【書評】「唱歌」とイデオロギー
–『日本唱歌集』(堀内敬三・井上武士編、岩波文庫、1958年)–
われわれのもつ意識が、基本的に社会的意識であり、支配的な社会思想(イデオロギー)によって方向づけられていることは言うまでもない。さらに、支配的な社会思想とは、支配的階級の思想であり、支配体制の維持強化に向けて、教育、文化やマスコミ等あらゆる方法で、絶えずそのイデオロギーが注入されていることについても確認できるところである。すなわちイデオロギーは、あたかも空気のように、われわれの日常生活そのものを取り囲み、われわれは、それを意識せずに、受け取って生活しているのである。それ故われわれの日常的意識は、自覚を欠いた保守的意識が圧倒的であり、これがまた絶えず再生産されていて、その影響は巨大である。
この悪循環的メカニズムが、われわれの年少期から続けられていて、われわれの慣れ親しんだ世界に浸透していることの恐ろしさを、今一度認識しておく必要があろう。その一例を、今回取り上げた『日本唱歌集』に見ることができる。本書は、かなり以前の出版でありながら、いまなお版を重ねている(2000年1月で第62刷)。
「唱歌(文部省唱歌)」とは、明治政府が近代国家形成にあたって最重視した学制(1872年)の一環としてつくられたが故に、国家の意向を色濃く反映している。従って、日本民族や天皇、家夫長制道徳賛美の歌、軍歌等が数多く採用されてはいる。それらについては、特に言及せずとも、その意図は明らかであろう。問題は、現在なお口ずさまれている多くの歌に、その本来の意味があるにもかかわらず、意図的に隠されている部分があるような状況が存在することである。
二三例をあげよう。
「われは海の子」(我は海の子、白波の/さわぐいそべの松原に/・・・[ 以下略 ])において、最後の七番には、こう記されている。
「七、 いで大船を乗出して
われは拾わん海の富
いで軍艦に乗組みて
我は護らん海の国 」
また「蛍の光」(ほたるのひかり、まどのゆき。/書よむつき日、かさねつつ。/・・・[ 以下略 ] )は、通常、二番(とまるもゆくも、かぎりとて、かたみにおもう、ちよろずの、/・・・[ 以下略 ] )までしか歌われない。しかし、その三、四番は、次の通りである。(ただし本文は、ほとんど平仮名であるので、( )内は、筆者の推測で、これに漢字を当てたものである。的外れがあるかもしれないが、ご容赦願いたい。
)
「三、 つくしのきわみ、みちのおく、
うみやま とおく へだつとも、
そのまごころは へだてなく、
ひとつにつくせ くにのため。 」
(筑紫のきわみ、陸奥、
海山 遠く 隔つとも、
その真心は、隔てなく、
ひとつに尽くせ、国のため。)
「四、 千島のおくも、おきなわも、
やしまのうちの、まもりなり、
いたらんくにに、いさお しく。
つとめよ わがせ、 つつがなく 」
(千島の奥も、沖縄も、
八島の内の、守りなり、
到らん国に、功しく。
つとめよ、我が背、つつがなく。)
見てのとおり、この歌は、晴れ着姿の学生ではなくて、日本の生命線を守る兵士を送る歌である。少なくとも、二番まで歌って卒業式場を出ていく歌ではないことが理解されるであろう。二番で止めるのと、四番まで歌うのとでは、全く意味が異なってくる。
ところがわれわれは、卒業式で、最終電車のプラットホームで、あるいはまた閉店間際のパチンコ店で、この曲を聞いて、物悲しい気持になる。これがイデオロギー的な操作になっていることは言を待たないであろう。
もうひとつあげよう。「桃太郎」(桃太郎さん、桃太郎さん、/お腰につけた黍団子、/一つわたしにくださいな。[ 以下略 ] )である。四番以下を記載する。
「四、 そりゃ進めそりゃ進め、
一度に攻めて攻めやぶり、
つぶしてしまえ鬼が島。
五、 おもしろいおもしろい、
のこらず鬼を攻めふせて、
分捕物をえんやらや。
六、 万々歳 万々歳
お伴の犬や猿雉子は、
勇んで車をえんやらや。」
元気な歌ではあるが、絶対悪(敵)としての鬼の殲滅とそこからの略奪を是認する思想が端的にあらわれているとは言えないだろうか。意気軒昂たる桃太郎とその家来たち(彼らは、黍団子を代償として恩義を感じ、そのためには身を投げ出して尽くすということが、三番で歌われている)には、殲滅させられる鬼たちに対する感情は微塵もない。
このように、われわれの生活の到るところで、イデオロギーは浸透している。日の丸・君が代問題とともに、その裾野に広がっている些末な事象に含まれている意味をしっかり捉えて、日常的に抵抗していく姿勢のあり方が、今一度問われているようである。
『日本唱歌集』は、われわれに、懐かしさと愛着を感じさせてくれるとともに、その底に潜む素朴ナショナリズムと、操作された国家の意向を知らせてくれる貴重な一冊であると言えよう。(R)
【出典】 アサート No.275 2000年10月21日