【投稿】戦後民主主義を問い直す  No.3

【投稿】戦後民主主義を問い直す  No.3

○改めて問題の核心を確認する
本誌(NO237)で、わたしは次のように書いた。
「それにつけても日本政府のこの問題に対する姿勢はデタラメである。『従軍慰安婦』と名乗りをあげた人の証言だけを唯一の根拠に、その裏付け調査もせず、『公式文書』も調査しても見つからない段階で、当時の日本政府・軍の『強制連行』は存在したと内外に発表したのである。(宮沢内閣当時の河野官房長官談話)
この河野官房長官談話のデタラメさが、『慰安婦』問題を複雑化させ、国際問題にまで発展させている諸悪の根源である。ここにも戦後日本の民主主義の弊害が露呈していると思えてならない」
これに対してNO238の本誌で田中さんから、(1)織田氏の論調は、「英霊にこたえる会」や「日本会議」と軌を一にするものであり、今こぞって右翼や保守反動勢力ががなりたてていることと同じである。(2)官房長官談話は、当時としても、そして今でもこの問題に関する大きな一歩前進であり、戦後日本の民主主義の一つの成果であった(情報公開の不徹底という致命的な弱点を含みつつも)。(3)従軍慰安婦の方々の証言も決定的に重要であると考えるが、官房長官談話を読めば、それだけを唯一の証拠にしているなどとは言えないことはすぐに分かること。との批判をいただいた。そして織田氏の主張のデタラメさは、官房長官談話をろくに読んでいないからだとして、最後に官房長官談話の全文を掲載されている。
わたしは何を問題にしたのか。『従軍慰安婦』をめぐる論争は(1)「慰安婦」を集めるにあたって、当時の日本政府・軍が国策として朝鮮半島や中国、東南アジアに住んでいた女性を「強制連行」したか否かが根本問題であること。(2)「強制連行」が国策として行われていたことが事実であるなら、現在の日本政府、そして我々日本人は、諸外国にさきがけて特別税を導入してでも道義的責任を果たすべきであること。(3)しかし、河野官房長官談話は、「従軍慰安婦」と名乗りをあげた人の証言だけを唯一の根拠に、その裏付け調査もせず、「公式文書」を調査しても見つからない段階で、当時の日本政府・軍の「強制連行」は存在したと内外に発表したのである。この官房長官談話のデタラメさが「慰安婦」問題を複雑化させている諸悪の根源であること。(4)「慰安婦の強制連行の有無」について、日・韓両政府が早急にだれもが納得する形で決着をつけ、国内外に明らかにすべきであること。以上である。

○どういう経過の中で河野官房長官談話が生まれたか
「強制連行有り派」も「強制連行疑問派、無し派」も、当時の日本政府・軍による強制連行を示す「公式文書」が現在のところ出てきていない点では一致している。しかし、1993年8月4日日本政府は河野官房長官談話として、当時の日本政府・軍による強制連行を認め、謝罪したのである。これによって、国際的に日本が強制連行を公式に認めたことになり、今日に至っているのである。なぜ、何を根拠に、宮沢内閣は「強制連行」を認めたのか。当時の政治状況にさかのぼって考える必要がある。
この間の動きについて年表的に列記する。
●1991年12月(平成3年)
元慰安婦という韓国人女性3名が、国家補償を求めて日本政府を提訴。
●1991年12月
「政府が関与した資料が見つかっていないので、今鋭意調べている。これは単に法律や条約の問題だけでなく、多くの人に損害を与え、心の傷を残した問題でもあるので、正確に調査を進めたい」と宮沢内閣加藤紘一官房長官は、日本政府を相手に謝罪と補償を求める裁判に対して記者会見を行った。
●1992年1月(平成4年)
「慰安所、軍関与を示す資料、”民間任せ”政府見解揺らぐ」という記事を一面トップで朝日新聞報道。
●1992年1月(平成4年)
宮沢首相訪韓。韓国国会で慰安婦に関して「実に心の痛む問題であり、誠に申し訳なく思う」と演説。?大統領は「日本が過去の歴史を正しく認識し、過ちを謙虚に反省することが必要」と記者会見。
●1992年7月
加藤紘一官房長官が、慰安婦に関する調査結果を発表。朝鮮人女性の強制連行を裏付ける資料は発見されなかったが、慰安所の設置や運営、監督などで政府が関与していたと初めて公式に認める。
韓国政府は、「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」を発表。日本政府による威圧的連行があったと主張。日本の教科書への記述を求める。この報告書での強制連行の証拠としては、後にまったくの虚構に基づく記述と判明した吉田清治著「私の戦争犯罪ー朝鮮人強制連行」など日本人による著書を根拠にしたものであった。
●1993年3月(平成5年)
韓国政府は、国内の慰安婦135人に対して500万ウォン(約74万円)の支援金支給などの支援策を発表。日本の教科書に慰安婦の記述を要望。
●1993年6月
文部省が高校教科書に関する検定結果を発表。平成6年度から使用の高校日本史教科書7社9種類のすべてに、戦争中の慰安婦に関する記述が登場。
●1993年8月
宮沢内閣総辞職前日、河野官房長官が「慰安婦関係調査結果発表に関する官房長官談話」を発表。従軍慰安婦の強制連行を示す証拠がないままに、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したことがあったことが明らかになった。」と謝罪。

