【書評】『9条の戦後史』

【書評】『9条の戦後史』

加藤典洋著 2021年5月 ちくま新書 1,300円+税

                          福井 杉本達也

1 はじめに

2019年5月に亡くなった文芸評論家の加藤典洋の「遺著」である。加藤の生前最後の著書となったのは創元社から刊行された『9条入門』である。本書は「その続編に相当する部分とし書かれていた未定稿を整理し、新たに表題を付したものである」「『9条入門』と『9条の戦後史』は、当初、ひとつながりの全体として執筆されていた。」「原『9条入門』は、分量の長大さもあって、一度に刊行することが難しく、その前半にあたる部分のみがまず」刊行された。「残りの部分の草稿について、加藤は当然、独立した一冊の著作として世に問う意志を持っていたが、生前には実現できなかった。未定稿でるあることもあり、しばらく刊行のめどが立たなかった」が、矢部宏治氏らの協力により刊行されることとなったものである」(野口良平「『はじめに』に代えて」)。

2 9条と日米安保の相補性の問題化

加藤は、1960年の安保闘争が「岸退陣と次の池田内閣の高度成長政策に道を」開き、「戦前の文脈から戦後型の文脈への転換点、折り返し地点があった」とする。池田内閣は対米従属路線を堅持し、「再武装の要求には極力抵抗」しつつ、「国内の健全な経済成長を最優先する」「経済的にナショナリズムの心的要求を満足させる新しい護憲的立場」を作り上げた。「そこから生まれてくるのが自衛隊の『解釈合憲』論、日米安保の統治行為論を介した合憲論で、以後、憲法9条と日米安保は『棲み分け』、共存するように」なる。こうして、「日米安保条約に基づく体制を是認しながら」なおかつ、「憲法9条の戦争放棄の理念を支持する」という、「それ自体大いに矛盾を抱えた新しい国民層が」現れてきたとする。しかし、「これは同時に、アメリカに日本が従属しているという事実が、隠蔽され、意識されなくなり、空気のような存在に変わっていく過程でもあった」(同時に、米軍基地の沖縄に集中する過程でもあった)とする。

3 冷戦後―「ナイ・リポート」による先手

1991年の冷戦終結は、ソ連という日米の仮想敵国が消滅したことで、それまでの専守防衛を基軸とした「自衛隊は盾、米軍は槍」という役割分担に大きな変化をもたらすはずのものであった。しかし、当時、米国防次官補であったジョセフ・ナイは1995年「ナイ・リポート」という形で日米安保「再定義」という先手を打った。米国内向けには、「今後は、日米安保が一段とアメリカの国益追求に比重をおくようになることを強調し」、日本に対しては、対ソ連・「極東」から、「より広域にわたる米国の戦略上、アジア太平洋地域から世界展開の拠点として新たな役割を果たすこと」、そのため「米軍と自衛隊の協力一体化の一層の進捗」を要求した。「自衛隊の専守防衛というタガ」がはずされ、「『有事』の際の米軍・自衛隊の作戦一体化に道をひらく」もので、「世界情勢変化に呼応する実質的な日米安保の改定案」にほかならなかった。加藤はこれを、「ほんとうは、ここでもう一度安保改定が提起され、再度、『安保闘争』が生じてもよかったのですが、日本の踏ん張りはなく、それは、何気ない『再定義』の名のもとに96年4月の両国首脳による日米安保共同宣言(橋本・クリントン共同宣言)として、あたかも一種のマニフェスト宣言ででもあるあるかのように発表され、やりすごされ」た。「日本はナイにほとんど、してやられる結果」となったと書く。

4 アメリカ一途の思考:「アメリカ『国体』論」

加藤は坂元一哉や篠田英朗ら、または田中明彦・北岡伸一といった親米保守知識人の「日米『永久』同盟論」という、アメリカ一途の思考を批判する。「現実感覚を固着させ、1950年代から60年代にかけての、あるいは90年前後のリアルな保守現実派の議論から後退し、日米同盟を動かしがたいものとする平板な捉え方に帰してしまっている」とし、「アメリカ『国体』論ともいうべき、日米安保一辺倒の考え方が浸透し…挙げ句の果てには、米国への批判はそのまま反日」だと排他的な蔑称を浴びせることとなっているとする。

