【報告】91フォーラム関西(第2回)開催
91フォーラム関西・第2回が去る5月日に開催された。より具体的な内容を扱っていくということで、「社会主義・その根源を問い直す-PART2」をメインテーマとし、「ソ連邦の現状と課題」「イタリア共産党から左翼民主党へ」「私にとっての社会主義とは」という3つのテーマで、4名の方から問題提起を受けた。
はじめに、阪大の藤本和貴夫さんから「ソ連邦の現状と課題」と題した報告があった。
★危機的なソ連経済
ソ連統計国家委員会発表によると、90年に、対前年比国民総生産が初めてマイナスを記録した(-2%)。91年の1~3月期の対前年比国民総生産も-8%という数字を示し、非常な勢いで経済が悪化している。インフレも30~40%ぐらい上昇しており、4月に値上げが発表されると、急カーブで買いだめが進んだ。保存が効くものでせいぜい3カ月くらいと言われており、買いだめの商品が底をつく夏以降に、さらにインフレが拡人していくものと思われる。
★政治勢力の3極分化
90年の4月から5月にかけて、ロシア共和国でエリツィン最高会議議長が、モスクワでポポフ市民が、そしてレニングラードではサブチヤーク市長が、というように、それぞれ急進派が、大都市において大衆の支持で権力の座についた。
また6月には、ロシア共和国最高会議議長をエリツィンと闘って敗れた、保守派のポロスコフを第一書記とするロシア共産党が創立された。12月の第4回人民代議員大会では、共和国と連邦の関係をめぐり、「主権ソビエト共和国連邦」という急進的改革派の路線が否定された。その結果、ゴルバチョフは保守派に足を乗せたと言われている。
9月に、ロシア共和国最高会議はシヤターリンの「500日計画」を採択したが、10月にソ連邦最高会議は別の案を出した。つまり、こうした政治勢力の3極分化のなかで、どちらの案も実施できない状態となっている。
ベレストロイカの進展にともない、所有法の制定や情報公開の問題は一定の前進を見せているにもかかわらず、経済は危機的な状態となっている。市場経済の導入に反対する勢力は、保守派も含めてほとんど存在せず、ゴルバチョフとエリツィンが手をつなぎ、経済政策を統一することが求められる。そういった意味で91年4月に行われた、ゴルバチョフ大統領とエリツィンをはじめとする9共和国指導者による「新連邦条約の早期締結と経済危機脱出の共同行動で一致」との共同声明は注目に値する。緊急経政策がうまくいくかどうかが、当面の重要な課題である。
★党と国家の分離
続いて、原則的諸問題として、いくつかの問題が提起された。
社会主義国、特にソ連では、党と国家が癒着し、国家の中に批判勢力がない。その結果、様々な弊害が生まれている。ロシア革命当時は一党独裁ではなく、内戦の過程で他の政党が消滅していったという特殊事情が歪曲された。党と国家を分離し、批判勢力を認めることで社会が活性化していく。
★所有制の問題
社会的所有は平等を保障したのだろうか。国有では誰も費任を持たないというのが現実であり、国有にしがみつけば打開はないというのが一致した見解である。私的所有とはいえない市民的所有は認められるのではないか。またどこまでを市民的所有というのかという議論が行われている。そしてそれに関連して、所有よりも運営の問題ではないかという議論も巻き起こっている。
★軍事問題の公然化
軍事問題は国家機密の問題となっていたが、89年から公開されるようになった。総予算中の軍事費の占める割合は、91年は、対前年比+36%となっており、軍事予算が高すぎるという指摘がなされている。
現在、徴兵は各共和国が行っており、共和国の独立・連邦の解体に関して、軍は非常な危機感を抱いている。改革派は、志願兵制や軍の編成の地域的原則の導入の問題を提起している。また軍と党の分離についても議論が起こっている。
さらに、民族主義間対立と連邦・共和国間の対立の激化の問題についても問題提起があった。
続いて、中央大学の片桐薫さんから、「イタリア共産党から左翼民主党へ」と還する報告を受けた。
