【書評】『2020年からの警鐘–日本が消える』

【書評】『2020年からの警鐘–日本が消える』
             (日本経済新聞社・編、1997.6.23.発行、1575円)

本書については、日経新聞に連載中でもあり、もうすでに読まれた方もおられると思うが、まだの方は是非読まれたい。その題名からしてセンセーショナルな本書は、21世紀に向けられた、資本の側からする警鐘である。しかしながらここに取り上げられた諸問題に関わるのは、資本のみならず、現代社会においてこれと不可分に結びつけられている労働者大衆=われわれ自身なのである。
本書の問題意識は、「21世紀をにらみ、日々姿を変えていく世界と、悩みが深いゆえに世界の速い動きに遅れがちな日本」を描くことにある。つまり「日本の戦後システムは工業化で欧米に追いつくのに大きな力となったが、その成功体験があるために、政府も企業も個人もシステムの大幅な見直しをためらう空気が消えていない。(中略)何を支えに改革を進めるのか、思想の軸も定まっていないようにみえる」が故に、より一層の急速かつ根本的な改革が迫られているということである。
それだけに日本の現状についての記述は暗い。例をあげよう。
経済──かつての大正バブル崩壊約25年後の1945年に敗戦という破局を迎えたように「今また日本は戦後システムの行き詰まりに直面しているが、最近の投票率低迷が示す
ように多くの個人は黙り込んだままだ。思い切った改革ができなかったらどうなるか。
歴史が繰り返すとすれば、バブル崩壊から約25年後の2020年ごろに日本は次の・敗戦・}える」。
企業──「4人に1人が高齢者になる2020年の日本では、財政の余裕もモデルチェンジに飛び付く若者も少なくなる。企業が甘えられる市場は消え、海外でと同様、国内でも本当の競争にさらされる。今目をさませば日本企業は自滅を免れるかもしれないが、甘えの自覚のない企業は、ほぼ確実に消えてゆく」。
外交──「日中の国交が正常化した25年前、中国にとって日本は大きな存在だった。しかし(略)きちんと対話できる関係をつくれないうちに、日本の存在感はしだいに小さくなり、中国は大きく成長した。(略)隣人とも対話のできない国は、この地域ではもちろん世界を相手の外交舞台でも発言力は先細る」。
教育──「どこで学んだかにこだわり、何を学んだかを問わない日本の教育の国際競争力は低い。多くの国籍の学生を採用しているのに、日本の大学は素通りする外国企業も増えている」。「受験生の減る202年に数字の上で入試は意味をなくす。それでも入試にこだわる親や社会の意識が変わらなければ、『何を』学んだかを問う世界に通じる教育にはなっていかない」。
若者──「先進諸国では、若者の間で『勤勉』『まじめ』といった価値観が薄れたと言われて久しいが、日本はその程度が一番激しく、もはや消えてしまったようにもみえる。しかし、そうした価値観を持つ大人世代がこの国の閉塞状況をどうにも乗り越えられないでいることも、若者は感じ取っている」。
以下、司法──「訴訟の国際化に対応できないまま、世界の中でポツンと取り残される日本の裁判所の将来がみえてくる」。経営者──「グローバルな競争で『敗者になるかもしれない』という予感を抱えながら、変革の副作用におびえるかのように経営者たちは立ちすくんでいる」。そしてサラリーマン──「日本的な雇用・賃金慣行は、2020年には消えているとみた方が自然だ。会社にぶら下がるサラリーマンには、つらい道が待っている」等々。
このように日本社会のあらゆる側面において、諸問題が山積されているという現実が、かなり的確に叙述される。そしてとどめとして、「先送り」はもう許されないと指摘されるのである。
本書では、第1章「日本が消える」、第2章「たそがれの同族国家」、第3章「失踪する資本主義」、第4章「漂流する思想」というかたちで、2020年の姿を予測するのであるが、その底を流れるのは、日本社会の閉鎖性、管理規則に対する批判であり、改革の遅れに対する苛立ちである。「疾走する」世界の中で取り残される日本という構図が、第5章「データで読む2020年」、第6章「シナリオを読む」といった裏付け資料とともに提出され、より一層危機意識を煽る結果となっている。すなわちこのままの日本では、危機が目前であるのに誰もそれを見ようとしないし、気づいていても動こうとしない、というわけである。本書を読む限りでは、この認識はほぼ正当なものと言えよう。
しかし問題は、われわれにとってどうであるかということである。本書でも指摘があるが、労働者あるいは地域住民の運動や自治を長年にわたって抑圧規制してきたツケが、今まわってきているという点から言えば、この危機も、日本社会全体の凋落、あるいはその凋落の資本の側による克服という中で、より弱い層により大きな負担を強いる可能性がある。世界から取り残された日本で、さらに踏みつけにされる層──高齢者等の社会的弱者──の犠牲を承知の上で日本社会の危機を論じる限り、真の解決はあり得ないことを銘記すべきであろう。本書のデータを踏まえた、自立した民衆の側からの方針の提起が必要とされている。本書は、日本社会の民主主義的な変革のための議論を呼び起こす一つの反面教師的な契機として読まれるべきであろう。(R)

【出典】 アサート No.239 1997年10月25日

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