なぜ彼らの思考がそうなったかといえば、「アメリカなしの日本というものが考えにくい。考えられない」「日米同盟という現状の追認…これをいったんカッコに入れて、相対化することができません。何が日本の国民にとって一番大切なことか。その一番大切なことを実現するうえで、何が最善の選択か、とゼロから考えることが、できない。」「日米安保の対案を見つけだすことなど、絶望的に困難だという判断が」働いているとする。しかし、「そこで考えるのを中断してしまえば、合理的な足場」は消えてしまう。

5 安倍(それを引き継ぐ菅)という最低の内閣をつくりだしたのは、私たちの無為無策

加藤は「もはや日米同盟ベースでは、日本の安全保障はおぼつかないので、同盟の縛りから解放されるための、同盟なしでもやれる対案」を、用意することにあるとする。だが、「改憲論者も護憲論者」もともに、この加藤の提案を真剣に受けない。「日本を自分の意のままに動かそうとするアメリカと対等にやりあうためにも、アメリカなしでやっていける対応案がカードとして必要」だがそれを用意できなかった。「対案を提示できないばかりに、私たちは、21世紀に入り…錨をひきずって船が流される『走錨状態』に陥って」しまったとする。「民主党による政権交代は、少なくとも最初の鳩山政権の対米自立の企てとその惨憺たる敗北によって…日本社会のアメリカへの依存と従属がかくも深いものだったということが白日の下に明らかにされ…それが、以後、安倍自公政権を、開き直った徹底従米路線へと走らせる」こととなった。そして、ついに「憲政史上、最低の内閣を私たちは戴くことに」なってしまった。しかし、その安倍(それを引き継ぐ菅)自公内閣をつくりだしたのは、「私たちの無為無策にほかならない」と総括する。

6 森嶋通夫のソフトウェア重視の国防論

加藤は「ナイ・リポート」の十余年前に遡る冷戦真っただ中の1979年に出された、数理経済学者・森嶋通夫のソフトウエア重視の国防論:「新・新軍備計画論」を紹介する。森嶋は、当時の仮想敵国ソ連について、国防論は具体的でなければならないとし、「二週間程度持ちこたえる」という「最小限の自衛力」説に、どんな説得力があるのかとし、「そもそも日米安保条約では、アメリカに日本の防衛義務はない」「ソ連のような核武装国を相手に」した通常兵器による軍備案は、全く他人まかせの無責任な案であると切り捨てる。そこで、残る選択肢は①日本が単独で核武装も視野に入れた重武装か、②非軍事的なソフトウェアの国防政策の強化かいずれかであるとする。①の重武装は日本を孤立に追いやり、負荷に日本の経済は耐えられないとし、ソフトウェアの国防政策しかないと説く。ソフトウエアの外交・国際文化交流・経済協力などの領域に投資し、日本を侵略・攻撃するとけっして得にならないようにすべきであるとする。加藤は森嶋のこの論を「戦後にもたらされた民主主義。平和思想、理想主義といった『舶来の思想』、ないし憲法9条をめぐる戦後的護憲論の”残滓“が、いささかも入っていない」と高く評価している。

7 日米安保に代わる安全保障策をどう講じるか

加藤は民主党・鳩山政権の失敗から、「90年代におけるフィリピンの政治家たちがそうしたように、正面から、アメリカに対峙し、面と向かって自国の立場を主張しなくては、解決しない」とし、①「どうすればそれをアメリカに認めさせることができるか、という対案、そのための戦略的な方法論」が必要だと説く。それは「日米安保なしにどのように日本の安全保障を確保するか」という『原理的な対案』と、②「どうすればその対案をアメリカに認めさせることができるか」という『戦略的な対案』の両方が必要だとする。

『原理的な対案』については、森嶋のソフトウェア重視の国防論を深めるとして、『戦略的な対案』について加藤は「国連中心主義が、日米安保解消のための最強の対案」であるとする。交戦権の国連への委譲と外国軍基地の撤去を憲法9条の中に書き込むという提案である。

