【書評】『複雑性の科学 コンプレクシティへの招待』
ロジャー・リユーイン著、1993.10.31発行、徳間書店、2000円
『複雑性の探求』G.ニコリス/1.プりゴジン共著、1993.8.10発行、みすず書房、5150円
『複雑性とはなにか』エドガール・モラン著、1993.1=5発行、国文社、2266円
バラタイムの転換
このところ、<複雑性>について、あるいは<複雑思考の必要性>についていくつかの重要な問題提起が行われている。ここに紹介する書籍は、そうしたものの中でも比較的最近のものである。現実のわれわれを取り巻く世界は単純ではなく、一次元的でもない。当然、さまざまな相互作用や相互の矛盾、錯綜した諸関係について複雑な思考が要求される。その意味では複雑なのは当たり前である、何をいまさら、といえなくもない。
しかし近年、このことがとりわけ取り上げられるようになってきたのは、自然科学からの問いかけである。アインシュタインの相対性理論、ボーアの量子力学、ハイゼンベルグの不確定性原理、ゲーデルの不完全性定理、等が明らかにしてきたことは、ニュートン力学を頂点とする決定論的世界観からの質的な転換である。それはバラダイムの転換としてしばしば取り上げられている。バラダイムの転換とは、これまで共有してきた支配的な思考方法総体の転換ということである。その際のキーワードは、相対性原理と不確定性原理であり、さらには熱力学第二法則(エントロビー増大の法則)、相補性、散逸構造、そしてカオス(混沌)、ランダム、偶然性、確率、等々である。
生命の進化から国家の興亡まですへてを貫く法則
これは、『複雑性の科学 コンプレクシティへの招待』のサブタイトルである。この本は、気鋭のサイエンスライターによって書かれたもので、アメリカ・ニューメキシコ州のチャコ峡谷の遺跡、約一千年ほど前のアナサジ文化の崩壊の謎をさぐるという独特のスタイルをとったもので、多くの科学者との対話は、刺激的で興味をそそられるものである。その中心は、米ニューメキシコ州のサンタフェ研究所の学者たちとの対話であり、彼らは、コンプレクシティ(複雑性)を「カオスの縁(ふち)」という新しい概念で解釈しようとしている。この中で提起されているいくつかの視点を紹介しておこう。
【相転移】=温度、圧力、外部磁場、成分比などの変数の変化により、物質が異なる相に移る現象。相転移の際の臨界現象における物質の特徴的なふるまいは、コンプレクシティの科学にとって重要な意味を持っている。
【自己組織化】=複雑な発生システムの自然な特性だということ、秩序は複雑な系から自発的に結晶してくる、自然選択やその他のいかなる外的な力も必要とせずに。無秩序な状態から構造が自立的に形成されてくる現象。非線形・非平衡の統計物理を踏まえたブリゴジンやハーケンの理論などをきっかけに、研究が盛んになった。さらには社会構造の成立などにもこの概念を適用する試みがある。これもコンプレクシティの科学の基礎となる概念。
【カオスの縁】=秩序とカオスのあいだの移行点に位置することによって、このうえもない制御力、小さな入力で大きな出力が得られ、そこでは情報がエネルギーより優勢になり、情報処理というものが系のダイナミックスの重要な部分となり得る可飴性も出てくる。秩序とカオスのあいだの狭い移行地帯、そこに複雑な情報処理の潜在的な力が秘められている。
【断続平衡】=安定した期間が爆発的な変化によって中断されるという。進化は一様に漸進的に進んで行くという伝統的な進化論に対して、平衡状態が長い間続き、それが比較的短期間の急激な変化によって中断されるという説。
【創発エマージェンス】=これがコンプレクシティの科学の主要なメッセージ。自己組織化するダイナミックスにおける創造性の創発、生態系におけるコントロールの創発、自然の中で絶えずより大きな複雑さと情報処理へと向かう抑えがたい推進力の創発。
