【本の紹介】「日本経済論—「国際競争力」という幻想—」

【本の紹介】「日本経済論—「国際競争力」という幻想—」
      松原隆一郎 NHK出版新書 2011年1月10日 820円+税 
 
 松原教授の著書としては「分断される経済」(NHKブックス)がある。鋭い切り口で、問題を解明していく筆致を記憶している。本書は、「2008年~2010年の社会現象を分析し、日本経済の抱える問題を浮き彫りにする」とカバーに記されているように、扱われているテーマは多岐にわたる。しかし、小泉構造改革論からデフレ論など迷走する経済政策、特に政権政党となった民主党の政策を俎上に載せ、リーマンショック後の現在の円高状況の下、「国際競争力」幻想を断ち切って、新たな公共政策の必要性を提起している。紙面の都合もあり、私が興味をもった論点数点について紹介することしたい。
 
<民主党福祉国家論の誤り>
 戦後一貫して政権党にあった自民党は特に公共投資により景気浮揚策を実施し続けたが、90年代初頭のバブル崩壊後も、「無駄な公共事業」と国民に意識される程、財政赤字を積み上げながら公共事業投資を進めた。「この時点で公共事業や政府サービスといった公共事業は、国民の要望に応じて再編されるべきであった。しかし、それよりも景気対策とすることだけを目的としたために、効果を薄めたケインズ主義に国民は失望を募らせた。」
 この行き詰まりの中で、構造改革を掲げた小泉内閣が登場する。長引く不況は、規制や慣行、制度が陳腐化しているのが原因と説明され、官から民へ、規制撤廃が謳われた。確かに、在任5年間、景気は上向く。一方でトリクル・ダウン効果は生じることなく、富める者は富み、貧困と格差が蔓延する。
 これらに対する国民の不満を背景に政権を奪取した民主党は、「公共事業は、官僚の天下り先確保政策だ」と、所得の再配分を掲げ、子ども手当や農家の戸別所得保障などを行おうとしている。しかし、壊れたコミュニティの再生や社会政策抜きの「バラまき」の景気回復への効果は、果たしてどれ程のものかと著者は疑問を呈する。
 「これらの方針しか思い浮かばないのは、民主党が反官僚(ケインズ)主義ゆえに公的部門の意義を低く見積もり、また小泉構造改革を新自由主義ないし市場原理(至上)主義と誤って解釈したせいだというのが、本書の診断である。」と。
 小泉構造改革とは、その実は「輸出企業を優先する市場介入策だった」のであり、著者は、それは「重商主義」と呼んでおくとする。「重商主義を市場原理主義とみなし、それを批判するのが、民主党的な福祉国家路線である。どちらも解釈の誤りという点で共通する。」「価格競争によって輸出を伸ばしても、変動相場制度のもとでは円高によって相殺されるだけであり、国レベルでは景気対策にはならないのである。内需不足に起因する景気不振から国際競争力によって脱しようとする重商主義は、幻想にすぎない。」と。
 
第一章「経済」をめぐる迷走と論点、第二章「国際関係」をめぐる迷走と論点、第三章「民主党政権」の迷走と論点、第四章「安心」をめぐる迷走と論点、第五章「公共性」をめぐる迷走と論点、と本書は展開されていく。

<「公共性」をめぐる問題>
 筆者の記憶においても、かの「事業仕分け」の印象は強い。費用対効果のみを基準に、文化・教育政策が次々と「仕分け」された。確かに官僚の無駄遣いは批判されるべきだが、何か味気なさも残った。
 著者は、第四章で従来の公共事業、景気対策としての公共事業や社会資本整備と言われるものに、むしろ含まれていない「公共財」の価値とその維持のための取り組みが求められていると解く。まず「自然」そのものが公共財である。そして、「ハコモノ」もそれを運営するマネジメントがうまく機能すれば、地域住民の活動の拠点となったり、社会的連帯の拠点となると言う意味で、組織経営マネジメントも含めて公共財であろう。さらにボランティア的な私的活動も、公共的価値を生み出すとすれば准公共財と言える。江戸時代の寺子屋などがそうある。そして人と人とのつながり、社会資本関係(ソーシャル・キャピタル)も家庭制度や地域社会のつながりもまた、公共財と考えるべきであるとする。
 小泉構造改革が破壊した人間関係、格差をそのままにして「子ども手当」を個々人に届けるだけとなっては、民主党の政策は、人と人とのつながりをどう再建するのかが、見えてこない。ばらまき批判に耐えられないのであろう。
 この他にも、「迷走と論点」として整理された内容には、興味深いものも多いが、是非一読をお勧めしたい。(佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.399 2011年2月26日

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【資料】大阪市立大学学生運動史(1960年以降)

【資料】 大阪市立大学学生運動史(1960年以降)

以下の文章は、2011年2月に発行された「大阪市立大学の歴史」(大阪市立大学・大学史資料室編集 大阪市立大学発行)から、市大学生運動の経過に係る文章(P105以降)を転載したものである。同書は、これが初版であり、幾冊かの改定本が出来ているが、いずれも非売品となっている。
現在最新版が電子ブックとして公開されている。(大阪市大の歴史電子ブック)参照されたい。

3 混沌とする学内事情

大学紛争とは何か

大阪市立大学の歴史(2011年2月発行)

大阪市立大学の歴史(2011年2月発行)

1968(昭和43)年から69(昭和44)年にかけて、日本大学、東京大学における「全共闘」 運動が世間の耳目を集めたが、 本学にも例外なくその嵐が吹き荒れた。 「帝国主義体制を維持・ 強化するイデオロギー的・ 物質的拠点として大学を編成しようとする」「帝国主義大学政策」に反対するとして運動を展開したのである。
全共闘運動は、入るも自由、出るも自由の、ゆるやかな運動体として登場した。 そうした運動体をリードしようとするものはたえず、より「左翼的」な方針を打ち出し、過激な方向へ扇動した。

 また、バリケードの向こう側の権力側の打倒だけではなく、自分たち学生も卒業後には 「帝国主義体制」 を担う存在であるという観点から、 自分たち自身の「自已否定」、次いで「自己解体」へと突き進んだ。

大学紛争前の大阪市立大学

 本学の学生運動の動向はどのように推移したのだろうか。 1960年代前半からみていこう 。
 1962 (昭和37)年には大学管理法案反対運動が盛り上がった。 1962 (昭和37)年6月、 新聞に報道された大学管理法案に関する中央教育審議会答申原案によると、 ①大学の管理運営の執行責任者を学長とし、 学部の責任者を学部長とする、評議会は全学の、 教授会が学部の重要事項審議機関とする、 教授会の構成は原則として教授のみとする、②教員選考の責任者としての学長と、 任命責任者としての文相の権限を明確にする、 大学側の選んだ学長・ 学部長・ 教員の候補者を文相が不適当と認めた場合は、 新しく設置される中央機関に諮って再選考を求める、などを骨子とするものだった。 この案に対して、 9月、国立大学協会総会は反対の意向を明らかにした原案を採択した。 即ち、 大学の管理運営は、大学自らの責任と自覚にもとづく自主的措置によって図られるのが大学自治の本旨であり、画一的な法制化だとして反対した。
 当時、本学は公立大学協会の会長校であり、国大協案に原則的に賛成の立場をとった。 各学部、経済研究所の教授会も反対声明を発表し、個人レベルでも教職員有志が集会等で反対の意思表明を行った。 学生側は全学自治会においてストの賛否を問う全学投票を実施し、スト決行の決定を行った(3分の 1以上の1233名の投票で、 過半数以上の1036名賛成) 。 全国各地では 1万人以上のストが行われていた。 結局、 大学管理法案は国会に上程されなかった。
また、 1967 (昭和42)年10月の羽田事件に関連して、 大阪市会自民党議員団が本学のあり方を問題視した際にも教職員、 学生は一致して対応した。 羽田事件とは、羽田空港において、佐藤首相の南ベトナムを含む第2次東南アジア・ 太平洋諸国訪問の出発を阻止しようとする学生と機動隊の衝突事件のことである 。当時の文相が、 羽田事件を契機として、 全国の国公私立大学の学長を招集し、懇談会を開催しようとしたところ、本学の渡瀬学長は出席しなかった。 これに対して、 11月末の大阪市会決算委員会において自民党議員はこの件を取り上げ、また大阪市会自民党議員団総会で 「市立大学の偏向教育調査特別委員会」 の設置を決めた。 「アカの教育をする大学に大阪市が助成することは筋が通らぬ。 徹底的に調査したうえ、 左翼偏向が改められないときは同党議員団が結束して来年度の同大学関係予算をいっさい認めない」ことを申し合わせたのである。 しかしこの件が新聞紙上で報道されるや、 学間の自由、 大学の自治を侵害するものとして世論の批判が噴出した。 本学でも、教職員、学生から反対の声が巻き起こった。 そのため、自民党市議団は、直後の幹事会において、研究特別委員会は発足させるが(文教研究委員会として発足)、 学問の自由、 大学の自治を侵害するような思想調査は行わないこととした。
 大阪市立大学の教職員、 学生は不当な干渉には一致して行動した。

全学統一自治会はなぜ結成されたのか、 結成後どのように推移したのか

 1960 (昭和35)年の日米安保条約改定時の安保闘争から前述した運動に至る流れのなかで、 1962 (昭和37)年 6月大阪市立大学では全学自治会が結成された。大阪市立大学には、 全学的な学生組織として全学学生協議会(以下、 全学協と略す)が存在していた。 しかし、全学協はもともと大学祭などの全学的行事を行うために、 各学部自治会代表の連絡協議会として発足したものだった。 そのため、全学協は執行権をもたず、その決議は全会一致を条件としていた。 そこで、全学協はそのもとに合同執行委員会あるいは全学闘争委員会を設置して執行権を行使した。 とはいえ、 1960 (昭和35)年の安保闘争の過程で、 学生側は全学協と各学部自治会が同時に執行権を有するという組織的二重性を解消して、 一元的な執行権を有する全学統一自治会の必要を感じた。 こう して大阪市立大学に全学自治会が結成された 。

 しかし、 ようやく結成された全学自治会では、 特に中央執行委員選挙においてセクト系グループ間で激しい主導権争いが行われた。 社会主義学生同盟(以下、社学同と略す)系、 構造改革派に属する民主主義学生同盟(以下、 民学同と略す)系が多数を占める有力グループで、 そこに民青(日本民主青年同盟)系が加わって主導権争いを演じた。

 この当時、 全国的には60年安保時の旧全学連が分裂し、 革共同全国委員会が有力グループとして現れたが、 同派も分裂して、 革マル派と中核派に分かれていた。 中核派は社学同、社青同解放派とともに「三派全学連」を形成していたが、 大阪市立大学の全学自治会は、 執行部に構革派系の勢力が強まったため、「三派系」とも「革マル系」とも異なる独自の位置を占めた。

一般学生の対応

 1960年代半ばに、『大阪市大新聞』は本学学生の意識調査を行った(完全無作為抽出、回答用紙発送400人、回答者256通、回答率64%)。 その質間項目の1つに、 「デモに参加したことがありますか」 (回答者数248)があった。 その回答は、「一度もない」53.2%、「ときどき参加」 42.7%、「よく参加」 4.1%となっていた。現在からすれば、回答者の半分近くが「ときどき参加」「よく参加」と答えているのは驚きだが、 安保闘争の後に行った新聞会前回の調査では、 「参加したことがある」は94%だったのである。 この点について、『大阪市大新聞』は「ここ3年間のデモでどうしても 500名を超えることが出来ないのが分かるが、 4年間で50%の減少はおどろくべきものがある」と記した。 なお、「よく参加するもの」4.1%は全体数に直して110名にあたり、 これは最小規模デモの数、 すなわち活動家の数とほぼ一致するという 。

 本学では、 1962年に誕生した全学自治会が激しいセクト間争いのために統一機能を喪失し、機能しなくなった。 学生数が増加するなか、多くの一般学生は自治会における主導権争いをみたからか、 学生運動から距離を置いた。 他方、全体に比して多数ではないにしても、 大学教育に対する不満をもつ学生のなかで一定数のものが、積極的に上述のセクト争いを乗り越えようとする出入り自由のノンセクト・ ラジカルグループ=「全共闘運動」を形成した。 1960年代後半の大阪市立大学では一部の活動家を中心とする学生運動が行われた 。

大阪市立大学の大学紛争はどのよう に推移したか

こうした学内動向の流れを受けて、 本学の大学紛争の嵐は東京大学と同様に、医学部から吹き荒れた。

1968 (昭和43)年10月、第 1病理学教室の教授と助教授が、学生の面前で、講義担当をめぐって激しく議論をたたかわせた。 その数日後、 受講学生から、①第 1病理学教室の講義、セミナーの正常化、②臨床カリキュラム、③講座制、教授会の運営方法、 について公開質間状が提出された。 その後10月末に、 学生自治組織の学生委員会がこの間題を取り上げ、 特に③を争点とする闘争を開始した。 その際、医学部では学生だけではなく、青年医師連合(インターン生の全国組織)、 大学院生も参加しての医学部民主化共聞会議(以下、 医共闘と略す)が結成されて問題を大きく した。 医共闘が結成される背景には、 早い時期から大阪市会文教厚生委員会でも問題視されていたように、 大阪市立大学附属病院での若手医師の勤務状態のあり方が関係していた。 この点は大阪市立大学に限ったことではなく、全国の医学部で間題となっていた。さて、医共闘側は、以下のような内容を含む「医学部民主化基本綱領」を作成して医学部教授会に承認するよう、強く迫った。

A 医学部最高意志決定機関について

I 医学部最高意志決定機関の構成は、教授、助教授、講師、助手の以上の全
教官で構成し、全員は各自 1票の平等な決定権等諸権利をもつ。 この場合、医学部としての決定は全てこの医学部最高意志決定機関で行う 。 以上を基本原則とし、運営に関し、具体的に検討していく 。

II 最高決定機関の決定に対し異議がある場合、 医学部諸自治機関(学部委員会、青医連、大学院自治会)は、その決定の行使を、一時停止させることが出来る。

Ⅲ 医学部最高決定機関に学部委員会、 青医連、 大学院自治会は発言権のあるオブザーバーとして参加する。

IV 公開制:最高決定機関は全ての審議事項に関し、医学部構成貝全員に公開する。

いわば、医学部教授会の決定に対して学生自治機関等の拒否権を求めるものだった。 そして、 11月 27日から翌日にかけて15時間を超える教授会団交の末に、「1969年4月 1日より最高意志決定機関を発足させるよう各項を内規化するよう努力する 。 以上確認する」 と医共闘は教授会に認めさせたのである 。

しかし、 医学部教授会では長時間にわたる 「大衆団交」 の末の確認である以上無効であるとの議論も展開され、 同教授会の意向はこの確認書をめぐって二転、 三転した。 結局、 医共闘からのプレッシャーの中でついに大学協議会に「基本綱領」を提出せざるを得なくなった。 1969 (昭和44)年 2月 12日臨時協議会において、医学部長はこの「基本綱領」を説明して協議会に意見を求めた。 協議会は、抽象的で、無限定な「拒否権」、「教員と学生の対等」という内容は認めがたいとしつつも、各学部に持ち帰って討議することとされた。
同日午後 8時より、 学長・ 協議会代表と医共闘との大衆会見は、 約400名の参加者が見守る中(学生、教員は半数ずつ)、現在の122教室でおこなわれた。 徹夜で会見を続けた後、 翌日 13日午前 9時半に休憩に入り、 午後 3時半から講堂で再開した。 再開後は約1000名が参加した。 結局合意にはいたらず、午後6時半学生代表は決裂の言葉を発して退場した。 その直後、 2月 14日午前 3時より教養地区 3号館が封鎖された。

大学側は、その頃より、各学部 3名、保健体育科から 1名の全学25名の学生部委貝が、 午前 9時頃から午後10時頃まで数名ずつで常時待機の態勢を組んだ。
2月 17日の臨時協議会では医学部間題特別委員会の設置を決め、 19日に答申案を提出し、 それに応じて 2月20日に文書を公開した。 そこでは、参加の仕方に

ついて、 医学部最高意志決定機関において審議される事項については事前の合議を行うこと、その決定に対して所定の期間内に異議申し立てができることを提示した。 しかし、大学執行部は 2月12~13日の大衆会見の経験にこりて、学生達との大衆会見は紛争が終わるまで行わなかった。 このため、 学部ごとの闘争が激しさを増し(なかでも、 医学部、 文学部の闘争は激しかった)、全共闘の学生の側では、 学長との大衆会見を求める手段として封鎖を拡大していった。

3月 2日には医共闘が医学部基礎学舎を封鎖し、 また 3月24日は全共闘が大学本館を封銀、したのである 。

そのため、 1969(昭和44)年 3月 3 ~ 5日に予定されていた入学試験は、 3号館封鎖のために学外で、 しかも 2日間に圧縮されて行われた。 また、例年行われていた全学統一の卒業式は中止せざるをえなくなり、各学部ごとに分散して学部長から卒業生に対して証書が手わたされた(この年、 医学部については紛争のため卒業者はゼロとなった) 。
以上のような事態に対して、大学側は 3月協議会で設置を決めた 「大学改革準備委員会」(その後大学改革委員会へ発展)、 「大学間題特別委員会」 の発足を記した 「大学改革問題について」(4.7改革案)を 4月 7日に示して打開を図ろうとした。 しかし、大学改革準備委員会を数回開催したが、 医学部教員会(教授を除く 医学部の教員で組織) との話し合いの結果、 「学長の諮問機関」 という位置づけを返上して自主的な委員会を志向し、職員、学生、教員三者の話し合い開催に努力するものとしたが、結局、医共關の要求によって解散した。

5月には文学部学生への暴力事件、 事態の改善を求める経済学部学生の自殺などの事件が次々に起こり、 また同月には医学部教員会の日当直拒否闘争、医共闘による一部教授の軟禁が起こった。 そして、 6月 11日医学部教員会は新規入院ストップ、入院ゼロ、外来ストップの方針を可決するまでに過激化した。
これに対して、翌12日に医学部長、病院長連名で「地方公務員法の規定に違反する行為である」 旨の警告文を発した。 その結果、 事実上の業務命令が出されたこと、運動自体の前途がみえなくなったこと、教員会執行部の会議運営が強引なものだったこと、 によって教員会は分裂へと向かった。
もう一方で、 6月に入ってからは封鎖学生の体制は崩壊しつつあった。 当初、教養部 3号館が封鎖されたとき、 少なくとも 180名を数えたといわれる封鎖派学生は、当時すでに30~50名に減少しており、時には封鎖中の学舍に「籠城」している学生は最低数名の場合もあったといわれる。 出るも自由、入るも自由という全共聞運動の組織原則そのものが、 このような激減をもたらした 1つの原因だった。 かなりの数の学生が、封鎖学舎から故郷に直行して、そのまま戻らなかったと言われた。 その過程で、 内部における主導権は、 「全共闘」、 ノンセクト・ ラジカルから、民学同左派のグループへ、さらに中核・ 社学同赤軍派へと移行しながらますます過激化していった。 その後世間を驚愕させた赤軍派による「よど号」ハイジャック事件、連合赤軍による浅間山荘事件には本学出身者が関わっていた。
大学側は、 7月 9日大学問題特別委員会が「大阪市立大学改革案要綱」(7.3改革案)を提案した。 以下がその中心的な内容である 。

