【書評】『国境の医療者』
(NPO法人メータオ・クリニック支援の会編、2019.4発行、新泉社、1,900円+税)
2016年にアウンアンスーチーの国民民主同盟(NLD)が政権の座についたとはいえ、ミャンマー(ビルマ)における軍政は維持され、少数民族への迫害と民族間抗争は今もなお過酷さを増している。本書は、ミャンマー東部の少数民族の一つでタイに逃れてきたカレン人の難民や貧困のためミャンマーでは医療を受けられない人びとに対して必要な医療を提供し続けている「メータオ・クリニック」──タイ北西部、ミャンマーとの国境の町メソットに設置された診療所の記録である。
ミャンマーは人口のおよそ7割をビルマ系諸民族(ビルマ人)が占めているが、ほかに大きく7つの民族群が存在している。第2次世界大戦以前、英国はミャンマーを統治下に置き、カチン、チン、カレンなどの少数民族をキリスト教化して徴用し、多数派のビルマ人を支配させるという構造を作った。このため戦後、ミャンマーが独立すると政府は、ビルマ人・仏教徒を優遇し、特に1962年の軍事クーデター以来、少数民族を迫害する政策をとった。──ミャンマー西部、バングラデシュとの国境地帯にすむイスラム系の少数民族、ロヒンギャ人に対する迫害も国際的に大きな問題となっていることは周知の事柄であろう。
カレン人は、ミャンマー南東部にコートレイという自治区を作り、カレン民族解放軍(KNLA)が政府軍と戦ったが、1994年にカレン人中の仏教徒が組織したDKBA(カレン仏教徒軍)が分裂して政府側についたことで壊滅状態になり、抗争期間中に多数の難民が国境を越えてタイに逃れることとなった。この人びとに対してタイでは1984年に難民キャンプが設置され、タイ・ミャンマー国境には、九つの難民キャンプに10万人以上のミャンマー各民族が暮らしている。そして同じくタイに逃れてきた院長のシンシア・マウン医師らが1989年に設立したのがメータオ・クリニックである。
このメータオ・クリニックの医療活動を支援しようと2008年に設立されたのが「メータオ・クリニック支援の会」(JAM、現在はNPO法人)であり、10年にわたっての支援の内容は医療人材派遣・技術支援、院内感染予防・啓発活動、看護人材の育成等々多岐にわたる。また「移民学校の設備支援や文化交流活動など『医療だけでない支援の実現』をモットーにしており」、「『続けられる支援』を行っている」。
医療現場に派遣された歴代の派遣員/医師・看護師・保健師の方々の体験が綴られているのが本書であるが、諸民族間の相違・摩擦、衛生意識のレベルの違いなど次々と語られる。日本ではほとんど見られない皮下膿瘍(のうよう)の患者、陰茎再建術、中でも褥瘡(じょくそう、床ずれ)防止の患者ケアをはじめとする「看護」という概念がないという現実に直面して奮闘する姿が印象的である。そのそれぞれの場面は、本書を読まれたい。
そしてメータオ・クリニックとJAM の活動が、「社会から置き去りにされてきたコミュニティを、クリニック内にとどまらずコミュニティのレベルでも支えていくことに力を合わせて取り組み、これを拡大していく」方向を持ったことは、「現在、日本政府の開発途上国支援は経済的支援が中核となり、保健医療分野の海外支援も常に経済的な視点から考える」という傾向からみれば、「人間の安全保障」という点で評価できるとされる。
しかし現実には、メータオ・クリニックは民族間の複雑な背景を持っており、スタッフも、カレン人が約半数で、ビルマ人、そのほかの民族の人びとがおり、使われる言葉もカレン語やビルマ語その他とさまざまである。カレン人とビルマ人との間にある反発や偏見が、しばしば些細な揉め事を民族間の争いにこじれていくことになる。
そして「こうした民族間の争いが、軍事政権との戦いを複雑なものにしている。『ミャンマーを民主化したい』というかけ声は共通しているが、それぞれの所属コミュニティによってその意味は少しずつ異なり、互いに結束することはない。結果として、軍政はたくさんの小勢力を相手にすることで、その戦いを有利にしているのだ」と現実の状況を語る本書の指摘は的を射ている。
そしてさらに、ミャンマーの裏で働いている経済的諸力にも注目が注がれなければならないであろう。つい先日、2020年7月24日付の「日本経済新聞」は、「ミャンマーでLNG発電──丸紅など2000億円 日本勢巻き返しへ」という記事で、日本企業の同国への投資として最大級、ミャンマーの発電能力の約20%に相当する125万キロワットの液化天然ガス(LNG)発電所の計画を報じた。インフラ事業への投資が社会を発展させるという側面があるものの、他面ではこれが軍事政権を支えていく一翼になっていること、その底には、東南アジアでのインフラ事業に攻勢をかける中国に対する政略的動きがあることが明らかにされなければならない。
こうしたメータオ・クリニックを取り巻く複雑な状況の中での難民の患者や子どもたちの姿を心に留めて本書は語る。
「途上国を旅した人が、たとえ貧しくても子どもたちの元気で無邪気な笑顔に心を打たれた、というのをよく聞く。子どもたちはとにかくエネルギーを補給して使うのが宿命なんだろう。しかし、だから良かった、ではない。無邪気な笑顔は簡単に失われる。笑顔を向けられたということは、その笑顔を守る責任を託されたのだと思った。子供たちが元気なら元気なほど、それを守る大人の責任は重い」。至言である。(R)