【コラム】ひとりごと -大阪秋の陣:反橋下・反独裁で統一すれば— 

【コラム】ひとりごと -大阪秋の陣:反橋下・反独裁で統一すれば— 

○大阪府知事選挙は、11月10日に告示され、前池田市長の倉田候補・大阪維新の会松井前府議・共産党推薦の梅田候補などが立候補し、事実上、倉田・松井の戦いとなった。○一方、大阪市長選挙には、現職の平松候補、そして大阪維新の会代表の橋下候補が立候補した。○これで、大阪維新の会VS反独裁連合の闘いの構図となり、まさに「大阪秋の陣」がスタートし、共に27日投票日に向けて、論戦が繰り広げられている。○今回の選挙は、任期途中の橋下が、大阪市解体実現のため、知事を辞任し、知事・市長のダブル選挙にする、と宣言したことから、大きな注目を集めることになった。まさに橋下の仕掛けで始まったわけである。○橋下の狙いが、大阪全域を「独裁的」に支配したいことにあることは明白である。しかし、候補者選びから、すでに躓きが始まった。○アナウンサーの辛坊次郎、元横浜市長中田、前宮崎県知事東国原、民間公募の府立高校校長、果ては堺屋太一まで、すべて実現しなかった。名前が上がっては消え、橋下も「意中の人」がいる、と公言してきたが、結局誰も手を上げず、維新の会府議団長が候補となった。○ここは、ポイントである。WTCを府庁に、と「思いつき」に頼って購入したものの、東日本大震災で被災、90億で安い買い物と思いきや、防災補強など今後1200億円が必要と試算されるほどの「安物買いのゼニ失い」となった。○うそ八百は、橋下「知事」なら、突き通すだろうが、候補に名が挙がった人々は二の足を踏んだことは想像に難くない。○さらに、橋下に大きな逆風が吹き始めた。10月発売の「新潮45」を皮切りに、ジャーナリズムが、橋下批判をスタートさせた。それは週刊誌にも及び、発売日に完売する程大きな反響を呼んだ。○まだまだ橋下人気は根強いものがあるのは事実だが、「そこまで言わんでも」から、「人気にあぐらをかいて、やりすぎ」という空気も出始めているように感じるのは、私だけだろうか。○一方の「反橋下」陣営も、候補者選びでは最後まで混迷した。○自民党府連が、参議院議員の丸山弁護士に要請、民主党は郷原信郎弁護士に要請した。いずれも実を結ばなかったが、前大阪市長会会長の倉田薫氏が、「府内市町村長の支持をいただけるなら」との条件を付けて出馬の意欲を見せると、事態は急変し、倉田出馬に流れが動き始める。○ある市長の話によると、橋下は中学校給食の補助金を予算化した。しかし、各市によっては耐震化を優先したいところもある。橋下は、中学校予算の活用に逡巡する市長に対して、次の選挙で対立候補を立てるぞと、発言したという。このような「地方自治」も「分権」とも無縁な対応に、府内首長も怒り心頭に達して、21首長が倉田支持を公表、30首長が応援に回るに及んで、倉田出馬が決まったと聞いている。○まさに「独裁政治」。反独裁の一点で、良心のある政治勢力は結集する必要がある。○その点で評価したいのが、大阪市長選挙における共産党候補の立候補見送りである。これまで、共産党の政治姿勢を批判してきた筆者だが、この点は大いに評価したい。今後の国政選挙等でも、大局に立った決断が続くことを期待したい。○さて、公明党である。わけのわからない「自主投票」を決めたらしい。共産党の判断と比較すると、なんとも理解に苦しむ。次期衆議院選挙での協力関係を考慮して、と報道されている。府民のための政党ではないことを、改めて証明したにすぎないのだが。○大阪市長選挙について、10月末に2000世帯を対象に選挙リサーチが行われた。橋下候補支持率38.5% 平松候補支持率37.5%との結果であった。まさに接戦・がっぷりよつという状況である。○橋下のマスコミ露出度の多さと逆風の中、橋下の街頭演説への参加が少なくなっており、ますます「キレル」ことが多くなったと伝わっている。「人口10万人の市長が、880万人の大都市のトップには絶対なれません」などの発言も、直ちにネットで暴露されている。○地方自治を破壊する大阪都構想を断固拒否し、地方独裁政治をストップさせるために、府民・市民の良識が問われる選挙となるだろう。(2011-11-13佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.408 2011年11月19日

カテゴリー: 大阪維新関連, 政治, 雑感 | 【コラム】ひとりごと -大阪秋の陣:反橋下・反独裁で統一すれば—  はコメントを受け付けていません

【投稿】弱肉強食・新自由主義・原発推進路線からの根本的転換を求める闘いの高揚と連帯

【投稿】弱肉強食・新自由主義・原発推進路線からの
            根本的転換を求める闘いの高揚と連帯

<「ウォール街を占拠せよ」>>
 「1%の富裕層が米国の富を独占している」、「ウォール街は強欲資本主義の象徴」、「ウォール街を占拠せよ」、「われわれこそが99%だ」のスローガンを掲げ、「富める者に税金を/貧しい者に食べものを」「戦争をやめよ」と要求する、米ニューヨークの10・16原発いらん関西行動デモウォール街占拠から始まった運動は、この10/1には、ウォール街から約100メートルのズコッティ公園からニューヨークの交通の要所・ブルックリン橋まで5000人以上のデモ行進が展開され、700人以上の逮捕者を出したが、10/5にはこれが1万人以上のデモ行進となり、今やロサンゼルスやボストン、シカゴ、サンフランシスコ、フィラデルフィア、ワシントンDCなど100カ所を超える全米の主要都市のほとんどで同様のデモが進行中であり、ヨーロッパ、アジア、豪州でもこれに呼応、連帯して、世界同時多発の様相をさえ呈している。
 この10/1、「ウォール街を占拠せよ」組織委員会・#OccupyWallStreetが出した当日の行動、「我々は、99%」連帯行動の呼びかけは、次のように述べている。

 「われわれ、99%は黙ってはいられませんし、脅しに屈しはしません。 われわれのこの土曜日の何千もの行進は、99%の声が示される時であることを明らかにするために、ともに行進するものです。 第二週を記念するこの新しい運動に加わってください。
 これは、10月1日土曜日午後3時に#occupywallstreet運動と連帯して行進する、個人、ファミリー、コミュニティならびに活動グループの皆さんへの呼びかけです。
 われわれは組合員であり、学生、教師、退役軍人であり、初めてこの呼びかけに応える人々、家族、失業者、非正規労働者です。 われわれは、あらゆる人種、性と信条を有しており、圧倒的多数なのです。 われわれは、99パーセントであり、もはや黙ってはいられません。
 われわれは99パーセントの一員として、現在の経済ならびに政治の状況に同意できないこと、そして来るべきよりよき世界の一例として、その象徴的な意思表示として、ウォール街を占拠します。 そこで私たちは、この土曜日午後3時に、99%の仲間たちをわれわれの行進に招待いたします。行進は、LIBERTY & BROADWAY のリバティプラザ(ZUCCOTTI公園)から始まります。
 行進は、午後5時30分、ブルックリン橋公園での集会と少々の食べ物で終了する予定です。」(筆者仮訳)

<<新自由主義=巨大な吸血鬼>>
 そして10月15日には、インターネットで同日を全世界的な「一斉行動の日」にしようとの呼びかけが行われたが、ニューヨークから発せられたこの「10月15日行動の呼びかけ」は次のように述べている。

 「この30年以上にわたって、1%は、グローバル経済システム ― 新自由主義 ― を形成し、人権を攻撃し、環境を破壊してきました。新自由主義は世界的規模で広がり、これがわれわれから雇用を奪い、ヘルスケアや教育、食料、ローンの余裕さえなくさせてしてしまっている理由なのです。
 新自由主義がわれわれの未来を奪っているのです。
 新自由主義は世界中どこにおいても労働者の基本的権利を奪い、生活できる賃金、社会保障、地球環境を略奪しているのです。
 それは、「人間の顔を装っているが、お金・マネーのにおいがするところならどこにでもむさぼりつく巨大な吸血鬼イカ」なのです。新自由主義が、世界的に南の世界を荒廃させ、国際金融危機を ― アメリカで、ギリシャで、スペインで ― 引き起こすシステムなのです。 それは強欲の上に築き上げられるシステムであり、社会に打撃を与え不安定化させることで繁栄するシステムなのです。
 新自由主義は、人類を窮乏化させることによって、1%の彼ら自身を豊かにさせるのです。
 こんなことはストップさせなければなりません!
 われわれは、民主主義的で経済的な正義の時代の到来を告げなければなりません。変えなければなりませんし、進化しなければなりません。
 10月15日に、世界は一体となって立ち上がって、叫びます。「もうたくさんだ! われわれはあらゆるところで、互いに分かち合う繁栄、互いを尊重し、互いを助け合い、尊厳を守る時代の到来を告げる、そのような世界的な闘いを開始しているのだ」と。」(筆者仮訳)

 この呼びかけに応えて、ニューヨークはもちろん、全米100都市以上で一斉行動が展開され、さらに全世界80カ国以上、ロンドン、パリ、ベルリンからマドリード、アテネ、カイロ、ヨハネスブルグ(南ア)、シドニー(オーストラリア)、オークランド(ニュージーラン)からムンバイ、東京、ソウルにいたるまで、1500を越える都市で集会やデモが展開された。それはアメリカやカナダ、ヨーロッパのみならず、アフリカ、アジアや豪州にも波及する全世界的な闘いの展開となった。
 デモは欧州の主要都市でも幅広く展開され、ローマにはイタリア全土から参加者が集まり、中心部を行進、「我々は銀行の資産ではない」、「欧州の人々よ、決起せよ」と叫び、参加者は10~20万人規模に上るという。ロンドンでは数千人の人々が金融街シティーの中心に集結、「ノー・カット」と書かれたプラカードを掲げ、緊縮財政政策に抗議し、ドイツの金融の中心地フランクフルトでは欧州中央銀行(ECB)のビルの前に約5千人が結集、欧州連合(EU)の執行機関があるブリュッセルでも2千人以上がデモ行進を行い、20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議が開かれているパリでも抗議デモが行われた。
 そしてオーストラリア・シドニーの豪準備銀行(中央銀行)前の広場に集結した2000人を越える市民らが「企業の強欲ではなく人間的な要求を」などのシュプレヒコールをあげた。
 さらに、中国・香港ではビジネス街の中環(セントラル)にある香港取引所前の広場に約500人が集結、国民皆年金の導入や団体交渉権の確立などの要求を掲げ、参加者は「世界の抑圧された人々と連帯し、資本主義と戦う」立場を明らかにしている。
 台北市でも、台湾最大の高層ビル「台北101」の周りを大勢の人々が練り歩き、格差拡大反対を訴え、ソウルでは、市役所近くの広場で多くの人々が合流、「1%に税金を、99%に福祉を」などと訴え、米韓自由貿易協定(FTA)に反対する垂れ幕、「1%(の富裕層)を代弁する資本主義は壊れた」の横断幕も掲げられた。
 日本でもこの運動に初めて呼応して10/15、東京・六本木、日比谷公園など、都内の複数箇所でそれぞれ数百人規模のデモや集会が行われ、東京電力本店前では「格差ノー」とともに脱原発やTPP反対、「放射NO」が叫ばれた。

<<根本的な社会変革運動>>
 この運動の特徴は、参加者の多様性を徹底的に尊重、保障し、多様な要求やスローガンを自由に表明させ、上意下達方式ではなく、民主的な横並び組織運営、民主的運営に基づいた討議事項と決定事項の確認と伝達、暴力的・挑発的行動を禁じた平和的な運動姿勢、そしてインターネットを通じた運動情報の即時公開、ソーシャルメディアの活用、独自サイトでのアピール、呼びかけ、連帯メッセージ、全米各地からの支援物資、刻々と発せられる実際のデモ行進の動画や警察の弾圧や挑発の証拠映像、参加者の多様な声を集めた動画や写真、テキスト配信などにあり、さらにその基本姿勢には「われわれこそが99%だ」という圧倒的多数の庶民の声を代表する政治姿勢、1%の強欲資本主義とそれを富み栄えさせた新自由主義に対する広範な人々の怒りを幅広く結集する運動姿勢にあると言えよう。
 さらにこの運動の特徴として指摘されなければならないのは、この運動が表面的かつ現象的な反貧困・格差是正を求める要求運動でありながら、実はこのような事態をもたらした強欲資本主義の根源に焦点を当て、金融資本主義がもてあそぶマネーゲームの犯罪性を告発し、この30年来のさばり続けてきた自由競争原理主義と新自由主義をこそストップさせなければならない、という社会を、経済を、政治を根底、根幹から変革しなければならないという社会変革運動、本来の革命的な運動の性格を内包したもの、そのような性格を濃厚に帯び、反映した運動だということである。
 もちろんこのように運動を盛り上がらせた背景には、弱肉強食・強欲資本主義、それを根底から支えた自由競争原理主義=新自由主義がもたらしたすさまじい格差の拡大と政治的経済的行き詰まりが、もはや耐え難い段階に達していることにある。

<<バフェット・ルール>>
 今年の8/15のニューヨーク・タイムズ紙上で、カリスマ投資家、世界長者番付で3位に入るウォーレン・バフェット氏が「私自身が支払った所得税、給与税などの連邦税は693万8744ドルである。額だけなら高額に聞こえるかもしれないが、所得との比率で言えば、課税所得の17.4%に過ぎない。一方、私の職場にいるスタッフ20人の税率は33~41%だ。平均で36%にも達する。私の税金は一番低い。」「金持ちの中には、私よりもっと税率が低い人もいる。ある投資マネージャーは何十億ドルも所得があるのに、その15%しか税金を支払っていない。」「富裕層に重税を課すと、投資意欲をそぎ、雇用にマイナスに作用すると叫ぶ人がいる。しかしそれは嘘だ。20世紀末の20年間、私に対する課税率はもっと高かった。1976年にはキャピタルゲイン課税は39.9%だった。それでも4000万件の雇用が創出されている。」「人口の99.7%は100万ドル以下の収入の人々である。その100万ドルを超える課税所得者24万人については、直ちに増税をすべきだ。さらに年収1000万ドルを超える8000人にはより高い税率を適用すべきだ」という、いわゆる「バフェット・ルール」を提起した。
 これには「高額所得層向けの増税は投資を罰することになる」としてオバマ大統領の高所得層向け増税政策に反対してきた共和党、その支持者から反発と批判が巻き起こり、共和党のヒュールスカンプ下院議員(カンザス州)が書簡をバフェット氏に送り、「あなたの話がオバマ大統領の政策の牽引役となっている。このような政策を正当化する証拠を速やかに公開してほしい」と異議を申し立てた。
 これに対してバフェット氏は10/12までに、ヒュールスカンプ議員への返書の中で、昨年のバフェット氏の所得がほぼ6300万ドル(約48億5000万円)で、課税所得はほぼ4000万ドル、納税額が690万ドル、所得税率は17.4%にすぎないことを改めて公表したのである。これはレーガン・ブッシュ以来の新自由主義者が提起してきた金持ち優遇税制がいかに税制をゆがめ、格差を拡大する不公平税制となっているかということを具体的に明らかにし、それにに対する根本的かつ現実的批判を提起するものであったと言えよう。それは同時に、小さな政府と新自由主義を要求する共和党系保守派のティパーティ運動の勢いをなくさせ、現在のアメリカ社会の政治的経済的行き詰りの打開策をめぐる重要な問題提起でもあった。
 そしてこうした行き詰まりの打開をめぐって、先進国の支配層は総じて、さらなる新自由主義の徹底、つまりは弱肉強食支配のためのさらなる規制緩和と市場開放、無権利不安定雇用労働者の大量創出と、徹底した緊縮政策による政府機能・社会的再配分機能の縮小、教育・医療・社会保障政策を根底から破壊する予算削減攻撃、金持ち減税と庶民増税等に活路を見出そうとしている。日本の民主党政権も、政権交代を否定するこのような路線に同調しようとしている。しかしこの路線には今や支配層内部においてさえ異論が噴出し、展望がなく、混迷を続けているのが現状といえよう。やはりここにおいても問われているのは、根本的な路線転換であり、「ウォール街占拠」はそのことを提起したのだといえよう。
(生駒 敬)