第 1部 大学の理念
第 3章 大学の構成員とその地位
大学は教貝、学生、職員によって構成される。 そしてこれら 3者はともに大学の使命を分担している 。 したがって大学の使命の達成には、 これら 3者の協力がぜひとも必要であり、またその協力においては、教員、学生、職員がそれぞれ自主的かつ積極的に行動する主体であることを前提とする 。 この意味でこれら 3者は対等である。
A 教員
一教員は大学における『責任者』である。
B 学生
一学生は被教育者であると同時に、 教員のおこなう研究と教育に対する 「批判者」 でもある 。 そして学生はとくにこの批判を通じて大学の発展に寄与する。
C 職員
一職員の大学における地位は、教員にとっても学生にとってもひとしく 「協力者」である。

第 2部大学改革の基本的方向第 1章構成貝の参加
下記の事項について、 大学の各決議機関はその審議に先立って学生自治組織(当該決議機関と対応するところの学生自治組織)の正式の代表と十分な合議をおこない、 しかる後それぞれの機関で審議、決定する。 I)カリキュラムの編成、 II)履修に関する諸規定の制定・ 改廃、 m)教育・ 学習施設の建設・ 利用、

Iv)学生の福利・ 厚生施設の建設・ 利用・ 運営、 V)学費の改訂、 VI)学生参加
の方式に関する事項、 Ⅶ)その他教育 ・ 学習に関する重要事項
事前合議にもかかわらず、 各決議機関でなされた決定に対し学生がわが不満をもつときは、所定の期間内に一定の手続きをへて異議を申し立てることができる。

第 3章 研究教育体制第 1節 研究・ 教育組織
身分的職階制を廃止し、研究・ 教育・ 管理・ 運営における教員間の支配機構を廃する一現行の講座制は解体し、 それに代わるべき新しい研究と教育の単位を編成する。 原則として研究単位と教育単位を一致させるものとする。

第 2節 教育体制
教養科目の重要性にかんがみ、 教養教育課程と専門教育課程とを時期的に分離せず、 かなりの程度に重複、 平行させながら実施する方式にあらためる。 これによって学生は精神的な受容能力の発達に応じて、 教養科目を選択履修することができる一専門教育課程の改善および充実は、研究・ 教育組織の再編成をまって、学生と協議しながら、漸移的に実施するが、基本方針として2、 3の点をあげる 。 知識のつめこみ、 職業教育化の傾向を反省し学科目の内容の精選に努力する 。 入学当初から、 教養科目担当者以外の学部全教貝と学生との接触の機会をできるだけ多くし、 ある程度の専門教育を平行的に実施する。

第4章 産・ 官学協同問題
大学における教育の日的は、 現存社会が要求する単なる高級労働力の養成ではなく、真に社会の進歩に役立ちうる人材の養成にあることを銘記して、大学ほ
んらいの教育目的を見失わないようにつとめる。 同時に、大学における研究は、大学固有の特質をもち、 研究の分野における大学の社会に対する貢献は、 なにより研究上のこの特質を通じておこなわれることを忘れないようにする。

以上のような改革案によって、全共闘運動のいう 「帝国主義大学政策」 との批判に応えようとした。 この「7.3改革案」に対して、教員は紛争解決の「切り札」 となることを期待した。 しかし、 「協力者」 と規定された職員からは否定的評価を受け、 封鎖をしている学生はおろか、 一般学生の評価もはかばかしくなかった。 もう一方で、 8月 8日「大学の運営に関する臨時措置法」が成立した 。 この法律は、 大学紛争が生じて 9 ヶ月以上経過しても紛争の収拾が困難な場合、 当該大学または学部の教育・ 研究機能の停止の権限を文部大臣に与えること、 さらに 3ヶ月以上経過しても紛争が収拾困難な場合には、廃校措置を執ることのできる権限を文部大臣に与えるものだった。 この規定を本学に当てはめると、 2月14日教養部 3号館の封鎖を起点にすれば11月 13日がタイムリミットだった。 「話し合い路線」 は完全に行き詰まった。
9月 17日、 他大学の赤軍派の逮捕学生の自供に基づき、 赤軍派の凶器準備集合罪の捜索のために機動隊が出動して医学部基礎学舎の捜索がおこなわれた 。
9月 22日には封鎖下の医学部学舎から出動した赤軍派を名乗る学生が医学部附属病院付近の交番 2箇所に放火、 焼き討ちをする事件が起こり、 23日基礎学舎は再び捜索をうけた。 大学協議会は 「医学部および病院のほとんど全面的な封鎖によって、 診療機能は麻痺し、 市民に過大な迷惑をかけるに至ったこと」、

「『赤軍』 の暴力行為による社会的不安と、 それにたいする大学の社会的責任はもはや放置できない段階に達したこと」 ( 9月 30 日付 「大阪市立大学協議会声明」)から、 ついに、 9月30日府警機動隊300名の出動を要請して、 医学部学舎、付属病院の封鎖を解除した。 さらに、 10月 4日には、杉本町キャンパスの封鎖を解除するため府警機動隊600名の導入を要請した。

1969 (昭和44)年 1月の東大安田講堂の籠城や、 また同年 9月の京大時計塔の抗戦の中心がセクトであり、 またセクトの中心的メンバーがその抗戦に参加していたのに対して、本学の場合には、セクトは籠城に加わらず、最後の籠城者はノンセクトだった。 セクトは、封鎖を利用し、途中でその主導権を握り、「帝国主義大学解体」 にいたる極左的スローガンを次々と乱発して封鎖を長びかせ、自己のセクトの運動の拠点として封鎖を利用し、最後の局面にはいるとセクトの勢力を温存するために、 「ネズミが沈む船からいち早く逃げ出す」 と言われるように、封鎖現場を捨てたのである。 次項に述べるように、セクトグループの温存は引き続いて、 大阪市立大学を悩ますことになる 。
10月20 日から商、 経、 法、 文の 4学部と教養部の授業を 2号館、 3号館で再開し、 12月 1日から医学部でも全面的に授業が再開されるに至った。 大学紛争は、教職員、学生に対して深刻な心理的影響を残し、物的被害もことのほか大きかった。 大学全体の被害総額は図書の被害を別にして約 1億5000万円で、 紛争によって生じた附属病院会計の赤字は約 4億円と見込まれ、 授業再開に最低限必要な応急の復旧整備費だけでも 5000万円を超えると予想されたのである 。予算建設委員会は、 大学自体で10%分の予算を保留して復旧にあてるとともに、復旧整備委員会の設置を提案した 。 復旧整備委員会を通じて順次復旧整備が進められた。

大学紛争後、 寮問題が新たな火種に

前述したように、 本学の過激派は大学紛争後も生き残り、 その後も大学を混乱させることになる。 というのは、過激派学生は1977 (昭和52)年 1月 17日に完成したばかりの新寮という根城を確保して、 そこから教養地区で行われた政治セクト間の暴力的抗争に出撃したり、教養地区の授業妨害、試験妨害に向かったからである 。 なお、 暴力的抗争は教養地区と理工地区の間の公道まで及んだことがあった。 その公道を近隣の小学生や幼稚園児が通学路、 通園路として利用していたので、 保護者からの要請もあって大学は登下校する子供達の安全を守るため、 1971 (昭和46)年度から、教員が午前、午後ともに10人ずつ教養地区正門前に立って路上警備をおこなう 「路上当番」 を行っていた。 それでも、1975(昭和50)年 6月 4日には路上警備を行う前に、登校する学童の面前で、 中核派学生が革マル派学生を襲撃し、 死者が 2名に及ぶという事件が起こった。

大阪市立大学の学生寮の推移

前述したように、 1960年代初めには、都風寮と杉本寮という 2つの学生寮が存在した。 その 2つの寮はともに老朽化していたことから、 1962 (昭和37)年4月に全学協から新学生寮建設の要望が示された。 また1963 (昭和38)年 9月には自治会によってアンケートが実施され(学生数3840、 回収2755、 回収率72%)、回収者の約半分が入寮を希望していることが判明した。 もう一方で、 当時はセクト間の激しい争いや全共闘運動の登場する以前でもあったことから、 学生部側は 「自治共同精神を養う寮生で自治でよい。 問題が出たときは学生部委員会でやれる。 高い立場で審議する。 寮生をこえ、学生としてでもできる」(『大阪市立大学学生寮の歴史』)という言葉に端的にあらわれているように、寮生の自治に対して絶大な信頼をもっていた。 そこで、学生部は新寮の検討を進め、収容人員 1000名の寮を 5 カ年計画で建設し、 まず第 1期分200名寮建設案を大学側に提案した。

大阪市に対して、 大学は現実性を考えて、 80名寮の建て替え案を要求した。しかし、 80名建て替え案に対してゼロ査定が続くなか、学生部の熱意に、大学として1000名寮の建設計画を打ち出し、 第 1期分200名寮建設を決定した。 やはり、大阪市は認めなかった。 その理由として以下が考えられた。 第 1に、寮生は寮費、 光熱水費の不払い運動を展開していたからである 。 この頃、 文部省より、 学寮管理に必要な経費は大学負担とし、 私生活に要する経費は寮生負担を徹底させること、それに先だって負担区分(光熱水費、人件費、消耗品費、食事材料費など)を明確化するようにとの通達があった。 それに対して寮生側は反発した。 第 2に、 寮規定間題が解決されていなかったからである 。 この点は1970 (昭和45)年 4月、 大阪市の監査で指摘された。 大学が入寮者の氏名すら把握していないことに問題があるとし、 寮の管理体制について抜本的改善を求めていた。

それでも大学は学生との約束を守りたいとの思いから、 とりわけ大学紛争後に大阪市に対して熱心に要求を続けた 。 その結果、 大阪市は本学の熱意を受けて、 3条件の履行を条件に 1974年度予算の復活折衝で新学生寮建設を認めた。
3条件とは、新寮完成後に当時入っていた寮から立ち退くこと、寮費を支払うこと、 寮生名簿を提出することであった。
これに対しては、 都風寮、 杉本寮の自治会から 「大学当局のどす黒い野望=百名寮建換策動粉砕に向けて進撃せよ!」 との批判ビラが配布されたように強く反発したものの、 1974(昭和49)年10月建設のタイムリミットを前にしてとりあえず3条件について柔軟な態度をとった。 この時点にいたって、 ようやく大学の熱意は寮生側に伝わったかに思えた。 しかし、 1976 (昭和51)年10月の新寮竣工時には以前のような預なな態度となった。

学生部は1976 (昭和51)年11月 25日に学生部長名の文書 「新学生寮について」を出し、 3条件の履行を説き、寮側が「数回にわたり交渉にのぞんでいた学生部委員に対して常識では考えられないような成圧を加え、あくまで自己の説を通そうとする態度に出た。 このため交渉は目下難航を極めている 。 しかし学生部委員会としては、なお解決への熱意をもっている一」と、自重を求めた。

これに対して、 活動家学生は学生部長室の占拠という行動で応え、 ついに学生部と寮生の交渉は決裂した。
交渉の糸口を絶たれた大学執行部は、 それでも話し合いによる円満解決を願って、学生部長を経験した当時の評議員を交渉役として再開した。 その交渉に先立つ1977 (昭和52)年 1月の臨時評議会において大学執行部は、 寮生が過激化して、非常手段に訴えることになるのを避けるためか、 「学生側が3条件を認めるまでは開寮しない」 とする評議会と学生部委員会の間で確認されていた基本方針をくつがえし、学生との交渉によって新寮への仮入居と杉本寮の 1年間の存続を容認した。 さらに評議会は話し合いの妨げになるとの判断で、学生部委員会の方針である上記11月25日の文書 「新学生寮について」 を撤回したのである。 こうして、 1977(昭和52)年 1月17日には、学生側は大学の関係者から鍵を受け取り整然と入寮するという 「実力行使」 で新寮へ入居を果たした。

1977(昭和52)年度は、以上のような「話し合いによる解決」路線のために学年末試験は長期に延期され、 日本育英会の奨学金貸与は休止された。また、廃寮するはずの杉本寮についても、「団交」の末、 1977(昭和52)年 6月に当時の学生部長は杉本寮の存続を約束してしまい、 杉本寮補修のために一般の予算から流用せざるをえなくなった。 その後、 1981 (昭和56)年度には杉本寮の老朽化で倒壊の可能性あり、 との調査が報告され、 1986 (昭和61)年 1月28日徹夜団交の結果、建て替えを確約してしまう 。 また新寮(「志全寮」)でも寮生は寮費を含む諸経費を払わなかった。

以上の出来事は一層大阪市や大阪市会をいらだたせた。 市会では自民党から共産党にいたるすべての会派が大学に寮間題の解決を追った。 経済研究所教授崎山耕作が1986 (昭和61)年 4月に学長に就任した際、 「大阪市と大学は物凄く冷え切った、 つめたい関係にあった」 と述懐するほどの関係に陥っていた。 寮問題の解決は避けられなかった。

(以下、略)

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【投稿】政権交代の意義を抹殺する菅改造内閣

【投稿】政権交代の意義を抹殺する菅改造内閣

<<「本をお読みになったうえで任命」>>
 民主党・菅政権はついに重大な背信の道を公然と踏み出し始めた、と言えよう。一昨年8月30日の総選挙における政権交代の意義が完全に踏みにじられようとしているのである。今や、菅・仙谷・前原・枝野・岡田氏ら主導による自民党・小泉政権時代と見まがうほどの対米従属路線、財界・巨大資本に言いなりの自由競争原理主義・新自由主義への屈服路線、そして財務官僚一辺倒の財政再建至上主義と大増税路線によって、あの政権交代選挙がもたらした意義と使命、期待は完全に葬り去られ、風前の灯と化そうとしている。あの政権交代選挙で有権者が選択し、民主党政権に要求したのは、まさにこのような悪臭紛々たる自民党政権時代の三つの路線からの訣別であった。ところがたった一年数か月も経たないうちに、とりわけ菅政権になってから明らかになったことは、民主党政権の自民党化・小泉化であり、「気がつけば『小泉政治の復活』」である。
 その極め付けが、今回の内閣改造である。菅氏は自ら「最強の態勢」と胸を張っているが、そのお粗末さはあきれるばかりである。
 その象徴が、今回の内閣改造で与謝野元財務相を経済財政担当相に起用したことである。与謝野氏は、財務省の言いなりの増税推進派として知られる悪名高き政治家であり、その自著の表題からして「民主党が日本経済を破壊する」(文春新書)として民主党政権をこき下ろし、「民主党のマニフェストは純粋に選挙用のフライングフィッシュ(毛バリ)みたいなもの」と酷評していた政権交代選挙の意義を全否定する人物である。しかも先の総選挙で小選挙区候補として落選し、自民党枠の比例復活で辛うじて復活当選しながら、その自民党を離党して「たちあがれ日本」の共同代表になり、今回菅氏に誘われるや、またもやそこを離党して、与えられたポストにいけしゃあしゃあとおさまりかえる、まさに背信・背徳の政治家である。与謝野氏は先の自著で「70歳を超え、閣僚も党の役職も数多く経験させてもらった。今さら、あれがやりたい、これがやりたい、などない」などといっていたことも知らぬ顔で、「菅直人首相は本をお読みになったうえで任命されたと思っている。」と開き直っている。こんな人物を「民主党とかなり共通性は高い」と重要閣僚に迎え、「最強の態勢」の柱に据えて胸を張る菅氏には、与謝野氏と同じ背信・背徳の共通性があるのであろう。

<<食って掛かる官房長官>>
 菅氏が与謝野氏を起用したのは、消費税の大増税路線を確かなものにすること、ねじれ国会を乗り切るために自民や公明と連携する呼び水としての役割、さらには公明、自民とも大連立を模索するための布石のつもりであろう。しかし当の自民、公明幹部は「信頼関係を自ら放棄した人が先頭に立っても、誰もついていかない」と述べ(自民・石原伸晃幹事長)、菅首相が唱える超党派協議に応じない考えを示し、「立ち枯れ効果、倍増だ。今のタイミングでは、消費税や社会保障の議論のためには逆効果」(公明幹部)と、そのみえすいた浅ましい根性が見透かされ、かえって事態を悪化させているのである。菅氏ならびに民主党執行部の稚拙さが、ここでも露呈されているといえよう。
 その稚拙さのさらなる象徴が、官房長官への枝野氏の起用である。民主党が大惨敗した昨年7月の参院選で、枝野氏は党幹事長、安住氏は選対委員長であったが、どちらも大敗の責任を取らず、昨年9月の内閣改造では枝野氏は幹事長代理、安住氏は防衛副大臣に登用され、今回は枝野氏は官房長官、安住氏は国対委員長に引き上げられている。政治的責任を一切取らないで済ませられる、この党の無責任性の象徴でもある。どちらも反小沢派の急先鋒であり、菅氏や前原氏の言いなりになる仲間内で固めたお手盛り人事の典型と言えよう。
 何よりも菅氏が見落としている、あるいは知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる枝野氏の決定的な弱点は、その稚拙極まりない反中国姿勢である。以前にも紹介したことであるが、菅首相が昨年10/1の所信表明演説で「中国との戦略的互恵関係の深化」を基本方針に掲げたその翌日の10/2、さいたま市での講演において、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件に触れて、「中国との戦略的互恵関係なんてありえない。あしき隣人でも隣人は隣人だが、日本と政治体制から何から違っている」「中国に進出している企業、中国から輸入に依存している企業はリスクを含めて自己責任でやってもらわないと困る」「中国は法治主義の通らない国だ。そういう国と経済的パートナーシップを組む企業は、よほどのお人好しだ」と言ってのけ、いわば中国への絶交宣言、断交宣言に等しい発言をしながら、その発言の責任も問われることなく居座り続け、今回あろうことか内閣を代表する官房長官の地位に引き上げられたのである。対中緊張激化に利益を見出す前原路線との照応関係が見て取れるが、中国を「悪しき隣人」と呼んだことについて記者団に聞かれると、「良い隣人だと思うか?」と食って掛かるような理性と謙虚さ、品位さえも失い、個人的憎悪をエスカレートさせることしかできないこのような政治家が政権の中枢に居座り、政権を代表するとなれば、日中間の平和的共存関係は根底から破壊されてしまい、政治的経済的に計り知れない災厄をもたらすことは明らかである。ここでも菅氏は重大な誤りを犯してしまったと言えよう。