★ソ連l東欧の激動とイタリア共産党の苦悩の選択
91年2月の第20回党大会において、イタリア共産党は党名を左翼民主党に変更し、路線も変えた。反対の代議員は、約1割であった。
87年6月の総選挙後に、共産党の看板を外したいとの意見も出されたが、89年4月の党大会では、栄光ある党名をなぜ変えなければならないのかとする書記長の発言は、満場の拍手を浴びた。
しかしながら、89年秋以降の東欧の激動、とりわけベルリンの壁の崩壊は事態を一変させた。スターリン批判が巻き起こっていた時代に、イタリア共産党は党員が2割も減少し、1年くらい政党としての機能がマヒしたと言われている。そして、今回の事態も対岸の火事とはとらえず、イタリア共産党がこれまで主張してきた民主主義と社会主義が問われているのであり、自分たちの存立そのものが問われていると受け止めたのである。
★閉鎖的なビラミッド体系の政党の崩壊
これまでと異なる党のイメージが模索されているのであるが、単一化・統一化という従来の閉鎖的なビラミッド型の組織形態は音を立てて崩れていっているのが、現状ではないだろうか。
ハイテクの時代、ボーダーレスの時代を迎え、重厚長大の時代の大工場組織から学んだ組織形態は時代遅れのものとなる。さらに、不断に遠心的・分散的傾向の攻撃にさらされている。単一政党による統一行動は困難となり、伝統的な中間政党は没落するのみである。
★新しい可能性の追求を
したがって現在は不安定的傾向は避けられないが、分散性を容認しなければ組織を維持できない時代となっている。
パートタイマー的政治関与をも包含するような簡易な組織。そして合意と協力に基づく、多文化で多民族なモザイク模様の新しい組織をめざさなければならない。
新しい時代に対応しうる新しいコミュニケーション、言葉、運動スタイル、求心性を探っていくこと。つまり新しい政治土壌、新しい文化を作り上げていくことが求められている。「分析や批判の能力は優れているが、創造力はない」という旧来の左翼の欠点の克服が大切である。
最後に、「私にとっての社会主義とは」と題して、2名の青年代表から報告を受けた。
★人権を認めあって開かれた論争を
Ⅰさんからは、行革や臨教審の闘いにみられるように、保守の側が現状の変革を訴え、革新と言われる側は現状の擁護しかできなかったように、今日、何が保守で、何が革新かということは、これまでの物差しでは計れない。
現状肯定の流れに徹底してつきあい、どうしても否定しなければならないものがあれば、それを究明し、何故に生まれるのか、自らのぎりぎりの力量で突き詰めることが大切である。
そのためにも、検討課題にタブーを設けることなく、自らの問題意識を公開し、世の中の批評にさらす。人権を認めあって開かれた論争、相互批判を知的に行うことこそトレンデイーだ、という問題提起があった。
★異なった意見の存在を認めた、共同の建設者としての考え方
Uさんからは、現実の社会主義には、党と国家の分離や複数政党制など、社会発展を健全なものとするための、人民のチェック機能である民主主義諸制度がなかった。
そして、日本のコミュニストの反省として、日常的な活動として広範な大衆運動の組織より、党的運動を優先してきたこと。唯一前衛党論や民主集中制にみられるように、異なった意見・立場の存在を認め合い、なおかつ共同の建設者として考える統一戦線的思考が根付かなかったことを挙げ、ベレストロイカから学ぶべきとした。
また、日本における民主主義闘争の課題として、即、政権論議ではなく、自民党政府をしてもとらざるを得ない政策と運動を提起すること。そして、統一地方選挙における社会党総評型候補の敗北にみられるように、縦型の運動形態ではなく、様々な個別の闘い、取り組みをつなぐ横型の運動形態の追求が課題となっているとの問題提起を受けた。その後参加者から、フォーラムの名にふさわしい活発な意見交換、討論が行われ、今後も自由な討論を保障していくために、このフォーラムを維持していくことを確認した。
(文責 大阪 T.0)
【出典】 青年の旗 No.164 1991年6月15日