【活動報告】いきいきプロジ工クトが動きはじめました
■ はじめに
私は労青に入って4年になりますが、私が労働青年同盟に入って感じたことは、労働青年同盟の活動(政治同盟としての活動はもちろん、労働青年同盟の指導する大衆組織の活動も含めて)と若い同盟員の問題音識に大きなギャップがあるのではないだろうかということです。東京の若い同盟員のほとんどは民主主義学生同盟出身ですから、みんな、なんらかの形で運動したいとは思っているわけです。しかし、労働青年同盟の活動と自分の問題意識がなかなか噛みあわない。次第に労働青年同盟の活動がつまらなくなり、他の用事をさしおいてまで会議に行こうとは思わなくなってしまう。そして、組織を次第に離れていく。という悪循環が繰り返えされていたように思います。
その一方で、青年の意識はと言えば、どんどん運動の基盤を拡大するような方向へ変化していったわけです。全地球的な規模での環境問題が叫ばれ、多くの若者がフロンガスの使用をやめ、割り箸を箸箱に持ちかえ、自分の生活の場で様々な行動を始めました。ベレストロイカが始まり、東欧の激変が起こる中で、多くの若者が自らの生き方を模索し始めました。「自立」「自己実現」というテーマが若者の大きな関心となっていったのです。
そのような状況を見つめ、私が思ったことは、青年の意識がますます運動の基盤を拡大していくような方向へ進んでいるにも関わらず、労働青年同盟の若い同盟員はどんどん組織から離れ、労働青年同盟自身が青年の意識の変化にまったく対応できないのは何故なんだろうか。この問題に着手しなければ、労働青年同盟の未来がないばかりか、日本で新しい運動を構築することは不可能なのではないだろうかということです。
このような問題意識から「青年いきいきプロジェクト」を開催することになりました。原則として20代の同盟員が集まり、あまり労働青年同盟の枠にとらわれず、考えていることを言い合おうということで、月に一回のペースで会議を行っています。いままでに4回会議を行いました。最初の1・2回は、各同盟員の問題意識・職場で抱えている問題・最近考えていること等をみんなで出しあい。三回目からは、各自の問題意識を出し合おうということで一回につき二人づつ発表しています。
■ 90年代の新都市型青年団活動
第三回目に出された提起で論議になったのは、「90年代の新都市型青年団活動」です。すこし、この考え方を紹介します。
「・・・…さて、そんな訳でこの『いきいきプロ』が組織しようとする都会の若者たち。この現状についてちょっと分析してみましょう。もちろん我々自身も含めてである。『経済大国』日本で暮らしながら、経済的豊かさを表面上は享受しながらも、本当のゆとり、精神的豊かさ、人間関係の豊かさを実感できることは少ない。きずいているのかいないのか、様々な不安が生活を取り巻いている。このままじゃいけないと思うこともあるけれど、支えになるものが、はっきりあるわけでもなく、今日と変わらない明日が過ぎていく。
そして身近かに(職場、仕事以外で)、出会いや自己実現の機会や揚がない!ということで、会社人間になってしまったり、幸福の科学にはいってしまったりしてしまうのでしょうか?ま、それはともかく、我々はその中でも矛盾の集中している層を組織対象(と、いうよりユーザー)として設定する。例えば、北OLに対する何OLであり(朝日ジャーナル参照)、‥・…みたいなイメージが描けるが、別に限定するという意味ではない。
ポイントは、ユーザーを具体的にイメージしつつ、我々の理念に基づいた出会いや自己実現の機会や場を提供できるか?ということであり、我々のネットワークの情報か企画力が問われる。
では具体的になにをやるのか?実は何でもいい。おっと、そう言ってはみもふたもない。でも、カタチとしてはそうなのだ。ただし、ただ遊ぶだけなら下手をすると(しなくても)、カタギの方々の方が得意な訳で、要は、我々のネットワークを駆使してなるべく安価に、ゆとりを持って提供することであろう。
(1)「明るいマジ」=ささやかなオルタナティブの提案
我々なりの付加価値を+(プラス)すると言うことは、①で述べた理念(市場経済システムの上での、安定した経済成長と、社会福祉、環境(自然)保護の両立)を企画の中に具体化するということであり、それは、だからといって、大上段にかまえて能書きを垂れるということよりは、具体的な行動そのものとして、あるいはオルタナティプとして提案するということである。