○「強制連行」を明らかにできない河野官房長官談話
従軍慰安婦の強制連行の有無をめぐる問題の発端は、1991年12月韓国の女性3人が日本政府を相手取って東京地裁に提訴することによって始まった。政府は、同月から、関係資料が保存されている可能性のある警察庁、防衛庁、外務省、文部省、厚生省、労働省の6つの省庁について調査を開始し、その結果は1992年7月6日に『朝鮮半島出身のいわいる従軍慰安婦について』と題して発表されたが、それは前回の私の論文で記したように、センチの「慰安所」「慰安婦」の管理、監督に日本政府・軍が公式に関与していたことを示す文書が発見されただけで、強制連行を示す文書は発見されなかったのである。韓国政府はこの日本製布野調査結果に反発し、日本政府に追加調査を要求した。
日本政府は、さらに調査対象機関を6省庁のみならず、法務省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立文書館に調査範囲を拡大するとともに、関係者からの聞き取り調査も実施。その対象は、元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究者。また参考とした出版物は、韓国、日本で発行されているそのほぼすべてを狩猟したという。その調査結果を1993年8月4日(宮沢内閣総辞職の前日)、内閣官房内内閣外政審議会の「いわいる慰安婦問題について」という文書にまとめられ、それをもとにして河野官房長官談話が発表されたのである。前回の加藤官房長官談話と大きく違うのは、「官憲などが直接加担したこともあったことが明らかになった」という点である。談話を発表したあとの記者会見でも、「強制連行の事実があったということか」との記者の質問に、「そういう事実があった」と明言している。
しかし「官憲等が直接これに加担したこともあった」という根拠は政府調査報告資料のどこに存在するのか。外政審議会の報告文書に付属して発表された30ぺージにわたる資料「いわいる従軍慰安婦問題の調査結果について」を見ても該当するものがないということが明らかになっている。政府が発表した2回にわたる調査報告の中にも、日本軍による「強制連行」の文書が存在しないにも関わらず、河野官房長官は「強制連行があった」と国内外に日本政府として認めてしまったのである。その後、次第に問題が明らかになるにつれて、1997年1月30日の参議院予算委員会で、ついに平林裕外政審議会室長が、「政府が調査した限りの 文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした」と国会答弁としては初めて、政府の公式見解がなされるに至るのである。
ではなぜ、日本軍の強制連行を認めたのか。それは『文芸春秋・1997年4月号』の櫻井よしこ論文「密室外交の代償ー慰安婦問題はなぜこじれたか」で明らかとなるのである。そこで石原信雄元官房副長官が証言する。「日本政府は韓国政府の要求に応えて強制連行の裏付け資料を必死でさがしたが見つからない。そこで決め手となったのが韓国政府が用意した慰安婦16人の証言だった。」というのである。聞き取りは1993年7月26日から30日までの5日間、日本から派遣された4人の役人が「太平洋戦争犠牲者遺族会」の事務所で遺族会と慰安婦訴訟の原告団弁護士立ち会いのもと、一人平均2時間半をかけて聞き取り、A4版で40~50枚の報告書にまとめたという。
しかし、慰安婦たちの証言に対する裏付け調査は、韓国政府によって許可されず、その報告書も今日に至っても、マスコミの強い要求にも関わらず公表することを日本政府は拒んでいるのである。以上が河野官房長官談話に至る大まかな経過である。
河野氏は1997年3月31日付け朝日新聞とのインタビューでも「政府が法律的な手続きを踏み、暴力的に女性を駆り出した文書もなかった。軍人、軍属の中にも強制連行があったと証言した人もなかった。・・・・・総合的に考えると、『文書や軍人・軍属の証言がなかった。だから強制連行はなかった。集まった人はみんな公娼だった』というのは、正しい論理の展開ではない」と全く非論理的な発言をしている。

○日本政府は慰安婦聞き取り調査を公開せよ
田中さんは、「従軍慰安婦の方々の証言も決定的に重要であると考えていますが、官房長官談話を読めば、それだけを唯一の証拠にしているなどといえないことはすぐにわかることなのです」という。慰安婦の証言以外に「強制連行」を示す証拠が河野官房長官談話のどこにあるというのだろうか。その慰安婦の証言すら、公開されていないのである。公開されたなら、これだけ活発に論争されている問題である。あらゆる面からの検討がなされ、その真意は明確となるはずである。
河野官房長官談話の問題点は今やはっきりしている。慰安婦の強制連行があったか否かの根拠は4点にしぼられる。
(1)慰安婦の証言(2)「強制連行」を示す国の公式文書(3)元日本軍人や当時朝鮮に住んでいた日本人の証言(4)慰安婦の家族やその地域に住んでいた朝鮮人の証言の4点にわたって、その真意を日・韓両政府が共同で調査すべきである。両政府とも「強制連行」を認めているのだから、だれもが納得の行く形で早急に証拠調べを行い、その結果を国内外に公表すべきなのである。そこから、日・韓両政府、そしてそれぞれの国民が果たすべき責任もおのずと明らかになるのである。
(2)から(4)について何も明らかになっておらず、(1)についてすらその調査結果も公表しないでおいて、一方的に河野官房長官が日本政府として「当時の日本政府・軍が慰安婦募集にあたり強制連行した」と国内外に発表したことが、「当時としても、そして今でもこの問題に対する大きな一歩であったこと、戦後日本の民主主義の一つの成果であったとも言えると思います」と手放しで称賛する感覚にどうしてなれるのかさっぱりわからない、といったら嘘になる。
実はそうなる感覚が、わたしには理解できるのである。そこを検証することが、今シリーズで展開しようとする「戦後民主主義を問い直す」をテーマとしたわたしの基本モチーフなのである。(つづく) (1997/10 織田 功)

【出典】 アサート No.239 1997年10月25日

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