(写真は、10月16日 大阪で行われた「原発いらん関西行動」のデモ写真です。俳優の山本太郎さんも、集会でも発言され、デモにも参加されました。)

 【出典】 アサート No.407 2011年10月22日

カテゴリー: 原発・原子力, 政治, 生駒 敬 | 【投稿】弱肉強食・新自由主義・原発推進路線からの根本的転換を求める闘いの高揚と連帯 はコメントを受け付けていません

【投稿】 原発推進の役割を担った地球温暖化仮説

【投稿】 原発推進の役割を担った地球温暖化仮説
                          福井 杉本 達也 

1 原発産業の斜陽化とともに始まった地球温暖化仮説
 1979年の米国―スリーマイル島原発事故・1986年の旧ソ連―チェルノブイリ原発事故以降、世界的に脱原発の機運が高まっていた。そのような中で、1958年からハワイ・マウナロア山頂の気象観測所にて、大気中の二酸化炭素濃度データの観測・収集・計測を継続的に実施ししていたC.D.キーリングは、観測結果から、大気中のCO2濃度の増加は人為的に放出されているCO2放出量の半分に相当する量が蓄積していると考えられるとした。また、第二次世界大戦後1970年代半ばまで続いた世界的な寒冷化傾向は一転して継続的な気温の上昇傾向を示すようになっていた。この二つの事象を繋ぎ合わせることによって『人為的に放出されたCO2の増加が大気中のCO2濃度の上昇をもたらし、大気中のCO2濃度の上昇による大気の温室効果の増大によって気温が上昇し、このまま気温が上昇すると生態系に壊滅的な打撃を与える』というシナリオに基づいて『人為的CO2地球温暖化脅威論』が作り出された。1988年の米国議会上院エネルギー委員会においてNASAのハンセンは人為的CO2地球温暖化は確実に進行していると証言している。
 この人為的CO2地球温暖化仮説に斜陽化しつつあった米国の原子力関連企業は飛びついた。こうして気象分野の研究者と原子力関連企業の間には強い利害関係が生まれた。それを世界的に広げたのがフランスである。元来、フランスは環境問題に関しては最も冷淡な国家であった。ところが、原子力産業が斜陽化してきたので、CO2を出さない原子力発電は環境によい発電ということになった(参考:近藤邦明HP)。

2 原発を前提としなければ成り立たない地球温暖化仮説の課題解決
 2007年のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)第4次評価報告書はCO2削減のためには省エネルギーや燃料転換だけでは不十分で、原子力、再生可能エネルギーシステムの大規模な導入や二酸化炭素の固定と貯留(CCS)が必要だと説く(第3作業部会報告書)―図TS10など)。これを受け、国立環境研究所地球環境研究センターの藤野純一主任研究員は「2050年には世界の温室効果ガス排出量を1990年に比べて約50%削減し、それ以降さらなる削減が求められる」とし、「化石燃料と比べてCO2をあまり排出しない再生可能エネルギー(風力や太陽エネルギー)や原子力発電の割合を増加させる、さらにはCO2排出の少ないエネルギーで製造した電気や水素を効率的に利用するといった対策で、大幅に改善できる可能性」があると『解決法』を提示する(同センターHP:Q&A)。そして、この間「原子力ルネサンス」という言葉がもてはやされた。
 これまで我々は将来の科学技術が現在の課題を解決してくれるであろうという前提で物事を判断してきた。しかし、今回の福島第一原発の事故はこれらの前提を全て吹き飛ばしてしまった。人類は核エネルギー=その反応は我々が日常的に使っている化学反応 (燃焼) の約1億倍にもなり、10万分の1秒というとてつもない短い時間で核分裂を繰り返し加速度的に増加するが、それを制御し暴走しないようにしてエネルギーを取り出そうとする技術の取り扱いに完全に失敗してしまった。核物理の到達点(核兵器)から技術的適応としての核の平和利用に人類の進歩を見ようとしたバラ色の科学技術未来論は崩壊した。
水野和夫氏は「原発事故は、近代の最も重要な概念である『科学技術』万能主義神話を崩壊させた」とし、「技術進歩」を17世紀~20世紀を支配した「成長教」というキリスト教神学に代わる宗教=「大衆は…奇蹟と来世の信徒から一挙に人力の自然支配という技術の奇蹟の信徒となった」(カール・シュミットの引用)であったとし、「3.11で技術も魔術の一つだったと明らかになった…科学技術と成長は人類が抱える問題を解決するどころか、ますます泥沼化」させたとする(『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』日本経済新聞出版社 2011.9.5)。
 また、内山節氏は「資本主義には拡大再生産を遂げつづけることによって正常に展開するという側面が付随している。拡大再生産が止まれば、市場の縮小と失業問題、貧困の問題などが一気に吹き出してくる。」ところが「自然が有限だと…不都合なことになってくる…資源の面でもそれが無限に存在しなければ、無限の経済発展とはつじつまが合わない。」つじつまが合わないことを「人はその解決を科学の発展に丸投げしたのである。科学の発展がさまざまな問題を解決していくだろうと仮定することによって、ほとんどの人々はこの矛盾する悩みから解放された」。「将来の科学」が「問題を解決していくのであれば、それは専門家の仕事になる」。問題の解決が専門家にしかできないとすることによって「専門家の暴走を許容する社会」を作り出し、「この発想の延長線上で、福島の惨状は発生した」と述べる(『世界』2011.11』。
 核技術はこの66年間、やっかいな放射能の取り扱いを「将来の科学」に委ねようとしてきたが結局徒労に終わった(だけではなく福島をはじめ東日本に厖大な放射能をまき散らした)。IPCCの掲げる「再生可能エネルギー」や「CCS」も同様の道をたどる恐れが高い。IPCCは地球温暖化という問題は提起したが解決はもはや不可能である。人類や生物が放射能と心中する方が早くなってしまう。ましてや「経済開発が持続可能な形で進められる」ことはない。

3 日本気象協会の犯罪的役割
 日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)と信大病院(松本市)が福島県内の子ども130人を対象に今夏行った健康調査で、10人(7・7%)の甲状腺機能に変化がみられ、経過観察が必要と診断されたことわかった(信濃毎日新聞2011.10.4)。チェルノブイリ原発事故では数年後に小児甲状腺がんが急増している。
 福島原発事故では保安院の発表によると、ヨウ素131は3月15日を中心に広島原爆の2.4倍分が大気中に放出されたという(日経:2011.8.27)。政府は緊急時には15分で計算できるというSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測)を事故後12日も経過した3月23日に発表した。その間に福島県内の36万人もの子供をはじめ、東京を含む関東や東北地方の数千万人の子供が(もちろん日本の人口の半分の大人も)被曝してしまった。自治体によっては少量のヨウ素剤も準備されてはいたがほとんど飲む暇もなかった(ヨウ素剤は放射能が到達する24時間前から2時間後までに服用しないと効果は極端に悪くなる)。これらの被曝は今後の日本人の健康に大きな影響を及ぼすこととなろう。国家による国民に対する重大な犯罪行為である。しかも地球温暖化研究の中心部隊である日本気象学会はこの事実と結果の重大さを十分知りながら、新野宏日本気象学会理事長(東京大学大気海洋研究所教授)名で「放射性物質の拡散が懸念されています。大気拡散は、気象学・大気科学の1つの重要な研究課題」だが「今回の未曾有の原子力災害に関しては、政府の災害対策本部の指揮・命令のもと、国を挙げてその対策に当たっているところであり、当学会の気象学・大気科学の関係者が不確実性を伴う情報を提供、あるいは不用意に一般に伝わりかねない手段で交換することは、徒に国の防災対策に関する情報等を混乱させることになりかねません。会員の皆様はこの点を念頭において適切に対応されるようにお願いしたい。」(同学会HP・2011.3.18 報道・朝日:2011.4.2「放射性物質予測、公表自粛を 気象学会要請に戸惑う会員」など)。との通知を出し政府の犯罪に荷担したのである。会員は放射能の排出量は分からなくても、風向・風速などで地球温暖化の研究よりははるかに簡単に拡散予測はできたはずである。もちろん気象庁も福島県の浜通りの風向きも雨の予想も何一つ発表しなかった。当時、我々はドイツ(Deutscher Wetterdienst)やフランス・オーストリアといった海外の放射能拡散シミュレーションを頼る他なかったのである。

4 金のため自己保身を図る研究者
 放射能の危険性についてわかりやすい発信を続ける中部大学の武田邦彦氏、精力的に反原発の全国連続講演をこなす広瀬隆氏、毎日福島原発と放射能の状況についてラジオで解説する京大の小出裕章氏―いずれも地球温暖化仮説に懐疑的である。一方、日本における地球温暖化脅威論の元締め的国の研究機関-国立環境研究所の安井至氏は「放射線による直接的健康被害がでる可能性はかなりゼロに近いのに対して、今回の事態で精神的うつ状態になる人が今後増加するだろう。チェルノブイリでもそうだった」(安井至HP『市民のための環境学ガイド』「ICRPはなぜ信頼できるのか」2011.10.9)などと原発擁護の姿勢を示している。なぜ、研究者の一部はこうした態度を取るのか。その秘密を伊東光晴氏は「地震研究で文科省所管であれば研究費の額は知れたものである。それを地震“予知”とすることで所管が変わり、巨額な予算が入手できるのである。工学関係者は、こうした予算獲得にたけている」(『世界』2011.11)からだと解き明かしている。人為的CO2地球温暖化仮説に関する研究も環境省・経産省・国交省・農水省など予算は多岐にわたり額も巨大なものである。
 その最たる研究者?の一人が東電の社外監査役で原子力ムラの総本山東大前総長の小宮山宏である。かつて、総長就任前の小宮山はその著『地球持続の技術』(岩波新書1999.12.20)で「代替エネルギーの開発は確かに必要ではあるが、21世紀中に自然エネルギーを化石資源に全面的に代替させることは技術的にも不可能である。また、安全性に対する懸念から、原子力への依存も避けるべきである。」と述べていた。ところが、総長を退任し無事三菱総研理事長に収まった時期の『低炭素社会』(幻冬舎新書2010.5.30)では日本の原発の稼働率が60%と低いことにふれ、「日本も世界で平均的な稼働率である80%を目指せば、化石燃料によらない発電が3%分は増え、その分CO2が減らせます。…CO2削減のためには極めて有効な発電手法の一つであることは間違いありません。」と見事に変節をしている。自己保身や研究費稼ぎのため政府や企業にすり寄り国民に甚大な被害を与えた研究者の犯罪は厳しく断罪されねばならない。 

 【出典】 アサート No.407 2011年10月22日

カテゴリー: 原発・原子力, 杉本執筆 | 【投稿】 原発推進の役割を担った地球温暖化仮説 はコメントを受け付けていません

【本の紹介】「仮面の騎士」橋下徹 独裁支配の野望と罠

【本の紹介】 
★「仮面の騎士」橋下徹 独裁支配の野望と罠
        講談社 2011年10月 1400円+税
★大阪都構想Q&Aと資料–大阪・堺が無力な「分断都市」になる–
        公人社 2011年9月 2200円+税 

 いよいよ「大阪秋の陣」が始まろうとしている。来週には、橋下知事が正式に辞任を表明する予定と言われており、10月31日に辞任との報道もある。こうした緊迫した情勢の中で、時宜を得た本が続々と出版された。書評とまではいかないが、読者各位に是非読んでいただきたいと、概要を紹介したいと思う。

「仮面の騎士」橋下徹 独裁支配の野望と罠<橋下独裁を許さぬ闘いの本>
 まず、「独裁支配の野望と罠」である。すでに先の統一地方選挙においては、大阪府議会の過半数を制した橋下・大阪維新の会。3分の2条項の案件は別として、予算・条例などの議決においては、大阪府の「独裁支配」を完了させたと言ってよいだろう。次に狙いを定めているのが、大阪市である。橋下は、「今の日本の政治で、一番重要なのは独裁。独裁と言われるくらいの強い力だ。」と今年6月の政治資金パーティで発言している。自ら「独裁」という言葉を使った。まさに本音が出たのである。そして、次のターゲットとされたのが、大阪市と大阪市民なのである。
 確かに橋下知事は選挙に強い。特に特定政党を支持していない無党派層に強い支持を持っている。2年前の堺市長選挙、そして先の統一地方選挙しかりである。だが、その政治手法は、意見の違うもの、反対するものを徹底的に排除する手法。まさに「独裁支配」なのである。本書は、橋下知事とは何者であるのか、そして約4年間の橋下・大阪府政が、何を作り、何を壊し、何を残したのか、府政の現場で起こった事を克明に明らかにしている。さらに、維新の会が掲げる「大阪都構想」が、如何に空虚で、大阪の地方自治を破壊し、大阪府民・大阪市民を不幸に陥れるものであるかを明らかにしている。

<「仮面のヒーロー」の素顔は、独裁者だった>
 第1章「大阪維新の会 独裁への危険な体質」では、タレントから大阪府知事へ、そして維新の会結成から大阪都構想に至るこれまでの「軌跡」を追いながら、橋下の素顔を明らかにする。弁護士をめざしたいきさつ、駆け出し時代に債務取立に走りまわり、金融屋の顧問弁護士をして、弁護士事務所を開設、そして視聴者受けする放言を武器にテレビタレント。そしてタレントとしての知名度を生かして、知事へと昇りつめた。
 しかし、府議会では、WTCへの大阪府庁移転・買取をめぐって、議会と対立。この経過の中で、自らの議員グループ=大阪維新の会の育成へと動いていく。

<大阪都構想がもたらす大阪府民の不幸>
 第2章では、大阪市解体をめざす「大阪都構想」とは、何であるのかが、明らかにされている。橋下維新の会の唯一の政策が「大阪都構想」であるが、統一地方選挙を前後して、大阪都構想というビジョンは曖昧性から抜け出ておらず、今も変わらない。この曖昧性こそが、そこに暮らす府民や市民の視線から発想されたものではなく、「成長戦略」の美名の下に、権限と財源を「大阪都」に集中することだけを目的にしていることが明らかにされる。
「大阪都構想の内容について、真面目な議論が巻き起これば起こるほど、様々な問題が噴出し、問題点が白日のもとに曝されてしまうので、それを回避するため、漠然としたムード、イメージだけで市民を動かそうという、意図的な世論操作であることは明らかです。」

<橋下府政の下、何が起こったか>
 第3章「橋下知事の「大阪府政・四年間」を斬る」では、橋下府政の下、何が起こっているのかが明らかにされる。まず衝撃的なのは、大阪府職員の自殺が、橋下知事就任後急増している事実である。それまで、年間1、2名だった自殺者が6,7名に増えた。なぜか、知事の意に沿わない職員は、徹底的に罵倒されるか、干されるか。職員のやる気をなくさせている現実が明らかにされる。
 昨年10月、大阪府商工労働部国際交流促進課参事が、「仕事上の課題・宿題が増え続け、少しも解決しません。もう限界です。疲れました。」との遺書を残して、行方不明となり、淀川で遺体が発見される。彼も橋下の犠牲者である。台湾訪問をめぐるマスコミ対応での朝礼暮改。責任をすべて職員になすりつける手法。大阪府の中では、無原則に知事に擦り寄る職員がいる一方で、大半の職員のやる気がどんどん低下しているという。
 
<橋下にむらがる利権>
 第4章「「大阪都」に生まれる新利権と群がる人々」では、橋下知事が、大阪都構想によって新たな成長を生むとしている政策が、様々な利権と絡んでいることが明らかにされている。まず、府庁をWTCに移転した場合、大阪市の中心部大手前地区に広大な土地が出現し、土地に絡む利権が生まれる。大阪市を手中に収めれば、大阪市地下鉄を民営化・売却というシナリオであり、利権が生まれる。法定金利を上回る貸付利率を適用できる「特区」構想は、金融利権そのものであろう。

