【投稿】「社会党大会」と「自民党大会」

【投稿】「社会党大会」と「自民党大会」

9月25日、29日と、これまで日本の「左」「右」を代表してきた政党の大会が開かれた。社会党と自民党。先の総選挙で、「55年体制の終えん」とマスコミに冷たく扱われ、その動向によっては、文字通り「終えん」を迎えかねない状況の中で、二つの大会は開催されたのである。私自身、いずれも危機的状況にあればあるだけ、組織であれ個人であれ、その後の進路や生き方がシビアに問われて、これまで見えてこなかったものが透かされてくるのではないかと、両者の大会を非常に注目していた。もちろん、社会党支持者として、前者の前進的再生を願いつつ・・・。
しかし、結果は予想以上のものだった。自民党は、日頃から歯に衣着せぬ論調で活躍中の田原総一郎氏を司会者に迎え、オープンな討論を展開してみせたのである。そして、その中で先の戦争が「侵略戦争」だったかどうかをめぐり、河野総裁と橋本政調会長がもろにぶつかった。「侵略だ」、「いや一言で言えぬ」と、それぞれの見解を主張し、「会場は一瞬緊迫した空気が流れた」(朝日新聞)そうだ。私は、ここで「戦争問題に対して、自民党の見解にズレがある」ことを問題にしようとは思わない。「ズレ」があっていいと思うし、また、当然だと思う。一言一句の違いを認めず、いつも同じスローガンを唱え、同じスタイルを強制してきた社会が、21世紀を目前にしてどうなったかを考察するならば、教訓は自ずと見えてくる。党を代表するリーダーが公開の場で、種々の問題について自分の考えをはっきり述べることは、とても大切だし、国民がその考えや主張を資料にして、次代を担う指導者を選定できる社会こそ、民主社会と言える。その点で自民党は、いろいろあろうとも、時代に合わせられる柔軟性を内包していたと言えるのではないだろうか。もちろん、そうせざるをえないほど追いつめられていたことは間違いないし、今後ともそうするという保証は全くないのであるが。
一方で、まだまだ過去のスタイルから解放されていないのが、社会党であった。「保守政党に取り込まれる」と、大会前日、「なくすな憲法・社会党、小選挙区並立制に反対する国民集会」を開いて気勢を上げ、大会に臨んだ党員や支持者グループがあったが、私は問いたい。「あなたたちは、政権党を本当に望んでいたのか?」と。私も、「小選挙区制」については疑問もあるし、選択に迷っているのは事実だ。が、社会党は今や連立政権を支える与党第一党であり、自民党政権時代より一歩でも二歩でも前向きな政治を行う使命があることを、肝に銘ずる必要がある。この現実は、いつも念頭において議論をしなければならない。こういうと、「いつも妥協しろ」というふうに聞こえるかもしれないが、「保守政党に取り込まれる」というきわめて後向きな発想の仕方を180度転換すべきだと言いたいのである。もはや旧態依然、古色蒼然とした「保守」も「革新」もいらない。今の状況よりもちょっとでも前進でき、国民が全体として幸せになる道を、多種多様な議論を経て、たどって行けるよう、政党あげて努力すべきだ。「反対」や「抵抗」、「左」を気取った「エエカッコ」ばかりしても、もはや国民はついては来ない。支持率低下が物語る現実をもっと分析しなければ、党の再生は有り得ない。そして連立政権の中でも、さすが社会党といえる独自性を持った具体的で積極的な代案、対案をこそ提起すべきだ。選挙権を得て以来、支持者であり続けてきた一人として、切に思う。
(大阪・田中 雅恵)

【出典】 青年の旗 No.191 1993年10月15日

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