【書評】『みんなの道徳解体新書』

【書評】『みんなの道徳解体新書』
  (パオロ・マッツアーニ著、ちくまプリマー新書、2016年、780円+税)  

 本書は、「一九五七年」のある本からの引用で始まります。
「『このごろの子どもたちは、自由をはきちがえていて、口先ばかりで実行がともなわない。また自由、自由とばかりいって、責任ということを考えない。これでは、放任の教育だ』」。
 そしてこう続きます。「いまから六〇年くらい前の“このごろ”に、自由をはき違えているとやり玉にあげられていたこどもたちは、二〇一六年現在、六〇代から七〇代になられています。前期・後期高齢者となった彼らはいま、現代のこどもたちを見て嘆きます。いまどきのこどもたちは自由と責任をはき違えている。わたしらのこども時代はもっとしつけがしっかりしていた。こどもたちから道徳心が失われてしまったのだ・・・」と。
 かくして「日本社会が悪くなったのは、戦後の民主主義的自由教育のせいで日本人の道徳心が低下・劣化したからだ!根拠もないし論理も飛躍してるこんな主張を信じる人たちの希望がかない、義務教育の道徳授業が強化される運びとなりました」。
 しかし、と本書は言います。よく考えてみれば、「道徳は、とても特殊な科目です」。
 というのも、「数学の先生は、数学が得意で数学をよく勉強した人です。(略)なにかが得意な人が得意でない人に教えて得意になってもらう。これが万国共通の、基本的な教育のしくみです」。ところが「学校で道徳を教える先生は、道徳に詳しいのでしょうか。こどものころから道徳が好きで好きでたまらなくて、道徳クラブに入って早朝や放課後に練習したのでしょうか」。あるいは「日頃から道徳的なことを実践していて、それが上手な人なのでしょうか。電車の中でとてもスマートな身のこなしで老人に席を譲れるのでしょうか。いじめや差別を解決するエキスパートなのでしょうか。(略)/このどれにもあてはまらない人が、学校で道徳の授業をやっているのです」。「なんとも不思議なしくみではありませんか」。
 「しかも道徳の授業では、実技はぜんぜん教えてくれません。『○○はいけません』『○○をしましょう』といった精神論、理想論のみを教えます」。「サッカーのコーチが実技を教えずに、『得点を入れましょう』『相手に得点されてはいけません』と理想論だけを教えていたら、『だから、それをどうやったらできるのかを具体的に教えろや!』って生徒がキレますよ」。
 本書は、きわめて常識的な視点から、道徳教育のしくみを解剖し、その不自然さを批判します。極めつけは、「『なぜ?』禁じる道徳教育」です。すべての学問は「なぜ?」という疑問に始まり、常識を疑うところに進歩と改革があります。「ところが道徳は『なぜ』という質問を許可しませんし、先生やオトナはしくみを説明するのをいやがります。/それは、道徳が進歩と改革を目的としていないからです。すでに正解が決まっている善悪の規準をこどもたちに押しつけて、規準をブレさせないように維持することが目的なので、道徳にとって進歩や改革は敵なんです」。「そういうわけで、道徳は必然的に、『○○しましょう』『○○してはいけません』という教え方になるんです。『素直になりましょう』『オトナのいうことに逆らってはいけません』みたいな」。
 こうした関心を持って本書は、各教科書会社の道徳副読本をオトナ目線で読んで「選りすぐった道徳エピソード」を紹介し、コメントします。その詳細な内容は本書を読んでいただければと思います。かなり笑わせる内容もありますが、考えさせられます。
 ただ本書の最後に紹介されている事柄については触れておかねばならないでしょう。
 それは、「『なぜ人を殺してはいけないのか』に答えられないオトナたち」の問題です。この問題は、数年前、オトナたちが子どもに答えようとして、ちょっとしたブームになりました。
 その中で、ある政治家が「そういう質問をするこどもは、どこかおかしいのだ。だから道徳教育で直さなきゃいけない」というのがありました。
 これについて本書は、こう言います。
 「出ちゃいましたね。道徳教育のドス黒い本性が。善悪の判断はオトナが決めること。こどもはなにも考えるな。オトナを尊敬して信じて、オトナの決めたことに素直に従えばそれでよい。オトナに逆らうようなこどもは異常者予備軍だから矯正しなければいかないのだ・・・。/この政治家は卑怯です。なぜ人を殺してはいけないのかという質問に答えてません。うまく答えられないから、論点をずらしてごまかしたんです。逃げたんです」。
 そして「実際に人を殺すことは不道徳ですが、なぜ人を殺してはいけないのかと考えることは、道徳的になんの問題もありません」。「人を殺してはいけない」ということについてオトナたちは、「そのしくみをきちんと考えずに道徳的な判断を最優先してしまいました」から、的外れな回答となってしまったと指摘します。その上で、この質問自体が成立しているのかどうか—-現実の社会では人を殺すことを容認している部分があるのではないか(死刑、戦争、身近にはクルマの運転等)—-と極めて重要な問いかけをします。(※)
 そして「殺人のおもな理由は憎しみなのだから、殺人を減らしたいのなら、いかに他人を憎まないようにするかを教えるのがもっとも効果的です。/ゆえに道徳の授業で教えるべきは、いのちの大切さではなく、多様性の尊重です」と提言します。つまり「その差異が他人に危害を加えないかぎりは差異をできるだけ認めること」、「考えが自分と異なる相手を頭ごなしに否定・排除するのでなく、自由に議論できるようにすること。憎しみや殺人やいじめを減らすには、その方法しかありません」ということです。
 このように本書は、現在行われつつある道徳教育に対しての疑問を、平易な日常生活者の視点から展開する中高生向けの本ではありますが、一読に値する書です。(R)
 
(※)死刑廃止の議論が、実はクルマの運転での事故による犠牲と通底する問題を持つことを指摘したものに、小林和之『「おろかもの」の正義論』(ちくま新書、二〇〇四年)があります。こちらも興味深い書です。

【出典】 アサート No.477 2017年8月26日

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【投稿】四面楚歌となった安倍政権

【投稿】四面楚歌となった安倍政権
               ―批判勢力に求められる受け皿づくり―

「ムシャクシャして言った、今は反省している」
 193回通常国会閉会翌日の19日夕刻、安倍は首相官邸で記者会見を開いた。
 そこで安倍は「つい強い口調で反論した私の姿勢が、政策論争以外の話を盛り上げてしまった、反省している」「(加計学園問題については)丁寧な説明をしていく」と弁明を行った。
 共謀罪の可決強行で思想・信条の自由を否定する一方、政権の私物化で「首相・晋三の自由」を謳歌してきた「独裁者」にしては低姿勢の会見であった。
 しかしそれはあくまで、内閣支持率の急落と、近づく東京都議会選挙への危機感から行われたその場しのぎの対応であることは明白であった。
 会見終了を待っていたかのように、同日夜、大阪地検特捜部は森友学園への強制捜査に着手した。「反省」を口にする裏で、逆らった者に対する報復を行うという、自己保身の為の露骨な権力濫用が示された。
 記者会見と国策捜査で一連の問題に区切りをつけようとした安倍であったが、 翌20日、文科省は萩生田が「総理は平成30年4月開学とおしりを切っている」と、獣医学部の新設認可を強要したことを記した文書の存在を明らかにした。
 安倍の目論見は外れ、これ以前に明らかとなった文書に加え、加計学園に関する疑惑はさらに深まることとなった。
 萩生田は色をなしてそれらを否定しているが、自らのブログには安倍の別荘で3人が談笑する画像が掲載されており、獣医学部新設に関する「共謀」を彷彿させるものとなっている。
 こうした状況に民進、共産、自由、社民の4野党は6月22日、臨時国会の開会を求めることで一致したが、与党は臨時国会はおろか閉会中審査にも応じないと突っぱねた。安倍は記者会見で「丁寧な説明」を行うと述べたが、その場を作ることを頑なに拒否し、説明する気など微塵もないことが暴露された。
 
「私の五月晴れ」?
 6月23日、沖縄での戦没者追悼式は安倍にとって都議選告示日に東京を離れる格好の口実となった。多数の遺族や知事も参列する式典の場で、偽りの平和への祈りをささげた安倍は、帰京せず翌日、神戸で開かれた「『正論』懇話会」に出席し記念講演を行った。
 この場で安倍は「(今秋の)臨時国会終了前には両院の憲法審査会に、自民党の改憲案を提出したい」と発言した。5月3日には読売紙上で9条への自衛隊明記など、独自の改憲案を開陳した安倍であったが、今回は産経新聞に気を使い、またしても自民党内への配慮もなしの独断専行であった。
 さらに講演の最期には「逆風に神戸の空は五月晴れ」と一句を捻り出した。爽やかな気分を読みたかったのだろうが、本来季語の「五月晴れ」とは「5月のさわやかな晴天とは意味を異にする炎暑の訪れを予感させる晴れ」(NPO「季語と歳時記の会」)である。
 やがて訪れる大炎上を予感させるような意味深なものであるが、この時点で本人はまだまだ青空にも勝る能天気だったのだろう。
 都議選の告示前に行われた世論調査では「都民ファーストの会」と自民の支持は拮抗か僅かに自民リードであった。告示直後(24,25日)の毎日新聞の調査でも投票先は「都民フ27%」「自民26%」であり接戦が予想されていた。内閣支持率も急落したものの、不支持との逆転までには至っていなかった。
 都議選において安倍自身は腫れ物に触るような扱いを受け、応援も街頭から遠ざけられていたが、思想的親和性のある「都民」の伸長を心配するより、不倶戴天の敵である民進党の壊滅に期待を寄せていたと考えられる。
 こうした中、政府は自民党に対する援護射撃を開始した。厚労省は27日「子どもの貧困率が12年ぶりに改善した」とする「国民生活基礎調査」を公表、その要因を「景気回復で雇用や収入が上向いた」ためとアベノミクスの成果を宣伝した。
 
秋葉原 飛んで火にいる夏の虫
 しかしそうした努力を水泡に帰す発言が飛び出すことになる。稲田は27日都議候補の応援演説で「防衛省、自衛隊としてお願いしたい」と発言した。この後出待ちの報道陣の多さに驚いた稲田は「どうしてこんなにたくさんいらっしゃるんですか?」と自分が何を言ったか判らない様子であった。
 稲田は発言の真意を問われその場ではあやふやな釈明をしたが、直後に官邸からの指示が入り、深夜になって発言を撤回せざるを得なかった。野党は一斉に罷免要求を突き付けたが、この期に及んでも安倍は稲田をかばい続け、本人も「職責を果たしていきたい」と辞任を拒否した。
 しかし、同盟国アメリカも半ば公然と稲田に駄目だしを突き付けた。7月14日に予定されていた日米2+2は突如中止、内閣改造後と目される9月下旬に延期された。
 さらに29日には「週刊文春」が下村博文の加計学園に係わる政治資金疑惑を報道、下村は「選挙妨害だ」と全面的に否定したがその後、文科相在任中からの加計学園との密接な関係が暴露されるなど、窮地に追い込まれた。さらに豊田の乱暴狼藉など、相次ぐ身内の失態で都議選情勢は自民にとって危機的なものとなり、自民内部からも安倍に対する怨嗟の声が聞こえ始めた。
 28日には、16年度一般会計税収が1兆円減と7年ぶりに前年度割れすることが明らかになった。これはアベノミクスの効果に疑問符つくという、前日の厚労省発表とは真逆の事態となり、省庁間の迷走が明らかになった。
 こうした状況に焦りの色を濃くした安倍は、「逃げている」との批判への反発から、選挙戦最終日に街頭に立つこととなった。
 7月1日午後4時、秋葉原に現れた安倍を迎えたのは、すさまじい批判の嵐だった。「帰れ、やめろ」コールに激昂した安倍は「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と指をさして罵った。6月18日の記者会見で口にした反省の言葉が全くの嘘であることが満天下に晒され、まさに飛んで火にいる夏の虫状態となった。「こんな人たち」は、惨敗への堰を自ら切った歴史的迷言といえよう。
 7月3日、都議選の結果を問われた安倍は「自民党に対する厳しい叱咤と考えている」とあくまで自分への支持は盤石であるかのような、度し難い勘違いの感想を述べた。
 翌日の毎日新聞のインタビューでも、今秋の臨時国会に改憲案を提案する考えは変わっていないとし、自民党内からもあがる厳しい批判に関しては、内閣改造、党役員人事で押し切る考えを示した。
 安倍は維新と同じく「都民フ」をシンパと思っている。事実小池側近の若狭はフジテレビの番組で、年内の国政政党立ち上げと改憲での協力に言及した。
 しかし有権者の思いは全く違うであろう。大阪の各級選挙で自民が維新に負け続けてきた時は、安倍政権は高支持率を維持しており、安倍は盟友の躍進に喜んでいられた。菅野完氏は「大阪では維新支持=安倍支持」と喝破しているが、今回は明らかに「都民フ支持=安倍不支持」である。安倍は完全に世論を読み違えている。
 
全世界の安倍離れ
 事実、選挙後の世論調査ではついに軒並み不支持が上回る結果が出てきており、安倍批判は強まっている。今後自治体選挙で負けが続けば安倍離れはさらに加速するだろう。都議選惨敗を受け、自民党は加計事件に関する閉会中審査に応じざるを得なくなったが、開催日が安倍外遊中の7月10日というガス抜きに等しいものとなった。
 こうした中、厳しい現実から逃れるように安倍は7月5日、訪欧に旅立ったが、その夜九州北部で集中豪雨による大災害が発生した。しかし、あとを任されていたはずの稲田ら防衛政務4役は6日日中、「民間の勉強会」参加のため、防衛省を不在にした。ここでも「職責を果たす」という言葉が真っ赤なウソであることが明らかになった。批判にさらされた稲田は、本来日米2+2開催日だった14日、被災地を視察したがこれが最後のお勤めとなるだろう。
 安倍は訪欧中北朝鮮のICBM試射を天佑として、北朝鮮に対する圧力強化を図ろうとしたが、ほぼ合意したのはアメリカだけで、対話を重視する中、露、韓との温度差が浮き彫りとなった。
 訪欧の成果として、EUとのEPA大筋合意が言われているが、都議選後の成果作りのため、生産者の不安を置き去りにしての見切り発車であることは否めない。
 G20総体としては、アメリカと他主要国の通商、貿易政策、地球温暖化対策の対立に議論が集中したが、日本の出番はなかった。安倍はトランプを説得できるどころか、貿易不均衡の是正を要求され、両者に隙間風が吹き始めた。
 安倍―習会談では初めて両国国旗が掲げられたが、安倍が提案した相互訪問は合意できなかった。首脳会談直前の7月3日には中国艦が津軽海峡で領海を侵犯、さらに日本が7月開催を目指していた、日中韓首脳会談が頓挫するなど、緊張関係が続いている。
 日露会談は直前の米露会談延長のあおりで開始が大幅に遅れ、あいさつ程度で終わった。6月下旬には官民調査団が北方領土を訪問したが、参加予定の根室市長がロシアの要請で除外され、報道陣の同行も許可されないなど異例の事態となった。
 さらに調査団帰国直後の7月5日には、昨秋択捉島に配備された対艦ミサイルの発射訓練が実施された。9月中下旬には、大規模な中露海軍合同演習が日本海、オホーツク海で予定されている。今後、弱体化しつつある安倍政権に対して、関係各国はさらなる強硬姿勢に出てくるだろう。
 政権支持率は崩壊の目安とされている「内閣支持率+自民支持率<50%」に近づいているが、批判の受け皿もおぼつかないものがある。戸籍公開要求を人権侵害と理解できない民進党は論外である。「都民フ」もNNNの調査では55,2%が国政進出を期待していない。都議選で共産党は健闘したが全国的には伸び悩みを見せている。
 また「連合」も官製春闘に埋没し「残業代ゼロ法案」容認で釈明に追われるなど、既存組織は押しなべて精彩を欠いており、政権たらい回しを傍観するだけになるだろう。(大阪O)

【出典】 アサート No.476 2017年7月22日

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【投稿】日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターのプルトニウム被曝事故

【投稿】日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターのプルトニウム被曝事故
                            福井 杉本達也 

1 二転三転したプルトニウム被曝事故の発表
 6月6日、日本原子力研究開発機構(JAEA)大洗研究開発センター燃料研究棟(PFRF: Plutonium Fuel Research Facility)にて、プルトニウム(Pu)・濃縮ウラン貯蔵容器の点検中に汚染事故が発生、当時作業していた5人(内職員2名、派遣1名、請負2名)全員から放射性物質が検出された。当初、内1名からは肺モニタによりプルトニウム239で22,000ベクレル(Bq)、アメリシウム(Am)241で220Bqの汚染が確認されたと発表され、「50年間で12シーベルト」、「国内最悪」、「前例ない高レベル」という見出しで、最大級の被曝事故と報道された。ところが、その後、量子科学技術研究開発機構-放射線医学総合研究所(量研放医研)で再測定したところプルトニウム239は検出されなかったとし、「被ばく量は過大か」などとして事故は極端に矮小化されてしまい(福井:2017.6.10)、マスコミの事故に対する扱いは極めて小さいものとなっていく。しかし、世の中が事故を少し忘れかけた19日、原子力機構は、作業員5人の尿から微量の放射性物質のプルトニウムとアメリシウムを検出したと発表した。体内に取り込んだ後に排出したことを示す結果で、5人の内部被ばくは確定的となった。そのため、5人は放医研に再入院して放射性物質を体外に排出するため薬剤の投与を受けた(その後も3回目の入院・投与を受けている)。

2 事故を軽く見せようとする原子力機構
 原子力百科事典ATOMICAでの説明によると「プルトニウムは通常固体や液体で取り扱われ、気体にはならない。しかし、極微量エアロゾルやミストとして人体に摂取される可能性がある。…通常の物質は経口摂取の毒性が問題となるが、プルトニウム酸化物は非常に難溶性であり、更に消化管吸収性が極端に低く、血液中には極めて入りにくいので、経口毒性は実際上は問題にならない。一方、呼吸により体内に摂取された場合、肺にしばらく留まるとともに血液を介して、主に骨、肝臓に集まるので、肺、骨および肝臓に有意な発ガンが認められないように判断基準の目安が設定されている。プルトニウムを取り扱う施設では、プルトニウムを体内に入れないために「グローブボックス」又は「セル」内でのみ取り扱い、それらの密閉性が損なわれた場合は、内部を負圧にしてプルトニウムがまわりの作業室に出てこないようにしている。」(ATOMICA(13-05-01-07))
 そもそも、『JAEA 大洗プルトニウム汚染事故に関するQ&A】』(2017.6.26)によれば、「プルトニウムから放出されるα線は透過力が小さいため、肺に摂り込まれた場合に体外からはα線は検出できません。そのため、吸入されたプルトニウムの量を体外から測定するために、透過力の高い光子(X 線またはγ線)を測定します。」とあるように、体外測定は極めて困難である。より具体的には「原子炉内では、生成したプルトニウム239 は中性子を2 回吸収した後、ベータ壊変を起こしてアメリシウム241 を生成しますので、プルトニウム239 とアメリシウム241 は一定の割合で共存することになります。アメリシウム241 は、59.5keV のγ線を放しますが、プルトニウム239 からの17keV のX 線よりもエネルギーが高く、したがって減弱による影響が小さいために、体外からでも測定しやすい核種です。プルトニウム燃料の組成が混合物の場合、プルトニウムとアメリシウム241 の比を利用して、測定しやすいアメリシウム241 をもとにプルトニウムを推定することも行われます。」とあり、アメリシウム241のγ線を測定して、プルトニウムの被曝を推定することとなる。それでも、「肺モニタのみでは体内量を推定することが難しい状況もあるために、バイオアッセイ法が利用されます」としており、バイオアッセイ法(尿による検査)がより確実な測定法であると最初から分かっている。原子力機構の肺モニタによる当初発表は一体何だったのか。

3 なぜ爆発したのか
 原子力機構は7月3日、放射性物質がエポキシ樹脂で固められた状態でビニール袋に入れられており、放射線でエポキシ樹脂が分解されてガスが発生し爆発したという事故の再現実験結果を発表した(福井:2017.7.4)。事故で飛散したプルトニウムなどは、茶筒のような形のポリエチレン容器に入っていた。これを二重のビニール袋に包んだうえでステンレス製容器に密閉、1991年から26年間、一度も開けていなかった。今回、男性職員がステンレス容器のふたを開けたところ、ビニール袋が膨張して破裂、粉末が飛び散った。機構は、「作業でビニールが破れると想定していなかった」ので作業は密閉したグローブボックスでなくフードを使用したと説明している。しかし、プルトニウムという特殊な物質を扱う作業は、上記ATOMICA(13-05-01-07)の解説にもあるように、通常グローブボックスを使用するのが常識であり、なぜこのような作業方法が採用されたのか。密封された容器内での有機材料に大線量照射を行うと、照射による気体発生によって容器が破損する場合があると以前から指摘されている(「有機材料の耐放射性に関する基本事項(3)2000.2 放射線利用技術データベース」)。神戸大学の山内知也教授は(1)ビニール袋を破裂させたのは「ヘリウムではなく水素」であり、(2)空気中の酸素と反応して「水素爆発の危険」があり、(3)最悪の場合「部屋を吹き飛ばして、プルトニウムを近隣にまき散らす」大惨事の危険があった、と指摘している。原子力機構は「バカですよ」「ド素人にもほどがある」と切り捨てている(『サンデー毎日』2017.7.2 「たんぽぽ舎:情報」より)。

4 そもそもプルトニウムはどのように管理されているのか?何から分離・抽出されたのか?
 プルトニウムとウランの元素比が26.9%:73.1%であることが公表されたが,相変わらず核種の構成比(同位体比)は非公表となっている。おしどりマコ氏は6月13日、試料の核種比Pu239/Am241はどのくらい とツイートした。元原子力機構研究員の井田真人氏も「みーゆ@リケニャ」で、機構事故続報4の「今後の原因究明で核物質の総量を明確にすることになると、比率等で核物質防護上公開できない値が算出できてしまうことになる。従って、核不拡散上からも現状は公開を差し控えたい。原因究明等で明らかにできるかどうか判断できるようになった際に説明できる範囲で説明する。」と書かれていることに対し、「全く意味不明である」と批判している(6.15)。
 機構の発表による、元素比の見た目では高速増殖炉用のMOX燃料の比率に似ている。しかし、問題はプルトニウムとウランの比率ではなく、プルトニウム同位体の比率にある。プルトニウムは原子炉の使用済燃料を再処理することにより回収プルトニウムとして取り出される。回収プルトニウムには各種のプルトニウム同位体が色々な割合で含まれ、その組成は原子炉の型、燃料の種類、燃焼度により異なる。軽水炉ではプルトニウム239は60%程度である。核兵器は純度が高いプルトニウムの方が作りやすい。プルトニウム同位体に半減期がたった14年しかないプルトニウム241が多く含まれるとどんどんアメリシウム241という核分裂しない、しかも中性子を吸収する物質に変わって行ってしまう。そうなると核兵器がどんどん劣化して使い物にならなくなる。しかも、劣化する間に強い放射線を出すので極めて危険で扱いにくいものである。高速増殖炉のブランケットでは純度が98~99%もの兵器級のプルトニウム239ができる。同位体比率を公開しないというのは、プルトニウムがどこから抽出されたのかを明らかにしたくないからである。仮に、高速増殖炉「常陽」の炉心を取り巻く核分裂しないウラン238を主体とするブランケットという燃料集合体で得られたプルトニウムであるとすれば、日本の核武装計画の一端が明らかとなってしまう。それは当然、核拡散防止条約(NPT)違反であり、日米原子力協定違反ともなる。とんでもない国家であり、とても北朝鮮の核実験やミサイル発射を批判できる立場にはない。国際社会から原油輸入禁止や金融制裁などの経済制裁を受ける国家となってしまう。また、原子炉級のプルトニウムならば機構の安全管理は全く杜撰であり、低水準ということになる。日本は核管理が全くできていないこととなる。新聞は「被曝の説明二転三転」・「背景に未熟な検査技術」(日経:2017.6.10)と書くが、肝心な核開発の『証拠』を詮索されないための煙幕とも見える。放医研ともあろう組織がプルトニウムの内部被曝検査技術を習得していないとは思われない。また、現在のところ、どの政党もこうしたことに言及しないのはどうしたことか。核開発に関しては一蓮托生なのか。
 こうした中、7月6日、田中原子力規制委員長は再稼働した高浜3,4号機の立地町である高浜町を訪れ町長や住民と懇談したが、 北朝鮮からのミサイルへの対応についての町民からの質問に「ミサイル攻撃を想定した対策は立てていない」と明言。その直後に、「私だったら東京のど真ん中に落とした方がよっぽど良いと思う」「向こう(東京)には何十万人もいる」などと発言した。これに対し、取材中の記者は『東京にミサイル』というのは不適切ではないかと田中氏を問い詰め、地元福井新聞は「 人の命をどう考えているのか。原発は小さく標的になりにくいという解釈であれば、地元の不安軽視であり、あまりに無理解だ」(福井論説:2017.7.8)と批判したが、福井県だけで15基も集中する原発がミサイル攻撃され破壊されれば日本の終わり・地球の終わりである。原発だけは攻撃してほしくないというのが旧日本原子力研究所(現原子力機構)副理事長として核開発を指揮してきた田中氏の本音であろう。この間、北朝鮮の核ミサイル開発をさんざん煽り極東の緊張を高めつつ、自らの本音をひた隠しにして密かに核開発・ミサイル開発を行う日本。それを知りつつも思わず本音が出ると国民に知られないようにあわてて「人命軽視」などと焦点を外すマスコミとの合作で日本はますます危険な方向に進んでいる。

【出典】 アサート No.476 2017年7月22日

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【投稿】東京都議選の結果が示したもの 統一戦線論(38) 

【投稿】東京都議選の結果が示したもの 統一戦線論(38) 

<<冷静さを失い、逆ギレ>>
 政局の流動化が、ようやく鮮明になりだしてきた。安倍政権が、連日繰り返される国会前や全国各地の安倍政権への抗議行動によっていよいよ追い込まれ、その自壊現象ともいえる事態が展開されている。
 きっかけは、「共謀罪」法案の委員会審議・採決をさえすっ飛ばして突然本会議を招集した問答無用の強行採決であった。安倍政権の焦りと驕りと開き直り、これらが一挙に露呈されたのである。国会を閉会させた6/16夜のBSフジの番組で、自民党の二階俊博幹事長は「今日は終業式」「自民党もそう痛手を負うことなく、国会を終えることができた」と豪語したつもりであった。
 ところがその翌日、6/17-18の毎日新聞の全国世論調査では、安倍内閣の支持率36%、不支持率44%と、ついに逆転現象が報じられた。不支持率が支持率を上回ったのは2015年10月以来のことである。「してやったり、にこにこ終業式」どころか、「痛手」は相当に深刻であること、取り返しも困難な事態に陥っていることが明らかとなった。
 さらに決定的なダメ押しが安倍首相自身によってなされた。東京都議会議員選挙の投開票が翌日に迫った7/1、JR秋葉原駅前「ガンダムカフェ」周辺での演説であった。ここは、2012年、2014年の総選挙で日の丸の旗を持った支持者が埋め尽くし、安倍首相への大きな応援コールが巻き起こった「総裁が選挙戦最終日に行う聖地」(自民幹部)である。支持率急落におびえ、街頭演説を控えていたが、「逃げている印象を与えるのも印象が悪い」と、首相自身が望み、都議選最終盤、最初で最後の巻き返しの最良の場として設定された。ところが、安倍首相が登場し、マイクを握り演説を始めると、支持者らの応援コールや拍手を圧倒する、大勢の大群衆の、「安倍やめろ!」「安倍帰れ!」の声がどんどん広がり、安倍首相が演説するごとにより一層拡大し、首相は冷静さを失い、逆ギレ。ついには目を血走らせて、目の前の聴衆を指差しながら「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と声を荒らげて叫んでしまった。支持者でさえカバーしきれない事態をもたらした。NHKはこの場面を放送せず、大手マスコミはほとんど無視したが、ネット上ではたちまち拡散された。口先だけの「反省」とは裏腹な、居丈高で、ファシスト的な政治姿勢をさらけ出してしまったのである。

<<「落とすなら落としてみろ」>>
 当然のことながら、東京都議選の結果は、自民党にとって惨憺たるものであった。投票率51.27%、都民ファースト49、公明23、自民23、共産19、民進5、その他8。自民党は現有議席57の60パーセントを失って、23議席へと激減した。一種の雪崩現象である。自民党の二階幹事長は、6/30の都議選の応援演説で「落とすなら落としてみろ。マスコミの人たちが選挙を左右すると思ったら大間違いだ」とすごんで見せたが、「落とすなら落としてみろ」が現実となってしまった。安倍氏や二階氏、自民党もマスコミも含めて、ここまで減るとは誰もが予想していなかった。「40議席割れの可能性はあったが、23議席は全くの想定外。何が起こったのかわからない」と嘆くほどの「自民の歴史的惨敗」である。都議選が、安倍政権への審判の場と化したとも言えよう。
 都民ファーストへの支持というよりは、むしろ安倍政権の傲慢な政治姿勢に対する怒りが、自民議員落選へと向かわせたものであることは明らかだろう。
 公明は、自らが関与してきた泥船が危ないと、自公与党路線から都民ファーストとの与党路線に転換。
 民進党は、蓮舫代表が小池都知事支持表明でそのあいまいな路線に離党者続出、離党者の都民ファーストへの鞍替え、それでも議席ゼロの予測がかろうじて5議席を確保。
 共産党は、選挙戦の対決構図が「自公対日本共産党」にあるとして、小池都政に対しては「半ば与党」の「是々非々」路線を公言して、2議席増。これを志位委員長は「大きな勝利だと考えております」と評価している(7/3記者会見)。
 民進と共産合わせて24議席、自民の23議席を超え、結果として自民党だけが壊滅的な打撃、敗北を被ったのである。
 問題は、共産党をも含めて、都民ファーストに明確な批判と政策対決を掲げた勢力が皆無に等しい選挙戦だったことが指摘されるべきであろう。小池知事は、自民党と袂を分かつ結果になったとはいえ、9条改憲でも核武装でも、軍事力増強でも、安倍首相の路線と極めて近く、腹心の部下である野田数(かずさ)氏は、もと東京維新の所属で、「国民主権は傲慢、直ちに放棄せよ」と主張する極右で、2012年、日本国憲法無効論に基づく大日本帝国憲法復活の請願を東京都に提出した人物である。小池知事は都議選で圧勝した翌日、小池氏の一存で、幹事長であった野田氏を「都民ファーストの会」の代表に復帰させている。年内にも立ち上げかという国政新党「国民ファースト」と自民・公明・維新の極めて危険な連立さえ画策されるであろう。彼らの思い通りにいくものではないとはいえ、都民ファーストに対する根本的批判姿勢が堅持された共闘、統一戦線が不可欠な事態の到来と言えよう。

<<「安倍退陣」の現実化>>
 都議選の自民敗北が示したのは、盤石とみられていた、“一強”のもろさである。「1強」のもとで批判が表に出ない自民党内の権力構造、政府権力の支配構造、それに胡坐をかいた国政の私物化、傲慢な政治姿勢がいったんほころび始めると、彼ら自身が予測できないほどの規模とスピードで崩壊現象が進行するという冷厳な現実である。
 有権者は自民党にNO! を突き付け、自民党以外の受け皿として、たとえ曖昧模糊としていてぬえ的であっても、事態を転換させる当面の受け皿として都民ファーストを選択したのであった。言い換えれば、自民党と同根である都民ファーストより、より魅力的で平和と民主と自治に貫かれた期待の持てる革新的な受け皿が形成されれば、根本的なば政治の転換が可能であるという展望をも示したと言えよう。逆に言えば、そのような明確な対抗軸をもった受け皿が革新の側に存在しなかったということでもある。
 いずれにしても、安倍首相が既定路線化していた2018年9月の自民党総裁3選と、それに連動する衆院解散、「9条改憲」戦略に相当巨大な壁が立ちはだかったのである。それどころか、「安倍退陣」が現実化しだしたのである。内閣改造どころか、「変えるべきは総理」という事態の進展である。
 時事通信が7月7日~10日に行った最新の世論調査では、安倍内閣の支持率29.9%、不支持率48.6%となった(時事ドットコムニュース 7月14日)。報道各社の最近の世論調査で内閣支持率は軒並み30%台に急落したが、それでも政府高官は、「今が底だ」と強気であった。しかしついに3割を切り、2割台まで落ち込み、首相周辺は「非常事態だ」と宣言せざるを得なくなった。同調査で、政党支持率は、自民が前月比3.9ポイント減の21.1%、民進は同0.4ポイント減の3.8%。以下、公明3.2%、共産2.1%、日本維新の会1.1%と続いた。そして支持政党なしがは同4.5ポイント増の実に65.3%となった。無党派が圧倒的多数なのである。既成政治勢力が見放されていることの証左でもある。
 現状の野党共闘ではまったく不十分なのである。可能な限りの全野党が結集し、様々な市民運動やグループ、個人を結集した、共同候補を擁立できる、新たな統一戦線組織、あるいは統一戦線党を結成することを呼びかけ、現実化させていく、そのような努力とアクションが求められていると言えよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.476 2017年7月22日

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【書評】『フクシマの荒廃—-フランス人特派員が見た原発棄民たち』

【書評】『フクシマの荒廃—-フランス人特派員が見た原発棄民たち』
      アルノー・ヴォレラン著、緑風出版、2016年11月発刊、2,200円+税) 

 「民家は空っぽだ。窓は開きっぱなしか、ガラスが割れているかだ。色褪せてしまったカーテンが風に吹かれている。国道沿いのDIYショップは閉ざされたままで、棚の道具類、肥料や種の袋は崩れ落ち、そこから草木が芽を出している。コンビニは施錠する間もなく、ベニヤ板で封鎖されている。(略)色褪せ、半分開いたままのゴミ袋が無人の家の玄関に置かれたまま化石のように固まっている。地震が破壊したものを放射性物質が化石化し、この田舎の小さな美しい村、手作りと商いの人里から人の姿を消してしまった」。
 本書は、フランスの日刊紙『リベラシオン』の特派員が、福島第一原発(1F、通称、イチエフ)事故の除染・廃炉作業に従事する労働者、元地元住民、「原子力ムラ」の広報担当者等々に迫ったルポルタージュである。
 上記の描写は、1Fへの途中の光景であることはいうまでもないが、「自然や植物相を制御し型にはめ込む傾向が顕著な日本」ではあるが、「この地方では野生が実権を取り戻した」—-水田のあぜ道が崩れていたり、木々が異常に枝を張って街路にはみ出したり、野生の竹が民家の居間の畳やアスファルトから出ていたり—-といった光景に著者は衝撃を受ける。
 さてその1Fでは、「物音一つしない無人の田園地帯からやって来て、地の果てに出現したこの人を寄せつけぬ人間蟻塚を前にすると唖然とさせられる。この腫れ物を、放射能汚染水あるいは一部は除染水を貯蔵するために急遽建設された数百のタンク群が彩っている」。「バスは進み、巨大な鉄板の上を走り、ゆれながら凸凹の通路を抜ける。座席から見える、無数のパイプ、排水管、ありとあらゆる種類のケーブルが斜面をびっしり覆っていて、壮観である」。そして「計器、タンク、センサーなどと連動して複雑に入り組んだ緻密なエンジニアリングの配管を見ると、原発がまるで点滴治療中で人工呼吸を受けているような印象を受ける」。
 免震重要棟の「入口で靴カバーを脱いで大きな屑入れに捨てるように指示される。東電の連絡担当者はよく働く。非常に有能で、安全基準、ミスの防止、指差確認を怠らない。質問に答え、万全の体制が整っており、何の心配もありませんと執拗に繰り返す。『発電所の状況はここ数ヶ月で大いに向上しました』。信頼と忍耐、冷静さと笑顔、訓練は行き届いている」。
 ところが新しいタンクの陸揚げ準備中の見学時、「(略)電気技師助手二名が見学に同行した。彼らは背後で規則的に線量数値を報告してくる。〈 太平洋岸、毎時一・五マイクロシーベルト、丸太の前、五、青色貯水槽沿い高台上、十五・六〉 という具合だ。それから、海岸に向かって再び下って行くと、彼らの線量計の数値が坂の途中でパニック状態になったのがわかった。表示カウンターは七五・四を示し、それから9の数字が十個くらい並んだのが見えた。すると助手の一人が計器盤を手で隠した。彼は鳩が豆鉄砲を食らったように目をまん丸くして、同じようにたまげて唖然としている同僚の顔を見た。二人の若手は何を思ったか線量計をあわててカバンにしまった。おかしな反応をするものだ。次の段階で放射能照射レベルは、われわれが履いていたニッケルシューズも放射線防護効果をふれ込み通りに発揮できる数値まで戻った。東電の広報活動とガラス張り運営には限界があると見た」。
 東電のこうした小細工的な対応は、さもありなんというところだろうが、観察の鋭さと表現(人間蟻塚、原発は点滴治療・人工呼吸中等々)のユニークさはアジア各地の民主化を取材してきた賜物であろうか。
 さて原発の現状に続いて、その現場で働く労働者にアプローチしようとするが、これがなかなか厄介であり、そしてようやく話を聞くことのできる労働者を見つけることができたとしても、ここで筆者は、日本社会の特異性にぶつかることになる。つまり底に流れる「組織への帰属意識」の強さである。
 「私が出会った人物たちは、犠牲になるのではなくて、現状に対応し、原発の解体に献身することを選択している。だが私は、集団の及ぼす力がいかに強いかを思い知った。日本では、集団が個人を凌駕する。この点はまったく旧態依然である」。
 筆者の出会った原発労働者の日常を支配している「服従、上下関係の尊重、義務感、隷属といったものに類似した空気」、諺で表せば、「出る杭は打たれる」について筆者はこう書く。
「要するに神聖なる調和の精神、ニッポン人の金科玉条『みんな一緒』を乱す者は叩かれる、のである。私は、あまりにもよく使われるこの諺は言葉の上だけだと思っていたが、『使い捨て人間』のリサーチをする過程で何度も耳にした」と。
 東ゼン労組(全国一般東京ゼネラルユニオン—-日本初の外国籍の代表者による他民族、多国籍合同労組)の委員長とのインタビューでの言葉を借りれば、「原発で働く者にとってノーと声を上げることはほぼ不可能である。なぜならば、拒絶すれば会社を辞めなければならないからである。仕事を失くし、特に会社そのものまで仕事場を失い、契約を打ち切られ、仲間たちも仕事を失くすことなる」からである。「だから、彼らは黙る。そして我慢するのだ」。
 「私はこの日、この業界の人たちがなぜ何も言わないのかが理解できた。(略)家族の次に大切な、否、いざという緊急時には家族よりも大切な会社の力、階層社会の重圧がよくわかった。こうした会社はまた、従業員に向けて秘密厳守の厳しい規則を定め、遵守させてきた。社員は会社の現状に関する情報(秘密ではない)を外部にもらしてはならない。私が会った人たちは皆、自分は話す権限を持たない。それは雇用契約で明確に禁止されていると言った。会社に迷惑をかけてはいけないのだ」。
 そしてこの状況を究極的に支配している「原子力ムラ」(産業界、政界、高級官僚の馴れ合い体質=「利権のトライアングル」と表されている)への消耗するインタビューを終えて、著者はこう語る。
 「それにしても、日本という国は不思議な民主主義国家だ。フクシマ以降、有権者には三度にわたる国会議員選挙でこの問題に関して意思表示する機会があった。そして、明らかに原発推進派である自民党が、毎回圧倒的な差で投票をかっさらった。これには驚かされる。確かに、選挙は民間原子力だけに関する住民投票ではないのかもしれない。しかし、一九四五年に核の烈火を浴び、二〇一一年から放射能の毒に襲われているこの国がなぜ、やみくもに核の道を進もうとする者たちを唯諾々と許すのか?」。
 本書が炙り出した状況は、われわれ自身が無意識に脇に追いやっている問題に関わる。これに関連して著者は、一つのエピソードを紹介している。
 「私の広島の友人、ミチコは子どもの頃、学校の社会見学で原子力平和利用の展示を見に行ったことがあった。ところで、この展示会はどこで行われたのか? それは、一九四五年八月六日に原爆が投下されたドームのすぐそばにある平和記念資料館前の広場だった。今ミチコは、厳粛な悲しみに包まれて原爆犠牲者の慰霊碑を囲む芝生の広場を手で指し示す。一体何が、主催者をしてこの場所で原子力平和利用の催し物を開くという発想をさせたのか」。
 日本社会の中で考える原発問題の前提を問う視点を与えてくれる書である。(R)

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【投稿】恐怖政治へ突き進む安倍政権

【投稿】恐怖政治へ突き進む安倍政権
             ―共謀罪の強行採決を糾弾する―

アベ・ファースト
 6月15日早朝、安倍政権は参議院本会議で「共謀罪」法案の採決を強行した。同法務委員会での採決を省略する「中間報告」という禁じ手を使っての暴挙である。
 こうまでして強引に6月18日の国会会期内での成立を図ったのは、会期延長によって加計学園に関する疑惑拡大と追及強化を封じ込めるためである。安倍の保身を最優先とした、民主主義を無視の乱暴な国会運営が森友問題に続き、ここでも公然と進められた。
 5月17日に「総理のご意向」文書が暴露された当初、官邸は菅が記者会見で「怪文書」であると切り捨て、前川喜平前次官の告発に対しては「読売砲」の援護射撃を受けながら、「出会い系風俗店に通う人間の言うことは信用ならない」旨の個人攻撃を繰り広げた。
 安倍も国会で問題の本質には触れず、お決まりの「印象操作」を繰り返すのみでかえって疑惑を深める結果となった。一方の当事者である文科省は当初は松野大臣が「文書は確認できない、調査の必要はない」と黙殺し、国会審議でも義家副大臣が「私が知らない文書は行政文書ではない」「情報を明かした職員は守秘義務違反だ」などと、暴言を連発していた。
 しかし次々と新たな証拠が明らかになる中、官邸は6月9日になって再調査開始を公表、その裏で「共謀罪」法案の強行採決を準備するという手段を画策していたのである。
 再調査の結果として、国会閉幕直前に安倍政権が見せたのは「文章は存在したが、それは役人が勝手に作ったものであり、内容は不正確である」という開き直りであり、前川証人喚問や閉会中の審査も拒否した。
 一連の疑惑の中で文部科学省がスケープゴートとされ、強引な幕引きを合理化するため「都議選への影響を懸念する公明党への配慮」などという詭弁も持ち出された。
 森友事件でも、「昭恵夫人付き職員」が生贄にされたが、己の保身のためには部下であろうが、与党であろうが切り捨て、利用すると言う醜悪さが露呈した。一方自分に阿諛追従する者は、性犯罪の処罰強化が審議されている国会開会中に明らかになったアベトモ「ジャーナリスト」のレイプもみ消し事件に明らかなように擁護する。
 これが安倍と家族、さらに友人と一部の腹心で構成される「ファミリー」ともいうべき私党が権力を独占、私物化し、三権の上に超越すると言う「安倍一強=アベ・ファースト政治」の本質である。
 
「主権簒奪・欽定憲法」
 安倍のこうした驕慢さは止まるところを知らないようである。5月21日毎日新聞は一面トップで「陛下議論受け『ショック』」とセンセーショナルな見出しをつけ、天皇退位に関する政府有識者会議の内幕を報じた。
 同紙によると安倍昵懇の有識者会議メンバーが「天皇は祈っているだけでよい」と大災害の被災地慰問などの公務を否定し、それを伝え聞いた天皇が「ショック」だったと「強い不満を漏らした」という。つくづく「祈り、祈らす」のが好きなファミリーである。
 そもそも政権が武家に移って以降、大政奉還を経ても権力者にとって天皇は、支配の為に利用する道具であった。そのなかで現在の象徴天皇制は史上最も安定したシステムであると考えられる。
 しかし天皇が退位を仄めかしたことに、安倍が自分に対する批判の表明ではないかと反応したため、権力との関係が一気に不安定なものとなった。
 「護憲天皇」に対する不満と、天皇が退位する一方で、自らの総裁任期を延長することへの後ろめたさから、安倍は法制化に否定的であり代弁者を有識者会議に送り込み議論を引っ掻き回したのである。
 安倍は自分に対する忖度は大歓迎なのに、天皇の意向を忖度しなかったため、取り巻きの御用学者もろとも、「尊王」のメッキがはがれ、自分第一の本性が露呈してしまった。
 安倍はこの国で誰が一番偉いかを知らしめたかったのであろうが、今回ばかりは、世論はもとよりマスコミも有識者の多くも天皇を支持したため、退位特例法は「一代限り」としながら、これを先例とすることを是認したうえで成立した。
 これにより、2018年末の現天皇退位、19年初の新天皇即位が確定的となり、安倍の目論む2020改憲にも影響を及ぼすこととなった。「静謐が求められる代替わりの時期」に国論を2分する国民投票を強行することは、厳しい批判を受けることだろう。
 ただ権力亡者は「天皇も新しくなったから憲法も新しく」などと、退位を逆手に取った政治利用をも視野に入れかねない。日本国憲法は天皇の地位を「国民の総意に基づく」としているが、退位問題を含め安倍はあらゆる意思決定を「国民の総意=国民主権」の上に置こうとしている。
 これは「主権簒奪」ともいえ、その意味で改憲策動は新たな「欽定憲法」の制定に等しいものである。自民党は5月3日の安倍「改憲宣言」を受け、9条1項、2項はそのままに、自衛隊の保持規定は「9条の2」として別条項を設けるなどの具体案を検討し、今年中の成案を目指している。

万人恐怖
 今後、護憲平和勢力は安倍改憲に対する取り組みを強めていかなくてはならないが、安倍政権は森友、加計事件追及に対する意趣返しも含め、あらゆる手段を持って弾圧に乗り出してくるだろう。
 自民党は森友の籠池に対し「総理を侮辱した」として、「不敬罪」であると言わんばかりの理由で証人喚問を決定した。前川に対しても「ご意向文書」などは、機密指定もされていない情報であるにも関わらず、国家公務員法違反という恫喝がかけられている。
 釜山領事館前の少女像設置に関し、日本への一時帰国措置を批判した総領事は更迭された。今後内閣人事局の人事査定など、公務員に対する締め付けは改憲もにらんで一層厳しくなると考えられる。
 一般人に対する抑圧も強化される。今後「共謀罪」は周知期間を置かずに、異例の速さで7月11日施行される予定となっている。これは政権の焦りを表すものでもあるが、すでに弾圧の準備は整っていると言うことであり、運動体には於いては十分な警戒が必要である。
 この間、新左翼党派へのスパイ工作が露呈しているが、市民団体などへの潜入はより容易いであろう。組織にもぐり込んだネトウヨが「あいつら犯罪を準備しているみたいです」と権力に通報することは容易に想像できる。
 こうした密告、疑心暗鬼による内部からの弱体化と強権的な捜査を進めるのが共謀罪である。すでに沖縄では弾圧と「偽りの事実」の流布により反基地闘争への抑圧が進んでおり、今後この状況の全国化が目論まれている。これらは、安倍政権がまさに恐怖政治による支配へと突き進んでいることを示している。
 室町時代、王権簒奪を目論んだ足利義満の五男である六代将軍義教は、守護大名の家督相続に介入(人事権の濫用)し、批判するもの逆らうものは、庶民はもちろん公家であろうと武家であろうと容赦なく処罰した。
 この所業に当時の後花園天皇の実父は日記に「万人恐怖、言う莫れ、言う莫れ」と記した。このままではやがて「平成上皇」が同じ思いをする日が来るだろう。
 
国際連帯と野党共闘進めよ
 こうした日本政府の反動化に国際社会も懸念を強めている。5月12日には既報の通り、従軍慰安婦問題について国連専門委員会から見直しが勧告されたが、
18日には国連のケナタッチ特別報告者が「共謀罪」法案について、表現の自由を不当に制約する恐れがあると、懸念を表明した。
 また、30日にはケイ特別報告者が特定秘密保護法について、ジャーナリストが委縮しないように改正の必要性について言及、6月12日に国連人権委員会で同様の報告を行った。
 15日には同委員会で沖縄平和運動センターの山城議長がアピールを行ったが、日本の民主勢力はさらなる国際連帯を進めなければならない。
 これらに対して日本政府は、慌てて反論を行っているが説得力の乏しいものとなっている。安倍は懲りずに「価値観外交」「俯瞰外交」という主観外交を繰り広げているが、トモダチが「反民主主義のリーダー」であるトランプ、プーチンというのでは、警戒されるだけであろう。
  ヨーロッパでは、右派の伸長が著しかったが、この間の英仏の総選挙は違った結果になり、ドイツでもメルケルの支持が伸びている。東アジアに於いても、トランプ政権は北朝鮮に政府高官を派遣するなど、硬軟織り交ぜた対応を進め、ロシアも米露の緊張緩和が進まなければ、領土問題の進展は有りえないと、日露2国間の枠組みを変更する姿勢を見せている。
 このような世界の動きに安倍政権は相変わらず対応しきれていない。とりわけ中国、韓国との関係改善に関しては二階幹事長に丸投げとなっている。その二階は6月16日のテレビ番組で、国民投票と総選挙の同時実施、2020年の改憲施行についても「適当でない」と発言し、安倍の強引な改憲スケジュールに釘を刺した。
 この間の、あまりに強引な国会運営、政権運営には与党、省庁からも批判が出ており、加計疑惑では混乱が露呈した。内閣支持率は急落したものの、野党はそれ以上に低迷している。
 民進党は、全国的に党勢回復には程遠い状況が続いている。国会が閉会した現在、地域、街頭での取り組みが重要になるが、とりわけ東京では都議選を前に組織が事実上崩壊し、そうした活動が困難という有様である。
 都議選は今後の国政選挙の動向にも影響を与えることから、野党共闘の基盤づくりに尽力することが求められている。(大阪O)

【出典】 アサート No.475 2017年6月24日

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【投稿】「パリ協定」を離脱するトランプ政権

【投稿】「パリ協定」を離脱するトランプ政権
         —日本も温暖化対策を転換せよ—
                       福井 杉本達也 

1 地球温暖化説を巡るマスコミの大嘘
トランプ米大統領は6月1日、地球温暖化対策の国際ルール『パリ協定』から離脱すると発表した。朝日新聞の3日の社説はこのトランプの離脱表明に対し「米国第一の身勝手な振る舞いに、怒りを禁じ得ない」と批判した。しかし、この社説には数々の嘘がちりばめられている。①「先進国と、成長の恩恵を十分に受けていない新興国・途上国が、利害対立を乗り越え…190を超える国が温室効果ガス削減に取り組むことになった。協定は画期的」というが、パリ協定では温暖化ガス削減の数値目標は「通知」のみであり「義務」ではない。温暖化対策推進論者である東北大学の明日香壽川氏でさえ、「パリ協定の誕生は京都議定書の死を意味する。名前だけではなく、京都議定書が持っていた各国目標に対する法的拘束力も消えた。」(明日香:「パリCOP21:終わりと始まり」2015.12.24)と嘆いている。つまり、協定で各国が提示している削減目標をすべて達成しても、協定の目標である「世界の平均気温上昇を、2度未満」にできないことが最初から分かっており、対策推進論から見ても、画期的な国際協定とはいえない。②「海面の上昇で国土が水没しそうな島国もある」というのも嘘である。「1978年にツバルが独立して,首都がこの島に定められると, 100~200人だった人口が現在は5000人近くまで急増して、海水がわき出す凹地に居住域が拡大していったというのがツバル水没の真実です。昔はこんなことはなかったのではなく,昔はここには人が住んでいなかった」(「ツバルで異分野を俯瞰する」茅根創:「科学」2016.12)のである。③「異常気象による災害や凶作は世界各地で頻発している。」というが、これは何の根拠もないデマである。異常気象と温暖化の関係は科学的に全く証明されてはいない。全ての異常気象を地球温暖化のせいにしたのではたまったものではない。マスコミは地球温暖化説においても、嘘を垂れ流す装置と化している。

2 温暖化はCO2ではなく太陽が主役
 太陽は我々に光と熱という電磁波と宇宙線を送ってくる。気候を考えると光と熱の電磁波が関心事となるが、衛星による大気圏外での測定結果では電磁波の強度はほとんど変化しないことが明らかとなっている。したがって、気候変動の外的要因として「太陽の活動が地球の気温に影響することはほとんどない」として太陽活動は不当に軽視されてしまった。しかし、宇宙線の強度の変化の方は雲量の増減をもたらし、気候変化をもたらすことが明らかとなってきた。宇宙線は大気とぶつかってイオンが生じ、イオンが増えることによって、イオンをタネにして低層雲がたくさん生まれる。低層雲は太陽光を反射するため地表の気温を低下させるのである。深井有氏によれば、太陽磁場は20年前から急速に弱まり、宇宙線強度は強くなるので、雲が増え気温が低下する。この結果CO2による温暖化が打ち消され、寒冷化する可能性が高いとしている(深井:『地球はもう温暖化していない』)。地磁気が反転する時も宇宙線強度は強くなる(かがくアゴラ「78万年前磁場で地球寒く」北場育子 日経:2017.6.2)。

3 パリ協定脱退はグローバリズムとの決別
 5月末にイタリア・シチリア島で開催されたG7サミット後の米国と他の諸国との関係はぎくしゃくしたものとなった。Trends Watcherは「トランプ大統領はホワイトハウスでの公式のパリ協定脱退表明で『グローバリゼーションがアメリカの利益を損なうもの』であるとして、暗に欧州を率いるドイツ(メルケル政権)を批判した。パリ協定の実態が(排出量税金として)アメリカの富を分配する機構になっているという批判は的を得ている」と。対する「メルケル首相は『パリ協定の取り組みへの反対がグローバリゼーションに逆らうもの』として、グローバリゼーションを代表するドイツの姿勢を明確に示した。『グローバリゼーション』を根拠にして欧州をまとめ、移民を受け入れるメルケル首相の本音が垣間見える」と評している(Trends Watcher net 2107.6.5)。「パリ協定」の中身である地球温暖化の防止に特に熱心であるわけではない。グローバリズムの中での交渉手段だからである。
 トランプ氏が反グローバリズムの旗を掲げるのには大企業からの支持もある。FINANCIAL TIMES米国版編集長のジリアン・テッドは「トランプ氏の就任前から、経営幹部はグローバル化への妄信を捨て始めていたということだ。良くも悪くもローカル化は進む」とし、理由として「中国の賃金コストの相対的な上昇」や「大規模なサプライチェーンの構築・維持には政治リスクや物流リスクが伴うと経営者が気付いた」ことなどをあげ、今期でGEのCEOを退任するイメルト氏は『最低の労働コストを追求するビジネスモデルは過去のものだ』とする(日経:2017.6.5)。

4 『地球温暖化』問題は冷戦後の新たな『プロパガンダ』として始まった
 オーロラ研究の第1人者で、アラスカ大学の赤祖父俊一氏は、原子力発電と結びつけてイギリスの科学者集団の意図を指摘している。「その原因については、冷戦時代まで遡らなければならない。冷戦時代には米ソ両国が、世界の人類を何回も抹殺できる原爆を抱えており、実際核戦争勃発の可能性も何回かあった。したがって世界中の科学者がその危機を危ぶみ、核兵器の撤廃について数百人の科学者が一致して署名したこともあった。」「ところが旧ソ連邦の崩壊が始まると冷戦の危機が退き、一部の指導的立場にある科学者などは、将来の大型研究プロジェクト創出のために世界的問題を摸索していたに違いない。その直前(1988年)、コンピュータによる将来の気候変動を研究していた米国のグループが炭酸ガスの放出を続けると100年後には温暖化が重大な影響をもたらすことを予測した。指導的立場にある科学者(核兵器の撤廃を叫んでいた科学者を含めて)が『地球温暖化』という問題をプロパガンダとして取り上げたことは容易に考えられる。『プロパガンダ』という言葉を使ったのは科学以外に政治的含みがあったからである。つまり、英国の科学者らが音頭を取ってこの問題を国連に持ち込み「Intergovernmental Panel on Climate Change(IPCC)」という組織を設立したのである。もともと英国では原子力発電を促進するために温暖化を持ち出すことが一つの理由として使われたようである。IPCCは学会でもなく、特に権威のあるものではない。英国の科学者などが中心になって温暖化問題を国連に持ち込み、IPCCを設立し世界中の学者を動員した腕はさすがと言わざるを得ない。」(赤祖父:『正しく知る地球温暖化』p146)。
 「しかし、100年先の温暖化の脅威を謳うだけで世界を動かせるわけがない。IPCCがモンスター化したのは経済原理、平たく言えば地球温暖化は金儲けの種になる」「国のレベルで商売になると判断されたからに他ならない」「気候変動枠組条約締約国会議(COP)は、現実には地球温暖化を種とした国家間の商取引の場」であり、EUは「排出権取引で儲けられると踏んでいた」からである(深井有:上記p156)。「空気のような存在」という言葉があるが、IPCCは人間の生活になくてはならない社会的共通資本である空気さえも儲けの種にしたのである。精神的腐敗の極みである。

5 環境問題を巡る中国の事情
 中国がパリ協定を批准したのは、世界第一のCO2排出国としての国際的批判をかわす意味もあるが、高度成長の結果、国内のPM2.5などを含む凄まじい大気汚染を放置できなくなったからである。EUは米国のパリ協定離脱後も中国との連携でパリ協定を推し進めていくというストーリーを描いたが(日経:2017.6.3)、結局、首脳会談では、EUが中国をWTO協定上の「市場経済国」と認めないという貿易問題を巡る対立が深く、発表予定だった気候変動を巡る共同声明は出せなかった(共同:2017.6.4)。中国としては、温暖化対策の国際的枠組みの大きな責任を追うことには後ろ向きである。最優先課題は国内の大気汚染の改善であり、結果としてCO2が減ればよいのである。成長の足かせとなるような排出総量の削減には否定的である。パリ協定はグローバリズムの中で、中国の権益を守るための交渉の一つの手段に過ぎない。

6 大気をも商品化するグローバリズムの極限形態
 パリ協定を離脱したトランプ政権が環境政策の理解が深いかどうかは疑問であるが、少なくとも反グローバリズムである。日本ではトランプ政権は温暖化を認めず「反科学的」であるとする論調が目立つ。「大多数の科学者」が「人間活動が温暖化を深刻にする」という考えを支持するからといって「科学的」というわけではない。これまでも米国では温暖化予測の不確かさの要素として、○太陽光を反射・吸収する大気中の微粒子、○熱の量を変える雲、○海洋循環の影響、○太陽活動や宇宙線の変動、○大規模噴火などをあげられ、科学論争がなされている(日経:2017.6.5)。日本はトランプ政権の政策転換を奇貨として、温暖化対策一辺倒の政策を改めるべきである。①気候変動の原因はCO2だけではなく、太陽活動が重要である。②CO2による温暖化と太陽活動による寒冷化は打ち消し合い、今後、気温は横ばいか寒冷化する。③CO2の増加そのものは何ら害を及ぼさない(深井:同上p175)。
 地球温暖化論は、ついに我々生物が呼吸する大気までをも商品化するというグローバリズムの究極形態である。大気中のCO2が増えれば植物の生育はよくなる。あたかも人体に害を及ぼすかのように大気中のCO2を減らそうとする政策は全くの無駄である。CO2を減らすために石油や石炭などの化石燃料の使用を減らすというのは逆立ちした論理である。将来の世代に備えて化石燃料の使用を控えるというべきである。ましてや、CO2を減らすために原発を推進するというのはとんでもない話である。一旦、環境中に漏れ出た放射能は膨大なエネルギーを投入しても回収は不可能である。

【出典】 アサート No.475 2017年6月24日

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【投稿】「この国の政治状況はファシズムそのもの」 統一戦線論(37) 

【投稿】「この国の政治状況はファシズムそのもの」 統一戦線論(37) 

<<「国会が死にかけている」>>
 いよいよ安倍政権は9条改憲へなだれ込み、議席多数の暴力でなりふりかまわず、突っ走ろうとしている。しかしそうは思惑通りにはいかない事態が立ちはだかっている。
 国会会期末終盤の共謀罪強行採決のでたらめぶりは、安倍政権のうろたえぶりの反映でもある。
 「世界平和アピール七人委員会」(武者小路公秀、土山秀夫、大石芳野、小沼通二、池内了、池辺晋一郎、高村薫の各氏)が6/10、「国会が死にかけている」と題する緊急アピールを発表し、「かつてここまで国民と国会が軽んじられた時代があっただろうか。」として、現在の事態の本質を以下のように鋭く指摘している(全文)。

 戦後の日本社会を一変させる「共謀罪」法案が上程されている国会では、法案をほとんど理解できていない法務大臣が答弁を二転三転させ、まともな審議にならない。安倍首相も、もっぱら質問をはぐらかすばかりで、真摯に審議に向き合う姿勢はない。聞くに耐えない軽口と強弁と脱線がくりかえされるなかで野党の追及は空回りし、それもこれもすべて審議時間にカウントされて、最後は数に勝る与党が採決を強行する。これは、特定秘密保護法や安全保障関連法でも繰り返された光景である。
 いまや首相も国会議員も官僚も、国会での自身の発言の一言一句が記録されて公の歴史史料になることを歯牙にもかけない。政府も官庁も、都合の悪い資料は公文書であっても平気で破棄し、公開しても多くは黒塗りで、黒を白と言い、有るものを無いと言い、批判や異論を封じ、問題を追及するメディアを恫喝する。
 こんな民主主義国家がどこにあるだろうか。これでは「共謀罪」法案について国内だけでなく、国連関係者や国際ペンクラブから深刻な懸念が表明されるのも無理はない。そして、それらに対しても政府はヒステリックな反応をするだけである。
 しかも、国際組織犯罪防止条約の批准に「共謀罪」法が不可欠とする政府の主張は正しくない上に、そもそも同条約はテロ対策とは関係がない。政府は国会で、あえて不正確な説明をして国民を欺いているのである。
 政府と政権与党のこの現状は、もはや一般国民が許容できる範囲を超えている。安倍政権によって私物化されたこの国の政治状況はファシズムそのものであり、こんな政権が現行憲法の改変をもくろむのは、国民にとって悪夢以外の何ものでもない。
 「共謀罪」法案についての政府の説明が、まさしく嘘と不正確さで固められている事実を通して、この政権が「共謀罪」法で何をしようとしているのかが見えてくる。この政権はまさしく国会を殺し、自由と多様性を殺し、メディアを殺し、民主主義を殺そうとしているのである。

 「この国の政治状況はファシズムそのもの」と、真摯で率直かつ真剣に現状を憂慮して、安倍政権を弾劾しているこの緊急アピールは、安倍政権に疑問と怒りを持つさらに広範な人々の結集の軸となり、「安倍政治を許さない」反撃の足場となり得よう。

<<「驕るな!安倍」>>
 しかしこの「許容範囲を超えたこの国の政治状況」は、ここまで安倍政権が追い込まれていることの反映でもあることを見ておく必要があると言えよう。
 国会会期末最終盤、政府・与党は衆参で過半数どころか3分の2の議席を持っているにもかかわらず、会期延長もできずに、委員会審議や採決もすっ飛ばして、本会議での中間報告などという奇策に頼らざるを得なかったというのが実態である。
 連日繰り返される国会前や全国各地の安倍政権への抗議行動は、欧米各紙で報じる事態となった。森友・加計疑惑で露呈された「認めない」「調べない」「謝らない」実態が、次から次へと明らかになり、権力を私物化した側近政治が、目に余る事態、もはや制御しようのない泥沼化を呈しだしたのである。
 ここまでくればとても安倍政権を擁護しきれなくなってきた週刊誌各誌が政権批判に転じざるを得なくなった。新聞広告、電車のつり広告で際立ったのが、週刊文春6/15号トップ大見出し=「驕るな!安倍」である。小見出し「読者調査では『前川喚問』賛成86% 内閣支持率22%」、「現職文科幹部が本誌に激白『不満を持っている人は大勢いる』」。本文リードは「安倍政権は一線を越えつつある。安倍一強の驕りを撃つ!」と続く。さらに緊急特集・「読売『御用新聞』という汚名」の大見出し、「読売記者『出会い系記事はさすがにない』」「首相と『会食30回』でダントツ」の小見出し。
 証拠文書を「怪文書」扱いし、人格攻撃に御用新聞の汚名そのままの読売新聞を利用し、居直り続けてきた菅義偉官房長官も、記者会見でついに答弁不能に陥いる事態となった。急きょ、安倍政権は一転して文科省内の再調査に追い込まれ、「確認できなかった」はずの文書がたちまち「確認できた」のである。そして、6/16の参院予算委員会では菅官房長官が「文書の出所が明らかになり(怪文書というのは)現在の認識でない」とついに発言撤回に追い込まれた。
 とにかくこれ以上追い込まれたくはない。追い込まれれば、安倍政権は決定的なダメージを受ける。何としても早急に国会を閉会したい。その焦りが、強引な手法、野党の裏をかいて委員会での採決を行わず、問答無用、突然本会議を開いて採決強行、国会会期延長なしで閉会という、安倍政権のファシズム的本質・体質を露呈させたのである。
 自民党の二階俊博幹事長は6/16夜のBSフジの番組で、加計学園問題をめぐり、「大騒ぎして頂いたが、このことで国会審議が左右されることは、ばかばかしい話だ」と世論を愚弄し、政権の深刻な政治的行き詰まりに何の反省の弁さえもなく、「今日は終業式」「自民党もそう痛手を負うことなく、国会を終えることができた」と開き直った。政権の体質を最悪の形であらわにした、傲慢そのものの政権運営、安倍・菅・二階のファシスト・トリオの悪しき面目躍如、追い詰められた悪あがきである。

<<「くだらないとバカにするのではなく」>>
 この間の事態について、作家の辺見庸氏は、自身のブログで「アタマがとっくに退化した人民大衆とメディアは、アハアハ笑って現状をよろこび、内閣支持率をあげた。」(6月15日)、「このクニの知識層(あるとしたら、だが)はこれまで、安倍らを知的〈劣位〉のものとして、みくだしてこなかったか。ニッポンの悪の因を、安倍らの知的〈劣位〉に代表させ、象徴させてこなかっただろうか。たたかうのでなく、みくだし、みくびることで、怠惰でいじましい愉楽を感じてきたのではないか。安倍はおそらくそうしたまなざしを知っていた。共謀罪は、安倍らによるしっぺ返しである。からだをはって『努力』してきたのは、このクニの知ではなく、安倍ら反動権力のほうだったのだ。」(6月16日)、「このクニには民主主義など、むかしもいまも、ない。あったためしがない。ひとつ。政治という見世物の興行主たちは、想像をぜっするほどに、あくどい。ひとつ。いま、かがやいているのは、〈悪の知性〉と〈悪の想像力〉だけである。なんの意味もない。つくづく気色わるくなる世の中だ。」(6月17日)と述べている。まさに『絶望という抵抗』(辺見庸・佐高信・共著、2014/12、金曜日)の言であろう。
 しかし、安倍内閣の支持率は4カ月連続の減少となっている(時事通信6/16)。毎日新聞の6/17-18の全国世論調査では、安倍内閣の支持率は36%で、5月の前回調査から10ポイント下落。不支持率は44%で同9ポイント上昇、不支持率が支持率を上回ったのは2015年10月以来の事態となった。ついに逆転である。TBSラジオのミニ世論調査「あなたは安倍政権を支持しますか。しませんか」では、「支持する」7%に対し、「支持しない」は93%である(6/16)。事態は刻々と変化している。もちろん一方では、「最新の世論調査では20代の若者の安倍政権の支持率は68%にも及んでいる」(6/17 ビデオニュース・ドットコム)というデータもある。これは、就職と低賃金と非正規労働にあえぐ若い世代にとっては、自由競争原理主義の新自由主義と緊縮政策・増税政策に明確にノー!を突き付け、経済政策の根本的転換を明示したニューディール政策を明確に掲げられない、共産党をも含めた野党に愛想をつかしている、魅力を感じさせない、その反映とも言えよう。
 翻訳家の池田香代子氏は「あまりにもくだらないことが多くて、脱力してしまう時もあるのですが、それでは相手の思うツボです。くだらないとバカにするのではなく、一つ一つちゃんと考えていかねばなりません。あきらめる必要などまったくありません。」と語っている(しんぶん赤旗6/15号)。
 「みくだし、みくびる」のではなく、〈悪の知性〉と〈悪の想像力〉を徹底的に解体し、批判し、対案を対置できる、野党、共闘、統一戦線こそが要請されている。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.475 2017年6月24日

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【書評】新藤 謙『体感する戦争文学』

【書評】新藤 謙『体感する戦争文学』
         (2016年、彩流社、1,800円+税) 

 庶民的視点からのユニークな文芸評論家、新藤謙の最後の著作である。その視点を特徴づける、高木俊朗の『陸軍特別攻撃隊』(1975年)からの引用文を紹介しよう(本書「第五章 軍部告発の文学──五味川純平・高木俊明」)。
 高木は敗戦間近の時期、報道班員としてフィリピンにあり、ここに配属された特攻隊、万朶(ばんだ)隊と富嶽(ふがく)隊を題材にして、この作品を書いた。新藤は、高木の書にある「特攻隊が主力化したのは、その根本は、日本の軍需生産力が底をついたためであった」という指摘と、特攻を導入した日本軍の構造的矛盾と欠陥およびその中での兵士の心情の的確な捉え方を高く評価する。そしてより重要な点は次の文章であると強調する。孫引きで恐縮だがこうである。
 『日本の国内でも、軍国主義の傾向を警戒する論議が多くなった。だが果たして、日本に軍国主義が復活したのだろうか。私が戦記を書くために取材をつづけてきた立場からいえば、軍国主義は復活したとは思えなかった。それは、むしろ、軍国主義が残っていたといえるようであった。/軍国主義を考えるために、密接な関係があるのは、戦争責任の問題である。戦後に戦争責任を追及しなかったから、軍国主義が生残ったともいえる。しかし、それよりも、軍国主義が生残っていたからこそ、戦争責任を追及しなかったのではないか』。
 この視点から、この文章のすぐ前にある五味川純平の『ノモンハン』(1975年)を扱った個所でも、新藤は、ノモンハン事件—-1939年に起った満蒙国境を舞台とする日本関東軍とソ連・外蒙軍との戦闘—-を通して「日本軍の構造的宿痾と、高級軍人たちの異常な精神構造」を解明し、告発するこの作品を評価する。そして戦闘の敗因をソ連の戦力に対する過小評価と、それと一対をなす自軍への過大評価=「高級軍人たちの独善的で空疎な精神主義、増上慢(おごり高ぶること)」にあると見る。「それが野心(冒険主義)と功名心、人命無視思想と結びつくと、計り知れない犠牲をもたらす。それを不幸にも実証したのが、ノモンハン戦闘であり、アジア・太平洋戦争であった」と喝破する。
 『ガダルカナル』(1980年)についても日本軍の人命軽視の思想は同様で、戦死よりも餓死・戦病死がはるかに上回る異常な状況(かつて小田実はこの状況を題材に『ガ島』(1973年)という小説を書いたが)に対して、五味川の『兵隊は、戦争の善悪を問わないとすれば戦士であるから、戦って死ぬのは仕方がない。だが、何十日も飢える義務など、国家に対しても、天皇に対しても、ましてや将軍や参謀などに対して、負ってはいないのである』と引用し批判する。
 しかも、こうした戦いを指導した高級参謀たちに対する責任が全く問われぬままに、次の作戦に移っていくという無責任体制が日本軍には付きまとっていた。
 新藤は、こう述べる。
 「許せないのはノモンハン戦闘の参謀だった辻政信や服部卓四郎が、ノモンハンの失敗を反省することなく、同じ愚劣な野心によって三年後、ガダルカナルやニューギニアで、ノモンハン以上の犠牲を将兵に強いたことである。そこから五味川は、次のように痛烈に結論する。/『不思議なことに、有能な参謀は概して戦闘惨烈の極所を担当しない。惨烈の極所から身をかわす可能性を持った者が、前線将兵に惨烈の極所を与える如く作戦する。しかも名声を傷つけない。想像するに、彼は、その上級者としてよほど凡庸な将軍たちに恵まれたのである』」。
 その高級参謀の一人であった辻政信は、戦後、国会議員にまで当選した(最後はラオスで暗躍し、行方不明になったが)。新藤は皮肉で言う。「おそらく、彼の冷酷な人命無視の過去を知らない国民に支持されたのである。国民は戦争中と同じようにまた騙されたのである。愚劣な人間を選良とする国民もまた、愚劣というほかない」と。
 このように本書は、小冊子ながら文学作品に表れた戦争をテーマに、妹尾河童『少年H』、学童疎開の文学、大岡昇平『俘虜記』、石川達三『生きている兵隊』、水上勉『日本の戦争』、徳川無声と古川ロッパの戦中日記等々多様な文学が俎上に載せられる。そしてその視点は戦前~戦後と続いている人命無視の日本国家の体質批判へと向けられる。現在の状況と重なるところも多々ありながら、いまだ十分に検討されたとは言いがたい問題が提出されており、本書に眼を通すことでこれらの問題を今一度意識に上らせることが必要であろう。
 (なお著者の新藤謙氏はこの二月に逝去された。心よりご冥福をお祈りする。)(R)

【出典】 アサート No.475 2017年6月24日

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【投稿】外交戦略の頓挫と改憲宣言

【投稿】外交戦略の頓挫と改憲宣言
              ~安倍改憲策動阻止する共同行動を~

<対北朝鮮スケジュール闘争>
 共謀罪、森友、加計問題で揺れる国会審議を強引に進めるため、安倍は引き続き北朝鮮を利用し、朝鮮半島危機を演出している。政府は4月21日、都内で開かれた都道府県の危機管理担当者会議で、北朝鮮の弾道ミサイル落下を想定した避難訓練を実施するよう要請、危機と不安を煽った。
 こうしたなか北朝鮮は4月29日早朝、今年6回目の弾道ミサイル試射を行っが、発射数分後に爆発、北朝鮮国内に落下したと見られる。この際、東京メトロと東武鉄道は10分間わたり全線で運行を停止、JR西日本も日本海に面する一部路線で運転を中止した。
 これらの措置は、テレビのニュース速報を見ての対応で、本当にミサイルが日本を狙ったものだったら、到底間に合っていないお粗末なものだった。祝日の早朝で混乱はなかったが、鉄道各社としてみれば、官邸の意向を忖度したものであったと考えられる。一方で肝心の政府の対応は、安倍は外遊中、Jアラートも発しない平常運転という滑稽なものとなった。
 また、その航路が不明瞭だった「カール・ビンソン」打撃群は同日対馬海峡を通過し日本海に入った。5月1日防衛省は、この艦隊への物資補給のため、横須賀を出港する米海軍の貨物弾薬補給艦に対する防護任務を、初めて海上自衛隊に発令した。
 これに基づき「いずも」及び途中合流した護衛艦「さざなみ」が相模灘から奄美大島付近までの間防護活動を行ったが、現実的には北朝鮮の航空機、潜水艦が太平洋に進出してくるのは困難であり、必要性は稀薄なものであった。
 元々両艦の行動はシンガポールでの国際観艦式参加のための航海であり、たまたまスケジュールが合致したため実施された、朝鮮半島危機扇動と日米同盟強化の既成事実づくりの弥縫策であった。
 政府が本気なら、4月28日に呉から佐世保に転籍(移動)したヘリ空母「いせ」を大隅海峡から対馬海峡までの九州西岸海域で防護任務に当たらせただろう。五島列島や対馬近海は北朝鮮潜水艦の活動可能海域であり、より高い緊張感が演出できたと考えられる。「いせ」は「いずも」型には無い、高性能ソナーや対潜ミサイル、魚雷を装備する世界屈指の「潜水艦キラー」であり、こうした任務にはうってつけの艦である。
 しかし今回、補給艦の出港もしくは「いせ」の抜錨を数日遅らせたり、佐世保から反転させられなかったのは、防護作戦が直前に慌てて決められたもので、米軍との調整も不十分であったことを物語っている。
 今回の一連の騒動は、国民に緊急事態、緊張感を要求しながら、政府は既定の日程を優先させると言うスケジュール闘争でお茶を濁す、泥縄式の危機対応の本質が露呈したものとなった。
 またこの間安倍はトランプと頻繁に電話協議を行ったとされておいるが、その内容は非公表とされている。これは秘密保護のためなどと言われているが、トランプにそれを求めるのはジョークであろう。内容が公表できないのは中身なしのパフォーマンスと批判されても仕方がない。
 5月15日の参議院決算委員会で稲田は、陸上配備のイージスシステム「イージス・アショア」の導入に言及した。しかし現在日本のミサイル防衛(BMD)は海自が主坦であり、今後BMD対応イージス艦の増勢が計画されている。
 そこに「イージス艦より1千億は安い」と「イージス・アショア」を押し込めば、限られた予算の中での陸海空の押し付け合い、縄張り争いが惹起するだろう。
 朝鮮半島危機を口実に進められるこれら軍拡は、中国に対しても向けられるものである。北朝鮮対応を持ち出されれば批判しにくい点を見越しての策略と言え、今回の「いずも」の行動にしても、米艦防護から南シナ海長期巡航は一連の動きである。中国政府は米艦防護に公式の反応は示していないが、各報道機関はそれを注視しており、南シナ海での活動如何では中国政府も何らかの対応を行うだろう。

<動く世界と動かない安倍>
 安倍政権がこうした無定見な緊張激化策にうつつを抜かしている間に、国際情勢とりわけアジアの状況は大きく変化している。
 5月10日、韓国で文在寅大統領が誕生した。翌日には日韓電話協議が行われ、慰安婦問題に関し再交渉は触れられなかったものの、安倍は「韓国国民の大多数が情緒的に合意を受け入れられないでいる」と突き付けられた。翌12日には国連の「人権条約に基づく拷問禁止委員会」が、日韓合意は不十分だとして見直しを勧告した。日本政府は反発しているが、国際的認識を背景に韓国からの要求が強まる可能性がある。
 安倍政権は経済、軍事での日米同盟強化で中国封じ込めを外交の基本としてきたが、現在大きく揺らいでいる。5月11日、アメリカ産の牛肉、液化天然ガスなどの対中輸出拡大10項目で米中が合意したことが公表された。またCNNは5日国防総省が海軍からの「航行の自由作戦」承認要請を却下した、と伝えた。南シナ海での同作戦はオバマ政権下で4回実施されたが、トランプ政権下では行われていない。
 こうした状況の中14,15日北京で「一帯一路」国際会議が、アメリカを含む約130か国から1500人が参加して開かれた。またAIIB(アジアインフラ投資銀行)加盟国は77か国に拡大したことが明らかとなった。
 5月18日には中国貴陽市で南シナ海問題に関する中国、ASEANの高級事務レベル協議が行われたが、法的拘束力のある行動規範の具体化には踏み込めなかった。一方19日の中比協議では、仲裁裁判所の判決を棚上げし次官級会合の定期開催で合意した。
 南シナ海問題の一方の当事者であるベトナムも「一帯一路」会議に、国家主席が参加、タイも中国製兵器の購入を拡大させ、韓国も新体制の下、対中修復を図るなど、中国の影響力は一段と拡大している。
 これに加え今後、TPPの頓挫、米中貿易合意でアメリカからの通商圧力が強まることに恐怖した安倍政権は対外政策の修正を図ろうとしている。日本はトランプ当選直後はアメリカ抜きのTPPは考えられないとしていたが、方針を180度転換し、11か国での発行を目指すこととしたものの、5月21日の閣僚級会合では合意できず、結論は11月まで先延ばしとなった。
 日本が主導し67か国が加盟するADB(アジア開発銀行)は、5月4日横浜で開いた年次総会でAIIBとの協力、連携を表明せざるを得なくなった。
 「一帯一路」会議には二階幹事長を事実上の特使として派遣、習近平との会談で「日中関係の拡大」が確認された。来日した韓国の文喜相特使との会談で安倍は慰安婦合意の履行を強く求めなかった。
 中韓との連携も北朝鮮への対応が優先と解説されているが、形式的な「軍事的圧力」は奏功せず、北朝鮮はミサイル試射を継続し、技術力を高めている。一方米韓とも条件が整えば北朝鮮との首脳会談も辞さずとし、プーチンも金正恩体制の存続を前提とした解決に言及している。
 こうなれば、今後いかにして対話のテーブルを構築するかが課題となる。本来なら安倍は「関係各国首脳の中で平壌へ行ったのは私だけ」と胸を張って言えるのに沈黙を続けている。あちらこちらで拳を振り上げている間に、各国間の調整が進み、安倍政権は今後ますます、厳しい判断を迫られることになるだろう。

<「詳しくは読売新聞で」>
 「危機」をよそに決行した訪露でも思った成果は無く、外交面での八方ふさがりの鬱憤を晴らすかのように5月3日、安倍は改憲集会にビデオメッセージを寄せ、憲法を改正し2020年の施行を目指すことぶち上げた。
 このなかで安倍は、日本国憲法の9条1項2項を残した上で、自衛隊の保持を明文化した第3項を書き加えると言う、踏み込んだ提案を行った。
 安倍は8日の衆議院予算委員会で民進党の追及に「総理大臣としての発言ではなく、自民党総裁としての発言」と詭弁を呈し、「総裁としての考えは読売新聞に書いてあるので熟読してほしい」との開き直りを見せた。あまりの国会軽視に自民党の浜田予算委員長も、この場で一新聞社を持ち出すのは不適切と安倍を注意、当の読売新聞も橋本五郎が読売テレビの番組で苦言を呈さざるを得ないほどであった。
 自民党の2012改憲草案では9条を事実上廃棄し、国防軍の創設を明記するとしているが、今回の「安倍ビデオ」では総裁としての発言といいながら、それとはかけ離れたものとなっており、自民党内でオーソライズされたものではないのは明らかである。
 それを日頃は目の敵にし、意見を無視する「憲法学者」に自衛隊違憲論があるから、と屋上屋を重ねるような第3項を追加すると言うのはご都合主義も甚だしい。こうした矛盾を抱えたまま現行の自衛隊で妥協すると言うのは、自民党改憲草案の「放棄」であろう。
 ポスト安倍を伺う石破や岸田は「党内でこのような論議は一回もしていない。読売新聞をよく読んだが判らなかった」「9条を今すぐ改正することは考えていない」と否定的な見解を明らかにした。
 次期総裁争いに絡み安倍との差別化を図ろうとする点を差し引いても、こうした発言が党内から出ること自体、今回の提案が、いかに独断専行、それこそ「共謀」ではなく「単独犯」であったかを物語っている。
 さらに「安倍ビデオ」では、「共謀罪」と同様に2020の東京オリンピック、パラリンピックを引合いに「日本が新しく生まれ変わる」ため改憲が必要と、露骨なスポーツの政治利用を臆べもなく行った。また改憲項目に、「教育の無償化」という賛同を得やすい内容を掲げているのは、巷に横行する「抱き合わせ販売」にほかならない。
 自民党改憲草案は「直球」であるが、今回の安倍提案は「変化球」「癖球」であり、これにより野党、平和勢力の切り崩し~「改憲総選挙」が狙われている。安倍政権は衆議院で「共謀罪」採決を強行した。安倍の真の狙いは憲法の民主的条項の空洞化であること暴露し、安倍改憲を阻止する取り組みが求められている。(大阪O)

【出典】 アサート No.474 2017年5月27日

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【投稿】原発再稼働と死滅する地方自治

【投稿】原発再稼働と死滅する地方自治
                            福井 杉本達也 

1 高浜4号機の再稼働、しかし、県民の生命と財産に無責任な福井県
 5月17日、関電高浜4号機が再稼働した。昨年3月に大津地裁の運転差し止め仮処分決定で3号機の原子炉を停止して以来1年3か月ぶりの再稼働である。福井県の西川知事は「実績を積み重ねることにより国民理解を得る」ことだというコメントを発表した(福井・2017.5.18)。ここには、福島第一原発事故の「災禍の甚大さに真筆に向き合い二度と同様の事故発生を防ぐとの見地から安全確保対策を講じ」(大津地裁決定)ようとする姿勢は微塵もない。ようするに県民の生命・財産はどうでもよい。ともかく再稼働することによって既成事実を「積み上げ」県民に押し付けるということである。福島第一原発事故後、当時の野田政権下で、いち早く大飯3,4号炉の再稼働を受け入れた福井県の相変わらずの方針である。福島原発事故では事故処理要員を詰め込み、なんとか事故の影響を最小限に食い止める役割を果たした重要免震棟も未設置であり、住民避難計画もまともなものとはいえない、しかも、福島原発3号機では水蒸気爆発を起こした核燃料プールには大量の使用済み核燃料が放置されたままとなっている。知事は、中間貯蔵施設を県外に設置するべきだと関電に要求しているが、受け入れ先はない(福井:同上)。
 こうした知事の考えを「忖度」して、県庁前の交差点で毎日反原発を訴える市民グループに対し、県財産活用推進課長名で「桜の時期で美観上好ましくない」として、「景観に配慮し自粛を要請する」文書を出していることが明らかとなった(福井:2017.4.22)。同交差点での活動は約5年間、県条例に基づき県警に申請を出しており、県公安委員会の権限であり、知事部局の権限の全く及ばないものである。知事部局は何を根拠に文書を出したのか。明白かつ違法な恫喝行為であり厳しく責任が問われなければならない。

2 廃炉が決まった「もんじゅ」で命のやり取りをする福井県
 西川知事の関心は県民の安全にはない。廃炉が決まった「もんじゅ」を交渉材料に、敦賀市周辺での「国内の大学などの原子力研究を支援」・「原子力研究や人材育成の国際的拠点」など「新たな研究開発拠点化」を文科省に要求している(福井:2017.4.27)。かつて「もんじゅ」の運転再開を取引材料に北陸新幹線の金沢駅から敦賀駅までの延伸を国に認めさせたように(福井:2008.12.9「認可なしならもんじゅ再開認めず―新幹線『敦賀まで』求め県会」)、高浜3・4号機の再稼働もこうした取引材料の持ち駒の1つに過ぎないのである。
 敦賀駅前に「福井大学附属国際原子力工学研究所」という新しい建物がある。研究所の紹介欄では「実炉を対象とした原子力の基礎・基盤研究」・「フランス、アメリカをはじめとしる海外の研究機関との活発な学術交流」・「原子力に関する基礎教育・専門教育」を掲げている。県としては敦賀周辺に原子力関係の大学や研究機関を集めて一大研究拠点を作ろうという算段である。
 しかし、3.11を経験した今「原子力研究」とは時代錯誤も甚だしい。原子力を研究しようとする学生は益々減っている。「原子力産業は人材不足」と報じられており、「学生の原子力離れは依然として深刻な状況で、特に原子力“以外”の学問を専攻した学生の(原子力関連企業の就職)セミナー参加者が、顕著に減少している。」(HUFFPOST・2014.1.14)とされる。しかも、福井県の「研究拠点化計画」には栗田前知事時代の1998年に電力交付金を投入して立ち上げた「エネルギー拠点化計画」=「若狭湾エネルギー研究センター」という失敗前例がある。当初、研究センターでは加速器(シンクロトロン)による植物の品種改良や材料評価と新材料の開発などが掲げられたが、予算の制約から加速器の能力が「帯に短し襷に長し」という中途半端なものであったため施設の利用は低迷し、途中で計画を医療用に変更し、陽子線照射によるがん治療を研究目的の中心に据えた。しかし、がん治療も臓器が動かない前立腺がんなどに限られるとともに、厚労省が他の治療方法と大差ないとして健康保険の適用を頑として認めないため治療費は全額自己負担となり300万円もかかっている(現在、治療は福井県立病院内に同様の施設が設置されたため移管されている)。一体、誰が利用するのか。計画変更の痕跡は加速器に向かう通路の左側の壁の1mほどの不自然な出っ張りにある。当初、治療行為を想定していなかった部屋に陽子線を照射することとなったため、陽子線を漏れないようにするためである。
 エネルギーという括りでは、栗田前知事の時代・1989年から敦賀市の敦賀港と中池見湿地に大阪ガスのLNG基地を誘致する動きがあった。しかし、この計画は表向き湿地保存の環境団体の反対により頓挫することとなるが、裏では関西地区のエネルギー覇権を巡り大阪ガスとバトルを展開していた関西電力が暗躍したとも見られている。当時の河瀬敦賀市長も日本原電の3,4号機増設計画の金に目がくらみ誘致に消極的になったことがあげられる。西川知事も2014年に「エネルギー戦略特区」でLNG輸入基地やLNG火力の誘致を提案したが(福井:2014.4.25)、かつての中池見のような具体的候補地はなく、大阪ガスも消極的で尻すぼみとなった。ようするに、これまでの福井県の「原発地域振興策」は行きあたりばったりであり、県民・国民の命と引き換えにするようなものではない。

3 伊達市の「心の除染」という虚構(黒川祥子著)
 伊達市は福島県の北部、宮城県と県境を接している人口62,000人の自治体である。このうち小国地区は人口1,300人あまり。山間に広がる集落で、大きく上小国、下小国に分かれる。福島第一原発からは直線距離で50km離れているが、西隣には福島市内で最も放射線量が高い渡利(わたり)地区があり、全村避難した飯舘村は山一つ隔てて南東側に隣接している。仁志田昇司伊達市長は福島原発事故による放射性物質の「除染」よりも、放射能を怖れる気持ちを取り除く「心の除染」をすべきであると主張する(『「心の除染」という虚構 除染先進都市はなぜ除染をやめたのか』黒川祥子著 2017.2.24)。
 黒川が伊達市を取り上げたのは出身地であるということもあるが、福島原発事故の「縮図」がそこにあると感じたからである。事故後、伊達市には他の放射線量の高い市町村とは異なる「特定避難勧奨地点」という制度が適用された。「地域」ではなく、「地点」=世帯、家。家ごとに特定に避難を勧奨するという制度である。「同じ集落、同じ小学校、同じ中学校に、避難していい家と避難しなくてもいい家が存在する。『勧奨』だから、避難はしてもしなくてもいい。年寄りが今まで通り自宅で農作業をしながら暮らしても、東電から毎月慰謝料が支払われる。一方、『地点』にならなかったら、子どもが何の保障もなくこの土地に括り付けられる」(黒川:同上)。指定されて(2011.6)から解除される(2012.12)まで1年半という期間であった、この「制度」により地域社会はズタズタにされた。では、なぜ「地域」ではなく「地点」=家単位であったのか。「問題は、県庁です。小国から県庁まで直線で7キロ、裏道を使えば20分で行ける。ここを計画的避難区域にしてしまうかが、県と国の悩みの種だった。まさに、小国は県庁ののど仏ですよ。小国を計画的避難区域にすれば、渡利地区だって同じぐらいの線量ですから、ここもそうならざるを得ない。こうして避難が福島市に及んだら、何万人もの人間を避難させないといけなくなる。その人たちをどこに避難させるのか。当然、県庁も所在地を動かさざるを得ない」(黒川:同上)。福島県庁という官僚組織を守るために伊達市小国という地域はズタズタにされたのである。
 もう一つ、伊達市は2011年夏、「除染先進都市」として華々しくデビューした。2014年2月に市長は国際原子力機関(IAEA)本部にも招かれ除染の報告を行い、同市の除染担当職員・半澤氏は「除染の神様」と呼ばれるほどだった。伊達市の放射能アドバイザーに就任、除染を指導したのは原子力規制委員会委員長の田中俊一氏である。一地方都市に過ぎない伊達市が、国の動きに2か月も先立って「除染」を掲げたのは田中氏のバックによるところが大きい。田中氏は小学校時代を伊達市で過ごしている。伊達市の広報で市長は「地域が一体となって放射能と戦う体制を一日でも早く構築し、『放射能に負けない宣言』をしたいと考えております。全市民一丸となって、放射能と戦っていきましょう」と呼びかけたのである。人間が自然物であり、物理的法則のみに従う放射能と戦うなど馬鹿げたことである。「除染」は実験室など限られた空間が放射能で汚染された場合にのみ有効な手段である。福島のような膨大な空間が汚染されてしまった場合には、「除染」は放射能をあちらからこちらへと移動するだけの手段に過ぎない。空間に積み重ねた膨大な除染廃棄物の持っていき場はない。放射能とは戦わず逃げる=「避難」こそ重要である。その後、2015年1月の広報で市長は「除染は元の『安全なふるさと』を取り戻す手段として取り組むものでありますが、安全だと思えるようになるには心の問題という面もあります」として、掲げていた「除染」からも早々と撤退宣言をした。「伊達市は原子力推進機関にとって有利に作用する『実験場』としての使命を全うした」、「伊達市の『実験』は今後、原子力災害が起きた時の貴重な『前例』となるだろう」(黒川:同上)。
 「ひとたび原発事故が起きれば、この国に民主主義があったのかと疑わざるを得ないように、人々は大きな力に翻弄される。最も大事で最も優先されるべき、子どもの健康・子どもの未来さえ、原子力産業や原子力政策の前にあっけなく吹き飛ばされるさまを、まざまざと見た。伊達市が守ったのは『市民』ではなく、『伊達市』だった。福島県も国も、同じだろう。これは決して対岸の火事でも、他人事でもない。私たちは今、そうした社会に生きている。」(黒川:同上)。日本国憲法第92条は「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」と書く。「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本」とし(地方自治法)、地方自治の本旨とは「住民自らが地域のことを考え、自らの手で治めること」であり「地域のことは地方公共団体が自主性・自立性をもって、国の干渉を受けることなく自らの判断と責任の下に地域の実情に沿った行政を行っていくこと」であるはずだ。しかし、伊達市においては地方自治は死滅した。

【出典】 アサート No.474 2017年5月27日

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【投稿】トランプ・朴槿恵・安倍晋三、三氏に通底するもの 統一戦線論(36) 

【投稿】トランプ・朴槿恵・安倍晋三、三氏に通底するもの 統一戦線論(36) 

<<「想像を絶する規模での悲劇」>>
 トランプ米大統領の一挙手一投足が、世界の戦争と平和、緊張激化と緊張緩和の間で右に左に揺り動かされ、その動揺と変転、戦争への危機は収まりそうにない。
 問題は、トランプ氏がすでに彼の大統領選挙時のキャンペーンの約束事、公約をほとんどすべて包括的に反故にし、裏切ってしまっていることである。トランプのスローガンは、移民排斥・人種差別・女性差別とミックスされてはいたが、「今日、労働者階級の反撃が始まる」「アメリカは世界の憲兵になる必要はない」に象徴されていた。そもそもトランプ氏は、トランプタワーや「ミス・ユニバース」で名をはせた不動産とエンタテインメント業界で財を成した人間であって、軍事畑の人間ではない。そこから、「世界の憲兵」としての膨大な無駄遣いをやめさせ、海外介入に反対し、非戦闘的外交政策への移行を目指して、ロシア・中国との関係を正常化し、NATOの存在そのものを疑問視し、NATOの目的を再考するべき頃合いだと発言した。しかし、その発言の正当性のゆえに、これに抵抗し、反抗する勢力が仕掛けた地雷=軍産複合体の恐ろしさには彼は気づいていなかったのであろう。
 発足したトランプ政権は、大富豪(Gazillionaire)、巨大金融資本ゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)、将軍(General)という「3G」政権である。地雷を自らの政権の中枢に据え、抱え込んでしまったトランプ氏はたちまち軍産複合体に乗せられ、がんじがらめにされ、「軍の操り人形」と化し、大統領選挙で掲げた自らの政策を実行できない、自らの政府を支配できない事態に投げ込まれたともいえよう。そこでトランプ氏は、手っ取り早く、雇用拡大を軍事産業に求めた。軍事費を異例の540億ドルも増加させ、軍事予算が全体の実に56%を占める異常な事態である。経済面では法人税の大幅減税・大資本優遇、金持ち減税、規制緩和路線であり、非軍事分野はそのしわ寄せで環境・医療・社会保障・教育に至るまでほぼすべてにわたり大幅に削減。今やトランプ政権は、軍部、CIA、NSA、およびその他の軍産複合体と大手金融資本に奉仕し、操られる政権の様相を一層色濃くしている。
 トランプ氏の初の外遊先、サウジアラビアでは、米政府が1100億ドル(約12兆円)相当の武器をサウジに輸出する文書に両国が署名している。
 朝鮮半島をめぐる緊張の激化は、軍事予算をさらに増大させる最大の口実として利用され、煽られ、正当化されている。しかし、核戦争をも辞さないトランプ氏と朝鮮・金正恩氏、二人の挑発的言動と実際の行動のエスカレートは、これを煽り、利用してきた米軍産複合体にとっても都合の悪いものへと転化し始めている。
 5/19、現実的対処を迫られたマティス米国防長官は、北朝鮮問題をめぐるいかなる軍事的な解決も「想像を絶する規模での悲劇」を引き起こすとし、米政府は外交的な解決の模索に向けて取り組むとの意向を示さざるをえなくなった。

<<「トランプの核フットボールをやめさせよう」>>
 「想像を絶する規模での悲劇」に追い込もうとし、トランプ氏をその軌道に乗せたのは軍部であるが、統制も抑制も効かず、慎重さにはなはだしく欠け、「カメレオン大統領」と皮肉られるトランプ氏では都合が悪いどころか、その代償も測りがたい規模になることが憂慮されだしたのである。
 「想像を絶する規模での悲劇」とは、端的に言えば、大量破壊兵器=核兵器の使用によるものである。
 5/3、米国議会に提出された立法案「2017年の核兵器の第一次使用の制限」(民主党のカリフォルニア州選出テッド・リュー(Ted Lieu)とマサチューセッツ州選出エド・マーキー(Ed Markey)上院議員が提出)は、トランプ大統領が議会の宣戦認可なしに核兵器を発射すること、核兵器の第一次使用=先制攻撃の開始を禁止することを目的としたものである。これは、「トランプの核フットボールをやめさせよう」という、500,000人の人々の署名運動の急速な広がりに直接連動したものである。この署名運動を推進した反核平和運動のアクショングループCREDOのキャンペーンマネージャー、テッサ・レバインTessa Levine氏は、「”トランプの最初の100日間”は、彼の無謀と無能の一連の恐ろしいデモンストレーションによって特徴づけられており、私たちは国と世界の安全についてトランプを信頼することはできません。何億人もの人々を殺し、米国を破壊する可能性のある報復打撃を招く可能性のある核兵器による先制攻撃は、戦争あでり、違憲である」と語っている。また、この運動を同じく推進してきた軍縮運動の組織であるGlobal Zeroのネットワークキャンペーン担当者であるダギーレ氏Lillyanne Daigleは「現代の核兵器は、第二次世界大戦で爆破された爆弾よりも破壊的であり、そのような壊滅的な力が一人に集中しているということは、アメリカの創設原則に相反するものであり、侮辱である」と強調し、「この提案された法案は、この独裁体制に立ち向かい、核災害から世界をより安全にするための重要な第一歩である」と述べている。(以上、米ネットワークCommon Dreams、5/3より)

<<トランプ、まさかの「就任初年度弾劾」?>>
 こうした動きと軌を一にするように、トランプ氏の弾劾・罷免の動きが現実味を帯びだしてきている。テキサス州選出民主党のアル・グリーンAl Green議員が、米下院議場でトランプ氏弾劾を要求することを表明、共和党のジョン・マケイン上院議員までが、トランプの状況は「ウォーターゲート・サイズと規模のポイントに達している」と述べる事態である。トランプ弾劾運動の請願サイトimpeachDonaldTrumpnow.com では、すでに992,578の署名が集まっているという。(以上、5/17 Common Dreams より)
 公共政策世論調査Public Policy Pollingの新しい調査によると、初めて、トランプ弾劾が反対を上回り、回答者の48%が大統領弾劾に賛成、反対が41%であった。FBI長官であったジェームズ・コメイ氏を突如解任したことで実施されたこの世論調査では、投票者の38%だけがトランプを正直であるとみなし、51%は完全にトランプを嘘つきだと思うと回答している。(以上、5/16 Common Dreams より)
 米国の憲法では、「反逆罪、収賄罪、その他重大な罪、または軽罪」を犯した大統領を弾劾できる規定がある。大統領の弾劾手続きには下院の過半数の賛成が必要であり、上院で開かれる弾劾裁判で3分の2以上の賛成があれば、大統領は罷免される。トランプ大統領の弾劾訴追理由となり得る疑惑として、利益相反問題、ロシアとの不適切な関係、トランプ大学の詐欺訴訟、宣誓下での偽証罪、気候変動の無策による人類に対する犯罪など、偽証罪や利益相反で訴追の可能性が上げられている。共和党が上下両院で多数を占めており、弾劾訴追案は可決される可能性は容易ではない。しかし、来年11月には上下両院議員や州知事などを選ぶ中間選挙が行われる。しかも中間選挙前に、トランプ氏の意向に反して新たに任命されたモラー特別検察官がトランプを司法妨害容疑で訴追したら、共和党から多数の造反議員が出て、弾劾が成立することも現実的可能性として浮上している。大統領就任初年度で弾劾成立、その前の辞任といった前代未聞の事態が取りざたされているのである。権力内部の激しい闘争は、トランプ氏の当初のまともな政策をことごとく押しつぶしてきた勢力と連動しており、陰謀と裏切りが交錯しているとも言えよう。

<<安倍首相「実は憲法改正する必要がなくなったのです」>>
 翻って、日本ではアメリカや韓国のような最高権力者を罷免できる弾劾制度が存在していない。議院内閣制である以上、議会の過半数を押さえれば、罷免あるいは辞任に追い込むことは容易なのであるが、安倍政権は自民・公明連立で絶対過半数を確保、自民の別動隊である維新を加えれば改憲に必要な三分の二をさえ確保している。
 それをてこに、安倍政権は、歴代内閣が成し遂げられなかった様々な悪法や施策を、次から次へと強行突破し、暴走を重ねても平然と開き直っている。そしてついに戦前の治安維持法と同類の「共謀罪」までが衆院で強行採決されるに至った。
 そして安倍首相は遂に、祖父・岸伸介以来の個人的・親族的願望、自民党結党以来の野望とも言うべき憲法9条の改正を明言するまでに至っている。しかしその提案は、自民党主流にとっても唐突であった。5/3、憲法施行70周年の記念日に改憲派集会へのビデオメッセージで「9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません。そこで『9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む』という考え方、これは国民的な議論に値するのだろうと思います」と述べ、同じ5/3の読売新聞の朝刊1面トップに「憲法改正 20年施行目標 首相インタビュー」が掲載され、「9条に自衛隊明記」と「教育無償化前向き」との見出しが踊る。9条1項、2項を3項でぶち壊す「壊憲」案である。これを国会で民進党から追及された安倍氏は、「わたしの意見は、読売新聞でくわしく書いていますから、そちらを読んでください」「わたしはここでは総理大臣。憲法は議論しない。各党の間で議論を」と、改憲を発議する場である国会での論議を逃げたのである。しかし読売新聞のトップ見出しは「首相インタビュー」である。公明党は喜んで飛びついたが、憲法99条で憲法順守義務のある首相と自民党総裁との使い分けである。とても許されるものではない。
 首相は野党に対してはタカをくくっていたのであるが、自民党内からは異論と疑念が噴出しだした。石破茂元幹事長は「首相と論戦する」と明言し、「首相の改憲発言で今までの議論の積み重ねは一体、何だったのか、と思う。9条3項の条文追加案は敗北主義と言ってもいい。」と切り捨てている(週刊朝日5/26号)。
 石破氏に言わせれば、安倍氏は突然の「敗北主義」であるが、安倍氏は「実は憲法改正する必要がなくなったのです」と去年の8月末のインタビューで田原総一朗氏に語っていたというのである。「実は、集団的自衛権の行使を決めるまでは、アメリがやいのやいのとうるさかった。ところが、行使を決めたら、何も言わなくなった。だから改正の必要はない。ただ、日本の憲法学者の七割近くが、自衛隊は憲法違反だと主張しているので、憲法9条の3項に自衛隊を認めると書き込んではどうかと考えています」と述べていた(「週刊読書人、2017/5/12号、「田原総一朗の取材ノート」)。その後政権を揺るがしかねない安倍ファミリーの疑惑が次から次へと浮上し、森友学園・加計学園問題では窮地に追い込まれかねない事態である。これを一挙に転換し挽回する手段として、この9条改憲案を出す、まったく手前勝手な自己都合で機会をうかがっていたわけである。
 罷免と弾劾に直面したトランプ氏、韓国の朴槿恵氏、そして日本の安倍晋三氏、この三者は極めて似通っている。いずれも物言う直言居士を忌み嫌い、周りにおべんちゃらと友人、家族、親族を配置したがり、利益供与をし、自己保身に汲々とし、厄介な平和的交渉よりも安易な緊張激化を好む、物事を客観的に冷静に判断できない、共通性がある。まずは朴槿恵氏が巨大な民衆運動の力によって打倒された。トランプ氏も今や窮地に立たされている。安倍氏はそこまでには至っていない。
 しかし5/16、「朝日」の世論調査では、安倍首相が改憲を提案したことについて「評価しない」が47%、「評価する」が35%、自衛隊を憲法に明記する9条改定について「必要ない」が44%、「必要」が41%、そして、「安倍首相に今、一番力を入れてほしい政策を一つ選んでください」という設問には、「憲法改定」が一番低くて5%という数字である。
 日本の野党共闘、統一戦線は、こうした状況に対応した新しい連帯と連合の創設のための戦略・戦術を練り上げ、多様な層を結集し、政党エゴとセクト主義を排し、組織のあらゆる側面における根本的、参加的民主主義を徹底し、人々の政治的、社会的、経済的なニーズを的確に反映した根本的な代替案、分かりやすくシンプルなプログラムを提示することが切に望まれる。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.474 2017年5月27日

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【書評】『原発プロパガンダ』

【書評】『原発プロパガンダ』
       (本間龍著、岩波新書、2016年4月発行、820円+税) 

 「原発は日本のエネルギーの三分の一を担っている」、「原発は絶対安全なシステム」、「原発はクリーンエネルギー」、「原発は再生可能なエネルギー」というキャッチフレーズを聞き慣れた人は多いであろう。しかしこれらのフレーズは、実は「一つ一つの広告の中で必ず使用するように決められた言葉なのだ」。本書は、これを「原発プロパガンダ」と名づけ、その構造の解明を試みる。
 プロパガンダとは、政治的な思惑を伴う場面で人びとにその実施を悟られずにマインドコントロールする「宣伝広告」であるが、原発の場合、「一九五〇年代から国策として国が主導し、政官学と電力業界を中心とする経済界が展開した原発推進PR活動」を指し、「多くの人々の意識に原発推進を訴えかけ、無意識のうちに同調させる」こととなった。3・11以前の日本社会では、国民の8割近くが原発推進に肯定的だったという世論調査(2009年内閣府「原子力に関する特別世論調査」)も偶然ではなく、まさしく「戦後40年以上、原発礼賛の宣伝広告活動を延々と展開してきた」原子力ムラのプロパガンダの成果である。
 そのために費やした金額は、これまでに最低でも約2兆4000億円に上る(1970~2011年)。この巨大な金額は、ソニーやトヨタなどのグローバル企業の宣伝費(国内単体の広告費が年間500億円程度)に匹敵する。つまり「ローカル企業の集まりにすぎない電力会社が、グローバル企業と同等の広告費を四〇年以上にわたって投下してきたということになる」。最近まで競合が存在しなかった地域独占体の電力会社には、本来このような巨額の広告費は不要であったはずだが、この広告費は多くの国民に「原発推進への漫然とした是認意識を植えつける」ために使用されてきたのである。しかも驚くべきことは、これら広告費の原資がすべて、利用者の電気料金であったということである。電力会社の総括原価方式(すべての経費を原価に計上し、電気料金として利用者に請求できる)により、宣伝広告費も原価に含まれ、利用者に請求されてきたのである。「まるでブラックジョークだが、原発に反対する人からも電気料金は徴収され、その中から原発プロパガンダの原資に活用されたのだった」。
 本書は、こうしたプロパガンダを可能にしてきた条件を日本の広告業界の特殊性に見る。それは欧米のように、寡占防止のための一業種一社制(一つの広告会社は同時に二つ以上の同業種他社の広告を扱えない制度)や広告制作部門とメディア購入部門の分離の大原則がないことに加えて、日本では広告会社は「(メディアのために)メディアの枠をスポンサーに売る」=メディアは広告会社から「広告を売ってもらう」という体質である。このため、どの業種でも上位2社(電通と博報堂)がすべてのスポンサーを得意先に抱えているので、メディアはこの2社に反抗できないという仕組みになっている。
 この結果「反原発報道を望まない東電や関電、電事連などの『意向』は両社によってメディア各社に伝えられ、隠然たる勢力を発揮していった」。つまり「『広告費を形(かた)にした』恫喝を行うのが、広告代理店の仕事であった」のである。
 本書は、3・11に至るまでの原発プロパガンダの歴史を、「第1章 黎明期(1968~79)」、「第2章 発展期(1980~89)」、「第3章 完成期(1990~99)」、「第4章 爛熟期から崩壊へ(2000~11)」と時間を追って解明していく。その詳細は本書を見ていただくとしても、例えば普及開発費(東電の広告費)が原発事故の度事に飛躍的に膨張していく経過は異常としか言えない(1979年スリーマイル事故の翌年53億円→1986年チェルノブイリ事故の翌年150億円→2002年東電トラブル隠し発覚→2004年美浜原発3号機事故の翌年293億円)。
 このような「安全神話」は、2011年の福島第一原発の事故により、崩壊した。「しかし事故後の年月を経て、プロパガンダは次第に復活しつつある」。すなわち「かつてのような原発の安全性を謳う広告・PR展開がほぼ不可能になる中で、原子力ムラはついに安全性への言及を諦め、別の方策を実行し始めた。それが、原発事故の影響を極力矮小化し、『事故で放出された放射能の危険性は小さく、健康への影響はない』という『安心神話』の流布である」。この「安心神話」は、放射線リスクコミュニケーション(「元々自然の中にも放射線はあるのだから、福島第一原発の事故で出た放射線も大したことはない」という、自然放射線と事故による人工放射線を同一視する理屈で、安全対策に対する認識の共有を図るやり方)とタイアップして進められており、福島第一原発の実情を無視し、既に危機は去ったかのように言説を展開する。これに更に「風評被害の撲滅」という「新たな錦の御旗」が付け加わることにより、プロパガンダは一層進められていると言えよう。
 これに対して本書は、「しかし、そもそも風評という言葉の意味は非常に曖昧である。実際に害が発生しているからこそ、その周辺に噂が立つのであって、火のないところに煙は立たない。原発事故によって実際に放射能汚染や被害が発生しているのに、それらをすべて『風評被害』と呼ぶのは、真実を見て見ぬふりをするのと同じである」と、原子力ムラが「人々の素朴な感情」巧みに利用するのを批判する。
 このように本書は、原発をめぐるこれまでのプロパガンダが、国、電力業界、マスメディアによっていかに呼吸を合わせて巧妙かつ広範に実施されてきたかを炙り出す。そしてこのプロパガンダが今後も強力に持続されると警鐘を鳴らす。原発事故が次第に過去のものとされて行く危険性が現れつつある現在、貴重な視点を与えてくれる一冊である。(R)

【出典】 アサート No.474 2017年5月27日

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【投稿】朝鮮半島危機に便乗する安倍政権

【投稿】朝鮮半島危機に便乗する安倍政権
            ~緊張緩和でなく激化を希求する愚策~ 

シリアから朝鮮半島に
 4月4日、反政府派が支配するシリア北部ハーン・シャイフン市で行われた、化学兵器による攻撃では、子どもを含む100人近くが死亡し、数百人が負傷した。トランプはそれまでのアサド政権に対する方針を転換し、アメリカによる単独行動をも辞さない姿勢を示した。
 そして米中首脳会談最中の4月7日、トランプはシリアに対する攻撃命令を発出した。シリア沖に展開中のイージス駆逐艦2隻から発射された59発のトマホーク巡航ミサイルは、シリア軍のシャイラト航空基地の航空機、燃料庫などを破壊した。
 この攻撃は事前にロシアに通告されたと言われているが、ロシアがシリアに配備している早期警戒管制機を発進させるなど、十分な防御体制をとれる余裕はなかったと考えられる。
 また東地中海に展開していた強力なロシア空母機動部隊は既に撤収し、同海域には揚陸艦の他、曳舟やトロール船を改造した偵察艦など補助艦艇が残っているだけであり、トマホークの探知や迎撃も不可能だった。黒海艦隊のミサイルフリゲート艦が同海域に到着したのは4月8日であり、アメリカの攻撃はこの間隙をぬった形となった。
 今回の化学兵器による攻撃は、アサド政権によるものとほぼ断定されているが、トランプ政権の対応は検証が不十分かつ、国際法上の根拠も不明確なままの見切り発車である。また軍事的にも、反復攻撃もなく基地や装備の損傷も復旧が進み、シリア内戦の戦局には影響を与えていないことからも、「急所を外したジャブ」であり、政治利用の色合いが濃いものと言える。
 つまりトランプの唐突な攻撃は、政権が直面している苦境からの脱出を狙ったアピールであり、イニシアを発揮している軍人グループがこれを主導した。
 トランプ政権は発足以来、中東、アフリカのイスラム国からの入国禁止令の混乱、オバマケア廃止(代替)法案の撤回、さらにはフリンの辞任、バノンとクシュナーの対立など政権内部の矛盾が露呈し、支持率は下がり続けていた。
 また、外交面でも同盟国であっても安倍の他は友好的関係の構築に失敗しており内患外憂、四面楚歌の状態であった。
 こうした中、化学兵器による攻撃は、劣勢を挽回する格好の口実なった。苦しむ子供たちの被害映像を見たトランプは「考えが変わった」として、アメリカ単独での軍事行動を決断したと言われている。
 しかし、1月28日にイエメンで行われた、米軍特殊部隊によるアルカイダ系武装組織への攻撃では、女性、子どもを含む民間人16人が殺害されている。
 この時政権は「作戦は成功」と喧伝するなど、「子どもの犠牲」は方便に過ぎないことは明確であり、トランプはそれを巧妙に利用している。
 トランプは、ディナー後のデザートを喫していた習近平に攻撃の事実を伝え、虚を突かれた習は沈黙ののち「子どもが殺されたのなら仕方がない」と返答せざるを得なかった。
 また一貫してアサド政権に厳しい姿勢を見せてきたイギリスやドイツなどG7各国は、この攻撃について一定の評価を与えているが、手放しで称賛しているわけではない。難民受け入れを拒否しながらの攻撃は、人権や人道主義に基づく介入ではないことが見透かされているのである。
 4月10、11日、イタリアで開かれたG7外相会談での共同声明でも、ミサイル攻撃への支持は明記されず、シリア問題についてはロシアを含めた政治的解決が強調されたものとなった。
 こうした中、安倍政権は「化学兵器の使用と拡散を許さないとのアメリカ政府の強い決意を支持する」と賛辞を送った。トランプ政権は4月5日の弾道弾試射に関し「中国が動かないならアメリカが単独でやる」「シリア攻撃は北朝鮮対するメッセージ」と述べ、空母「カール・ビンソン」打撃群を朝鮮半島に向け急派するなど挑発姿勢を強めているが、森友事件や共謀罪の政局化を回避するため安倍政権はこれを最大限利用している。
 
朝鮮半島危機の虚実
 安倍は米中首脳会談前後の6,9日の2回、トランプと電話会談を行い「北朝鮮は重大な脅威」であり「中国の役割は重要」との認識を示した。
 このもとで安倍政権は軍事的な動きも加速させている。3月、アメリカ軍の戦略爆撃機と空自戦闘機の合同訓練を実施、「カール・ビンソン」との合同訓練も米韓演習を挟んで2回行ったが、今回再び朝鮮半島近海での訓練を実施することを明らかにした。
 さらに4月14日、参議院外交防衛委委員会で安倍は「北朝鮮ミサイルにサリンを搭載できる可能性がある」「抑止力をしっかり持つべき」と答弁した。これまで北朝鮮に関しては、核兵器に対する警戒が語られてきたが、テロ組織でも製造可能なサリンを対象に含めることにより、軍事力行使のハードルを一気に引き下げた。
 抑止力というものがあるなら、自分は使わず、相手に行動は起こさせないのが基本であろう。しかしシリア攻撃では、サリンが使われた後にミサイル攻撃が行われているわけであり、抑止力理論は破綻している。真の狙いは先制攻撃能力の確保である。
 自民党国防部会はこれまで「敵基地攻撃能力」の保持を提唱してきた。しかし、それでは先制攻撃を認めていると誤解されるとして「敵基地反撃能力」と言い換え、巡航ミサイルなどの保有を求める提言を3月29日にまとめた。
 しかし国防部会提言の「反撃能力」と「先制的自衛権」(「自衛権」行使としての「先制攻撃」)は「能力」と「権利」というまったく別の概念なのであり、姑息な誤魔化しであろう。今後、集団的自衛権が強引に法制化されたように、国際法上疑義が持たれている先制的自衛権も制度化が目論まれるだろう。
 この様な日米反動政権の動きに北朝鮮は過敏に反応しており、力による封じ込めは効を奏していない。4月15日、平壌で「金日成生誕105周年」の大規模な軍事パレードが行われ新型の「大陸間弾道弾」も登場、16日には失敗に終わったものの弾道弾が発射された。
 安倍政権を忖度するマスコミでは連日のように、「斬首作戦」などがまことしやかに語られ明日にでもアメリカの攻撃が始まるような報道を続けている。
 限定攻撃という選択肢にしても、内戦状態で対外戦争能力を持たないシリアと北朝鮮とでは全く条件が違うことは、マティスら軍人グループは承知している。実際16日の弾道弾発射にも米軍は反応しなかった。
 今後、北朝鮮が核実験を強行するかが焦点となるが、アメリカが先制攻撃を行う可能性は低いと考えられる。
 
外交努力の放棄
 北朝鮮、シリア、欧米を巡り国際情勢が混沌とするなかで、対話による解決に向けた外交努力が求められているが、緊張継続を望む安倍政権はその努力を放棄している。
 3月19日から22日にかけて訪欧した安倍は、米欧間の調整を試みたが進展はなかった。直前の3月17日にはワシントンで、米独首脳会談が握手拒否という異様な雰囲気のなか行われ、17,18日にはドイツでG20財務省・中央銀行総裁会議が開かれたが、アメリカの強硬姿勢で「反保護主義」での合意が得られなかった。
 こうした状況の中、20日にメルケルと会談した安倍は、一方的にトランプへの苦情を聞くこととなったが、それ以降トランプとの電話会談は北朝鮮問題に終始しており、5月下旬イタリアで開かれるG7サミットへ向けての欧米の橋渡しは困難であろう。
 朝鮮半島情勢への対応に関しては、韓国との連携が不可欠であるが全くと言って良いほど進展していない。安倍が問題視した釜山領事館前の少女像に関して何の進展もない中、4月3日長嶺駐韓大使が帰任した。
 振り上げた拳の置き所がない中、政府は安倍の支持基盤である民族排外主義者らの反発を収めるため「慰安婦問題日韓合意の履行要請」「大統領選挙の情報収集」「邦人保護」など後から様々と理屈をつけている。
 しかし「日韓合意の履行」を求めるなら、ソウルに止まり動くのが常道である。「大統領選挙」についても、昨年のアメリカ大統領選で大使館は安倍・クリントン会談をセットする失態を犯しているように、ほとんど無能力であろう。「邦人保護」も帰任を4月5日の弾道弾発射以降にすれば、もう少し説得力を持ったであろう。
 帰任した大使は「日韓合意の履行を求める」として、黄大統領代行との面会を申し入れたが拒否された。韓国側には、併合に至る明治時代の特命全権公使を彷彿とさせる非礼な行為と映ったであろう。こうした旧宗主国然とした対応は、日本国内の強硬派を意識し、そこへのフォーマンスを優先したものである。大使は10日になってようやく外務次官との会談にこぎつけたものの、安倍が日韓の協調を本気で考えていないことが露呈した。
 この間中露は外相の電話協議で6か国協議について言及しているが、当事者の一人であるはずの安倍の口からは、一切その話は出ていない。本来ならトランプを説得すべきであるが、「もし北朝鮮を攻撃するならこちらも準備があるので事前に言ってほしい」レベルの話しか聞こえてこないのである。
 朝鮮半島情勢の先行きが不透明の中、4月12日訪露中の鈴木宗男が「4月27,28日にモスクワで日露首脳会談が開かれる」と明らかにした。16日時点で外務省H.Pの日程は空白のままであり、個人の資格で訪れている人間が総理の日程を公表するのは異常事態である。
 4月いっぱい、さらには5月9日の韓国大統領選挙前後までは何が起こるかわからない、と自分たちで言っておきながら、こうした情報が独り歩きする状況は政権の箍が緩んでいる証左である。
 強権的な内政を推進するため、国際的な緊張を利用し、弄ぶ安倍政権への追及を強めなければならい。(大阪O)

【出典】 アサート No.473 2017年4月22日

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【投稿】原発企業「東芝」の破綻・それでも再稼働を擁護する司法

【投稿】原発企業「東芝」の破綻・それでも再稼働を擁護する司法
                            福井 杉本達也 

1 原発企業「東芝」の破綻
 1875年創業の巨大総合電機メーカーであり、かつては石坂泰三や土光敏夫といった経団連会長も輩出した「名門」東芝の破綻が目前に迫っている。東京府中市には原発など重電部門の東芝府中事業所(1968年発生した三億円事件の舞台)があるが、老舗の工場内は全面板張りで、加工部品が床に落ちても破損しないという贅沢な作りであった。東芝が巨額損失を抱えることとなったのは米国の原発子会社ウエスチングハウス・エレクトリック・カンパニー(Westinghouse Electric Company LLC. 以下、旧WHと区別するため略称WEC))が発生させた損失が原因である。WECは3月29日に米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用申請をした。WECは、原子力関連の広範な製品の販売とその関連サービスを行う多国籍原子力関連企業である。核燃料、サービスとメンテナンス、制御と計測、原子炉の設計などを行っている。GEと並ぶ総合電機メーカーであった旧ウェスティングハウス・エレクトリック(旧WE)の一部で独立した原子力企業であったが、1997年に旧WEはCBSを購入し、自身がCBSコーポレーションとなり、以降はその商標を除いて多くの部門が売却され、1999年にはCBS本体も買収され消滅した。商業用原子力部門は1997年に英国核燃料会社(BNFL)に売却され、ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー(WEC)として再度立ち上げられたものである(Wikipedia)。
 その後、東芝はBNFLから2006年にWECを約6,000億円で買収した。当時から「適正価格の2倍以上」「社運をかけた買収」と指摘されていた。東芝が3月29日に公表した2017年3月期決算見通しによると、最終(当期)損失が1兆100億円と見込まれている。結果、15年には東芝は1兆840億円の自己資本があったが、17年3月末はマイナス6,200億円になる見込みである。東芝は1年前の16年3月期決算で、WHCにからむ損失約2,500億円を処理しており、これを加えると、2年間で約1兆4,000億円の損失になる。買収から10年、2年間で1兆4,000億円もの損失を出し、東芝本体が破綻に追い込まれたことを考えると、だれが考えても「高値で買収した判断は大失敗だった」という結論になる(毎日経済プレミア:2017.4.9)。

2 旧WHもWECも軍需産業
 旧WHは「原子力艦船の動力炉製造企業」という軍需産業でもある。旧WH解体の過程で、防衛産業部門のウェスティングハウス・エレクトロニック・システムズは1996年にノースロップ・グラマンに30億ドルで売却されたといわれる(2011年ノースロップ・グラマンは造船部門を分離。艦船用原子炉については最新のGerald R. Ford級原子力空母に搭載されているA1B原子炉の開発メーカー・総合エンジニアリング会社のベクテル社に移ったのではないかともいわれる)。加圧水型原子炉は軍事用の原子炉を発電用の原子炉に転用したもので、設計は民生部門も軍事部門も基礎は同じである。1954年、原潜ノーチラスに搭載されたWH製の加圧水型原子炉による原子力推進はそれまでのディーゼル推進では水中行動の運用に大きな制約を受けていた潜水艦に革命的な変化をもたらした。また、1961年には世界初の原子力空母エンタープライズにもWH製の加圧水型原子炉を搭載した。つまり旧WH社の原子力技術は米国の軍事力の心臓部をなしている、米国の世界戦略のカギを握る軍需産業である。しかし、原子力艦船は建造にも維持・運用にも莫大なコストを要求されるため、予算も削減されてきた。そのため発注は不安定かつ不定期で、いまや本家旧WHは衰退・消滅し、WECは原子力に特化した特殊な経営となっている。民生部門がなければ軍事部門を単体で支えるのは困難である。しかし、米国は絶対にこの会社を手放さないし、その核心技術も絶対に譲渡はしない(参照:ブログ「鈴木頌の発言」2015.8.12)。東芝がWECを買収した際に軍事部門の独立性と機密保護について米国議会で問題になったが、米国政府は分社化しているので問題は生じないと「保障」した。つまり軍事部門については東芝の「支配権」は一切及ばない。親会社は子会社のやっていることを全くコントロール出来ない。(たんぽぽ舎:山崎久隆「破たんの一歩手前・東芝の損失はどこから生じたか」2017.3.28)。
 また、Sputnikによれば「WHは、世界最大の核燃料供給企業であり(その割合は世界市場の31%を占め)、また世界の様々な国々にある何十もの原子力発電所や関連施設の安全を保障する業務を請け負う世界最大の企業である。燃料供給あるいは原発の安全の脅威について言えば、事は社会的に極めて重要な問題であり、こうした企業の破産は、世界的影響を及ぼす主要問題の一つになる。それは当初から、破産を通じての原子力事業のある種の再編にある」(2017.4.12)と指摘している。もし、核燃料の供給が止まれば、現在、北朝鮮や中国あるいは大統領選真っ只中の韓国国民を恫喝するために西太平洋に展開中の米原潜・原子力空母で構成する“空母打撃群”は運用できない。燃料が燃え尽きる数年先にはただの洋上の鉄屑になってしまう。

3 東芝はどうなる
 もし東芝が1兆円の負債を抱えて倒産することになれば、WECはどうなるのだろうか。3月18日の日経新聞によれば、3月16日、本来の目的である日米経済協議の事前打ち合わせの為に訪米した世耕経産相と商務省のロス長官・エネルギー省のペリー長官との会談では、経済協議そっちのけで、米側の方から、親会社である「『東芝の財政的安定性は、米国にとって非常に重要だ』と言った。」「『東芝再建は民間の問題』(日本政府関係者)と冷淡に対応してきた日米両政府の姿勢はここに来て変化している。」「WHの野放図な売却を見過ごせば、核兵器の原料となるプルトニウムを扱う高度な技術が漏れ、ひいては安全保障戦略を揺るがしかねないとの懸念が米政府内にある。」(日経:「東芝再建日米巻き込む・技術流出・雇用に懸念」2017.3.18)と書き、もし東芝が救済されないままに、苦し紛れにWECを投げ売りし、それが例えば中国に流れでもしようものなら日本に政治的・経済的制裁を科すと脅されたということである。東芝は、WECの「全ての損失」を押し付けられ、東芝にとっても日本にとっても虎の子の半導体事業を分社化し、経営権を「丸ごと」海外企業に売却してWECの損失を埋めていくしかない。たぶんそれでも全く足りないので、政府が日本政策投資銀行などを使って“救済”していくシナリオしか描けないのではないか。

4 大津地裁の高浜3,4号再稼働差し止め決定を否定した大阪高裁
 3月28日、大阪高裁は2016年3月の高浜3、4号機再稼働を差し止めた勇気ある画期的な大津地裁の仮処分決定を取り消す決定を下した。高裁は 原発の新規制基準により「炉心の損傷等を防止する確実性は高度なものとなっている」とし、新規制基準を評価。「関電の地震動評価は詳細な評価に基づき保守的な条件設定の下でなされており、基準地震動は十分な大きさだ。地域的な特性も踏まえると本件原発が基準地震動に相当する大きさの地震動に襲われる可能性は非常に低く、連続して発生することはほぼあり得ない。連続して襲われたとしても、本件原発の安全性は確保されるといえる。」との決定をした。
 原発の耐震設計のための基準地震動では震源断層の面積から地震の規模を見積る北米の地震データに立脚した計算式が過小評価ではないかといわれている(福井:2016.6.19)。また、実際の地震動では新潟中越沖地震や岩手宮城内陸地震では1,690~2,000ガルの地震動が観測されており、平均からずれた地震はいくらでもあり、観測そのものが間違っていることもある。耐専スペクトルのバラツキをも考慮すれば、少なくとも2倍の偶然変動を考慮すべきだといわれている(長沢啓行:2015.11.30「クリフエッジ超え」)。これは原発の耐震の限界値(クリフエッジ)の倍の震動となる。いかなる原発構造物も破壊をまぬかれない。逆に言えば、倍の震動に堪えうる原発構造物を建設しようとすれば、建設費や既存原発の改修費が膨大なものとなり、電力会社や原発企業の破綻は免れないので、改修費から逆算したというのが正直なところである。
 WECはスリーマイル事故・原発テロ・福島事故などにも耐えうるような原発を米原子力規制委員会(NRC)などから求められ、非常時に自然循環で崩壊熱を除去できる「静的炉心冷却系」や原子炉一次系/二次系破断時に自然循環で格納容器を冷却する「静的格納容器冷却系」(Full Passive Safety System)などで、より安全な原発『AP1000TM』を目指したものの(東芝:「ウエスチングハウス社の活動の紹介」2014.5.16)、「机上の設計図は美しかったが、現場で実際に試してみると設計通りにできあがらない。確認作業や工事のやり直しが繰り返されて工期がずるずると伸び、想定以上にコストが膨れあがり」いつまでも完成しないため(小笠原啓「東芝粉飾の原点」『日経ビジネス』2017.3.13)経営破綻したのである。
 米NRCは少なくとも民生用の米原発の安全基準については利益重視ではなく「米国第一」の政策を取ろうとしている。一方、日本の原子力規制委員会には現在、地震動の専門家がおらず、十分な評価ができていない。しかし、政府は「新規制基準によって世界最高水準の安全性が確認された原発は順次再稼働」するとして再稼働を推し進め、また大阪高裁などの司法はそれを追認している。福島原発事故の経過を踏まえるならば、WEC設計のAP1000TMと比較しても、「静的炉心冷却系」もなくてどうして「炉心の損傷等を防止する確実性は高度なものとなっている」(大阪高裁)といえるのか。日本政府は「日本国民第一」ではなく、国民の安全を切り捨て、「米国第一」で米国の軍産複合体と原子力産業を守るために、山積する問題を残したまま、再稼働に突き進んでいる。

