【書評】『日本の無戸籍者』(井戸まさえ、2017年、岩波新書、840円+税)

【書評】『日本の無戸籍者』
   (井戸まさえ、2017年、岩波新書、840円+税)

 2020年12月24日(木)産経新聞の記事である。
 「大阪府高石市の民家で9月、住人の高齢女性が餓死していたことが24日、分かった。
女性は40代とみられる息子と2人暮らしで、いずれも無戸籍だった。息子も衰弱し
て一時入院し、『無戸籍だったので助けを求められなかった』などと周囲に話してい
るという。(略)」
 何とも痛ましい事件であるが、本書はこの記事にある「無戸籍」問題を取り上げ、その背景を探る。本書はこう語る。
 「人が生きるうえで必要な権利は、出生に始まり死亡により消滅する。日本人にとってはその権利能力形成を行ない担保するのが、『戸籍』である。
 無戸籍者が存在するということは、まさにその担保にアクセスできない国民がいる、ということだ。かれらの多くは本来持つはずの権利も、それを行使する機会も奪われたまま生きざるを得ない。声をあげることすらおぼつかないため一般の国民より弱い立場に追いやられ、本来保護やケアがより必要な存在であるにもかかわらず、むしろ逆に『行政的にはそもそも存在しない』、福祉の対象外として扱われているのが常である」。
 なぜ無戸籍者が生まれるのか、本書は六つの理由をあげる。
 ①「民法七七二条」が壁となっているケース・・・民法七七二条の摘出推定の規定により、前夫を子の父とすることを避けんがために出生届を出さない/出せないケース。
 ②」「ネグレクト・虐待」が疑われるケース・・・親の住居が定まらなかったり、貧困その他の事情で、出産しても出生届を出すことまで意識が至らないか意図的に登録を避けるケース。
 ③「戸籍制度」そのものに反対して出生届を拒むケース。
 ④「身元不明人」ケース・・・認知症等で家を出てしまい身元の確認ができないケース。
 ⑤戦争・災害で戸籍が減失したケース・・・空襲や津波で戸籍原本と副本がともに破損し、復活ができないケース。
 ⑥天皇および皇族・・・天皇・皇族には戸籍がなく、皇室典範・皇統譜令に定められた「皇統譜」に記される。
 このうち最も問題になるのが、①の「民法七七二条」の摘出推定の規定のケースである。
 「1 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
  2 婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取り消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。」
 この規定によって生まれた子どもの「父」が誰であるかが推定される。つまり「『父』は国が決める」。
 しかし現代医学では子どもの懐胎期間は最終月経日から40週、懐胎していない2週間を含めて280日を基準としている。予定日に生まれても受胎から266日ということになる。ところがこの規定では300日で、1カ月以上の差がある。つまり極端な場合「離婚して1ヵ月後に別の男性との間に受胎し、出産予定日に生まれた場合、その子は『前夫の子』となる」。
 このケースの場合出生届は「前夫の子」としなければ役所では受け付けてくれず、戸籍で「事実上の父」を「父」とするためには必ず調停・裁判を起こさなければならない。そしてこれは前夫を巻き込んだ調停・裁判となり、DVやその他の理由で前夫とは関わりたくない気持ちを持つ女性にとって、離婚後もなお前夫と関係を持たなければならない状況となる。だからそれを避けんがために出生届を出さない人びとが出て来るのは当然のことと言えよう。
 そしてさらに深刻なことは、このような調停・裁判は年間3000件前後起きているが、そのうち「調停不成立」や「取り下げ」をしたケースが毎年約500件あるという事実である。つまり毎年500人の無戸籍児(者)が出ているということである。これらの人びとは、住民基本台帳への記載拒否から、国民健康保険、児童手当、児童扶養手当、母子健康手帳等の法施策、保育所、就学、生活保護等々の対象から除外される。まさしく無権利状態に置かれることになる。
 この状況に対して無戸籍者を救う運動は一歩一歩ではあるが、進んではいる。しかしその運動の過程で最大の障壁として見えてきたものが、実は現民法のあちこちに密かに隠されている明治民法の「家」制度であったということを本書は指摘する。即ち「戸籍」制度は今なお「家の尊厳」、「氏(うじ)の尊厳」を守る保守派の一大根拠であり、制度に無理が生じていることが明らかになっているにもかかわらず、抜本的改正が行われないままである理由ともなっているのである。
 さらにこの問題は、民法に残されている祭祀(さいし)条項(「墓」の継承権)や天皇と皇族の戸籍問題(現在マスコミをにぎわしている皇族の結婚問題もしかりである)にも深くかかわっている。
 本書は、われわれ日本人にとっては当然すぎると考えられてきた戸籍制度に対して、改めてその存在意義を根本的に問う必要を知らしめる書である。
 なお同著者には、『無戸籍の日本人』(2018年、集英社文庫。原著は2016年)というノンフィクションもある。併せて読まれたい。(R)

(追記)年末の12月28日、2021年度から始まる「第5次男女共同参画基本計画」の案か
 ら「選択的夫婦別氏」という文言が消えた、というニュースが流れた。選択的夫婦別
 姓を盛り込んだ法制審議会の民法改正案の答申から早や4半世紀であるが、いまだに
 自民党保守派の反対があると聞く。ここにも民法の「家」制度にしがみつく古い体質
 が見えている。これについては『日経』でも「制度に反対する自民党保守系議員は『日
 本の伝統が壊れる』というが、同姓制度は1898年の民法制定以来、100年余りの歴史
 しかない」と批判している。

カテゴリー: 書評, 書評R パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA