【書評】『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』
(片山夏子著、2020年2月発行、朝日新聞出版、1,700円+税)
「福島第一では現在、一日4千人の作業員が働いている。廃炉までの道のりはまだ遠い。そして今この瞬間も、福島第一を何とか廃炉にしようとしている作業員がいる」。
本書の「あとがき」(2020年1月)に述べられているのは、現在もなお続いている福島第一原発の状況である。2011年3月11日に起こった福島第一原発事故は、あたかも収束したかのようにその報道がめっきり少なくなってしまった。しかし本書は、原発事故、それによる汚染、政府・東電による対策、廃炉決定という大きな流れの中にあって、事故直後から9年間にわたって、福島第一の現場で個々の作業員が様々な事情を背負いながら作業を続けてきた思いを届ける。
その大まかな流れは、本書の目次に象徴的に示されている。「1章 原発作業員になった理由・・・2011年」、「2章 作業員の被ばく隠し・・・2012年」、「3章 途方もない汚染水・・・2013年」、「4章 安全二の次、死傷事故多発・・・2014年」、「5章 作業員のがん発症と労災・・・2015年」、「6章 東電への支援額、天井しらず・・・2016年」、「7章 イチエフでトヨタ式コストダウン・・・2017年」、「8章 進まぬ作業員の被ばく調査・・・2018年」、「9章 終わらない『福島第一原発事故』・・・2019年」である。
この中で原発事故後の作業員たちの率直な声がある。
「もちろん、お金のために働いてきた部分もある。でも自分たちが関わったプラント(原発)で事故が起きた。申し訳ないという気持ちがあった」。「初めの頃は線量計も班で一つだけしか使えなかった。危機的な状況を回避するための作業に必死で、被ばくなんて気にしているどころじゃなかった。何とかして目の前の作業を終えようとした」(3章)。
「ここで生まれ育った人たちが故郷に戻れないのを目の当たりにして、原子力の世界で食ってきた人間として少なからず、責任があると感じている。将来病気になったとしても、自業自得だと思っている。今は事故を収束させなければという思いでいっぱいで、原発を推進したいか、脱原発なのかは考えられない」(同)。
しかし作業員の現場は過酷の一語に尽きる。2018年8月の話である(8章)。
「盆休み前も暑かったな!原子炉建屋周りのほか、タンクや水処理関係の作業は、重装備だからきつい。全面マスク、防護服、作業によってはさらにかっぱを着て、綿手袋にゴム手と何重にも重ねる。気温が32度でも、装備を着た分の体感温度を気温にプラス11度で計算するから、軽く40度を超える。汚染した地下水を増やさないように地面を覆ったアスファルトや、タンクの照り返しも強烈」。
そして末端の作業員は、「原発カースト」について語る。
「元請けに呼ばれると、下請けは馳せ参じる。下請けに所属する作業員は、現場で実際に作業をする、つまり田を耕す百姓。どんどん手当も日当も減り、(田畑を自ら所有しなかった)水?み百姓になっている。今は東電からの発注が少なくて、イチエフ全体の仕事が減って元請けや下請けも苦しい。仕事があるとき、必要とされたときに、そこに行く。そして、仕事が無いときは仕事を失う」(7章)。
こうした中、東電や政府は恣意的な言葉の言い換えを続けている。曰く「炉心溶融」→「炉心損傷」に、汚染水漏れ「事故」→原子量用語である「事象」に、建屋地下に溜まった高濃度「汚染水」→「滞留水」に言い換えられ、また「冷温停止」が不可能な状態でもあるにもかかわらず「冷温停止状態」という言葉が作り出された(2章)。
そしてその最たるものが東京五輪招致の最終プレゼンテーションでの、「おもてなし」や「状況はコントロールされている」という言葉である。イチエフをよく知る人は、これを「おもてむき(表向き)」「情報はコントロールされている」と皮肉るが、「それがすっかり仮設住宅にも定着しちゃって、じいちゃんやばあちゃんに『これは表向きの話?』とか『相変わらず、情報はコントロールされているの』と言われたりする。『いつまで汚染水漏れしてるんだい』と聞かれ、わからないと答えたら『俺のおむつ貸そうか』とも・・・」(3章)。笑うに笑えない話である。
しかしこの福島第一を訪れる見学者が年間約1万組。廃炉作業をしている現場に、毎日のように観光バスで入ることはあまり知られていない。本書はこう指摘する。
「訪れるのは、国やIAEAなどの国際機関、国内外の報道、県知事や町の幹部、それに地元の人たちなどで現在は年間2万人が見学に訪れている。(2019年)4月に安倍首相が、背広姿で、5年7ヶ月ぶりに福島第一の現場を訪れた記憶はまだ新しかった。見学バスや見学者が通るコースの道は除染されているが、道のすぐ脇が全面か半面マスクに防護服着なくてはならない『イエローゾーン』だったり放射線量が跳ね上がる場所があるというから、それで安全と言っていいのかと思う」(9章)。
さらに深刻なのは作業員たちをめぐる労働環境と補償の問題である。
「未曽有の原発事故が起き、作業員の被ばく線量は格段に上がったが、原発事故後の収束に関わった作業員の補償は何もない。2011年12月16日の事故収束宣言までの緊急作業に携わり、一定期間に50mSv(マイクロシーベルト)以上被ばくした場合、東電や国のがん検診が無料で受けられるものの、治療費は出ない。病気で働けなくなったとしても、生活費の補償もない。厚生労働省などによると、原発事故後、福島第一で働いていた作業員のうち24人ががんになったとして、労災を申請。白血病で3人、肺がんで1人、甲状腺がんで2人が労災認定された。6人は不支給がきまり、3人が請求を取り下げ、残る9人はまだ調査中だという」(9章)。
「また労災認定を発表するたびに厚労省が『被ばくとの因果関係が証明されたわけではない』と繰り返すように、事故前や他原発を含め、これまで原発作業員でがんになったとして裁判を起こし、因果関係を認められて作業員側が勝訴したケースはない」(同)。
「2020年1月現在も、格納容器内の溶け落ちた核燃料の全容はわからないまま。道半ばと言っても、廃炉までの全工程のどこまで到達したのかも見えてこない。今ここで、この先何十年後になるか終わりの見えぬ作業を考え、作業員の補償の見直しや働き続けられる雇用条件を整えなければ、廃炉はままならない」(同)。
この悲痛な叫びにも似た記述で本書は終わる。しかし「福島第一では現在、一日4千人の作業員が働いている」。(R)