<<「望外の支援」>>
7/5、昨日投開票の東京都知事選で、小池百合子氏は、「366万票という望外の支援を頂いた」と述べている。結果は以下の通りである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 得票率
1.小池 百合子 3,661,371 59.70
2.宇都宮 健児 844,151 13.76
3.山本 太郎 657,277 10.72
4.小野 泰輔 612,530 9.99
確かに圧倒的大差である。小池氏の得票率は60%にも及ばんとしている。共同通信の出口調査によると、立憲民主党の支持層の31.6%、共産党支持層の18.4%が小池氏に投票していたという。小池氏に「望外の支援」を提供したのは、立憲民主党、共産党の支持層であるとも言えよう。宇都宮氏を支援した立憲、共産、社民党の基礎票は195万票(2014年、民主、共産、社民票の合計実績)である。宇都宮票は、その半分にも届いていないのである。基本的支持層の半分以上が小池氏や山本氏らに流れたのである。
なぜ、かくのごとき結果になったのであろうか。基本的政策や政治姿勢が問われるべきであるが、それは改めて論じることとして、とりあえず、野党共闘の問題が第一に指摘されるべきであろう。
まず、いい加減な野党共闘の実態が有権者に見透かされていたことが決定的と言えよう。
前回にも触れたことであるが、宇都宮氏は、野党共闘の合意のない段階で、「今回は、どういう候補が出てきても降りるつもりはない」「それ(山本氏が出馬しても立候補を断念しないこと)は、もう当然。(宇都宮氏以外の候補者で)野党共闘ができても、降りないわけだから」と、断言してしまっていたこと。これでは、ただ前回、直前になって立候補を断念したことへの「意趣返し」と受け取られても当然であろう。その配慮のなさによって、自らへの支持の拡がりをあらかじめ閉じ込めてしまった、本来獲得できる支持をさえ手放してしまった、というのは言い過ぎであろうか。
しかも、この時点で共産党は、すぐさま宇都宮支持を打ち出してしまった。いわば「野党共闘拒否宣言」をしてしまった宇都宮氏を、野党共闘を進めるために支持するという自己矛盾を棚上げにしてしまったのである。澤藤統一郎の憲法日記(2020年5月29日)に言わせれば、宇都宮氏の「フライング」に次ぐ、共産党の「フライング」であった。
次いで、立憲民主党、国民民主党側から、山本氏を統一候補として擁立しようとしたが、山本氏側からの消費税5%への減税政策が立憲側に受け入れられず、頓挫してしまい、山本氏は、「私単体でやった方がリーチできない人々にリーチできると思った」として独自立候補に踏み切った。
こうした経過の中で、宇都宮氏は、立憲民主党、共産党、社民党、新社会党、緑の党の支援を取り付けたが、それはあくまでも後付けであり、立てるべき有力な候補者を立てられなかった、やむを得ずの支援となってしまい、本来の野党共闘とは程遠いものとなってしまったと言えよう。
有権者はすでにこの時点で、野党は「この選挙捨てたな」、本気で知事選勝利に取り組んでいないなと判断したと言ってもいいであろう。
<<これでも「大健闘・共闘発展」なのか>>
ところが、7/6付け・しんぶん赤旗は、こんな野党側の大敗にもかかわらず、「宇都宮氏が大健闘 都知事選 市民・野党の共闘発展」の大見出しである。何度も繰り返されてきた光景ではあるが、ひとことの反省も、問題点の指摘も、今後への教訓もない。
志位委員長の談話は「勇気をもって出馬され、大健闘された宇都宮けんじさんに心からの敬意を申し上げます。」とまで述べている。
本来、政党としてあるべき、事態を冷静に見つめ、自己に厳しく評価し、誠実であるべき姿勢がまるで欠如しているのである。大敗の中でも、こんな野党共闘の前進がありました、というならまだしも、従来の基本的支持層の半分も獲得できていない現実とは無関係に、「市民と野党の共闘が、都知事選を通じても発展したことは、今後につながる大きな成果です。」「こうした共闘のたたかいのなかで連帯と信頼の絆が広がったことは、大きな財産です。」と、仲間内だけで通用する言い訳に終始しているのである。共産党支持層でさえ、18.4%もの人々が小池氏に投票していたという現実をどう見るのか、真剣に検討し、再出発に生かすべきであろう。
(生駒 敬)