【投稿】北朝鮮の権力世襲と東アジア情勢

【投稿】北朝鮮の権力世襲と東アジア情勢

<「三代将軍」披露>
9月28日、朝鮮労働党代表会が44年ぶりにひらかれ、金正日総書記の三男、正恩氏が党中央委員および党中央軍事委員会副委員長に任命され、党内序列5位(6位という説もある)についた。前日には人民軍大将の称号も与えられており、正恩氏は金正日総書記後継者の地位を確立した。
正恩氏の経歴については、少年時代スイスに留学したこと以外は明らかになっておらず、軍務に就いたことも、党務の経験もおそらく皆無に等しいと思われる。
しかし、同じ「三代将軍」でも徳川家光のような「生まれながらの将軍」ではなく、正恩氏は兄弟、とりわけ次兄の正哲氏との後継者争いを勝ち抜いてきたことは事実であり、そうした政治的経験を軽視すべきではないかも知れない。
金正日政権は先軍政治路線を進め、核開発や韓国に対する軍事的挑発を繰り返してきた一方、民生分野の充実を軽視してきた。
度重なる自然災害や食糧危機、あるいは昨年末のデノミの失敗に際し、先軍政治路線の弊害が噴出、多くの国民が犠牲となっており、今後も経済の再建は困難と考えられる。
それでも、10月10日の朝鮮労働党結成65周年軍事パレードは、正恩氏観閲のもと、戦車など機甲部隊や中距離弾道ミサイルなどを登場させた過去最大規模のものとなり、先軍政治路線の継承と強化を印象づけた。
この様子は朝鮮中央テレビがライブで放映したほか、諸外国のメディアの取材も許可するなど、正恩氏の一連の「お披露目」の有終の美を飾るイベントともなった。

<移行期間が問題>
今後は、金正恩氏の実績づくりが進められるが、核開発を材料とした対米交渉の進展が最優先し、経済再建を二の次とする非常に危ういものとなるだろう。
国内の不満を抑え込み、こうした路線を強行して行くには、権力基盤の確立が急務となる。 それを支えるのは、叔母の金敬姫とその夫である張成沢ら党最高幹部の親族、そして何より金正日総書記である。
今回の代表者会で金総書記は再選され、また依然として国防委員長の地位にあるが、健康状態は不安定であり、内蔵疾患とともに脳疾患による判断力の低下が指摘されている。今回後継者確定を急いだのも、そうした背景があり、徐々に権力以降が進むのか、突然最高権力者となるのか予断を許さない。
移行期間が長ければ、その間に権力基盤を固めていくことが可能で、正恩政権の安定度は高まるだろうが、近いうちに金総書記が死亡するような事があれば、不安を抱えたままの船出となり、その影響は国内のみならず国外にも波及するだろう。
しかし、この間正日、正恩父子は権力移行をスムーズに進めるため、不安定要因の除去に努めている。早くに後継者争いから脱落した長男の金正男氏は、世襲反対を明言している。しかし北朝鮮国内の正男氏シンパは正恩氏の意向を受けた公安組織により駆逐されたといわれており、実際の影響力はほとんど無いものと思われる。

<金正恩支える中国指導部>
金正日総書記は今年5月、および8月、年2回病身を押しての異例の訪中を行った。2回目には秘密裏に、正恩氏も同行したのではないかと推測されており、その真偽はともかく、訪中の目的が自らの後継者についての説明と支援要請であったことは間違いない。
中国はこれまで社会主義体制下に於ける権力世襲については、疑問を呈する姿勢であったが、今回の正恩氏の後継者擁立については、肯定的な対応を示している。
中国指導部は、北朝鮮を対米緩衝地帯と位置づけており、後継者を巡る権力闘争を発端に不安定化し、無政府状態に陥った場合、国境を接する中国東北部に混乱が波及するような事態を非常に危惧している。
今回中国は北朝鮮崩壊を避けるための最も無難な措置として、世襲を是認することにより、北朝鮮権力内に存在する「不満分子」に睨みをきかすことを選択したと考えられる。今後中国は、北朝鮮に6ヶ国協議再開を促し、金正日存命中に核開発問題の決着を図る方向で動いていくだろう。

<金正恩体制に備える韓、米>
韓国は、李明博大統領が8月15日「光複節」の演説で、南北統一に言及、北朝鮮が崩壊した場合の莫大な財政負担を補うため「統一税」の創設を提唱した。また10月13日の「朝鮮日報」は、韓国軍がその時発生する「北朝鮮難民」を最大200万人程度と見積もり、受け入れなどの対応措置を計画している、と報じた。
3月の「チョナン」撃沈以降続く、南北の緊張状態は継続しており、10月14日には韓国主催で大量破壊兵器拡散阻止(PSI)海上演習が、日米豪の参加で開催された。しかし、この演習は「特定の国を対象としたものではない」(韓国政府)とされ、実施海域も釜山沖で事前のセミナーは非公開とされた。
今後韓国政府は、北朝鮮の崩壊というシナリオを描きつつ、中国の金正恩承認という展開を踏まえ、金正恩体制を前提とする対話路線という両睨みの対応を模索していくこととなるだろう。
オバマ政権は、8月のカーター元大統領の訪朝時点では「金正恩が後継」という確証は得ていなかったようだが、10月9日ゲーツ国防長官が、政府高官としてははじめて「金正恩氏を後継者とみなしている」と発言、金正恩後継を確認した。
アメリカは8月イラクから戦闘部隊を撤収させ、来年7月以降、アフガンからも撤兵開始という事実上の対テロ戦争敗戦処理を進めているが、アジア戦略については、新たな脅威としての対中国関係の不安定化という要因をかかえながらも、北朝鮮については6ヶ国協議の枠組みを保持しつつ、韓国との連携を強め対処していくという、これまでの路線に変化は無いだろう。

<鈍感な民主党政権>
こうしたなか、菅政権、日本政府はまったく主体的な動きを見せていない。この間の日中関係の緊張激化とその修復や、臨時国会への対応に忙殺されているとはいえ、依然として日朝関係=拉致問題という自民党政権時代からの枠組みに縛られたままであり、高校授業料無償化に係わる朝鮮高級学校への適用問題についても、結論が先延ばしされ続けている。
拉致問題に関しては、7月の金賢姫元工作員来日や先日の柳田担当大臣の「おわび」など、パフォーマンスを繰り返しているが、大局的な視点を持った行動は皆無である。
北朝鮮とのパイプなど、ある意味自民党よりも豊富であるにもかかわらず、様々なルートを使った情報収集や接触が行われているとは思えない。韓国との関係は、概ね良好であり、中国とも首脳会談の再開など好転の兆しが見えている現在、両国との協調を保ちつつ独自の動きが必要なのではないか。
今後11月の横浜APEC首脳会議では朝鮮半島情勢も論議されるが、議長国が率先して地域安定にむけたイニシアティブを打ち出さなければ、「東アジア共同体構想」など雲散霧消してしまうだろう。(大阪O)

【出典】 アサート No.395 2010年10月23日

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【書評】『ナマコを歩く──現場から考える生物多様性と文化多様性』

【書評】『ナマコを歩く──現場から考える生物多様性と文化多様性』
(赤嶺淳著、2010.5.発行、新泉社、2600円+税)

「熱帯雨林の伐採とならび、ダイナマイト漁によるサンゴ礁の破壊が『地球環境問題』として注目を集めている。/(中略)サンゴ礁が破壊されると、まず海中の二酸化炭素の吸収がおぼつかなくなり、そして水温が上昇をはじめ、今度は逆に二酸化炭素が放出され、さらに地球温暖化が加速されるから、というのである。/科学的にもっともな説明ではあるが、この視点には、サンゴ礁に暮らす人びととかれらをとりまく政治経済状況への理解が欠如している。いうまでもなくサンゴ礁の発達する地域は熱帯なのであり、そのほとんどは、いわゆる発展途上国である。他方、ダイナマイト漁民を批判するのは、だいたいが先進国に暮らすわたしたちである」。
本書は、この視点から、われわれが「いわゆる世界システム—-先進国が先進国たりうるのは、発展途上国からあがる利益が先進国に環流する仕組み」のなかで生活しているという現実を見れば、「たんなる科学的見地から環境問題を論じるのは無責任にすぎる」と指摘する。
そしてダイナマイト漁に関わるフィリッピン漁民の調査から、問題は、東南アジアのプランテーションの問題、フィリッピン国内での政治的軍事的対立、さらには南沙諸島海域での関係諸国の対立にまで広がっていくことが解明される。
本書は、このダイナマイト漁を皮切りに、ナマコをめぐる「エコ・ポリティクス」—-資源利用者の漁民、資源管理の枠組み作りの主体である国家や国際機関、ボーダーレスに環境保護運動を推進する環境NGOなどが入り乱れて関係しあう動態──を描く。
実は本書には、約20年前に出版された先駆書がある。鶴見良行著『ナマコの眼』(1990年刊、現在、ちくま学芸文庫で読むことができる)がそれである。鶴見は、当時だれも関心を寄せなかったアジアの辺境—-それは絶海の孤島という意味ではなく、植民地主義に見捨てられた、政治経済的にも学問史的にも見落とされた地域を指す—-のナマコをめぐる現地調査から、逆に、植民地主義、国家主義を見返す視点を確立した。その特徴は次の点にある。①「モノ研究」、ある商品=ナマコに着目して、生産から、流通、消費という連鎖が持つ歴史性を一貫して追及し、このことで世界市場はヨーロッパだけに成立したものではないことを実証した。②アジアは植民地主義にからめとられたという通説に対して、ナマコに眼を向けることにより、西洋中心主義的な植民地万能主義の歴史理解を打破しようとした。③この書が扱う地域は近代国家の枠を超えてアジア史を目指しており、この意味で脱国家主義を指摘することができる。
本書は、この鶴見の視点を受け継ぎ、それ以降のナマコをめぐる世界的情勢—-鶴見の時代とのもっとも大きな差異のひとつは、グローバルに展開される環境保護運動がローカルなナマコ産業にも影響を与えている点であるとされる—-を、特に環境保護運動との関わりで述べる。ナマコそれ自体については、生産・種類(それは東南アジアのみならず、日本、メキシコ湾、ガラパゴス諸島に及ぶ)、消費・料理(中国は言うに及ばず、ソウル、アメリカのナマコ事情も語られる)が詳述されているので、本書を紐解かれたい。
本書は、環境倫理学者鬼頭秀一の提起する「切り身」と「生身」という概念を用いて、自然と切れた関係では、自然の搾取も過度な環境保護もある意味では同一であるとし、部分的であろうとも自然とつながりを求める姿勢を「生身」の関係として評価する。地球環境問題では、時として加害者と被害者の二極に色分けしたがる傾向があるが、本書は、自然との「生身」の関係を求めて,さまざまな立場からの多面的な議論の必要を説く。本書の「人道主義をもちだすまでもなく、人命を危険にさらしてまでナマコ文化を守れ、と主張するつもりはない。同様に人びとが自立する権利をおかしてまで、ナマコなど保護する必要性も感じていない」という言葉が端的にこのことを示している。そしてこの意味で、ナマコとともに、捕鯨、オランウータンの保護の問題に触れることで、生物多様性の危機と文化多様性の問題を提起する。
更に本書の視点は、鶴見と同様、東南アジア社会を鏡として、日本社会の将来を批判的に構想する展望にまで立ち至る。この視点は、東南アジア社会を「フロンティア社会」(外部に開かれた移動性の高い社会)と見ることで、日本社会の価値観のみを基準とする貧弱さを批判する視点ともなる。東南アジアを「遅れた社会」ととらえたり、明治期以降につくられた、「鎖国」に起因する日本社会を閉鎖的な農業社会、均質な社会としてとらえるイメージ、あるいは「島国根性」というフィクションをどう打破していくのか、という歴史認識の転換ということでも本書は大きなヒントを与える。本書が扱うナマコは動かないが、しかし動かない視点であるからこそ、むしろ世界の動きがよく見えるということであろうか。(R)

【出典】 アサート No.395 2010年10月23日

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【日々雑感】最近涙したこと、その1

【日々雑感】最近涙したこと、その1

私は、故広沢虎造の次郎長伝等の浪曲も好きな、涙もろい浪花節人間で、感激派。9月、10月には、テレビ、ラジオ、その他で、いろいろ涙したことは、ありましたが、その中からひとつふたつ。
こんな私ですが、年に1回、柄にもなく、オペラやコンサートを楽しみに行っております。クラシックには疎い私ですが、これは以前にお世話になったO氏とのお付き合いという意味もあるのですが、そのO氏より送られてきた、渡辺千賀子さんのリサイタルの案内書を見て、ホロリとさせられました。
案内書の中で、大阪日々新聞の記事を紹介しているのですが、その中で、渡辺さんは、声楽を学んだ短大卒業前後、被差別部落出身者という理由で結婚を反対された友人の話で、自分も同じ出身であると知った。そのショックは重く、27才までそのことを隠していたが、夫から「出生を隠すことは自分だけでなく、子供や親を卑下することになる」と諭され、自然体で差別問題と向き合うようになった、と、記載されておりました。
渡辺千賀子さんは、国連のハマーショルドホールでも歌い、世界的名声のある歌手ですが、私が感激したのは、そのご主人の言葉です。
立派なご主人と歩まれている千賀子さんにエールを送るとともに、10月16日のリサイタルに行ってきまーす。(早瀬達吉)