<<「沖縄切り」>>
 しかも枝野氏は、国交相が担当していた沖縄担当大臣を兼務するというのである。これも沖縄県民にとっては許しがたい暴挙ともいえる仕打ちである。枝野氏は就任にあたっての菅直人首相からの指示について、「官邸で普天間問題を担当する官房長官が直接、沖縄担当相を兼務することで、より強力な推進ができると判断したと聞いている」と説明しているように、菅氏じきじきの沖縄担当大臣への起用である。枝野氏は、1/14の就任会見では、米軍普天間飛行場移設問題について「沖縄の立場に立ち、物事を受け止めて考える中で、(名護市辺野古に移設する)従来の政府方針をどう進めるか努力したい」と述べ、日米合意を見直すどころか、あくまでも辺野古移設を推進する考えを表明している。
 しかしその枝野氏はあろうことか、昨年11月に稲嶺進名護市長らが上京し、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設撤回を政府に求めようとした際、関係省の政務三役との面談ができなかった事態が生じたが、この時「政府方針に一致しないので会わない」「政治パフォーマンスには応じられない」と指示し、事実上、門前払いをした張本人である。その時の11/9付け琉球新報は「政府に従わない異論を排除して恥じない。少数意見を切り捨て、民主主義を否定するに等しい前代未聞の対応だ。」「沖縄との溝が広がるばかりの民主党だが、聞く耳さえ持たなくなったのか。その狭量さにあぜんとする。」と報じられた枝野氏である。就任記者会見であつかましくも「沖縄の立場に立ち」などと述べているが、「沖縄の立場」に聞く耳さえ持たない、「沖縄の立場」に一度も立ったこともないそんな枝野氏が、なぜ沖縄担当相なのか。そんな人物に菅首相が「より強力な推進ができると判断した」のはいったい何なのか。それは「沖縄切り」であると言えよう。
 1月15日付け琉球新報の「疑問だらけの危うい組閣 公約破棄、官依存の『背信』」と題する社説は、「政府、自らに異論を持つ者は排除しても構わないという姿勢の枝野氏の沖縄担当起用は『小沢切り』とともに、菅内閣の『沖縄切り』の表れかとさえ思える。」「普天間問題で『県外移設』との県民の圧倒的な声には耳を全く傾けず、移設先を名護市辺野古とする日米合意の確実な履行を繰り返す北沢俊美防衛相は留任した。前原誠司外相も同じだ。」「普天間問題についても、県民の声を無視し、官僚のシナリオだけを頼りにしている閣僚ばかりだ。これでは官僚にとって扱いやすい『最強の内閣』にすぎない。」と断じている。ここでも菅氏はさらに重大な誤りを犯したと言えよう。

<<ダラディエ路線>>
 しかし大手マスメディアはそろいもそろって菅政権の変節と背信を大いに歓迎し、改造菅内閣を叱咤激励している。1/15付け読売社説は「今回の与謝野氏の入閣で政界再編の芽が出てきたとも言える。与謝野氏が言うように、国の命運を左右するような課題には各党が「政争の場を離れて」取り組むべきだ。」と主張し、「首相が「政治生命」をかけると言明した消費税を含む税制と社会保障制度の一体改革や、環太平洋経済連携協定(TPP)への参加、日米同盟強化に取り組む体制を整えることだ。」「菅首相の不退転の決意と実行力が問われよう。」と激励している。1/15付け朝日社説も「政権の最優先課題は一体何か。覚悟が見えず、すぐふらつく。そんな批判を首相は浴び続けてきた。目指す目標を明確にし、人事を通じ実行する態勢を整えようとした意図は理解できる。」と今回の改造を礼賛し、「『チーム菅』をがっちりと組み上げ、活発に機能させていくことである。」とまるで手放しの激励である。1/15付け日経社説もまた「首相は不退転の決意で民主党内をまとめ、税制の抜本改革やTPP参加への道筋をつける責任がある。」とエールを送っている。
 「チーム菅」の実体は、菅・仙谷・前原・枝野・岡田+与謝野ということであろうか。それは、政権交代の意義と使命を徹底的に貶めるためのチームでしかない。それは政権交代以前の自民党政権時代への回帰、対米従属、財界従属、財務官僚従属のチームとも言えよう。
 田中秀征 [元経済企画庁長官、福山大学客員教授]氏は、一時は盟友でも会った菅氏について「首相になる前の菅首相には、4つの敵、もしくは4つの縁遠いものがあった。それは(1)自民党、(2)財界、(3)官僚組織、(4)米国である。これらに距離を置く彼の姿勢は、『革新無所属』を名乗っていたり、社民連に在籍していた頃は今よりはるかに鮮明であった。ところが、政権交代後、彼にはこの4つに対してなりふり構わず接近している。もしも、自民党が大連立を申し入れれば、彼は直ちにそれに飛びつくだろう。その条件は『菅首相の続投』だけである。」「私は菅首相を見ていると、第二次大戦直前のフランスのダラディエ首相を思い出す。ミュンヘン会談でヒトラーと妥協して大戦に道を開いた人だ。ダラディエは、左翼政党から登場し、大臣、首相となるにつれて右旋回を続けた。そしてついには労働運動を弾圧したり、国民に向かって発砲するに至った。しかし、ダラディエは、最終的には左翼はもちろん保守勢力からも信頼されなくなったのである。保守勢力からすれば、かつての同志であった労働者に銃を向けるのであれば、いつかは自分たちに銃を向けるのではないかと疑うのも当然だ。」と厳しく指摘している(ダイアモンドオンライン1/6付け)。
 今や権力亡者と化し、政権にしがみつくことだけが目的と化してしまった感のある菅氏に、このような真摯な警告が届くのであろうか。いずれにしても政権交代の意義を抹殺するような政策に「政治生命」をかける菅政権は、早晩行き詰らざるを得なくなる。民主党は重大に岐路に立たされており、心ある人々の奮起が望まれる。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.398 2011年1月22日

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【投稿】TPP参加は「平成の売国」

【投稿】TPP参加は「平成の売国」           福井 杉本達也

1 突然のTPPへの参加表明
数ヶ月前まで全くなじみの薄かった国際協定をめぐり激論が交わされている。環太平洋戦略的経済連協定(TPP)という太平洋地域の貿易自由化を目指す、新たな多国間協定である。TPPが注目を浴びたのは、菅直人首相が昨年10月1日の所信表明演説で唐突に「国を開き未来を開く」として、アジア太平洋諸国との懸け橋として、「経済連携協定(EPA)・自由貿易協定(FTA)が重要です。その一環として、環太平洋パートナーシップ協定交渉などへの参加を検討し、アジア太平洋自由貿易圏の構築を目指します。」と参加検討を表明したのがきっかけである。しかし、当初マスコミは「評価できるが、農産物関税の引き下げなど困難な国内調整を伴う。『有言実行』の覚悟が試される」(日経社説:2010.10.2)とあまり相手にしなかった。ところが、前原外相が日経新聞と米戦略国際問題研究所(CSIS)との共同シンポジウムでジョン・ハレム所長やジョセフ・ナイ教授、石波茂自民党政務調査会長らを前に「外交の一番の優先課題は経済外交に尽きる。百パーセント関税自由化をするということを考えると、日本のFTAのレベルはかなり低い。環太平洋戦略的経済パートナーシップ協定(TPP)にも入るべく検討している。第1次産業の割合1.5%を守るために、残り98.5%が犠牲になっている」(日経:10.20)とぶち上げてからがぜんマスコミは騒ぎ出した。米国の“承認”を受けたうえでの発言であると“正式に”確認されたからである。

2 「東アジア共同体」に対抗するための「TPP」
『日米同盟VS.中国・北朝鮮―アーミテージ・ナイ緊急提言』(文春新書:春原剛:2010.12.20)において、リチャード・アーミテージ元米国務副長官は鳩山政権の「東アジア共同体」構想には非常に驚いたとし、中国と日本は「『米国を含まない共同体』について語っていたようだ」とし、「我々にはそれについて何も知らなかった。そうした態度は友人(=『属国』と訳すべき)にはあるまじき行為」であると怒り狂っている。ナイはさらに具体的に「ASEANプラス3(日中韓)」が「ASEANプラス1つの貿易協定(One Free Trade Association)や、「ASEANプラス3つの貿易協定(Three Trade Agreements)となり、「米国への差別的行為を伴う場合は米国による報復を伴うことになる」と恫喝している。既に経済の重心が大きく東アジアに傾きつつある現在、米国抜きの「ASEANプラス3つの貿易協定」は、米国にとっては何としても阻止しなければならない喫緊の課題である。そこで取り出してきたのが、TPPである。構成は、アジアの英米金融資本の出張所・シンガポールとブルネイ、アングロサクソンのオーストラリア・ニュージーランド、南米では米国の息のかかり、「メルコスール」(Mercado Comun del Sur-ブラジル、ベネズエラ、アルゼンチン等の南アメリカ関税同盟)から距離を置くペルー・チリなどである。参加・参加表明は9カ国だが、GDP比率は米国が67%、日本が24%で9割を占め、後は取るに足りない経済規模であり、事実上の「日米FTA」となっている(日経:2010.10.28)。しかも、関連するものは農産物や鉱物資源などの一次産品のみである。これらに「ASEANプラス3」のような、世界の生産拠点である中国、金型など自動車部品産業の集中するタイ、1980年代から機械産業を育ててきたインドネシアなどのような域内での強い経済的結びつきや一体感はない。(マレーシア・ベトナムのTPPへの参加意向は不均衡貿易の中国への牽制の意味がある)。また、東アジアでは1997年のアジア通貨危機への対応として発足したアジア金融協力体制=チェンマイ・イニシアチブも順調に機能している。ASEAN諸国は当時のIMF・米国の仕打ちを忘れてはいない。TPP参加をそれに変わりうる「平成の開国」などというのは詐欺にも等しい。

3 日本を米国に売るための「TPP」
「第1次産業の割合1.5%を守るために、残り98.5%が犠牲になっている」との前原発言は実に作為的な暴論である。あたかも農業以外のすべての産業がTPP参加によるゼロ関税によって利益を得るような論理であるが、実際に利益を得るのは自動車や電機など一部の競争力の強い輸出産業にすぎない。日本の貿易額のGDPに占める割合は13%t程度(2005年現在)で3億の人口を抱える米国と同水準あり、30%を超すドイツや韓国、20%超のイギリスやフランスなどと比較して高い水準にはない。「着うた」や「デコメ」などガラパゴス現象と揶揄される日本の携帯電話はフィンランドのノキアや韓国のサムスン、LGのように海外にはほとんど輸出されていないが、これは逆にいえば日本の国内市場が相対的に大きく、海外市場開拓の必要性が少なかったからである。前原の発言は過剰設備を抱える一部の輸出産業のために他の8割の産業を米国に売る議論である。

4 形を変えた「年次改革要望書」
そもそも、TPPの具体的内容に関する情報がきわめて不透明である。TPPの第3回会合では24部会が立ちあげられ、政府調達や知的財産権、金融、投資、労働などの分野で議論が進んでいると記されている(『東洋経済』2010.11.13)。公共事業の入札や郵政民営化・医療・年金・労働の自由化なども含むのか。とするならば、それは2008年10月15日以降出されていない米国からの「年次改革要望書」(「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書」(The U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative))の復活そのものである。前自民党政権下で過去10数年に亘り「要望書」のお望みどおりに、財政投融資と郵政の解体、年間3000人法曹養成(結果、食えない弁護士の大量出現)、労働者派遣法の改正、新会社法による日本企業買収のための三角合併制度等々を行い、米国に金融・会社・労働者・国の制度から魂まで売ってしまった。今の日本はその“負債処理”で汲々としている。“無条件一本勝負”よりも「米韓FTA」という“条件闘争”を選びTPPに参加しない韓国の方がまだ日本よりは賢い(鄭仁教韓国荷大教授:日経:2011.1.8)。

5 日本農業はTPPでは存立しえない
農業は製造業と違って、自然的条件の違いが重要である。米国の1戸当たりの平均耕作面積は約200ヘクタール、オーストラリアは約3000ヘクタールなのと比べて、日本は1戸当たり2.2ヘクタールにすぎず、それを10ヘクタールにしようが20ヘクタールにしようが誤差の範囲内である(金子勝:県民福井 2010,11,26)。このような自然条件の違いを無視して、ゼロ関税の市場競争に任せれば農業は成り立たない。
朝日新聞は1月1日の社説で「TPPへの参加検討を菅直人首相は打ち出したが、『農業をつぶす』と反対されフラついている。だが手厚い保護のもと農業は衰退した。守るだけでは守れない。農政を転換し、輸出もできる強い農業をめざすべきだ」(朝日社説2011.1.1)と主張するが、どうやって「輸出もできる強い農業」を作るのか。社説はあたかも日本だけが農業を保護しているかに書いているが、真っ赤な嘘である。TPPの主役で世界最大の農産物輸出国の米国でさえ、膨大な補助金によって農業を支えている。バイオ燃料推奨も補助金の一種である。2008年に成立した農業法(Food Conservation and Energy Act of 2008)では5年間で2850億ドルの予算を組むとしている。米国は常に「他人には厳しく、自らには甘い」ダブルスタンダードである。
農業の構造改善を進めるため農地や用水路、農道などの整備を行う土地改良事業はピークの1997年度には1兆2300億円に達したが、民主党政権下の2010年度予算では前年度比63%減の2129億円に大幅削減された。同事業によって、これまで10a以下の零細農地は20a→30a→60aへと規模拡大されてきた。一方、事業は地元負担金(数%~20%程度)の償還が終わるほぼ20年ごとに30aの改良農地をさらに1haへ、2haへと大規模公共事業として繰り返され、土建業に再投資され、自民党の政治基盤となってきた(野中広務氏は全国土地改良事業団体連合会会長)。しかし、いくら規模拡大するといっても地形上の制約からも1haの農地を米国のように100~200haに拡大することは日本では不可能である。土地の制約を無視して、生産性を上げるとか、構造改革をするとかいうのは画にかいた餅である。規制緩和し、農業以外からの参入や野菜工場・工業のような大型機械によって日本農業の再生を夢見る者もいるが、米国においてさえも歴史の最適解は、大型家族農業経営であった。資本主義的経営が根付かなかったのは、自然を相手にする農業の特質ゆえである。ソビエトの集団農業化(コルホーズ・ソホーズ)、中国の人民公社が失敗したのも、同じ理由である。農業以外からの資本の導入は、イデオロギー以外の何ものでもない。零細農家を大量に抱える中国やASEAN諸国も同様であろう(参照:「TPP参加は誤り―日本の米作・畜産は規模拡大策では存立しえない」伊東光晴:『エコノミスト』2010,12,21)。

6 恫喝すれば“従順に従う”日本人
朝日社説はさらに続けて「民主は公約を白紙に 」との小見出をつけ「思えば一体改革も自由貿易も、もとは自民党政権が試みてきた政策だ。選挙で負けるのが怖くて、ずるずる先送りしてきたにすぎない。民主党政権がいま検討している内容も、前政権とさして変わらない。どちらも10年がかりで進めるべき息の長い改革だ」と、“どっちもどっち”の対米従属路線が続くことを支持する。メッセンジャー・ボーイとして米軍産複合体の意向をオウムのごとく繰り返す前原外相や日本のマスコミ、米国の恫喝に右往左往する菅首相や経済人を見るにつけ、かつて、キッシンジャーに「Of all the treacherous sons of bitches,the Japs take the cake.」(「裏切り者どもの中で、よりによって日本人野郎がケーキを横取りした。」-1972年、ニクソン訪中の成果を田中角栄首相が日中国交正常化とういう形で横取りしたことに対して:共同通信2006,5.26-孫崎享『日本人のための戦略的思考』より)と言わしめたような政治家や日本人が『属国』から“駆除”されてしまったのかと思うと嘆かわしい。

【出典】 アサート No.398 2011年1月22日

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【本の紹介】「日本共産党VS.部落解放同盟」

【本の紹介】「日本共産党VS.部落解放同盟」
 筆坂秀世・宮崎学共著 にんげん出版 モナド新書 2010.10.31 940円+税 
 
 なかなか懐かしい取り合わせの表題に引かれ、手にしたのが本書である。著者は、筆坂秀世氏・宮崎学氏の共著となっているが、展開は対談形式となっている。
 問題意識は、「はじめに 日本共産党と部落解放同盟とは何であったのか」に明らかにされている。1920年代に日本共産党と部落解放同盟の前身の水平社は産声を上げた。戦時中は権力の弾圧の中で逼塞されるが、戦後、解放の息吹の中で甦り、貧困と差別に反対して、少なくとも1960年代前半、同和対策審議会答申が出されるまでは、共同の立場で戦線を構成していた。しかし、その後、答申の評価を巡り対立が始まり、1970年代の矢田教育差別事件や八鹿高校事件で対立は決定的となり、「暴力的」対立まで至る。
 しかし現在、共産党の方は、不況の到来とともに蟹工船ブームや派遣切りなどの反資本主義的ムードの中で、勢力を拡大するかに見えた時期もあったが、2009年総選挙、2010年参議院選挙で、得票を大幅に減らし、党員の高齢化が目立つなど、党勢・運動は縮小の方向にある。一方の部落解放同盟も、2010年3月の全国大会で同盟員が7万人を切り激減していることが報告され、同盟員の平均年齢が60歳を越えているという。昨年の参議院選挙では、松本治一郎以来の議席を失うという事態となった。
 「時代の状況も違い、時代の課題も違うなかで、共産党、解放同盟にかつての光輝に満ちた闘争の再現を期待するのがまちがいかもしれない。しかし、現在の状況が、新しいかたちで虐げられた者たち、辱められた者たちを大量に生み出しているとするならば、「党」「同盟」という形態ではなくても、抑圧と汚辱に立ち向かう結集のあり方が探られねばならないだろう。そのためには、かつての党と同盟の「正の遺産」だけではなくて、「負の遺産」が仕分けされ、「何をなすべきか」とともに「何をやってはならないか」があきらかにされていかなければならないのではないか。本書は、そのための一つの試みである。」と記されている。
 
<差別は支配の道具か>
 第一章では、差別は本来人民の中にはないものであって、支配する側がもちこんできた、だから、権力と闘うことが大切である、という「差別は支配の道具」であるという考え方について検討が行われている。「共産党は、独占資本の搾取・収奪を強化するために差別を分裂支配の道具として利用していると、差別と独占資本を結びつけて考えていました。この点は解放同盟も同じでした。(司会者)」
 宮崎「差別は、権力支配の道具としての側面は持ちつつも、主たる側面はそうではないんじゃないのか。差別を権力支配の道具という一面でしかとらえない限界を、同盟も共産党ももっていた。・・・分裂支配の道具として以外の要因は、どこにあるのか、ということですが、その前提として、民衆の中の差別意識の問題がある。・・・権力支配の道具というとらえかたの範疇を越えられなかったところに、ある種の限界があったのではないかと思っているわけです。」
 さらに、革命のための活動家を吸い上げるための大衆組織=解放同盟と考える組織論があり、共産党が国民政党に「変質していく」過程の中で、解放同盟との対立が起こってきたという分析がされる。
 「第一章蜜月の中に生まれていた対立の萌芽」の中では、こうした点が中心の内容である。1970年代前半期、私の高校・大学時代は、すでに対立が頂点に達していた時期であった。60年代の運動に分裂・対立の萌芽が内包されていたと言う議論であり、その内容は、差別の本質論、共産党の組織論に問題があったということになる。
 