<大阪都構想は必ず破綻する>
 終章にあたる第5章「大阪独裁支配の橋下構想は必ず破綻する」では、今ある基礎自治体を衰退させ、地方自治・地方分権に背を向けた「大阪都構想」が、大阪の復権に繋がるどころか、一層の衰退と混乱をもたらすものであることが明らかにされる。
 
 本書は、独裁と民主主義の否定を覆い隠し、イメージ戦略のみで突き進む橋下維新の会に対して、自治体行政の現場から、事実と論拠を示して、真っ向から批判する内容となっている。著者は、「大阪の地方自治を守る会」で、木原敬介氏(前・堺市長)、坂口義雄氏(前・吹田市長)はじめ、7名の行政の現場を経験してきた方々である。是非読んでいただきたい。

大阪都構想Q&A<「大阪都構想Q&A」、丁寧な検討・分析が光る>

次に紹介するのは、「大阪都構想Q&A–大阪・堺が無力な「分断都市」になる–」であり、澤井勝・村上弘・大阪市政調査会によるものである。
 「仮面の騎士」とは趣を異とにしており、現時点で明らかにされている大阪維新の会の政策を、具体的に検討して、平易なQ&A方式で、「大阪都構想」を批判する内容になっている。
 例えば、「Q4 大阪都構想では、大阪市と堺市は廃止されるのですか。」「Q6 大阪都になると、住民サービスはどうなるのでしょうか。」「Q10 大阪府と大阪市の協力は理想であっても、ムリではないですか。」「Q7 大阪都構想のデメリットについてマスコミの報道が少ないのは、デメリットが少ないからですか。あるいは、知事の怒りを恐れるからですか。」「Q18 大阪の競争力を回復させるためには、府と大阪市を一元化するべきではないでしょうか」「Q25 橋下知事の大阪都構想がわかりやすく、同時に分かりにくいのはなぜでしょう」など28問の問いを設定し、それぞれに、丁寧な分析が行われ、それに付随する資料も巻末にまとめられている。
 Q&Aは、著者の一人である村上弘立命館大学法学部教授の手によるものである。
 その中で、私がなるほどと感心したのは、以下の部分である。Q4-Aでは、大阪維新の会が、「廃止」という言葉を徹底的に避けている点。二つの政令都市の廃止が、大阪都構想の核心であるのに、「ONE大阪」という点だけを強調していること。
 さらに、Q6-Aでは、「大阪維新の会マニュフェストでも、経済成長が起これば特別区は行政サービスを改善しうるとしているだけで、改善を約束しているわけではありません。」という分析がされる。
 その他は紹介を省くけれど、大阪都構想が、そのデメリットについて明らかにしていない点は、まさにデマゴギーの部類に属する問題と言える。大阪市・堺市を廃止すれば、その住民は、これまでのように選挙で市長を選ぶことはできない。区長公選にするというが、区の権限は、彼らの言う「基礎自治体」機能に限られ、府知事や府議会選挙が唯一の意思表明の場ということになり、ますます「地方自治」は遠くなる。
 さらに、大阪市の文化、スポーツ、歴史的建造物などが、「大阪都」に移転する。施設を閉鎖しようが、売却しようが、「大阪市民」「堺市民」の意見は届かず、「大阪都」=橋下独裁者の「成長戦略」のためにのみ「活用される」だろう。知事就任時の相次いだ文化施設閉鎖が思い起こされる。
 
 この2冊の本は、それぞれに大阪都構想、橋下独裁支配に対する有効な批判の手引きとなるだろう。是非一読を薦めたい。(2011-10-19佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.407 2011年10月22日

カテゴリー: 分権, 政治, 書評 | 【本の紹介】「仮面の騎士」橋下徹 独裁支配の野望と罠 はコメントを受け付けていません

【追悼集のお知らせ】 「全力疾走、全力投球 追悼 吉田勝次さん」

【追悼集のお知らせ】
「全力疾走、全力投球 追悼 吉田勝次さん」

 読者各位にとっても古い友人であった吉田勝次さん追悼集が、同編集委員会によって、2011年9月に発行されました。
 吉田勝次さんは、大阪大学に1962年入学、学生運動に参加、1965年3月の民主主義学生同盟第4回大会で全国委員長に選出され、学生運動の統一のため奮闘。卒業後は貿易関係の職場を経て、1977年衆議院議員上田卓三さんの秘書となり、まさに水を得た魚のごとく活動されました。1988年上田事務所退職後は、日本国際問題研究協会事務局長などを経て、1994年大阪経済大学客員研究員、1998年からは姫路工業大学(現兵庫県立大学)環境人間学部教授に就任。2008年に同大学を定年退職されました。
 一方、2005年に右腎臓の摘出手術以来、大学教授の仕事と癌との闘いを、吉田さんらしく、明るく、そして徹底的に闘いぬき、「癒す力–がんの患者学入門」(2008年12月)を執筆されていましたが、2010年2月帰らぬ人となりました。
 追悼集には、大学関係者、教え子の皆さん、台湾民主運動の活動家の皆さん、そして学生運動以来の友人など、多くの皆さんからの追悼の言葉が寄せられています。 
 本書をご希望される場合、メールにてお知らせください。アサート編集委員会の方で手配させていただきます。(佐野)

全力疾走 全力投球 追悼 吉田勝次さん
  
          「全力疾走、全力投球 追悼 吉田勝次さん」
             2011年9月 吉田勝次さん追悼集編集委員会
             にんげん出版 ¥3000円+税 

 【出典】 アサート No.407 2011年10月22日

カテゴリー: 歴史, 追悼 | 【追悼集のお知らせ】 「全力疾走、全力投球 追悼 吉田勝次さん」 はコメントを受け付けていません

【日々雑感】「山上憶良」を見て来ましたよ!

【日々雑感】「山上憶良」を見て来ましたよ!

 10月9日(日)に奈良100年会館で行われていた「万葉朗読劇山上憶良と遣唐使」を鑑賞してきました。
 憎々しい橋下のハシズムに、いらいらさせられる毎日が続きます。ヒトラーが、知識人の書物を集めて焼き払い、タリバンが、芸術的価値も高い石仏を砲撃破壊し、橋下が、文化芸術活動に対する予算を切り捨て、教育現場をズタズタにし、言うも事欠いて、戦争被害の経験も無い奴が、国家、日の丸の強制を条例化し、公務員(ユダヤ人と想定もできる)を敵視する政策を推し進めている。挙句の果てには、外国資本も誘致して、カジノを創設云々と、日本をバクチ社会にしようと言うのか?全く思いつきの言動、パフォーマンスで私には、あのオウム真理教で悪名を馳せた「あー言えば上裕」を思い起こさせる。
 こういうときには生温い記事をかくことに後ろめたさを感じますが、反対にこういう時だからこそ、文化、芸術に親しみ、自分の精神を浄化し、内面を高めることも必要かと思い、(奈良に)行ってきました。
 会場では、一千人位入れる中ホールが、ほぼ満員で、68歳の私から見ても高齢と思われる、70歳台の人々も多くを占めておりました。人々は、年を取るとやはり人のやさしさや、ぬくもりを求めているんだなあと感じさせられました。
 名優・浜畑賢吉氏が、山上憶良役で朗読、演技をされており、法相宗大本山薬師寺の山田法胤管主のお姿もお見受けしたように思います。
 私が中学3年生だった頃、社会科の先生が、山上憶良の「貧窮問答歌」を朗々と詠じて下さったのを、懐かしく思い起こします。
 出世にのみ貪欲で、ついには貴族の位を得るまでになった憶良が、いつしか人情や慈悲に満ちた作風で知られる歌人へと成長した物語を楽しみ清々しい思いで帰路につきました。最後に、山上憶良の有名な歌を記し、筆を置きます。

 ○憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ それその母も、我(わ)を待つらむぞ
 ○銀(しろがね)も、金(こがね)も玉もなにせむに 優れる宝 子に及(し)かめやも
(2011-10-12 早瀬達吉) 

 【出典】 アサート No.407 2011年10月22日

カテゴリー: 雑感 | 【日々雑感】「山上憶良」を見て来ましたよ! はコメントを受け付けていません

【投稿】増税・原発再稼動を担う民主・野田政権

【写真】9月19日 さよなら原発全国集会のパレードから。
 行進しているのは、呼びかけ人の大江健三郎さん、内橋克人さん、落合恵子さんなど。  
 9月19日 さようなら原発全国集会の詳細は、平和フォーラムHPを参照ください。


【投稿】増税・原発再稼動を担う民主・野田政権

<<「最大限の協力を申し上げたい」>>
 東日本大震災と内外に放射能汚染を拡大し続けている福島第一原発の重大な事故の衝撃によって、菅政権は曲がりなりにも脱原発路線への転換を余儀なくされたが、そのあいまいで弱腰きわまる政治姿勢によって自滅せざるを得なかった。歴史的、あるいは人類的使命がかけられ、なおかつ現実的可能性が今ほど高まっているときはないこの脱原発路線への全面的な転換が、後継・野田政権によってさらに後退させられようとしている事態に対し、厳しく監視することが必要とされていると言えよう。
 野田首相は首相就任後の初会見で、今後の原発については「新たに造るのは現実的に困難。寿命が来たものは更新せず、廃炉にしたい」と述べていたにもかかわらず、9/13の所信表明演説では、「『脱原発』と『推進』という二項対立でとらえるのは不毛」と言い切り、「定期検査後の再稼働を進める」と表明したのである。
 首相就任直後からこの所信表明演説に至るまでの間に、首相は先ず最初に、日本の原発を礼賛してやまず、「再稼働しないと電力不足で工場を海外移転せざるを得なくなる」などと脅し発言を続ける経団連の米倉会長に挨拶に伺い、互いにエールをかわし、米倉氏は浜岡原発稼動中止を契機に一種の断絶状態にあった菅前首相との関係とは打って変わって、野田首相に対しては「最大限の協力を申し上げたい」と応じたのであった。もちろん、「最大限の協力」の対象は、TPP(環太平洋連携協定)推進、法人税減税、消費税の大幅増税、原発の再稼動と輸出促進、そしてこれらを支える大連立等であることは言うまでもない。
 野田氏は、月刊誌『文藝春秋』2011年9月号の「わが政権構想」の中で、「日本の電力不足は日に日に悪化する懸念があります。東日本に加え、関西電力など西日本地域も不足しています。現在稼動している原発は来年四月までには、すべての発電所が定期検査を迎えます。これらの原発が再稼動しない場合、電力の予備率はさらに悪化します。」と、米倉氏と同じ認識をたてにして、「厳しい現実を直視すれば、安全性を徹底的に検証した原発について、当面は再稼動に向けて努力することが最善の策ではないでしょうか。」と述べ、さらには原発輸出についてさえも肯定的な意見を述べている。

<<「潜在的な核抑止力として機能」する原発>>
 そしてこれを後押しするかのように9/7日付・読売新聞は「エネルギー政策 展望なき『脱原発』と決別を」と題する社説を発表した。同社説は、「野田首相は、電力を『経済の血液』と位置づけ、安全が確認された原発を再稼働する方針を示している。唐突に『脱原発依存』を掲げた菅前首相とは一線を画す、現実的な対応は評価できる。」として首相を持ち上げる。しかし、「首相は将来も原発を活用し続けるかどうか、考えを明らかにしていない。この際、前首相の安易な『脱原発』に決別すべきだ。」と述べ、今や国内外問わず圧倒的な多数派に転化しつつある脱原発の世論に、敢えて真正面から棹差し、これに反対の意を表明し、野田首相に対して「脱原発」から明確に「決別」することを迫っているのである。原子力推進派の主張の核心をきわめて意図的かつ政治的に前面に押し出したものである。
 同社説はさらに、「新設断念」は早過ぎる、と題して「野田首相は就任記者会見で、原発新設を『現実的に困難』とし、寿命がきた原子炉は廃炉にすると述べた。これについて鉢呂経済産業相は、報道各社のインタビューで、将来は基本的に「原発ゼロ」になるとの見通しを示した。」「代替電源を確保する展望があるわけではないのに、原発新設の可能性を全否定するかのような見解を示すのは早すぎる。」と警告し、「高性能で安全な原発を今後も新設していく、という選択肢を排除すべきではない。」と忠告する。
 そして最後に同社説のあからさまな本音が吐露される。「日本は原子力の平和利用を通じて核拡散防止条約(NPT)体制の強化に努め、核兵器の材料になり得るプルトニウムの利用が認められている。こうした現状が、外交的には、潜在的な核抑止力として機能していることも事実だ。首相は感情的な「脱原発」ムードに流されず、原子力をめぐる世界情勢を冷静に分析して、エネルギー政策を推進すべきだ。」と結論付ける。
 ここに読売社説は、原発推進の核心となる役割について、「潜在的な核抑止力として機能」する原発、核兵器製造の核心となるプルトニウムを製造する原発、まさにそのような原発を「積極的に評価」する立場をここで鮮明に打ち出したのである。事故があろうが、放射能汚染を撒き散らそうが、そしてたとえ電力が余っていようが、原発推進は核武装と同様の核抑止力として必要なのだという驚くべき主張である。自民党の軍事オタク・石破氏の主張と同一である。読売にとって電力不足は原発推進のお飾り的理由であって、本音はここに集約されている。
 原発推進派でもここまで露骨な主張はできるものではない。それがたとえ本音であったとしても、それは明らかな暴論であり、外交的にも言ってはならないことを公然と吐露してしまったのである。「核の平和利用」は表面上の理由であって、実は日本は核兵器製造を準備万端怠りなく行うために、それが果たす核抑止力のために原発を推進しているという、国際的には許しがたい重大な逸脱行為として糾弾・追及されるべき犯罪的主張である。読売の伝統とはいえ、最大の発行部数を誇る新聞の社説が、守るべき原則を完全に踏み外してしまった、知的常識的抑制さえ効かない程度の新聞に成り下がってしまった、その意味では「画期的」社説である。強まる「脱原発」の流れに不安と焦りを感じた結果であろうが、この本音は見逃すことのできないものである。

<<節電キャンペーンが実証したもの>>
 ともあれ、読売の社説は原発推進・原発再稼動の第一の理由に挙げるのは、表面上は原発停止による電力不足である。同社説は、節電だけでは足りない、として「原発がなくなっても、節電さえすれば生活や産業に大きな影響はない、と考えるのは間違いだ。」と主張する。
 ところが、原発推進勢力にとっては、天気予報ならぬ電気予報や電力予報を駆使したこの夏の節電キャンペーンの結果は、「原発再稼動が絶対に必要」という彼らの意図に反して、実は原発に依存しなくても電力供給は十分に可能であるという現実を見せつけることとなったのである。
 年間で最大発電量を必要とするこの夏、稼動中の原発は11基、日本全国54基の20%にすぎず、少なくともこの時点で43基の原発は廃炉にしても差し支えない、電力不足も十分に乗り越えられるという事態を実際に示して見せたのである。しかも大震災に見舞われた東北電力(全4基)は地震で全基停止、問題の東京電力(全17基)でも地震等で15基停止、稼動しているのは2基、245万kw強のみであった。それでも東電は1,000万kw以上も余力があり、稼働中の東電柏崎・刈羽の2基の原発を停止しても電力供給に不足が生じない事態を実証して見せたのである。そして、中部電力(全3基)、北陸電力(全2基)では稼働中の原発は0であり、稼働中の全国の原発の電力合計は986万kWにしかならず、なおかつ定期検査を迎えて全国でこの年内に5基、来春には残りの全機が停止する予定である。
 なぜそれでは電力供給に不足が生じなかったのであろうか。それは電力独占事業にとって「国策」を理由に自らの懐を痛めずに最も利幅の多いうまみのある原発を24時間稼動させることをベースに、水力・火力発電を調整電力としてしか稼動させてこなかったのが、この非常事態の中で、これまで大半は休ませていた水力・火力を再稼動させれば発電余力は十分にあり、なおかつ原発と違って水力・火力は稼動と停止が容易であり、需要に応じた出力調整が自由自在であることを改めて立証してしまったのである。つまりは、定期検査後の原発の再稼働はすべて不要であり、地域的に不足する事態が予測されても、この間に必要かつ適切な対応をとれば電力供給に不足は生じないのである。もちろんそれと並行的に再生可能エネルギーの促進、他の電力資源の積極的活用を進めるとともに、なによりも独占的事業によって、その豊富な資金提供によって政財界、マスコミ、学会、労組をまで牛耳ってきた電力独占資本を、独占を許さない体制、送電・発電事業の分離と開放をさせることが、電力供給それ自体にとっても重要であることを示している。
 野田新政権が、原発推進・原発再稼動勢力に媚を売り、屈するならば、そして復興再生を台無しにさせるような増税路線を突き進むならば、またもやこの政権も不安定極まりない政権となって漂流する、と言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.406 2011年9月24日

