【報告】長良川 現地報告
河口堰建投を直ちに中止せよ!建設大臣は、反対住民と話し合え!
10月4日の、「すくえ長良川!世界行動DAY」を前後した長良川河口堰建設反対運動の現状について、レポートをします。
●河口堰建設中止を求めて
すでに8本のピアが建設され、残る5本のピア建設が10月下旬に再開されるという状況の中、反対運動側は10月上旬に大規模な現地行動を行い、建設を少なくとも中止させるという目標を本年4月の東京行動、7月のブラジル環境サミットの後、確認した。
7月から実行委員会である「長良川河口堰をやめきせる10・4の会」を地元流域住民団体、河口堰建設に反対する会全国支部、日本自然保護協会をはじめとする環境保護団体、自治労など労働組合を構成団体として結成し、準備が進められてきた。
宮沢総理、山崎建設大臣への抗議はがきを世界のNGO300団体への依願したのをはじめ、日本の様々な環境問題に取り組む市民団体への呼びかけ、BE-PALをはじめアウトドアー雑誌への意見広告掲載など、より幅広く運動の輪を広げる取り組みが行われた。新しい著名運動も追求された。
また、ブラジル環境サミットなどを通じて、世界の環境保護運動との連携も追求され、アメリカNGO「地球の友」創立者、シエラクラップ理事のデビット・プラウアー氏など世界の環境団体代表も10・4への参加が行われることになった。
集会前日の10月3日には、地元長島町で、日本環境会議主催の「国際河川環境会議」(インターナショナル・リバー・ミーチング)が開催され、デビット・プラウアー氏、フランス、ロワール川のダム建設反対運動家などが参加し、会場200名予定のところに350名余が参加し、河口堰の問題点を明らかにした。
●建設省 必死の妨害
こうした様々な準備段階を経て、10・4を迎えるわけだが、建設省・水資源公団も必死の対抗手段を取ってきた。その1は、通常10月下旬の工事再開を、10月1日に行うと建設省幹部が発表。説明では単なる工事矢板の工事であって、通年まずこの準備工事は10月1日に行っていると、弁解しているが、明らかに10・4を意識したもので、すでに着工したという印象を与えようとするもの
であった。
また、10・4に「官製レガッタ大会」を、集会会場のさらに上流域で行い、治水の歴史に学ぶと意義付けた。全国の大学ポート部に案内を出し、旅費まで出すという熱の入れよう。反対運動側も参加しないよう、逆オルグを行うなどして対抗した。テレビ報道は、上流で賛成の、下流で反対の取り組みと、反対運動の印象を薄めようとした。しかし、もちろん「官製運動」に盛り上がりもなく、現地は「世界行動DAY」一色という事になった。また、前夜祭の行われた河川敷への車乗り入れを禁するなど、執拗な妨害を行ってきたわけで、それだけ河口堰問題が政治問題化してきた証左でもあった。
●地元長島町の反対運動代表 大森さんハンスト突入
9月22日、社会党は建設省に対して、河口堰の一時建設中止を求めたが、建設省はその意志のないことを明らかにした。河口堰建設反対運動の最先端である現地長島町、桑名市、郡上八幡など流域反対住民の中から、建設を絶対させないために「ハンスト」も辞さず、との意志表明は8月段階から行われていたが、実行委員会では、ハンスト戦術の是非については必ずしも一致してはいなかった。しかし、現地の危機感を反映して、最終的には実行委員会としても現地の固い意志を確認し、10月1日より、長島町の大森さんがハンストに突入する。要求は「建設省は反対派市民団体との話し合いに応ぜよ」ということになった。自治労医師団も結成され、10・4終了後は、5日から建設省前の座りこみも準備されていた。
●10月3日 ナイトミーテンクに3000名
3日夜、「河口堰・早く止めナイト」が、長良川背割堤で行われた。これは運動への関心と世論の広がりを示した。昨年4月現地行動として「NAGARAGAWA DAY」が開催された時、ナイト・ミーテングは300名ほどのカヌーイストの集会であったが、今回は、その10倍の3000人規模の大集会となった。私は、前記の建設省の妨害と大量の参加者の自動車があふれたため、参加するには4kmを歩かないといけないとあって、参加を断念したので、詳しい内容はわからない。椎名 誠さんや野田知佑さんなどの運動へのアピールと明日の行動の注意などがおこなわれたようだ。
●盛り上がる世界行動DAY1万人以上が参加
(以下は現地リポート)
