【投稿】地方分権と政治改革(5)
3, 行政の果たす役割と地方分権(続き)
<福祉のパラダイム転換?>
さて、前号で、厚生省老人福祉計画課長がある講演会で特別養護老人ホームなどに対する入所措置制度を見直し、直接契約制度を導入する考えだと語ったことを紹介したが、これは決して彼一人の私見ではない。
昨年以降、福祉関係制度・政策に関する様々な報告・提言がなされたが、実は、その内容的な枠組みを先行して打ち出した厚生省の内部文書が存在する。それは、厚生省の部長以下の主要な幹部が「遅くとも今後4、5年以内には実現を目指すことをイメージして検討を行った(同報告前書き)」、同省老人保健福祉部(現老人保健福祉局)内限のリポートである『高齢者トータルプラン研究会報告・資料集(「日経ヘルスビジネス 第 300号記念特別解説版〔上〕--高齢者トータルプラン--』1993年3月29日、第300号付録特別解説版。以下「報告」と表記)である。この報告に対する批判的検討は、村田隆一・長野大学専任講師の論文「措置制度解体と社会保障のリストラ--保育所措置制度解体と老人介護保険構想の危険な連動--」(「保育情報」No213.1994.11 全国保育団体連絡会)でなされている。少し長くなるが重要なポイントなので、この報告と村田氏の批判の概要を紹介する。
報告の論理展開は、①介護ニーズは一層増大し、多様化している。②福祉行政は構造的にそれに応えられない。そこで、③現在の措置制度の位置づけを再規定し、④多様なニーズに対応するために脱福祉化した一般対策としての多元的な供給体制を構築し、⑤そうした福祉的サービスは公的措置から契約による利用に転換し、⑥サービスの質は競争原理で維持する、という
ものである。
そして、これらを「必要な老人福祉のパラダイム転換」だとした上で、①介護保険を導入、②高齢者介護施設として、老人病院、老人保健施設と特別養護老人ホームを一元化、③一元化後の高齢者介護施設の利用形態は入所は現物給付、④高齢者介護施設の生活費は利用者自己負担、介護サービスは介護保険給付、⑤医療サービスは医療保険給付、⑥個室化はアメニティとして利用者自己負担、⑦契約による入所制度導入により扶養義務者からの費用徴収制度は廃止、⑧低所得者の自己負担額の減免制度を設ける--という制度の具体的内容(素案)を示している。
なお、報告は高齢者介護サービスに関するものとして記述されているが、当然、他の福祉政策にも波及する性格を持とう。
この報告のポイントは村田氏によると次の三点である。一つは、財源問題での行き詰まりを背景に老人福祉対策の社会福祉対策からの転換、いわば脱公費(一般財源)依存を前提に一般対策として「脱福祉化」への転換を主張していること。二つめは、いわゆる社会福祉を「選別的救貧制度」として再規定しようとしていること、三つめは、措置制度は特定の生活困難者を救済する最低限・一律の資源配分、供給のシステムであり時代遅れであるとし、契約による入所と社会保険の制度を導入することが妥当としていることである。
これに対する長野氏の批判・指摘はおおむね次の三点である。一つは、措置制度は憲法第25条に定められた社会権たる生存権保障のためのシステムであり、労働能力以外に資産を有しない国民を対象とする非営利的サービスとしての福祉サービスは、公的責任において公的財源保障をともなって供給させる以外に発生しえないこと。ゆえに、大企業優遇の不公平税制とその歪んだ配分・国家予算編成を意識的に無視し、介護保険システムなどの社会保険化を図ることは、巧妙な相互扶助システムへの“転換”で、国民生活関係の国家責任の大幅な切り捨てに他ならないこと。二つめは、社会権保障としての福祉サービスを『契約』関係で供給することにそもそも矛盾があること。すなわち、社会的ニーズとはハイディキャップ即ち社会的不公正に他ならないから、契約当事者としての対等性は存在せず、実質的不平等が契約という形式的平等な関係により解消されるなどというのは欺瞞であり、歴史の逆行であること。三つめは、“お役所仕事”的行政ゆえの福祉行政構造的限界論を突破するためには、社会権保障の重要な課題として発生させた福祉サービスを、その実施過程において非権力化しなければならないという特殊な課題が生じること。そのためには、福祉行政の実施過程での民主的、福祉的実践のあり方が確立されねばならない、ということである。
<社会福祉政策の再規定とは>
報告の考え方は「老人福祉のパラダイム転換」というよりも、厳しいシーリング制度のもとで予算確保ができないという「現実」に適応するための「後付け」でしかないような気もするが、充分検討しなければならない内容を持っている。