<革命か改良か>
 最初の対立の端緒は、同対審答申の評価であった。部落差別の存在を認め、特別対策の必要を内容とした答申について、解放同盟側は「運動の成果」と評価したが、共産党は「毒まんじゅうだ」と批判した。さらに、共産党から除名された「反党分子」が、同盟内にいるとして解放同盟の大衆団体としての独立性を無視し、敵対勢力と規定し、後に共産党の影響力の強い県連・支部を同盟から離脱させていく。
 60年代は共産党自身の内部に党内闘争を抱え、旧ソ連派(日本のこえ他)、中国派などが離脱・除名されたが、解放同盟内に影響力は残ったことも、問題を複雑にした。
 著者両氏とも「毒まんじゅう論」は誤りであったという立場である。宮崎氏は改良を否定した運動はありえないし、党レベルの議論を乱暴に解放同盟に持ち込んだと批判され、筆坂氏も「社民主要打撃論」に繋がる誤ったものだったとする。後に、共産党も地域の要求を掲げることは必要と、1967年に方針転換をすることになるが、対立は続き、左翼的批判が右翼的批判に変化していったと指摘されている。
 
 第二章同和対策は毒まんじゅうか–解放同盟内での対立、第三章矢田事件、八鹿高校事件–同盟と党の暴力的対立、第四章全面的な路線対立・組織対立へ、第五章部落解消論と利権問題と、二章以下は、対立段階を4段階に分け、対立の過程について対談が進むことになる。
 このあたりのくだりは、私にとってはも読者にも復習のような内容になります。特徴的な指摘について紹介したいと思います。
 コンプライアンスについての指摘がある。両者とも、コンプライアンスを重視する傾向にある。もちろん、法令順守という考え方や法律を求める運動そのものに問題があるわけではない。社会運動の指導者や本部が、告訴告発主義を取ったり、法律制定に軸を置いた運動を中心にすることで、「もともとの運動のスタートにおける問題意識から完全に遊離してしまっている、ということじゃないのかな。解放同盟が自力救済を捨てきれないところがまだ救いかもしれない(宮崎)」
 次に、属地主義と部落外在住者の組織化の問題である。行政闘争の成果や社会経済環境の変化によって、逆に部落を出て行く若者が多い。所得が上がれば部落外に住居を求めることも可能になる。一方で同和対策は未だに属地主義を取っている。その中で、解放同盟員の激減も起こっている。地区外同盟員を認めているとは思うが、同盟の運動論、組織論として、議論されるべき問題だと感じた。
 利権の問題も俎上に上っている。運動の論理としての窓口一本化の運動側からの正当性について両氏とも認めるところだが、そこから同盟幹部と行政の官僚との癒着が生まれる可能性が強い。食肉問題でも農水省幹部利権との関わりが指摘され、官僚の側の問題が指摘されている。地方官僚の場合、同和関係職場が出世の条件になっている実態もある。2000年代に入って相次いで発覚した大阪・関西の利権問題でも行政側の関与が指摘されている。
 私も身近にある大阪の運動体と運動について、行政に依存しすぎる解放運動になってしまったと感じている。
 
<解放同盟のゆくえ>
 第五章の最後には、両氏の解放同盟への率直な意見が盛り込まれているが、解放同盟の今後の再生について、非常に否定的な意見となっている。
 筆坂「結論的に言えば、部落解放同盟の歴史的役割は終わったと思います。・・少なくとも経済的に言えば被差別部落だけが著しい貧困状態にあるわけではないでしょう。・・・解放同盟の存在意義が希薄になってきたことは、肯定的に評価すべきだと考えます。」
 宮崎「(党と解放運動の関係)それ以上の問題として総括すべきは「官」との関係ではないか。「官」からも「党」からも敢然と自立した運動を、なぜ展開できなかったのか。そのことを考える時期に来ていると思います。解放運動という組織の先行きを案ずることはない。むしろ、水平社、部落解放同盟を支えた人々の精神が風化すること、そのことを私は憂えています。」と。
 
<「補論」について>
 最後に補論として、「日本共産党と部落解放同盟の対立の歴史的・社会的背景」(大窪一志)が収められている。対談形式の本書の中では、まとまった論文(?)として、読むことができる。高度成長期に乗り遅れた被差別部落大衆と同盟が、同対審を梃子に運動を拡大させ、一方で、共産党の支持基盤が、最貧困層から中流層へシフトし、党勢が拡大していく中で共産党が変質していったこと。戦前の水平社アナ・ボル論争に遡る階級闘争と個別大衆運動の利害と指導を巡る問題が、両組織の対立の歴史と重なることが、簡潔にまとめられている。
 
<運動の再生のために>
 私は、筆坂・宮崎両氏のような否定的な見解に同意するものではない。しかし、大衆運動としての解放運動が明らかに混迷していることは事実であろう。その原因を切開し、現実に起こっている被差別市民の要求と課題に依拠し、運動の再構築が必要であろう。その議論の素材として、一読の価値ありと考える。(佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.398 2011年1月22日

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【訃報】小坂さん、逝く

【訃報】小坂さん、逝く
(1月16日、幾度もカンパを頂き支援をしてくださった小坂貢さんが永眠された。) 

いったい今の政治はどうなってるんかね
くだらないことばかり議論して
肝心なことはほったらかしじゃないか
ところで小沢のことを詳しく書いた本があるかね
それそれ、それを買ってきてくれたらありがたいんだが

ベッドを横切るテーブル
山のような週刊誌や月刊誌、単行本
片っ端から読んでは、電話、電話
矢のような質問と情報提供
飽くことを知らぬ知識欲

閉口すること多かりし日々であったが
幾度もその鋭い指摘にはっとさせられた
そんな小坂さんがついにただただ眠る日々
テーブルに読まれもしない週刊誌や月刊誌
今、あらためて電話の声がよみがえる

(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.398 2011年1月22日

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【日々雑感】私なりのファシズム論

【日々雑感】私なりのファシズム論

 いつも、だるい記事で大切な紙面を汚している者で、申し訳なく思っておりますが、最近は、世論全体が、何かファシズムに流されかけるような危うさみたいなものを感じるのは私だけでしょうか、私の考えすぎなのでしょうかね?
 大阪の橋下知事を中心とする「大阪維新の会」等の動き、名古屋の河村市長、鹿児島の竹原市長の動き等を見るとき、何かヒトラーが出てきた時の世相によく似たものを感じるのですが・・・・。
 私の20~30才頃に上映された映画で、原作名が「野獣たちのバラード」、上映名が「ありふれたファシズム」を思い起こすとき、巧みな弁舌、デマゴギー、アジテーションで、人々の不満を背景に、ヒトラーのファシズムが台頭してきましたね。
 派手なパフォーマンスや、メディアを駆使した世論調査で、多くの人が騙された、小泉・竹中路線に、彼等の動きも似てますね。
 「ボクは、ボクは」とか「ぶっ潰すんだ」とか、単純さとか奇抜さとかで、大衆受けを狙っているのだろうが、そのバカさかげんが、私は不愉快でなりません。
 ある予備校の先生が「ヒトラーは、反ユダヤ人を掲げ、橋下知事は、反公務員ということで煽っているのが似ている。雑多と純粋という問題を考える時、文化や政治では、雑多という概念の方が優れている。なぜなら、アーリア人の優越、ゲルマン人の純潔等の誤った思想に結びつくから」等の意味のことを言っておられたと、息子が私に話してくれました。私は「その先生の目のつけ所は正しいし、的を得ていると思うよ。なかなか良い先生やねえ。」と褒めておきました。
 この機会に”おのれの敵を知れ”との思いからファシズムのことを私の持っている電子辞書の百科事典で引き出し、書き出してみましたが、その中の関連事項のボタンを押すと、次から次へと山のように資料が出てくるのには驚きました。その内容は、又の機会に譲るとして、良い勉強の機会になったと思います。願わくは、この国のファシズム化が、私の危惧で終わってくれと祈りつつ、ペンを置きます。(2010年12月15日 早瀬達吉) 

 【出典】 アサート No.398 2011年1月22日

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【投稿】デッドロックに乗り上げた菅政権

【投稿】デッドロックに乗り上げた菅政権

<<「怒りを通り越してあきれ返る」>>
 12/13、仙谷官房長官は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設について「県民に甘受してもらいたい」と述べた。この発言について12/15付け琉球新報・社説は「『甘受』発言 駄々っ子はどちらなのか」と題して、「あきれた無神経ぶりと言うほかない」と断罪している。
 「しかも『情と理を尽くして説得する』と述べている。駄々っ子をあやすかのような口ぶりだ。駄々っ子は沖縄側と政府と、いったいどちらなのか。」「仮に普天間飛行場を県外移設したとしても、在日米軍基地の沖縄への集中度は73・9%から72・4%に下がるにすぎない。こんなささやかな要望すら、駄々っ子扱いする政府には、怒りを通り越してあきれ返る。」「辺野古移設の理由も支離滅裂だ。仙谷氏は『一朝一夕に、明日、全ての基地を国内のほかの地に移すわけにはいかない』と説明した。沖縄側がいったいいつ、『1日で全ての基地を移せ』と要求したのか。」「『自分のところで引き受けようという議論が国民に出ていない』とも述べている。議論を提起すべき官房長官がひとごとのように論評するのでは、何をか言わんやだ。」と実に手厳しい。
 さらに、しかも県民の反発を受けるや「仙谷氏は『沖縄が総反発するような受け止めをしているとすれば、撤回もやぶさかでない』と述べた。まるで県民の受け止め方が誤りだと言わんばかりだ。なぜ県民が反発したのか、この人には永久に分からないだろう。」と、仙谷氏は完全に突き放されてしまっている。
 そしてやはり12/15付け沖縄タイムス・社説は、【甘受(かんじゅ)】「さからわずに甘んじて受けること」(広辞苑)。「やむをえないものとしてあまんじて受け入れること」(大辞泉)を引用して、これまた手厳しく論じている。
 「仙谷氏は『私の徳島県を含めて、自分のところで引き受けようというような議論は国民的にも出てないわけですね』とも発言している。よくそんなことが平気で言えるものだと思う。他府県の『ノー』には耳を貸すのに、なぜ沖縄の『ノー』には応えないのか。なぜ基地政策だけは公正な行政が実現できないのか。先月行われた県知事選で仲井真知事は『県外移設』にかじを切った。民意に従い、条件付き県内移設から転換せざるを得なかったのである。再選直後には、公約に基づき菅直人首相に日米合意を見直すよう求めている。仙谷氏の発言は民意を否定するばかりか、仲井真知事に対しては、選挙公約の破棄を公然と勧めているようなものだ。民主主義の否定、地域主権の否定である。」
 今や「菅内閣の舌禍王」とまで言われる仙谷由人官房長官であるが、このような恥知らずで傲慢な発言はいくら撤回したとしても、その本性や意図をさらけ出した取り返しのつかない事態を自ら招いているといえよう。そこには一片の誠実さも反省さえも見えないのである。

<<「説得すべきは米国だ」>>
 そして12/18、今度は仙谷官房長官の意をそのまま受け継いだかのような菅直人首相本人の沖縄訪問であった。
 これまた12/18付け琉球新報・社説は、「説得すべきは米国だ」と題して、「『普天間基地は県外に』という仲井真弘多知事に、菅直人首相は辺野古移設容認を迫った。会談が平行線のまま終わったのは当然だ。民意に背を向け聞く耳を持たない政治とは何だろうか。会談が行われた県庁の前には『(日米合意を)撤回せよ』と書いたプラカードを持った人が大勢集まり『帰れコール』を繰り返した。多くの県民も同じ気持ちだろう。普天間移設について菅首相は『強引に進めるつもりはない。しっかり誠意を持って話し合う』と強調したが、時間がたてば、容認に変わると思っているとしたら大間違いだ。沖縄を説得する誠意とエネルギーは、米国に向けて使うべきだ。」と、菅政権の本質的な欠陥と根本的な政策転換を厳しく求めている。
 この会談に際しても菅首相は、いかにも不用意かつ不誠実な発言を繰り出して仲井真知事の説得に乗り出し、「沖縄の皆さんにとっては辺野古はベストな選択ではないかもしれないが、実現可能性も含めるとベターの選択ではないか」「ベストは確かに県外・国外かもしれないが、過去からの経緯、あるいは国際情勢を考えた中で、ベターな選択として辺野古移転をもう一度皆さんにも考えていただけないか」と述べたのである。この「ベター」論は仲井真知事らが自公政権下で展開していた、いわば前時代の論理である。菅首相からすれば、仲井真知事に取り入ったつもりであろうが、魂胆が見えすいている。仲井真氏にとっては知事の座を確保するためには、ベター論を切り捨て、「県外移設」に舵を切らざるを得なかったし、そうしなければ県民の総意に反して、伊波洋一氏に敗北していたであろう。当然のこととして仲井真知事からは、「県内移設はバッド(駄目)の系列でしかない」「日米合意の見直しをぜひお願いしたい。『県外へ』というのが私の公約であり、政府も真正面から受けていただいて、県民の思いを実現できるようお力添えをお願いしたい」と切り返されてしまったのである。もはや菅首相には打つ手なしである。

<<たった2分の辺野古上空視察>>
 菅首相は今回の沖縄訪問で「県民に総理自身の考えを伝えたい」と述べていたが、市町村長や市民には誰一人会わなかった。説得するどころか、会いたくもなかったのであろう。そして肝心の「ベター」な移設先である辺野古には足を踏み入れることもなく、キャンプ・シュワブ(名護市辺野古)沿岸部の上空をたった2分ほどのヘリコプター視察をしただけであった。その辺野古の海岸の砂浜には、5・28日米合意を「撤回せよ!」と大書した紙をシュプレヒコールに合わせて突き上げ、抗議する住民、敷き詰められた「NO BASE!」(基地はいらない)という大きな布文字、「民意は基地建設 NO」の看板が首相を待ちうけていた。菅首相はそれらを眼下に見て、事実上逃げ帰らざるを得なかったのである。
 菅首相は「県外・国外移設と言ったのにできなかった」と述べているが、そもそも菅政権自身を含めて民主党政権は、これまで一度も普天間基地の県外・国外移設を目指して米国はもちろん、沖縄以外の地に正式要請などしていないのである。「できなかった」のではなく、する意思も意欲もなく、「しようとすらしなかった」のである。今、そのことが問われ、菅政権に限らず、今後のどのような連立政権であれ、日米合意を見直さない限り、事態は解決しないし、県内移設はもちろん、辺野古新基地建設などはどのようにあがいても不可能となっていることをこそ認識すべきなのである。
 いずれにしても菅政権は完全にデッドロックに乗り上げてしまったといえよう。急落する支持率、民主党内部の抗争もさることながら、大連立や小連立を策謀しても、相手からさえ心中することをためらわれる事態である。菅首相本人、仙石官房長官、岡田幹事長、前原外相が前に出ている限りは、民主党政権の維持、存続は不可能な事態に突き進んでいるといえよう。自民党の復権を許さないためにも、民主党執行部はこの際、総退陣し、人心一新、政権交代の初心に立ち返った路線の根本的転換に踏み切るべきであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.397 2010年12月24日

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【投稿】アメリカのパワー衰退とユーラシア大陸の台頭

【投稿】アメリカのパワー衰退とユーラシア大陸の台頭
                            福井 杉本達也

Ⅰ.軍事パワーの誇示
 12月14日朝。日米共同統合演習に加わっていた空母ジョージ・ワシントン(GW)が、母港・横須賀基地に戻ってきた。今回の共同演習に参加したのは、日本の陸海空自衛隊からは3万4000人、艦船は約40隻、航空機は250機にのぼる。米軍は陸海空及び海兵隊か兵員1万人余り、艦艇約20隻、航空機150余機。合わせて4万4000人、60隻の艦艇、400機余りの航空機が演習に参加した。日米の合同軍事演習史上最大規模であり、11月に黄海を中心に行われた米韓の合同演習の6倍の規模であった。12月10日『NAVY News Service』は演習終了後の“記念写真”を配信したが、GWを中心に強襲揚陸艦「エセックス」とヘリコプター搭載護衛艦「ひゅうが」が脇を固め、イージス巡洋艦「カウペンス」・イージス艦「こんごう」・ミサイル駆逐艦「JSマケイン」・ヘリコプター搭載護衛艦「ひえい」など20数隻の艦艇を付き従えるものであり、憲法上の制約は全く無視され、自衛隊が米軍の一部として一体的に運用されている実態が如実に示されている。

Ⅱ.経済パワーの衰退
 陸を支配する者から海を支配する者にヘゲモニーが移行した16世紀から1970年代前半まで先進国は途上国の資源を安く買い叩き、反対に加工した製品を途上国に高く売ることによって儲けてきた。例えばイギリスの産業革命はインドの綿花を安く買い、それを加工して綿製品をインドに高く売ることによって発展してきた。欧米先進国(日本を含む)の人口は1870年代には地球全体の15%(現在人口は10億人)になったが、これら15%の人々が残り85%の発展途上国を従属させ資源を収奪し著しい不等価交換により利益を享受してきた。ところが、第1次オイルショック後の1974年以降の30数年・特に中国がWTOに加盟した2001年以降はBRICsなどの新興国が非常に力をつけ、新たに40億人もの人口が先進国並みの生活水準を享受しようと加わってきた。原油価格は1973年までは1バレルたった2~3ドルだったものが、第2次オイルショック直後の1980年には30~40ドルに上がった。1990年代は20ドル前後で推移するが、バブルの2008年には一時147ドルまで跳ね上がり、現在も80ドル台で推移している。結果、先進国は交易条件が悪化し、実物経済では稼げなくなり、金融に活路を見出していくこととなる。たとえば日本の鉱物性燃料の輸入代金は1994年には4.9兆円だったものが、2008年には27.7兆円にまで膨らんでしまった(参照:『超マクロ展望 世界経済の真実』水野和夫×萱野稔人)。

Ⅲ.金融空間への拡張と最終的な失敗
 交易条件の悪化によって実物経済で儲けられなくなった先進国・特に省エネ技術などで遅れをとったアメリカ・イギリスなどは実物空間から金融空間への展開を図ることとなる。それが1980年代からの「国際資本の完全移動性」の提唱であり(日本国内の用語では「金融の自由化」であり、「聖域なき構造改革」)、世界の余剰マネーを掻き集めアメリカのコントロール下において自由に使おうとするもので、1995年から2008年の間に100兆ドルもの実物に裏付けのされないカネが作られた。そうした行き場のないカネが、ITバブル・住宅バブル・サブプライムローン問題などを生み出し、最終的に2008年9月のリーマン・ショックで崩壊することとなった。