カテゴリー: 原発・原子力, 平和, 政治, 生駒 敬 | 【投稿】増税・原発再稼動を担う民主・野田政権 はコメントを受け付けていません

【投稿】核から今すぐ撤退せよ

【投稿】核から今すぐ撤退せよ
              福井 杉本達也

1 科学に後戻りはある
 「原発をやめると、という選択は考えられない。」「発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは人類をやめろ、というのと同じ」(日経:2011.8.5)と評論家の吉本隆明(40台以下の世代にはよしもとばななの父親といったほうが分かりやすいか)はいう。しかし、残念ながら人類を滅亡させる科学は後戻りさせるほかはない。原発に吉本がいうような「完璧な安全装置を」(同上)つけることはできない。一方は核反応とそれに附随する放射線崩壊であり、数万年・数十万年単位(プルトニウムの半減期は2万4千年)の世界であるのに対し、他方は化学反応であり、生物が生活する数十年単位の世界だからである。鉄(圧力容器)やコンクリート(格納容器)で作られた「完璧な安全装置」も化学反応により錆びたり劣化したりして数十年単位で朽ち果てていく。フィンランドでは10万年間放射性廃棄物を保管する最終処分場を建設中だが、10万年後に人類が生存するかどうかも疑問である(毎日:2011.7.31)。恐竜か「猿の惑星」に管理を託すしかない。要するに管理不可能なのである。

2 熱は宇宙に放出できるが、放射能は地上にたまり続ける
 地球に生命が存在できるのは、大気と水があることによって、太陽からの熱を逃がさないようにするとともに、それが循環することによって、余分な熱エントロピーを宇宙に捨てているからである。ところが、物の場合はどうであろうか。セシウム137やプルトニウム239といった放射性物質は大気や水よりかなり重いため、宇宙空間に余分な物として排出することは出来ず、どんどん地上にたまり続けることになる。今回の福島第一原発事故では広島型原爆30発分の放射能がまき散らされたが、この放射能は今後どんどん減っていくということはない。福島県内の農地の5000ベクレル/kg以上の汚染土壌を深さ5㎝程度削り取るだけで400万トンの廃棄土壌が出る。この土壌はどこへも持っていくことはできない。数百年間に亘り管理しなければならない。まして、1マイクロシーベルト/時を超える汚染された山林は福島県の1/7もあり手の施しようがない。表土をたった5㎝削るだけで1億立法メートルを超える。国はあたかも「除染」によって放射能がなくなるかのような情報操作を行っているが、放射能が消えてなくなることはない。こちらにあった物をあちらへと移動するに過ぎない。福島県を中心として宮城・岩手・栃木・茨城など東日本全体にばらまかれた放射能の総量は変わらないのである。そもそも、広い面積の稲株の残る凸凹した農地をわずか5㎝だけはぎ取るなどということは可能なのだろうか。はぎ取る厚さが増えれば廃棄土壌は大幅に増えるし、作業が杜撰であれば放射能を土壌中に鋤き込んでしまう。自然の浄化作用は放射能には効かない。

3 当初、核エネルギーに驚嘆した科学者
 原子力資料情報室を設立した物理学者の武谷三男は原子爆弾が広島に投下されたとき「私がうけた強い印象は、ついに人類が原子力を解放したということであった。新しい時代が始まったのである。科学者として率直にこの喜びとほこりを感じた」(『素粒子の探求』1965.5.30)と高揚感に満ちた受け取り方をしている。ノーベル賞を受賞した湯川秀樹も「ついに 原子バクダンがさくれつしたのだ ついに 原子と人間とが 直面することになったのだ 巨大な原子力が 人間の手にはいったのだ」(湯川秀樹詩「原子と人間」)と巨大なエネルギーの解放に期待を込めている。しかも、科学者ばかりではなく当時、富山県黒部産の「風邪にピカドン」という置き薬(1包40円)が発売されており(加藤哲郎:2011.9.1)、また、手塚治虫の「鉄腕アトム」(ウランちゃん)やビキニ環礁での原爆実験の衝撃をデザインした「ビキニ水着」の流行など民間でも核エネルギーに対する期待は大きいものがあった。当時、核は発電だけではなく、飛行機や鉄道などの輸送手段や原子力製鉄などへの応用といった幅広い分野での「無限のエネルギー源」の利用が期待されていた。「科学的なエネルギーやさまざまな電気的エネルギーの使用形態がだんだん進んで、核物理の到達点から技術的適応としての核の平和利用に進んでいく歴史の流れの延長上に、日本人が進歩とか発展というものを見ようとした」「一種のバラ色の科学技術未来論」(高木仁三郎『原子力神話からの解放』2000.8)であった。しかし、その『未来論』は核エネルギーの制御のし難さから・放射能の危険性から急速に萎んでいった。吉本隆明は技術の困難さという途中が抜けて、いまだに66年も前の「高揚感」を引きずっているに過ぎない。

4 金儲けのために原爆が落とされた
 核はなぜ1945年8月6日に広島に無警告で落とされたのか。米国の公式見解は「対日戦争を早く終わらせるため」であったとされる。しかし、哲野イサク氏は原爆投下を事実上決定した「暫定委員会」(軍からはスティムソン陸軍長官ら・科学者からはオッペンハイマーらが参加)の議事録から丹念に原爆使用の政策意図を掘り起こし、①ソ連を核兵器開発競争に狂奔させるために、日本に対して警告なしの原爆使用を行った。(日本への原爆使用が「警告なし」に決まったのは、原爆の華々しいデビューを飾るためだった。そしてそれはソ連の目の前で、人口密集地に投下して、原爆を実際に使って見せ、ソ連を恐怖させ、ソ連を原爆開発に狂奔させるためだった)②その政策意図は、ソ連に核兵器開発させて、核兵器を中心においた準戦時体制を構築することだった。③準戦時体制(冷戦)は戦時体制同様、議会(正確にはアメリカ国民)からノーチェックで厖大な投資が予想される原子力エネルギー開発へ予算を注ぎ込むことだと結論づけている(「トルーマン政権、日本への原爆使用に関する一考察」2010.8.13)。ソ連に対する警告とか核抑止力という後付の高尚な理由ではなく、国民の税金を使って新たな基礎研究開発を政府が行う、しかもその基礎研究の成果は排他的に一部の大企業だけが利用できる仕組みを構築する。戦争が終わった後に継続的に予算が確保されるというシステムを作り出すために「軍産学の鉄の結束」を維持するという、自らの金儲けのために人類と地球を危険に曝すことをいとわなかったし、現在もそうしている一部勢力が存在するということである。


5 原子力技術は核武装につなげるものであると公言する読売新聞社説

 9月7日の読売新聞社説は「エネルギー政策 展望なき『脱原発』と決別を」と題し、「日本は原子力の平和利用を通じて核拡散防止条約(NPT)体制の強化に努め、核兵器の材料になり得るプルトニウムの利用が認められている。こうした現状が、外交的には、潜在的な核抑止力として機能している」そのための「原子力技術の衰退を防げ」という。これまでも潜在的核開発能力があるとかを公言する政治家は度々いたが、ここまであからさまな社説も初めてである。先日、燃料交換のための炉内中継装置が落下し復旧作業を行っていた高速増殖炉もんじゅがほぼ事故前の状態に復旧した。なぜ、そこまで作業を急ぐのか。「もんじゅの真の目的は、超軍用プルトニウムを製造することである。そのため、半年に一回燃料を交換する。その際ブランケット燃料集合体の4分の1を交換する。つまり毎年半数のブランケット燃料集合体を取り出し、超軍用プルトニウムを毎年62キログラム生産するように設計されている」(『隠して核武装する日本』槌田敦・中嶌哲演他:2007.11.26)との指摘と社説を重ねるだけで十分であろう。ちなみに超軍用プルトニウムは純度97%以上であるが、もんじゅのそれは99.8%であり2kgもあれば核兵器が作れる。原子力に巣くう勢力は「ムラ」という生やさしい勢力ではない。国民の税金を湯水のごとく使い、自らの金儲けのためだけに人類と地球を危険に曝すことをいとわなない犯罪者集団である。こうした犯罪者集団のこれ以上の跋扈を許してはならない。このままでは人類は核による地球の汚染で死滅してしまう。今すぐ核から撤退すべきである。 

 【出典】 アサート No.406 2011年9月24日

カテゴリー: 原発・原子力, 杉本執筆 | 【投稿】核から今すぐ撤退せよ はコメントを受け付けていません

【投稿】牙をむく橋下・大阪維新の会 反ファッショ統一戦線の形成を

【投稿】牙をむく橋下・大阪維新の会      反ファッショ統一戦線の形成を
元田 隆文

<迫る大阪市長選挙>
11月に予想される大阪市長・府知事のダブル選挙に向けて、橋下大阪府知事を代表とする地域政党「大阪維新の会」は15日、府と大阪市、堺市を再編する大阪都の実現とそこに至る工程表を記した都構想推進大綱、府知事選と大阪市長選のマニフェスト(素案)を公表した。大阪都への移行時期を2015年4月1日とし、都による都市経営権の集中と、民営化、職員数の削減などを特色としている。
「これほどはっきりとビジョンを示した迫力あるマニフェストはない。史上最高だ」と橋下知事は大ミエをきって自画自賛する(維新の会の政治資金パーティーで)。しかし、都構想の内容は従来のものに多少色づけした程度のものでしかない。しかも、それぞれ完成版は10月末とするという。小出しにしつつ、マスコミの報道を煽り、批判的な指摘についてはそれを無原則に取り入れて修正していく、という例のポピュリズムの手法である。
詳細な分析は別途として、ここでは、これらの内容が従来明らかにされたものより一層問題の多い危険なものへと深化していることを指摘しておきたい。また、橋下知事が、自らの政治手法の危険な性格を、より露骨に隠すことなく表明しだしていることにも注意しなければならない。

<矛盾を深める「大阪都構想」>
大阪都構想に関して、この間次のようなことが報道されている。
選挙後、府、大阪・堺両市に「大阪都移行本部」を立ち上げ、知事や市長らをメンバーとする協議会を設け、両市を人口約30万~50万人の特別自治区に分割する。都は、成長戦略や警察、環境、危機管理、雇用対策など、区は、保健衛生や福祉、小中学校教育、防災などを担う。区議会のほかに「ボランティア議員」の役割を担う地域協議会も設置。区議会の定数と議員報酬はより低いコストに抑え、都と区の総職員数は現在の7割以下に。区は中核市並みとし、財源は1000億円規模とし、都区間の財源調整は、都に39%、区に61%に。また、地下鉄、バス、水道は民営化し、大学、病院などは一体経営とする。日銀や参議院など首都機能を大阪に分散するよう要請する。また、府内の市町村の合併も進める、など。
問題は、従来言われてきたことよりも「都に一層権限を集中する」こと、また、特別自治区での格差と市民サービスが切り捨てられる虞について全く解決されていないことである。大阪全域の公立26病院を地方独立行政法人によって一体的に経営するというのは、そのうちの多くの施設の廃止にすら繋がりかねない。他方、海外資本によるカジノなどの大型エンターテインメント施設などの誘致が優先課題に挙げられている。財政の建て直しと行政の効率化という名の下に、都の財源は大規模公共投資に。利権に繋がらないものは、市民のボランティアに。教育、福祉、医療は切り捨てと利権化へ。自治体の使命は、独裁とカネ儲け、そして利権に奉仕すること、と言われても仕方のないものである。

<公務員攻撃の目指すもの>
橋下知事は9月12日の維新の会合で、「大阪都構想」などに反対する大阪市幹部職員を降格させる意向を示し、また、構想実現に参画させる大阪市の幹部候補者を10月初旬をめどにリストアップするよう指示した(各紙の報道)。そして、「「政治に足を踏み込んできている市職員がいる。根こそぎ外しにかかってください」と力を込めた」(9月13日朝日)。「大阪市長選出馬を示唆する橋下知事は早くも、都構想の賛否を巡る市幹部職員の選別に乗り出した」(9月13日毎日)のである。
これに先立ち、維新の会は、5月府議会で、学校行事での「君が代」の起立、斉唱を処分で強制する条例を各党の反対を押し切って強行採決したほか、教育への政治関与を明示する「教育基本条例」や、公務員の「整理解雇」条例の提出を予定している。
これらの一連の公務員・教員への攻撃について、橋下知事や維新の会は、「公務員は、政治家である知事や市長の言いなりに黙って従うべきである」という論理を振りかざしている。これは、市民の公務員に対する不満と妬みに依拠して選挙の票にしようとするためである。同時に、独裁者の国家、公務員に対する本質的な要求が露骨に現れたものと見なければならない。公務員、教員は、国家、自治体に対して忠誠を誓うものではあっても、時々の個別権力者におもねるものではない。法令に基づき、公平、公正、継続性、に立った公務を誠実に行うべきものである。また、公務員といえども政治的な基本的人権は守られるべきものであり、職員組合などが政治的立場を表明することに何らの問題はない。
大阪市職員は、維新の会という一議会会派や別の自治体の長でしかない府知事の言いなりになることは許されるべきものではない。ましてや、現大阪市長の平松氏は「大阪都構想に反対」なのである。橋下知事の発言自体が地方自治の精神や法体系の趣旨に反するのである。
橋下知事、維新の会の狙いは、自らの独裁体制を築くため、公務員を法令に反してまでも、自らの意のままに操ろうとしたい、このために公務員攻撃をしているのである。さすがに、教育基本条例には橋下知事が任命した府の教育委員ですら反対しているという。
付言すれば、維新の会幹部は、経済産業省大臣官房付の古賀茂明氏に出馬要請したという。同氏は現民主党政権をマスコミで公然と批判しており、まさに知事のいう政治的活動をしている典型的な公務員である。自らの言動に矛盾しようが、都合の良いことは勝手に行い、法令や他者の基本的人権は侵害してもかまわない。独裁者的発想である。

<守れ!大阪市の自治>
橋下知事は、前記のパーティーで「世界の大都市と張り合えるトップじゃないと大阪の未来はない。平松大阪市長には退陣していただく」と述べた。現職の知事の発言である。何様であろうか。しかるに、マスコミでは何の批判もなく繰り返し報道されているのである。
大阪市長選挙では、平松現大阪市長は、政党を超えた支持を得るため完全無所属での出馬を予定している。しかし、共産党は渡司考一氏の出馬を決め、また、自民・公明両党は独自候補を立てる予定と報道されている。おそらく橋下陣営有利との判断の下、自らの陣営のアピールだけを考えているのであろう。こうした候補者乱立は橋下・維新の会陣営を有利にするだけであろう。自民・公明の陣営においては、橋下路線がいかに危険なものであるかの認識も薄いのではないかとすら危惧される。いかに国政が末期的状況にあるにせよ、大阪の地方自治と市民生活を守るために、反橋下・維新の会路線という一点で結束し、平松現市長を統一候補として、その再選を期することが望まれる。

