【映画評】「息づかい」を観て想ったこと

【映画評】「息づかい」を観て想ったこと

 先日、「ナヌムの家」(1995年)「ナヌムの家Ⅱ」(97年)に続く映画「息づかい」(99年)を観た。
 3作とも、日本軍の性的奴隷とされた朝鮮人女性(いわゆる従軍慰安婦)が、50年近くの歳月をへて、人さらい・奴隷化の経過と凄まじい精神的外傷体験を語り、また今の生き方を伝えるドキュメンタリー映画である。
 前2作を観た時に感じた「心の疼き」が、またしても蘇ってきて、映画館を出た後暫く、一緒に居た連れ合いと会話ができなかった。
 「息づかい」に登場した元従軍慰安婦の女性たちの語りの中で、キム・ユンシムさん(70歳)の話が、強く印象に残った。キムさんは、小学校を卒業し、遊んでいる最中に日本人に連れ去られ、中国ハルビンの慰安所に送られた。何度か脱出を試み、やっと祖国に戻り、結婚するがうまくいかず、2度目の結婚にもやぶれ、再び家を去らなければならなかった。彼女の「過去」を知った母親に、「そんな娘は家に置いとくわけにはいかない」と言われたのである。故郷から遠く離れたソウルに移り住み、裁縫や家政婦の仕事をして、1人で娘を育てた。その娘さんは、耳が聞こえない。「自分が患った性病のために・・・」と悔やむキムさん。
 1998年、キムさんは、苛酷な体験への思いを綴った文章で、チョン・テイル文学賞を受賞した。自分の体験を話したこともないし、きっとその文章を読んでいないだろうと思っていた一人娘に、手話で尋ねると、実はその内容を読んでいた。驚きながらも、そのままミシンに向かうキムさん。その様子をじっと見つめて、耳を傾けるビョン・ヨンジュ監督。
 ビョン監督は、前2作と違って「息づかい」では、韓国全土に暮らす多くのハルモニを、同じ体験をしたハルモニが訪ねゆく方法を試みた。そして、後半では、監督自身もまた、インタビュアーになっている。キム・ユンシムさん母娘にインタビューするビュン監督の姿勢から、彼女の優しさと、控えめな意志が伝わってくる。
私は、「ナヌムの家」「ナヌムの家Ⅱ」「息づかい」を通して、重荷を背負って生きてきたハルモニたちの人生が、少しずつではあるが理解できてきた。そして、苛酷な運命の中にあってもなお精神の豊かさを失わず、生き貫き闘っておられるハルモニたちを深く尊敬している。
 「日本政府の謝罪によって、この心の傷を癒したい」と語る老いたハルモニたち。癒されることなく、亡くなった方も多い。日本政府は、「個別補償は法体制を崩す」として、彼女たちの賠償請求に一切応えていない。政府は日韓条約でごまかすのではなく、戦争犯罪について個別に謝罪すべきである。
 「教育勅語にはいいところがあった」「日本は天皇を中心とした神の国」等と公言してはばからない森首相。「慰安婦の行為は、商行為だった」と発言した元閣僚。「過去のことは忘れよう」と平気で言い放つ一部の日本人たち。日本の現状は、元従軍慰安婦の女性たちに応えられる状況には至っていない。
 第42回総選挙が、13日公示された。6月25日の投票日には、わずか1票だが、今を生きる者の政治的責任を自覚した上で、権利を行使したいと思う。
(大阪・田中雅恵) 

 【出典】 アサート No.271 2000年6月17日

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