国家の興亡については、「複雑な社会の崩壊の際にみられるいくつかの特徴、崩壊に先立って起こるあたふたとした集団的な活動、そのようすはあたかも社会が高まるストレスに逆らおうと絶望的な努力をしているかのようだ。ローマ帝国やマヤ文明、そしてチャコといったきわめて異なる諸社会の最終段階に認めている。それらは社会の歴史の区切りとでもいうべきもの、生物系にみられ、そして相転移として物理系にも知られているような急激な転換だったのである。それぞれの崩壊の直接的原因はさまざまかもしれない。共同体自身がその経済的発達の軌跡の中で、この種の圧迫の脆い段階に達していたのではないか」と指摘されている。1991.10ソ連のクーデターが失敗に終わってから2カ月余、かつての超大国は崩壊の危機に瀕していた。C・ラングトン(サンタフェ研究所)は「ぼくは冷戦を礼賛するわけじゃない。でも誓っていうが、それが終わったいま、世界には多くの不安定状態が見られることだろう。つまり、もし、われわれのモデルが有効だとすれば」と語っている。
転換の時代における科学
これは、『複雑性の探求』の最初の問題設定となっている見出しである。この本は、以前に紹介したことのあるプリゴジン(ノーベル化学賞授賞者)の共著であり、複雑性に関する総体的な入門、あるいは導入の基本的前提を論じたものである。物理学、化学、数学
を中心に展開されているが、図表や写真が多く使われており、説得的である.ここではいくつかの重要な結論について紹介しておこう。
【多元的な世界】今世紀初頭における物理学の二つの大変革は、量子力学と相対性理論である。どちらも、普遍定数c(真空中の光速度)およびh(プランク定数)の役割の発見とともに必要となった古典力学に対する修正から出発している。我々が住んでいる世界は、決定論的現象と確率論的現象、可逆的現象と不可逆的現象が見出される多元的な世界なのである。
【新しい物質観】今世紀の初めに物理学者たちは、古典物理学の研究プログラムの伝統に従って、宇笛の基本法則は決定論的で可逆的であるという点においてはぼ一致していた。この枠組に収まらない過程は、複雑性に起因する人為的なものにすぎない例外とみなされた。すなわち、我々の無知、あるいは含まれる変数の制御方法の欠如によって説明されるべきものとみなされた。今世紀末の今日においては、ますます大勢の科学者たちが、我々と同じく、自然界を象る多くの基本法則は不可逆で確率論的であり、要素的な相互作用を記述する決定論的で可逆な法則だけが物語のすべてではない、と考えるようになってきている。このことは新しい物質観へとつながってゆく。それは、力学的世界観によって記述されるような受動的な物質観ではもはやなく、自発的な活動を伴う物質という見方である。それは、例えば素粒子論、宇宙論、あるいは平衡から遠く隔たった系における自己組織化の研究のような、物理学と化学におけるきわめて多様な分野の研究から得られた予期せぬ成果によるものである。
【偶然性と決定論との協同】偶然性と決定論との驚くべき協同へと到達する。これは、ダーウインの時代以来、生物学ではおなじみの突然変異(偶然性)と自然選択(決定論)の二重性を思い出させる。非平衡性によって、系は熱的無秩序を回避し、環境から伝達されたエネルギーの一部を散逸構造という新しいタイプの秩序立った振舞いへと転換させることができたのである。散逸構造とは、対称性の破れ、多重選択、巨視的範囲にわたる相関、によって特徴づけられる状況である。古典物理学の諸概念が不十分で不的確で、さらに本質的に無意味でさえあるような状況に対して、いまや、新しい知識を適用しようと思うのである。
【複雑性の本質的な特徴】複雑な振舞いの本質的な特徴の一つは、異なるいくつかの状態間の転移を行う権力があるという点であった。別の言い方をすれば、複雑性が関わりをもつのは、観察される振舞いにおいて進化、したがって歴史、が重要な役割を果たす、あるいは果たしてきた系なのである。今日見られる地球大気は、この惑星において生命が発達した結果生じたものである。現実には、実在世界の系は時間の経過とともに単一の状態に留まったままでいることは決してない。まず第一に、はとんどの系は複雑でかつ予測不可能ですらある環境と接触を保ち、その環境は系に絶えずわずかな量の物質、運動量、エネルギーを伝達しているのである。その結果、どの状態変数であろうと無制限の精確さで制御することは不可能になるのである。実際のところ、瞬間値の記録は基準となる巨視的な状態変数からの絶えざる偏移を示し、この偏移は環境とは無関係に系自身が自発的に発生させるものなのである。(この内在的な偏移を揺らぎと呼ぶ)
思考の文明化への呼びかけ