Ⅳ.「スマートパワー」のストーリー
 フォーリン・アフェアーズ誌2010年12月号で、ハーバード大学のジョセフ・ナイも金融危機の結果、今後、アメリカの文化も経済も21世紀初頭のようなパワーを失い、世界的な優位を保つことはないとの認識を示している。しかし、軍事パワー領域は一極支配構造の状態にあり、アメリカはその大きな優位を当面維持していくとしている。中国はどれほど経済成長しようとも、その軍事力と経済力がアメリカの覇権を脅かすほどにまで大きくなることはまずない。それにははるかに時間がかかるし、中国はそれを達成する前に政変が起きるとする。アメリカの覇権を脅かすのは、日中韓が一体化した東アジア共同体だけであり、この3国が共同体を形成してしまうと、アメリカをはるかに上回る力を持つことになる。したがって、アメリカの戦略としては日本と中国の仲を悪くさせ、東アジア共同体ができる可能性の芽を摘むことであるとし、アメリカが主導して日中韓の仲を裂き、日本、インド、オーストラリアその他の国を「エンゲージ」して、中国に対抗させ、中国のパワー増大というリスクに備えた保険とする。力の衰えた米国は他国の力を借りなければ望むような結果は出せないことを認識したうえで、情報化時代におけるハードパワーとソフトパワーリソースを組み合わせた「スマートパワー」をいかに形成するかだと説く。

Ⅴ.基軸通貨体制とその揺らぎ
 1971年のニクソン・ショックによってドルと金との兌換が停止された。その後のドルの基軸通貨としての価値を実質担保してきたものは石油である。ドルが基軸通貨だからこそ、アメリカがいくら財政赤字で経常収支も赤字でも、中国や日本をはじめ各国はドルを買い支えてくれる。結果、ドルはアメリカに還流し、それでモノも買えれば逆に世界各国に投資もできる。しかし、1999年1月より統一通貨ユーロが発足して以降、ドルの基軸通貨としての地位は揺らいできている。石油のドル取引という基軸通貨の根幹を揺さぶろうとしたのが、イラク・フセイン政権の石油のユーロによる取引きであった。アメリカによるイラク戦争の真の目的はユーロによる石油代金の決済を阻止することにあった(『金融危機の資本論』本山美彦×萱野稔人:2008)。
 基軸通貨ドルの威信の低下を決定的に示したのは、11月12日にソウルで開催されたG20である。アメリカは会議を前に「経常収支数値化 (経常黒字・赤字を一定範囲に収める)」というピ ンボールを投げて新興国を動揺させ、イギリスやカナダ、豪州などアングロ・サクソン・グループによる中国包囲網を画策したが、逆に中国・フランスなどによる逆包囲網により孤立し「経常目標」はお蔵入りとなってしまった。結果として、ドルを世界中に散布するFRBの超金融緩和策は手足を縛られてしまった(福井:2010.11.13、「通貨戦争の行き着く先・ドルにそっぽ向くフランスと中国」倉都康行『エコノミスト』2010.12.14)。

Ⅵ.石油・資源の市場による支配
 1970年代以降、資源ナショナリズムにより、産油国の油田の多くは国有化され、石油価格の決定権は一旦OPECに移った。その価格決定権を奪ったのが1983年に創設されたWTI先物市場である。WTIはアメリカ南部のテキサス州を中心に産出される原油でアメリカ国内で産出される原油の6%・世界で産出される原油の1~2%ほどでしかないが、その価格は世界の原油価格の中で最も有力な指標となっている。実際のWTIの1日あたり産出量は100万バレルに満たないにもかかわらず、先物の1日あたり取引量は100倍の1億バレルを超えるという「現物」抜きの詐欺的市場であり、石油を金融商品化することによって、カネの力で市場を操作し価格決定権を取り戻したのである。
だが、ロシアと中国は2010年9月に東シベリア・タイシェットから国境・スコボロジノを経由して中国黒竜江省の石油化学工業の中心大慶を結ぶ「太平洋石油パイプライン」第1期工事を完成した。ロシアでは引き続きスコボロジノから極東ナホトカまでの第2期建設を始めている。2014年に完成を予定であり、東シベリア産原油のアジア向け輸出を拡大する。ユーラシア大陸の原油がパイプラインで結ばれることは、アメリカによる市場支配(海洋支配)からの離脱を意味する。原油取引は相対取引であり、ドルの支配から逃れ、ルーブル=元などによる取引が可能となる。また、ロシア・ガスプロムと中国とのガスパイプライン交渉も妥結し、2015年には西シベリアからの天然ガスが中国に供給されることになる。

Ⅶ.ユーラシア大陸
アメリカは大西洋と太平洋の2つの海洋からユーラシア大陸を取り囲んでいる。大西洋の先には金融資本の母国イギリスが、太平洋の西側には属国・日本があり、中間にイスラエルを置いて西と東の両側から大陸に睨みを利かせる。しかし、このスペイン-オランダ-イギリス-アメリカと続いてきた海洋覇権の支配構造は今大きく揺らいでいる。1つは中国を始めとする新興国・40億人の経済発展によって、経済の軸足がアメリカから新興国・特にユーラシア大陸に傾いているからである。2つには金融危機により再び金融が実物経済よりも儲かるという時代は終わり資金がアメリカに環流しなくなったからである。3つには海洋を通過せずにパイプライン・鉄道・道路によりユーラシア大陸内陸部をつなぐ手段が開発されてきたことである。4つには基軸通貨ドルに代わりうるユーロという通貨ができたことである。今後ともしばらくはアメリカの軍事力の優位性は動かないであろう。しかし、それは海洋を通過しない取引・国際金融資本の支配下から離れた取引が活発化するにつれますます空洞化するであろう。6月29日に中国―台湾間で経済協定が結ばれたことにより、既に、東シナ海ではジョージ・ワシントンやカールビンソンの増派ではとても埋めきれない海洋覇権の綻びができつつある。新防衛大綱は南西諸島の防衛力を強化するため「動的防衛力」を掲げるが、与那国島の西に人為的な崖を作るのか、日本をユーラシア大陸の大陸棚の一部として位置づけるのか先は見えている。クリントン政権時代の国防長官ウィリアム・J・ペリーは「日本のような同盟国に対して、私は正直に米軍が二正面作戦の遂行能力を持っていないことを伝えるべきだ」と思っていると正直に書いているが(日経:「私の履歴書」2010.12.17)、事を全く理解できないのは、前原外相や長島昭久らだけである。 

 【出典】 アサート No.397 2010年12月24日

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【投稿】軍拡進める新防衛大綱 

【投稿】軍拡進める新防衛大綱 

<「仮想敵国」を明確化>
 今年3月、北朝鮮が韓国海軍艦艇を撃沈、9月には尖閣諸島近海で海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件が発生、さらに、11月23日の北朝鮮による韓国延坪島砲撃、これらに対する日米韓の大規模軍事演習の展開など、東アジアの緊張を高める憂慮すべき事態が連続した。
 こうしたなか日本政府は12月17日新たな「防衛計画の大綱」(新防衛大綱)と「中期防衛力整備計画」(中期防)を決定した。新防衛大綱では、「基盤的防衛力構想」から「動的防衛力」への変更を掲げ、中国の軍拡と影響力拡大を「地域・国際社会の懸念事項」と明記。部隊編成も南西方面重点に切り換え、海上、航空自衛隊の増強を図るという、中国を事実上仮想敵国と明確にした軍事ドクトリンを打ち出した。
 今回明らかにされた大綱、計画は、中国、北朝鮮の動向を受けてのものと思われがちだが、「基盤的防衛力構想」の転換、「武器輸出3原則」の見直しなどの内容は、政権交代以前から防衛省によって周到に準備されていたものであり、今回の決定は追認にすぎない。
 麻生内閣時代から検討が始まった新大綱は、09年12月策定予定だったのを、鳩山政権成立を受け1年先送りすることとなった。その間に一連の事態が発生したわけであり、それらのことが新大綱の危険な内容に免罪符を与える事となった。

<基盤的防衛力構想とは何か>
 新大綱の最大の要点である「基盤的防衛力構想から動的防衛力への変更」については、「基盤的防衛力」を「自衛隊の部隊を全国均等に配置する考え」などという、部隊運用の問題であるかのような解釈が流布されているが、これはとんでもないすり替えである。
 「基盤的防衛力構想」というのは、1976年に初めて制定された防衛大綱で導入されたものである。これは、極東ソ連軍の兵力に係わらず、限定的な侵攻に対処しうる最低限度の常備兵力を保持し、これを超える有事の際は「戦力の急速な拡大」などをもって対処するという基本方針である。
 これは、ソ連軍に対抗し、日本も随時兵力を増強すべきという、陸上自衛隊(制服組)を中心に主張されてきた予算、権益拡大のための「所要防衛力構想」では、軍拡に際限がなくなるのを封じ込めるため、内局(背広組)が創りあげた構想であった。
 1954年の創設以来、4次にわたる防衛力整備計画を経て、自衛隊とりわけ陸自の兵力は当時21万5千人にまで増大、さらに陸上幕僚監部は24万人体制を要求していたというが、防衛大綱制定により頭打ちとなった。
 言ってしまえば「基盤的防衛力構想」というのは、有事に「急速な戦力の拡大」など間に合うはずもなく、本気でソ連の侵攻など考えていないことの裏返しであったのだが、「憲法9条」「専守防衛」という枠組みを逸脱しないための歯止めでもあった。これに基づき各自衛隊の隊員、正面装備の定数に「たが」がはめられていたわけである。 
 ただ厳密にいえば隊員数と装備の数は同一に論じることはできない。戦車、戦闘機、護衛艦は同じ定数であっても、個々の性能が向上すれば大幅な戦力増強が可能となる。もっとも、性能向上には調達費増が不可分で、それには「防衛費GNP1%枠内」という蓋があった。

<軍縮から軍拡へ>
 制服組としてはなんとか「基盤的防衛力構想」をとっぱらいたいと望んでおり、79年のソ連のアフガン侵攻以降の情勢を踏まえ、86年に策定された中期防衛力整備計画をばねに一層の軍拡を目論み、87年には中曽根内閣で防衛費GNP1%枠が撤廃された。しかし直後のソ連崩壊で第1の仮想敵国が「消滅」するなど、80年代後半は自衛隊の希望とは逆方向に情勢は進んだ。
 90年代に入ると、北朝鮮の核や弾道ミサイル開発で朝鮮半島の緊張が高まり、軍拡のチャンスが訪れたかに見えたが、北朝鮮では役不足であり、さらにバブル崩壊後の経済状況下では、それどころではなく、1996年の防衛大綱では陸自の定数は16万人とされた。
 ところが2000年代に入ると、中国の著しい経済発展と軍事力増強という、あらたな展開が惹起してきた。さらに同時多発テロに続くアフガン、イラク戦争でアメリカの世界戦略見直しに拍車がかかり、東アジアで日本が軍拡を進めるまたとない機会が巡ってきたのである。
 そして2004年、第2次小泉内閣で約10年ぶりに防衛大綱が改定された。そこでは、国際テロなどに対応し、抑止重視から対処重視への転換=「多機能弾力的防衛力構想」、国際貢献活動の基本任務格上げなどが明示された。しかし基盤的防衛力の有効な部分は維持することとなり、また小泉総理は靖国参拝で中国との緊張状態をつくりだし、イラク派兵を強行したが、軍拡自体には熱心でなかったため、自衛隊にとって「半歩前進」という結果となった。
 その後06年の郵政解散のどさくさの中で閣議決定された防衛白書では、中国の台湾侵攻と尖閣諸島攻撃に言及、これへの対処を促進させる内容が盛り込まれた。小泉政権後、福田はともかく、安倍、麻生というタカ派内閣下、自衛隊は改訂から5年足らずで、大綱の見直しを進めていく。そして最初に述べたように09年8月に新大綱の叩き台となる「安全保障と防衛力に関する懇談会報告書」が作成されたのであるが、直後の政権交代で改訂は1年先延ばしとなった。当然、内容的にも軍拡に歯止めがかけられる方向での再検討が進むと思われたが、普天間基地問題を巡る鳩山内閣の迷走で、自衛隊、防衛省の思惑どおりに進むことになる。

<軍事費は素通りで「空母」建造>
 新政権下、事業仕分けなど様々なチェックを経て09年12月新年度予算案が閣議決定された。しかし防衛予算については防衛省の要求が社民党からもさしたる反対もなく、ほぼ要求通り通る見通しとなり、10年3月正式に予算化された。なかでも全長248m満載排水量24000tの「平成22年度計画ヘリ搭載護衛艦(22DDH)」(軽空母)建造が認められたことは、新大綱の装備的先取りともいえるものである。
 海上自衛隊のヘリ搭載護衛艦(DDH)は4隻体制で、現在順次新型艦に更新中であるが、それらは格段に大型化するため、満載総トン数は08年度までの27400tから約86000tに、搭載可能な哨戒ヘリは12機から48機へと飛躍的に戦力は拡大する。また、これら新DDHは小規模な改良でアメリカの「F35」戦闘攻撃機(航空自衛隊次期主力戦闘機候補)の垂直離着陸型を運用することが可能である。
 DDHを核とする海上自衛隊の対潜部隊は、ソ連の潜水艦に対抗するため整備された戦力であるが、ソ連崩壊で無用の長物と化しつつあった。しかし、近年の中国海軍潜水艦の増勢を理由に甦ったのである。これらは事実上の「所要防衛力」の構築である。
 これらは、現在62隻ある中国海軍の潜水艦を「第1列島線」の内側に封じ込める任務に充てられる。さらに新防衛大綱では、潜水艦定数は6増の22、護衛艦は1増の48隻とされ、そして艦艇だけでなく現有のP3Cに代わる国産のP1対潜哨戒機も配備予定である。近い将来海自の総兵力は、中国が空母を1隻程度戦力化しても「所要防衛力」をも超えていくのではないかと考えられる。
 鳩山総理は、普天間代替基地に関して「海兵隊ヘリの訓練は、これらのヘリ護衛艦で行えばいいのでは」とか「海兵隊は抑止力だと判ったなどと」の仰天発言を連発し、「東アジア共同体」すなわち東アジアにおける軍縮と緊張緩和政策を放棄したことを満天下にさらした。

<振り回される民主党>
 こうした民主党の基本姿勢は、菅政権でも継承され今回の決定に至った。自衛隊念願の「基盤的防衛力」の廃棄は達成された。しかし本来対置されるべき「所要防衛力」という概念は既成事実化しているため示されず「動的防衛力」という構想が示された。
 本来、それらは対立する概念ではなく「基盤的防衛力の動的運用」と言えば済むものである。実はこれまでも陸自は全国の部隊を北海道に急速移動させる「北方機動特別演習」を毎年のように行い、05年からは逆に北海道の部隊を本州に移動する「協同転地演習」という「基盤的防衛力の動的運用」を実施しており、ことさら新機軸のように言うことでもない。
 新大綱の「動的防衛力構想」とは、前大綱の「多機能弾力的防衛力構想」を一歩推し進め、先制攻撃をも含むだろう能動的戦力運用を基本方針とすることであり、「専守防衛」の形骸化ともいえる。
 今回、中国の脅威を理由についに「基盤的防衛力構想」は廃止され、「武器輸出3原則」も風前の灯である。陸自は隊員定数と正面装備の削減を飲まされたが「肉を切らせて骨を断った」も同然だ。次の自衛隊、防衛省の目標としては「集団的自衛権」の行使だろう。
 これについては、先の北朝鮮による延坪島砲撃の際、菅総理が「周辺事態法の適用云々」と述べたように、朝鮮半島でアメリカ軍が戦闘行動に入るような状況が惹起した場合、いつ発動されてもおかしくない。
このように自民党政権でできなかった軍事政策が次々と実現していっている。民主党政権は「政治主導」を言いながら、混沌とする情勢とナショナリズムに振り回されつつ自衛隊、防衛省に軽視され、いいようにあしらわれている。 
 鳩山前総理を公然と批判した陸自幹部自衛官や、尖閣ビデオを流失させた海上保安官が出てくるのはこういう背景があるからである。武官の政治問題といえば、古くは「超法規行動」の栗栖統幕議長から田母神空幕長までは将官の問題発言だった。しかし現在は様々な規制が解かれ、規範が緩むという空気の中「現場指揮官の問題行動」が懸念される事態となっている。
 政権交代の成果は着実に、しかし真逆の方向で現れている。野放図な軍拡に歯止めをかけるため、海自においては総トン数規制を導入するなど、早急にソフト面、ハード面にわたる暴力装置の適正な管理システムを構築しなければならない。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.397 2010年12月24日

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【投稿】アマゾン・ボイコットを! 

【投稿】アマゾン・ボイコットを! 