【出典】 アサート No.395 2010年10月23日

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【訃報】横田三郎先生 急逝

【訃報】横田三郎先生 急逝

 悲しいお知らせです。現代民主主義教育論や解放教育論、そしてドブロリューボフ研究家として活躍された横田三郎先生が、去る九月五日に急逝されました。
 十月中旬に、横田三郎先生の奥様からのお手紙が届きました。いやな予感がしました。横田先生の訃報でした。お手紙によりますと、去る九月四日先生は突然体調を崩され、入院。医者は「脳に小さい出血が見られるが、1週間安静にすれば退院できます」と説明したとのこと。しかし、翌朝、来院の指示があり、ご家族が駆けつけたところ、すでに意識はなく、九月五日朝五時四十四分に永眠されたとのことでした。今月二十四日には、早「四十九日」を迎え、島根県大田市(奥様のご実家)の墓所で「追善供養」されるとのことです。
 以下に、私にいただきましたお手紙を引用させていだだきます。
 
 「いつまでも暑い日が続いています。お元気でご活躍のことと存じます。
 さて、突然ではございますが、去る九月五日夫三郎が急逝いたしました。・・・
 九月四日正午急に体調を崩しまして、すぐに病院に運びました。医師の診断の結果「脳に小さい出血が見られますが、一週間も安静にしていれば退院できるでしょう」ということで、主人は「なぜ入院?」と訝っていましたが、すぐに入院の用意を整え一応帰宅いたしました。翌朝四時、すぐ来院をという電話で娘たちと駆けつけましたが、既に意識がありません。五時四十四分眠っているような安らかな最後でした。
 本人の意志で、大阪医科大学へ献体いたし、葬儀も遺言通り行いませんでした。
 翌九月六日三郎本人の著書ドブロリューボフの翻訳本数冊と思い出の品を纏めまして、私の実家の寺の墓地へ収めて参りました。
 佐野様とは去々年尋ねてくださったのが最後になりましたが、よく学生さんの話は伺っていました。本人はもっと世の中の役に立ちたいと思っていたと存じますが、せめて彼らしい思いきりの良い誠に豪快な終焉であったと、心から喜ばしく存じております。
 何分急なことでしたのに、息子や娘、孫達に看取られ幸せな最後であったと安堵しております。・・・・」
 
 昨年7月に上梓された「ドブロリューボフ著作選集 別巻 同時代人たちの回想の中のドブロリューボフ」(鳥彩社)が最後の訳書となりました。私にとっても専門学部の恩師であり、市大の研究室で、ラーメン鍋を指差し「これがわしの唯物論の基礎や」とおおらかに、明るく語っておられた先生独特の語り口、お姿を思い出します。
 横田先生のご冥福をお祈りいたします。(佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.395 2010年10月23日

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【投稿】菅改造政権と名護市議選、オスプレイ配備

【投稿】菅改造政権と名護市議選、オスプレイ配備

<<どちらが首相なのか>>
民主党の代表選は、これまでそれほど明確ではなかった菅氏の政治姿勢をさらに明らかにする機会でもあった。先の七月の参院選に際しては、菅内閣発足直後の支持率の上昇に舞い上がり、財務官僚や一部学者の主張を鵜呑みにして、突如党内論議さえ経ていない消費税10%増税を公約化し、反発を食らうや慌ててしどろもどろの軽減税率や税の全額還付などその場しのぎの姑息な「逃げ」、「ぶれ」、「ごまかし」、「すり替え」に終始し、あげくの果てに「次の衆院選までは1円も上げない」と言及するなど、この政治家は、基本的な政治家としての政治理念、あるいは政治信念、そして立脚基盤がいまだに定まっていないのである。その結果として参院選での大惨敗を喫したのであり、その最大の政治的責任は菅氏自身にあることが明瞭になったのである。この時点で菅氏は責任を取り、本来辞任すべきであったのである。
幸か不幸か菅内閣は成立した直後という事情に助けられ、ろくに責任追及もされず、菅氏はすべてをほおかぶりして低姿勢でやりすごしてきたのである。しかし菅氏の泥縄的付焼き刃的政治手法では、当然のこととして綿密な政策形成もできず、党内合意、政権合意すら手順を踏めず、おだてられればそれに乗っかり、トロイカ体制の復活といえばそれに乗り、不利となれば媚も切り捨てもいとわず、ただひたすら自己の地位と権力にしがみつくことが「最大目標」となってしまい、今回の民主党の代表選はそのことをいっそう明らかにしたのであった。
民主党大会での現首相である菅氏の決意表明は、民主党が問われ、決断を迫られている基本政策よりも、国会議員の職業を羅列して出席している個々の議員に媚を売り、情緒的感傷的に訴え、挑戦者である小沢氏に対しては「クリーンな政治を」と当てこすりはすれども政策論議はすべて避けて通る、対して小沢氏は日本が直面する政治課題について菅氏では語れない政治選択、政策選択を迫るという、どちらが現職首相であるか、まったくあべこべの状況が現出されたのであった。とりわけ小沢氏が普天間基地問題についての日米合意について、日米関係は対等であり、沖縄住民と米国の双方が受け入れられる解決策に向けて米政府と改めて話し合うという政策を提起し、菅氏の対米追随一辺倒の路線との違いを際立たせた意義、政権交代の意義を誰の目にも明らかにできる焦点を明らかにしたことの意義は大きいといえよう。しかしそれでも、小沢氏は負けるべくして負けたのであった。

<<奇兵隊から新撰組へ>>
「負けるべくして負けた」最大の要因は、小沢氏が身にまとい続けてきた政治とカネの問題、その金権体質、独裁的政治手法もさることながら、大手メディア・マスコミあげての「首相がコロコロ代わるのは好ましくない」という世論形成であった。朝日新聞8月27日付社説は「小沢氏出馬へ―あいた口がふさがらない」として、小沢氏の代表戦出馬そのものさえ問題視し、代表選当日9月14日付の社説「再び民主議員へ―新しい政治を突きつめて」では「小沢一郎前幹事長が勝てば、1年で3人目の首相になる。自民党のたらい回しを批判してきた民主党としては、およそ筋が通らない。」として露骨に小沢氏に投票をするなという民主党議員への呼びかけであった。「あいた口がふさがらない」のは、政策の是非を問わない、したがって政権交代の歴史的意義を踏まえない、むしろこうした強引な民主党代表選への介入であろう。菅氏への選択は、ただただ「首相が短期間で代わるのは良くない」という消去法での選択、負の選択としての、実質上ぎりぎりの過半数に過ぎなかったといえよう。
そしてむしろ問題なのは、菅首相自身が街頭演説で「1年で3人も首相が代わってもいいんですか」と絶叫する姿、その政治姿勢である。そして民主党議員自身も「首相がコロコロ代わるのはよくない」を最大の理由として菅氏を支持する、「コロコロ代わる」事態をもたらしたのは菅首相自身の責任であり、民主党の責任なのである。有権者の責任ではないし、有権者の前で恥ずかしげもなく大声で語ることではないし、語るべきは対米追随一辺倒と、弱肉強食の新自由主義の自民党長期政権からついに政権交代を果たした政権交代の歴史的意義をいかに具体的に実現していくかをこそ語り、実践することであった。しかし現実の菅政権の政治姿勢は、小泉的自民党政権とまったく似通った路線に逆戻りしてしまっていることに最大の問題があるといえよう。こんな再選では、求心力の強化どころか、拮抗する勢力バランスとグループ再編、疑心暗鬼と報復合戦で早晩行き詰ることが目に見えているといえよう。
菅氏をよく知り、付き合いをしてきた田中秀征(元経済企画庁長官)氏が「菅内閣は、自らを高杉晋作の「奇兵隊」と称して出発した。長年、彼は自民党政権を「霞ヶ関政権」と断定して攻撃の先頭に立った。それなら幕府に挑戦した奇兵隊と言ってもよい。しかし、何と彼は、鳩山政権下においても全くその努力をしないどころか、自民党よりもひどい官僚主導の方向に転ずる主役となった。それが最後には、参院選前の消費税10%発言になり、自ら志を捨てた姿を明らかにした。・・・菅奇兵隊は、何といつの間にか“霞ヶ関幕府”を警護する“新撰組”に大変身してしまったのである。・・・菅首相は、既に参院選で、首相に不適格と判定されている。“脱官僚”どころか“没官僚”になっている。」(9/9ダイアモンド・オンライン)と指摘、糾弾している。正鵠を射ているといえよう。
ある意味では、小沢、菅両氏は、共に辞任していて、新しい次のリーダーを立てて闘うという、政権交代の歴史的意義を実現する道を踏みにじってしまったのである。

<<「勘弁してくれ」>>
この民主党代表選のさなかに、普天間移設問題を巡って二つの重要な動きが明瞭となり、どちらも今後の政治情勢に無視し得ない事態をもたらしている。一つは言うまでもなく、9/12の名護市議選の結果である。選挙前まで辺野古移設反対派と容認派が拮抗していた議会の力関係が、移設反対の市長派圧勝で一変したのである。前原国交相は沖縄担当大臣として、辺野古移設容認派の島袋前市長と二度にわたって密談を凝らしていたことが暴露されており、前原氏らの必死のてこ入れと支援にもかかわらず辺野古移設容認派は敗退し、辺野古現地の市長と市議会は「移設反対」で結束し、菅政権が現地に望みを託す可能性は封じられてしまったのである。次なる最後の望みは、この11月11日に告示、28日投票の沖縄知事選である。菅政権は、すに八月初めに自民党の候補者である現職の仲井間知事と会談した際に、北沢防衛相が「政府としては仲井間知事に当選していただきたい」と発言しており、仲井間知事をおびやかす有力な対抗馬である宜野湾市長の伊波洋一氏を落とすべく、民主党としての第三の候補を含めて現地住民の分裂を策することに躍起になっている。きわめて悪質な介入といえよう。
もう一つの新たな事態は、今まで巧妙に隠され、発表されていなかった米軍の垂直離着陸機MV22オスプレイの配備問題である。岡田外相は9/9の国会答弁で、辺野古の代替施設に同機が配備される可能性を初めて認め、「可能性があるなら、そういう前提で議論すべきだ」といとも簡単に言ってのけ、米側も配備計画を日本に伝達していることを明言したのである。そして北沢防衛相も9/10の会見で「事務方の協議の中でも米軍はそれ(オスプレイ)を想定した意見交換をしている」と述べ、米側の配備方針が事務レベルで伝わっていたことを平然と認めたのである。これでは、辺野古に移設されるのは、普天間飛行場の海兵隊ヘリの「代替施設」ではなく、新たなオスプレイ基地の建設であることを明らかにしたようなものである。事態は新たな展開と火種をもたらしたのである。
このMV22配備は1996年当時から、代替飛行場計画の運用所要に盛り込まれ、米国防総省が97年9月にまとめた普天間移設計画の報告書では、36機のMV22を運用することを前提に代替飛行場の規模などを検討していたものであった。ところが日本政府は、米側から配備計画について正式な説明は受けていない、と嘘の説明を繰り返し、オスプレイ配備を前提にした騒音予測は行っておらず、当然、辺野古への移設計画で進めている環境影響評価に反映させてこなかったものである。稲嶺名護市長は「(オスプレイ配備は)以前から指摘されており、日本政府はひた隠しにしてきた。地元には『危険はない、騒音は軽くなる』と説明してきたが、全部うそだったということになる。許せるものではない」と怒りをあらわにし、仲井真知事でさえ「事故を起こした機種だ」「県民が『わかりました』と言える種類のものではない」と言い切り、「勘弁してくれ」というほどの反発を表明している。このオスプレイ、ヘリコプターとプロペラ機の機能を合体させた垂直離着陸輸送機で、騒音がすさまじく、「未亡人製造機」といわれるほど開発過程から事故を多発し、すでに30人以上が死亡しているしろものである。岡田外相はこんなしろものの配備を「可能性があるなら、そういう前提で議論すべきだ」などとして受け入れることを平然と認めようとしているのである。仙谷官房長官も9/14、オスプレイが配備された場合、現行案(V字案)を前提として進められている環境影響評価の見直しの可能性について、「そういう認識ではない」と述べ、見直しは不要という立場を鮮明にしている。よくこんな不誠実な態度が取れたものである。
そして菅改造内閣の新たな布陣は、菅首相のもとに仙谷官房長官、岡田幹事長、前原外相、北沢防衛相という体制となった。沖縄から見れば、まさに「日米共同声明」を強行突破するための布陣であり、岡田、前原、北沢という三頭立て馬車に菅首相と仙石官房長官が騎手として乗り込み、鞭を振り、沖縄の民意を蹴散らす作戦に乗り出したのである。
こんな政権は、早晩、行き詰らざるを得ないであろう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.394 2010年9月25日

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【投稿】尖閣諸島における中国漁船衝突事件と日中関係の緊張

【投稿】尖閣諸島における中国漁船衝突事件と日中関係の緊張
福井  杉本達也

1 中国封じ込めの第一線
『フォーリン・アフェアーズ』誌2010年6月号の巻頭論文:「中国は東半球での覇権を確立しつつある」の中でロバート・カプランは「陸上の国境線を安定化させ、画定しつつある中国は、いまや次第に外に目を向け始めている。中国を突き動かしているのは…エネルギー資源、金属、戦略的鉱物資源を確保することだ。…いまや大中国圏が形成され始めている。…しかし、中国の影響圏の拡大は…米軍の活動圏と不安定な形で接触するようになる。…千島列島から朝鮮半島、沖縄を含む日本列島、台湾、さらにはフィリピン、インドネシアを経てオーストラリアへいたるラインを中国は「第1列島線」と呼んでいる。…この島嶼チェーンには潜在的なフラッシュポイント(紛争の発火点)が複数存在する。すでに中国は東シナ海、南シナ海の大陸棚資源をめぐってさまざまな論争を抱え込んでいる。日本とは尖閣諸島(釣魚島)をめぐって、フィリピンやベトナムとは南沙諸島をめぐって領有権論争を抱えている。…これら第1列島線には、「相手(=米国)が張り巡らした海洋における万里の長城」がある。…中国の太平洋へのアクセスを監視、あるいはブロックする監視ラインとして機能している。」と書いている。尖閣諸島(釣魚島)はまさに中国を太平洋に出さないための万里の長城の一端なのである。