これは、『複雑性とはなにか』の最後で著者エドガール・モランが、複雑性について語っている言葉である。著者は、第二次大戦中レジスタンス活動を行い、フランス共産党に入党したが、1951年、党内のスターリン主義に抵抗して党を除名されている。現在、フランス国立高等研究院社会科学部門学際研究センター所長などを務めている。彼によれば、いまやすべての文化、すべての文明が恒常的に連結されているような地球時代に入っている一方で、「さまざまな人種間の関係、文化間の関係、民族集団間の関係、権力間の関係、国民間の関係、超大国間の関係において、ひとびとが全面的な野蛮状態」にあり、「われわれはいまだ損壊と分断をこととする思考のもとにあり、複雑な仕方で思考することはいまだ非常に困難」な状況の中で、複雑性は、思考の文明化への呼びかけだというわけである。ここでもいくつかの特徴的主張について紹介しておこう。
【複雑性と不確実性】複雑性は、不確実性-われわれの知性の限界による不確実性であれ、現象そのものに備わっている不確実性であれ-と部分的に一致している。しかし、複雑性は不確実性に還元されはしない。複雑思考はけっして明晰さ、秩序、決定諭を拒絶するわけではない。複雑思考は、それらが不十分であり、発見や認識や行為をプログラム化することができないことを知っている。理論の病理は、理論をそれ自身のうちに閉じ込め、化石化させてしまう教義偏重主義や教条主義にある。政治的戦略は複雑な認識を必要とする。なぜなら、政治的戦略とは、不確実なもの、偶発的なもの、相互作用や遡及作用(フイードバック)のさまざまな働きを用いて、あるいはそれらに逆らって、展開されるものだからである。
【ア・プリオリな分離と同一化】ソ連の強制収容システム(グラーグ)は、資本主義による包囲網と、社会主義建設当初の困難がひきおこした副次的で一時的な否定的現象として、ソ連社会主義の周縁部へ押しやることができた。けれども、それとは逆にグラーグを、ソ連社会主義の全体主義的本質を明らかにするシステムの中心核として考えることもできたのである。大切なことは、ソ連社会主義という観念と強制収容システムという観念とを無関係なものとして切り離すア・プリオリな分離を避けるとともに、ア・プリオリな同一化(ソ連という観念をグラーグという観念に還元してしまうこと)を避けることである。
【計画経済と自発的アナーキー】1990年までのソ連経済の例を取り上げてみよう。ソ連経済は、理論上は、超厳格で超干渉主義的な中央の計画によって支配されていた。この計画経済は、極端に厳格で、プログラム化された命令的性格をもっており、とうてい運用可能な代物ではなかった。ところが、この計画経済は、多くの怠慢をともないながらも機能を果たしていたのである。これはもっぱら、あらゆるレヴェルでの不正行為によってやり繰りされていたおかげである。つまり、トップレヴェルには硬直した命令しかなくとも、下部には自発的な組織化を生むアナーキーがあったわけである。また、実に多くの場合、ずる休みは必要なものであった。労働条件からいって、ひとびとは、少ない給料を補うために、別のちょっとしたアルバイトを見つける必要があるからだ。このように、これらの自発的アナーキーは、抑圧的なシステムにたいするひとびとの抵抗と協力を示しているわけである。いいかえれば、ソ連の経済が機能しえたのは、上からの匿名の命令にたいする、各自のこうした自発的アナーキーによる応答のおかげであった。事実、ソ連のシステムは崩壊したのではない。ひとつの政治的決断が、その膨大な無駄、効率の悪さ、発明性の欠如に鑑みて、このシステムを放棄することを選択したのである。そしてこのシステムが続いていたかぎり、そのプログラム化された計画経済を機能させていたのは自発的アナーキーであった。
単純化と教条化を脱する道
以上、期せずして同時期に発行された複雑性に関する書籍について紹介した。それぞれはまったく別個の分野から取り組みながら、基本的な立脚基盤は実に共通しているといえよう。複雑性の背後には、混乱、不確実性、無秩序が控えている。それは一つの決定諭的法則性に還元できないものをこそ問題として提起しているといえよう。そのもつ意味は、深遠でさえある。
しかしこれは、処方箋であったり、問題の解決を示すものさしではない。それは自己否定となり、単純思考への再転落をもたらしかねない。マルクス主義の単純化と教条化がもたらした害悪は計り知れないし、まだまだその見えざるくびきから脱しえていない自らの現状からすれば、複雑性の探求が提起する課題は広くて深いものを予感させる。 (生駒 敬)
【出典】 アサート No.194 1994年1月15日