 以下に紹介する公開書簡の筆者であるエルズバーグ博士は、周知のように、1971年、ベトナム戦争当時、いかにこの戦争が勝算のない、泥沼に引きずり込む、人々を欺く戦争であるかを、戦争遂行者である幹部自身の発言や行動によって具体的に暴露し、後にペンタゴン・ペーパーズとして知られるようになった米軍の最高機密報告書を内部告発し、ベトナム反戦運動をさらに拡大させ、戦争終結に大きな役割を果たしたことで知られる。当時のニクソン政権は、ペンタゴンペーパーズのニューヨークタイムズ等、新聞への掲載を国家機密文書の漏洩であり、国家安全保障に脅威を与えるとして、氏を「アメリカで最も危険な男」と呼んで指名手配し、氏は窃盗、情報漏洩の罪で起訴され、反逆罪でも起訴されかけたが、「政府の不正」の前に裁判は却下された。
 今回の国際内部告発サイト・ウィキリークスの米外交機密文書漏洩事件に際しても、オバマ政権は、「公電暴露は国際社会への攻撃」「米国の財産を盗んだ」「これは犯罪だ」「国家安全保障に脅威を与える」として、政権自身の犯罪的行為を棚に上げてウィキリークス攻撃に必死であり、圧力をかけ続けている。以下の公開書簡は、エルズバーグ氏自身のホームページに発表され、ウィキリークスのサイトに掲載されたもので、以下に仮訳として紹介するものです。(生駒 敬)
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ダニエル・エルズバーグ 2010/12/02
アマゾン・カスタマーサービスへの公開書簡

2010年12月2日

 私は、本日アマゾンが、ジョー・リーバーマン上院議員や右派議員の脅しに直面して、ウィキリークスのウェブサイトのサーバー利用を抜き打ち的に終了させるという、その卑劣さと奴隷根性に愛想をつかされてしまった。私はこれ以上、司法当局や行政当局が熱望している、あの中国の恣意的な情報の統制と内部告発の遮断を奨励するような、そんな企業とは一切付き合いたくはない。
 ここ数年私は、アマゾンから新刊および中古書籍を月100ドル以上も消費してきた。しかしもうこれでおしまいである。私はアマゾンに、私の優待会員登録とアマゾン・クレディットカードならびにアカウントを終了し、同社のファイルから私との取引およびクレディット情報を削除し、今後一切の通知を送らないことを要求するものである。
 私は、他の多くのアマゾンの利用者が私と同様に感じ、私と同様の対応を行っていることを承知している。より広範で、よりすばやいボイコットが望まれるし、ベターである。お互いに連携し合い、ボイコットを広げ、アマゾンに自らの事業を掘り崩していることをしっかりと知らせることが望まれる。私は本日、友人たちに代案を提起することを要請し、パウェルブックスやハーフプライスブックス、ビブリオ等々への乗換えを追求するつもりである。
 アマゾンからの乗換えがさらに進行するならば、アマゾンが行った行為を公開で釈明せざるをえない事態に追い込むであろう。そうすれば、アマゾン内部で、事態を把握し、持ち込まれた政治的圧力と、それに対する同社幹部たちの権力者に額づく軽率な追従の詳細を証拠立て、その情報をリークするよい機会となるであろう。彼らはそれをウィキリークス(現在はそのサーバーはアメリカ外にある)に送ることもできるし、名の知れたジャーナリストやブロガー、あるいはまた、アマゾンとの間の書籍購入を打ち切ったアンチウォー・コムのようなサイトに送ることができるであろう。

貴社(もはやそうではないが)へ
ダニエル・エルズバーグ

【追記】12/16、この書簡の筆者・エルスバーグ氏(79)が逮捕された。ワシントンのホワイトハウス前で、アフガニスタン戦争に反対する抗議活動が行われ、雪が降る中、数百人の人々が「戦争をやめろ」と気勢を上げ、デモは平和的に行われたが、終了後、警察から解散を指示された後も立ち退かなかったという理由で131人も逮捕され、その中にエルスバーグ氏も含まれていたのである。同氏はデモ前に会見を開き、ウィキリークスの活動とペンタゴン・ペーパーズ事件には共通点があり、その内部告発情報の公開は「大きな称賛に値する行動だと考える」として、「ウィキリークス」支援の呼びかけも行っていた。 

 【出典】 アサート No.397 2010年12月24日

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『[新装版]ナチュラル・ステップ』(スウェーデンにおける人と企業の環境教育) 

【編集部への通信】 カール=ヘンリク・ロベール著
  『[新装版]ナチュラル・ステップ』(スウェーデンにおける人と企業の環境教育) 

 景観市民運動に力を注いでおられる読者のOさんより、「アサートで勉強させていただいています」と述べられながら、「地球環境問題に取り組みはじめました」として、上記の本を「一人でも多くの方に読んでいただく」普及活動の案内をいただいた。本書は18年前に書かれたもので、日本では1996年に新評論から日本語版が出版され、その後品切れとなっていたものである。スウェーデンの環境保護団体「ナチュラル・ステップ」の主宰者である著者が、医師として、癌の研究者として、細胞の立場から見た環境問題を出発点にして、「われわれがいま直面している地球環境問題に一人一人が個人として、一企業一企業が組織として、どう向き合っていけばいいのか、その指針を分かりやすく示しています。18年前に書かれたとは思えないほど新鮮かつ普遍的」なことから、このほど[新装版]として同じ出版社から再刊された、ということです(2010/10/15発行、2500円+税)。目次は以下のとおりです。
第1章 展望
第2章 医師と社会、そして自然
第3章 ナチュラル・ステップとは何か?
第4章 細胞を出発点に、ゴールの「環境モデル国スウェーデン」へ
第5章 単純化を排したシンプル主義
第6章 エコロジー的企業経営システム思考
第7章 現代の知的混迷―合理性をまとった迷信と成長の概念
第8章 科学者と政治家と
 以上、Oさんからの本書の紹介といたします。(I) 

 【出典】 アサート No.397 2010年12月24日

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【投稿】菅内閣・民主党政権凋落の真の原因

【投稿】菅内閣・民主党政権凋落の真の原因

<<沖縄版ニューディール政策>>
 11月11日に告示され、28日投票の沖縄県知事選挙の激しい闘いの火蓋が切って落とされた。沖縄県那覇市の県庁前公園で行われた出発式で、無所属新人で前宜野湾市長の伊波洋一さん(社民・共産・社大推薦)は、1000人に達する支持者、支援する人々を前に、基地の県内移設には断固として反対すること、そして「私はぶれることなく、辺野古への新基地建設に反対し、海の埋め立てを認めることはありません。新しい基地をこの沖縄に作らせる日米両政府の圧力を、県民の力で撥ね退けていこうではありませんか。私は沖縄が自らの意思で基地を取り除き、平和で豊かな沖縄を皆さんと共に作っていきたいと思います。」と力強く決意表明を行った。そして「相手候補の後ろには、日米両国政府が控えています。決して簡単な選挙ではありません。日米両政府相手の選挙であるということは、沖縄県民と日米両国との闘いであるのです。県民をあげてこの選挙に勝利し、私たち県民の意志を、日米両国ならびに世界に示していこうではありませんか。」と真摯に訴えた。
 この「決して簡単な選挙では」ない、「日米両政府相手の選挙」に際し、伊波氏は「平和で豊かな沖縄」を作るために、「今回、新たに沖縄版ニューディール政策を打ち出しました。これは総合的な政策です。県民の福祉や県民の暮らしを良くしながら公共工事を行っていく、産業を興していく、そのような政策です。沖縄本島だけではなく、また北部だけではなく、先島までさまざまに産業振興を行ってまいりたいと思います。」として「沖縄版ニューディール政策」を明らかにしている。それは、新たな雇用の創設と失業率の低下を実現するために、沖縄の観光を、農業や漁業や文化や、さまざまな分野とコラボレートする政策、第1次産業、農林水産業を全県下で推進し、それを製造・加工する製造業をしっかりと育てていくこと、県民のための医療、宮古・八重山・先島の病院を守り、県民の命を守り、暮らしを守り、そのようにして雇用を作り、7%台の失業率を5%台に低下させる、ものとして提起されている。

<<「沖縄の海兵隊不要」>>
 日米両政府に決定的、本質的に欠けているのは、このようなニューディール政策である。軍事優先主義と自由競争原理主義からの転換としてのニューディール政策である。
 オバマ民主党は、この11月の中間選挙においてなぜ大敗したのか? まずなによりもイラク・アフガンの泥沼の戦争からの脱出どころか、ブッシュ時代にも劣らぬ展望のない戦争政策にのめり込み、戦争・軍事産業を喜ばせども、湯水のごとく垂れ流され費消される軍事費はとどまるところを知らず、オバマの「チェンジ」は単なる空約束であり、事態はより悪化していることを見抜かれたのである。
 11/10に発表された大統領の諮問機関「財政責任・改革国家委員会」は、国防関連費を2015財政年度までに1000億ドル削減すること、在外米軍の3分の1削減などを含む草案を発表しているが、これに対して、ゲーツ国防長官は「国防戦略を考慮していない」と批判、国防費は毎年3%の伸びが必要だと反論するような政権である。
 11/18に発表された米国の安全保障分野の有識者46人の同委員会委員長あての書簡は、この1千億ドル削減草案の内容でさえ「不十分」だと批判し、「これまでオバマ政権は、国防総省を予算削減の例外としてきた。これは近視眼的だ。このことは、米国の軍事力の基盤でもある経済の力強さの回復を難しくする」と主張、「安全保障を犠牲にすることなく、国防予算を大幅に削減することは可能だ」として、具体的には、目的が不明確な任務の廃止、米軍の規模自体の縮小、海外展開部隊の縮小、イラク戦争やアフガニスタン戦争のような方式の戦争を避けることによる陸軍、海兵隊の規模の縮小、兵器調達過程の見直しなどを挙げている。
 11/19、民主党の重鎮バーニー・フランク議員は、「海兵隊の役割は変化した。沖縄や欧州にある不要な米軍基地をまず撤去するべきだ」と、沖縄の海兵隊不要論を改めて唱えている。
 沖縄の海兵隊不要論を日米交渉の重要な議題とすることが今こそ必要であることを、これらの事態は明らかにしているといえよう。

<<沖縄自衛隊10倍増計画>>
 さらにオバマ政権は、規制緩和・弱肉強食の新自由主義に一貫して妥協的姿勢をとり続け、「チェンジ」で掲げたニューディール的政策がことごとく頓挫し、葬り去られ、期待を失望へとチェンジさせてしまった、そのことが、ブッシュの戦争政策継続と不可分のオバマ大敗の理由である。オバマ民主党の「大不況克服・弱者救済」政策は、共和党の「新自由主義・小さな政府」、「勝ち組・金持ち優遇」、財政再建優先政策の前に妥協に妥協を重ね、失業率は高止まりしている一方で、膨大で手厚い救済策によって保護され救済された大手金融資本が、何の責任も取らされることなく、規制政策さえどんどん骨抜きにされ、今再び投機的マネーゲームで我が物顔に振る舞い、オバマ政権を逆に指導・監督している現実が、ここでも見抜かれたのだといえよう。
 同じ事態が日本においても進行している。
 沖縄の知事選を見据えたかのような民主党政権の対中国強硬路線は、前原外相・枝野民主党幹事長代理の危険で挑発的な路線によって繰り返し緊張が煽られ、沖縄の米軍基地や海兵隊の存在、米軍の抑止力を合理化し、辺野古新基地建設を沖縄県民に押し付ける絶好の緊張材料として利用されている。時系列で見れば、むしろ仕組まれたかのような緊張激化路線である。外相が先頭に立って相手国を「ヒステリック」などと暴言を吐き、幹事長代理が「悪しき隣人」などとわざわざ他国を傷つけ、「中国との戦略的互恵関係なんてありえない」などと自らの政権の基本政策をさえ否定し、中国との絶好・断行宣言に等しい挑発てき発言を敢えて行い、問題点を指摘されても開き直り、謝罪も取り消しもしない、このような幼稚極まりない閣僚や幹部が平然とのさばっているのである。首相は彼らに発言の撤回や注意さえできない。
 彼らは沖縄本島ばかりか、与那国島への陸上自衛隊200人の配備や、下地島空港の自衛隊基地化、宮古島への陸自配備、さらには石垣島へと沖縄の先島諸島への自衛隊配備を目論み、2020年までに沖縄の自衛隊を現在の10倍の2万人規模に拡大する計画など、とんでもない軍事力強化・対決路線を沖縄で具体化し、着手に乗り出そうとしている。北沢防衛相は11/11の衆院安全保障委員会で、与那国島を含む先島地域への陸上自衛隊配備に関して「下地島空港は、国を守る防衛省、自衛隊としては大変魅力がある。実際に活用できるか検討していきたい」と呼応している。

<<”仙菅ヤマト”が沈没する日>>
 しかしこのような前原・枝野主導の緊張激化・対決路線は破綻せざるを得ないものであり、すでに菅政権そのものの外交失策、外交不在、迷走外交として身動きさえできない状態に追い込まれている。まともに話のできない日中首脳会談、これまでの合意もすっ飛んでしまった日露首脳会談、ただただアメリカを後ろ盾にし、ごまをするAPECでの対米従属外交、こうした外交姿勢は、ことごとく政権交代の意義を自ら否定するものでしかない。政権交代の基軸を持たない菅首相は事態の進展にうろたえ、事態の悪化を防止し、取り繕う外交しかできない茫然自失の状態である。
 当然のこととして、今や内閣の支持率は急落し始め、ついに民主、自民両党の支持率の逆転現象さえ生じ始めている。菅内閣の支持率は、どの調査も危険水域の30%を割り、27%前後に落ち込み、時事通信調査では政党支持率でも民主16.2%に対し自民16.5%と逆転されてしまっている。各地の地方選挙でも民主党の連敗が続いている。
 政権交代が実現してまだわずか一年数ヶ月である。期待するほうが無理だといえばそれまでであるが、問題は、政権交代が目指したものとはあまりにもかけ離れてしまった現在の菅政権の現状にあるといえよう。
 『サンデー毎日』(11/14号)は「いったい、何のための政権交代だったのかー。未曾有の円高が進むなか、景気対策に何の手も打たない菅・仙谷政権。「国民の生活が第一」の大義は消え失せ、政権維持に汲々としているのが実態だ。末期症状の”仙菅ヤマト政権”が沈没する日は近い。」として「”仙菅ヤマト”が沈没する日」を予想し始めている。そして『週刊朝日』(11/12号)は、「仙谷・菅コンビが弄ぶニッポン最大不幸社会がやってくる」と題して特集を組み、「いま、菅政権が進める高齢者医療制度”改革”の中身を知ったら驚くだろう。・・・悪名高い『後期高齢者医療制度』のほうがマシだった!」と、菅首相の「最小不幸社会」ならぬ「最大不幸社会」政策を取り上げている。
 軸足を失った菅政権が、政権交代の意義とはまったく相反する新自由主義・小さな政府論・財政再建優先主義に陥ってしまっていいる実態こそが、菅政権凋落の真の原因であるといえよう。とすれば、民主党はこのような政権を早急に脱出し、根本的な政策転換を図るべく新たな体制を再構築すべきであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.396 2010年11月27日

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【投稿】高速増殖炉「もんじゅ」の棺桶化が進むのか

【投稿】高速増殖炉「もんじゅ」の棺桶化が進むのか
福井 杉本達也

1.『炉内中継装置』の落下事故
高速増殖炉「もんじゅ」で8月26日に、原子炉容器内に据え付けていた『炉内中継装置』(長さ12m、直径55cm、重さ3.3t)の撤去作業中、装置を原子炉容器のナトリウム内に落としてしまった。原子力開発研究機構では、当初は簡単に吊りあげられるものと高をくくっていたが、炉内中継装置の上部管と下部管の継ぎ目部分が、落下による衝撃でつぶれ外側に5mm膨らんでいることが分かった。装置と装置を通すために『遮蔽プラグ』と呼ばれている原子炉の蓋に空けられている『スリーブ』と呼ばれる穴との隙間は2.5mmしかなく、この歪んだ部分が引っかかって抜けなくなっていることが分かった。原子力機構では、しかたがなく、このスリーブといわれる蓋の部品といっしょに中継装置を引き抜くことを決めた。

2.炉内中継装置とは
炉内中継装置とはもんじゅ特有のものである。もんじゅでは原子炉を冷やし同時に発電用に熱を取り出す『冷却材』として液体ナトリウムを使用している(普通の原子炉=『軽水炉』では冷却材には水を使用する)。ところが、ナトリウムは取り扱いが厄介である。 常温で水・酸素と反応し、発火する。量が多いと爆発する。空気中の水分でも、コンクリートに含まれる水分でも反応する。普通の原子炉では、燃料の交換は原子炉の蓋を空けて燃料を格納容器の上部に設置してあるクレーンで吊りあげて交換する。ところが、もんじゅではナトリウムが空気と反応して爆発するので原子炉を開放しての燃料交換はできない。通常、もんじゅではナトリウムが空気と反応しないようにナトリウムの液面と蓋の隙間には不活性ガスであるアルゴンガスを封入している。そこで、蓋に『スリーブ』という小さめの穴を空け、そこに『炉内中継装置』という部品を差し込み、蓋の上部=炉外と炉内へのMOX燃料の出し入れをする。コーヒーカップを原子炉容器に見立てると、プラスチックの蓋があり、そこに小さな穴を空けてストローを入れる。炉内中継装置はこのストローに当たる。中のコーヒーはナトリウムである。だが、炉内中継装置はこのナトリウムを吸い上げるのではなく、ナトリウムに浸かっている燃料棒を引き上げる。しかし、炉外に出ると直接空気と接触する恐れがあるので、原子炉容器の階上にあり作業空間でもある格納容器内にこの装置をすっぽり包む『原子炉機器輸送ケーシング』(長さ約16m・直径約1m)という円搭型の部屋を用意する。燃料は液体ナトリウムにどっぷり浸かっているので、その表面にはナトリウムが付着しており、ケーシング内にもアルゴンガスを封入しておく。通常ならば引き上げた燃料は台車のついた『燃料出入装置』(アルゴンガスを封入した)に移し替えて格納容器外へ運び出す。ところが、今回、この肝心の中継装置が抜けなくなってしまったので、栓をされた容器と同じように燃料を出すことも入れることもできないにっちもさっちもいかない状態になったのである。

3.炉内中継装置を引き抜くことは可能か?
炉内中継装置(3.3t)とスリーブ(3.6t)を一体で引き抜くには、これまでのケーシングでは小さすぎる。以下は全くの想定であるが、スリーブの直径は約2mであるから、それ以上の直径のものが必要となる。高さは16m~20m、引き上げた部品をいったん横に置き、ナトリウムが漏れないように再び穴に栓をするなどの内部での作業性も考慮すれば、直径は最低でも5~6mと原子炉容器に匹敵する巨大なものが必要である。しかも、2つの部品で6.9tもの荷重を吊り上げなければならない。現在のグリッパーと呼ばれるクレーンでは最大4.5tまでしか吊り上げることはできない。10t以上のクレーンを内部に設置する必要があり、構造体はそれだけ剛性が要求される。しかも、内部にはアルゴンガスを封入しておく必要があり、空気や水分が入らないよう気密性が要求される。さらにそこで、蓋のボルト外し、締め(溶断?)などの人的作業が必要となると、人はどのような格好でケーシング内で作業するのか。宇宙服のようなものでよいのか。狭い密閉された空間での最大限に危険な状況が想定される。しかも取り外した中継装置の下の部分はナトリウムが付着している。長さ12m・最大直径2mもの構造物をケーシングから空気に触れずにどのように外に運び出すかも考えねばならない。そのようなことが可能なのか。可能だとしてもいくら金が掛かるのか。数百億円になる恐れがある。