【出典】 アサート No.406 2011年9月24日

カテゴリー: 大阪維新関連, 政治 | 【投稿】牙をむく橋下・大阪維新の会 反ファッショ統一戦線の形成を はコメントを受け付けていません

【投稿】大阪府「日の丸・君が代条例」と「橋下主義(ハシズム)」 

【投稿】大阪府「日の丸・君が代条例」と「橋下主義(ハシズム)」 

 橋下徹大阪府知事と大阪維新の会は、6月、学校での「日の丸」の常時掲揚と「君が代」斉唱時の教職員の起立と斉唱を義務化する条例を強行に成立させた。さらに、9月府議会には、複数回の「不起立」を行った教職員を免職にする「ルール」を条例化すると公言している。
 なぜ今、「君が代・愛国心」を強制する「条例」成立を強行しようとするのか。橋下知事は、政治と教育を一体に語り「国際社会は食うか食われるか、競争は絶対に必要だ」「子どもにはしっかり競争してもらう」と主張するなど、教育に政治的なねらいを露骨に持ち込もうとしている。学力テスト競争、エリート育成のための進学指導特色校の推進など、競争と選別の教育を推進している。さらに、教育委員会つぶしと教育の「民営化」を推進し、公教育への責任を放棄している。
 しかし、教育にいっそうの競争と自己責任を持ち込む、新自由主義「改革」は、知事の思惑通りには進んでいない。学力テスト競争のおしつけには多くの教育関係者から反対の声が出され、テスト結果の開示には小中学校校長の9割以上が批判、超エリート校の設置に対しても府立高校校長の7割が反対した。この間橋下知事が強硬にすすめてきた「大阪の教育破壊」に対し、教育現場では校長や教育委員会も含めて、批判と反対の声が広がっている。
 橋下知事はこうした状況を一気に打開するため、教職員と教育委員会を服従させようとしている。「政治に必要なのは独裁」と語る知事。
 「君が代起立斉唱条例に関して、毎日新聞が記者の目と言う記事で『教育現場に強制はなじまない』との主張をしていました。・・敢えて言います。教育とは2万%、強制です」(6月12日橋下ツイッター)
 戦前の教育は、「陛下の御為、皇国の為に死するを名誉」と教え、国民を戦争へとかりたて、「国家有用の皇国民の錬成」を目的に、内心の自由を侵害し愛国心を強制した。「国家のための教育」へ、学問の自由は否定され国策に役立つものだけが真理とされ、人間を国家のための手段とし戦争の道具とした。戦後は、この過ちを二度と繰り返さないため、個人の尊厳を大切にし、教育の目的を「人格の完成」「真理と平和を希求する人間の育成」と定めて、命令・強制の関係を排除した。
 中東での民衆革命は、独裁者を倒し独裁政治を終焉させた。そうした世界の流れに全く逆行しているのが、「橋下主義(ハシズム)」。まさにファシズムである。「選挙によって支持を得た=民意」として、「選ばれた首長」に絶対服従するのが公務員の責務だと強弁する橋下徹。民主主義の理念を「自己流」に解釈し、独裁政治を正当化しようとする橋下徹が、わたしには、第一次大戦後のドイツ国内の混乱に乗じて、「社会民族主義」を標榜しつつ独裁体制を築き国民を破滅の道に引きずりこんで行ったヒットラーに重なって見える。
 今秋、大阪の教育現場はこれまで以上の厳しさが予想されるが、わたしは、独裁者に奉仕する教職員の道を拒否し、これまでと同様、格差社会の下で懸命に生きている子どもたちに寄り添い、地域・保護者の願いに応えられる教職員として生きていく決意である。
                        (大阪府教職員 田中雅恵) 

 【出典】 アサート No.406 2011年9月24日

カテゴリー: 大阪維新関連, 政治, 教育 | 【投稿】大阪府「日の丸・君が代条例」と「橋下主義(ハシズム)」  はコメントを受け付けていません

【投稿】ロシア脅威論の虚構

【投稿】ロシア脅威論の虚構

 8月末から極東に展開するロシア太平洋艦隊などは、カムチャッカ半島などオホーツク海一帯、さらには日本海で大規模な軍事演習を開始した。
 この演習の一環として9月8日、ロシア空軍の戦略爆撃機2機が日本の領空を沿う形で列島を周回飛行し、翌日にはロシア太平洋艦隊の艦艇24隻が宗谷海峡を通過した。
 こうした直近の活動に加え「フランスからの強襲揚陸艦購入と太平洋艦隊への配備計画」「最新型原潜のカムチャッカ半島への配備」「国後、択捉島の兵力増強」といった軍事面での動き、さらにはメドベージェフ大統領以下相次ぐ要人の北方領土訪問などから、ロシア脅威論が再び声高に叫ばれようとしている。
 本誌7月号では、中国脅威論について考察したが、本稿ではロシア脅威論について考えてみたい。

強襲揚陸艦は旧CIS諸国、北朝鮮向け
 ロシアは、フランスから「ミストラル」級強襲揚陸艦4隻を購入する予定となっている。「ミストラル」級は、満載排水量21500トンで、兵員のほか戦車などの戦闘車両から構成される一個大隊程度の部隊を積載し、これらを各種ヘリコプター、上陸用舟艇で、目的地域に速やかに戦力を投入することを目的としている。
 また同級には充実した医療設備があり、こうした機能を生かしてこの間のリビア内戦では避難民保護のために出動をしており、多目的母艦の性格も併せ持つ艦船である。
 ロシアが同級に注目したのは、08年の対グルジア紛争の戦訓からである。北京五輪の最中、旧ソ連領であったグルジアは突如、ロシアへの併合を求める南オセチアに侵攻、ロシアとの間で武力衝突に至った。この紛争は短期間でロシアの圧勝に終わったが、この地域への緊急の兵力展開には大型の揚陸艦が必要との判断から、「ミストラル」級の購入を決定したのが出発点である。
 こうした計画に対し、やはり旧ソ連領であったバルト三国などからは直ちに懸念の声があがった。この動きは欧米諸国に波及しロシアに対する警戒感を高める恐れがあるため、ポポフキン国防次官は「ミストラル級の配備はクリル諸島と、リトアニアとポーランドに挟まれたロシア領=カリーニングラード防衛のため」という見解を明らかにした。
 この発言を捉え日本では、「ミストラル」級配備の主要な目的は北方領土防衛と解釈されたが、紛争が予想される地域ではないカリーニングラードを持ち出したのは、欧州配備を正当化するのが目的である。
 確かに、太平洋艦隊には2隻が配備される予定であるが、「自衛隊に占領されたクリル諸島を奪還しに行く」というシナリオは相当無理がある。北海道から国後、択捉までは指呼の間であるのに対して、対してウラジオストックからは津軽海峡経由の最短距離でも約1500キロである。そして紛争時は当然海峡封鎖がなされるので、津軽通過は不可能であり、宗谷海峡突破も困難だろう。また同級は、最高速力19ノットで対空兵装もさして強力ではないので、護衛艦隊や直掩機をつけなければ、ウラジオを出て日本に接近する以前に撃沈されるだろう。
 さらに同級はフランスの戦略に基づいて建造されているので、主要な活動領域は、同国の旧植民地が点在する地中海やアフリカ沿岸が想定されている。この海域は通年比較的穏やかであり、写真でも分かるようなズングリした船体でも操艦は容易である。したがって黒海での運用はロシアの戦略からしても整合性を持つ。しかし、オホーツク海ではそのようなわけにはいかないのは明らかである。
 日本近海で同級を有効に活用できるのは、実は北朝鮮沿岸である。ウラジオから北朝鮮の羅津、清津までは100~200キロ程度、東部の重要都市である元山まででも、600キロ弱である。北朝鮮が騒乱状態になった場合、避難民の保護を含めて同級はその能力を発揮するだろう。

太平洋艦隊、クリル守備隊は貧弱
 冷戦時代ソ連太平洋艦隊は、原子力、通常動力潜水艦約100隻に加え、重航空巡洋艦(軽空母)2隻、重原子力ミサイル巡洋艦(巡洋戦艦)1隻などが配備されていた。
しかし1980年代以降艦隊の稼働率は著しく低下し、ソ連崩壊以降は欧州方面の北方艦隊が優先された(現役の空母、巡洋戦艦はすべて北方艦隊所属である)。太平洋艦隊は相次ぐ艦船の老朽化に、新規配備はおろか修理もおぼつかなくなり、現在可動できる潜水艦は10隻程度と見積もられている。水上艦艇も、軽空母は退役し、巡洋戦艦も書類上在籍しているものの可動状態にはなく、巡洋艦1隻と駆逐艦若干が実戦力に過ぎない。ロシア帝国の太平洋艦隊は日本海軍により全滅させられたが、ソ連の同艦隊は戦わずして壊滅した。 
 こうした状況の中、ミストラル級2隻、さらには最新鋭戦略原潜「ユーリー・ドルゴルーキー」(艦自体は就役しているものの搭載予定の弾道ミサイルは試験中)の配備をもってしても、ロシア太平洋艦隊の海上自衛隊、アメリカ第7艦隊に対する劣勢は覆うべくもない。そもそもこの原潜配備は、アメリカが進める東欧諸国へのMD(ミサイル防衛システム)配備で、欧州の弾道ミサイル戦力が低下することに対する対応措置である。
 さらには韓国、中国海軍の増強にも神経質にならざるを得ない状況である。(この情勢を利用しているのが北朝鮮である。8月4日ウラジオ訪問を終えた中国艦隊が15年ぶりに元山に寄港した。中国艦隊が日本海に面した港湾を利用できるようになれば、ロシアにとって重大問題である。その後訪露した金正日総書記はメドべージェフ大統領と会談し債務放棄、天然ガスパイプライン建設といった経済援助を取り付けた)。
 国後、択捉島などは戦後冷戦期を通じて、見捨てられた土地だった。配置された兵力も迎撃機30機を含め国境警備、防衛以上のものではなく、とても「北海道侵攻の拠点」という実態ではなかったのである。しかし、プーチン政権下での経済発展はウラル山脈を越え、シベリアを横断しクリル諸島へも波及、島々の資源開発、インフラの整備が進められ、昨年11月のメドベージェフ大統領の訪問に至る。

日露間に緊張なし
 そして、今年5月にマカロフ参謀総長はクリル諸島に関して「陸・海・空すべての面で確実な防衛体制をとる」と表明したが、この流れで冒頭述べた軍事演習について一方的な挑発行為と決めつけることはできない。(もちろん、日本を意識していないわけではないが、気候の安定するこの時期、日本海やオホーツク海での演習は毎年行われている。また同時期、ロシア北方艦隊は空母も参加する大規模な演習を実施しており、ロシアの軍事政策が対日に重点を移したとは言えないのである)。
 今回の演習が「過去最大規模」となった背景には、昨年11月の北朝鮮による韓国・延坪島砲撃事件直後の12月に行われた「過去最大規模」の日米合同軍事演習「キーンソード2010」がある。今回のロシア軍の演習規模(動員1万人)をはるかに凌駕する「キーンソード2010」(動員4万5千人)は北朝鮮対象と言うにはあまりに過大であり、その前段で行われた米韓演習も合わせると、ロシア、中国を非常に刺激したものとなった。
 ロシア軍の演習に対し日本政府は懸念を表明したが、ロシア政府は「演習目的はカムチャッカ半島東方の大陸棚の権益を守るため」と説明し、無用な摩擦は避けた。また演習終了後太平洋艦隊の一部は、舞鶴に寄港し海上自衛隊との海難救助演習を実施、さらにグアム沖で米第7艦隊との合同演習にも参加する予定となっている。
 さらに椿事の類であるが、8月21日、一人でサバイバルゲームをしていた琉球大学生のゴムボートが国後島沖に漂流、一時ロシア側に身柄を拘束される事件があった。件の大学生はモデルガンやGPSを所持しており、韓国、北朝鮮の38度線付近のような緊張状況にある場所で発生したなら、射殺されていても不思議ではなかっただろう。これが笑い話ですんだのは、この海域がロシア軍の演習開始直前であるにもかかわらず、「緊張の海」ではなかったことの証左ではないだろうか。
 2010年2月に改訂されたロシアの「軍事ドクトリン」では、NATOを名指し、その東欧への拡大を軍事的「危険」と位置づけ、さらにMD配備、大量破壊兵器の拡散などを列挙し、核兵器使用のガイドラインを明らかにしている。この「危険」のなかには「領土要求」が挙げられているが特定の国は示されていない。また差し迫った軍事的「脅威」としては領土内での非合法軍事組織の形成や挑発目的の軍事的デモンストレーションなどが示されている。
 すなわち、ロシアの軍事的関心は外にあってはアメリカ―NATOの動向、内にあっては、チェチェンなどの武装勢力の活動であり、ソ連時代の陳腐化した兵器とシステムの更新である。
 極東への関与強化は、経済発展とそれを支える地下資源の確保が主要目的であり、軍事行動の活発化はアメリカそして、中国も視野に入れたものであることを見ておかなければならない。そしてアメリカさえ放棄した「2正面作戦」を行える能力はロシアにはない。
 現在、クレムリン指導部の最大の関心事は、来年の大統領選挙とその行方を占う今年年末の下院議員選挙である。大統領や首相の発言やパフォーマンスもそれを意識したものとして見ておく必要がある。
 ロシア情勢の的確な分析能力の無い外務省(大統領の北方領土訪問について当時の駐露大使は直前まで「ありえない」と公言し、菅前総理の怒りを買い更迭された)と、脅威を過大に見積もる防衛省の言いなりでは、「寸土も譲らず」の野田新政権での日露関係の改善は望めないだろう。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.406 2011年9月24日

カテゴリー: 平和, 政治 | 【投稿】ロシア脅威論の虚構 はコメントを受け付けていません

【追悼】横田三郎先生 一周忌に寄せて

【追悼】横田三郎先生 一周忌に寄せて
   —忘れられない先生のご恩—
                八尾野 広

市大文学部入学当時の私は、実は教育学科ではなく国文科を志望していた。万葉集や記紀歌謡に関心があり、高校の古典担任の先生から、市大には古代文学研究で有名な教授が居る、と聞いていたからであった。しかし国文科には志望者が多くレポート選考となった。著名な教授による文芸講話のような講義をすぐに受けられるものと勝手に想像していた私は、与えられたレポートのテーマが余りにも非文学的で瑣末実証主義的なものに感じられてすっかり幻滅し、早々と国文科を諦めてしまった。
そこで、部落研の先輩の誘いもあり、横田先生が指導教授を務められていた教育学科に転科を申し出た。ドブロリューホフの研究者である横田先生の指導を直接受けられるという魅力はもちろんだが、学科活動が盛んであった事もその理由の一つであった。
先生のゼミでは、テキストにドブロリューホフの著作の英訳本が使われた。先生は既に立派な和訳を出版されていたので、なぜそれを使わないのですか、と聞くと、先生は「言葉を自分で調べ、訳しながら学ぶことで一層その意味を深く知る事ができる。自分も英訳本から学んだ。学問とはそういうものだ」と言われた。
先生の講義の中で特に印象に残っているのは、教育における「体罰」に対する厳しい批判、否定であった。それは暴力であり、教育の放棄と教師の敗北である。それはまた、強制的で軍隊的な規律によって子供を支配する反動思想である、と強調された。私は教員にはならなかったが、この言葉はその後地域で同和教育の取り組みを進める上で、また自分の子育ての過程で何度も思い出して自らを戒めた。
このように先生の教育思想と人柄にも触れられる有意義なゼミではあったが、学生運動に走り回っていた私は、家にもあまり帰らず、予習を含めてちゃんと勉強する時間を持てなくなり次第にゼミから足が遠のいてしまった。私が大学で生きた学問を学ぶ数少ない貴重な機会を自ら放棄したことを今も悔やんでいる。
もうひとつ、先生には個人的なご恩がある。当時、教養課程の必修単位の一つにデューイの「学校と社会」をテキストに使った別の教授の授業があったが、教条的なプラグマティズム批判に藉口して、これもさぼり続けて出席日数が足りず、単位授与のための救済策として小論文提出を担当教授から命ぜられた。
窮余の果てに山本晴義さんのプラグマティズム批判を丸ごとなぞった様な文章を一晩で書いて提出したところ、教授からは「こんな内容は授業で教えていない、書き直すように」と言われ、私はそれを峻拒した。直後に横田先生がわざわざ連絡を下さり、「君の思想信条は分かるが勉強は別だ。僕が取りなしてやるからとにかく書き直して単位を貰え」と叱責を頂いた。しかし既に大学での勉強そのものに価値を見出せなくなっていた私は、先生の折角のご配慮を無駄にし、論文の再提出をせず、結果、卒業も諦めてしまった。
思えば余りにも無意味な抵抗であり、サボり学生のたわ言であった。今思い出しても汗顔の至りである。(余談だが、最近の人権教育の中でもプラグマティズムの方法論と共通するような体験型、参加型の取組が多く取り入れられている。この評価も誰かに聞きたい)
その後、何度か先生にお会いするたびに「卒業はしたのか、どうしてるんや」とご心配を頂いた。最後にお目にかかったのはもう10数年も前、大阪市内のホテルでの会合の帰りにロビーでばったりお会いした。私が上田卓三代議士の秘書をしていることを報告し、その時ご一緒だった上田夫人を紹介した。「おおそうか、上田さんは大事な人やからしっかり支えるように」と励ましを頂いた。その時の温顔を思い出しながら、遅ればせのお礼と共に、改めて横田先生のご冥福を祈るばかりである。先生ありがとうございました。

