【コラム】ひとりごと –キャンプ事故に思う–

【コラム】ひとりごと –キャンプ事故に思う–

○今年のお盆は、直前までの国会会期末における予野党攻防報道のあと、一変して神奈川県の玄倉川でのキャンプ遭難事故報道に明け暮れた感がある。正直言って、キャンプ・アウトドアーは定着したというものの、実態はこの程度だという思いであった。○議論の前提として、山の中でも河原でも、自然に対する恐れであったり、未知の世界との出会いという緊張関係が問われなければならない。天気も快晴ばかりが続くわけではない。天候の変化がもたらす諸条件の変化を想定した準備が求められている。私もこの夏、キャンプに出かけた。カヌーツアーとのセットであったが、あえてキャンプ地は高原を選んだ。下見をした時点で、余りの水質の悪化と環境の悪さを敬遠した結果であったが。○今回の事故の場合、90%は遭難者の認識不足、責任と私は考える。この川のように上流にダムがある場合、ダムからの放流が行われる可能性は常に存在している。通常、サイレンなどで放流前の通報が行われることを明示した看板などがあるもの。今回のように、ダム関係者や警察の警告も聞かなかったとなれば、自業自得というものだ。○よく言われることだが、日本の場合、例えばため池で子供の事故があった場合、管理者の責任が主に問われる。しかし、本来は、危ないことを理解していない、させていない方に責任の半分以上はある。欧米の場合には、池の柵などもない場合が多い。自己責任を基本にしているからだ。○自然環境への憧れやすがすがしさから、ここ10年ほどで、キャンプ人口は急増したと言われている。それにも増して、アウトドアーは単純に考えると安上がりなのである。旅館やホテルの利用と比べると格段の違い。さらに、キャンプ用品の充実と低価格から、キャンプが家の延長という雰囲気もある。こうして不況の中、夏の手軽で安上がりなレジャーということでキャンプ人口は増えている。しかし、今回の事故で明らかなように、本来、自然は恐ろしいものなのである。人間の認識をはるかに超えた状況を、瞬時に作り出すことがあるのである。○自然と人間との関係を、はっきりさせた事件として、心に刻みたい。亡くなった方々に哀悼の意を表しつつ。(佐野)

【出典】 アサート No.261 1999年8月21日

カテゴリー: 雑感 パーマリンク