【投稿】自然保護運動と政党
ここ数年のあいだに、環境問題が注目されるようになり、自然保護運動のみならず、行政や民間企業レベルでも、環境に対する取り組みが活性化してきた。そうした中、政党も環境問題にカを入れはじめているが、社会党は残念ながら一歩も二歩も出遅れている。自然保護、環境問題も範囲は広いが、森林や渓谷を中心とする山岳地帯の問題を見た場合、ことさらその感が深い。
社会党は、依存している労働組合が職業的(産別として)に関わりのある一部単産以外は、これまで殆ど無関心であること、農村部でも山奥のことは知らん、という対応であり、党本体もイデオロギー先行であることから、森林の保全とか、不必要な道路やダムの建設反対運動には、軍事基地反対運動や反原発運動に比べ力を入れてこなかった。また、地域で自然保護運動に携わってきた人々との接点も無く、党の政策にもそうした観点が反映されることは無かった。幹部にしても、村山総理大臣は漁師の息子だから山は関係ないのは仕方ない?土井衆議院議長は山を動かしたものの、登らなかった。「好きこそものの上手なれ」と言うけれど、組織のなかに関心のある人がいるか、いないかで是ほど大違いなことはない。
一方、共産党は戦後の「勤労者山岳会」=労山の組織化に始まり、日本のあちらこちらで自然保護運動とのつながりをつくっていった。(一説によれば山村工作に失敗しさらに奥地に撤退、山岳ゲリラを目指したため山に強くなったのではないか、と言われている)現在各地で行われている運動で、共産党の影響が無い取り組みを探すのは難しいほどだ。そもそも不破暫三自身、登山が趣味で、自らの山岳紀行を出版しているくらいであるか
ら、カの入れかたが違うのである。
また、自民党をはじめとする保守政党でも、党の政策とは相いれない形になっているが、結構自然保護に関心があったり、キャンプや登山などアウトドアを本格的に楽しむ人が、閣僚クラスにも海部俊樹、橋本龍太郎、愛知和男など結構いるのだ。
かといって、自然保護を保守党や共産党に全く委ねてしまうことは出来ない。保守政党では個人の思いも族のまえでは非力だ。愛知和男は環境庁長官時代、山岳専門誌の長良川河口堰問題のインタビューを受け苦悩する心中を語っていた。
共産党はここでも引回しが過ぎる。労山の会報で「南アルプスに登って」との紀行の後にいきなり「国民平和大行進参加報告」が出てくると、落石の直撃を受けたみたいになってしまう。「週刊金曜日」の「日本アルプスで何が担きているか、三俣山荘撤去命令の本質」という記事(5月20号)を読まれた方もあると思うが、内容は全くその通りで山小屋に法外な地代を吹っ掛ける、林野庁のやり方は問題がありすぎる。しかし、三保山荘主人の孤軍奪闘を英雄視する一方で他の山小屋経営者が林野庁の桐喝に臆したため、山小屋の共闘が困難かのように描くのはどうか。三俣山荘の主人は、労山の結成に深く関わり、現在では日本共産党スポーツ後援会の幹部に名を連ねる人なのだ。もちろん撤去反対運動の支援者は共産党ばかりではないけれど、これだけ露骨に色が出てくると共闘の幅が決まるの仕方がない。
長良川河口堰の運動は、共産党も関わっているが、市民が主導し自治労が積極的にサポートしたため、帽広い取り組みが可能となった。しかし、社会党については非常に影の薄い存在であった。自社さ連立の現在社会党自体の改革が急務ななか、求められる役割も野党時代、前連立時代のとは違ってきている。
そのなかで環境問題の位置づけをいままで以上に重要視し、地域での地道な運動が無駄にならないような政策を確立していくことが求められている。それ以前に、党の人間も薄暗い酒場ばかりで悉くいてばかりではなく、野や山に飛び出していってほしいものだ。
(大阪 O)
【出典】 アサート No.201 1994年8月15日