【投稿】 日本社会党はどこへいく

【投稿】 日本社会党はどこへいく

<社会党再建論議の行方をうらなう>
4月の統一地方選挙で敗北した社会党は、執行部責任の追及から「解党的出直し」論議へと発展し、プロ野球の阪神タイガースを思わせるような弱体ぶりをさらけだしている。このような伝統の党内論争が影響してか、社会党支持率は、土井委員長就任後最低の17%まで低下し(朝日新聞6月12日朝刊)、国民が社会党改革の前途に対して厳しい見方を持っていることを窺わせた。

<土井委員長の去就が分かれ目>
今回の社会党の改革論議を特徴付けるものは、何と言っても冷戦の終結とソ連東欧の社会主義国の資本主義的な混合経済体制への揺り戻しともいえる大転換等々の国際情勢の大きな激動の中で行われていることである。すでに社会党は「日本は今や社会主義革命前夜である。」として革命路線を中だした66年の「日本における社会主義への道」を86年の第50回大会によって歴史的文書に格下げして、政権をめざす現実路線へと踏み出し「ニュー社会党」へと生まれ変わろうとした。この時採択された新綱領「愛と知と力による創造」は、いわいる「新宣言」として広く国民に党の路線転換を訴えかけ、社会党の政権への道が開けつつあるように見えた。しかし、89年の参議院選挙と昨年の総選挙までは、自民党の相次ぐエラーによる得点を稼いだ社会党は、党の主体的力量が試された4月の統一自治体選挙で大きな敗北を喫したことによって、自らの非力さを思い知らされることになった。
すなわち、86年9月の土井委員長就任以来の新体制下で、帽広い国民の支持を得るチャンスを充分生かしてこなかったということが証明される結果となったのである。
参議院選挙で消費税の廃止を訴えて2千万人の支持を得た後、「廃止」どころか「凍結」も「見直し」も出来なかった社会党の無責任な対応、そしてそれに輪をかけた都知事選挙での候補者選考のもたつきは、国民の中に社会党の「政権担当能力に対する懸念」と生活保守主義に根ざす「大きな変革に対する不安」をますますふくらませた。社会党は、自民党の対抗勢力として真の意味で「野党」といえる存在ではないという審判を国民が下したと考えなければならない。
このような見方から社会党内での議論は、土井委員長の擁護か、辞任かという形をとりながら、自民党との大連立をめざした大胆な現実路線への転換か、反自民の路線の堅持かという内実を含んで展開されていると考えられる。6月20日の改革案取りまとめ一中央執行委員会決定一幹部総辞職一委員長公選-7月30,31日臨時大会というスケジュールは主流派である水曜会(右派)の思い描く右派派主導の指導部体制づくりのケースであるが、そう簡単にはことが運びそうにない(6月18日現在の時点では、まだ改革案が発表されていない。この原稿が日の目をみるころには臨時大会の議案書も明らかになり、土井委月長の続投問題にも決着がついているかもしれない)。
6月上旬に全国各地で行われた「社会党改革のための国民公聴会」では、自衛隊合憲論に対する厳しい批判と土井委員長支持の発言が多かったが、真剣に政権獲得を考える右派にとって、土井委員長は目の上の瘤となっている。近年の新聞各社の世論調査が示すように、社会党の政権担当能力への不安が、自民党への消極支持となっていることは明かであり、社会党単独政権や野党連合政権よりもまず自社大連立による政権獲得への地ならしが必要である。「だめなものは、だめ。」という土井委員長の護憲一点ばりの姿勢では、大連立は夢のまた夢である。