【出典】 アサート No.473 2017年4月22日

カテゴリー: 原発・原子力, 杉本執筆 | 【投稿】原発企業「東芝」の破綻・それでも再稼働を擁護する司法 はコメントを受け付けていません

【投稿】核戦争を煽る危険な火遊び 統一戦線論(35) 

【投稿】核戦争を煽る危険な火遊び 統一戦線論(35) 

<<米空軍トップ「戦闘態勢だ!」>>
 4/15は北朝鮮にとって、金日成・生誕105年の「最大の祝日」であり、なおかつ「切迫する朝鮮半島情勢の鍵となる一日」と表現される、緊張の激化と戦争勃発の危険に満ち満ちた一日であった。平壌の金日成広場で大規模な軍事パレードが展開され、この日に合わせた6回目の核実験強行が警戒されていた。
 4/13の米NBCテレビは、実験強行準備が探知されれば、米軍が通常兵器による「先制攻撃」を行う準備に入った、巡航ミサイル「トマホーク」を発射できる駆逐艦が近海に展開し、米領グアムの基地で重爆撃機も出撃態勢を整えている、と報じた。すでに米軍は、原子力空母カール・ビンソンを中心とする空母打撃群を朝鮮半島近くに向かわせたと公表しており、2つの上陸準備戦隊の上陸兵力4400人を集結させていた。4/14には、米空軍トップのゴールドフィン参謀総長が自らのツイッターで、沖縄の米空軍嘉手納基地の滑走路にF15戦闘機などが多数整列した写真を掲載して存在を誇示し、「戦闘態勢だ!」と強調する、興奮に満ちた異常で異例な事態があらわになった。
 こうした米軍の動きに対して、朝鮮労働党機関紙・労働新聞は「わが革命的に強力な軍は、敵部隊のあらゆる動きに目を光らせており、われわれの核の照準は韓国と太平洋区域の米国の侵略的基地だけでなく、米国本土にも向いている」と指摘し、米国による先制攻撃の兆候があれば米国に核攻撃すると警告した。中国の王毅外相は4/14、朝鮮半島情勢が取り返しのつかない事態に陥るのを防ぐ必要があるとの見解を示した。トランプ、キム・ジョンウン、両者の互いの冷静さを欠いた危険な挑発的姿勢からすれば、まさに一触即発の事態であった。
 しかし4/15当日は、軍事パレードは行われたが、60社200人とも言われる外国メディアが招待され、金正恩朝鮮労働党委員長がわざわざ何度も公の場に姿を現し、崔竜海党副委員長が「米国が挑発を仕掛ければ」という前提条件を付け、「全面戦には全面戦で、核戦争には我々式の核打撃で対応する」と述べると同時に、「我々は平和を愛する」とも演説して、衝突回避と対話姿勢への一端を表明したと言えよう。固唾をのんで世界は注視をしたが、この日に関しては、危機は回避されたのである。

<<「アクション映画のスター気分」>>
 しかし、熱核戦争にも発展しかねない危険な情勢は依然として収まる気配はない。最大の問題は、トランプ米大統領の情緒不安定な挑発的・好戦的姿勢である。4/14の韓国・ハンギョレ新聞は「トランプ外交の耐えがたい軽さ」と表現している。
 アメリカの俳優のロバート・デ・ニーロがその姿を端的に指摘している。「僕にはトランプが俳優になりたくて挫折した男のように見えるんだ。そんな彼が今や、アクション映画のスター気分なんだ。タフな白人男がイスラム教徒やメキシコ人、中国人ら悪人たちを敵に回して勇敢に戦う--そんな彼の思いが現実になってしまったんだから、恐ろしいことだよ。」(「トランプは俳優のなり損ないさ」ロバート・デ・ニーロ、月刊『文芸春秋』2017年5月号、インタビュー)
 問題は、トランプ個人にとどまらず、米軍幹部総体までもが、この際、冒険的先制攻撃の戦端を開くことに、次はいつか、今か今かと待ち構え、乗り出さんとしていることである。深刻な不安と恐怖を全世界に拡散させており、オバマ政権時代とは明らかに異なっている。
 すでに米軍は、4/6、突如シリア中部ホムス近郊のシュアイラート空軍基地に対し「トマホーク」ミサイル59 発を発射している。トランプ大統領は、シリア空軍が4/4、シリア北西部、イドリブ県の反政府武装勢力を攻撃した際、「恐ろしい化学兵器で罪のない市民を攻撃した」と断定し、シリアの虐殺を止めるための措置だとした。しかしこの攻撃は米国の自衛行動ではなく、国連安全保障理事会の決議によるものでもない。ましてや国際的な調査を尽くさず、証拠も示さないままのあまりに乱暴で無責任な軍事行動である。宣戦を布告していない国への国際法違反の、明らかな「侵略行為」である。スウェーデンの「人権医師」(swedhr.org)は、シリア政府軍による攻撃の疑いで救助されたビデオを分析した結果、ビデオが偽造品であることを明らかにしている。シリア政府は、わずか数週間前に、化学兵器禁止機関に、兵器用の有毒化学物質が、シリア国内で、聖戦戦士ネットワークによって移動されていると通知したと主張している。さらにこの巡航ミサイルによる攻撃の前日に、マイク・ポンペオCIA長官は分析部門の評価に基づき、アサド大統領は致死性毒ガスの放出に責任はなさそうだとドナルド・トランプ大統領に説明していたという。そんな警告もお構いなしに、ネオコンやシリア反政府勢力と連携した謀略行為と偽情報に踊らされて突っ走ってしまうトランプ政権ならびに軍部は、最低限の冷静ささえ失っているのであろう。シリアに対するミサイルの集中攻撃後、ホワイト・ハウス報道官ショーン・スパイサーは“これはシリアのみならず、全世界に対して信号を送ったのだ”と開き直っている。トランプ政権は、世界に対してこれから何をしでかすのか予測しがたいならず者国家だという現実を見せつけているのである。

<<安倍政権の「駆けつけ参戦」>>
 さらに米軍は、シリア攻撃から一週間後の4/13、実戦使用は初めてという、核兵器以外では最強の爆弾“すべての爆弾の母”(The Mother of All Bombs)と呼ばれる「大規模爆風爆弾(MOAB)」をアフガニスタンで投下した。重量2万1600ポンドのこの爆弾は、TNT換算で約11トンの威力に匹敵し、爆風による影響半径は1マイルに及ぶという。これは明らかに、単純な戦術目的ではなく、今後はこれをも実戦使用する「大量破壊兵器」の武力誇示を企図したものである。米テンプル大学メディア・コミュニケーション教授で、アフガニスタンから帰ったばかりの米国の軍事的・経済的戦争の終結を目指す運動を行う団体「Voices for Creative Nonviolence(創造的非暴力の声)」の共同コーディネーター、キャシー・ケリーは、現地の一般市民はこんな攻撃を行う母親がいるものか、母親への侮辱であると怒る様子を報告している(DemocracyNow 2017/4/14)。
 ところが安倍首相は、米軍が突如シリアを空爆した翌4/7にはすぐさま、電話会談でトランプ支持を明確にした。「東アジアでも大量破壊兵器の脅威は深刻さを増している。その中で、国際秩序の維持と、同盟国と世界の平和と安全に対するトランプ大統領の強いコミットメントを日本は高く評価する。」として、「米国政府の決意を支持する」と表明した。トランプ政権の違法な侵略行為を何ら検証することなく、大量破壊兵器の使用を躊躇しない、“武力行使を排除しない”トランプ政権の「決意」の支持を明確にしたのである。今さら確認するまでもないが、安倍首相は、完全にトランプ大統領の言いなりなのである。単に言いなりなだけではなく、むしろ危機を煽る悪質なものである。4/13の参院外交防衛委員会では、北朝鮮のミサイル開発について、「(化学兵器の)サリンを弾頭につけて着弾させる能力をすでに保有している可能性がある」と指摘し、恐怖を煽り、「先制攻撃」の必要性を暗示する、対話による外交努力、話し合いなどすっ飛ばして武力制圧することに期待をかける、明らかな悪乗りである。そして実際に、4/11には「東シナ海、日本海に入ってくるカールビンソンの空母打撃群に、(海自の)護衛艦を数隻派遣する」ことが明らかになった。まさに積極的な駆けつけ参戦である。外務省は4/11から、「韓国への滞在・渡航を予定している方、すでに滞在中の方は最新の情報に注意してください」と警戒情報、海外安全情報を流しだしている。
 そして、緊張を激化させ、領土紛争や民族主義的な対立をあおり、戦争挑発に民心を総動員する、それに反対する勢力を黙り込ませる、そのためにも安倍政権にとっては共謀罪の制定強行が必要不可欠なのである。すでに沖縄では、プレ「共謀罪」捜査が先取りされて、沖縄平和運動センターの山城博治議長らの異常ともいえる長期勾留や接見禁止措置が平然と行われ、米軍基地建設反対運動を、共謀罪にいう犯罪組織に見立てているともいえよう。
 この危険極まりない事態に、日本の反戦・平和勢力、全野党は、事態の推移を傍観するのではなく、第二の朝鮮戦争、地球規模の熱核戦争に発展しかねない人類的危機に対して、早急に明確な反戦・平和の共同のアピールを発し、共同行動・統一戦線を大胆に拡大、強化することが求められている。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.473 2017年4月22日

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【書評】『燃える森に生きる—インドネシア・スマトラ島 紙と油に消える熱帯林』

【書評】『燃える森に生きる—インドネシア・スマトラ島 紙と油に消える熱帯林』
            (内田道雄著、新泉社、2,016年5月、2,400円+税) 

 地球温暖化と関係が深い森林破壊問題の中で、わが国ではあまり報道されない、インドネシアにおける油ヤシ園をめぐるレポートが本書である。著者は、インドネシアをはじめ、タイ、フィリピン、マレーシアなどの環境問題、少数民族の取材を続けているフォトジャーナリストである。
 とはいえ、森林破壊の元凶と言われているパルプ材伐採についてはともかく、インドネシアで森林破壊の最大の原因であるとされる油ヤシがどんな問題を引き起こしているかをわれわれはほとんど知らない。そもそも油ヤシとは、植物油の採れるヤシ科の植物であり、実の果肉からパーム油が、種(パーム核)からパーム核油が採れ、どちらも有用に使用される。2013年の日本の輸入量は、パーム油が59万トン、パーム核油が9万4000トンで、全植物油使用量の約42%にあたる(輸入先は現在のところ8割がマレーシア、2割がインドネシア)。
 2014年の生産量はインドネシアが3000万トン、マレーシアが2000万トンで世界の8割以上、しかも世界のパーム油・パーム核油生産で全植物油脂生産量全体の40%以上という数字が出ている。その理由は、値段の安さ(菜種油や大豆油の約6割の価格)、しかも単位面積当たりの収量の多さ、そして生産コストの低さである。だが「この安さは低賃金労働者に支えられたものなのだ」と本書は語る。そもそもインドネシアで油ヤシの大規模栽培が始まるのは1911年で、第二次大戦や政治的不安定のためそれ程の産業でもなかったが、政情安定から後、生産・輸出ともに増大し、現在では外貨獲得の重要産業となっている。しかも油ヤシの栽培適地が熱帯雨林地域であるという事情から、熱帯雨林が油ヤシ農園のために消えていく。「インドネシアでは1990年から2005年にかけて、油ヤシ農園のために350万ヘクタールの森林が消えたといわれる」。そしてヤシ油の製品化の性質上、搾油工場を農園の近くに設置する必要があるため、油ヤシは大規模栽培のプランテーション方式でしか栽培できない(最低でも3000ヘクタール)。
 こういった事情から、転換林(森林伐採の跡地、草原など)のみならず自然林や保護区までが開発され、当然のことながら土地の権利に関する争いも起こる。油ヤシ農園の企業の土地と昔から集落が保有している土地との境界や所有権があいまいということも手伝って、あちらこちらで紛争が生じ、多くは政府の後押しで企業がゴリ押しをし、極端な場合には村が消されていくこともある。しかも伐採が泥炭湿地林にまで及んでいるという由々しき状況もある。泥炭湿地とは、降水量の多い湿地では枯れた植物が水に浸かってしまい分解が進まない、その上に次々と植物遺体が積み重なって泥炭となった湿地を指すが、油ヤシはこうした土地でも栽培できるからである。ところがここを伐採すると、地中の有機物が酸素にさらされ分解が始まり、大量の温室効果ガスが排出される。(これについて言えば、世界の泥炭地に含まれる二酸化炭素の量は、世界の森林に蓄積されている量よりも多いという。)
 これだけでも近未来的には大問題であるが、さらに伐採によって森の居住地を奪われ止むなく油ヤシ農園の中や近辺に住まざるを得ないオランリンバといわれる狩猟採集民が紹介される。(インドネシア語で、オランは人、リンバは密林という意味。ちなみにオランウータンとは森の人という意味であるが、これは類人猿。)彼らは今でも密林で数が月単位で森を移動する狩猟採集生活を送っている。しかし油ヤシ農園の拡大により生活の基盤が危機にさらされている。地方政府の定住政策には馴染んでいず、また生活様式や所有観念の違いから定住住民とのトラブルも生じている。
 本書はこうした油ヤシ園の諸問題を、スマトラ島北部のリアウ州・ジャンビ州の村々において実際に体験観察しながら問題提起していく。それはわれわれの身近にあるパーム油が持つ背景—-近代資本主義世界の構造の一部を浮かび上がらせる。こうした視点から見れば、本書の次の指摘が何とも皮肉に聞こえる。
 「インドネシアでは油ヤシの二割から三割は泥炭地に植えられている。泥炭地の土壌は酸性が強いが、油ヤシは栽培できるからだ。ところが、泥炭地は開発するときに大量の温暖効果ガスを放出する。泥炭地に植えられた油ヤシでバイオ燃料を作ったとしても、炭素が相殺されるのに四二〇年から八四〇年もかかるという研究もある」。
 こうしてみれば、化石燃料に代わるとされるバイオ燃料も、ヤシ油から採れた植物性油脂で作られた「地球にやさしい洗剤」も、必ずしも環境に良いわけではないということに気づく。本書は環境問題について、また違う視点を与えてくれる。難を言えば、名前は知っているが、実地には馴染みのないスマトラ島の説明がもう少しあればと思うが、しかしそれを補って余りある油ヤシ農園の造成地—-見渡す限りの森林の伐採地=造成地—-や泥炭地などの写真は圧倒的に迫ってくる。これを契機にこの問題についての理解が深まっていくことを期待する。(R)

【出典】 アサート No.473 2017年4月22日

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【投稿】頓挫した「積極的平和主義」戦略

【投稿】頓挫した「積極的平和主義」戦略
              ―南スーダン撤兵と「統帥権混乱」―

「大本営発表」
 3月10日夕刻、安倍は緊急記者会見を開き南スーダンから、5月末を目途に自衛隊を撤兵させることを明らかにした。
 本来なら2013年12月の内戦発生時か、遅くとも昨年7月首都ジュバで大規模な戦闘が勃発した時点で撤兵を決断すべきであった。しかし官邸は正確な情報を把握できず派兵を継続してきたが、急転直下の決定となった。
 安倍政権は民主党政権時の政策をことごとく否定してきたが、南スーダン派兵と尖閣国有化のような軍拡、緊張激化政策は継承・増幅させてきたが、政策転換を余儀なくされた。 
 現地部隊の日報に「戦闘」との記載があったことが発覚して以降、安倍や稲田はしどろもどろの答弁を繰り返してきたが、事件が明らかになる前の2月1日の国会答弁が撤兵の要因となったといえる。
 安倍は「戦死者が出れば辞任する覚悟がある」趣旨の発言を行った。安倍は日頃「日本を普通の国」にすると吹聴しているが「普通の国」の権力者からは発せられようのない言葉である。
 この「辞任発言」で驚いたのは、現地の状況を隠蔽していた防衛省であろう。12月からは「駆け付け警護」任務が付与されることが決まっており、これが本当に発令されれば制服トップレベルでは死傷者が出ることも想定していたと考えられる。
 防衛省とりわけ陸自として、海外派兵は重要な利権となっている。冷戦終結後、自衛隊は軍縮を避けるため様々に活路を求めてきた。
 海自は東シナ海問題、ソマリア沖派遣(過去に対北朝鮮の海上警備活動)、空自は中露に対するスクランブルに出動を伴う軍事組織としての存在意義を持たせている。
 このなかで陸自は離島奪還などの演習を行っているが実動作戦としては、当初は外務省主導で始まったPKOが今では錦の御旗となっている。
 したがって陸自としては、海外派兵の継続は望むところであり、政権が動揺しないように楽観的な報告を挙げ、とりわけ撤兵に直結するPKO5原則に抵触するような現地状況は隠蔽してきたと考えられる。
 一方安倍は報告を鵜呑みにして、昨年10月には「南スーダンは永田町より危険」などと軽口をたたき、戦死者なんかでないと思い込んでいたため国会で大見得を切ったのである。日報への「戦闘」記載を1月27日に稲田が知ったと言うのが事実であるなら、2月1日時点では安倍はこの問題の深刻性を知らなかった可能性が高い。
 防衛省はこのまま隠し通そうとしたが、まさか総理大臣が「戦死者が出ればやめる」と言い出すとまでは思いもしなかったと考えられる。自らの責任で「首相を辞任させるわけにはいかない」ので、日報の存在が明らかにされて以降防衛相が「戦死者が出るかもしれない」と注進し、安倍も想像以上に緊迫した現地の状況に驚愕したのであろう。
 戦争法案審議から駆け付け警護閣議決定まで、自衛隊員のリスク増については懸念が表明されてきた。しかし政府は問題なしどころか「リスクは低減」としてきたが、事実上リスク増大を認めざるを得なくなった。
 国会では野党に対し失態を認めることができないため、「法的な意味での戦闘はない」「5原則は保たれている」と強弁してきたが、最悪の事態になることを恐れ、急遽撤兵計画が立案されたのである。
 安倍は「私は立法府の長」発言でも明らかなように、本当はよく総理大臣の職責を理解していないだけなのかも知れないが、表向きの「PKOの大義」よりも自己保身の方が重たかったことを証明してしまった。
 政権の本音としても安倍は「積極的平和主義」を掲げ、中国を念頭に世界各地でのプレゼンス拡大を目論んできた。とりわけアフリカ大陸は天然資源と今後の市場獲得への思惑から重要視されており、南スーダンはその最前線であり簡単に放棄できるものではなかった。
 
戦略的敗北
 今回の撤兵で安倍政権のアフリカ戦略は修正を余儀なくされた。政府は3月14日、アフリカ、中東の6カ国への民生支援として約30億円の無償協力を決定した。
 これは人的貢献が大きく後退する中で、この地域への影響力の維持を狙ったものであり、南スーダンには約6億9千万円が供与される。政府は撤兵の理由として、「国づくりが新たな段階を迎え」道路などインフラ整備が一定の成果が上がり「一区切り」とすると述べているが、現状は和平の見通しは立たず、100万人が餓死寸前と言われており安定化とは程遠いものがある。
 陸自が整備したインフラもメンテナンスが滞れば荒廃は免れない。自衛隊が現地に残す機材も活用されるか不透明である。6億9千万円は手切れ金とも言えるものである。
 アフリカ大陸に於いて、地歩を後退させる日本に比べ影響力を拡大しているのが中国である。中国は昨年7月ジュバでの戦闘で7人の死傷者を出したが引き続き南スーダンでの活動を続けている。 
 3月13日には南部の都市イエイで、中国部隊が政府軍と反政府軍の戦闘で身動きが取れなくなった国連職員7人をホテルから救出した。「駆け付け警護」の実践といえる。
 陸自は昨秋「駆け付け警護」訓練を公開したが、非武装の大人しい「暴徒」が自衛隊に威嚇され怯んだすきに「国連スタッフ」を救出するという、現実離れした内容であった。
 実際に起こるのは今回のような事態であり、最低でも自動小銃、ロケット砲で武装している相手に自衛隊では対処不能だったであろう。逆に3月18日、ジュバで南スーダン政府軍に自衛隊員が拘束される事件が発生した。
 防衛省によれば市内の市場で「買い物中」(情報収集活動中)の隊員5名が「誤解から」連行されたと言うが、戦闘服を着用し武装した隊員(外国人)を不審者と間違うはずはなく意図的な妨害である。
 南スーダン政府は「自衛隊の活動には感謝している」と言っているが、要は早く出ていけと言うサインである。下手をすれば政府軍との戦闘になる危険性があった事案であり、5月末までの逐次撤兵という悠長な計画ではなく前倒しすべきであろう。
 南スーダンを巡る今回の事態は、安倍政権の「積極的平和主義」の頓挫と、中国に対する戦略的敗北を印象付けるものとなった。