しかし、加藤のこの提案はアメリカに認めさせるほどの具体的なものであろうか。中国のGDPは2028年にはアメリカを抜く(日経:2021.2.22)。既に、資産10万ドル以上の中国の人口は1億1,341万人とアメリカの1億319万人を抜いている(日経:2021.6.3)。日本の2020年の貿易統計では輸出に占める中国向けの比率は22.9%とアメリカを抜き中国が最大の輸出先となった(日経:2021.4.20)。加藤は意識的に「中国」という概念を避けている。また「ロシア」をも避けている。加藤は残念ながら最後の最後で「国連」という抽象的「原理主義」から抜け出せていない。

8 旧西ドイツ・ブラントの東方外交に見習へ

2020年4月の外務省の『最近の中国経済と日中経済関係』によれば、「日本にとって中国は最大の貿易相手国(2019年) -中国にとって日本は米国に次ぐ2番目の貿易相手国(2019年)」「日本の対中直接投資総額:38.1億ドル(2018年)(前年比16.5%増) -中国にとって日本は国として第4位の投資国」「中国にある日系企業の拠点数:3万3,050拠点(2018年10月時点) -日系企業の海外拠点数で中国は第1位」「2019年訪日中国人観光客数:959万人(前年比14.5%増)。」(新型コロナウイルスまん延前)と書く。このような緊密な経済関係にある国と「台湾問題」などで戦争を構えるなどというのは愚かもいいところである。もちろん中国が弾道ミサイルを保有しているということも考慮にいれなければならない。

プーチン大統領は6月4日、バルト海底を経由してロシア沿岸部とドイツを結ぶガスパイプライン・「ノルドストリーム2」について、「ロシアのエネルギー企業『ガスプロム』社は燃料でパイプラインを満たす用意が整ったという。プーチン大統領は、『このルートはロシアとドイツ連邦のガス輸送システムを直接結び付けることになる』と表明した。また、プーチン大統領は、海上ルートを含めた『ノードストリーム2』の全区域の建築作業が終了したと語った。」(Sputnik・2021.6.4)。先に、5月26日には「ジョー・バイデン⽶⼤統領はロシアが進めるパイプライン建設計画『ノードストリーム2』に対する制裁は、その計画完了が間近に迫っていることから、現時点で⾮建設的と認めている。ホワイトハウスのプレスプールで発表された。」Sputnik・2021.5.26)と報道されている。この間、米国は散々パイプラインの建設を阻止しようとしてきたが、それは最終的に失敗したのである。

1960年代後半から70年代初めにかけて、旧西ドイツのブラントが、旧ソ連=東欧の共産圏と積極的に話し合いを進めた外交政策を東方外交という。それまでの旧西ドイツの対共産圏外交は、旧東ドイツを国家として認められない建前から、ほとんど行われていなかったが、ブラントはドイツが分断国家であり、東の共産国家と隣接しているという現実をまず認めようという現実主義から出発した(参照:「世界史の窓」)。その最大のプロジェクトが、旧ソ連からの天然ガスパイプラインである。米国はドイツと旧ソ連(ロシア)が経済的に接近することを嫌い、このパイプライン網の破壊工作を続けた。パイプラインがウクライナを通ることからウクライナでは2004年・2013年にクーデターを引き起こした。しかし、ロシアとドイツはバルト海経由のパイプライン「ノルドストリーム1・2」を建設し、これに対抗した。

日本とロシアとの関係を見据えた場合、朝鮮半島を経由してシベリア鉄道を通じて欧州への輸送・シベリアからのガス・石油パイプラインの日本までの敷設。また、サハリンから北海道への石油・ガスパイプラインや電力網の敷設も考えられる。もし、パイプラインによる輸送が可能となれば、日本のガス価格は1/3になる。サハリンから首都圏の茨城県日立市までのガスパイプラインの総延長は1,350km、建設費用は6,000億円と見積もられている。これにより、年間200億㎥のガスを首都圏まで供給できる(ロシアの声:2014.5.28)。そうなれば日本はエネルギー的にも安定する。中国がロシアと急接近したのは、ロシアからの石油・ガスパイプラインが敷設され、米国によるインド・太平洋のシーレーン封鎖に耐えうることとなったからである。

米国の経済力の相対的低下は、政治的には遠心力として働く。その中で、中国・ロシアとの政治的・経済的関係を深めることによってのみ、日本は、思考停止の対米従属の頸木から脱し、自主外交が可能となり、中ロ米の外交的バランスの上に(実質的な・加藤のいう「国連」)、初めて、日本は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とする憲法前文を具現化することが可能となる。

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