2 「一粒で二度おいしい」領有権紛争
カルバンは「尖閣諸島(釣魚島)」と書いているが、「釣魚島」は中国名の表記であり、米国が尖閣諸島を日本領土と認めているわけではない。孫崎享氏は『日米同盟の正体』の中で、「北方領土は、米国にとり二度、三度と味わったおいしいアーモンドグリコである。…千島列島の範囲を曖昧にしておけば、この範囲をめぐって日本とソ連は永遠に争うことになり…日本は見事に米国の構想の下に踊らされている」と書いているが、尖閣諸島も韓国・北朝鮮との争いがある竹島も同様に米国の手の中で踊らされているのである。カルバンの指摘するもう1つの重要な点は、中国が「陸上の国境線を安定化させ、画定しつつある」ということである。かつて戦火を交えたロシアとはアムール川等での国境線を画定したのをはじめ、西部の旧ソ連諸国やベトナムとも画定している。インドとも画定交渉が進んでいる。また、ロシアもこの9月15日に40年以上争ってきたノルウェーとの北極圏の係争区域を画定している。係争区域が無くなることは紛争の種が無くなるということであり、隣国同士が争い、互いに国力を消耗させ、場合によっては介入しようとする米国の戦略にとってはマイナスである。唯一残っているのが東シナ海・南シナ海をめぐる係争区域なのである。7月に末に行われた米韓合同軍事演習に参加した横須賀を母港とする空母ジョージ・ワシントンは、その後ベトナム・ダナンを訪問し(毎日:2010.8.18)、南シナ海に展開している。また、米海軍は潜水艦の60%を太平洋地域に展開する計画であるが、9月3日には米海軍最新鋭のバージニア級原潜「ハワイ」が横須賀に初めて入港した。特殊部隊をひそかに陸地にも送り込める、東シナ海・南シナ海などの水深の浅い海でも行動できる潜水艦であるとされ、特に中国周辺に展開するものと思われる(NHK:9.3)。

3 中国漁船の拿捕・船長逮捕と日本政府のドタバタ劇
中国漁船が海保巡視船と衝突する事件が発生したのは9月7日午前10時頃であるが、同日夜には海保は船長を公務執行妨害で逮捕し、日本の国内法で裁くこと決めた。当然ながら中国側は再三にわたり日本側に抗議し、極めつけは、12日午前0時に丹羽中国大使を中国外務省に呼びだし外相よりも格付けの高い国務委員が「非礼」ともいえる抗議を行った。これに慌てた政府は14日に急遽14名の乗組員を送還した。その後も中国側は東シナ海ガス田開発条約交渉の延期・9月下旬の国連総会の場で予定した日中首脳会談の中止・全人大副委員長の訪日中止等、矢継ぎ早に手を打ってきている。仙谷官房長官は14日の記者会見で、全人代代表の訪日延期に「甚だ遺憾だ」と述べたが、いまのところ外交的には完全な中国側の勝利である。岡田前外相が主導して任命した初の民間人としての丹羽大使は伊藤忠商事出身であり、社長時代に対中事業に積極的に取り組んだだけに経済界への脅しは決定的である。

4 アーミテージの指図で躍る海保・外務官僚
日本は船長逮捕までのストーリーしか画けていなかったが、中国側からは二の矢、三の矢が次々と飛んできている。日中間の当面の外交日程は全て中止であり、経済関係のも影響を及ぼしかねない。おまけに台湾からの漁船も抗議活動に加わるなど「第3次国共合作」を思わせるほど東アジアにおいて日本は孤立してしまった。日本側の打撃は極めて大きい。外交は政治的駆け引きである。このような稚拙な外交となってしまったのは、海保・外務官僚が米国軍産複合体の指図で踊らされ、後先を考えず”冒険主義”に走ったからである。動揺する官邸にわざわざ代表格・アーミテージ元国務副長官が飛んできて、仙谷官房長官と会談するとともに、記者会見で「いかなる領土も日米安保条約の対象になることを中国は認識すべきだ」と語って動揺する日本を叱咤した(日経:9.16)。しかし、これはブッシュ時代の亡霊であり、オバマ政権下では8月16日の国務省クローリー次官補の会見では尖閣諸島が日米安保の対象となると直接的には言及していない(福井:8.18)。9月10日付けのNYT-Opinionは「The U.S. doesn’t take a position on who owns the islands」(米国は尖閣諸島が日本の所有だという見解を取っていない)としている。煽られた日本は既に梯子を外されている。米国は尖閣諸島の紛争に”公式には”介入はしないということである。日中間に緊張関係がもたらされて歓迎するのは、米軍産複合体の代理人とその配下で国益を無視して動き回る海保・自衛隊・外務官僚の一部である。

5 与那国島では重大な危険と主権侵害があったが日本政府は何もしてこなかった
沖縄県の最西端・与那国島では尖閣諸島などとは比べ物にならない重大な日本の主権侵害が38年にも亘り行われていたが外務省・自衛隊は何の手も打ってこなかった。防衛省は6月24日に「与那国島の上を通っていた『防空識別圏』の境界線を領空(領土から12カイリ)の2カイリ外側まで拡大すると発表した。領空を守るための警戒線が領土の真上に引かれるいびつな状態が解消されることになる。省内規定である訓令の見直しを25日施行する。」(Asahi:6.24)という簡単な報道で誤魔化されているが、沖縄返還後38年にもわたり、事実上の空の国境線が与那国島のど真ん中に引かれ、与那国空港を発着する日本の航空機は「国籍不明機」による「台湾領空侵犯」として常時危険な台湾空軍のスクランブルを受けていたのである。戦後日本を占領した米国は、日本の防空識別圏の西端を、与那国島の上空を南北に通る東経123度に設定し、その東側は台湾の防空識別圏と決めたため、与那国島の西半分の上空は、台湾の防空識別圏に入るという変則的な状態(田中宇:6.24)になっていたからである。

6 緊張緩和に転換する李明博政権と3周遅れの緊張激化に走る日本
9月9日に李明博大統領が突然ロシアを訪問したことに関し、「ドナルド・グレッグ元南朝鮮大使は先月31日、ニューヨークタイムズへの寄稿で、天安艦事件に関するロシアの調査結果がなぜ公表されないのかについて、『信頼できるロシアの友人』が『それが(公表されれば)李明博大統領への相当な政治的ダメージとなり、米国をも困らせるであろうからだ』と語ったことを明らかにしている。」(Korea News No.396参照)また、ロシアのボロダフキン外務次官は「7月に発表された安保理議長声明が緊張緩和を促すことに期待を表し、『中国側と共に、事件の終了に賛成する』と協議終了を主張。『対立の激化を許さなかったことは、地域安定維持のためのロシアの有する手段が求められ、有益であることを表している』と自負した。南北間の対話が再開すれば、半島横断鉄道やガス・電気網の敷設が可能になるとも述べた」(Voice of Russia:9.14)。韓国は中国・ロシアの軍門に下ったといえる。これらを裏付けるように、韓国から北朝鮮への米の援助再開や南北離散家族再開に向けての再協議・北朝鮮開城団地における韓国側従業員の滞留も500人から900人へと増加している。また、金総書記の中国東北部への視察もこうした緊張緩和の一環と位置づけられる。こうした一連の動きを受け、キャンベル米国国務部東アジア太平洋次官補は最近 「何らかの進展(6者会談再開)のために南北間にある種の和解措置が重要だ」と話し(ハンギョレ:9.13)、6カ国協議再開に向けての準備が始まっている。極東アジアは7月までの一触即発の緊張した状況から大きく転換しつつある。こうした流れに逆らうものが、今回の尖閣諸島における事件である。
日中両政府は5月31日の首相会談で、東シナ海ガス田開発問題で条約締結交渉を早期に開始することで合意し、7月27日に初協議を行った。「『友愛の海』は大変いい言葉だ。私も友愛の海であってほしいと思っている」(毎日:7.28)と菅首相は語っていた。合意の前提は領土問題を棚上げにして、経済協力を優先するということである。しかし、米軍産複合体勢力やそれに寄生する日本国内の勢力からすれば、ガス田開発で既成事実を積み重ねられて、日中間の不安定要素が無くなることは自らの立場=売国的権益が無くなることである。協議が積み重ねられる前に潰したい思惑があるといえる。

【出典】 アサート No.394 2010年9月25日

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【投稿】 あえて、民主党代表選―路線の今後

【投稿】 あえて、民主党代表選―路線の今後

私が民主党の代表選挙について、なにかを語る特別な情報もなく、特別な意見を持っているわけではないが、あえて、この数カ月世間をにぎわせた代表選挙について、の雑な感想を書いてみたい。

まず、「なぜ代表選なのか」と問う一般紙誌の論調が多かったように思う。それは、この円高による不況のさなか、政府が取り組まねばならない仕事は山積しているではないか、およそ1か月近くの「政治空白」を生じさせることは国民にとって百害あって一利なしとするものである。民主党を支持しないおよそ半数の国民にとっては「そのとおり」であろう。しかし、民主党を支持する、しないにかかわらず、国民の税金が政党交付金として支出されている政党の、しかも国政の第一党である民主党の代表がだれになり、その「路線」が今後どうなるかは国民的なテーマであっていい。
この代表と路線について絞って考えてみると、今回の代表選挙はいまの民主党と日本の政治状況について、いろいろと考えさせられることがある。ほとんどすべてのマスコミを「敵」にした小沢前幹事長と、前委員長の鳩山氏、そして『棚ぼた』で総理になった菅首相の三者三様の対応の、そしてその政治的体質やなスタンスの違いがかなり鮮明になったのではないだろうか。つまり、小沢氏は対検察・世論にたいし、これまではおよそその風貌を連想させるような、「冷たい」対応を続けてきたが、今回に限って「逃げません」と言明し、国会での証人喚問すら応じる気配すら感じられる。その一連の検察との経緯からすれば、「推定無罪」が成立している今、そこまでの必要はないとおもえるのだが、こと代表選挙出馬となると、言わざるをえないのか、言わされてしまったのであった。ここ数カ月の間の検察ファッショとかマスコミの横暴、さらにはアメリカの陰謀とまでいう根拠も自信もないので、「世論」に配慮せざるをえなかったのであろう。が、政策については民主党の「マニフェスト」をオウムのように繰り返すだけであった。また、同時に辞職した鳩山氏だが、「人のうわさも75日」ではないが辞任後ちょうど3カ月たち、小沢氏と「政治とカネ」でやめたことを一切わすれ、「トロイカ体制」なるものをもちだし、菅首相に挙党態勢をせまり、あげく、派閥ボス的な行動として人事の譲歩を要求したと報じられている。ご自身が自らの引退まで語ったことはそう遠い出来事ではないのだが。やはり政治家としての資質を疑わざるを得ない。
一方、首相の菅氏もおそまつであった。先の参院選での民主党の敗北は突然の消費税増税発言にあったとされ、今回の代表選ではその打ち消しにやっきとなり、さらに、突然のように「雇用・雇用・雇用」と言い出した。民主党の有力な、最大の支持団体である連合を配慮したのか、労働問題と福祉をことさら重要視した戦術に変え、政治と官僚の問題についてはかつての舌鋒の鋭さはみられない。小沢氏なみの派閥ボス的な行動で国会議員票の積み上げにやっきとなったとみえる。
こうしたちょっとした茶番的なそれぞれの行動には、それなりの事情や理由があるのだろうが、冒頭で述べた、国民政党としての気概やプライド、公党としての生真面目さがおよそ見えないのである。そして今後の民主党の路線にしても、政府が国民に語り続けなければならない課題にしても、もうひとつ理解しがたいのである。これこそが今の日本の政治状況なのであろう。政党や政治家自身がいまの政治状況を理解できていないのかもしれない。あるいは知っていても、語る必要を感じていないのだろう。選挙というフィルターを掛けるときの政治家の言動はあまり信用ならないことは旧来の自民党支配の時代から、それが当然のことであるとおもわされてきたのだが、新たに出現した、短くとも3~4年は続く支配をもつ、保守政党である民主党(沖縄の基地移転問題でそれがはっきりした)の路線は今後も迷彩をほどこしながら続けられるのか、はたまた、かすかに残存した『いろ』であるリベラル的な、あるいはより民主的な色彩に身を染めて、勤労国民の支持を集め続けられるのか。
代表選挙結果は、小沢氏の主張がこれまでの民主党の政策をより強く打ち出しているかに私にはみえたが、「政治とカネ」「自民党的体質」を否定しきれなかった小沢氏は負けた。しかし、なぜ、菅氏が代表なのか、党員やサポーターの判断は、投票権をもたない一般国民と同様「政治とカネ」「自民党的体質」を嫌ったのであっただろうし、1年に何度も総理を換えるのは(国際的にも)まずいとした考えはそれなりに当然かもしれないが、そんなきわめて消極的な支持でいいのかと思えてしかたがない。 (東京・立花 豊)

【出典】 アサート No.394 2010年9月25日

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【人権ひとりごと】 私の人権考

【人権ひとりごと】 私の人権考

私は、中学校時代から部落問題の出会いを契機に、今日に至るまで部落解放運動をはじめ、何らかの人権課題と関わってきたし、また仕事でも深く関わってきた経験がある。

その永い経験の中には、自分自身の内面的成長に役立ってきた反面、「人権」を唱えながら、自分自身の中にある差別性に気がつかず、結果として「人権侵害」の誹りを受けざるを得ない経験もある。