(写真は、2008年5月佐野が同窓生と高槻市の先生宅を訪問した際に写したものです。)

【出典】 アサート No.406 2011年9月24日

カテゴリー: 追悼 | 【追悼】横田三郎先生 一周忌に寄せて はコメントを受け付けていません

【日々雑感】ある日の親子の会話 

【日々雑感】ある日の親子の会話 

 先月という古い話で申し訳ないですが、8月8日の夕食時だったと思います。息子が、「お父、今日のテレビ番組で、竹中平蔵が出てたよ。」と言いました。息子は、私が常日頃から、小泉純一郎に協力して、毎年自殺者3万人を越える社会を生み出した竹中批判を耳にしていたから興味を持っていたのでしょう。
 私は、「その番組で、竹中は、どういう事を言ってたのや?」とたずねた。息子曰く「原子力発電は、日本の復興に、必要不可欠なものだというような事を言ってたよ。」とのことでした。私は、あきれてしまって「まだそんな化石みたいな事を言ってるのか?そんな人間が慶応大学の教授とは情けないなぁ、慶応大学には金子勝というようなりっぱな教授もおられるのになぁ。」と言っておきました。さらに話が進んで、今回の原発事故に対して、東京電力のとった態度、対応に話が及びました。何と国民を愚弄した企業集団なのだろう。世界に向けて、放射能をたれ流し、企業防衛の為なら、言う事を、コロコロと変えて恥じないという、こういった会社が未だに存在していること自体が問題だと思いますが、犯した罪の後始末は、可能な限りさせなければならないのは当然でしょう。
 故平井憲夫氏が予言されていたように、東電の杜撰な原発運営や、国の原子力行政が引き起こした今回の原発事故を思う時、これはその形や表れ方こそ違え、ある意味ではファシズムではないかと思います。
 私が20代、30代の頃読んだ、ゲオロギー・ディミトロフという人の著作で「反ファシズム統一戦線理論」という書物がありますが、その中でディミトロフは、「ファシズムの本質とは、それは一言で言うならば、金融資本そのものである。」と述べております。私はこの歴史的名言を胸に抱いており、物事の判断は分からなくなった時、いつもこの原点に返って考えるように心掛けております。今回の原発事故とファシズムを結びつけるには、何かこじ付けみたいで、少し無理があるかも知れませんが、巨大電力資本や、経団連等の原発推進資本が引き起こした惨事と言えるのではないでしょうか。そして必要以上に「日本、日本、日本は一つになれるんだ。」と煽り立てるのは何なのでしょうか。
 そして私が、もう一つ腑に落ちないし、どのメディアも取り上げようとしないし、新聞に一行たりとも載せようとしないのは、あのプロ野球楽天の星野仙一監督のことです。彼は、東北大震災以前までは、さんざんテレビやマスコミで、原発推進のCMに出ていたではないか。
 それが震災以降は、CMにはピタリと出なくなったし、楽天の監督として、現地では大歓迎で迎え入れられている。マスコミも、彼が示し合わせたかのように、彼の不利な点は書かない。これは何なのでしょうかね。私がもし彼の立場だったら、先ず東北の人々に、誤ったCMに出たことを詫びた上で、監督に就任しますがねえ。それが人としての道筋だと思います。八百長相撲ではないが、これでもし楽天が、今年と言わないまでも、ここ2・3年で日本一にでもなれば、現地は沸くだろうし、再び「日本、日本」の大合唱が起こることになる。舞台装置は整っているように思うし、背後でそういう資本の力が働かないことを祈るしかありません。何でもがファシズムへの道への地ならしになるのだということを、身近な事柄から注意して見ていかなければならないと思うと同時に、この度のマスコミ、メディアの情報取扱いの不公平さを感じた次第です。(2011-09-17早瀬達吉) 

 【出典】 アサート No.406 2011年9月24日

カテゴリー: 雑感 | 【日々雑感】ある日の親子の会話  はコメントを受け付けていません

【投稿】菅政権最後の仕上げ—泊原発運転再開強行がもたらしたもの

【投稿】菅政権最後の仕上げ—泊原発運転再開強行がもたらしたもの

<<ダブルチェックの茶番>>
「脱原発」を掲げたはずの菅政権が、政権崩壊間際に最後に行ったことは、定期検査中であった泊原発3号機(北海道泊村、出力91・2万キロワット)の運転再開の強行であった。8/17、「脱原発」をないがしろにし、骨抜きにすることにその存在意義をかけている経済産業省は、5ヶ月間にもわたる違法・異常な定検中のフル稼働・調整運転をしていたこの泊原発3号機の定期検査終了証を北海道電力に交付し、北電は直ちに3号機の営業運転に移行したのである。
この運転再開には世論を欺く虚虚実実の裏取引・仮面劇が行われていた。海江田経済産業相が北海道の高橋はるみ知事に対し、知事が容認するまで営業運転の再開を認めない方針を伝える一方で、経産省原子力安全・保安院が8/9、道の判断を待たずに北電に定検の最終検査を受けるよう指導、これに北電が直ちに応じて最終検査を申請。このようなやり方に対し、自民推薦・経産省出身の高橋知事が表面上は「地元軽視で、甚だ遺憾だ」と強く反発。この反発を受け、海江田経産相は8/10夜、北海道の高橋知事に電話、「道の判断は大切なので待ちたい。数日くらいのうちに結論をいただければ」と伝え、高橋知事は「大臣の申し入れを踏まえて、道としての考え方をできる限り早く集約する」と答える。一方、経産省原子力安全・保安院は、8/9~10に行った最終検査で、特段の問題はなかった、調整運転の長期化についても、影響はなかったと報告。そして内閣府の原子力安全委員会は8/11、原子力安全・保安院が最終検査の結果、問題はなかったとした報告を了承。8/16、高橋知事は道議会・特別委で、経産省原子力安全・保安院に加え、原子力安全委員会が特例措置として検査結果をチェックしたことは「安全性確保の観点から評価できる」と強調、8/17、高橋知事は海江田経産相に電話で営業運転再開を容認することを伝え、これを受け、経産省原子力安全・保安院の原子力発電検査課長が同省で、北電の東京支社長に終了証を手渡した、という構図である。それぞれの立場を仮面にしているが、みな同じ穴の狢である。
高橋知事は安全性の判断について、最終的に「原子力安全委員会によるダブルチェックによって安全性が確認された」ことを根拠にした。ところが8/11に開催されたという原子力安全委員会の実態は、泊3号機の運転再開に関する議論はわずか15分、班目委員長は、安全委員会としての判断はしないとはっきりと公言。「定期検査は原子力安全・保安院でしっかりやってもらうことになっている」「保安院が報告したいと言ってきたので議題にあげただけだ」と開き直る始末。あきれたものである、ダブルチェックなど初めからする気もなければ、そもそもチェックする体制など組んでいないのである。その存在もしなかったダブルチェックを根拠に「安全性が確認された」と言い放つ。何という恥知らずで、無責任極まりない茶番であろうか。

<<「犯罪」意識の欠如>>
高橋知事は、10km圏内の利権まみれの地元4町村の合意を得たとしているが、「原発立地による地方交付金が232億円も泊村に落ちているんです。そのおかげで、漁業しかなかった過疎の村は道内でももっとも裕福な自治体になったのです。医療費は無料、子ども手当ても国からとは別途支給、ゴルフも無料、村民は、道内でももっとも裕福な生活を送ることができるのです」(8/15、北海道UHBキャスター大村正樹氏)という原発立地町村との合意であり、それ以外の、10km圏外の蘭越町、ニセコ町、余市町等は、知事から情報さえ伝えられず、30キロ圏9町村の合意もえず、原発から60キロメートルしか離れていない人口192万を抱える大都市・札幌市は合意の対象外であり、周辺自治体との協議・参加もないままの営業運転再開の容認であった。しかも北海道電力はこの5月に、東日本大震災後では全国で初めて、プルトニウム・ウラン混合酸化物燃料(MOX)の検査を経産省に申請、2012年度までに泊原発3号機での危険極まりないプルサーマル計画を強行しようとしている。
いずれにしても、3・11の福島第1原発事故以降、検査中の原発が営業運転を再開するのは初めてのことである。菅首相自らが求めていたストレステストやあるいはダブルチェック、イタリアのような国民投票、住民投票もなく、ドイツのような8基の原発の即時運転停止を含む期限付きの段階的全面的原発廃棄計画もなく、ただただ原発推進勢力の圧力に屈して、いきなり営業運転の再開を決めたのである。定期検査中の原子力発電所で営業運転を再開したところは一つもなかったのであるから、原発推進勢力はこれを小躍りして喝采し、さらに攻勢を強めてくることは必至である。
福島第1原発の事故はいまだ収束していないばかりか、いつさらなる汚染拡大が起きてもおかしくない状況にありながら、事故の実態も小出しにしか明らかにされず、もちろん事故の検証も終わっていない中、なおかつ放射性汚染物質を海洋に、大気に放出し続けている状況にありながら、日本はどの国よりも早く原発再開への道に踏み出してしまったのである。脱原発への歴史的転換点にありながら、そして巨大地震の活動期のさなかに日本がおかれており、その中で原発を運転し続け、破産したことが明瞭な核燃サイクル事業やもんじゅにいまだに大量の膨大な資金と資材、人材、資源をつぎ込むことは、国内のみならず、国際的「犯罪」であるという意識が根本的に欠如しているとしか言いようがない事態である。

<<評価と相反する不支持>>
こうした事態からの根本的転換を図ることこそが、民主党政権に課せられた歴史的使命であったはずであり、今なおそうであるといえよう。しかし菅政権は、まったくそれに応えることができなかった。
8/8発表の朝日の世論調査によると、脱原発依存を表明した菅首相の発言を「評価する」人々が61%もあるのに、内閣支持率はさらに低下して14%となったのである。共同通信が7/23,24両日に実施した世論調査においても、菅直人首相が表明した「脱原発」方針に対し、「賛成」は31・6%、「どちらかといえば賛成」が38・7%で計70・3%も占めたのに、内閣支持率は17・1%と前回より下落し、発足以来最低となっている。いずれも「脱原発」には賛成だが、「菅直人」には、あるいは菅政権には反対、支持できないという声が鮮明に示されている。そこには菅首相の騙しとペテンを横行させるような政治的駆け引きの低劣さに多くの人々が気付き、これでは成るものも成らないと感じていることの反映でもあろう。なによりも菅首相には一貫した政治的信念が基本的に欠落しており、その時々の課題を敏感に利用はすれども、戦術的であって、戦略的一貫性に常に欠けていることに根本的欠陥があることを人々は察知したのである。
そして脱原発に関して言えば、むしろ、菅首相が脱原発を叫べば叫ぶほど、その具体的政策は曖昧もことなり、抜け穴だらけ、一貫性も、政策の連続性も連関性も計画性もなくなり、結果として旧自民党政権時代の原発推進政策に逆戻り、あるいはせいぜいのところ若干の手直しをした程度にしか過ぎない事態を現出させている。つまりは、菅政権である限りは、原発震災が突きつけた時代の要請であり、歴史的かつ人類的課題でもある脱原発政策への全面的根本的転換は不可能であるという事態を、菅政権自らが創り出してしまったのである。
しかしポスト菅をめぐる民主党の現状は、この程度の菅政権の脱原発政策でさえ、明確な態度表明すらできない候補者がほとんどという情けない状態である。増税と緊縮財政路線に拘泥したけちけち、ちまちま路線から脱却し、発送電分離と自然エネルギー活用、原発の段階的計画的停止と廃炉を柱とした大胆な脱原発のニューディール路線、それと密接に連関した大規模な復興路線、そして緊急に必要とされる放射能汚染を除去する緊急対策と恒久的除染対策、これらがしっかりとした一貫性のある基本政策として提起されるべきであろう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.405 2011年8月27日

カテゴリー: 原発・原子力, 政治, 生駒 敬 | 【投稿】菅政権最後の仕上げ—泊原発運転再開強行がもたらしたもの はコメントを受け付けていません

【投稿】「脱原発」=「再生可能エネルギーの導入」ではない

【投稿】「脱原発」=「再生可能エネルギーの導入」ではない
                             福井 杉本達也 

 「脱原発」と「再生可能エネルギーの導入」がセットで語られているが、両者を結び付けるには大きな論理的飛躍がある。「脱原発」は人類にとって正しい選択である。なぜなら、①核エネルギーの制御は不可能であり、事故時には膨大な人的・物的損害を発生するからであり、②放射性廃棄物の処理ができないからである。しかし、そのことが「再生可能エネルギーの導入」と=(イコール)で結びつくものではない。

1 経済成長至上主義
 「再生可能エネルギー」の旗頭・環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長は「人類が永続的に豊かな文明を営んでゆくためには、再生可能エネルギー資源を再生可能な範囲で利用する文明へと移行するほかに道はない」とし、「自然エネルギーは人類史で農業・産業・ITに次ぐ『第4の革命』と呼ばれるほどの急成長を遂げつつあり…グリーン経済は10年後には10倍の200兆円を超えると予想されている」(「原発依存社会からの離脱」『科学』2011.7)と煽っている。2007年の日本の自動車産業の製造品出荷額は57.2兆円でGDPの20%を占める巨大産業である。日本が額で世界の1/4を生産しているとして、その自動車産業にも匹敵するというのである。そもそも、米国債の評価が格下げされドルが不安定化しているのは、実体経済が成長していないにもかかわらず、見かけの成長を維持するため、無理に供給力を膨らませようとITバブルを煽り、住宅・土地の投機を煽り、最後にはサブプライム・ローンといった紙屑までにも手を出して、ついに膨らみきった経済が行き詰まり、その不良債権補填のため国家破綻に直面しているからではないのか。200万円もする太陽光発電や億円単位の風力発電が自動車や家電のような裾野の広い消費を生み出すとは思えない。生活を便利にする商品でも・居住環境を改善する商品でもなく、単に電気を生み出す装置にすぎない。既にスペインの太陽光発電は補助金をカットされた(買い取り価格の大幅削減)途端にバブル崩壊している(山口光恒「太陽光発電 スペインの教訓―固定価格買い取り制度の光と陰」『ECO』2011.4.8)。

2 電力で社会のシステム全てを動かすことはできない
 再生可能エネルギーも原発と同様、電力を生み出すだけである。日本の燃料種別最終エネルギーの消費に占める電力の割合は20%である。最終エネルギーの60%は石油が支えている。社会のシステム全てを電気で動かすということを具体的にイメージすれば、オール電化=ガス湯沸器ではなくIHや電気温水器であり、ストーブではなくエアコンであり、ガソリンエンジンではなく電気自動車であり……。しかし、コークスを使用する溶鉱炉やセメントを製造するクリンカはどうするのか。電気でジェット機を飛ばすことはできないし、ロケットも飛ばすことはできない。身の回りを離れて少し社会システム全体を見回せば化石燃料なしには現代社会が存続不可であることは目に見えている。

3 再生可能エネルギーは本当に無限のエネルギーか
 確かに、太陽光は太陽から地球全体に降り注ぐので、元手はゼロである。しかし、太陽光発電装置はシリコンなどの工業製品の塊である。工業製品を製造はむろん廃棄するにも多大なエネルギーを必要とする。現状の太陽光発電単価は1kWhあたり、40~50円である。これは石油火力(10円/1kWh)の4~5倍である。単価が高いということはそれだけ製造工程でエネルギーを食っているということである。安い中国製品も大量に輸入されていることから考えると今後劇的に単価が下がることは考えにくい。
 さらに問題は相手が自然なだけに発電量の予測が不可能だということである。太陽光発電は天候により出力が大きく変動する。風力発電も短い周期で激しく変動する。このままでは電力会社の送電網に直接系統連携することは困難である。出力の平滑化のためには蓄電装置を併用する必要がある。風力発電のような大規模発電では蓄電装置も相対的に安くなるが、太陽光発電の場合には60万円/kWhの蓄電池を取り付ければ単価は100円以上にもなってしまう。(参照:近藤邦明「脱原発は科学的な必然」2011.5.11)。
 電力の問題は溜められないことにある。発電=即消費である。原発も揚水発電とセットでなければ機能しない。原発は出力調整が極めて難しい(危険である)から100%出力で運転し、夜間の余剰電力は揚水発電に水の位置エネルギーとして溜めておくのである。原発の発電単価は8.64円/kWhで火力発電の9.8円/kWhよりも安いように見えるが、原発と揚水発電をセットで考えると10.13円/kWhとなり高くなってしまう(立地費用や放射性廃棄物費用を含めればさらに高くなる。大島堅一:『再生可能エネルギーの政治経済学』2010.3.11)。電力を安く(エネルギー損失を少なく)大量に溜めることができればエネルギー問題はほとんど解決してしまう。しかし、きわめて難しい。

4 脱原発の本命は天然ガス
 8月19日、寒冷前線が日本列島を南下し、今年の猛暑も一服という気象庁の解説である。散々電力会社や政府・マスコミは電力不足を煽ってきたが、原発がなくても電力需給は安定していることが実証されてしまった。電力業界は、ここへ来て、LNG火力の増設計画を相次いで発表した。北陸電力は富山にガスタービンと蒸気タービンを組み合わせた最新鋭のコンパインドサイクル(GTCC):40万kWの発電所を(日経:7.28)、東電は鹿島に80万kWのガスタービン発電所を1基建設する(日経:7.30)。この動きは既に4月から始まっていたもので、東電では千葉県内の姉崎、袖ヶ浦、千葉の3火力発電所の施設内でガスタービンなどの発電設備を新設し計120万kWを上積みしており(日経:4.16)、また、電力会社以外でも大阪ガスは2020年までに電力供給を2倍の600万kWとする計画を発表している(日経:8.12)。特にGTCCの熱効率は50~60%と原発の2倍、工期は2,3年、費用は1/20の200億円、CO2排出量も石炭火力の半分であり、原発のように全く出力調整が出来ない電源とは異なり運転の立ち上がりも早く最大出力まで1時間しかかからず変動する電力の需給調整をしやすい(『東洋経済』2011.7.9)。しかも、天然ガスは米国が2000年代半ばから岩盤の中に封じ込められたシェールガスを取り出す技術を開発し、それまで石油と連動してきた天然ガス価格は大幅に値下がりする傾向にある。米国を供給先として開発してきたカタールの7700万トンの天然ガスなど市場はだぶつき気味である(参考:上記『東洋経済』及びJOGMEC調査部 伊原賢「シェールガスのインパクト」2010.5)。
 日本の1次エネルギー源に占める天然ガスの剖合は17%で、主要国平均の24%と比較すると異常に低い。これは電源として原発を優先してきたこと、一旦液体化して船で輸入せざるを得ないLNG中心であり原油価格連動の相対取引であることが大きい(それだけムダなエネルギーを投入しているので高くなる)。これを、ロシア・サハリンから北海道経由のパイプラインで輸入すれば価格は大幅に低下する。そうすれば日本も、ロシアから天然ガスを輸入し一次エネルギーの需給を安定化した上で「脱原発」をめざすドイツ・イタリアと初めて同一線上に並ぶことが出来る(ドイツ・イタリアが「脱原発」を宣言できたのは、電力に占める再生エネルギーの比率が高いからではない。これまでの確固とした一次エネルギーの戦略があるからである。それは1970年代のヴィリー・ブラント首相の「東方外交」以来の蓄積である。またドイツは国内炭坑を残している。)。また、中央アジア(カザフなど)からのガスパイプラインとロシア・シベリアからの石油パイプラインによって一次エネルギーの安定供給をめざそうとする中国とも肩を並べることが出来る。
 しかし、このことは同時に日本がこれまでの海洋国家よりの姿勢から大陸国家よりをめざすことである。当然、米英アングロサクソン石油金融帝国主義からの強い反撃を受けることとなろう。しかし、日本が原発から、核の脅威から抜け出すためにはこの方向しかない。「再生可能エネルギーの導入」という言葉は、こうした明確な方向性を攪乱するためのマヌーバーではないのか。

5 「科学技術」の“成功体験”神話を引きずる
 原爆開発を目的に進められたマンハッタン計画は莫大な開発費(当時の金額で19億ドル)と、著名な物理学者のロバート・オッペンハイマーやニールス・ボーア、エンリコ・フェルミ、ジョン・フォン・ノイマンら大量の第一線級の科学者・技術者6700人を投入し、開発目的(ジェノサイド兵器の開発)と開発スケジュール(当時、トルーマン大統領はチャーチル首相の再三の督促にも関わらず1945年7月16日のトリニティ実験成功日まで日本とドイツの戦後処理を話し合ったポツダム会談の日程を1か月以上も引き延ばした)が明確に定められた。そのプロジェクト主義の“成功体験”が『科学技術』(Innovation in science and technology)という言葉に代表されるように科学の成果が直接技術に繋がる=基礎科学への資金投入はそれなりの期間を経て技術的成果につながると考えられることとなった。「人間は技術を使って最終的にあらゆる存在を制御できるようになる」という盲信を生み出した。そして、核エネルギー=無限のエネルギーの利用=自然条件の制約からの解放=永続的な経済成長という幻想を追いかけてきた。しかし、今回の福島原発事故では放射能を国土に・地球環境にまき散らし、膨大な被害なしに無限のエネルギー利用などあり得ないことを思い知らされた。
 飯田氏は「東北2020年自然エネルギー100%プラン」の中で、現在、1840万kWの東北地方の電力設備を、327万kWの原発のみならず、LNG火力587万kWを含む化石燃料1025万kWをも全廃し、全て太陽光・風力などの自然エネルギーに置き換え、2020年には倍増の3700kWにするという復興プランを打ち立てている(飯田:同上)。ここには「科学技術」の未来に対する驚くべき楽観論と無責任さが同居している。おそらく耕作放棄地に太陽光発電を林立させるプランであろうが、福島原発事故後を考えるとき、核に汚染されてしまった東日本の未来を考えるとき、このような楽観論が許されるのか。さらには「再生可能」という言葉にも無限のエネルギーによる倍増・倍増の永続的な経済成長を図ろうとする経済成長至上主義の古い臭いがつきまとっている。 

 【出典】 アサート No.405 2011年8月27日

カテゴリー: 原発・原子力, 杉本執筆 | 【投稿】「脱原発」=「再生可能エネルギーの導入」ではない はコメントを受け付けていません

【投稿】「橋下・維新」の野望を打ち砕こう! 

【投稿】「橋下・維新」の野望を打ち砕こう! 

 今年4月の統一地方選挙、大阪府内は橋下知事率いる「大阪維新の会」が、圧倒的な強さを見せて席捲した。府議会で過半数を獲得、大阪市会でも議席を倍増した。
 そして、この秋、任期満了に伴う大阪市長選挙が11月27日に予定されており、橋下知事は、自ら知事を辞任して(知事任期は、来年2月)、大阪市長選挙立候補に意欲を見せており、「大阪秋の陣」の幕は切って落とされている。

<君が代条例を可決>
 過半数の力を持って、大阪維新の会議員団は、何をしたのか。6月には、他会派(自民・公明・民主・共産)の反対を押し切って、「君が代条例」を強行採決した。公共・教育施設での日の丸掲揚と公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務づけるという内容であり、全国初であるらしい。これが教育現場にとって、今もっとも必要な施策であると考える維新の会の面々の「教育観」を疑うしかないわけだが、起立斉唱(職務命令)に従わない教員には処分を行うという、次の「条例案」につながっていく。
 
<免職含む罰則規定盛り込む服務規律条例の制定>
 次の府議会・市議会に維新の会が議員提案しようとしているのが、「職員基本条例案」と「教育基本条例案」である。
 橋下は、「公務員が身分保障されていることに、市民の反発は強い」として、職務命令に3回違反した職員は免職などの内容が含まれ、市民の理解は得られると発言している。
 教育基本条例案の主な内容は、大阪府立、大阪、堺両市立校の校長を全員公募し、予算権や採用権を与える。正副校長を条例制定後5年以内に任期付き採用に切り替える。知事らが、教育委員会と協議のうえ「目標」を設定、教育委員が実現の責務を果たさない場合、議会の同意で罷免(ひめん)できる。入学者数が3年連続で定員を下回った府立高は、改善の見込みがなければ統廃合する。同じ職務命令に3回違反した職員は免職とする、などの内容になると報道されている。自治体職員への「職員基本条例案」も、同様の内容になるわけだが、8月22日には正式発表される予定である。
 
<多数を頼りの思想なき迎合>
 橋下は、「普通に仕事をしている職員にはほとんど影響はない。本当にだめな、ごく少数職員に適応されるだけ」と説明・弁解しているが、二つの面で批判する必要がある。
 まず、教員を対象とした条例だが、筆者の立場は、日の丸・君が代反対の立場だから、我が子の入学式でも起立も斉唱もしなかった。その上での話だが、ここまで教育に介入する必要があるのか、という点である。今求められる教員の質や力は何か、という点がすっぽり抜け落ち、君が代問題だけを焦点化している。職場に規律が必要だという論点から、その点だけで、教員を排除することを可能にすることになる。職務命令に3回従わなかったら免職、というのも、わかりやすいように映るが、そんな簡単なことか。
 民間のように余剰人員を解雇できる、それを公務員にも適用するんだ、とこれも聞こえがいいが、どこの自治体も退職者の完全補充をしている話は聞いたことがない。非正規労働者が職場に溢れているのが現実である。
 
<宙に浮いた「大阪都構想」> 
 統一地方選挙の際の維新の会のメインテーマは、「大阪都構想」だった。具体案もプログラムも何もない代物だった。今になっても、選挙の時以上の内容は明らかにされていない。おそらくできないのだろう。吹田や守口で市長選挙にも手をだした維新の会だが、当選した維新派市長は、大阪都構想について消極的である。基礎自治体が、どうして大阪府(都)に、拠出しなければならないのか。関空はじめ大阪府のプロジェクトはほとんどが失敗ではなかったのか。大阪市を批判できる立場ではない。
 こうして宙に浮いたままの大阪都構想だけでは、失速しかねない「維新の風」を、またもや「公務員批判」で乗り切ろうとしている、過半数にあぐらをかいた「思いつき政策」ではないかと思う。
 
<現在、神経戦の大阪市長選挙>
 大阪市長・大阪府知事の「ダブル選挙」は、3ヵ月後に迫ってきた。現職の平松大阪市長と橋下知事は選挙を意識して、事ある毎に対抗的に対応し、前哨戦の様相である。関西電力の筆頭株主である大阪市が、節電の必要を呼びかければ、橋下は節電の必要はない(後に節電に修正)、平松市長が区毎の区政集会を開催すれば、橋下・維新陣営も同様の区民会議を開催するといった具合である。
 旧WTCを大阪府が買い取り、「大阪都」庁舎・大阪府庁舎にすると橋下は考えていたが、先の東日本大震災で見事に被災し、修復費用が多額に上った他、大阪府庁舎を旧WTCに移転する案も、防災の専門家会議で否定されるなど、橋下知事の「思いつき施策」は、中々日の目を見ていない。大阪市が役人天国で赤字を垂れ流しているとの批判も、大阪府の方が一向に赤字が減らず、将来負担比率では大阪市の方が改善が見られる事実など、具体論では、橋下の大阪都構想には、疑問符が付く内容であることは、先に述べた通りである。
 また、本当に大阪市長に転進するのか、転進すれば、誰が知事候補になるのか。また、知事を辞任した場合、反大阪都構想陣営が誰を知事候補に立てるのか、いずれも現時点では明らかになっておらず、神経戦の様相である。
 統一地方選挙後も、橋下・維新の会の勢いは、まだまだ強いのは事実である。残り3ヶ月を如何に闘うか。橋下・維新の会の「野望」を挫くための努力が求められている。(2011-08-22佐野) 

 【出典】 アサート No.405 2011年8月27日

カテゴリー: 大阪維新関連, 政治 | 【投稿】「橋下・維新」の野望を打ち砕こう!  はコメントを受け付けていません

【コラム】ひとりごと —増加する虐待と福祉の課題—

【コラム】ひとりごと —増加する虐待と福祉の課題—

○今年6月、障害者虐待防止法が成立し、来年10月1日に施行される。内容は、障害者に対する虐待の防止、通告の義務化、そして養護者への支援などである。○養護者(家族)からの虐待、障害者施設での虐待、作業所や企業などの雇用の場での虐待に対して、都道府県・自治体が対応することが明記されている。○障害者に対する虐待は、中々表に出てこない性格を持っており、家庭内では養護者、施設等では職員などから、身体的・経済的虐待は潜在的に存在している。虐待防止法が成立したことは、大きな前進であることは間違いがない。○しかし、市町村の職場での実態を考えると少々問題があるのである。○虐待防止法は、これで3つ目である。2000年に児童虐待防止法が制定されている。そして2006年制定の高齢者虐待防止法。そして今回の障害者を対象とした虐待防止法となる。○いずれの法も、基本的フレームは同様であろう。虐待の防止・通告の義務化・一時保護規定などである。○それでは、どのように対応されていくのだろう。児童の場合、通告先は、児童相談所または家庭児童相談室(いずれも自治体窓口)で、対応は通告から48時間以内での児童の安全確認から始まる。高齢者の場合の通告窓口は、高齢者総合相談窓口である「地域包括支援センター」である。○今回の障害者の場合は、「市町村障害者虐待防止センター」を開設して対応するとなっている。○児童の場合は、直接に自治体担当部署が対応するが、高齢者・障害者の場合は、それぞれのセンターとなっているが、委託である場合が多く、一時保護などの処分は、自治体部署が決定することになる。○小生、障害者虐待への対応の経験はないが、児童・高齢者虐待への対応は身近で頻繁に生起している。これが、中々手間がかかるのである。安全確認も、いきなり家庭に飛び込んでも、拒否的対応が多い。家庭内で起こっているため重篤な場合でない限り、加害者が認めないことには、前に進まない場合が多く、自然と見守りケースが増加していくことになる。○重篤な、死亡や大やけど、骨折等の場合は、傷害事件として警察の出番となる。しかし、大半は両親や家族(高齢者の場合)に対する「見守り」指導ケースとして、時間をかけて信頼関係を作りつつ指導を継続するわけである。○児童虐待の場合は、児童福祉法の絡みで、従来から相談員が選任で配置されている場合が多いが、高齢者虐待の場合は、おそらくどこの自治体も選任の職員はいない。介護や高齢者福祉の係が、兼任で対応しており、専門家と言われる職員はおらず、ただでさえ人減らしで少人数職場であるので、事件が起こるとたいへんな事態になる。家族との接触も夜間になる場合もある。○ちょっと愚痴っぽい話になったが、本論に戻ると、極端に言って虐待対応の専門家は、自治体にはほとんどいないのである。○児童の場合は確かに専門家である相談員がいる。児童福祉法が基礎にある。児童福祉法は、戦後の混乱期、戦争で親をなくし浮浪児となった子ども達を保護する必要から制定され、経済的理由や家庭的理由から、親元を離れて施設等で養育することを規定している。○しかし、昨今の虐待事案は、ある意味、こうした古典的理由から生起していない。若年の母親であったり、未婚の内縁者から、虐待を受ける場合も多いし、両親の精神的理由から起こる場合が多い。つまり、現在の児童虐待は、養育者(親)の方に深刻な問題がある場合が多いのである。○虐待防止法は、通告・安全確認・保護というシステムだが、本来の原因は、養育者にあり、ここに焦点を宛てた「教育的対応」を法律は規定していない。最悪行き着くのは、傷害罪などの刑事罰しかない。○精神的な問題を抱える家族への対応には、精神保健福祉士の手を借りることになる場合が多いが、児童の担当部署には、その人材はいない場合がほとんどだ。○新たに障害者虐待への対応を来年に向けて準備することになるのだが、こんな縦割りの対応をすることが、現実的なのか、と思うわけである。○確かに、児童・高齢者・障害者、さらに女性(DV防止法)と、対象者を区分して、虐待対応施策は整備されてきた。システムはほとんど同じである。これらに別々の担当者を配置することが現実的なのだろうか。法律の規定があるため、対応せざるをえないだろうが、虐待という人権侵害に統一的に対応する方が、現実的であるように思えるのである。○厚生労働省は、おそらく、それぞれの虐待問題に、○○防止協会などの外郭団体を作って「天下り先」を、生産し続けるのだろう。○社会が内向き志向になり、社会生活のストレスの捌け口が、家庭内に向かう現実の中で、「法律を作りましたので、対応しております」などの官僚答弁で何も解決しないだろう。現実に向き合い、「専門性」を打破し、トータルに対応できる福祉の人材が求められていると感じる今日この頃である。(2011-08-20佐野) 

