【本の紹介】「良い円高 悪い円高」
リチャード・クー著 東洋経済新社 ¥1600円
経済の本ですが、とても読み易い本です。為替レートのメカニズムや戦後最高値を更新し続ける現在の円高について、マクロに理解させてくれます。特に著者は、投資家の立場に視点を置いて、一個人人ですら海外投資をする条件にない中、どうして投資家による海外への「貿易黒字還流」ができるのか、また内外価格差が解消されない以上輸入が増加する条件もない、と言う中で出口の見えない深刻な現在の円高を解明している。
<深刻な現在の円高基調>
まず、著者は特に90年代に入っての円高の評価について、将来の日本にとって対処の仕方を間違えると、日本経済に壊滅的な打撃を与えかねないと指摘する。
80年代のいわいる「円高不況」は、アメリカをはじめとする海外諸国の高金利状況の中で、海外債権を日本の機関投資家が大量に購入し、円高の陰でドル買いが進められ、また日本にあっては「バブル景気」といわれる金融主導の好景気によって、特異な形で乗り切ることができたが、現在の円高については、80年代のこうした「特異な脱出条件」は見あたらないという。具体的には①海外の債権金利は低調に推移していること。②円高基調であっても、将来の為替差損に耐えられる株の含み益は、激減しており、機関投資家による海外への債権投資をほぼ凍結状態にしているからである。
これらが、投資家の海外投資、すなわち、ドル買いにストップをかけており、80年代のような、円高の解決策は現状では不可能だという。
為替レートは、経済のファンダメンタルの表現であるとしても、80年代にアメリカが、ドル高の中で国内の主力製造業を軒並み衰弱させた実例のように、現在の円高は日本の「産業の空洞化」を一層進めることになるが、それしか解決策がないのか、とも問いなおしている。
<良い円高とは>
書名のとおり、著者は現在の円高を「悪い円高」と規定している。「悪い円高」とは何か。それは輸入障壁や商慣行の違いから、なかなか増えない輸入に対して、輸出が減る形で是正が行われる場合のことである。
年間1300億ドルという日本の貿易黒字という状況での円高は、本来一層の市場開放、内外価格差の是正を通じて、輸入の拡大により、通過の安定が行われる必要があるが、現状ではこうしたことが進行する状況にない。日本で進行しているのは「悪い円高」と言うわけである。
一方、「良い円高」とは何か。巨額の経常収支の黒字がある中で、輸入を増やし、すでに巨額になっている輸出に輸入が追いつく形で不均衡が是正される円高であると著者は規定する。拡大均衡の中で、通貨の安定、産業の安定を確保でき、輸出入の拡大を通じて世界経済にも好影響を与えるというわけだ。
<現在の円高は日本製>
著者は、そもそも70年代・80年代を通じる日本の経済政策そのものが、現在の円高を生みだしたのであって、現在の円高は純粋の日本製だという。現在円は、ドルだけでなく、すべての通貨に対して円高となっているから、単に対ドル関係が要因ではないという。
著者は、イギリス、アメリカ、ドイツの例を挙げて、貿易黒字の発生に対して、自国通貨の高騰が起こった時、どのように解決して行ったか、を示している。
ドイツは70年代、急速なマルク高に襲われ、ドイツマルクは実効ベースで3割も高騰した。ツアイスをはじめ西ドイツ製カメラが次々生産中止に追い込まれて行った。やがてドイツの投資家達に巨額の為替差損がおそった。その後、ドイツ政府は国内の市場開放を進め、その結果、ドイツマルクの上昇率は73年頃から穏やかなものになり、自国産業の空洞化が加速するのを抑えることに成功した。現時点でのマルクは60年代の初めに比べ実効ベースで2倍になっているが、円は同時期に4倍になっている。
日本は80年代に対外投資は自由化したが、市場開放は進めなかった。
<投資家の動向を注目>
こうした分析を通じて、著者は、日本のエコノミスト達が投資家の動向を経済の重要な変数として認識していないと指摘する。貿易黒字は、投資家によって固定的に海外に投資される、という理論が横行している。ところが投資家は儲からなければ動かない。海外金利の低迷、膨大な含み益の激減、円安期待が出来ない現状では、如何に貿易黒字が発生していようと、投資家の海外投資は凍結される。実際に80年代をつうじる海外債権・資産投資は、円高によって利益を得るのではなく、累積で35兆円の差益差損を生じさせた。投資家とは生命保険会社や年金資金などを運用する人たちのことを指すが、一部の大金持ちだけでなく、すべて国民の年金や保険の原資であり、これらの損害は最終的に国民に負わされる。日銀のドル買いも経済政策としては是認されるとしても、全面的な円高基調に対しては、焼け石に水程度の効果しかない。
現状は、おそらく日米経済協議の動向を投資家達は注視しているため、100円前後で推移しているが、日米協議の動向によっては、一段の円高は避けられない。商工中金の円高影響調査によると、中小輸出関連企業の101社の98%が、1ドル100円を切れば採算が合わず、111,7円でようやく採算が合うと回答している。一層の円高ともなれば材料の海外調達、海外生産に拍車がかかることは必死の状況である。
<ノーと言った日本>
今年2月の日米首脳会談で、米国側が要求した輸入拡大の数値目標で合意できずに決裂、その後一気に円高が進んだ。貿易不均衡に対して、数値目標で合意出来なければ為替レートで是正するしかない。「ノー」の判断が、どこまで考えての判断だったのか、と著者は日本の官僚の考え方に疑問を投げかけている。
以下の章で、円高是正を自力で進められない日本内部の問題を分析している。日米交渉のポイント、金融不安と土地利用規制の緩和、日本の官僚の体質、企業の姿勢を含む日本式資本主義の問題などなど、いずれも説得力のあるものばかりである。
<「輸出より内需拡大論」でいいか>
この本を読んで考えたことがある。これまで労働組合は「内需拡大」をスローガンにしてきた。その中身は、賃上げによる購買力の増加であり、社会資本の充実などである。それによって不況からの脱出をすべきという考えであった。それに対して日経連などは物価の安定が大切で賃上げは物価を引き上げると、平行線の議論をしてきた。
しかし、すべての通貨に対して円高基調、内外価格差は縮まらない(いわいる円高メリットは一向に国民に還元されない)と言う中で、労働組合が賃上げ・内需拡大をいうだけで、急速に進行しようとしている「産業の空洞化」による国内雇用の減少などに対抗できるのか、という問題である。
規制緩和・市場開放についても、労働者国民の立場から、具体的に政策提起することが必要ではないか。円高がもたらすメリットよりも明らかにデメリットの方に注意を向ける時が来ている。勤勉な日本人と怠惰なアメリカ人論、外国からの謀略説など感情的な円高論や日本経済は今回の円高も乗り越えるだろうという考え方が一般的だが、今回の円高をどうするか、まさにグローバルエコノミーの時代にあって、円高問題に対処すべきだと感
じた。今後村山政権が日米包括経済協議をどうすすめるか、注目されるところである。
(佐野秀夫)
(追記:本書の出版元・三一書房が労働争議のために出版活動を停止している。このため本書については入手困難な状況となっているが、機会があれば一読を要請する次第である。)
【出典】 アサート No.202 1994年9月15日