一方、長野氏の指摘は、基本的な視点において大変重要な提起を含んではいるが、議論が噛み合わないイデオロギー的な対置に終わっているように思える。つまり、「大企業優遇の不公平税制とその歪んだ配分・国家予算編成」の解消さえ図れば、国家には豊かな財政があり、福祉は限りなく充実できるということをアプリオリな前提とすることは困難だからである。
「福祉を充実する」という課題の本質は、「国家責任の拡充」を語れば済むという問題ではない。阪南中央病院の岡本祐三氏が指摘するように、それは「財源-税の配分問題」であり、「多数の市民が利用する公共サービスをめぐる市民間の利害調整」なのである。税であれ、社会保険料であれ、誰にも負担のかからない公共サービスはあり得ない。もちろん福祉サービスも同様である。もちろん市場サービスにも料金という負担が生じる。要は、必要なサービスの供給システムとその負担のあり方をどう組み立てるのが適切なのかということなのである。
さて、次の概念図(図1)は、報告の考え方の図示を試みたものである。長野氏が指摘する「社会福祉政策の再規定」とはどういうことであろうか。
図では、縦軸に「サービスの質」を設定、サービス内容の水準が高まるにつれて座標が上へシフトすることとした。横軸には「公共性」を設定、基礎的・必需的なものから選択的なものまで、その度合いに応じて座標が右へシフトすることとした。
この図を見てわかるように、高齢者介護サービスは従来の「福祉」とは異なり、公的保険で供給される一般政策として「脱福祉化」される。個室利用負担や生活費負担が公的保険の対象外とされるのは、医療保険制度との整合性も考慮されてのことだろう。そして、低所得者など本来的な福祉対象者については、保険制度における個人負担金を減免するという形で国の公費(一般財源)負担が行われる。この部分(斜め線による網かけの領域)が「再規定された福祉としての高齢者福祉」である。「選別的救貧制度への逆行」という長野氏の批判は、この点を捉えてなされている。報告の考え方は、高齢者介護サービスにおけるニーズの飛躍的な拡大や、一般化されたサービスの供給スタイルを変革しつつ公的責任を拡大する必要性などの課題に一定対応するもので、それなりの合理性があるように思われる。
ただ、介護保険の導入は福祉サービス分野における市場メカニズム依存を加速させるため、権利性や公平性の担保、サービスの質の担保が可能なのかどうか相当慎重に見極める必要がある。また、社会保険料という形での負担形態と、租税(直接税・間接税を含む)という形での負担形態とどちらが適切なのかについても、十分な検討が必要であろう。
さて、報告の考え方を高齢者介護サービスに限定することなく福祉政策全体に視野を広げて検証すると、問題点はより明らかになってくる。
概念図(図2)は、保育問題検討会報告における第二の考え方(厚生省の意向)に基づいて今後の保育政策のあり方を図示したものである。
この図にも現れているように、保育ニーズが多様化し、高齢・少子化対策の充実が強く求められる中で、国の一般財源負担となる保育政策領域は拡張の一途にある。しかし、国家財源上の制約、具体的には大蔵省相手の予算編成は極めて困難になってきた。そこで、保育所への措置保育の対象を年収 500万円未満の世帯に縮小し、あとは保育所・民間子育て支援産業との直接契約によるニーズ充足を図る--これが保育政策の場合の「再規定された福祉」の考え方であろう。
しかし、高齢者介護の場合と異なり、一般政策化されようとする領域において社会保険制度のような公的保障拡充のための政策を欠き、民間事業者育成という市場メカニズムへの依存を強めただけだったので、子どもを商品にするとの強い反発を招くことになったのである。
さて、高齢者政策と保育(子育て支援)政策における公的保障措置政策の高低をもたらしたものは、両政策の「位置」に対する認識の違いである。すなわち、高齢者介護は人が等しく直面する可能性のある必需的なものなので「公共性が高い」と理解されているのに比して、保育所保育は本人の選択性によるところが多く、公的に保障する範囲は制限的であるべきで、市場を通じて本人が適切なサービスを調達することが適切だと考えられているからである。
社会保障制度審議会が昨年九月に明らかにした「社会保障将来像委員会第二次報告」にも、こうしたニュアンスの違いが読み取れる。すなわち、「介護保障の確立」という項目では「国・地方公共団体が、介護サービスの質・量の確保やそのための財源確保に責任を持つ」という表現となっているのに比して、「子どもの健全育成と女性の就業支援」という項目では「国・地方公共団体は、サービスの質が維持されるよう、積極的に公的責任を果たさなければならない」「公的機関によるサービス、地域社会を基盤とした協力、企業によるサービスの活動などにより整合的な対応がなされることが重要である」という表現にとどまっているのである。(続く)
(大阪 依辺 瞬)
【出典】 アサート No.209 1995年4月18日