『詩』 旧友帰る
大木 透
三年ばかり行方知れずだった友が
小ぎれいな出で立ちで現れた
やや白くなった顎髭
緑無しの赤いサングラス
サンスクリット語の模様入りのTシャツ
こいつは
「国富論」も「資本論」空んじているほどの
切れ者だった
いつも
ショスタコーヴイチのカルテットの何番かを口ずさみながら
酒を飲んでいた
そいつがだ
「よう元気かい ちょっとは立ち直ったかい」
「噂じゃ酒を断って改俊の情を示しているらしいねえ」
と、妙に挑戦的な口ぶりで絡んでくる
こりゃなにかあるな
確かにこいつをオルグったのは俺だった
繰り言のひとつぐらい覚悟しなくてはなるまい
俺はちょっと緊張して
次の言葉を待ったが
そいつは何事もなかったように
髭の下からマジシャンのように
一枚のB4ぐらいの紙を取り出すと
大事そうにテーブルのうえに広げる
「俺はねえようやく新しい牧場の見取図を完成させたよ」
「こいつは最後の審判にも堪えられるぜ」
見ると
なにやらやたらと入り組んだ線が引いてあって
誰だったか忘れてしまったが
ヨーロッパの画家が措いた曼陀羅に似ている
隅のほうに
タイトルだろうか
スリーゾーン・マネジメント・フロー
と、書かれている
こいつは三年も音信不通で
こんなくだらんものを仕上げるのに
隠遁生活を送っていたのだろうか
そいつはこのフローの説明を始める
図の中心には「上がり」があり
四隅には
「ルンペン」
「宗教家」
「マフィア」
「ホモ・エコノミクス」の象徴が描かれている
四隅からは
縦横無尽に
縦線、横線、双曲線、放物線が伸び
絡み合い
消し合い
フイリップス曲線に似たものや
ドーナツツの周りのジグザッグ線の終点へと続く
なかには消えかかった点線も見え
自信なさそうに揺れているものもある
俺はばかばかしくなってきて
「こんなもんで牧場がうまくいくのかい」
「羊にゃ心はないし、第一、心を決めるのは環境だって
いうのが君の持論じゃあなかったのかね」
と、軽くいなしてやる
それでも こいつは怯む様子もなく
ボールペンを取り出して
おもむろにキャップを外し
曼陀羅の外に
大きな円を書き入れ
そのボーダーライン上に
「物質か精神か?」と注を入れアンダーラインを引く
俺は思わず
「そこは宇宙かユートピアじゃないのかね」
「ボーダーラインから外へ向けて太い力強い直線で生産
手段の社会化と書き入れるべきじゃあないのかね」
と、促すが
こいつは平然として
「君は先走り過ぎていたんだよ」
「確かにマルクスもスミスも正しい批判をしたんだが、
彼らはこの四隅に鏡座し給う職業に就いたことはなかったんだよ」
「俺はこれから一○年単位でこの四隅に住んでみるよ」
こいつは百歳まで生きて
初志を貫徹するつもりらしいが
俺は面倒臭くて
とても
こいつについて行く気にはなれない
(1993,6,26)
【出典】 青年の旗 No.189 1993年8月15日