4.もんじゅは永久に”封印”されるのか
一度機器の設計をしてみて、その金額の膨大さに躊躇してしまうのか、機器を製作しても再度引き抜きに失敗してしまうのか、はたまた、その恐れの間を逡巡するのか。原子力機構の倉本敦賀本部長は「同装置を引き抜いた後、原子炉内に損傷などがないか調査する必要はないとの認識を示したうえで、『40%出力試験の11年度中の開始は可能』と強調した」(福井:2010.11.18)が、出力試験など夢のまた夢=『妄想』である。ひょっとすると、もんじゅをこのままの状態で放置してしまおうという暴論も出てきかねない。しかし、炉内にはMOX燃料が入っており、ナトリウムは固化させるわけにはいかない。液体のままナトリウムを維持するには電熱器でナトリウムを常時暖めておく必要があり、もんじゅの維持管理費は1日約5500万円掛かるとみられ(朝日:2010.11.18)、年間で200億円にもなる。ところが、マスコミはこの重大な事故をほとんど報道しない。地元の福井新聞でさえその取り上げる紙面は小さい。14年間の中断がもんじゅへの関心を薄くしているともいえるし、都合の悪い事実にマスコミ全体が目を瞑る動きもある。さらに、報道の姿勢は原子力機構の発表をそのまま垂れ流しするだけで、それに対する質問・疑問・独自取材というものが全く見られない。特に普通の原発とは異なり、液体ナトリウムを扱うもんじゅは技術的解説記事が欠かせない。ところが、解説記事は一切見当たらない。福井新聞でもこの間、唯一「フォーカス福井」で「もんじゅトラブル・装置回収難航は必至」という企画を組んだだけである(福井:2010.10.15)。一方、経済界では福井商工会議所の川田会頭は北陸新幹線の福井県内着工問題と抱き合わせで「高速増殖炉『もんじゅ』の運転再開に当たって県が求める地域振興と『大いに絡めていきたい』」と述べている(福井:11.2)。 事故の重大性を指摘する発想は一切なく、儲かればいいとばかりに駆け引きの道具になってしまっている。なぜ、ここまで知的堕落が進んでしまったのか。もんじゅを”封印”しても原子炉内にはプルトニウムを含んだMOX燃料と放射能を浴びた大量の液体ナトリウムが残る。それを永遠に管理することなどできはしない。このままでは「白木地区」は、「敦賀市」は、そして「福井県」はもんじゅの生き埋めの墓場になる。壮大な無駄かつ危険なもんじゅをこれ以上運転させてもならないが、”封印”させてもならない。

【出典】 アサート No.396 2010年11月27日

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【編集部への通信】井上 清著『尖閣列島 釣魚諸島の史的解明』 

【編集部への通信】井上 清著『尖閣列島 釣魚諸島の史的解明』 

 読者のKさんより、尖閣諸島問題につき、井上清著『尖閣列島 釣魚諸島の史的解明』(著者は京都大学名誉教授、1996年、第三書館発行)の紹介を強く勧められた。
 本書は、最初、現代評論社から1972年に刊行されたもので、その2年前から「尖閣列島」(歴史的には正しくは「釣魚諸島」)の領有権をめぐって日中間の争いが激しくなり、「日本政府とその与党はもとより、社会党も共産党も、マスコミ諸紙もいっせいに尖閣列島は明治28年(1895年)以来、日本が「無主地」を「先占」して領有し実効的支配をしてきた日本領であると主張してきた。「この日本側の主張に、日本帝国主義の再起の危険性を強く感じた」著者は、この問題の「歴史的真実、および国際法理上の真理を明らかにすることが先決である」として研究に取り組み、現代評論社から発行されたものであった。1973年2月には、本書の中国語訳『釣魚列島的歴史和主権問題』(英憲訳、香港・七十年代雑誌社)も出された。
 1972年の初めまではこの問題への関心は高かったが、72年9月、日中両国政府の共同声明で国交が回復し、日中平和友好条約締結の交渉が進む過程で、中国側は、釣魚諸島問題の解決は後世の人の知恵にゆだね、当面はこの問題を棚上げにしようという方針をとるようになり、日本政府も表向きは騒がなくなっていた。ところが、「1996年に入って、日本側は再び釣魚諸島に荒い波風を起こし、右翼の団体が釣魚諸島の一つの小島に灯台を建て、日本政府もそれを禁止しようとしない重大な対中国挑発行為」が高まる状況で、「24年前の本を再び世に問う」ことにしたのが1996年であった。
 そして、2010年、再びこの問題が日中間の重大な係争問題としてクローズアップされているが、著者の主張はきわめて明快で、一貫している。それは、国際法上の「無主地先占」はまったく根拠がない。だから、尖閣諸島は中国領である、というものである。その歴史的解明は、以下の目次のように行われている。

1.なぜ釣魚諸島問題を再論するか
2.日本政府などは故意に歴史を無視している。
3.釣魚諸島は明の時代から中国領として知られる
4.清代の記録も中国領として確認している
5.日本の先覚者も中国領として明記している
6.「無主地先占の法理」を反駁する
7.琉球人と釣魚諸島との関係は浅かった
8.いわゆる「尖閣列島」は島名も区域も一定していない
9.天皇制軍国主義の「琉球処分」と釣魚諸島
10.日清戦争で日本は琉球の独占を確定した
11.天皇政府は釣魚諸島略奪の好機を九年間うかがいつづけた
12.日清戦争で窃かに釣魚諸島を盗み公然と台湾を奪った
13.日本の「尖閣」列島領有は国際法的にも無効である

 以上、Kさんからぜひ読者の皆さんに知っておいてほしいあらましを、編集部によりまとめて、意義ある本書の紹介といたします。(I) 

 【出典】 アサート No.396 2010年11月27日

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【書評】「ポピュリズムへの反撃-現代民主主義復活の条件」

【書評】「ポピュリズムへの反撃-現代民主主義復活の条件」
(山口二郎著、2010.10発行、角川書店、724円+税)

ついに、いや、やっと出版されたか、と感慨ひとしおである。
劇場型だとか、無党派層の反乱だとか、ここ数年を賑わせた政情にモヤモヤしたものを感じていたのは私だけではないだろう。
また、何となく「これはポピュリズムだ」と解釈しながらも、それ自体が一体何なのか、十分に理解しないまま言葉を使っていたことも事実である。
本書は、そういった疑問に対してスッキリと一つの答えを示してくれているばかりではなく、「反撃」の糸口をも示してくれているのである。

<本書の意義>
まず、山口氏は冒頭に「最近の日本の政治を見ていると、『今頃になって気がついた、しかしそれでは遅すぎる』ということが、いくつもあったような気がします。」と述べ、現在大きな社会問題となっている医療難民、介護難民、派遣切りなどを小泉政権時代の医療制度改革や規制緩和の当然の帰結であると指摘しつつ、国民が一時的であれあれ程「熱狂」したことについて、きちんと反省し、分析しなければ、同じことを繰り返すことになるとしている。
そして、そのことをポピュリズム=大衆のエネルギーを動員しながら一定の政治的目標を実現する手法、その動員に決定的に重要な意味をもつ言葉のあり様という切り口でもって考えようとしている。

<ポピュリズムの定義>
ポピュリズムとは何か。山口氏はイギリスの政治学者バーナード・クリックの言葉を借りて「ポピュリズムとは、多数派を決起させること、あるいは、少なくともポピュリズムの指導者が多数派だと強く信じる集団を決起させることを目的とする、ある種の政治とレトリックのスタイルのことである。そのときこの多数派とは、自分たちは今、政治的統合体の外部に追いやられており、教養ある支配層から蔑視され見くびられている、これまでもずっとそのように扱われてきた、と考えているような人びとである。」と定義している。
その際に決定的な役割を果たす「わかりやすい言葉」という欲求を利用した「単純化」と「二項対立」、そしてステレオタイプこそが、ポピュリズムの手法の危険性を表している。
<ポピュリズムへの批判>
「郵政民営化を成し遂げることが改革である」「ロクに仕事もしない郵政公務員を民間の会社員にしてしまえ」…大衆のもつ欲求と怨嗟を基盤にしながら、短いフレーズで「わかりやすく」煽ることにより熱狂的な支持を受けようとするやり方を我々は何度もみてきた。
しかしそこには、「なぜ民営化が必要なのか」「民営化が何をもたらすのか」といった冷静で論理的な思考は一切なく、ただ単に不満の矛先を「設定された」敵に向かわせ、圧倒的な支持さえ受ければ、「論点」としたこと以外の課題でも何をしてもいいとばかりに振舞うポピュリストの姿が浮かび上がるのである。
山口氏は他にも「官から民へ」「国から地方へ」「利益誘導」「ばらまき」「政治主導」「官僚制の打破」など、一世を風靡した「言葉」に対して、そのカラクリを暴露するとともに、ステレオタイプに加担したマスコミと学者を徹底的に指弾している。
また、最も直近の事例として、橋下・大阪府知事や東国原・宮崎県知事、鹿児島県阿久根市長の手法を「地方ポピュリズムの惨状」として批判し、地方政府が「大統領制」であり、強いリーダーが現れやすい反面、ポピュリズムが噴出しやすい土壌にあることを指摘している。

<ポピュリズムにはポピュリズムを>
では、そのようなポピュリズムに対して、我々はどう反撃していけばいいのか。
山口氏は、ポピュリズムをすべて否定し、これを叩き潰せばよいという単純な話はしていない。現代の民主政治には多かれ少なかれポピュリズムの要素が含まれることは不可避であるとした上で、ポピュリズムが本来持っていた強者への対抗、平等化のベクトルをうまく生かしていこう、と訴えている。
雨宮処凛の運動を引き合いに、偽物の「われわれと奴ら」という対立図式ではなく、客観的な利害状況に沿った対立図式で政治的な戦いを仕掛けること、「あなたたちが置かれている状況はこうであって、あなたたちの利害、抱えている不利益はこういうことなのだ」ということをわからせる手法として、また、政治参加を促進させる手法として、ポピュリズムという要素は必要であると説いているのである。
そして、小泉流の「われわれと奴ら」の線引きから、「敵味方」の線を引き直す必要性を指摘し、その点でマルクスを再評価し、一番大きな対立の構図は「やはり働いている人と人を働かせて利潤を取っている人の違い」としていることは非常に興味深い。
さらに、中間団体をいかに再生させるかが重要な手がかりだとして、無党派層と中間団体の間に線を引いた対立構造を壊すために、部落解放同盟や労働組合にもう一度戦う必要性さえ訴えていることは、我々にも多くの示唆を与えている。

<いざ反撃へ>
私の在住する大阪では、山口氏が本書で最も指弾している橋下・大阪府知事のポピュリズム手法が席捲している。
デマゴーグを駆使して木原氏を堺市長の座から引き摺り下ろした記憶も生々しい中で、定義さえ曖昧な「大阪都構想」こそが大阪を救う唯一の道であるという飛躍した論理を振りかざしつつ、大阪市長や大阪市職員をはじめとした公務員を仮想敵に設定し大衆の不満を煽って、来春の統一地方選挙から再来年の大阪市長選、府知事選まで、極めて綿密に戦略が練られている。
選挙にさえ勝てば全て白紙委任、何をしてもいいと言わんばかりの彼の危険な行動を何としても阻止しなければならない。
本書を手に、山口氏のいう「正確な現状認識と論理的な思考」をもって、今一度しっかりと「考える」ことの大切さを改めて肝に銘じ、反撃を急がなければならないのである。

(なお、本書は、講義録を基に書かれており、話し言葉で読みやすい内容となっているが、それ故に構成にやや難がある。また、新書であることの限界も相まって、客観的な資料や根拠の乏しいことが残念である。次なる著作を切望するものである。)
(大阪 江川 明)

【出典】 アサート No.396 2010年11月27日

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【コラム】ひとりごと —迷走する民主党に思う— 

【コラム】ひとりごと —迷走する民主党に思う— 

 ○民主党政権の迷走が続いている。尖閣問題、小沢問題、そして柳田法相の失言問題とマスコミネタに事欠かない。○しかし、どうもそれだけではないようである。マニフェストを墨守するべきか、否かの議論にも繋がるが、民主党のコアな理念がはっきりしないことであろう。○小泉路線=極端な市場原理主義・新自由主義に対して、「生活が第一」を掲げ、ポジションとしては、中道右派的な立場を取ったことや、「消えた年金」問題や自民党の政権たらい回しに飽きた国民の選択により政権交代が実現したのは、つい1年前のことであった。○私自身は、民主党独自の理念が曖昧になってしまったのではないかと思っている。鳩山の「友愛」や「アジア共同体構想」、「温暖化防止政策」までは、理念として、「民主党らしさ」を映してはいた。○財政再建問題の解決にあたって、民主党の「看板」であった「事業仕分け」だが、費用対効果に純化する傾向が強かった。確かに官僚の天下り先を確保するような「無駄な事業」は、徹底的に廃止すれば良い。ただ、行政の守備範囲には、費用対効果だけでは判断できない事業・仕事がある。○福祉や教育の分野に多く見られる。まさにこうした分野に「民主党らしさ」を出さなければいけない。○旧来の自民党的手法に対して、際立った政治運営の手法さえも、明確にできていない。小沢書記長時代には、利益誘導・配分型政治への回帰とも映る手法が復活されもした。○
 そこに、尖閣問題などのように、深刻な国際問題が起こると、経験のなさからか、官僚のサボタージュなのか、迷走としか映らない混迷が生じて、非常に不安定な印象が目立ったのである。○尖閣問題だが、私は自身は明らかな海上保安庁の「暴走」が発端だと見ている。そこに民主党の外交戦略の不徹底が重なり、事件解決を長引かせたのではないか。○映像流出事件で我々も「事件映像」を見ることができたが、故意の衝突とは見えにくい。船上での始末書を確保することで十分ではなかったか、と思う。○中国政府も、反日デモを当初は容認していたが、反政府の要求が色濃くなった時点で、沈静化へと舵を切った。この動きも十分に予測できる範囲だろう。○結局、民主党の基本政策が明確でないこと、、政権としての政策方向の徹底、行政機関・官僚への徹底がされていない事を浮き彫りにしたにすぎない。○TTP(環太平洋戦略的経済連携協定)問題も同様であろう。突然の首相発言のように報道されているが、この議論は自民党政権時代から始まっている。そして、民主党内で「内紛」状態などと報道され、目も当てられない。○関税なき経済関係は望ましいものであり、少なくとも輸出なしに成り立たない日本経済である以上、基本的に前向きに考えることが大切だというのが基本であろう。その上で、デメリットをどう解決するのか、だと私は思うが、党内論議不足が原因であろうが、この問題でも民主党の混迷と映っている。○私の仕事分野である生活保護行政を見ても、民主党政権になったからと言って、ほとんど何も変わっていないし、何か新しい政策提案や制度運用の変化は見られない。○本気で考えているなら、生活保護法の改正議論を主導すべきであろう。リーマンショック以来の失業問題への政策は、ほぼ麻生政権末期の政策が、ほとんどそのまま延長されているにすぎないのである。○政権発足直後の昨年末は、東京の派遣村やハローワークでの「ワンストップサービス」の実施に向けて、相当の労力が費やされたように思うが、今年は、あまり聞こえてこない。若干の労働市場の上向き感があるものの、すでに生活保護受給者が激増した後なのか、「政権の危機感」も薄れているのだろうか。○補正予算審議は、尖閣問題・柳田法相発言問題で時間を取られているが、本当の勝負は、来年度予算であろう。ただ聞こえてくるのは、確かに「増税」議論ばかりだ。○再来年からだろうが、介護保険本人負担の2割化や「環境税」の新設。そして、少し封印された感のある消費税問題。○2回目の予算編成こそ、「民主党らしさ」を鮮明にすべきである。ただ、その「民主党らしさ」が少々怪しくなってきているのである。○民主党には綱領がないらしい(?)。私も確認していない。選挙マニフェストがそれに替わるものだそうだ。ここにも問題がある。ここの政策の羅列では、一貫性は生まれない。私自身は、社会民主主義的な方向であるべきと思うが、実際は、新自由主義に傾斜した議員が多いのも事実である。○山口二郎氏の近著「ポピュリズムへの反撃」に詳しいが、現在の民主党は「新しい政治」を理念・政策・実行手法を貫いていく必要があるのではないか。○菅総理は、「市民派」であったが「革新派」ではない、という話もある。○混迷が続くようなら、政権空中分解の恐れは十分に迫っている。(佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.396 2010年11月27日

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【日々雑感】最近涙したこと、その2

【日々雑感】最近涙したこと、その2

 今から思えば、あー、この夏は何と暑い夏だったことだろう。お天道様に痛め付けられ、日本中の人々が、焼き尽くされんばかりの猛暑を味わいました。多くの人々が熱中症で亡くなりましたね。毎日、夕刊を配達している私でさえ、頭がクラクラーとなり「これはヤバイ」と感じたことが2度3度とありました。
 そんな8月の下旬だったでしょうか。灼熱の炎天下で、細身の中年の女性が、80才位のおじいさんを背中に負ぶってヨロヨロと歩いては休み、を繰り返し、座り込んでいるのを目にしました。そのおじいさんは、足がお悪いらしく、難儀しているようでした。私は見兼ねて、「どうしたのですか?手伝いましょうか?」と声をかけると、そのご婦人は、気の毒そうに「お願いします。」と言われました。私は、おじいさんを私の自転車の後ろの荷台に座らせ、ご婦人に後から支えてもらい、自転車を押しながら、ゆっくりゆっくりと運んでおりました。その時2人の若い建設作業員が声をかけてくれて、「力仕事やったら、俺らにまかせとき」と、おじいさんを2人で背負い、私は、おじいさんのお尻を支えて運びました。細身で痩せてはいるが背の高いおじいさんで、身をまかせきった時には、人間1人がこんなに重いものかと感じさせられました。私が必死の思いで、お尻を支えていると、2人の若者から「おっちゃん、息が上がっとるなー」と笑われました。1kmほどの道のりを、旧家の一軒家の玄関に、おじいさんを運び入れ、お礼の缶ジュースを1本ずついただいて、3人とも名も告げずに、その家を後にしました。
 この件は、これで終わったと思っていたのですが、何と言う偶然でしょう、私が大腸ガンで手術をした病院へ、2ヶ月に1度の術後通院をした10月半ばのこと、診察待ちしていた多くの人の中に、あのおじいさんがおられたのです。親族の方々と共に付き添っておられたあのご婦人が、私の顔を覚えておられ、ツカツカと私のそばに寄ってこられ、お礼を言われたのです。「あの折は本当に有難うございました。お名前や住所も伺わず申し訳ございません。あの2人のお兄さん達の住所も教えていただけませんか?あんなに狭い地域のことだから、いつかはお目にかかれるのではと思い、いつも3枚のお礼の封筒を持ち歩いておりました。どうぞお受け取りください。」と小さな手かばんの中から商品券の入った封筒を、押しつけるように渡されました。私は固く固辞したのですが、再三にわたっての親切に断りきれず、拝み手をして拝受しました。数m離れた所から「どうぞどうぞ」と笑顔で手を指し出している、おじいさんを見た途端、私はボロボロと、溢れる涙を、押さえることができませんでした。
 ”かけた情は水に流し、受けた恩は石に刻め”とは、私の最も好きな格言ですが、そのご婦人のお心使いに感謝しつつ、その場でお別れをしました。「あの2人のお兄さん達は、道の途中にあった、○○という看板が出ている、小さな建設事務所に入って行かれましたよ。」とお教えしておきました。
 小泉政権以来の、この殺伐とした格差社会で、人々が自分のことで精一杯、他人のことまでかまってられぬ、見て見ぬふりをすることは、当り前の砂漠社会で、厄介なことには、関わりたくないと考え勝ちですが、社会的弱者や手助けを求めている人々に、手を差し伸べる、小さな勇気を、自分の心のなかで、育ててゆきたいものです。恥ずかしいから等の気おくれを振り払い、困っている人には、できる人が、できる形で、できる限り係わってあげたいものですね。最低限でも一声、声かけをすることの大切さを学ばせてもらいました。(早瀬達吉) 

 【出典】 アサート No.396 2010年11月27日

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【投稿】菅政権と危険で挑発的な前原・枝野路線

【投稿】菅政権と危険で挑発的な前原・枝野路線

<<「粛々と対応する」>>
日本と中国をめぐる対立の激化は危険な様相を呈し始めている。中国各都市における反日デモの拡大は、いったん修復に向かいかけていた流れを押しとどめ、政府間レベルの小手先の妥協や手打ちを許さない雰囲気を醸成し、容易に解決し得ない、根の深い問題へと進展し始めている。
そもそもこの問題、日中対立の激化の発端となった中国漁船と海上保安庁巡視艇との衝突事件に際し、日本側は、尖閣諸島=日本の「固有の領土」論を、この時期に意識的、意図的に強調し、事件当時の国交大臣で海上保安庁を指揮する前原誠司現外相は「東シナ海には領土問題は存在しない」、「日本の国内法に基づき粛々と対応する」と発言したところに重大な挑発的、対決的な政治姿勢が色濃く浮き出されている。
前原氏はすでに9/7の事件発生の時点で、小泉政権時代に尖閣諸島に上陸した中国人を即刻強制送還して問題の拡大を防止した前例を踏襲するのではなく、むしろこの事件を好機として、尖閣諸島には「領土問題は存在しない」ことを強引に既成事実化し、これを外交案件ではなく、「日本の国内法に基づき粛々と対応する」挑発的姿勢を鮮明にし、中国漁船船長の逮捕・起訴を視野に入れていたのである。現実に、9/14の民主党代表選を経て今度は外相となって登場してきた前原氏は、9/16、石垣海上保安部を急遽視察し、直後に「日本の国内法に基づき粛々と対応する」と発言している。前原氏は事件発生当初から、このような姿勢をとれば当然中国側の激しい反発を招くことを承知の上で、それでもこの姿勢を貫くことが、反中国感情を煽ることが、行き詰る民主党政権の起死回生のチャンス、菅政権をリードし、無為無策の菅首相をあやつり、事実上の前原政権とする最大のチャンスと捉えたのであろう。この時点で、このような前原外相の冒険主義的で危険な路線に牛耳られた菅政権はすでに、あの小泉時代の反中国姿勢よりもさらに強硬な反中国対決路線に転換したのだといえよう。

<<「米国の力となるホープ」>>
さらに前原外相は、9/23、ニューヨークでクリントン国務長官と会談した際に、前原外相のブリーフィングとして、米国務長官から「明らかに尖閣諸島には日米安全保障条約が適用される」という言葉を引き出した、といかにも自慢げに発表している。これではあたかも「アメリカが尖閣諸島で日本を守る」ことを明らかにしたと大宣伝するようなものであり、事実日本の大手メディアはいっせいにそのように報じたのである。このような挑発的で子どもじみた言動は、わざわざ中国側に軍事対決を煽り、「我が方には米軍あり」といきがっているに過ぎないものである。
ところが、この日米外相会談のわずか4時間後のクローリー国務次官補とホワイトハウス国家安全保障会議のベーダー・アジア上級部長の記者会見では、「米国は仲裁の役割を果たすつもりはない。日中間による平和的対話での早期解決を願う」と言明しており、クローリー国務次官補はその記者会見で、「クリントン長官が会談で伝えたのは、日中両国の対話による早期解決を望むということ。われわれは軍事問題への発展を望んでいない」ことだと語り、北朝鮮やイラン、アフガニスタン情勢などに続いて、前原外相が中国との緊張を議題として取り上げ、日本側が司法の範囲で取り組んでおり、解決への自信があると説明し、これを受けてクリントン国務長官が「同地域の安定において日中関係はきわめて重要。平和的対話によるすみやかな解決を望む」と伝えた、のだと述べているにすぎないのである。さらにクローリー国務次官補は、記者の質問に対して「米国は調停など特定の役割は担っていない。日本のように成熟した国なら、問題を解決する能力があるはずだ。尖閣の領有権についてわれわれは特定の国を支持する立場をとらない」と強調し、尖閣諸島が日本の固有の領土であるという主張でさえ斥けられているのである。米政府にとっては尖閣諸島は係争中という認識であり、これが米政府の公式見解なのである。前原外相のブリーフィングでは触れられなかったことこそが日米外相会談の真実であったといえよう。
ここでさらに問題なのは、前原外相にとってはこの初の日米外相会談で、「米国の力となるホープだ」と持ち上げられ、会談に同席していたキャンベル国務次官が、グアム移転費について米議会からさらに圧力がかけられていること、そして日米防衛同盟を強化すべきなのに日本の支援が未だにGDP1%枠内を出ないことに「日本の協力が足りない」と不満を表す米議員が増えているなどと説明し、クリントン国務長官が理解と協力を求めたのに対して、前原外相は、思いやり予算の大幅増額を初め、米側が提示するほとんどの内容について「日米同盟の深化のためには不可欠だ」と協力的姿勢を示し、普天間問題について、移設先を名護市辺野古とする日米合意の履行に向け、すでに対策は講じており、対中関係の緊張で、在沖縄米軍基地の抑止力や必要性に関する国民の理解も高まっている、と米側への追従姿勢を明確にしたことである。まさに「米国の力となるホープ」としての、日本政府における米側代理人としての立ち位置、本質を明確にしたのである。
日本の外相として本来、米側に伝えるべき、基地撤去を訴える圧倒的な沖縄県民の民意をまったく伝えもせず、対中国対決姿勢を米の威を借りて煽り、いったい何の対策を「すでに講じている」のか、沖縄の抑止力論をますますふりかざして、沖縄の民意を蹴散らそうとしている前原外相の姿がここに浮かび上がってくる。

<<「悪しき隣人」>>
さらにこの前原外相の姿勢に輪をかけて、反中国姿勢を煽り立てているのが枝野民主党幹事長代理である。菅首相が10/1の所信表明演説で「中国との戦略的互恵関係の深化」を基本方針に掲げたその翌日の10/2、さいたま市での講演において、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件に触れて、「中国との戦略的互恵関係なんてありえない。あしき隣人でも隣人は隣人だが、日本と政治体制から何から違っている」「中国に進出している企業、中国から輸入に依存している企業はリスクを含めて自己責任でやってもらわないと困る」「中国は法治主義の通らない国だ。そういう国と経済的パートナーシップを組む企業は、よほどのお人好しだ」「(今後の外交について)より同じ方向を向いたパートナーとなりうる国、たとえばモンゴルやベトナムなどとの関係をより強固にする必要がある」などと述べ、講演後、中国を「悪しき隣人」と呼んだことについて記者団に聞かれると、「良い隣人だと思うか?」と食って掛かる始末である。前原外相とは最も近い関係にあることからも、「偏狭なナショナリズム」を煽る二人の露骨な反中国姿勢は、その共謀姿勢が明らかである。
議員個人の個人的な発言ではなく、菅政権発足直後の民主党幹事長であり、菅首相の側近として、参院選敗北の責任もろくに問われることなく、菅首相と岡田幹事長の強い要請により再び民主党の要職である幹事長代理に就任した公人としての発言である。菅政権が「中国との戦略的互恵関係」を表向きは必死に維持しようとしているさなかに、そんなものは「ありえない」と断言し、「そういう国と経済的パートナーシップを組む企業は、よほどのお人好しだ」と茶化し、中国進出企業の撤退と経済的パートナーシップの破棄を勧めているのである。日本経済の現実を無視した、これほど好戦的・敵対的で乱暴極まりないやくざまがいの発言は過去にも例がないであろう。このような枝野発言は、いわば中国への絶交宣言、断交宣言に等しいものである。理性と謙虚さ、品位さえも失い、個人的憎悪をエスカレートさせることしかできないこのような政治家が民主党、菅政権の中枢に座り、その発言の責任も問われることなく居座り続けていること自体が異常であると言えよう。
このような乱暴で危なっかしい発言を容認していれば、日中間の平和的共存関係は根底から破壊されてしまい、政治的経済的に計り知れない災厄をもたらすことは明らかである。
それにしても不可解なのは、このような事態を放置し、首相としての指導性もなんら発揮できない菅直人首相の政治姿勢である。菅首相言うところの「政治主導」が聞いて呆れる、その「政治主導」は、反中国対立激化の政治主導になってしまっているのである。しかもその政治主導は、前原・枝野路線の政治主導であり、菅首相は操り人形のごとく踊らせられ、官僚任せの責任転嫁と事後処理に追われ、明確な平和外交と共存関係の再構築にリーダーシップをまったく発揮できないのである。菅氏は、ただただ権力の頂点に座り続けていたいだけなのであろうか。前原・枝野両氏を指導・監督すべき仙石官房長官でさえ、中国側の強い反発に直面して「司法過程についての理解が(日中間で)ここまで異なるということについて、もう少し我々が習熟すべきだった」という程度の現状認識しか持ち合わせていない政治的認識のお粗末さである。いずれにしても、このような菅政権のお粗末さに乗じた傲慢でエリート臭ふんぷんで危険極まりない親米・反中の前原・枝野路線を野放しにしていては、菅政権は予想よりも早く瓦解せざるを得ないであろう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.395 2010年10月23日

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【投稿】「正義」のゆくえ

【投稿】「正義」のゆくえ—「自分だけが正しい」という思い込みはさらなる混乱を招く
福井 杉本達也

1.「正義」を求め続けるとどうなるか
現在の英仏間の国境を画定した「百年戦争」の終盤・1407年に「オルレアン大公暗殺」という事件が起った。暗殺を謀ったブルゴーニュ大公はフランス国王・シャルル六世の赦免を拒否し、オルレアン大公の信奉者たちも国王が赦免を与えることを拒んだ。王の赦免による曖昧(あいまい)な解決ではなく、正義の裁きを希求する「自分だけが正しい」という双方の思い込みが、その後に続くブルゴーニュ党とアルマニャック党(オルレアン大公派)の内戦を招き、これにイギリスの侵略が加わって、フランスはジャンヌ・ダルクの登場(1429年)まで長い混迷を強いられるのである。正義の裁きを求めての復讐(ふくしゅう)と懲罰がさらなる混乱を引き起こしたのでる(毎日:2010.10.10:鹿島茂書評・『オルレアン大公暗殺』ベルナール・グネ著)。

2.「日本の法律」は何処にでも通用すると思うな
尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件にについて、植草一秀氏は「中国人釈放刑訴法拡大解釈は治外法権容認を意味」するとし、「日本の法律に照らして極めて悪質な犯罪であることを理由に、中国人船長を逮捕、勾留したのなら、粛々と起訴して犯罪を明らかにする必要がある…中国の外交圧力に屈して…釈放したもので…このような弱腰な政権運営を行う政権に、国の主権を守ることは不可能である。」(植草一秀ブログ:2010.10.2)と述べているが、日本の法律は日本にしか適用されない。一方、中国は日本の領土とは認めていない。日中国交の時点で「棚上げ」で合意していた事項を一方的に破棄し、日本の法律を強行に適用しようとしたからこそ、今回、中国は強固な対抗措置をとってきたのである。植草氏のように「粛々と起訴」してとなれば、日中間の武力衝突まで行きかねない。
きわめつけは、文芸評論家・山崎行太郎氏の「中国に限らず、ロシア、北朝鮮、韓国というような国境を接してる国々が、『日本、怖るるに足らず』と錯覚し、『日本沈没』を画策し、妄想し、領土拡張の誘惑に駆られていくことは、決して日本にとって得策ではない。言い換えれば、核武装論を拒絶するならば、安保マフィアのように、いつまでも米軍基地存続を願う『従米属国派』のように、これからも宗主国の顔色を伺ってばかりいる半独立植民地国家・日本で行くしかない」(『毒蛇山荘日記』2010.10.3)との文章である。 領土防衛論から一気に独自核武装にまで飛躍してしまう。日本が核武装するということは政治的にも経済的にも東アジアから完全に孤立するということであり、明確な核拡散防止条約違反として、北朝鮮のような厳しい経済制裁を受けるということになる。その「結果」を考えて発言しているのか、それとも米軍産複合体への従属をいっそう深め・「貢ぎ物」を多くするために、エージェントとして、ここぞとばかりに“危機”を煽っているのか。
そもそも、「6月8日初閣議で尖閣列島で『解決すべき領有権の問題は存在しない』の答弁書決定。係争地なら武力衝突につながる国家権力使用は抑制…領有問題なしなら日本領への侵入。断固たる措置可能。『初閣議』で準備ない者に誰が主導権をとってこの決定をしたか。要チェック」(9.23)と孫崎享氏は述べているが、“危機”のどさくさで頭に血を上らせて裏で仕組み・操作する輩が存在するということである。それは尖閣危機が起こる2ヶ月も前に“準備”されていたという事実である。「国際政治は『あるべき』で行動すべきでない。相手の過激な行動をどう押さえるか、それをまず考えるべし。道徳の競争でない。」(孫崎:同上)

3.政治とカネの問題
政党への政治資金が特定の団体に偏れば、当然その政党の政策は特定の政治勢力の利益を代表せざるを得なくなる。しかし、政党というものは霞を食って維持できるものではない。野党時代の民主党を維持してきた大きな財源は小沢氏のカネと鳩山氏の“贈与資金”と労働組合からのカネ及び人の提供であった。しかし、これは少なくとも外国からの資金提供ではない。自民党の場合には政党の発足自体が外国からの干渉によるものであり、「CIAによる秘密献金は少なくとも1960年代終わりまで続けられた」(テイム・ワイナー『CIA秘録』)。さらには国民の税金である内閣官房報償費(機密費)を政治資金として下野する直前まで着服している(日経:2009.11.21「官房機密費・前政権の多額引き出し」 毎日:2010.5.21「野中広務元自民党幹事長・機密費月7000万円」 鈴木宗男氏:TBS「沖縄知事選で機密費」2010.7.21)。また、旧社会党右派には、1958年・アイゼンハワー政権下では「より親米的で『責任ある』野党が登場することを期待して左派系野党から穏健派を分裂させる隠密工作」を行っている(同上『CIA秘録』)。公明党の場合には「創価学会へ適正な税務調査が行われていない」という税法上の疑惑が指摘されている(伊東光晴:『政権交代の政治経済学』)。共産党の場合は長年に亘り議長を務めた野坂参三(1993年死亡)自身がソ連・秘密警察のスパイだったことが明らかとなっている(モスクワ旧ソ連邦公文書館資料:加藤哲郎HP:「歴史における善意と粛清 ―国崎定洞の非業の死からみた『闇の男――野坂参三の百年』の読み方」)。
政党が自立した政治資金を作れないならば、今後も外国の干渉を招くことになる。小沢氏の政治資金の取り扱いが、検察審査会の2度の議決が必要なほどの重要な犯罪案件なのか疑問である。さらには、議決に欠陥があり、法に定められた審査会の議事録があるのかも不明で、審査員の入れ替えも不明の検察審査会自体の「正義」も疑われる(日経:2010.10.6「告発にない犯罪事実追加」 Asahi:2010.10.14「小沢氏起訴議決の検察審査員、平均34.55歳に再訂正」)。

4.検察=「正義」か?
厚労省部長の村木厚子氏を逮捕・起訴したいわゆる「郵便不正事件」は大阪地検特捜部担当検事による「証拠改竄事件」及びその上司である特捜部部長・副部長らの逮捕という組織的な犯行を疑わせる内容へと発展しつつある。元々はこの事件は民主党の石井一議員を狙った「議員案件」である。ところが村木氏への無罪判決でも指摘されたように「口利き依頼日」に石井議員がゴルフに行っていたことが判明し、検察の狙いは崩れたにもかかわらず、虚構のストーリーを継続したことが冤罪事件につながったものである。
最高検は大坪特捜部長・佐賀副部長の責任というトカゲのしっぽ切りストーリーでこの「改竄事件」を処理したいようであるが、大坪・佐賀両氏は検察組織内部の「公然の秘密」を知り尽くした者達である。日経記者が拘置所で面会したところによると(10.15)、徹底抗戦の構えを見せている。その主張は①「自分たちは最高検の作ったストーリーによって逮捕された」、②「密室での違法・不当な取り調べによる虚偽の自白で、多くの冤罪が生み出されてきた」ので「全面可視化」の要求、③最高検による両容疑者への「接見禁止の申し立ての却下」である。③の「接見禁止」が認められると、マスコミには「最高検のリーク」記事で溢れかえり、一方的に偏った記事で、村木氏のように両容疑者は起訴前にも犯罪人扱いされ・社会的に抹殺されてしまう。大阪地裁は、こうした最高検の「ストーリー」を拒否した(上杉隆:「検察3つの“公然の秘密”」ダイヤモンド・オンライン:10.14)。接見許可の成果が上記日経の面会記事となっている。
日経「歪んだ正義」(10.16)の中で元特捜検事の堀田力氏は検察の「ストーリー」擁護して「事件の捜査では、いくつもの筋や可能性を考えるが、1つ1つを追いかけて裏付け捜査をしていくと、自然と真実が浮かび上がる。真実の裏付けは取れるが、ウソの裏付けは取れないからだ」とのたまう。これこそ全くのウソである。「ストーリー」に合わない事実は証拠として採用せず切り捨てられ、合う事実のみが証拠として採用されるのである。その中で「証拠」同士でどうしてもつじつまが合わないものが「改竄」される。最高検と特捜部上司との争いは「皮肉」である。
村木さん無罪判決の直後・9月16日に北九州八幡東病院の上田里美看護課長の「つめはぎ事件」の無罪判決が福岡高裁で出された。これは高齢の認知症患者の「つめを深く切った行為」が「故意につめを剥いだ虐待」に当たるのか、「認知症患者に対する適切なフットケア」に当たるかが争われた事件である。一審福岡地裁では「傷害」として懲役6ヶ月(執行猶予)の判決を受けてしまった。「つめ切り」という事実は1つであるが、司法の「解釈」によっては懲役刑を科せられるというとんでもない冤罪の事例である。
堀田氏は上記で政治家や経済人の「20件のうち1件でもいいから摘発することで抑止効果が出る」と述べるがとんでもないことである。政治資金規正法の些細な違反事例での摘発やそれもできなければ「虚偽のストーリー」を作るという行為こそ法治国家としてあってはならない。
摘発すべきは岸信介や緒方竹虎といったCIAのエージェントとして長年に亘り活動し(加藤哲郎・早稲田大学「20世紀メディア研究所・特別研究会―CIA と緒方竹虎」2009.7.25)、日本の国益を外国に売り渡してきたような巨悪とその「相続者」である。

【出典】 アサート No.395 2010年10月23日

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