そのように「人権」と向かい合い、悩み、葛藤してきた中で、今の自分が思う「人権考」を徒然したい。

{「完全なる人権者」はいない}

この見出しを見ると、おおよそ二つの感想を抱かれるのではないか?一つは「当然のことではないか」、もう一つは「己の中にある差別性の開き直りではないか」。

私が言いたいのは、人権感覚の極めて優れている人もいれば、極めて鈍感な人もいる。大体においてではあるが、人権感覚の優れている人は、自分の価値観に固執しない人であり、「もし、それが自分の立場であったならー」と想像力の働く人であり、人権感覚の鈍感な人は、その逆である。しかしながら、それはかなりの幅はあるものの、要は程度の差であり、「いつ、いかなるときも、どのような課題にも、常に完全無欠に考え行動できる」人はいない。

{「人権」被害者=「正義者」ではない}

従って、相手の差別性や誤った認識に出遭ったとき、また人権被害にあったとき、その問題指摘のあり方も、その鋭さ、語気の強さはともあれ、その本質的な対応は相互啓発なものでなければならず、ましてや、相手に対し全面否定し、独善的、報復的であってはいけないと考える。

何故なら、その独善的、報復的な問題指摘が、結果的に嫌悪と憎悪を生み出し、より一層、「人権」に対する認識をより後退と膠着化を招くだけだと思うのである。

しかし、だからと言って「人権」被害者が、その被害に対し抗議し問題指摘すること自体を何ら否定するものではない。むしろ被害者だからこそ、最もその抗議と問題指摘する立場にあることは言うまでもない。言いたいことは、要するに問題指摘する立場・資格者であることが、加害者を一方的に裁くこともできる「正義者」であるかのような思い上がりは許されず、それが高い「人権」意識の持ち主である者であればあるほど、戒めて自覚すべきことだと思う。

突き詰まるところ大事な事は、不完全なる者が不完全な者に対し、互いに思いやりと互恵の念をもって、「気づき」を与え合い、また問題指摘を認め合うこと⇒即ち、そのことが「人権」の相互切磋琢磨だと思う。

{今、「人権」で思う世相的問題意識}

一つは、近年の競争原理と自己責任論に基づく保守ムード、右翼的思想傾向の流れもある中で、「人権」と言えば、何故かしら左翼イデオロギーの表象のような見方である。例えば「人権教育よりは道徳教育だ」とか、「何かと(犯罪者の人権や死刑廃止論など)人権派の連中はうるさい」とか「人権の名を借りた自己中心主義」とかーー。

こうした保守イデオロギーによる「人権」に対する攻撃・誤解の一つひとつを今、反論するつもりがないが、ただ包括的に批判するとするならば、まさに前述したとおり、物事に具体的・科学的に思考せず、ただ自己の保守的価値観に頑迷であること、特にマイノリティーの問題には無頓着あるいは軽視的であること、そして何よりも決定的に異なるのは、国家や全体利益のためには、一部少数・個人の存在も否定しても已む無しとする考えがベースにあることである。

二つ目は、「人権」という言葉の概念の混乱である。近年の労働相談統計を見ても「パワハラ・セクハラ」のハラスメント系の相談が増加している。その多くの相談内容は「なるほど、それはひどい!」というものであるが、その一方で「それは感情的に行き違い、対立的であったとしても、とてもハラスメント(人権侵害)というものではないだろう」というものも少なからずある。

特に「パワハラ」の場合、「上司から強い叱責をされた」ことは、マネージメントの拙さはあったとしても「ハラスメント(人権侵害)」というには、いささか無理があり、逆にそのレッテル貼りの方が、人権的に問題ではないかと感じる場合もある。例えば「パワハラ」の概念規定には、そこに「無視、人格否定の発言、差別・侮蔑発言、排斥行為、暴行、等」の具体的事象があったか、どうかが判断要素になる。

こうした具体的判断要素の上に「ハラスメント批判」がなされるべきであって、カタカナ用語の一人歩きにより、不正確な理解の蔓延・使用こそが人権意識の普及に阻害となるのではないかと危惧するのである。

{21世紀の「人権」とは}

「20世紀が戦争の時代であったのに対し、21世紀の時代は「人権」の時代である」と言う。しかし、真に「21世紀を人権の時代」とするためには、「人権」に対する発想の転換とイメージチェンジを図らなければならない。

「20世紀の人権」は、「反差別」「反権力」という概念・意識が優っていたと思う。そしてそこには階級的史観も入り混って、あげくの果ては人権の花咲く社会が「社会主義の展望」まで夢みる者もいたのではないかと思う。それはそれで「20世紀という時代背景としては、進歩的で、反差別抵抗闘争としての歴史的意義はあったと評価すべきことだと考える。

しかし、21世紀に「人権」は、反差別抵抗闘争から脱却し、より豊かなコミュニケーションの高まり、コミュニティの形成、ネットワーク型人権組織の構築が求められているのであり、そのことは「人権」という言葉を使わずしても結果的に中身としては「人権」の具体性を意味することができるのではないか。

即ち「人権」には反差別という「ネガティブ人権」から双方のコミュニケーション・交流・活性化というポジティブ思考の人権意識への変革が求められているのではないか。

「21世紀への人権課題」は、「ネガティブ人権」から「ポジティブ人権」への転換が何よりも求められているのではないか。

小生の無責任・徒然なるままの思いに異論批判があっても、小生の「人権ひとりごと」として許されたい。(民守 正義)

【出典】 アサート No.394 2010年9月25日

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【日々雑感】—誤認ということ二題—

【日々雑感】—誤認ということ二題—

 まず読者の皆様方に、お詫び訂正しなければなりません。先月号No.393号の「日々雑感」で、私の認識していた事実関係に誤りがあることを、姉から指摘されました。淀川の堤防を、亡母に連れられ逃げたのは、私と2才上の姉であり、その上の姉は、疎開していたとのことでした。ですから5人兄弟のうち、上3人が香川県に疎開していたということになります。さらに、淀川の堤防を逃げる時、私の家の東隣に住んでおられた、山形県出身の、木村のおばあさんもいっしょだったと聞かされました。それ以外は、全て真実です。大変申し訳ありませんでした。尚、このままでは、消化不良気味な感じです。今後の折に、私事で恐縮ですがさらに続けさせていただきたく思っております。
◎誤認と言えば、最近、次のような重要なことがありました。
 先日送付されてきました、私が寄付会員として所属する、日本くまもり協会からの、くまもり通信64号の中で、「現代版万里の長城、尾根筋での風車群設置、風力発電は本当にエコか、静岡県竜頭山風力発電事業計画」という記事には驚かされました。万里の長城と尾根筋の風車群の2枚の写真には、森林破壊の様子が、見事に写し出されておりました。 NPO法人奥山トラストが静岡県浜松市佐久間に所有しているトラスト地294ヘクタールの尾根に、ある業者が、周辺の山を合わせて41基の風力発電計画を立てた。これに対しての、当トラストの闘いには、頭が下がります。
 私は、太陽光発電や、風力発電が、地球環境を守る上で、大変重要であると、素朴に信じてきました。しかし、尾根での風車建設は、エコなんかではなく、莫大な補助金狙いの森林破壊だと知らされた思いです。
 いずれにしろ、ソーラー、風力、水力、地熱、波力等の発電が、重要なことには変わりはありませんが、その設置場所や方法等に。多くの解決されるべき課題が残されているように思われます。
 とりわけ、金融資本や業者が参入してきた場合には、今日の新自由主義経済のもとでは、その立派な理念とは裏腹に、大変な自然破壊に繋がると危惧されます。
 認識不足なら学習によって、その不足は補えますが、誤認が怖いのは、誤ったことを、人に伝え、結果的にウソをついているという点です。誤認と言う思い込みには、先ずその誤りを認め謝罪し、学習により再認識という過程が必要と思います。
 私も今回のことを反省し、くまもり通信等もよく読み返し、エコ発電について正しい知識を持つように努力します。(早瀬 達吉) 

 【出典】 アサート No.394 2010年9月25日

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【投稿】核抑止論からの脱却こそが民主党政権の生命線

【投稿】核抑止論からの脱却こそが民主党政権の生命線

<<類型パタ-ン通りの挨拶>>
今年、被爆65年の2010年のヒロシマ/ナガサキは、これまでとは明らかに異なった様相と期待が込められた8・6/8・9であった。昨年、「核兵器を使用したことがある唯一の国家として行動する責任がある」というオバマ米大統領のプラハ演説が提起され、その流れの中でアメリカのルース駐日大使や核保有国の英仏の代表もそれぞれ広島の平和記念式典に初めて参列し、過去最多の74カ国が参加する式典となり、国連事務総長として初めて平和記念式に出席した潘基文氏は、広島市の広島国際会議場で、「今がその時だ」と題した講演を行い、「グラウンド・ゼロ(爆心地)からグローバル・ゼロ(核なき世界)」へと訴え、核廃絶の実現に向け、包括的核実験禁止条約(CTBT)の2012年の発効や核の先制不使用主義などを進めることの重要性を訴えた。
そしてこのような核軍縮への期待の高まりの中で、歴代自民党政権の内閣総理大臣挨拶と比して、今年の菅首相の挨拶は政権交代後初の「内閣総理大臣の挨拶」として注目されたが、これまでとまったく代わり映えのしない、これまでの類型パタ-ン通りの挨拶でしかなかった。類型パタ-ンとは、「唯一の被爆国であるわが国」、「核兵器廃絶と恒久平和の実現」、「国是である非核三原則」という決まり文句、そして「被爆者援護」への言及である。
菅首相は、「唯一の戦争被爆国として核兵器のない世界の実現にむけ先頭にたって行動する道義的責任を有している」と述べた上で、「各国首脳に核軍縮・核不拡散の重要性を訴える」「核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け平和憲法を順守し非核三原則の堅持を誓う」と述べ、「平和憲法遵守」を明言したが、歴代首相の挨拶と同様、それ以上に踏み込むものではなかったし、具体的な核軍縮への歩みを確実にする政策や行動提起、決意表明は一切なされず、期待はずれの挨拶でしかなかった。

<<「今こそ、日本国政府の出番です」>>
一方、秋葉忠利・広島市長は平和宣言の中で、「今こそ、日本国政府の出番です」と訴え、「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱、核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、「選択肢は無限です」と訴えた。
ところが、従来どおりの内閣総理大臣の挨拶に終始した菅首相は、挨拶終了数時間後の記者会見で、秋葉市長が平和宣言で「核の傘」からの離脱を求めたことについてわざわざ反論し、「国際社会では核戦力を含む大規模な軍事力が存在し、大量破壊兵器の拡散という現実もある。不透明・不確実な要素が存在する中では、核抑止力はわが国にとって引き続き必要だ」と述べたのである。「日本国政府の出番」が「核抑止力論の弁護」とは、恐れ入ったものである。核抑止力論こそが核拡散の元凶となっている現実、その悪循環に目をふさぎ、核兵器廃絶に向けた「無限の選択肢」を自ら閉ざしてしまう、この政治的センスの低劣さはどうしたことであろうか。
この問題について外務省で記者に見解を問われた岡田外相も「米国の核の傘なくして日本国民の安全を確保するのは極めて困難。(政府に「核の傘」からの離脱を求めた平和宣言とは)見解が異なる」と述べるだけである。さらに菅内閣の官房長官である仙谷氏は、秋葉市長が非核三原則の法制化を求めたことについても、「原則を堅持する方針に変わりはない。わが国の重要な政策として内外に十分周知徹底されており、改めて法制化する必要はない」と述べ、政権交代以前の自民党政権とまったく同様の見解表明しかできない有様である。政権交代の意義や期待を、ことごとく踏み潰してしまい、核廃絶への具体的展望さえ指し示すことのできない菅政権は失望をしかもたらさない存在と化しているといえよう。
菅首相の発言について、広島被団協は「核の傘からの離脱を求めた広島市の平和宣言を真っ向から否定する考え」「核軍縮、核廃絶の潮流に逆行する発言」と指摘し、「核兵器のない世界の実現へ先頭に立って行動する道義的責任を有する」とした式典でのあいさつに矛盾し、「二枚舌と言われてもやむを得ない」、「核兵器廃絶に本気で取り組もうとしているのか疑問だ」として強く抗議している。
8月9日、長崎市の田上富久市長は平和宣言の中で、核密約により非核三原則を形骸化させた政府の対応に、「強い不信を抱いている」ことを明確にし、「日本政府は、なによりもまず、国民の信頼を回復するために、非核三原則の法制化に着手すべきです。また、核の傘に頼らない安全保障の実現のために、日本と韓国、北朝鮮の非核化を目指すべきです。「北東アジア非核兵器地帯」構想を提案し、被爆国として、国際社会で独自のリーダーシップを発揮してください。」とあらためて訴え、具体的な政策を提起し、独自に行動することを求めている。

