【書評】『ゴルバチョフ回想録』

【書評】『ゴルバチョフ回想録』  上巻(96.1.30発行)、下巻(96.2.29発行)
               工藤精一郎・鈴木康雄訳、新潮社、各巻4800円

6月の大統領選挙を直前に、ロシア情勢は混迷を深めている。インフレは下降傾向にあるとはいえ、失業は拡大し、賃金未払いは蔓延し、貧富の格差は目立つ一方にある。
「エリツィンの栄光」も91年をピークに同政権は低空飛行を続けている。国民の中に政治的無関心層が増大する反面で、中高年層を始め、比較的に生活の安定感があったソビエト時代に郷愁をよせる層も多いといわれる。
ソ連邦が崩壊しても、ロシア革命とソ連邦の成立が、20世紀最大の政治的事件として、18世紀のフランス革命と同様、後世に深く影響を与え続けることを否定する人は少ないであろう。ブレジンスキーが資本主義万々歳を叫び、フランシス・フクヤマが歴史の終りをいくら説いたとしても、資本主義の側に根本的な反省がない限り、人はその背景にうさん臭さを嗅ぎつけるだけであろう。
「ロシア革命とは何であったのか」「社会主義とは何だったのだろうか」は歴史的に、多角的に究明を要する現代の課題である。
この5年間、旧ソ連では当時の指導者の筆によって、数多くの論文や回想、回想録が出版され、わが国にも翻訳紹介された。
日く、元副大統領、元党副書記長、元大統領補佐官、元外相、市長、と多子才々にわたり、テーマはもっぱらペレストロイカの7年に照準を当てつつも、社会主義の原理原則、十月革命の評価、ペレストロイカとゴルバチョフ路線の功罪、さらにエリツィン現政権の評価と展望等と多岐に及び、百花繚乱の趣がある。
ブレジネフ以前の時代を想定するとき、今昔の感に打たれるとともに、このような論戦が、社会進歩と歴史研究に大いに寄与することに疑いはいれない。ロシアも遂に情報化社会に突入した。しかしまた、そこに危険な陥井もある。
回想録には往々にして毒があるといわれる。人は誰でも自分を合理化したい誘惑から離れるのは困難だし、ましてソ連邦史は現実ロシアの政治、社会、あるいは人間関係と深く結びついている。
時も時、旧ソ連邦大統領ゴルバチョフ氏の回想録が、わが国でも翻訳出版される運びとなった。上下二巻、1,600頁にわたる怒涛のごとき長編である。同氏が連邦解体の日の翌日から開始し、氏の口述を土台にし、同僚十数人との強力で作成したといわれる同著は、何といってもペレストロイカの最高責任者の体験に基づく発言として、他の凡百の「回想録」に見られない重量感がある。
本書の構成をごく簡潔に紹介しておこう。
ゴルバチョフ氏自身の説明によると、叙述は単なる事実の羅列を避け、今日的課題との関連を見失わないためにも、敢えてテーマ別に整理したとのことである。
全体は5部で構成され、1部ではペレストロイカの起源-なぜ自分が改革の旗手たらざるを得なかったか-が自叙伝風に語られて行く。ゴルバチョフ氏の親族が弾圧の犠牲者であったこと、フルシチョフ報告に大きなショックを受けたこと、体制の機能不全が限界に近づきつつあったこと、にもかかわらず、彼は自分の意見を殺し、野心を隠して次第に最高権力へと昇りつめて行く-。
2部はペレストロイカの展開、発展の過程を描く。書記長に就任したゴルバチョフは、先ず党の改革、それも上から始めなければならないと、腐敗した党幹部の更迭、人心の一新に辣腕を振るう。そして「このままでは生きられない。」をキーワードにソ連経済の活性化のため、とりわけ消費財生産の拡大をめざして、「国営企業法」「農地法」「協同組合法」などの新機軸を次々と打ち出そうとするのであるが、その度に、党、国家官僚は面従腹背する。そこでゴルバチョフはグラスノスチを利用して大衆に直接働きかけ、渋る党幹部を説得、党と国家の分離を図り、自ら大統領に就任するのであるが-。
3,4部はペレストロイカの外交への展開としての、新思考政策、3部では対西側、4部では対社会主義関係があつかわれる。
この部分は従来最も論争を呼んでいるところであるが、同時にゴルバチョフを「外交の魔術師」に押し上げた、彼の最も面目躍如たる部分でもある。
「全人類の利益」「ブレジネフ・ドクトリンの廃止」をさっそうと掲げて世界の桧舞台に飛び出したゴルバチョフは次々と首脳外交を展開して、西側に大きな衝撃を与える反面、話し合える指導者の出現として相互の信頼関係を深め、冷戦の解消に大きく寄与した。
社会主義諸国関係においても、ゴルバチョフは救世主として民衆からは圧倒的支持を受けるのだが、一方で既成政権は次々と崩壊し、バルト三国の独立傾向として、ブーメランのようにはねかえってくる。

5部は、この書の結びの部分に相当し、バルト三国の公然たる反乱、インフレの一層の亢進と物不足による国内の不満増大、八月クーデターと共産党の解散、エリツィンの権謀術策とベロベジの虐殺、そして遂にソ連邦解体へと、いわばペレストロイカから「カタストロイカ」への時期であり、ゴルバチョフ氏の残念と怨念を節々に感じさせる章である。
経済改革案は左右両派の反対で否決、「親の心子知らず」のリトアニア独立声明と軍部の暴走、盟友シェワルナゼの離反、ロシア連邦エリツィン大統領の誕生、左右両派から一斉に辞任の要求を突きつけられ、満身創夷のゴルバチョフは、それでも持ち前の楽天性と政治力で、連邦維持のため最後の努力をふりしぼるのであるが、既に西側首脳も足元を見越して冷淡な態度をとり始める。
ここでゴルバチョフ氏が何度も繰り返し述べる言葉が、印象的だ。「われわれがどんな所から改革を始めたのか、是非わかってほしい」。悲痛な叫びである。
さて、ゴルバチョフ氏は謎の多い人物であり、極めて複雑である。今後も色んな立場、色んな視角のゴルバチョフ論が現れてくることであろう。しかし、権力を自己目的とせず、停滞したソ連社会に透明性と合理性を与え、冷戦の解消へ最大の貢献をした彼の功績は永遠に忘れられることはないであろう。
ゴルバチョフ氏は末尾の章で、自分は何者かと自問し、「私は共産主義者ではあるが、レーニン主義者ではない。強いていえば民主的社会主義者だ」と自己規定する。「回想録」の中で彼がとりわけ強調するのは、目的と手段の混合は許されないし、改革は流血を避け平和裡に遂行すべきだということである。経済改革案をめぐり、またリトアニア問題の処理をめぐって不決断だと非難されるのは、思うに彼のこういう発想と姿勢が根底にあったのではないだろうか。
ともあれ、本書は全巻を通し、ゴルバチョフ氏の温かい人間性(特にライサ夫人に対する気遣い)、緻密な論理と生来の楽天性、細部にわたる文学的表現の的確さなどが、名訳の助けも得て、感銘深い作品に仕上がっていると思う。
巻末で、ゴルバチョフ氏は読者に向かって「この長い書物を最後まで読んでいただいて本当にありがとう」とサービスする。そこで私もそれに倣い、広野に叫ぶ同氏に心を込めて「大統領選の御健闘を心より御祈りする」とお返ししたい。(高橋 禄朗)

【出典】 アサート No.222 1996年5月26日

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