッド陥落」のテレビ映像をみつめた。サダム.フセインの銅像を米兵と一緒に引き倒すイラク人。星条旗を掲げ、米軍を歓迎する群衆。歓迎の中を進駐する構図は珍しくもなく、ヒトラーの軍隊も常に「歓迎の旗の中を進駐」していた。 米国の情報管理の中で伝えられる映像などに言及する意味もないのだが、私はイラク群衆の表情を食い入るように観察した。思い出したのは、中国の作家魯迅が使っていた「奴顔」という表現である。奴隷にふさわしい顔、つまり虐げられることに慣れて、常に強い者に媚びて生きようとする人間の表情である。そこには、自分の運命を自分で決めていくことをしない哀しく虚ろな目が存在していた。翻って、日本人として自分達の頗を鏡に映してみて、いかなる表情が映っているであろうか。やはり「奴顔」が映っているのではないか。少しはものを考える日本人なら、イラク攻撃が理屈に合わない不条理なことを直感していたはずだ。「テロとの戦い」といっても、イラクが「9・11」に関与していた証拠はない。「大量破壊兵器」といっても、米国の開示する情報だけを鵜呑みにして「査察」も「立証」も完結されぬままの殺戟行為に筋が通らぬことは分りきっていたはずだ。 それでも、日本人は「現実主義」の名の下に、「日本を守ってくれるのは米国だけ」「米国吏挿しかこの国の選択肢なし」との思考回路の中で路線を選択した。 「武力と殺戟で民主主義を与える」ことを正当とするような狂気の時代に、人間としての正気を取りもどし、自らの運命を創造する気概を見失ってはならない。正気を取りもどす目線ともいうべき歌を目にした。「破壊後の 復興予算を計る人 いのちの再生 言えるはずなく」(朝日歌壇 神田眞人)
(イラク戦争のせ界史的意味)
軍事的には米国の圧倒的な「勝利」に終ったイラク戦争であるが、政治的には米国の「敗北」となる可能性がある。一九七九年のソ連のアフガン侵攻を思い出す。軍事的には瞬く間に制圧し、親ソ政権を樹立したが、「正当性」のない軍事支配がいかなる結末をもたらすのかを思い知らされることとなった。内戦とゲリラに悩まされた挙句、アフガンから撤退したのは一九八九年であり、それがソ連崩壊への導線になった。今回の場合も、統制が常態化した国に、「民主化」を持ち込もうとするほど、事態は液状化し、凝固剤として留まれば、アラブ諸国のみならず世界から「米国の野心」を糾弾されるという際限なき消耗に陥る可能性が高いのである。 そもそも、この戦争は「戦争」といえる次元のものではなかった。RMA(軍事革命)といわれる戦略情報戦争の時代にあって、開戦と同時に、イラク軍は通信情報手段を遮断され、組繊的・系統的抵抗ができる状態ではなくなった。いわば、眼の見える人と全盲の人との戦いのようなもので、表面的には「戦争」に見えるが、現実には「いたぶり」に違い残酷な戦いであった。サダム・フセインという憎々しげに毒づく、現実にはさしたる脅威でもない専制者を「都合のよい敵」に祭り上げ、圧倒的に勝利して力を誇示しているが、安手のプロレスの試合を見せられたようなモノ悲しさが拭えない。 イラク戦争の世界史局面を再考すべき局面にある。多くの人は・「アメリカの軍事力の圧倒的優位」を確認し、新しい帝国アメリカの「力の論理」が支配する時代に向かっているという認識を抱きがちである。本当にそうなのだろうか。最近、気に入っている表現に「カントの欧州対ホップスのアメリカ」がある。恒久平和論を書き、国際法理と国際協調システムによる世界秩序を希求した哲学者カントと「万人の万人に対する戦い」における「力こそ正義」による秩序を志向したホップスを対照させ、欧州諸国が王張しているのがカント的世界であり、米国が主張しているのがホップス的世界だという捉え方である。 この対照は、おそらく二一世紀の世界秩序を巡る基本的選択肢にまで投影するものであろう。そして、日本がとるべき路線が「カの論理」ではなく「国際法理と国際協調による秩序形成」であることは間違いない。何故ならば、日本近代史への反省に立って、戦後の日本が踏み固めてきた価値が、「武力をもって紛争の解決手段としない」という国際法理と国際協調システムの希求であり、今こそこの価値を国際政治の場で実体化させる重要な局面に立っていると認識すべきだからである。(以下略)★この寺島の「奴顔」の指摘は、われわれに、ひりひりするような痛みをもたらす。思わず顔をさすって、鏡に顔を写してみたくなる。あるいは、自分の顔を見るのが恐ろしくなる。おそらく、その人生において、「奴顔」にならざるをえないような局面に遭遇しなかった人は少ないであろうが、若者達にだけは、こういう相貌をして欲しくないものだ。 (大木 透)
【出典】 アサート No.307 2003年6月21日