<<自民党応援団と化した菅政権>>
菅政権は、内外ともに共鳴し高まりを見せる、ヒロシマ/ナガサキの核兵器廃絶の声に対して、核抑止力は必要であり、核抑止力を残しておくべきであり、核抑止力を前提とした米軍基地が必要不可欠であると宣言したのに等しいといえよう。菅政権は、現実にはそのようにしか行動してはいないし、核抑止論からの脱却への努力が一切放棄されているところに最大の問題があるともいえよう。
その意味では、この11月11日に告示、28日投票の沖縄県知事選は、民主党政権にとって最大の試練の場となろう。8/20、普天間基地を抱える宜野湾市長の伊波洋一氏は、野党三党推薦・無所属で立候補することを明らかにし、昨年の政権交代まで県内移設推進派で自民党の推す現職の仲井真氏と対決し、「今回の知事選は、脱基地を目指す県政をつくるのか、戦後65年も押し付けられた米軍基地の負担と重圧を継続する県政にするかだ」とその態度を鮮明にし、「沖縄の将来を決定付ける重要な選挙。沖縄に基地を押し付けようとする日米両政府に県民の意思を示すことになる」とこの選挙の意義を強調している。この段階に至ってなお、核抑止論と日米共同声明に囚われ、米軍普天間基地の名護市・辺野古への移設・たらいまわしに固執することは、民主党政権それ自体が、沖縄県民総体に敵対する存在以外のなにものでもないことを証明してしまうものである。
ところが、菅政権の閣僚である北沢防衛相は八月初めに仲井間知事と会談した際に、「政府としては仲井間知事に当選していただきたい」と発言していたことが暴露されている(8/13付け朝日新聞)。自民党応援団と化したこの政権にそもそも存在価値があるのであろうか、疑わしいところである。
今年6/1の参院・外交防衛委員会で喜納昌吉議員が「まあ沖縄でうわさなんですけれどもね、来るべき知事選にも官房機密費を使うといううわさが流されていて、私たちも選挙が戦いにくいですね。是非この辺は、そんなことはあり得ないですか、どうですか。」と官房長官につめより、「沖縄では、名護市長選や石垣市長選で自民党支持候補の選挙対策に官房機密費が使われたといううわさがあるんですね。普天間基地移設先の候補地として挙げられたうるま市や徳之島の議員を官邸に呼ぶための経費として使われたとか、徳之島の議員を銀座で飲食させるために使われたとか、様々なそういううわさが飛び交っているんですね。私はやっぱりそのようなうわさを信じたくないですから、そんなことを我が官房長官がやると思っていませんからね。是非私は官房機密費をオープンにしてほしいと思うんですけれども、この辺はどうですか。」と畳み掛けている。さもありなんことであるが、民主党政権の浮沈にかかわる重大疑惑とも言えよう。
一方で、普天間基地の国外移設を主張する川内博史衆院議員ら約20人が日米共同声明に反対する立場から沖縄を訪問し、伊波洋一氏とも面談するという。政権交代の大儀は彼らこそが担っているともいえよう。民主党はこの際、核抑止論から大胆に転換し、脱却することこそが、民主党再生、浮上の最大の鍵であることを肝に銘ずべきであろう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.393 2010年8月28日

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【投稿】世論操作はいかに行われたか・また行われるか

【投稿】世論操作はいかに行われたか・また行われるか
福井 杉本達也

1 闘うべき相手を間違った「不快感」
参議院選挙を総括する民主党の両院議員総会が7月29日に行われたが、枝野幸男幹事長から報告された総括案は、「消費税議論の呼びかけが国民に唐突感を与えたこと」を冒頭に上げた。また、御厨貴氏は「米軍普天間飛行場の移設問題や小沢氏の政治とカネの問題など何一つ解決せずに菅政権にバトンタッチし、その菅さんが10%という数字にまで触れて消費税に言及した。」“政権政党としての迷走ぶり”(朝日:2010.7.13)を敗因とした。しかし、本当の敗因はそこにあるのか。一国の首相がアメリカによって簡単に首を切られたというショックによる国民の諦め・「不愉快な現実」を暴露した不快感(冷泉彰彦:2010.6.10)にこそあるのではないのか。「雁屋哲ブログ」によれば、「(1)鳩山氏はアメリカに負けた。(2)基地問題に於いて、日本人が戦うべき相手はアメリカである。アメリカと戦おうとしている鳩山氏の足を掬い背中から攻撃をする。日本人は、自分たちの敵を間違えている。…鳩山氏が戦後の日本の首相として初めてアメリカと戦おうとしているのに、日本人は一致協力するどころか、鳩山氏の足を引っ張った。(3)日本人は、アメリカの基地問題に本気で取り組む気概を失っている。」(「美味しんぼ日記」:5.25)ことにあるのではないのか。こうした「不快感」は辞任後わずか2,3日しか続かなかった。「不快感」を打ち消そうとした一連の流れが、民主党代表選への世論誘導であり、唐突な消費税議論の争点化ではなかったのか。その中で、一国の首相の首を切った「アメリカ」の文字も「普天間」の文字も完全に消し去られてしまったである。
その証拠の1つは日経の6月3日付けの紙面にある。鳩山前首相の辞任に当たっての『発言要旨』から「米国に依存しつづける安全保障、これから50年、100年続けていいとは思いません。」「いつか、私の時代は無理だが、あなた方の時代に、日本の平和をもっと日本人自身でしっかりとみつめあげていくことができるような、そんな環境をつくること。」(「鳩山首相両院銀総会発言要旨」Asahi:6.2)という肝心の文面を巧妙にも消し去ってしまった。

2 ワシントンの代弁者としての日本のマスコミ
いかに日本のマスコミの論調が歪んだものであるか、朝日新聞の目に余る米国べったりの姿勢を、以下「ゲンダイネット」から引用すると、2009年10月15日の社説では新政権の歓迎ムードで「自民党政権時代は、米軍駐留や基地施設の提供が半ば当然視されてきた。幅広い視野から見直しの俎上(そじょう)に載せてこそ、政権交代の意義がある」と期待を込めていた。ところが、問題解決が長期化し始めると、日米同盟の危機を盛んに煽り出した。「日米関係の基盤は安保条約であり、日本が基地を提供するのは不可欠の要件」(12月10日)、「相互信頼の再構築を急ぐべきだ」(同16日)。「3年前に日米両政府が合意した名護市辺野古への移設も選択肢として否定はされていない」(同29日)と。ヒラリー・クリントンに恫喝され、最後に辺野古案に戻ったら、今度は「米国優先は禍根を残す」と題し、「沖縄の頭越しに米国と手を握るというのでは、県民の目には二重の裏切りと映る」(2010年5月21日)と鳩山元首相を切り捨てた(2010.5.27)。こうしたマスコミ報道の延長線に社民党の政権離脱があった。5月31日の日経は1面トップで「社民、連立を離脱 首相責任論発展も 内閣支持率22%」と報じた。社民党はまさにマスコミに踊らされ、鳩山氏といっしょに切り捨てられたのである。
この1年間のマスコミの世論調査ラッシュは異常である。特に参院選時の“3日ごとの”世論調査にはあきれた。発足間もない何の実績もない菅政権の政策をわずか1ヶ月間に度々評価して何が分かるのか。世論操作のために、調査という名の下の恣意的数字を捏造し続けたのではないのか。

3 読売新聞・日本テレビとCIA
既に、有馬哲夫氏の『日本テレビとCIA ―発掘された「正力ファイル」』や『CIAと戦後日本 保守合同・北方領土・再軍備』など貴重な研究結果などから、読売新聞の社主、正力松太郎がCIAに操縦されていた歴史的事実が明らかとなっている。根拠は、米国公文書館の公開された外交機密文書である。同じCIAのファイルとして既に岸信介元首相や重光葵元外相があるが、CIAは正力を「ポダム」という暗号で呼んで徹底してマークしていた。CIAは1000万ドルの借款を正力に与えて、全国縦断マイクロ波通信網を建設させようとしていたという。戦後、米国は読売グループを親米・反共のプロパガンダ機関として援助・育成したのである。日本テレビの政治バラエティー「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中」(金曜後7.56)が9月いっぱいで終了することになったが、公共電波を使った全くひどい内容の偏向番組であったが、なぜ、読売グループが積極的に対米追従番組を制作するかは、この歴史的事実からも明らかである。

4 唯一まともな東京新聞(中日新聞)社説
東京新聞(中日新聞)の8月15日の社説は豊下楢彦関西学院大学教授の論考を引用する形で、「米国に依存しつづける安全保障、これから50年、100年続けていいとは思わない」という鳩山辞任演に同感しつつ、安保の分析を試みている。敗戦で昭和天皇が直面したのは戦犯としての訴追と天皇制消滅の危機であり、次なる危機が共産主義の脅威。昭和天皇にとり日本を守ることと天皇制を守ることは同義であった。昭和天皇は、米軍依拠による天皇制防衛の結論に至り、「米軍駐留の安全保障体制の構築」が至上課題となった。象徴天皇になって以降も、なりふり構わぬ「天皇外交」が展開され…例えば1947年9月、マッカーサーの政治顧問シーボルトに伝えられた有名な天皇の沖縄メッセージは「米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む」「米国による沖縄占領は共産主義の影響を懸念する日本国民の賛同も得られる」などの内容で、沖縄の戦後の運命が決定付けられてしまった。もし天皇外交がなければ日本外交は選択肢の幅を広げ、より柔軟なダイナミズムを発揮し得た。安保の呪縛(じゅばく)は戦後の日本外交から矜持(きょうじ)も気概も奪ってしまったと。

5 グーグルと情報操作
中国政府は7月9日グーグルの中国でのネット事業免許の更新を認めた。グーグルは検索結果の自主検閲を巡って中国政府と対立。中国大陸の利用者に香港経由で検閲なしのサービスを提供してきたが、6月末に香港版への自動転送を停止した(日経:7.10)。中国のネット検閲は厳しく、ダライ・ラマやウイグル関係はもちろん、反中国的言動のブログ、我々が日常使っているサイトもブロックされることが多々ある。中国の検閲には大きな問題がある。しかし、グーグルのサイトはいったい何をしているのか。「グーグルのアプリケーションを使えば使うほど、グーグルはあなたについていっそう深く知ることができる。…あなたの一挙手一投足がグーグルに追跡され…入力した検索文字列も、…訪問したウエブサイトも追跡できる。…閲覧の趣味についても追跡可能」なのである(クリストファー・ケッチャム他「グーグルは何をめざすのか」『世界』2010.8)。そして、その収集された情報は非公然諜報活動に利用される。2008年の情報公開法による調査で、グーグルは米国国家安全保障局「NSA」に対して、4つの『検索機能設備』を提供し、その保守契約を結んだことがわかっている。情報はユーザーの知らないうちに第三者に転送される(同上)。これは「エシュロン」(通信傍受システム)の世界である(その存在が2002年に欧州議会特別委員会で初めて公に明らかにされた)。グーグルが収集した情報は、個人が何に興味があるか、何を欲しているか、どうすれば情報操作に協力する人材となるかを瞬時に“計算”している。もちろん、操作したい情報を「検索」のトップに持ってきて、知られたくない情報を隠すことは簡単である。たとえば「小沢一郎」を検索すると「小沢一郎の正体」などの怪しげなサイトがトップにヒットするし、関連する検索でも小沢氏に否定的なキーワードの羅列である。日本人の個々のレベルでの考え方が分かれば、それだけより細やかなソフト・パワーを行使できる。鳩山元首相はヒラリーに恫喝され「海兵隊の抑止力」という思考停止の“奴隷の言葉”を使わざるを得なかった。菅首相も広島で「抑止力」を口にした。海の向こうでは、誰がいかにこの言葉を上手に使うかを監視している。しかし、それを「これから50年100年続けて」はいられない。6月1~3日の短い3日間はそれをわずかでも明らかにした。我々には矜持も気概もある。

【出典】 アサート No.393 2010年8月28日

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【投稿】「みんなの党」–矛盾を抱える新自由主義– 

【投稿】「みんなの党」–矛盾を抱える新自由主義– 

 7月の参議院選挙において話題を集めたのが「みんなの党」である。民主党菅総理の「消費税議論」に対しては、「増税する前にすることがある」を対置した。2大政党から離れた有権者の受け皿となり、東京・千葉・神奈川選挙区で議席を確保した。比例区では、約794万票を獲得し7名が当選、合計10議席を得て、参議院で11名の議員数となった。(あとひとりはHIV訴訟原告の川田龍平議員で、2007年7月選挙で東京選挙区無所属当選の後、2009年2月「みんなの党」の前身、政治団体「日本の夜明け」に合流。)参議院では社共両党を越えて、第4党の地位を占めるに至る。
 なぜ「みんなの党」が躍進したのか。それは明らかに民主党の敗因の裏返しということになろう。民主党政権の10ヶ月間への期待はずれ、選挙直前からの菅総理の消費税発言により民主党離れが起こった。その受け皿になったのが自民党ではなく「みんなの党」であった。それでは「みんなの党」とは、どんな主張をしているのか、その基盤は何か、余り多くない資料の中から、考えてみたい。
 
 <公務員攻撃が第一の主張>
 「みんなの党」は、代表の渡辺義美が個性のある人物で、公務員制度改革をめぐって自民党内で対立し、後に離党者が相次ぐ中で、一番早く自民党に見切りをつけた人物として異彩を放っていた。昨年の衆議院選挙直前に、江田憲司議員とともに「みんなの党」結成、衆議院選挙では5議席を確保している。その後今回の参議院選挙までに自民党離党者が加入、保守新党として今回の選挙に臨んだ政党である。選挙では、雨後の筍のごとく乱立した自民党脱党組の「保守新党」の中では、唯一民主・自民の間で、大きく躍進している。
 その主張だが、外交・安全保障面では保守党として新しさは何もない。公務員政策・官僚政策において民主・自民を厳しく批判するとともに、消費税増税の前にやることがあると主張し、比例区では約800万票を獲得した(公明を抜き、比例区第3党。)東京・千葉・神奈川での選挙区当選、都市部での高得票など、都市部の無党派層から大きく集票することに成功している。
 「みんなの党」はマニフェストではなく、アジェンダという政策パンフを作っている。手元にあるので、読み返してみた。直感的に感じたのは、これは「小泉路線」とほとんど変わらないということであろう。「小さな政府」「規制緩和」「公務員攻撃」など。
 「増税の前にやるべきことがある」の項では、表題に「小さな政府(スリムな政府)にする」とし、1.国と地方の公務員人件費削減を実現する 2.民主党政権が断念した「天下り根絶」を断行する 3.「郵政再国営化」を許さず「郵政民営化」を進める 4.「官から民へ」を前進させ、独立行政法人の廃止・民営化等を実行する、とある。
 具体的な選挙戦では、この部分を特に強調したと思われる。民主党はマニフェストを実行していないと。
 