 【出典】 アサート No.405 2011年8月27日

カテゴリー: 医療・福祉, 雑感 | 【コラム】ひとりごと —増加する虐待と福祉の課題— はコメントを受け付けていません

【日々雑感】どうする?この罪は! 孫子の代まで及ぶツケ 

【日々雑感】どうする?この罪は! 孫子の代まで及ぶツケ 

 先月のアサート403号でお約束していた2011年6月15日(水)の日経夕刊のコラムを紹介させていただきます。筆者はドイツ文学者・エッセイストの池内紀という人です。
 ・・・・福島第一原発の事故から3ヶ月が過ぎた。冷静を取り戻した頭で整理のためにメモをとってみよう。
 第1に私たちの無知である。原子力発電の恩恵を受けながら、それがいかなるものかを知らなかった。たとえば原子炉の寿命が40年とされ、その後の廃炉、また使用済み核燃料の処理に莫大な費用と長い歳月を要するということを知らなかった。
 第2に私たちの怠慢である。原発の危険、また建設と廃棄に要する巨大な経費を考えれば、決して安い電力ではないことは、少数の学者たちがくり返し警告していた。それに耳をかそうともせず、きちんと受けとめて考えるのを怠った。
 第3に私たちの欺瞞である。必ずしも無知だったわけではなく、チェルノブイリやスリーマイル島の事故のことを知っていた。地震大国に原発を50基も設置した無謀さも感じていた。絶対安全といわれても、世の中に「絶対」といえるものなど何ひとつないことをよく承知している。知っていながら知らないふりをし、感じながら自分とは関係ないようにみなしてきた。
 第4に利益のこと。私たちを無知にとどめ、怠慢にさせ、利己主義と自己欺瞞に導いたものがある。無知にとどめておくほうが自分たちに都合がよく、知らないと思いこませることが利益になる。それについて私たちはうすうす感じていたのだが、大勢に従って安楽を享受してきた。
 日本人が大きな罪を犯した。とてつもなく地球を汚し、とり返しのつかない荒廃を引き起こした。しかもこの罪は孫子の代まで私たちにつきまとう。罪に目をつぶるのは、とても卑しいことなのだ。・・・・・
 以上がコラムの全文ですが、これを読むにつけても1996年に故平井憲夫氏(アサート402号の拙稿で紹介)が書き残されたことが見事に的中したかと、やりきれない気持ちにさせられます。すこし原稿が長くなりますが、平井氏の文章の最後の部分を、噛みしめる思いで書き出して筆を置きます。
 ・・・だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。
 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は反対だという信念でやっています。そして稼動している原発も、着実に止めなければならないと思っています。原発があるかぎり世界に本当の平和はこないのですから。
 優しい地球 残そう子どもたちに・・・・・(以上) 早瀬 達吉(2011-07-18)

  【出典】 アサート No.405 2011年8月27日

カテゴリー: 雑感 | 【日々雑感】どうする?この罪は! 孫子の代まで及ぶツケ  はコメントを受け付けていません

【読者の声】「中国脅威論の虚構」を読んで

【読者の声】「中国脅威論の虚構」を読んで

 「中国脅威論」には、現時点では確かに虚構がたくさん含まれており、これを口実とした日米同盟の強化や日本の軍備増強に反対しなければならないという主張は正しいでしょう。

 しかし同時に、私は中国の現状と今後について、強い危惧を抱きます。

 まず、中国は社会主義国でしょうか。いや、中国はもはや完全な資本主義国でしょう。私は数値的な資料を持ちませんが、資本の集積・集中も、すでにそうとう進んでいるとみてよいのではないでしょうか。そして、その経済力は、すでに日本を凌駕しているだけでなく、やがてアメリカ帝国主義をしのぐことになるでしょう。少なくとも、そうなったときの中国は、もはや「中国帝国主義」と呼ぶ以外にないのではないでしょうか。

 また、既に中国は、「強大な資本主義経済の上に、他者の批判を許さない独裁政権が君臨している国家」だと言えます。このような国家は、かつてファシズム国家と呼ばれました。ファシズム国家は激しい他民族抑圧を行いましたが、現在の中国も同様、チベットを初めとする国内の少数民族に対して激しい弾圧を加えています。ファシズム国家は周辺への侵略を積極的に行いました。中国もまた、ヴェトナムなどの近隣諸国に対して、目に余る圧迫・侵略政策を遂行しており、この国の対外膨張の意欲は異常です。

 こうしてみると、いったい、中国とナチス=ドイツとは、本質的にどこが違うと言えるのでしょうか。

 もし中国がそのような意味で危険な存在であるなら、世界は平和共存の主張で足並みを揃え、中国を包囲していかなければなりません。そして、そのような方向性について中国国内の民主的・平和的な人々との連携を強め、中国の民主化を支援していかなければならなのではありますまいか。(大阪 Iさん) 

 【出典】 アサート No.405 2011年8月27日

カテゴリー: 平和, 雑感 | 【読者の声】「中国脅威論の虚構」を読んで はコメントを受け付けていません

【投稿】迷走政権から脱原発政権への転換を!

【投稿】迷走政権から脱原発政権への転換を!

<<菅首相「脱原発依存」宣言>>
 日本は今、3・11の東日本大震災と、その最も深刻な象徴でもあり、なおかつ人災の典型でもある原発震災によって、いかにこれを克服するのかという重大で歴史的な局面、時代の転換点に直面している、といえよう。
 フクシマ原発震災によって、地震列島に林立する原発はすべてその危険極まりない存在がもはや許されないものとして問われることとなり、流れは一変したのである。かくも重大な事故が無ければ原発推進政策を転換できないという事態は、やりきれないものがあるが、たとえ原発推進を打ち切り、原発廃炉計画を推進しえたとしても、それでも後世に重大で背負いきれぬほどの負担を押し付けることが明確な、使用済み核燃料処理、高レベル放射性廃棄物の処分などバックエンド(後処理)対策、「核のゴミ」処理対策は、まったく未解決であり、見通しさえ立てられず、恐怖の連鎖を食い止めるためには途方もない年月と費用、技術的困難さが確実視されている。ましてや日本の経産省と米エネルギー省、東芝などがモンゴルに核廃棄物の貯蔵・処分場を建設するという日米の計画などは、自らの原発のツケを札びらで他国に押し付けるものであり、到底許されるはずもないし、それは明確な人類的犯罪でもある。
 どのような困難があろうとも、脱原発政策への明確な転換こそが今問われているのである。その歴史的ともいえる選択は、被災した人々のみならず、内外から、全世界から注視されており、その厳しい評価に耐えうるものであるかどうかが問われているのである。
 しかし現在の民主党政権、菅政権は完全な迷走状態、機能不全状態でさえある。
 7/13、菅首相は久方ぶりに官邸で記者会見をし、原子力を含むエネルギー政策について「原発に依存しない社会をめざすべきだと考えるに至った。計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現していく」と語り、「原子力事故のリスクの大きさを考えた時、これまで考えていた安全確保の考え方だけでは律することができない技術だと痛感した」と説明、その上で「原発に依存しない社会」を挙げ、「これから我が国がめざすべき方向だ」として、さらに昨年6月に閣議決定されたエネルギー基本計画について、「2030年に原子力の発電比率を53%に高める内容だが、それを白紙撤回する」と述べた。 「脱原発依存」宣言である。遅きに失したが、原発震災直前までベトナムなど原発の海外への売り込みに走り回り、その成果を誇っていた菅首相個人にとってはそれでも画期的なことである。言や良し、たとえそれが政権延命の手段、口実であったとしても、それが本心であるならば、具体的な道筋を明示すべきである。そしてこの路線転換に反対し、原発のリスクへの反省がないのではと問われて「そう思っていただいて結構だ」と開き直る与謝野経済財政相や路線転換に抵抗する海江田経産大臣や彼らに追随する閣僚を罷免し、首相権限で直ちに実行に取り掛かるべきであろう。

<<「個人の夢」「単なる願望」>>
 ところが公人として首相官邸でわざわざ公式に記者会見で表明し、エネルギー基本計画の白紙撤回までも明言したのにもかかわらず、これを枝野官房長官は「政府の見解というより、首相は遠い将来の希望」を語ったものとすり替え、岡田幹事長は「首相の思い」と言い切り、野田財務相は「個人の夢」、仙谷官房副長官にいたっては「単なる願望」と切って捨てたのである。エネルギー基本計画の白紙撤回は、「遠い将来の希望」ではなく、差し迫った具体的な政治選択である。そして「脱原発依存」がたとえ「個人の夢」であっても、私的な内輪で語ったことではなく、公式な首相官邸での記者会見である、首相を支える政権幹部は公式なメッセージの重要性をこそ認識すべきであろう。問われている政策転換の重要性をまともに受け止めないこれら政権幹部は、何という取り巻きなのであろうか。そして肝心の首相までもが「政府見解として公式に述べたということではなく、決意を述べた」とずるずると後退し、釈明する始末である。
 菅政権発足以来、めまぐるしく変わる「新たな政策課題」、「最優先課題」は、就任直後の消費税増税と「雇用・雇用・雇用」の連呼、そして「税と社会保障の一体改革」、次いで「TPP参加」、3・11直後の「復興構想」、その時々で首相は、政治生命を賭けて、命がけで、全力を挙げて、と叫んできたが、いずれも一貫性のない思いつきで、次の政策課題に乗り換え、途中放棄する。6/28には、菅首相はさらに「次期総選挙ではエネルギー政策が最大の争点」と「原発解散」を示唆する発言をまでする。すべてが自己の政権延命の手段、口実としてとらえられ、そこには信念も一貫性もない首相の姿勢があぶりだされ、首相引退をめぐる密約、詐欺、ペテン、だましが公然と横行し、虚虚実実の裏取引に明け暮れ、首相への信頼感が地に落ちてしまった菅政権の実態がさらけ出されているともいえよう。
 しかし最後の「脱原発依存」は、その中では唯一まともな「最優先課題」であり、それは原発震災の深刻な実態が言わせたものでもある。それがまた浜岡原発停止を提起させ、電力業界も受け入れざるを得なかったものである。まともに検討したものとも思えないが、単発的に観測気球的に首相が発言する、発電・送電の分離、原子力安全・保安院の分離独立化、電力会社の国有化、再生エネルギー促進法案、これらが脱原発路線にしっかりと位置づけられるならば、政策転換の最も重要な柱となり、政権交代の意義を改めて再確認させることのできる「最大の争点」とすることができるものである。菅政権の最大の弱点は、この最も重要な「最優先課題」である脱原発政策への大胆な転換を、政策的綱領的信念の下に位置づけることができず、逆に自らの手で封じ込め、立ちはだかり、展望を失わせ、その価値を貶めていることにあるといえよう。

<<「通過儀礼」としてのストレステスト>>
 これが自民党政権、自公政権であったれば、浜岡原発の停止などもちろんありもせず、玄海原発やその他の停止中の原発の再稼動など当然のごとく押し進められていたであろう。もちろんまったく展望のない核燃料サイクル事業やもんじゅの継続も当然のこととして推し進められよう。
 この7/20に発表された自民党の国家戦略本部の今後の中長期的な政策立案の柱となる報告書は、<既存原発の稼働維持が不可欠>と明記し、「安全強化策」の実施を掲げ、再生可能エネルギーの促進を掲げたものの、これまでの自民党時代の野放図な原発推進政策への反省は一言もなく、将来の原発の<存廃>には一切触れない、という代物である。
 自民党の河野太郎氏は「国家戦略本部の提言とはいえ、権限のない事柄まで含むものを総裁が発表するのはおかしい。自民党は、まず、なによりも過去の野放図な原発推進に対する反省をきちんとしなければならない。」(ごまめの歯ぎしり 7/21号)と述べているが、「やはり原発を推進したいという人間が自民党の中にいる」という証明でもあろう。さらにこの「政権公約」ともいえる報告書では、安全保障では、政府が憲法解釈で禁じている集団的自衛権の行使を「認める」ことをあらためて打ち出し、「核兵器を積んだ艦船の寄港などについては容認する『非核二・五原則』への転換を図る」とまで強調している。原発震災や核の脅威にまったく鈍感な旧態依然たる自民党の本姓、本質がそのまま打ち出されている。民主党の失点が次から次へと重ねられても、自民党の支持率がそれほど上昇しない原因がここにも現れているといえよう。
 問題は、現在の民主党執行部が、次から次へとこの自民党路線に妥協し、譲歩していく姿は、結果としてこれまでの自民党政権と何も変わらない路線へと民主党を追い込んでいるところにある。
 レームダック寸前の菅首相が、突如提起した原発再稼働をめぐる「ストレステスト」実施も、電力会社任せの自主テストであり、電力会社の報告を受けて保安院が妥当性を評価し、原子力安全委員会が確認し、首相と関係閣僚で最終判断するという。1次評価は地震、津波、全電源喪失など4項目について設計上の想定を超える条件に対し、配管やポンプなどの重要な機器類がどれだけ余裕度があるかを調べる。2次ではより厳しい条件にどこまで耐えられるかを評価するという。 しかしそのテスト自体が電力会社任せで、なおかつ原発推進側の原子力安全・保安院や原子力安全委員会の責任を不問にし棚上げにしたまま、彼らがその内容を確認するという。この手法は、3・11以前の馴れ合いの産物でしかない。そもそも日本の原発はすべて、今回の福島原発を襲った地震震度に耐えられる設計にはなっていないことが明確になっており、すべて不合格なのである。それでもこのストレステストは余計なことであり、少々時間もかかるが、彼らにとっては、原発再稼動のための単なる「通過儀礼」にしかすぎないものである。菅首相の提起したものは、かくしてすべて骨抜きにされ、首相自身も公然とそれを容認する。結果として何も変わらない事態が醸成されていく。しかし問題は、3・11以降の事態は、そういう原発業界・財界・政府・学界・電力関係労組等々、総じてこうした「原子力村」の馴れ合いを許さない、新たな時代の転換点にさしかかっていることである。
 脱原発政策への転換は、日本の復興・再生のかなめであり、原発震災が突きつけた時代の要請であり、歴史的かつ人類的課題でもある。民主党が息を吹き返し、生き残る唯一の道は、迷走と混迷を深める現在の路線から、脱原発路線への明確な路線転換を行うことにあることを肝に銘ずべきであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.404 2011年7月30日

カテゴリー: 原発・原子力, 政治, 生駒 敬 | 【投稿】迷走政権から脱原発政権への転換を! はコメントを受け付けていません