【書評】社会主義崩壊と「自由の二重性」
西尾幹二『全体主義の呪い--東西ヨーロッパの最前線に見る』
(1993・12・15発行、新潮選書、1200円)
東ヨーロッパ諸国の社会主義の崩壊後、社会主義とは本来何であったのかの模索が進められている現在、その探求は同時に、今までに存在していた社会主義体制の徹底的な反省と批判とを必要としている。本書は、このような試みのひとつとして、ドイツ、チェコ、ポーランドの現地を取材することによって社会主義の意味していたものを抉り出し、そこから逆にわれわれ自由主義資本主義世界に内在するディレンマを浮かび上がらせようとする。
著者によれば、第二次世界大戦後の共産主義の歴史を二分する重要な分岐点は、ヴァーツラフ・ハヴェルに倣って、一九六八年の「プラハの春」であるとされる。それは第一に、「共産主義的全体主義の最初の本格的動揺のしるしであっただけでなく、瓦解を前にしたある悲鳴であったこと」、第二に、「それにも拘らず、体制はさらにぬらりくらりと二十年生き延びた」、「そして硬い秩序から軟らかい秩序へと巧妙に衣更え」したこと、第三に、「自由主義資本主義体制の側にもきわめて注目すべき地殻変動が生じている事実」(大学紛争と青年の叛乱、「新左翼」の出現等)によって示される。
ここで一言付け加えれば、著者の使用している「自由主義資本主義体制」、「共産主義全体主義」という言葉は曖昧であって、社会主義を正面から論ずる文としては問題があると思われる。これらはいずれも、ハナ・アーレントの『全体主義の起源』との関連で使用されており、ナチズムとスターリン主義をほぼ同一視する立場を著者も踏襲している。しかし厳密には先程の言葉も、またこれらも区別されて使われるべきである。
右のことはとりあえず措くとして、著者に従えば、この年を境にして共産主義全体主義の構造と特質は前期と後期に分かたれるのであり、例えば東ドイツの場合、全体主義的支配という形態は、アーレントのいう積極概念としての運動から、国家保安官(シュタージ、(Ministerium fur Staatssicherheit)--秘密警察のこと--)という名の示すとおり、Sicherheit(保安、安全)を守るための消極的な機関へと変質しているのである。この結果としてシュタージは、病的なまでに過剰な防衛反応を引き起こし、東ドイツ全国民千七百万人のうち四百万人を監視、スパイし、その報告書は紙の厚さでキロメートル単位で表記されているという信じ難い活動を行った。そしてここから、夫婦間、親子間での相互のスパイ行為や少年達までが監視の対象になるといった悲劇も暴露されてくるのであるが、かかる事情がドイツにおいては後期全体主義支配の被害者と加害者、秘密警察の犠牲者と協力者の境界を曖昧にする結果となっている。
すなわち全体主義の罪に対して著者は、全ての国民に罪があるとする共同責任論か、または「集団の罪」を各機関、地位に応じて可能な限り広く公平に処罰する措置か、換言すれば「罪を犯した国家が自分をできるだけ閉ざすか、開くかする以外に」方向が考えられないにも拘らず、現実にはこれらの中間に落ち着いてしまうという事実は、「それぞれ敗者の自己防衛と勝者の自己貫徹の論理」を含んだ「戦争が終わった後の戦争の継続」(傍点筆者、以下同じ)を表していると分析し、ドイツ人の場合このことは、戦後ナチズムから遠いほど道徳的政治的に安全という抑え込みとなったが、それが逆に正反対の全体主義の世界に縛られてしまう結果となったのではないか、そして現在共産主義的全体主義の崩壊後、二つの全体主義に対して国民がいかに措置すべきかが再び自己に問われている、と主張するのである。なおここで著者は、このようなドイツ人の対応に対して、「日本人はそんなことをしない。恐らくもっと謙虚である。戦勝国の力を正義の尺度として受け入れる点でもっと素直である。だからといって戦勝国に打倒されもしない」として日本人の対応を肯定的に評価している。しかしこの姿勢が、日本の戦争責任の所在を明確にせぬまま今にいたるまで責任を放棄し続けている政府の立場につながるものとならないのかどうか、検討を要するところである。