例えば、前も言ったけれど、スキーだとすれば、自然を破壊してつくったゲレンデでやるスキーじゃなくて、クロスカントリースキーをやりましょう。と、いうようなことです。(中略)・‥・・・しかし、これらの活動は、日常的な生活を変えていくことにはつながっても、直接政治にアプローチするものではない。それは、「いきいきプロ」の性格上あたりまえで、それはそれでいいのだ。・・・‥・」(会議レジュメより)
この提起については、「新都市型青年団活動」という規定は別としても、「我々なりの付加価値をプラスする」という点には参加者全員が賛同しました。付加価値の中身までについては充分論議できませんでしたが、ようやく一つの方向性が見いだされた会議でした。
■我々側からの文化創造を
第四回目はパソコン通信に付いての提起を中心に論議が行われました。論議だけではよくわからないだろうということで、パソコン通信のデモまで行われました。デモについてはみんな感動していたようです。ネットでは社会問題からどうでもいい問題まで実に多くのテーマに付いて日本全国の人がまじめに、いいかげんに討論していました。
提起は、まず、「『企業』にどっぷり頂かり切った『賃金労働』と、それを維持する 『労働力の再生産行為』としての『レジャー』等のみが、生活の要素である。それ以外にも、大切なこと・楽しいことはいろいろ(ある。)……わたしたちの生活は、商品関係の中に存在している。カネさえだせば、なんでも?手に入る。レジャーや文化活動にしても、資本が用意してくれる数ある 『商品』の中から 『選択』すれば事足りる。しかし、それでは、…・・・生活の『質』は変わらない。だから、『人間的なつながり』『個としての自立』『自由な諸個人の連合』等々は実現できない。そういったものは自ら(あるいは、共同で)『創造』していくことだ。」という問題意識が提起され、その後、「①コミニュケーションの場。②自己実現の場。③時前のネットワーク。④『技術』を市民にとりもどすために」という四つのパソコン通信の意義が語られました。
これについては、商業ベースにのった「文化」をただ一方的に享受するだけでなく、自ら創造することの重要性が語られました。そして、「映画を最近よく見ている。雑誌『ぴあ』を始め、様々なものがあるが、大きく宣伝しているものは資本力のある映画等で、見ると 『なんだ、こんなもんなの』という感じになるものが多すぎる。現在の情報というのは、そのほとんどが与えるものという一方通行のものになっている。我々の側の評価をはじめ、討議できる場や宣伝等のミニコミ誌の存在意義は大きいと思う。」という意見も出され、パソコン通信に限らず、我々の側からメディアを、文化を創造していこうと
いうことになりました。
また、ひとりの発言者からも「我々が共有している(はずの)価値アンテナで、人類の進歩に役立つ文化情報をキャッチし合って、世間様に紹介する文化情報誌を発行する。身近なところから、ささやかな価値を創造する、ということでしょうか。」という報告がありました。
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「いきいきプロ」はまだ始まったばかりですが、回を重ねるごとに同盟員の問題意識が明らかになり、同時に、運動のキーワードも見つかりつつあります。現在までのキーワードは「我々なりの付加価値を付与すること」「我々の側から文化を創造すること」の二つです。また、会議の報告書は参加者の輪番制にし順番に報告書を書き、集団的な運営と主体的な参加を追求しています。なんと、今までは、次の会議の前までには報告書が出来上がり、都委員会通信に掲載するか直接発送するという体制が実現しています。
以降、更に討論を続け、春の総会ぐらいにはそれまでに出されたキーワードをまとめ、一定の方向性を出したいと思っています。ぜひ、みんさんの意見をお寄せください。特に、大阪の20代の同盟員の方の意見が聞ければ幸です。よろしくお願いします。 (東京 N)
【出典】 青年の旗 No.170 1991年12月15日