【投稿】大阪都構想問題が問う民主主義
<「フェイク」と「すり替え」>
「大阪都構想」=「大阪市解体、特別区への移行」の住民投票は、賛否の十分な討議の機会も閉ざしたまま、コロナが未解決の中、実施されようとしている。大阪市解体は、一部の新自由主義者などを除けば、専門家、自治体関係者のほとんどが反対、危惧しているものだ。しかし、大阪維新の会は、フェイクで塗り固めた大量宣伝をする一方、“外部は黙っておれ”との松井市長の発言に典型的にみられるように、反対論をあらゆる手法を使って封じ込めてきた。
維新の論理は、『「広域行政を府に一元化し、二重行政を解消」すれば、「大阪経済は成長」し、「住民サービスは向上」する。そのためには「特別区にすることが必要」だ』。『大阪市を特別区に分割すれば、永久に二重行政が出来なくなり、かつ、住民に近い行政が実現する』。これだけに尽きる。
この大阪維新の会の宣伝はフェイクそのものだ。何故経済成長が可能なのかなどの理由についても、集中投資だからという以外の説明はないし、住民サービスについても、ただただ「低下しない」と言うだけである。
この推進論の論理的破綻は、反対論の中で明確に主張されているので、ここでは幾つかの論点を指摘するだけにしておく。
・広域行政一元化(=大規模投資)は、政令市存在下でも実現できる
・特別区制度となれば二重行政が解消しない。解消するとは財政貧困を意味するだけ
・広域行政の一元化は経済成長に直結しない。都市制度と経済成長の直接因果関係はない
・経済成長があったとしても、住民サービス向上につながらない
・特別区制は身近な行政の拡充にならない
・民間移管と大阪の自立は言語としても疑問。何を移管するのか。自立する大阪、とは
など。
マスコミはメリット、デメリットの対比が盛んだ。だが、ここには、注意すべきすり替えがある。
政令指定都市も特別区もが同じ基礎自治体である以上、日常の個々の市民サービスについて行うべきことは本質的に同じである。財政状況などで将来的には格差が生じる事務事業も、発足時の協定書では、現在と同一水準が可能なように見せることは容易い。推進派は、将来の不安を、「大丈夫だ」の一言で逃げている。将来の財政状況など誰にも分からないから、水掛け論にしてしまえるのだ。
つまり、マスコミは、メリット、デメリット論“だけ”を取り上げることによって、都構想の本質的な問題である「都市制度の在り方」については注意深くネグレクトしている。これにより、「日常の住民生活には変わりがないから、行政投資の効率化にメリットがあるという特別区移行が良い」と、市民意識を誘導しているのだ。
<「住民生活でなく、資本投資の論理」のための制度移行>
何故ここまでして、都構想を実現したいのだろうか。“大阪維新の会の一丁目一番地”や“松井維新代表の個人的メンツ”もあるだろうが、これが本質ではあるまい。大阪市解体で利益を得るのか。一般市民、住民ではないことは明確だ。
「広域行政一元化で利益を得る(大規模投資で利益を得る)」もの、言い換えれば、「将来、IRに反対するような大阪市長が出てきては困る」もの、すなわち大規模投資利権と、“上級”行政庁として権力を増したい大阪府などの合体勢力であろう。
基礎自治体が強いと、住民の直接コントロールがより強く働き、利権として動くのに面倒になる。従来、関経連が主張してきた道州制の導入論のケチケチ版ともみえる。(ただし、道州制は、「地方自治体の権限を吸い上げる制度設計」と、「国の権力を分散させる制度設計」で全く反対の意義を持つものとなることに注意)
この視点からの検討は、マスコミで全く消されている。
<大阪都構想推進は「民主主義」の問題>
大阪都構想の推進は、民主主義の問題であることに再度留意する必要がある。第一に進め方の問題として、第二に地方自治体の民主的制度の破壊へとつながるものとして。
第一に、進め方については、権力側による反対論の封殺、フェイクのバラマキ、マスコミ報道内容の支配、反対する政党の抱き込み(選挙、権力への抱き込みを利用して)、専門家、専門知の排除、本質関係のない“コロナを利用した吉村”人気利用、など。
こうした、手法を通じて住民の正常な判断を失わせているのであり、住民支配方の問題としてキッチリ分析、批判しておく必要があろう。
今、学術会議会員候補任命拒否問題、原子力廃棄物最終処分場問題が起きている。
学術会議問題は、権力による恣意的な専門知の排除の問題である。北海道の町村の原子力廃棄物最終処分地の文献調査の受け入れは、財政危機に瀕する基礎的地方自治体を調査費欲しさに応じさせたものであり、国が地方自治体を困窮させたうえで、札束で引っぱたき靡かせるという自治破壊である。これらとも共通する課題を、都構想の経過は示している。
第二に、政令指定都市から特別区になることは、住民自治、団体自治の破壊という面からの位置付けを強調しておかねばならない。
大阪市が特別区に4分割されることでは、基礎的自治体として、
〇権限では、都市計画などを失い、〇財源は、自主財源の多くの税を失い、財源調整制度で、都府から交付される、〇一部事務組合の多用による、151もの事務の権能を失い、〇議会議員の削減、〇自前の十分な庁舎さえ持てない、など、自治体としての、権限、財源、民主的コントロールの多くを失う。
これまでの戦後自治史は、いかに権限を、国、府県、市町村という階層の中で、いかに権限と財源をより住民に近い方に移すかという戦いの歴史であった。これが見事に、「上」に権限・財源が逆流することになるのだ。地方自治は3権分立に次ぐ第4の民主的権力分立と位置付けられてきた。それがものの見事に、大阪維新の会と公明党により引っ繰り返されるのだ。
すでに、大阪だけの問題でなく、全国20の政令指定都市の制度問題とする動きがあるとの報道もある。自治体問題は、従来の財政締め付け、利権誘導、曖昧な権限(新型コロナ問題をみよ)から一歩進めて、基礎自治体の制度そのものを弱体化しようというのだ。新自由主義者らは、常に先を走っている。
振り返れば、「大阪都構想」というネーミング自体が、一般市民に「大阪が東京都のように反映する」という誤解を与える、フェイク宣伝に利用された。こうした反省にも立ち、自治体問題を改めて、一連の政治経済動向の中で位置づける必要があるだろう
「昭和19年の東京都制導入」を教訓にせよ、となど言うと、「オオカミが来た」ということにもなるが、もはや、大阪市民だけの問題ではなく、また、自治体関係者だけの問題でもないという理解はしていただく必要がある。
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