<セイフティネットに一定の配慮>
 一方で、小泉路線の反省からか、社会保障・セイフティネット政策には一定の修正が行われている。いわく、「我々「みんなの党」は、「生活重視」を最優先に、全力で取り組んでいく決意である」と。川田龍平議員が参加している印象も影響しているのか。
 「世界標準の経済政策を遂行し、生活を豊かにする」項では、「経済成長戦略で雇用を増やす」とし、1.未来を切り開く「経済成長戦略」を遂行する 2.格差を固定しない「頑張れば報われる」雇用・失業対策を実現する。「「生涯安心」「誰でも安心」のセーフティネットを構築し、生活崩壊をくい止める、の項では、1.病院崩壊、老人ホーム崩壊、年金崩壊を防ぐ 2.「子ども手当」を地域主権の観点から抜本見直し 3.社会保障口座を創設し、社会保障番号を導入する 4.社会的弱者に配慮した所得再分配を強化する などを掲げている。
 但し、税体系議論には、租税特別措置の見直しと法人税の実効税率20%への減税が記述されている程度で、消費税論議も封印。小泉時代までに所得税率が特に高額所得者に有利な税制になっている点、即ち所得税の累進性強化については触れられていない。低所得者に配慮する程度であろうか。基本的に、新自由主義の枠内での政策だと思われる。
 さらに、後述するが、雇用政策・労働政策では、従来の自民党路線と変わらない。年功賃金制の廃止と雇用の流動化推進策である。
 
<雇用の流動化を促進>
 社会保障問題には多くの記述があるものの、労働政策となると曖昧である。「格差を固定しない「頑張れば報われる」雇用・失業対策を実現する」の項には、①原則すべての労働者(非正規を含む)に雇用保険を適用、②同一労働同一待遇(賃金等)や正規・非正規社員間の流動性を確保、③雇用保険と生活保護の隙間を埋める新たなセーフティネットを構築(職業訓練・生活支援手当・医療保険の負担軽減策・住宅確保支援)、④民主党政権の派遣禁止法案は、働き手の自由を損ない、雇用を奪うもので反対、④最低賃金を経済成長により段階的にアップ、サービス残業規制、⑥ハローワークを原則民間開放などがある。
 問題は、雇用の流動化を確保という内容であろう。おそらく、解雇の自由化を意味しているものと思われるが、それは文字にされていない。流動化するということは、年功賃金の徹底した排除と「成績主義導入」ということになる。冒頭の公務員制度改革でも、原則労働基本権を与えた上で、公務員のリストラにより人員・人件費を削減すると書かれている。当然、解雇者・失業者の増大を予測しているだろうが、雇用保険の全労働者加入、職業訓練・失業手当に言及すれば、保険料の引き上げ、使用者側の負担増があってしかるべきだが、曖昧なままである。「流した汗が報われる政治」とは懐かしいフレーズだが、企業負担の増について言及していない。全体にアジェンダは、「検討する」などの曖昧な表現が多い。
 
<矛盾した新自由主義路線>
 同一労働同一待遇や全雇用者の雇用保険加入、低所得者への「給付付税額控除」など、社会的問題となっている貧困問題について、一定の了解事項が生まれつつあることは、選挙結果とは違う観点で評価する必要はあるとも言える。ただ、新自由主義が弱者救済を主張するという矛盾した姿として。
 天下り批判は当然としても、公務員賃金の引き下げ2割カットというのは、余りにも唐突であろう。それも地方公務員も同様である。昨年の民主党マニフェストでは、国家公務員の総人件費を2割カットとされている。この違いは大きい。人気取りの政策は止めた方がいいだろう。(3年間で、国家公務員1兆円、地方公務員4兆円の人件費を削減としている)
 
<地域主権について> 
 地域主権について「みんなの党」は、「地域主権型道州制」の導入で格差を是正するとし、3ゲン(権限・財源・人間)を地方自治体に委譲するとしている。7年以内に「地域主権型道州制」に移行する、国・州・地方自治体の歳入比は、2:3:5とし、国の中央省庁の役割は、外交・安全保障、通貨、マクロ経済、社会保障のナショナルミニマムなどに限定する、消費税は地方の基幹・安定財源とするとしている。
 地域主権は聞こえがいいが、道州制の中身については、上記の内容以上の記述がない。
 
<民主党と政策目標が交錯>
 今回の選挙結果から単純に想像すると、前回の参議院選挙の各党比例区得票から、民主党500万、自民党200万、共産党100万の合計800万票が、「みんなの党」に流れたとも言える。特に民主党の減らした票はほとんど「みんなの党」に流れたのではないか。
 「みんなの党」は、民主党の政権公約である「政治主導」が不十分だとし、脱官僚も同様である。民主党よりもこちらが徹底して行える、と主張したに過ぎない。民主と同様の都市型政党であること、企業・団体献金の全面禁止も掲げている。今後自民党がより衰退するとすれば、その受け皿になる可能性がある。これは3年後(?)の総選挙を待たないとわからない。しかし、ねじれた国会状況の中では、公務員問題があるとは言え、民・みん連携は、将来現実化する可能性が高いと見る必要がある。
 その意味で、特に労働諸課題における、民主党内での徹底した党内闘争、議論は起こしていく必要があると思われる。(2010-08-21佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.393 2010年8月28日

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【投稿】「へいわに!たのしく!くらしたい!」

【投稿】「へいわに!たのしく!くらしたい!」
     ~「平和の旅」後に、映画「キャタピラー」を観て考えたこと~

 わたしは、6年前から毎夏、教職員なかまとともに「平和の旅」を計画し参加している。沖縄→韓国(『ナヌムの家』)→済州島→知覧→岩国・大久野島→沖縄、それぞれの地で聞きとりをさせていただき、「負」の遺産を多数目にしてきた。
 今夏は、8月9~11日、長崎を訪れた。4月「軍艦島へ行きたい!」と言うメンバーの提案があり、長崎出身の友人のガイドを得て、「長崎平和ツアー」は実現した。
 台風の影響で雨が降ったりやんだりの中、平和公園内の「追悼長崎原爆朝鮮人犠牲者(碑)」に祈念の物を供えた後、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列した。広島での式典に参列する前に、長崎を訪れた潘基文国連事務総長が供えた花輪に引かれ、カメラのシャッターを押した。
 09年4月、オバマ米大統領はチェコ共和国プラハにて、「私は、米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、信念を持って明言いたします。」と演説、「核兵器廃絶」を提唱した。こうしたオバマ大統領の方針を反映し、今年8月6日、広島原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)にルース駐日米大使が初めて出席し、潘基文事務総長も国連事務総長として初の式典出席を果たした。
 秋葉広島市長は、平和宣言の中で、「今こそ、日本国政府の出番です。『核兵器廃絶に向けて先頭に立』つために、まずは、非核三原則の法制化と『核の傘』からの離脱、そして『黒い雨降雨地域』の拡大、並びに高齢化した世界全(すべ)ての被爆者に肌理(きめ)細かく優しい援護策を実現すべきです。また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯(しんし)に受け止め自ら行動してこそ、『核兵器ゼロ』の世界を創(つく)り出し、『ゼロ(0)の発見』に匹敵する人類の新たな一頁を2020年に開くことが可能になります。核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全(すべ)ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。」と提唱した。が、菅首相は、式典後の記者会見で「核抑止力は、我が国にとって引き続き必要だ。」と述べ、いろいろありながらも民主党政権を「支持」している者としては、またもや失望させられてしまった。
 旅のメインであった「端島(軍艦島)での学び」は、台風のため船が欠航しあきらめざるをえなかったが、心に残ることがいくつかあった。中でも、「岡まさはる記念長崎平和資料館」の展示資料は、これまで各所で見てきた資料より衝撃的で、日本の「加害」を鋭く問いかけている。長崎を訪れた際には、ぜひ見学を。
 主演の寺島しのぶが、第60回ベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀女優賞)を受賞したこともあって、話題作となった映画「キャタピラー」を、お盆明けの18日に観た。若松孝二監督は、「6月19日沖縄、8月6日広島、8月9日長崎、8月14日全国劇場」と、公開日にこだわったそうだ。わたしは、公開前から「キャタピラー」という題名が何かしら気になっていたが、視終わった後、「キャタピラー(芋虫)」で描いてみせた「忘れるな、これが戦争だ」という若松監督の強烈なメッセージが心にズシッときた。
 監督が「この映画では、戦争とは何なのか、戦争によって人間が破壊されていくとはどういうことなのかを、正面から描きたかったのです。それも、派手な戦闘シーンなどではなく、人間を通して描きたかった。」と語る、映画「キャタピラー」は、現在(9月10日までは上映予定)、「第七藝術劇場」(阪急十三駅から徒歩3分位)で上映中。
 「へいわに!たのしく!くらしたい!」わたしは、日々そう願っている。世界中の誰もが抱く願いかも知れないが、その完全なる実現には、まだまだ相当な努力が必要だ。「平和の旅」を重ねつつ、努力していきたいと思っている。
(教育労働者 Kawachi) 

 【出典】 アサート No.393 2010年8月28日

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【日々雑感】—65年目の「8月」に思う— 

【日々雑感】—65年目の「8月」に思う— 

 私は、大阪市内の某製薬会社に30年勤め、リストラで早期退職を余儀なくされて、その後いろんな会社を転々として、今は少額の年金暮らしの66才。年金だけでは食ってゆけないので、新聞配達をアルバイトに日々生き恥をさらしております。
 生駒氏、佐野氏のお勧めで、今回投稿させていただくことになりました。
 さて、毎年8月といえば、各メディアが一斉に、平和的な良い子になって、反戦を謳い報道するといわれていますが、それはそれで大変良い事だと思います。茶化す気は毛頭ありませんが、普段の報道でも、しっかりとした報道をしてもらいたいものだと思っております。
 私は、約30年、組合民主主義を願い、御用組合と言われる組合幹部と闘い、会社からも組合からも疎んじられ、いじめられてきたからでしょうか何か私の性格の中に、素直に物事を信じられない性格が形成されてきたように思います。これは私にとっても不幸なことだったかも知れません。息子にも「お前はお父の性格を、どう感じているか知らないが、お父の悪い面は、反面教師としてとらえ、お前のこれからの人生に生かしていってくれ」とは言っております。
 話は横にそれましたが、8月に入ってからの朝日新聞やNHKの番組は、本当に良い報道をしておりますね。日々の忙しさに感(かま)けて、切り抜きもしなかったことが悔やまれます。
 先日のNHKの吉永小百合さんの詩の朗読で、「生ましめんかな」という詩には感激しました。被爆した人々が横たわるあの生き地獄の中で、一人の女性が産気づいたのです。その時に、被爆して息も絶え絶えのお婆さんが「私は産婆をしておりました」と名乗りでたのです。そしてみごとに赤ちゃんをとりあげ絶命されたというものでした。驚くべきことにその赤ちゃんが、立派に成長なさってテレビに出ておられたのです。こういう事実は、何度でも良い、しつこくても良い、語りついでもらいたいものです。これからの若い世代の成長に役立つものですから。
 8・6、8・9、8・15、という日は、人々が心を新たに、反戦を誓い合う日にしたいものです。
 私の亡き母は、5人の子供を育て、上の2人は、四国の田舎に疎開させておりました。下の姉2人と私が、大阪大空襲にみまわれました。母は乳飲み児の私を背負い、姉2人の手を引いて、頭から布団をかぶって、淀川の堤防を逃げました。1人として我が子を死なせてなるものかとの思いだったそうです。私の頭には、その時の爆風で割れた傷口を縫った跡が今も深く刻まれております。布団の綿を引きさいて大きく割れた傷口に押し込んだそうです。
 逃げる途中で後方から「助けてー、助けてー、」と叫ぶ声に振り返ると、胸まで泥沼に浸かってしまって、もがいている婦人がいたそうです。亡き母は、思わずひき帰し、渾身の力で、その婦人の手を引っ張り上げ、後ろも見ずに私と姉2人をともなって、堤防を逃げ延びたと、よく話してくれました。助けた人が女性だったという以外、どんな人だったかもわからないと言っておりました。
 「お母さん、本当に良いことを、しなすったねえ。私は、あなたの子供に生まれて本当に良かった。あなたの子供であることを誇りに思って生き続けますよ。」という思いで毎年8月を迎えております。(早瀬 達吉)
                <表題は、編集委員の責任で加筆しました。> 

 【出典】 アサート No.393 2010年8月28日

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【本の紹介】『原爆の記憶 - ヒロシマ/ナガサキの思想』

【本の紹介】『原爆の記憶 - ヒロシマ/ナガサキの思想』
      著者 奥田博子(南山大学外国語学部准教授)
      発行 慶應義塾大学出版会 2010年6月25日発行 3,800円+税 

