【書評】上高森遺跡捏造問題と『日本』という国名を問いなおすこと
「『日本』とは何か」 網野善彦著 講談社 1500円
東北旧石器文化研究所の藤村新一副理事長による宮城県上高森遺跡等の旧石器時代遺跡の捏造問題で考古学会はゆれにゆれている。
東京大学総合研究博物館の西秋良宏助教授は上高森遺跡“発見”(?)の意義を、インターネット「デジタルミュージアム2000」上で、「日本列島人のルーツ、あるいは縄文人、現代人の起源の研究にとって格好の資料を提供している」とし、「北京原人が活躍したのと同じ頃、人類が日本列島にやってきた…縄文時代まで子孫を残し続けたのかどうか…彼らの文化伝統がその後もとぎれることなく続いたかどうか…60~70万年前から3万年前くらいまでのあいだ連続していたことは、ほぼ証明されている。一方、3万年前以降の後期旧石器文化が、途中いくどか大陸からの新しい文化の流入があったにせよ、縄文時代にまで何とかつながっていることも明らかにされている。」「石器を調べて、彼らの文化伝統がその後もとぎれることなく続いたかどうかを見定めることが一つの手がかりとなる。」と述べていた。
60万年前から現代まで連綿と続く“日本人”という発想は、5000年前の夏王朝兎の時代から連綿と続く中国と比べても見劣りするものではないという、「国家」感を導き出し、「日本人のアイデンティティー」「日本文化論」へと繋がっていく。藤村氏がなぜ捏造したかは、本人の口から語ってもらうしかないが、「北京原人をしのぐ=中国5000年の歴史をしのぐ」という思考が根底にあったのではないだろうか。
こうした思考は何も藤村氏や西秋氏の特有の考えではなく、「戦後歴史学」、「近代歴史学」自体の「特徴ないしは欠陥」であると網野氏は指摘する。「アジア大陸の北と南を結ぶ懸け橋であるこの列島で営まれた人類社会の深く長い歴史を背景に、日本列島にはたやすく同一視することのできない個性的な社会集団、地域社会が形成されてきた。それを頭から追究可能なアイデンティティーを持つ『日本人』としてとらえ、その文化、歴史を追究し、その特質を論じようとする試みは、『日本国』――国家に引きずられた架空の議論であり、本質的に成り立ちえない。」「『日本』が国名であることを意識せず、頭から地名として扱い、弥生人、縄文人はもとより旧石器時代人にまで『日本』を遡らせて『日本人』『日本文化』を論ずることも、ふつうに行われているが、これは『日本』が始めもあれば終わりもあり、またその範囲も固定していない歴史的存在であることを意識の外に置くことによって、現代日本人の自己認識を著しくゆがめ、曖昧模糊たるものにしている」と述べる。
網野氏は『日本』が地名ではなく、中国の『清』や『明』と同様の王朝の『国名』であり、60万年前に遡ることは無論、2000年前にも遡ることはできないものであり、1300年前「壬申の乱」に勝利した天武の朝廷から使われ始めたものであることを論証している。さらに、この『日本』という国号は、「日の本」、「日出づる処」を意味しており、「けっして特定の地名でも、王朝の創始者の姓でもなく、東の方向をさす意味であり、しかも中国大陸に視点を置いた国名であり…中国の大帝国を強く意識しつつ、自らを小帝国として対抗しようとしたヤマトの支配者の姿勢をよくうかがうことができるが、反面、それは唐帝国にとらわれた国号であり、真の意味で自らの足で立った自立とはいい難い…この国号はまさしく『分裂症』的であり、中国大陸から見た国名」なのである。
藤村氏の捏造はこうした「自らを小帝国として対抗しようとした」「真の意味で自らの足で立った自立とはいい難い」現代日本人の歴史認識の中で発生したものであり、実際に捏造を行うかどうかは別として、捏造行為へと突き動かす原動力であったことは否定できない。歴史認識が「足で立って」いないからこそ(考古)「学」としても「足で立つ」ことができず、相互批判ができず、捏造をはびこらせる土壌となっているのである。
ところで、『日本』という王朝が7世紀末に成立したという説は、何も網野氏独自の説ではない。すでに、1970年代始めから古田武彦氏は『邪馬台国はなかった』『失われた九州王朝』『古代は輝いていた』等の一連の著書の中で、『倭』と『日本』とは異なった王朝であり、『倭』は博多湾に中心を置き北九州と朝鮮半島南部の一部をも含む領域を支配し列島内の王朝の代表として中国と交渉していたとし、『日本』はその亜流「日本国は倭国の別種」(『旧唐書』日本国伝)として大和平野に侵入した王朝であり、『倭』が662年の「白村江の戦い」で唐・新羅連合軍から決定的な敗北を被った後、『日本』が列島内の王朝の主導権を握ったものであると主張されている。古田氏の説は網野氏の説よりもさらに論理は簡潔明快である。網野氏は本書において異端の歴史家といわれる古田氏の説について一言も触れていないが、近代歴史学がそして現代日本人の歴史認識が「自らの足で立つ」ためにも正当な評価と相互批判を望みたいところである。(福井:R)
【出典】 アサート No.276 2000年11月25日