さてこのような問題を抱えた東ヨーロッパ諸国は、例えばポーランドで見られるように、自由への第一歩を踏み出し、そのことを自讃している。しかし著者によれば、かかる自由は共産主義に支配されていた地域の、ローカルな、初歩的な自由であって、われわれの自由が過剰ともいえる西側諸国、自由主義社会では、自由が大きな曲がり角にさしかかっていることが認識されなければならない。この意味で「ポーランドの不完全な自由がもつ幸福は、われわれが苦渋に満ちた・・・・・・・われわれの自由を映し出してみる反面鏡の役割を果す」のである。すなわちポーランドとは逆に、物質と情報量が飛躍的に増大したいわゆる高度産業社会においては、自由はあり余る状態であり、欲求もその限界を知らない。そしてこのことが人間に自己の存在を不安にする喪失の感情を感じさせるのであり、そのためにかえって人間は、自ら一定の「場」、枠(自己閉塞状況)を設定してそこで自己の安定を得ようとする傾向を示すのである。この「・・・・・・自由の二重性」、「苦渋に満ちた自由」こそが注視されるべきなのである。
このことは著者によって、西側の自由主義社会において共産主義イデオロギーに取り憑かれる人々の病理学的解明として語られる。即ち共産主義イデオロギーとは、東側においては外敵から国民を守る防壁であったが、西側においては、行き過ぎた自由の状況下での自己安定化のための自己閉鎖装置であったというわけである。つまり西側にあって東側を礼賛したというのは、「完全に開かれた自由の状況(中略)、近い未来にも遠い未来にもなにもない無の状態、ニヒリズムの状態に耐えていけない弱さの表現である」とされる。 そしてこの状態が、実は東側の後期全体主義社会でシュタージに与えられていた条件と瓜二つであること、すなわち「情報の量が途方もなく多く、言葉や数字の網に手足を搦め取られる。しかも責任主体がいない。(中略)そして何ものにも、道徳にも拘束されず、自由である」等々区別できないことが指摘されて、そこから「われわれがこれから襲われる可能性のあるのは、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・初めから後期全体主義であるような全体主義ではないだろうか」という結論が引き出されるのである。著者は「そのような予測を、不安をもって意識している」のであり、現代世界の全体主義化の傾向に対して、他国の経験、過去の歴史に学ぶことで備えよ、と説くのである。
以上われわれは著者の主張の主要な側面を指摘してきたが、本書においては東ヨーロッパ知識人へのインタビューとシュタージの旧東ドイツ国民に対する犯罪の詳細な暴露が大きな比重を占めており、それぞれに興味深い内容となっている。ただし著者の立場は、現代資本主義社会を高度産業社会かつ自由が完全に開かれている社会と見倣す、あるいはこの社会の中でわれわれ自身の置かれている状況と旧東ドイツ支配体制の根幹として置かれたシュタージの状況とを同一視するなど異論が残るものである。というのも本書では、現代社会の不平等すら完全に開かれた自由の産物とされるのであるが、果たしてそう断定できるものであるのかどうか、またわれわれに自由が完全に開かれ、情報がわれわれの手許に完全に届いているのかどうか、著者のように無前提に認めることができないからである。われわれには自由ではなく管理ことがわれわれを取り巻いているというのが実感ではないであろうか。著者に従えばこれは既に後期全体主義の兆候であるということになるが、しかしかかる状況についての著者の立場そのものの検討が是非とも必要であることは明かである。この意味で反面鏡として本書を一読する価値はあると言えよう。(R)
【出典】 アサート No.198 1994年5月15日