<政権獲得への意思と能力を示せるか>
プロ野球が勝つこと=優勝が使命であるように、政治は政権獲得による官僚機構への牽制と民主的諸権利の獲得が使命である。一部プロ野球ファンで、ジャイアンツに勝つことだけが球団の使命であるかのように考えている人がいるが、こういうファンが結果的にはチームを弱くしていることに全く気がついていない。土井委員長をやめさすことは、監督の首のすげ替えばかりしている某球団と変わらないという意見がある。しかし、球団を強くするためには、現場の費任者の更迭を行うべき時もある。問題はいかにチームを強くするかという”原点”に帰ることである。それは、プロ野球では、球団経営の問題である。他球団に負けない資本投下と優れた人材確保が、優勝のための必要条件である。政党にとっては、自民党に負けない資金力と帽広い人材の確保が、政権獲得のための必要条件となっている。
社会主義の理想を追い求めてきた私達は、ソ連・東欧の激変を見て、一度手段を誤ったときには、大変な誤りを侵すということを学んだ。社会主義の崩壊というよりも、民主主義の手段・方法のあり方を学んだように思う。意見の多様性を認め合い、立場の相違を認め合い、選挙による政権の交替という緊張感のある政治というものが、民主主義の基礎とならなければならない。自民党の半世紀近い一党独裁は、選挙制度の歪みを放置しているとはいえ、「選挙」という国民の審判を何度も経ながら続いてきたことを野党第一党である社会党は、深刻に反省すべきである。まさに「理想」と「護憲」という戦後政治の遺産で食いつないできた社会党も、新しい世界情勢に基づいた新しい出発が必要となっている。

<世界に通用する“理念”のある政治を>
今大きな争点となっている日米安保容認・自衛隊合憲論については、憲法に違反するかどうかという法解釈論争ではなく、デタントの世界にあって日本に必要な安全保障は何か、必要な自衛力は何か、国連に対する日本の貢献献のあり方等々の本質的な議論を展開すべきであり、国民の理解が得られる安全保障と世界への頁献のビジョンを明らかにすべきである。東西の冷戦とソ連を敵国とする日米安保の否定から「非武装・中立」を掲げてきた社会党の「平和を守る政党」としての役割だけでは、国民の過半数の支持を得られないことを認識すべきである。
55体制が始まったとき、世界のGNPの3分の1はアメリカであり、日本は、僅か2%に過ぎなかった。そして今日アメリカと並ぶ巨大パワーとなった日本のGNPは、世界の6分の1を占めるに至った。
世界は、日本の金だけを期待しているのではなく、世界の平和と安定、南北問題や地球環境に対する貢献等々の積極的な役割を期待している。これに応えることができる地球サイズの哲学をもった政党こそが生き残れるのである。すでにボーダーレス社会を生き抜き、世界を股に掛けて、巨大な利潤を蓄積している日本企業も、経営こ対する“理念”“哲学”を世界中で求められ、苦悩しつつある。日本の政治の理念不在状況に対する不満の声が、企業経営者からも起こってきている。まさに「民主主義」「人権」「自由」等々の世界に通じる理念の不在が、国民の政治に対する不満の大きな底流となっているのではないだろうか。
憲法を世界に誇ることも大変結構なことではあるが、肝心の行動が伴っていないことが社会党への不満となっている。社会党こそ、この憲法の精神とする人類への貢献の先頭に立って汗を流すべき政党である。社会党が、その基本的な戦略と世界に通用する政治理念を明確にするならば、一時的な自社大連立などは、戦術にしか過ぎないことを国民は理解し、かえって大きな支持を与える結果となるだろう。
<追記>
社会党は、6月20日の中執委で自衛隊や安保を事実上容認する党改革案を
了承したのに続き、24日には土井委員長が正式に辞意を表明し、7月30,31日の臨時大会での執行部の総辞職=新体制発足という運びとなった。委員長を5年ぶりに選挙により決定することになるが、田辺副委員長の優位は動かない。新委員長のもとで現実路線を推進する人材面、政策面共に中途半端で旧態依然としたイメージを簡単に拭いきれないのではないか。現時点では、社会党と生活者としての市民との距離がまだ遠のいたような印象を与えている。国際情勢の大きな変化を十分党内で議論し、ボーダーレスの時代を先取りする政策提起を行うと共に、思い切った若手の登用を伴う人事や組織改革によって、連合政治部になりきる政策と市民と共に政治を改革する方針をできるだけ早い時期に具体化できるかどうか、来年の参議院選挙での国民の支持獲得の鍵を握るのではないだろうか。(7月9日大阪:M)

【出典】 青年の旗 No.165 1991年7月15日

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