<<「唯一の被爆国/被爆国民」というスローガン>>
 著者は、本書発行元である慶應義塾大学出版会ホームページ上で「なぜ、いま、原爆をあらためて考える必要があるのか?」と題する特別寄稿の中で、
 「65年前の広島と長崎において、一体何が起こったのか。なぜ、広島と長崎に原子爆弾/核兵器が投下されたのか。その後、広島と長崎の原爆体験はどのように語られてきたのか。原爆投下という史実と原爆被害の実相を批判的に検証するうえで、日本政府が唱道する「唯一の被爆国/被爆国民」というスローガンは、アジアひいては世界で日本の立ち位置を模索するとき、障碍としかなりえないことを指摘できる。なぜなら、事後的に創られた「平和(文化)国家」日本という表象のもとで、広島と長崎の原爆体験や被爆の記憶をめぐる議論と想像力に枷を嵌めてしまうからである(なお、この点については拙著のなかで詳細に検討を加えている)。」と指摘している。そしてさらに、
 「国境を越えて共有されうる、また、共有されねばならない原子爆弾/核兵器に対する日本の道義的責任も忘れてはならないだろう。地球環境を含む私たちの社会そのものを考えさせるこの道義的責任は、ほんの少しの他者への思いやりと言い換えることもできる。他者と“触れ合う”なかで、いま、原爆をあらためて考えることは、私たち誰もがヒバクシャであり、ヒロシマ/ナガサキが訴える「核なき世界」を実現する役目を背負っているという責任を自覚することへと繋がってゆく。」と訴える。
 本書は相当に長い序と結論を前後に、以下の通りの目次にわかるように、日本の戦争被害者意識を正当化する「唯一の被爆国/被爆国民」という「集合的記憶」というものに焦点を当て、自らの戦争責任や戦争犯罪に対して免罪符を与えようとしてきた日本政府やマスメディアが、被爆地をどのように表象してきたのかを詳細に分析し、これらを歴史的かつ批判的に考察し、「ヒロシマ/ナガサキを私たち自身の問題として引き受け、考えていく意義」を提起した力作であり、その意義は大きいものがあるといえよう。
目次
第I部 軍都「廣島」「長崎」からヒロシマ/ナガサキへ
第1章 なぜ、広島と長崎が原子爆弾の投下目標となったのか?
第2章 広島と長崎では何が起こったのか?
第3章 広島と長崎はどのように想起/忘却されてきたのか?
第Ⅱ部 日本のなかの「ヒロシマ」「ナガサキ」
第4章 爆心地を再生する――広島と長崎の戦後復興
第5章 歴史/物語を保存する――広島平和記念資料館と長崎原爆資料館
第6章 記憶を記念=顕彰化する――広島平和記念式典と長崎平和祈念式
第7章 過去と物語・記憶を表象する――全国紙vs.地方紙
第8章 原爆体験を思想化する――かつて、いま、そしてこれから
第Ⅲ部 グローバル化のなかのヒロシマ/ナガサキ
第9章 検定歴史教科書のなかの原爆投下
第10章 「記憶の場」のなかの原爆体験

<<「内閣総理大臣の挨拶」>>
 その「第6章 記憶を記念=顕彰化する」は、8・6/8・9のそれぞれの広島平和記念式典と長崎平和祈念式、平和宣言、日本政府の関心、という項目に続いて「内閣総理大臣の挨拶」という項目があり、1960年以来の「唯一の被爆国民」という内閣総理大臣挨拶の類型が表として整理されており、その特徴が次のように述べられている。
 「広島平和記念式典および長崎平和祈念式で読み上げられる内閣総理大臣の挨拶には、四つの特徴を指摘することができる。第一の特徴は、「唯一の被爆国であるわが国」という決まり文句である。・・・つまり、「唯一の被爆国」ないし「唯一の被爆国民」というナショナルなアイデンティティ/神話には自己憐憫的な性格が強いという指摘ができる。・・・日本政府は、広島と長崎の原爆体験を日本の戦争被害と読み換えることによって、「恒久平和の樹立」と「核兵器の廃絶」に主体的に関わってゆこうとする意志を表明する。この主体性を明確にする「誓い」のことばが第二の特徴となる。・・・第三の特徴としては、日本政府による「原爆被爆者」と「被爆者援護」への言及が挙げられる。・・・第四の特徴は、「国是である非核三原則」という決まり文句である。」
 今年の菅総理大臣の挨拶も、この類型パターンと酷似するものであった。
 著者は、「原爆体験や被爆の記憶に対する私的な感情と「唯一の被爆国」ないし「唯一の被爆国民」という公的な政治見解との混同が、ヒロシマ/ナガサキが訴える核兵器廃絶と反戦/平和という普遍性のあるメッセージを空洞化させてきたことは間違いない。」と指摘する。
 そして「首都東京を中心とするナショナルな言説とは対照的に、一地方都市である広島と長崎は、被爆地として、原子爆弾による死者の鎮魂と抗議を介して人類が抱えている生存の危機を忘れてはならないと警鐘を鳴らしている。かつての帝都東京からのまなざしは、軍都「鷹島」「長崎」の原爆体験を鳥轍図的に「受忍」として表象する傾向にある。一方で、核時代のなかでポスト核時代に生きるヒロシマ/ナガサキは、虫撤図的なまなざしから、一国中心的な枠組みを超えてかつてキノコ雲の下で起こった「被害」を問い続ける。原子爆弾がどのように非戦闘員である一般市民を殺したのか、そして生き残った者に今なお何をもたらしているのか。ある意味で、ヒロシマ/ナガサキは原子爆弾/核兵器の致死的な影響や放射線の後遺症に対する現代の医療の無力さを象徴しているかのようでもある。さらに、原子爆弾という科学技術の進化を象徴する核兵器が高性能となり、殺す側の負担は小さくなってゆく。しかしながら、もう一方の殺される側の「いたみ」が変わることはない。殺される側の人々が発する声はどこへゆくのか。自らの痛み/傷み/悼みをともなわない戦争は広範な戦争容認論を引き出すだけではなく、戦争の意味を大きく変えることにもつながるだろう。」と指摘する。

<<「クリーン」かつ「グリーン」という誤った考え>>
 著者はさらに、「原子力/核エネルギーは、近年の地球温暖化ないし気候変動をめぐる環境問題との関連で、「クリーン」かつ「グリーン」なエネルギーというイメージ作りがなされている」ことにも警告を発し、「核の軍事利用」と「原子力の平和利用」はこのように明確に区別されるものではなく、原子力エネルギーの「平和利用」ないし「安全性」を肯定する科学的な根拠は何一つ存在しない、と主張する。
 「第一に、核兵器の製造過程と原子力エネルギーの製造過程、つまり核燃料サイクルは同一である。原子力発電所と再処理工場、そして濃縮工場があれば、広島型ウラン原子爆弾と長崎型プルトニウム原子爆弾どちらの核兵器も製造することが可能である。これが核拡散の根本的な問題であり、「核の軍事利用」と「原子力の平和利用」を区別することができるという大前提に妥当性がないことの証拠でもある。第二に、電気出力一〇〇万キロワットの原子力発電所を一日稼動すると、三キロの核分裂生成物、つまり「死の灰」が生成される。この量は、広島に投下されたウラン原子爆弾がもたらした「死の灰」の強さに匹敵する量である。ストロンチウム九〇、セシウム一三七、沃素一二九といった長半減期がきわめて有毒な放射性物質が含まれる「死の灰」を処理する方法はいまだ見つかっていない。さらに、原子力発電所のもたらす放射性物質の影響は、温排水、長期微量放出、事故漏洩、放射性廃棄物の処理、そして使用済み核燃料の再処理を通じ、大量かつ長期間にわたるものである。水や土、空気といった自然環境、そして人類や生物が汚染され続けるのである。こうしたことから、原子力/核エネルギーは「有害汚染物質を含んでいない”clean”」かつ「環境に配慮した”green”」なエネルギーであるという誤った考えは問題視されるべきであると考える。」
 「結論」の中で、著者は「本書では、広島と長崎の原爆体験を一枚岩に捉えるのではなく、国民国家的な価値観との軋轢を抱えながらもナショナルな集合的記憶として記念=顕彰化されてゆく過程で取り残されている多声性(ポリフォニー)から捉えようとした。なぜなら、敵味方である以前に、人間が人間に対して行った行為として「国籍化」された「ヒロシマ」「ナガサキ」を「ヒロシマ/ナガサキの思想」として普遍化してゆく必要があるからである。それは、他者にどれだけ〝共感〟できるかという問いかけでもある。」と述べている。本書を「ヒロシマ/ナガサキの思想」とする所以でもあろう。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.393 2010年8月28日

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【コラム】ひとりごと—若者はなぜ損をするのか– 

【コラム】ひとりごと—若者はなぜ損をするのか– 

○最近興味深い新書を読んだ。PHP新書6月新刊の「世代間格差ってなんだ—若者はなぜ損をするのか—」である。著者は、城 繁幸、小黒一正、高橋亮平の共著である。○お勧め本だからというわけではない。ちょっと複雑な思いもあるが、新しい見解として着目する必要があると考える。○現在そして今後少子高齢化が進む近未来において、若者が高齢者との比較において、雇用や社会保障、所得再配分や政治的発言の力などにおいて、「損をし続ける構造」を分析し、著者達なりの解決策を本書において提示している。著者のうち城氏は、かつて富士通の人事部における成績主義を明らかにした本の著者であり、その他の方は城氏と同世代の研究者である。○彼らは、昨年の総選挙前に「ワカモノ・マニフェスト」を立ち上げ、本書においても各政党の政策を、独自の視点から採点するなど、一定の政治的動きも示している。(http://www.youthpolicy.jp/)○大企業では中高年の雇用と賃金を守るために、若者の正規雇用が縮小され、非正規労働が蔓延している。そのため、若者の閉塞感が強くなっている。「今の若者たちを雇用面で不利な立場に追い込んでいるシステムとは何か。結論から言えば、それは「終身雇用」「年功序列」という従来の日本型雇用システムにほかならない」と。その解決策として、「それは、正社員雇用の流動化以外にない。つまり、正社員の賃下げと(一定条件での)解雇を認めることだ。それによって正規・非正規の壁は消えて無くなるだろう。賃下げが正規においても実行されれば、非正規の間で適正な競争が行われる。能力と熱意のある非正規労働者はどんどんレベルの高い仕事を与えられ、階層が流動化するのである。」雇用の流動化が必要だとするのである。○今後進む少子高齢化の中で、一層世代間格差は広がるという。年金・医療・介護の分野である。例えば年金の場合、現時点では賦課方式であるので、若い世代の保険料が、年金受給者の財源になっている。未来永劫、負担と受益のバランスが保たれるのであれば、賦課方式も妥当性があるが、今後の少子高齢化は、明らかに若い世代に不利益を生むのは必至だ。内閣府の平成17年調査では、年金や医療、社会サービス全体の負担と受益が公表されているのが本書で紹介されている。調査時点で60代以上の世代は、負担と受益を比較すると、4875万円のプラス、30歳台では、1202万円のマイナス、20歳台は1660万円のマイナス、その後の将来世代では、4585万円のマイナスとなり、その差は、最大9000万円を越えるという調査結果である。○年金については、賦課方式から積立方式に替えて、負担と受益を明解にする制度改正や、世代間の格差を是正する法案の制定を結論としている。○現状では、ワカモノ・デモクラシーに対して、シルバー・デモクラシーが力を持っているとする。例として、2007年の参議院選挙が取り上げられる。「0-30歳代の人口は全体の44.9%を占めているにも関わらず、総投票者に占める割合はわずか23.5%である。一方、60歳以上の高齢者の人口割合は28.1%であるのに対して、投票者数の割合は、40.4%に上る。」この傾向は、今後一層強まるという。若者の声よりも高齢者の声が強い実態があり、マスコミも高齢者に傾斜した報道が多いと指摘されている。さらに今後の予測として。投票者に占める高齢者の割合は増え続け、2050年には6割が60歳以上となる。(世代投票率を一定としたNPO推計)○こうした現状に、ワカモノ・デモクラシーを強める政策が必要だと本書は主張するのだ。○日本の社会保障は、高齢者向けに偏っており、若者向けは極めて少ないと指摘し、先進国の比較でも同様であると。(若者関連政府支出のGDP比較では、スウェーデン6.0%、フランス4.1%、日本1.6%OECD調査)そこで、子育てや保育、教育、労働分野での若者政策にさらに力を注ぐべきであり、教育機会格差の是正、公教育サービスの質の向上、子育て支援の充実、などの必要性が示されている。○本書は、政策パッケージとして、よくまとまっている面はある。非正規・不安定雇用労働者が、勤労者全体の3割という現状で、どうして結婚や子育てができるのか、という悲鳴にも似た声を反映もしている。しかし、政治的に収斂させると、各党マニフェスト比較では、特に雇用の流動化政策を明確にしている「みんなの党」の評価が高くなっている。(自民56.8、民主39.3、公明60.7、共産16.1、社民13.9、みんな83.7)○我々の世代は、労働運動・学生運動など社会運動では青年が運動の主軸という気概だけは持っていた。今の若者は本書の指摘する「損をする若者像」に怒りを感じるべきだし、政治的社会的発言・行動が求められていることだけは確かなことだろう。(佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.393 2010年8月28日

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【投稿】菅新政権:参院選敗北が明らかにしたもの

【投稿】菅新政権:参院選敗北が明らかにしたもの

<<「民主党のオウンゴール」>>
 参院選での民主党・菅新政権に対する有権者の審判は痛烈であった。民主党は改選前議席を10議席も減少させ、与党過半数維持どころか、過半数を大きく割り込む事態をもたらしてしまったのである。菅新政権は、政権基盤を固めるどころか、船出したばかりだというのに、すでに満身創痍、よれよれ、弱体化の様相を呈し始め、よほどの徹底した反省と路線の再転換、立て直しを図らなければ、政権維持さえおぼつかない事態を迎えようとしていると言えよう。
 昨年夏の衆院解散・総選挙での自民党の大敗、民主党の大勝、歴史的ともいえる政権交代の実現から、まだ10カ月余りしか経過していないにもかかわらず、このような事態をもたらしてしまった民主党執行部の責任はきわめて大きいといえよう。圧倒的多数の人々が期待した政権交代の内実を築きえず、むしろ自公政権時代に逆戻りしたかのような菅新政権による路線転換、「国民生活が第一」から「財政再建が第一」への路線転換が厳しく断罪されたのである。
 参院選の各党の得票数、議席数は以下のとおりであるが、

