【投稿】新世界と日本の進路について

【投稿】新世界と日本の進路について

<93年選挙結果が示すもの>
93年衆議院総選挙における社会党の歴史的敗北は、日本に冷戦構造の崩壊という世界を揺るがした大地震の津波がようやく押し寄せたことを感じさせた。米ソを軸とした冷戦構造の中で極東の前線地域における日本の平和を守るために、自民党の行き過ぎた対米追随の好戦政策に対する護憲を旗印にした対抗勢力として一定の役割を果たしてきた社会党は、もはや「お払い箱」同然の扱いを受けている。
国民の審判は、新しい世界情勢に対応して新しい政治を担う政党の登場を期待するということである。東西の冷戦の危機が去った今日、いわゆる「自由世界」の陣営は自民党という保守の統一戦線的性格の政党に結集する必要は何もない。新生党や日本新党あるいは新党さきがけといった新しい勢力は、冷戦構造の崩壊によって初めて次々と生み出され、国民の支持を幅広く得ることができた。国民は政治の空白や不安定さを何ら心配することなく、安心して日本の政治の選択をできたのではないだろうか。
東西冷戦下で米国の戦争瀬戸際政策に対して常に警鐘を鳴らし続けてきた社会党は、自らの新しい任務を国民の前に示すことができなかった。すなわち新世界の創造と日本の役割を明確にする必要があるにもかかわらず、相変わらず「93宣言」というような旧式の火縄銃のようなものを持ち出して、やたら打ってはみたものの国民に相手にされず、その内容の難解さと党内議論の質の低さをさらけ出す結果にしかならなかったのである。また、めざすべき方向も明らかにしないまま、自民党政権の継承をするかのような対応をしたことが国民にどっちを向いているのか分からないという印象を与えたのであろう。

<連立政権の行く末>
戦い済んで日が暮れて、昨日まで難攻不落の城に見えていた「自民党政権」が落城した。そして38年ぶりの政権交代が国民に政治への期待をふくらませている。8月9日に成立した細川連立内閣は7派の連立という非常に不安定な体制であるにもかかわらず、なんと国民から7割という高い支持率を得ている(8月24日日経新聞。最近の自民党政権では海部内閣が90年6月の調査で得た52%が最高。)。国民は、政治改革と不況対策を期待しているが、この大きな期待に応えて改革を実現できるかどうか、ここ3カ月の細川内閣の仕事ぶりに注目したいところだが、社会党の内紛が政権の足を引っ張りかねない。片山内閣の苦い記憶がいまだに国民に焼きついているが、今また社会党が混乱し、せっかくの政権交代が水泡に帰する可能性もないとは言えない。社会党の委員長選挙は、連立政権への国民の期待を裏切るものであり、これを経としたいという山花委員長の委員長選挙への出馬問題も国民不在の党内論理としか言いようがない。「93宣言」が国民に語りかけるものとして作られなかったことと同様に、ここでも社会党と国民との距離をさらけ出す結果となっている。

<日本の進路の選択は、どうあるべきか>
自民党の再分裂がまず不可避である。新生党は、公明党とともに新党をつくるため、自民党の分裂を促進することに全力を挙げるだろう。地方議員も含め、公明党から選挙協力を受けている自民党議員は一人また一人と新党結成になびいていく可能性が強い。当面はこのような動きが注目されるが、中長期的には、自民党河野総裁に代表されるようなリベラル保守と新生党の小沢に代表されるような政治大国・国家主義路線に自民党が分裂し、それぞれ日本新党・新党さきがけと新生党・公明党などと新党をつくる可能性もある。
悩みが深くなっているのが社民勢力の結集をめざしてきた連合を中心とする旧革新・中道勢力である。社会党候補の選別推薦によって社会党を改革に追い込もうとした山岸路線は、社会党の惨敗と連立政権樹立という予想以上の展開を示したため、あわてて保守2大政党路線に代わる第3の道を模索している。そうしないと連合の影響力を行使できないと考えているのではないか。しかし、足元での労働組合の組織率低下に対応したジリ算労働者政党を旗揚げして、果たして政治力を行使できるのであろうか。生きる道は、米国の民主党が蘇ったような市民とともに歩む政党、市民の声を代弁する政党づくりであるはずだ。
自民党から社会党までの政策のひらきは、年々縮小しつつある。自治体での共産党を除く総与党体制の進行もその原因の一つかも知れないが、決定的な対立点が少なくなってきている。いわば保守と革新の境界線が消えつつあり、支持者や労働組合員の意識の上でもその融合が進んでいる。それに加えて社会党は、細川政権の経験の中で党の基本政策と現実に実行する政策との間に当然乖離が生じる。したがって、党の政策をより現実的なものに変えざるを得ないのである。これは連立政権に参加する他党も多かれすくなかれ生じる問題であり、まさにそれが連立政権であるが、社会党の生きる道はそこにある。すなわち、連立政権の中で現実的な政策を打ち出すとともに、社会党のめざすべき政策を常に国民に明らかにし、国民の支持を得てその実現をはかること。イメージ先行の新党に対抗して政策で勝負することである。

<新社会党への提言>
平和勢力の一翼を担い続けてきた社会党、労働者と共に歩んできた社会党、そしていま瀬戸際に立たされた社会党の生きる道があるとすれば、「会社主義」の壁を破る市民や労働者の人間としての復権を担う政党となったときである。それは新生党のめざす「普通の国=国家主義の日本」とは対極の社会である。どちらかと言えば日本新党や新党さきがけのめざす「地方分権・消費者重視」路線に近いかもしれない。しかし、日本新党や新党さきがけよりも徹底した草の根民主主義すなわち地方の自立、分権、市民参加をめざすものでなければならない。リベラル保守の政治改革路線や消費者重視の経済対策という側面での共闘関係を維持しつつ、それを真に市民の立場や弱者の立場にたったものに、より徹底したものに推進する勢力として存在価値が見いだされる。
また冷戦後の自衛隊の存在が質的に変化した以上、自衛隊をめぐる議論に終止符を打ち、直ちに合憲宣言を下すと同時に、アジアの国民に対して過去の侵略戦争を正式に首相が謝罪し、しかるべき補償をすることが社会党の力で実現しなければならない。被爆者援護法が一日も早く制定されるように社会党が動かなければならない。外国人を含めた全ての人々が日本で差別を受けないように公民権法を社会党の力で作らねばならない。労働者が年休を完全に消化しつつ、1カ月のバカγスを楽しめるような要員の確保を企業に義務づける法律を制定させねばならない。課題は山積みである。内紛している余裕はないはずだ。
(1993・9・1大阪・M)

【出典】 青年の旗 No.190 1993年9月15日

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