【投稿】リベラル新党への道
—-政党も政治家も「変わらなきゃ!」—–
社会党の新党づくりが迷走を続けている。結党50年を祝うパーティーが開催されたが、国民の社会党への期待度はますます低下し、リベラル勢力の結集への指導性が問われている。果たして、リベラルの旗は上がるのか。社会党の新党つくりに期待していいものなのかどうか。
○既成政党の落日
社会党の新党づくりは、いっこうに進む気配がない。社会党といえば左右の対立が相変わらず激しく、国民にはなぜ対立しているのかが解らない。そもそも、共産党のような革命をめざす政党=前衛党志向が長い間強かった。社会党内の対立の軸はこの点にあったはずだ。「社会民主主義」という言葉が党の路線を表す言葉として登場したのはようやく90年になってからである。ソ連邦の崩壊、東西両陣営の対立が解消したにもかかわらず、いまだにこのような過去の清算がきちんとできないのは、社会主義の理念に日本の現実を合わそうという無理があった。「これからは日本の現実をどう変えたいと言う議論を国民と共に始めたい。国民の皆さん共に議論しましょう」となぜ言えないのか。国民と共に歩む政党としての原点が、もはや見失われたと言わざるを得ない。そんな政党を国民が支持するはずが無い。もはやみずからの出身者・OB、OGを送り出している労働組合、各種団体の支持を得るので精一杯であるという限定された利益代表政党の姿しか見てとれない。
社会党に限らず、なにごとも曖昧にしてしまい、責任を取ろうとしない姿勢に対して国民が既成政党批判を高めている。社会党の場合は、とくに典型的に現れているのだが、選挙の公約について、どれだけ実現できて、どれだけ実現できなかったのか。なぜ実現できなかったのかという情報提供ができていない。選挙公約を平気で破棄して、平然として次の選挙に別の公約を打ち出してくる。例えば、消費税は廃止すると言う公約はどうなったのか。89年の夏の参議院選挙で勝利した公約の目玉が、翌年2月の総選挙で実現不可能となった時にどうして国民と各県で対話集会を開催して、今後どうしていくのかを協議できなかったのか。また去年の7月に村山首相が「自衛隊は合憲。安保堅持。日の丸、君が代は国旗、国歌として定着」と答弁する前に、どうして国民と十分な議論をしなかったのか。このような公約軽視、すなわち国民軽視の姿勢では、とても新党づくりに成功できない。
社会党に限らないが、あまりにも政治家が、平気で公約を撤回したり、無節操な離合集散を繰り返すうちに、国民が反撃の機会を伺っていた。それが、今年の春の統一自治体選挙で東京都と大阪府で既成政党の相乗り官僚候補を落選させ、青島・ノック両無党派知事を誕生させたパワーである。公約を守るために苦悩した青島知事の姿こそ、政治家の原点である。55年体制が崩壊した今日、無党派の勝利から学ばねばならない教訓は多い。
○いでよ!わが街の「イチロー」
「変わらなきゃ!」は今年、大リーガーとして活躍した野茂と並んで、日本に明るい話題を提供したオリックス・ブルーウエーブのスーパースター、イチローの生み出した流行語である。流行語はその年のムードを象徴する言葉だが、この「変わらなきゃ!」は、現在の日本の各分野にわたって通用する標語としてもふさわしい。イチローのスピード感あふれるプレーが日本のプロ野球の新しいページを開いたように、各分野で元気の良いニューヒーローが登場して制度疲労に陥った旧体制を改革しなければ日本の未来は暗くなる。こつこつと父親と共に自分の打撃を確立していったイチローの努力のように、情熱をもって自分のめざす道をばく進する人間が必要だ。「一人でてきることには限りがある」と逃げをうって、時代に流される傾向がある日本人の中にも、自分の能力を開化させて、既存の慣習や権力をつぶしてでも未来を切り開くという、視野の広い人間が出てくることを信じたい。
たとえば宮崎はやお監督の映画で有名になった「柳川堀り割り物語」では、たったひとりの若い市の職員が、泥の川になり果てた堀り割りを蘇らせようと市長や地元住民を説き伏せ、みごとに住民参加の蘇生を実現した記録が描かれ、見るものを感動させずにはおかない。国政の改革といういきなり大きなテーマを考えるよりも、このように自らの足元の問題の解決と改革こそ、まず着手すべき課題ではないだろうか。子どもが通う学校を地域に開かれた学校にすることや、地域での福祉ボランティア、環境問題など足元に自分の関われる問題が何かあるはずである。週休二日制が浸透してきた時代に地域にどう関わるかが問われている。
○まずローカル・パーティーをめざして
阪神・淡路大震災にオウム真理教、銀行・信組の経営破綻と今年に入ってからのあいつぐ大事件のなかで、日本の官僚システムの問題点が全世界に浮彫りになった。官僚が自分達に都合の良い法律を国会に提出して制定させ、いったん成立させるや「法治国家」の名の元に国民や地方自治体を法律に従わせる。不祥事や問題が発生すると、今度はそれを逆用してますます規制を強める、いわゆる「焼け太り」が当然のように行われている。政治家は、情報も権力も合わせ持った官僚の使い走りとなって、みずからの権益の保護と結び付く法律の制定・改正に努める。首相になろうが、大臣になろうが、役人の言うがままの記者会見・コメントを行うロボットでしかない。このような民主主義とかけ離れた政治の現状を、国民は怒りと絶望の入り交じった複雑な思いで見つめている。そんな閉塞状況を打ち破るための政治改革の火が全国各地で上がらなければならない。
国民一人ひとりが、みずからの所属する組織の論理や集団のルールを点検し、それが社会の発展や民主主義の前進と対立する場合には、勇気をもって問題の解決に当たること。そのためには自己の主張を明確にすることが、国際化の時代にふさわしい行動様式である。沖縄県の大田昌秀知事のように、自分の信念と哲学を貫く政治家が自分の住む街や都道府県にいるのかいないのか。いないのであれば、住民が自分達の代理人として議会に送り込む。あるいは首長になってもらうように運動の輪を広げる。そして、行政のもっている情報を公開させ、住民参加で街を変えていく。そんな動きが地域での新党づくりに結実していく。このようなローカル・パーティーが全国に広がるように交流を深める必要がある。
北海道では、横路前北海道知事と鳩山由紀夫(新党さきがけ代表幹事)がローカル・パーティーを志向しながら連合して選挙戦を闘えば、過半数を制するかも知れない。四国では、元社会党代議士の仙谷氏(徳島)と香川の新党さきがけの真鍋前代議士、高知の社会党の五島衆議院議員などが連携を始めている。神奈川での政治改革への試みも充実している。政治は政治家に任せてあとは知らないというのではなく、自らが政治の主体として議会や役所に押し掛ける住民がどれだけ増えるのか。一年や二年では変わらないにしても、十年後には各地でローカル・パーティーが旗揚げし、全国的にネットワーク化しているという姿にできるのかどうか。日本の民主主義の闘いは、国民自らが民主主義を勝ち取るという新たな段階に入らなければならない。(1995年11月7日大阪M)
【出典】 アサート No.216 1995年11月18日