文民統制の空洞化
 一連の問題で明らかになったのは、指揮命令系統の混乱である。当初、防衛相は日報データについては、「破棄」したといいながら与党議員の請求を受け12月末に統幕でデータを「発見」したものの、稲田と統幕長への報告は1月末なってしまった。と説明していた。
 ところが1月中旬には陸自でもデータが保管されていることが判ったにも関わらず、2月以降の国会答弁では明らかにされてこなかったことが、3月15日NHKによって報道された。
 保管されていたのは「陸上自衛隊の司令部」(派遣部隊を指揮する中央即応集団)といわれており、判明後公表の動きがあったが国会審議を勘案した統幕幹部(背広組)がストップをかけ、その後データを廃棄させた可能性があるとされた。
 この件に関しては陸上幕僚長も報告を受けていたと指摘されているが、本人は「私は貝になりたい」のであろう、記者会見でも明確な説明はなかった。問題は稲田がこれを把握していたかである。知っていれば隠蔽に加担、知らなければ掌握不十分ということになり、いずれにせよ責任問題であるが追及の声をよそに、16日には自ら特別防衛監察を指示した。
 特別防衛監察は、海自の次期多用途ヘリコプター選定問題に関連しても実施され、昨年12月に当時の海上幕僚長が「機種選定に不当に介入した」と訓戒処分を受け辞職した。
 今回陸幕長が隠蔽に関与していたとなると更迭は免れないだろう。稲田が就任して以降、陸海制服トップの首が続けて飛ぶとなれば異常事態である。ただ海自に関する監察も開始から処分決定まで1年強を要しており、問題が先送りされる可能性がある。野党は厳しく追及すべきである。
 今年はミッドウェー海戦75周年であるが、大本営は大敗北の事実を隠蔽し、その後も虚偽の発表を続け、敗戦後は連合軍からの追及を恐れ膨大な資料を廃棄した。
 一連の問題で軍部の隠蔽体質は同様であることが暴露されたが、安倍や稲田が自衛隊を掌握できていないことも明らかになった。文民統制が空洞化するなか、そうした政権が中国に対し軍拡と挑発を続けている事態は非常に危険なことである。
 海自は3月初旬東シナ海で米空母「カール・ビンソン」との合同訓練を行ったのに続き、ヘリ空母「いずも」を5月から3か月にわたり南シナ海方面に派遣する。これは中国空母「遼寧」の巡航に対抗するものであり、安倍政権はこの地域での緊張をエスカレートさせようとしている。
 ただ、今回の混乱では「戦死」に対する国民感情が撤兵に追い込んだと言え、日本がそう簡単には「戦争をする国」にはならないことが明らかになった。
 安倍は自民党大会で任期を延長し、改憲に執念を燃やしているが、森友事件では、日本の極右エスタブの醜悪さが「内ゲバ」によって晒された。野党・民主勢力は平和主義的ポピュリズムを運動化すべく、最大限の努力を傾注すべきであろう。(大阪O)

【出典】 アサート No.472 2017年3月25日

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【投稿】“人権産業”が帝国主義を守る —アムネスティ・インターナショナルのプロパガンダ—

【投稿】 “人権産業”が帝国主義を守る
      —アムネスティ・インターナショナルのプロパガンダ—
                              福井 杉本達也 

 1 フェイクニュース(偽ニュース)
  トランプ米政権発足前後から、フェイクニュース(Fake News 偽ニュース)という言葉が飛びかっている。2017年2月6日のNHK「クローズアップ現代」でも『フェイクニュース特集“トランプの時代”真実はどこへ』「ウソ?真実? 混迷するアメリカ」との題で、「去年(2016年)のアメリカ大統領選挙では、「フェイクニュース」と呼ばれる偽の情報がインターネット上にあふれ、人々を惑わせ」大統領選にも影響を与えたとし、池上彰は「権力者というのは、何とか世論操作をしたいという思いがあって、例えば、事実を自分の都合のいいように解釈をちょっと変えることは、これまでやっていたんですけど、トランプ政権の場合はそもそも、うそを平然と言う」と解説、これを受けて司会者は、既存メディアが「正しい情報を出したとしても、それがフェイクニュースの拡散のスピードに全く追いつかない」と、あたかもインターネット企業に全ての責任があるようにて述べているが、事実とは異なる。米大統領選では、ほとんど全ての既成メディアはヒラリー側についたにもかかわらず、選挙戦ではトランプが勝利したのであり、既存メディアこそ、権力者の世論操作の道具であったが、今回は大統領選の世論工作に失敗したのである。SNSは既成メディアへの抵抗手段であることが明らかとなった。
 
 2 「人権団体」?アムネスティ・インターナショナルもフェイクニュースを垂れ流す
  2016年末にシリア最大の都市アレッポでの4年にもわたるアサド政権側と反体制側との戦闘が終結したが、2017年2月7日、各報道機関は「国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは7日、シリアの首都ダマスカス近郊の軍事刑務所で2011~15年に毎週絞首刑が執行されていたとする報告書を公表した。5千~1万3千人が処刑されたと推計。アサド政権が政策として組織的に実施したもので『人道に対する犯罪だ』と非難している。」(朝日:2017.2.7)とする記事を配信した。こうした国際的世論工作の支えに、国連安保理では米英仏主導で2月28日にシリアでの化学兵器使用に関与した個人・団体に制裁を科す決議案を採決したが、ロシアと中国は、この決議案が米国の濡れ衣であるとして拒否権を発動、葬り去られた。アレッポでの反体制派の足場がなくなり、イスラム国(IS)に占拠されていた古代遺跡のあるパルミラもシリア政府軍に再奪還されるなど、5年及ぶシリア内戦も収束の見通しが高まる中、アムネスティがアレッポ東部を占拠していた反体制派やISを批判せず、シリア政府と反政府派とで和平協議が行われるタイミングを狙って、一方的にアサド政権側の非を責める報告書を出したことは、中立性に欠けるどころか、内戦の再勃発を目論む、反人権団体と呼ぶにふさわしい行為である。
  桜井元は「問題の本質は、影響力のある国際人権団体が虚偽報告を発信し、マスコミがそれを無批判に掲載して拡散している点です。」と述べている。フェイクニュースそのものである。以下、桜井による「アムネスティの偏向」についてのブログ(在米の物理学者藤永茂HP『私の闇の奥』に掲載 2017.2.21~2.28)を基づきアムネスティの「反人権団体」としての実態をあぶり出したい。
 
 3 「国際人権団体」としての表の顔と「人権産業」としての裏の顔
  アムネスティ・インターナショナル日本支部は1970年に発足したが、1970年代は特に関西地区で活発であり、副理事長を努めた川久保公夫(当時大阪市立大学教授、後に大阪経済法科大学学長)らが中心となり、またインド生まれで大阪弁の巧みなタレント:イーデス・ハンソンを看板として1986年~1999年に日本支部長(現在は特別顧問)とした。また、岩波書店のリベラル系の雑誌『世界』には「アムネスティ通信」を連載しており、2017年2月号ではミャンマーのロヒンギャ問題を取り上げている。また、日本の死刑制度の廃止や袴田事件などを取り上げるなど国際人権団体と見なされている。
  これが「国際人権団体」としての表の顔であるとすれば、2月7日のシリアの記事は裏の顔である。報道では「アムネスティは15年12月からの1年間に刑務所の元看守や元収容者、元軍事法廷判事ら84人から聞き取り調査を実施。報告によると、ダマスカス北方にあるサイドナヤ軍事刑務所で毎週1、2回、20~50人が処刑されていた。多くが反体制デモの参加者、人権活動家、ジャーナリスト、医師、労働者、学生ら民間人だという。」とし、「収容者はイスラム法廷と軍事法廷で審理されるが、審理時間は1~3分間。有罪判決を受けると建物の地下に連行されて2~3時間殴られ、絞首刑にされる。」「アムネスティは『処刑が現在は行われていないと考える理由はない』と指摘。」(朝日:同上)しているというのであるが、「聞き取り調査」とあるように、「今回の報告書は、アムネスティのスタッフがシリア各地で実地に調査したものではなく、トルコ国内であるいは電話などを使ってのインタビューという方法をとり」、検証不可能な匿名の証人による曖昧な証言をもとに「被害者数を推定」、「匿名の証言者とのコンタクトを調整したのはすべて反政府側にくみする諸団体で、それ自体が偏向している」といえる。結果、記事に「5千~1万3千人」とあるように被害者推計も幅の大きい杜撰なものである。そもそもシリアの紛争は、国際法では許されない「主権国家の政権に対して外国が軍事力をもって干渉してその転覆を図る行為」(=侵略)であり、欧米・トルコ・サウジ・カタールなどが共同で軍事支援しているとものである。それらの行為を一切不問にして、アサド政権を一方的に批判する報告書は侵略に加担する以外の何物でもない。
 
 4 アムネスティはなぜ侵略戦争の代弁者になったのか
  アムネスティはNGO(Non-governmental Organization)=非政府組織であり、いかなる政府からも独立の立場にあるという建前であり、したがって公平性が担保されると考えられがちだが、実際には政府からの資金が流れている。イギリス国際開発省、欧州委員会、オランダ政府、米国政府、ノルウェー政府などから資金を受け取っており、「国内または世界の人権問題に関する理解を各国政府がより一層推進しようとしているかどうか、その熱意を測る」ための手段の一つとして、政府から資金を受け入れていると自己弁護している。また、資金提供者として世界的大富豪ジョージ・ソロスが率いるオープン・ソサエティ財団の名前があがっている。
  資金ばかりではなく人事的にも、政府とNGOとの間には回転ドアが健在で、例えばアムネスティ米国支部事務局長のスザンヌ・ノッセルは、米国国務省から直接引き抜かれてきた人物である。「ノッセルは、イラクでの方針を継続するよう民主党員に要請し、イラクで失敗すれば、“ベトナム後や、モガディシオ後の後遺症のようなもの”を解き放ちかねず、嘆かわしいことに“アメリカ大衆が武力の使用を強く留保する時代の到来を告げることになろう”と警告した。彼女は国務省幹部として、パレスチナ人に対する戦争犯罪で、イスラエルを告発したゴールドストーン報告書の信用を傷つけるべく働いた。国連人権理事会に出席する代表として、彼女は“我々のリストのトップは、イスラエルの擁護と、人権理事会でのイスラエルの権利の公正な扱い”だと語っていた。パレスチナ人については一言もない。彼女は、シリアやリビア等の国々における武装介入の拡大を提唱した。彼女は、イランが核濃縮計画を中止しないのであれば、対イラン軍事攻撃をすべきだと主張していた」のである(Chris Hedges 「人権ハイジャック」『マスコミに載らない海外記事』2013,5.14)。
  「人権擁護産業」という非政府組織には世界的な多国籍企業が資金面で支援をしており、軍産複合体の中枢との間のつながりを充実・発展させてきた。「慈善団体」という表向きの顔に隠れて、こうした団体の多くは、米国・NATOの戦争計画のためのPR機関として機能している。
  アムネスティはイラクやアフガニスタンやパキスタンやイエメンやガザの犠牲者は無視する。彼等はタリバンの残忍さは非難するが、アメリカの無人機が横行するアフガニスタンやパキスタンでの、アメリカが行なっている残虐行為は無視する。そしてこれらの嘘の発表を右から左に垂れ流す既成メディアは「フェイクニュース」とは言わないのであろうか。イラク侵略戦争はブッシュのイラクに大量破壊兵器があるという嘘から始まった。そして何百万人もの人々が殺害され続けているにもかかわらず、「人権擁護産業」はそのことに一言も触れようとはしない。その「人権」とはいったい誰の人権なのか。一握りの支配エリートのための「人権」ではないのか。欧米による「特権」ではないのか。米西部開拓では「インディアン」の人権などバッファローのように無視された。英国のインド支配でインド人の人権が無視されるように、アフリカの人々の人権は全くなく、奴隷として売り買いされたように、欧米が作った「人権擁護産業」アムネスティによって今もシリアの人権は無視され続けているのである。

【出典】 アサート No.472 2017年3月25日

カテゴリー: 人権, 政治, 杉本執筆 | 【投稿】“人権産業”が帝国主義を守る —アムネスティ・インターナショナルのプロパガンダ— はコメントを受け付けていません

【投稿】煽られる先制攻撃と安倍政権 統一戦線論(34) 

【投稿】煽られる先制攻撃と安倍政権 統一戦線論(34) 

 <<「行儀が悪い」>>
  3/2付米ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「アメリカが北朝鮮攻撃を検討している」と報じた。トランプ米政権内部の対北朝鮮戦略の見直し作業に詳しい関係者が明らかにした情報として、「北朝鮮による核兵器の脅威に対応するため」、「大陸間弾道ミサイルの発射実験を阻止する」ために、武力行使や政権転覆などの選択肢を検討している、というのである。危険極まりない先制攻撃論が煽られだしていると言えよう。
  事実、米政府は最近の同盟諸国との協議の中で、対北朝鮮戦略に軍事的側面が含まれる可能性を意図的に強調しだしている。日本、韓国、中国を訪問した米国務長官ティラーソン氏は、「明確にさせておきたい。(オバマ前政権の)戦略的忍耐の政策はもう終わった」「今は北朝鮮と対話をする時ではない」と明言。一方で、「軍事的な葛藤までいくことを望んでいない」と述べながらも、「あらゆる選択肢」を検討している、「我々が行動を取らなければならない水準までいけば、行動を取る」とも語っている。
  その選択肢、水準の中には、北朝鮮が核・ミサイルの脅威を高める行動、大陸間弾道ミサイルの発射実験をする構えを見せた場合などに、米国が先制的軍事攻撃をすること、特殊部隊による奇襲作戦と爆撃隊や巡航ミサイルを組み合わせた限定空爆、核施設の空爆による破壊が有力視されている、という。
  3/18の中国・王毅外相との会談でも、ティラーソン氏は会談後の共同記者会見で、双方が「朝鮮半島情勢の緊張が極めて高く、かなり危険なレベルに達している」との認識を共有し、北朝鮮の核・ミサイル問題を打開するため米中両国が「できることは全て行うと確約した」ことを明らかにした。しかし中国側は「中国は一貫して6カ国協議が朝鮮半島問題を解決する有効なプラットホームだと考える」として、「北朝鮮とは対話で解決すべきだ」と強調している。
  問題は、決定を下す権限を持つトランプ大統領の態度である。トランプ氏は3/17、自らのツイッターで「北朝鮮は非常に行儀が悪い。何年にもわたり米国を手玉にとってきた」と書き込み、同時に「中国はほとんど助けになることをしてこなかった」と悪態をついている。
  トランプ氏の「行儀の悪さ」は、オーストラリアの首相との電話会話を突然打ち切ったことに典型的に表れている。その気ままで、軽率な振る舞いや発言、首尾一貫せず、ころころ変わる無定見、批判するメディアを「偽ニュース」と切り捨てて異論を封じる独善ぶり、突然の「盗聴被害という不規則発言」、不安定な精神状態や無謀さに満ち満ちたツイッター発言などが示していることは、彼が冷静さを欠き、理非をわきまえた行動ができない証とも言える。その意味では危険極まりない、どのような事態が起きても不思議ではない。そこで、閣僚の過半数の了承で、大統領の執行不能を宣言できるというアメリカ合衆国憲法修正第25条第4節を発動することが可能だとして、トランプの辞任、あるいは弾劾要求、そしてペンスが“大統領代理”となる、“宮廷クーデター”説まで取り沙汰される事態である(Ronald L. Feinman 2/18 “Raw Story”)。
 
 <<「仮面を剥ぎ、牙をむきだした」>>
  実は、こういう事態に立ち至ったトランプ政権には、すでに三つの政権が事実上存在し、いずれにも異なる権限があるという。
  第一の政権で、もっとも明らかに有力なのはトランプ側近。現時点で、構成メンバーは、バノン首席戦略官、トランプの娘イヴァンカと夫のクシュナー、ミラー政策担当大統領補佐官とセッションズ司法長官。
  第二の政権は、トランプが共和党大統領指名候補の座を確保した後に支持するようになった共和党主流派。
  第三の政権は、長年の“陰の政府”権益を代表しており、ネオコン活動家や、伝統的に共和党政治とつながっている強力なウオール街やヒューストン・ダラス石油事業の大立て者の連合。
  弾劾と有罪決定の結果、あるいは健康問題で、トランプが大統領の座を降りざるを得なくなった場合、第三のトランプ政権が権力を掌握しようとしている。国際的現状を代表する第三のトランプ政権の典型、ペンス副大統領とマティス国防長官は、ミュンヘンで、NATO、欧州連合の推進と、対ロシア経済制裁継続に余念がなかった。ペンスとマティスの発言は、それまでトランプが発言して来たことと矛盾していた。ペンス、マティスとティラーソンたちの第三のトランプ政権は、世界に、アメリカの“陰の政府”を代表する本当のトランプ政権が、アメリカ政府を動かし続けるというサインを送っている。第三の政権こそが、グローバル・エリート連中がもっとも居心地良く感じられるものである。(以上、Wayne MADSEN 2/24 Strategic Culture Foundationより)
  いずれもがせめぎ合い、暗闘しているのであろう。第三のトランプ政権は、トランプの政権公約(「アメリカは世界の憲兵になる必要はない」・ロシアとの友好関係の構築)を明らかに破棄し、トランプ自身もそれに取り込まれている。
  こうした中で、3/16、トランプ大統領は2018年度予算案を発表。この予算案はごうごうたる非難にさらされている。軍事費が異例の540億ドルの増加、非軍事分野はほぼすべてにわたり大幅に削減。国防予算の基本予算は前年度比10%増の5740億ドル。これとは別に国外作戦経費を646億ドル計上。軍事予算は全体の実に56%を占める。
  一方、環境、住宅、外交、教育プログラムの予算は大幅削減、19の政府機関の完全廃止も提案。環境保護局(EPA)予算は31%削減。また、国務省や米国際開発庁(USAID)の予算も28%削減、国際連合への負担金も数十億ドル削減。農務省21%減、労働省21%減、商務省16%減、教育省13%減、住宅・都市開発省13%減、運輸省13%減。低所得層の住宅光熱費援助プログラムや全米で無料の法律相談を支援する法律扶助機構、高齢者、貧しい人、退役軍人、障がい者などに食べ物を宅配するミールズ・オン・ホイールズ活動へのコミュニティ開発包括補助金(CDBG)などの削減、等々。
  長年にわたる消費者運動活動家で、元大統領候補のラルフ・ネイダー氏は、このトランプの予算について、「仮面を剥ぎ、牙をむきだした。1854年から続く党史の中で最も悪質で無知な状態の共和党と協力している」と酷評している(DemocracyNow 3/17)。
 
 <<無謀で危険な軍事作戦への参入>>
  政権発足当初からの支持率の低下と批判の渦、混迷の中で、トランプ氏が主導権を誇示できる最も有力な一つの選択肢として、北朝鮮への先制攻撃が浮上しているのである。
  これに真っ先に呼応しようとしているのが安倍政権である。まさに、トランプ=アベ枢軸の発動である。両者ともに「行儀」が悪く、独裁者気取りで、冷静さも、謙虚さもまるでかけた存在である。
  安倍政権にとっては、朝鮮半島、中国との緊張激化が政権維持と憲法改悪、長期独裁政権を目指し、自らの帝国主義的・植民地主義的野望を追求するうえで、何よりも望ましいのであろう。いよいよ好機到来、とばかりに手ぐすねを引き、トランプの先制攻撃への協力と便乗、戦争法の発動と、共謀罪の強行が画策されている。
  すでに日本の弾道弾迎撃ミサイル・システムを搭載したイージス艦が、韓国とアメリカとの共同演習に駆け付け、先週北朝鮮実験ミサイル四発が着水した海域で挑発的な活動を開始している。さらに、今年5月から日本最大の戦艦「いずも」を、もう一つの危険な一触即発状況にある、南シナ海の係争水域での三カ月の作戦に派遣・配備し、そこで、アメリカ海軍と共同演習を行う計画である。これまでとは質的に異なった無謀で危険な軍事作戦への参入である。
  このような危険な路線を突き進む安倍政権であるが、意外だが、必然的でもあった弱点とほころびが露呈し、盤石と見られた長期政権を揺さぶっている。森友学園問題は、政権を崩壊に導きかねない爆弾を孕んでいる。国有地をタダ同然で提供した政治的介入疑惑の背後に、厳然と横たわる安倍政権の教育反動、自民、維新、日本会議の右翼ラインによる教育支配策動のほころびが表面化したのである。憲法違反の教育勅語を唱和させ、「尖閣列島 竹島 北方領土を守り」、「安倍首相がんばれ! 安保法制 国会通過 よかったです」「日本を悪者として扱っている中国、韓国が心を改め」などと叫ばせる露骨な排外主義、民族主義教育は、安倍夫妻が心から称賛し、安倍政権が目指していた教育の公教育化路線の具現化であった。ところが問題が表面化するや、安倍首相は、相手がとてもしつこい人だった、教育内容なんて知らない、妻は私人で自分とは関係ない、こんな醜い言い訳しか語れず、証人喚問当日は首相夫妻は外遊で逃げ出す。トランプにとっては頼りない存在であろう。しかし独裁者気取りのトランプと同様、おごり高ぶった人間ほど、追い詰められると意外に脆い弱点が次から次へとさらけ出される。安倍首相には再度政権を投げ出させることを迫らなければならない。
  しかし、政権が危機に瀕すればこそ、彼らは無謀で危険なカケに出かねないし、事態は着実に危険な方向に進んでいると言えよう。朝鮮半島、中国をめぐる恐るべき事態の進行である。もはやどこか遠くの言い換えやごまかしですり抜けられるような「戦闘」どころではない。一触即発、戦端が開かれれば、途方もない規模と質の戦争、核の被害さえ想定される。楽観論など許されない、民族主義やセクト主義を乗り越えた、強大で広範な反戦・平和の大運動、民主主義運動、統一戦線が今こそ要請されている。
 (生駒 敬)

【出典】 アサート No.472 2017年3月25日
 

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