【書評】『ルポ沖縄 国家の暴力──米軍新基地建設と「高江165日」の真実』
(阿部岳、2020年1月、朝日文庫、740円+税)
「それは沖縄の本土復帰後、最悪の165日間だった」。
本書はこの言葉で始まる。そして次の言葉が続く。
「民主主義が壊された」/「「人権が踏みにじられた」/「法治主義が揺さぶられた」/「命が危険にさらされた」。
本書の舞台は、名護市辺野古の新基地の東北に位置する東村高江区の米軍北部訓練場である。1996年12月2日、米軍は普天間飛行場の返還、北部訓練場の過半返還などを発表した。しかし北部訓練場の返還の条件としてヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)の移設という条件を付けた。つまり北部訓練場の北半分(ヘリパッド7か所を含む)を返還する代わりに、南半分に当たる地区に新たにヘリパッド6か所を新設する(そこには既存のヘリパッドが15か所ある)、そして新型輸送機オスプレイを配置するというものである。オスプレイについては周知のように墜落事故が相次いで「空飛ぶ恥」とまで言われて問題になった輸送機である。
地元高江地区では受け入れ反対運動が起きたが、2007年村長が反対の公約を撤回、工事が着工された。2013年~14年に2か所のヘリパッドが完成した。
そして残りの4か所について、沖縄防衛局が何が何でも工事を再開して完成させようと遮二無二暴力的に突き進んだ165日間(2016年7月11日の資材搬入~12月22日の返還を祝う祝典×市民団体はオスプレイ墜落の抗議集会)の「沖縄タイムス」記者による記録が本書である。
この間、住民の反対運動を阻止するために、本土6都府県の機動隊を含む警察官約500人が投入された。本書は語る。「それにしても、500人。この派遣規模の意味を考えてみる」として、2014年北九州市の「特定危険指定暴力団」工藤会トップを逮捕する「頂上作戦」で福岡県に動員された機動隊員が約530人であったと指摘する。「政府はほぼ同じ人数を高江に差し向けた。凶器を持つ暴力団と丸腰の市民を同列に扱ったのだ」。
そして問答無用の一斉検問、現場封鎖、無差別監視、座り込み住民のゴボウ抜き、微罪での逮捕、取材中の記者の監禁までもが行なわれた。その実態は本書に生々しいが、この中で全国に報道された、「土人」発言が起こる。
「『触るなクソ。触るなコラ。どこつかんどんのじゃこのボケ』/2016年10月18日、抗議運動の住民に対し、とても職務中の公務員と思えないような罵倒を尽くした大阪府警機動隊の巡査部長(29)が、最後にこう吐き捨てた。/『土人が』/むき出しの敵意を投げつけられたのは芥川賞作家の目取真(めどるま)俊(56)だった。沖縄の軍事要塞化に強い危機感を持ち、辺野古、高江と抗議の最前線で体を張り続けている」。
「乱暴な言動が目立つこの巡査部長に正面からビデオカメラを向けると、カメラ目線の暴言が返ってきた。撮られていることを承知の確信犯。巡査部長はこの後、目取真が別の機動隊員に押さえ付けられた時、わざわざ近寄ってきて脇腹を殴り、足を3回蹴ったという。/目取真はその日のうちに自身のブログ『海鳴りの島から』でビデオを公開した」。
本書はこの事件の記事をこう書く。
「警察官による『土人』発言は歴史的暴言である。(中略)この暴言が歴史的だと言う時には二つの意味がある。まず琉球処分以来、本土の人間に脈々と受け継がれる沖縄差別が露呈した。/そしてもう一つ、この暴言は歴史の節目として長く記憶に刻まれるだろう。琉球処分時の軍隊、警察とほぼ同じ全国500人の機動隊を投入した事実を象徴するものとして」(「沖縄タイムス」、2016.10.19付)。
そしてこれに追い打ちをかけるのが、沖縄についての「免罪符としての多彩なデマ」である。曰く「沖縄は地政学的に有利な位置にあるから」、「基地で経済的に潤っているから」、「反対運動は日当をもらえるからやっているだけ」等々。そして「デマは沖縄の異議申し立てを『自分たちの利益のためにやっているんだ』『かわいそうだが仕方のないことなんだ』と心の中で相殺し、無関心でいられる土壌を育てる」。そして「本土の人々が良心の痛みを覚えなくてすむ」結果を生んでいる、と本書は指摘する。またネトウヨによるヘイトスピーチ報道や作家百田尚樹による的外れと誹謗の講演会など、塩を傷口に上塗りするかのような出来事が次から次へと紹介される。
問題の本質は、と本書は語る。
「1972年の本土復帰以降、政府は表向き『償いの心』を語ってきた。太平洋戦争末期、本土を守る防波堤として沖縄を切り捨て、戦後また米軍占領下に見捨てた過去がそうさせた。/今、政府は沖縄と向き合うポーズすら取らない。提示するのは、黙って基地を引き受け続けるか、抗って罰を受けるか、の二択である。基地は必要だが、身近には置きたくないという身もふたもない本土のエゴ。それを恥ずかしいとも問題だとも思わない、政治の劣化があらわになっている」。
「きょうの沖縄は、あすの本土である」という本書の言葉が重く響く。(R)
(初出:2017年8月、朝日新聞社)