【投稿】ソ連でのクーデター失敗とベレストロイカ

【投稿】ソ連でのクーデター失敗とベレストロイカ そして日本社会を考える。

●FMラジオニュースは伝えた。
「ゴルバチョフ大統領は病気療養のため大統領職を退き・・・・・・」この瞬間、私はイヤな予感がはしった。
「とうとう来るべきものが来た」と。ゴルバチョフが共産党保守派の力を借りながら事態を打開しようとしたときからこうした考えがあった。しかし、事態はこの予想どおりの方向には簡単に進まず、逆にクーデターは失敗。そしてゴルバチョフは書記長として辞任、しかもソ連共産党の解散を提起するという意外な結末へと急転していった。
このクーデターの幕切れをベレストロイカの成果として素直には喜べない「気持ち」があった。それはやはりベレストロイカを自ら推進してきた共産党が、結局そのこと(ベレストロイカ)を否定することへと突き進んだことへの悲観であったろう。共産党への一種の期待感がまだ私の中にはあったのだろう。
●わたしは社会主義思想はこれから再びまた新しい時代の命を育み登場してくると期待するし、自分もまたすくなからずそのために生きたいと思っている。また現に様々な社会主義的な試みが実践されていることを忘れてはならないだろう。
1917年にはじまった社会主義革命、その政治・経済・理論・思想は歴史に耐える展開をみせることができなかった。とりわけ70年代、そして80年代は資本主義の発展に比べ明らかに生命力のない体制へと社会主義は転化していった。そしてベレストロイカによって再び生命力を得ようという試みが開始された。それは理論的・思想的にもまだあきらかに十分説明のいくものではなかったが、改革は開始された。
わたしはこの間のソ連と東欧の一連の事態から「これらの社会主義が全く意味のないものであった」ということには反対である。確かに日本共産党が主張するよう「覇権主義・大国主義」的な要素はあったにせよ、歴史的にこれらの国々が民族鮒放や平等思想の発展に果たした役割は大きいし、一時代であったとはいえ社会主義であった。
ベレストロイカは社会主義が「平等・公正・連帯」を再生させるための活動であろう。しかし、今はその誤りをもっと大胆に的確に示さなければならないであろう。それが今を生きる我々の役割でもあるのだ。いくら「覇権主義と大国主義の破産」とレッテル貼りをし、その現象を歴史的に糾弾しても、余り意味はない。むしろ今は、社会主義とは何なのか?その経済システムはどうあるべきか?政治システムはどうあるべきか?それにむかっていかに変革していくのか?等などについて我々自身深く探求することが大事だろう。
「ソ連はかわいそう」などと「同情的」な宣伝もあるが、果たして日本は平等で公正で民主主義的な国なのだろうかと思う。
●最近のこうした事態をみるにつけ日本の社会状況も非常によく似ているのではないかと思う。中央集権的な国家、政党と行政・財界の癒着、企業社会という言柴に代表される単一的な生活・労働様式、市民的自治的柄動の不在、などはこの日本でも同様である。極端に違うのは日本では消費主義的な物的充足欲が満たされているだけである。
こうした社会の中で本当に左翼翼や労働運動をはじめとする民主運動が社会的正義、公正、助け合いなどの精神を現実の生活として具現する、運動の中に取り戻していくことをやらないとソ連共産党と同じではないかと。
●たとえばちょっとした例をあげてみよう。
私の子供の共同保育園の同級に、両親が二人とも公務員の方がいる。この二人の勤め先の行政区では産休明け保育を早くから実施しているが、人の住んでいる行政区ではまだやっていないため、子供は共同保育園である。(ちなみに公立保育園ではだいたい月額2万から3万円であるが、共同保育園では区の補助があっても月額約6万<購買活動資金を入れて>にも通する)二人とも活動家ではないが労働組合員であり、私と同じ団地に住み、同じ様な生活をしている。だが、この二人の「どうして共同保育園に預けなければならないの」という疑問に労働組合はまるでタッチしていないし、またそのようなところではないという意識がある。これはどの様に解決すべきだろうか?
また先日、朝のNHK「経済ジャーナル」でレポートされていたが、厚生年金、国民年金などは積立はするものの、毎年その保険者に対して積立額や将来の年金給付額などの報告は一切ない。一般の人には退職間近や実際に死亡したりした場合にはじめてその給付額が分かるのである。往々にして積立額よりも給付額が少ないという事態が判明する。こんなことは民間保険でもないことであり、国家がやることとはいえ、あまりにずさんな制度である。みんな気づいたときには泣き寝入りという奴だ。現行制度をどの様に改革すべきだろうか?
このように労災や健保などを含め基本的なところで日本社会は戦後のままではないかと思う。
ソ連共産党の崩壊はけして対岸の火事ではなく、われわれが活動する労働組合や民主運動そのものの問題として討議を深めたい。(東京 R・Ⅰ)

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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