我々は、準備万端で3日午後4時大阪を出発。途中資材を積み込み、午後8時30分には、前夜祭会場付近まで到着した。ところが、実行委員会が通行規制。キャンプ地である長良川河川敷への車乗り入れを、建設省は許可せず、数百台の参加車が路上に延々4キロに渡り、駐車したため、実行委員会が乗り入れ規制したためであった。
そこで、速く離れた駐車場でテントをはり、一夜を明かす。北海道からきたという、ドラムカンカヌー(?)参加者の夫婦と深夜4時まで、話が弾んだ。
当日は、11時からのメイン集会(約6000名)に。会場は自治労東海地連、はじめ全国から1000名が組織参加。参加、野田、准名さんの激を聞いてから、一路カヌーデモの準備にむかった。
ここまでは、これが10月かというほどの著さ。我々四艇のカヌー出発のころから曇り始め、風と強い潮流との闘いが始まった。午後2時には、河口堰建設現場近くの伊勢大橋周辺には様々なカヌーが数え切れないほど終結、(3000艇との報道もある)3時のアピール行動を待った。
午後3時、集会参加のデモ隊が伊勢大橋に到着、総勢10000名の陸上、水上部隊が、一斉に「長良川河口堰」建設反対の大爆発。花火もあがる。建設反対のシュプレヒコールが河口堰を包む。下流からは大漁旗を掲げた赤須賀漁協のしじみ船16隻も合流。野田、准名、近藤さんも水上からアピール。アメリカ最大の自然保護NGO「地球の友」代表のデビット・バウアーさんも水上から「SAVE THE RIVERJ「SAVE NAGARA」と声をあげる。伊勢大橋欄干では「WAVE」。10m下に飛び込むパホーマンスも十名くらいが続々と。抗議行動は延々続き午後4時には終了した。
(これらの模様は、マスコミによってかなり取り上げられている)
●建設省との直接話し合いを求めて
反対する会は、10・4集会の盛り上がりと現地でのハンストを背景に、建設省との直接話し合いを求めて、10月5日建設省に向かう。
建設省側は一定話し合いに応ずるかのごとく、反対する会の代表4名との会談を行った。建設省側は「河口堰建設への疑問があるというのなら、質問に応える用意はある。中止云々という内容なら応じられない。反対住民と建設大臣との直接会談はできない」という姿勢であった。反対する会は、建設省側も例え前提付きとは言え、話し合いに応じざるを得なくさせたことを評価しつつ、窓口を開かせておくことを重視し、対応した。
しかし、現地長島町では、大森さんに加えて反対する会事務局長の天野さんも含めて8名がハンストに入り、大森さんはすでに10日のハンストとなっており、一定の判断が求められている。
●あいまいな社会党の対応
反対運動に協力的な社会党であるが、党の声明などでいまだ態度を明かにしていない。特に、10月中旬に社会党岐阜県本部の大会で、河口堰推進派の現知事を推薦する動きもあり、社会党建設族などが河口堰問題にブレーキをかけているわけである。
社会党は、直ちに「長良川河口堰建設反対」の党決定を行い、政府・国会対策、建設省対策を行わないと、反対運動との関係は、複雑なものになり兼ねない情勢にある。
また、河口堰建設にかかる地方負担がさらに増大することも明かになっており、すでに根拠を失った公共工事をこれ以上続けきせることは断じて許されない。建設工事の結末は、長良川とその生態系を破壊し、流域住民の生活を破壊することが明かなのだから。
●10月9日 反対する会建設省に抗議行動
話し合いを追及しつつ、煮えきらない建設省の対応に抗議する緊急行動が10月9日建設省前で全国から50名余が参加して行われた。反対する会は、「建設大臣は反対運動と話し合いに応じよ」と追ったが、建設省の態度に大きな変化は見られない。しかし、建設省の河川局の担当官が抗議行動に直接対応するなど、力関係は世論を形成しつつある反対する運動側に傾きつつあると考えられる。(私は参加出来なかったので、東京の仲間に参加してもらいました)
10月10日には、対応策を協議する10・4全国実行委員会が開催されるが、今まだこの情報は入っていない。
今刻々と、河口堰を巡る運動は、頂点に近付きつつあるように思う。建設が是か否か、反対運動はどうこの頂 点を闘い抜くのか。こうして長良川の自然を守る運動は、緊迫した状況を迎えている。
※ この記事の校正の時点で、ハンストに入っていた大森さんが10月11日午後2時35分、緊急入院との情報が入った。細菌性肺炎、飢敗状態という診断。社会党見解は今だ出ていない。反対運動側は社会党への早期に見解を出すよう働きかけをしている。(92-10-11H・S)
【出典】 青年の旗 No.180 1992年10月15日