【コラム】ひとりごと(2000-06)

【コラム】ひとりごと(2000-06)

◆いよいよ、衆議院解散総選挙となって、街の中もにわかに選挙ムードが漂ってきた。今回の選挙は、有権者の関心も高く、投票率も高くなりそうだとマスコミでは言われているけれど、筆者の心境にはもう一つ、盛り上がらない。その理由を自分なりに思うところを二・三、並べてみた◆今回の選挙の争点を、マスコミでは「景気」か「財政再建」かとも言われている。確かに景気は「やや上向き」とも言われているが、誰しも言うように、その実感はない。むしろ雇用状況は、完全失業率が5%に届くかというところで、高位で定着してしまっている。一時は、雇用状況も改善の兆しとも言われたが、その内容はパート等の不安定就労の雇用が伸びただけで男性中高齢者ー世帯主の失業は増加しており、実態はなお、深刻化している。それに年金や医療制度の改悪の中で、生活の不安感は増してきており、それでなくとも春闘で、ほとんど賃上げゼロ、それどころか賃下げも強要されている中で、勤労者の財布が堅くなるのは当然のこと。こんな状況の中で、「景気対策」と言われても、何かしら白々しさを感じる◆つまり筆者が言いたいのは、「不況」と言っても、いわゆる一般的な経済的不況感と勤労者の感じる「生活不況感」とは違うものがあるのではないかということである。極端に言えば、勤労者の生活感覚からは、景気が上向いたところで、自分達の生活そのものが楽になることとは、直接には結びつかないだろうと思うのである。確かに経済的な景気の上向きが生活の上向きと全く無関係とは言わないが、その経済依存による生活向上は、益々、薄らいできているのではないか。例えば、せっかく、リストラ合理化で人員削減した企業が、景気が良くなって多大な利潤を揚げたところで、再度、雇用を増やすなんて思えない。もちろん賃上げだってしないだろう。そのことは、この20年以上の春闘結果が如実に示している◆ところが選挙での与野党の論議をテレビ討論などで見ると、そういった勤労者の現実の生活実態をどうするかというような的からは多少、外れて、「景気対策のためには、公共工事は是か非か」ということに集中している。筆者から言わせれば、今更、公共工事を増発したところで上辺だけの景気回復だし、そのことで勤労者の生活が良くなるなんていう幻想は、もはや持たない。強いて言えば、そんな余計なことをして、「またぞや財政赤字を増やさないで!」と民主党等に片を持つのがせいぜい。そんなことより、景気が如何様であれ、その事に左右されない勤労者の生活安定策とは何か。「公共的雇用創出」「終身的低家賃住宅の供給」「税の特権的な優遇制度の廃止と公平・公正な税制度」など、何でもいいから社会政策としての勤労者生活安定政策を対置してもらいたい◆もう一つ、筆者が選挙に関心を持てないのは、「もう、いいじゃないか!」と言われるかもしれないが、小選挙区制という選挙制度。一選挙区に一人しか当選しないと言うことは、選挙区割りが大きくなったことも含めて、立候補者には厳しい選挙制度といえるが、そのことは有権者にとっても、真に自分の支持する政党・候補者が当選しにくいという意味で、厳しい選挙制度だといえる。勢い、「どうせ投票しても当選しないだろう」と思ってしまうし、ましてや候補者が絞り込まれて、自民党・公明党・共産党しか出てないとすれば、筆者の政治認識からすれば、白票にするか棄権にするかで悩むのがやっとのこと。おまけに公職選挙法が長年の中で、改悪に改悪を重ね、公示後は候補者のテレビ討論も駄目なら、立会演説会もなし、選挙ビラも規制だらけで、あれも駄目、これも駄目で、政策論争もまともにできず、名前の連呼と握手・土下座だけでは、馬鹿馬鹿しくて関心を持つ気にもなれない◆さらに選挙の盛り上がり不足に思うことは、古典的に言い古されたことかもしれないが、選挙と大衆運動との関係。世の中、これだけ失業者が多くなって、先行き不安も増してきているにも関わらず、労働運動をはじめとする大衆運動が、それこそ盛り上がらない。その原因は、いろいろあるだろうけど、資本・経営側の攻撃に的確に対抗できていない連合をはじめとする労働団体の責任は大きい。とりわけ連合は、「力と政策」を標榜して登場したけれど、有効な労働者の保護・地位向上政策を打ち出してきたとは、お世辞にも言えない。それどころか、この間の労働法制の改悪には、むしろ妥協的だと言えるし、「賃上げか、雇用か」との資本の恫喝に、対抗軸すらなり得ず、思想負けのところで賃下げも首切りも許してしまっている。若干、話は変わるが、自民党の労働部会では労働組合の組合費チェックオフを、法的に禁止してしまおうという動きがある。連合もまあ、よくなめられたものだと思うが、これに対しては連合も、「組織の総力を挙げて阻止の国民運動を展開する」と表明し、メーデーの決議にも盛り込まれた。はたして連合に国民運動を構築するだけの力があるのかどうかはわからなが、一組合役員でもある筆者の立場からすれば、じゃあ、なぜ労基法の改悪や労働者派遣法の改悪の時、またリストラ旋風が吹き荒れる時に一大国民運動を提唱しなかったのかと思う。確かにチェックオフ禁止の問題は、労働組合にとっては打撃的な問題だけれど、個々の労働者ー組合員にとっては「だったら組合役員が集めればいいじゃん」とそっけなく言われそうだし、「その方が、組合員の痛みが解っていいのでは」なんて声も聞こえてきそうな気がする。つまり意地悪く言えば、チェックオフなんていうのは、ある種、組合役員にとっては黙っていてもお金が入る「金の成る木」みたいなもので、組合幹部になればなるほど、耳の痛いことを聞かずに幹部になりつづけることのできるシステムのようなものでもある。誤解のないように言っておくが、筆者はチェックオフ禁止するのを賛成してるわけではないし、そのこと自体は労働組合の弱体を図るものとして反対である。でも個々の組合員ー労働者の真剣に闘って欲しい課題に無力的だったのに、事チェックオフの問題で「本気に闘う」と言われると、「所詮は組合役員問題じゃないの?」と白けられるのが心配なのである◆話はかなり脱線してしまったが、要するに言いたいのは、生活不況感の不満エネルギーを媒体として、何らかの大衆的な運動が一定あって、その大衆的要求・闘いと選挙争点とが具体的に結びつけば、選挙にも相当、迫力が付くだろうけど、日常の闘いには無力的で、選挙闘争では、いきなり春闘もそっちのけで「組織内候補必勝のために」と血眼に言われても、そう簡単に「政治が変われば生活が変わる」とまでは思えない◆いろいろと愚痴っぽい批判を並べ立てて、共感もあれば反感もあるかもしれない。「じゃあ、おまえは政治に対してどうなんだ?!」とも怒られそうだが、筆者はそもそも、「労働組合があまり、天下国家を論じなくてもいい。ただ利己的なまでも労働者の利益を追求すればいい。それが労働組合の本来使命なんだから」という認識で組合活動に勤しんでいる一組合役員であり、その基本認識から政治を眺めていることで、御理解いただきたい。(民) 

 【出典】 アサート No.271 2000年6月17日

カテゴリー: 政治, 雑感 パーマリンク