小野暸さん講演録 「21世紀のグランドデザインをどう描くか」を読んで
【感想3】 組織と系列の今日的な止揚のあり方を考える
SOHO(スモールビジネス)事業者である私にとって、「万人企業家社会論」はたいへん魅力的なものでした。
いわゆるスモールビジネスは、パソコンやインターネットの出現が「技術的な」環境を用意したわけですが、その「社会的な」環境は未成熟です。そのスモールビジネスの「社会的な」環境の成熟を阻害している大きな壁が、ほかならぬ組織の壁、系列(組織の組織)の壁だと日々感じていましたので、組織が疎外態の一つであるという講義に、思わず力が入りました。
しかし、希望がないわけではありません。今日の経済の縮小傾向と社会の地殻変動は、ある意味で、組織・系列の社会的な克服の環境を準備しつつあるようにも思います。
1つは、仕事そのものの合理化です。今日の経済の縮小傾向は、技術革新による「情報化」が生みだした合理化圧力が大きなファクターとなっています。「工業化」が生産システムの集中と労働の専門化をもたらしたのとは逆に、「情報化」はその分散化と総合化を促進します。組織は仕事を細分化・専門化して、内部にかかえこむことをやめ、仕事のナレッジの共有やアウトソーシングに積極的になり、仕事のダウンサイジングが進んでいくでしょう。これは巨大な生産システムのパーツと化していた労働が、自己実現や達成感を感じられる「人間的なサイズ」を回復していく過程だとは考えられないでしょうか。
2つめは、肥大化した組織の合理化です。永遠の成長モデルを描いていた組織は、経済の縮小傾向によって大きな矛盾をかかえ、かつて無い失業率など社会問題を生みだしていますが、一方では、組織・系列に属さない個人を大量に生みだし、「個人として生きる」ための価値観・人生観が鍛えられてきているように思います。従来、個人として生きるというと、才能に恵まれたか、そもそも体制から疎外されていたか、だろうと思います。それは、恐ろしいこと、出来ればさけるべきことでした。しかし、これからは「普通の人が普通に」個人として生きていくことに、希望と誇りを持つようになるのではないでしょうか。それは、「所得倍増」の夢ではなく、近代化の中で分離された「仕事と生活」をふたたび不可分のものとして取り戻し、個人として働き、生きることが、豊かで安定感のある生き方として感じられる、そういう社会に移行しているような気がします。
小野先生の講義は、組織を止揚する対象としてはいますが、その「最終的な」克服が不可能なのは、宗教も国家も資本も同じでしょう。講義の中で、もう一つ心に残ったのは「市場に人格はない」という言葉です。社会的な事象を客観的にとらえることと、それを神のように人格化してしまうことは違うと。小野先生のヒューマニズムを感じた言葉でした。(R)
【出典】 アサート No.292 2002年3月16日