参議院議員通常選挙の比例代表選挙における各政党の得票数

政党名 2004年(票) 2007年(票)  2010年(票)
民主党 21,137,457 23,256,247 18,450,140
自民党 16,797,686  16,544,761 14,071,671
公明党 8,621,265 7,765,329 7,639,432
みんなの党 7,943,650
共産党 4,362,573 4,407.932 3,563,557
社民党 2,990,665  2,634,713 2,242,736
国民新党 1,269,209  1,000,036
立ち上がれ日本  1,232,207
創新党  493,619
女性党 989,882  414,963 414,963
幸福実現党  229,026
新党日本  1,770,707
維新新党・新風 128,478 170,509
共生新党 146,984
みどりの会議 903,775
九条ネット 273,745
合計 55,931,785 58,913,700 58,453,432

●党別得票数と当選者数【比例代表】 ●党別得票数と当選者数【選挙区】
民主党 1845万票 16議席   民主党 2275万票 28議席
自民党 1407万票 12議席   自民党 1949万票 39議席
公明党  763万票  6議席   公明党  227万票  3議席
みんな  794万票  7議席   みんな  598万票  3議席

 その特徴は、51議席を獲得し、改選第一党となった自民党は、比例代表の得票率は24・07%にとどまり、04年の30・03%、07年の28・08%からすれば、その低落傾向は厳然として続いており、今回もその獲得票数は前回より250万票近くも減らしているのである。にもかかわらず、自民党が改選第一党となりえたのは、それ以上に民主党が票を減らし、「選挙区は自民、比例は公明」という自公の連携選挙が有効に働き、自民は1人区で圧勝し、民主党は比例区でも選挙区でも自民票を上回る票を獲得しながら惨敗したのである。自民党衆院議員・河野太郎氏によれば「民主党のオウンゴール三発で、シュートを一本も打てなかった自民党は負けずに済んだ。」(ごまめの歯ぎしり7/12号)というのが実態であった。

<<「党が沖縄を裏切った」>>
 さらに沖縄選挙区の実態が、今回の選挙の特徴を象徴的に示している。同選挙区の投票率は、前回より7・88ポイントも下回り、52・44%と過去最低、全国でも最低であった。しかも民主党は全選挙区で唯一、沖縄選挙区で公認・推薦を擁立できなかった。普天間基地の「最低でも県外、できれば国外」という公約を破り、「辺野古回帰」という最悪の選択に逆戻り、これによって三党連立、鳩山政権が崩壊したにもかかわらず、新たな菅政権は日米合意を当然のごとく継承し、辺野古回帰路線の沖縄への押し付け、さらには日米軍事同盟礼賛路線にまで推し進め、沖縄県民挙げての大反発を考えれば、候補者擁立などとてもできなかったのである。沖縄県民の政治不信は極に達したといえよう。
 菅首相は6/24の参院選公示後、沖縄県を訪れることは一度もなく、沖縄以外の全国遊説でさえ、普天間問題への前政権の対応を謝罪はしても、共同声明を継承し、日米同盟を「国際的な共有財産」などと礼賛した理由はもちろん、自ら約束した沖縄の負担軽減策についてさえまったく語ろうとせず、ただただ争点隠しに必死だったのである。
 しかもその沖縄選挙区では、現職の島尻安伊子氏(自民公認、公明県本支持、258,946得票)が、新人で無所属の山城博治氏(社民、社大推薦、215,690得票)、伊集唯行氏(共産党推薦、58,262得票)ら3候補を破り再選を果たしたが、その島尻氏は、自民党の公約に反して普天間基地の県内移設反対、日米共同声明反対、さらに消費税増税反対を明確に掲げて当選したのである。山城氏と伊集氏の票を合わせれば島尻氏を上回っていたにもかかわらず、共産党はここでも犯罪的なセクト主義によって自民党の勝利に貢献したのである。
 注目されるのは、社民党の全国での比例得票率は3.8%と低かったにもかかわらず、沖縄県内では22.7%で、民主党の22.5%(11万8915票)を上回り、県連レベルで県内移設に反対した自民党の17.6%(9万3385票)、普天間の無条件撤去を訴えた共産党の6.8%(3万6155票)をはるかに上回ったことである。
 民主党の比例代表候補で県出身の喜納昌吉氏は、「政権は沖縄問題から逃げている」と訴えたが、〇四年の178,815票から70,726票に減らし、再選を果たせなかった。「党が沖縄を裏切ったという感情が強かった」という氏の述懐は、その悔しさがにじみ出ているといえよう。ここでも、菅新政権、民主党執行部の責任はきわめて重大である。
 投票日の直前の7/10、菅首相は福井県での街頭演説で「確かに政治とカネとか、普天間のことで少し心配をお掛けしたが、それもクリアをして、いよいよ時計の針を進めようという時の選挙だ」との認識を示していたが、いったい何をクリアしたというのか、このお粗末で無責任な認識は有権者をさらに反民主に追いやったと言えよう。

<<「逃げ」、「ぶれ」、「すり替え」>>
 そうした民主党の迷走にダメ押しをしたのが、菅首相自らが提起した唐突な消費税10%増税問題であった。内閣支持率が一時期60%を超え、それで有頂天になったのであろう、6/17の民主党のマニフェスト発表会見で、消費税増税をマニフェストに入れることを明らかにし、超党派の議論を呼びかけて「自民党が提案している10%を参考にしたい」と表明し、「今年度中に増税案を取りまとめる」ことを明言し、「当面の税率を10%とする」趣旨の発言を明示したのである。そして質疑応答を担当した玄葉光一郎政調会長は「消費税率10%引き上げを最速で2012年秋に実施する」ことを明言し、これは党の公約になることを認めたのであった。首相自身も6/21には「公約と受け取って頂いて構わない」と踏み込んでしまった。
 ところがその後、内閣支持率の急落、消費税大増税に反発する世論の強まりにあわてふためき、菅首相お得意の「逃げ」、「ぶれ」、「ごまかし」、「すり替え」、「火消し」が始まった。「私が消費税に触れたことが、すぐにでも消費税を引き上げるのではないか、という心配につながったところがあったのかなと」と逃げ、「すぐにでも消費税増税を実施するとの印象を与えたのは誤解だ」とごまかし、青森市内での演説では「年収200万円とか300万円とか少ない人」、秋田市内では「年収300万とか350万円以下の人」と述べたかと思うと、山形市内の演説では「例えば年収300万、400万以下の人にはかかる税金分だけ全部還付するという方式、あるいは食料品などの税率を低い形にする方式で、負担が過大にかからないようにする」とぶれにぶれまくり、それも行き詰ると「もともとそういうふうに(消費税は一切手をつけないと)いっていたが、私の声が小さすぎて、なかなか届かなかった」などと、自身の“声の大きさ”の問題にすり替え、ついに選挙戦終盤の街頭演説では「次の衆院選までは1円も上げない」と言及するなど火消しに追いまくられたのであったが、この時点ではすでに、このような自らの言動にさえ責任をもてない菅首相のあきれた政治姿勢、その場しのぎの公約の乱発と政策の迷走、それを弁護する閣僚や民主党執行部は有権者から見放されていたといえよう。
 有頂天から大敗北へ、菅首相は貴重な経験をしたのであるが、果たしてこのような公約違反を平然と行い、綿密な政策形成もできず、党内合意、政権合意すら手順を踏めず、政策で迷走と混乱を重ね、結果として政権が弱体化し、指導力やリーダーシップがほとんど期待できないとすれば、この政権に何が期待できるのであろうか。何よりも民主党内自身の責任の明確化と再編成が要請されるであろうし、政界再編成もありえよう。しかしそれは、「国民生活が第一」という政権交代の画期的意義をぶち壊すようなものであってはならないことが強調されるべきであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.392 2010年7月24日

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【投稿】韓国哨戒艦沈没事件と情報操作

【投稿】韓国哨戒艦沈没事件と情報操作
                            福井 杉本達也 

1 安保理の「議長声明」-北朝鮮に“無罪”
 3月26日に起こった韓国哨戒艦「天安」沈没事件から3か月以上経過した7月9日、安保理は、「決議」ではなく拘束力の弱い「議長声明」という形で、しかも、行為の主体を明らかにせず「攻撃に遺憾の意」を表するだけで決着した。そして「事件に無関係だと主張した北朝鮮を含む関係国・団体の反応に留意」する一文が付け加えられ、「日米韓が当初探った『できる限り強い措置』とはほど遠いところに“着地”した」(日経:2010.7.10)。北朝鮮は声明を評価し「『韓国の哨戒艦事件に関する議長声明は、米韓が朝鮮を陥れようとする企みはおろかなものであることを証明している』と述べ、『安保理の議長声明は哨戒艦沈没事件について明確な判断を出していないし、結論も下していない。真相をまだ究明していないこの事件について、このような結果がでたのはあたりまえのことだ』と述べた。」(中国「人民網」:7.12)。北朝鮮の完全“無罪”の「判決」である。
 既に米国務省のクローリー次官補は6月28日の定例記者会見で「韓国海軍哨戒艇沈没事件は『国際テロ行為ではない』と指摘、北朝鮮に対しブッシュ前政権が2008年10月に解除したテロ支援国家指定について、沈没事件を根拠にした再指定はできないと判断したことを明らかに」している(福井―共同:2010.6.30)。「議長声明」は、この3ヶ月間に米韓両国が上げた手を下ろすための「儀式」にすぎない。

2 沈没事件の顛末
 当初、爆発の原因は不明だが北朝鮮の直接の関与はないものと報じられた。クローリー次官補も3月26日、北輯鮮の攻撃を裏付けるいかなる証拠も見つかっていないと述べた(産経:3.27.28)。元世勲韓国国家情報院長は4月6日、国会情報委員会における答弁で、北朝鮮が関与している可能性は見出せず、一部の軍人の突出的攻撃についても疑わしいとの冷静な見方を示した。(『ハンギョレ』)。
 事件が急展開するのは4月15日に調査団が沈没した天安の船尾部分を引き上げて以降である。「外部爆発の可能性大」「機雷。魚雷攻撃か」(福井―共同:4.17)と北朝鮮関与を匂わす発表を行った。さらに、事件を「北朝鮮の犯行」と“決めつけ”たのは、5月20日の調査団の中間報告である。「北(北朝鮮)製の魚雷による水中爆発」が沈没原因と断定、魚雷は「北の小型潜水艦から発射された以外に説明できない」とした(福井―共同:5月21日)。
 南北朝鮮は一触即発かと思われたが、意外にも5月24日の李明博大統領の戦争記念館での談話は抑制の利いたものであった。「『われわれの究極目標は軍事対決ではなく、韓(朝鮮)半島の平和と安定、(そして)民族の共存共栄だ』。李大統領は演説の約3分の1を割き、国際社会の責任ある一員として行動するよう北朝鮮に強く訴えた。…保守派からは、南北協力事業である開城工業団地についても『廃止すべきだ』との声が噴出したが『あえて事業継続を決断した』 」(福井―共同:2010.5.25「南北関係断絶避けた韓国」)。その後、国連やG8に舞台を移し、事態は展開したが、李大統領の戦争はしないというメッセージだけは正確に北朝鮮に伝わったものと思われる。

3 明らかになってきたこと
 まず、5月20日の韓国調査団の発表した「北朝鮮製魚雷」について、回収されたスクリューの破片がわずか2カ月程度海中にあっただけで激しく腐食している点、北朝鮮魚雷のシリアルナンバーと報道された油性マジックでハングルの1(?)と表記された文字が50日以上海中にあったにもかかわらず鮮明すぎる点、艦船を真二つに破壊するほどの衝撃があったにもかかわらず、公開された魚雷の部品が歪みも破損もなく完全に形が整っている。スクリュ-も欠けておらず曲がってもいない(河信基氏)。北魚雷の設計図とされたものに謎のカタカナ表記があり(県民福井:5.24)、最終的にこの設計図は誤りとされた(『ハンギョレ』)。さらにはこうした疑問点を補強するものとして、独自調査団を韓国に派遣したロシアは、「北朝鮮の犯行と断定できない」(日経:6.17)としたのである。

4 韓国の国内世論
 5月24日に行われた『韓国日報』の世論調査によると、「哨戒艦沈没調査結果を信じるか?」という問いに対し、「全面的に信じる」が24.4%、「信じる」が45.7%あるものの、「信じない」が16.6%、「全く信じない」が7.4%もあり、韓国国民がこの事件に対して意外と冷静であることが明らかとなった(日経:5.28)。さらに、6月2日投票の韓国統一地方選挙では、与党ハンナラ党の惨敗に終わった。沈没事件を利用しようとしたハンナラ党はソウル市長選を辛うじて制したものの、北と接する仁川市や江原道では敗北した。韓国内の北朝鮮制裁論は失速してしまったのである(日経:6.4).また、6月15日には韓国の市民団体参与連帯が安保理に対し、韓国調査団の結論に疑問を投じる書簡を送っている。韓国政府は、これに対し「一体どこの国民なのか」と批判したが、参与連帯は「民主主義国家のNGOが展開する日常的な活動だ」と反論している(毎日:6.16)。
 1988年の盧泰愚大統領が掲げた7.7宣言を経て南北関係を大きく改善し、GDP世界13位の経済発展を遂げた。現代グループやサムスン・LGといった世界的企業を輩出までになった。北朝鮮との全面戦争はこうした経済成長を台無しにして、韓国を再び1960年以前の状態に戻すことである。この間、都市に人口や工場が集中し、戦争にきわめて弱い国家構造となっている。韓国国民の誰も戦争を望んでいないのである。

5 明らかにならないこと
 そもそも、鋼鉄製の軍艦が荒天時でもないのに簡単に真二つに破壊されて46名もの乗員を乗せたまま簡単に沈没する理由はなんであろうか。一般船よりはるかに剛構造の軍艦が「完全分離破断が起きうる唯一の可能性、それは、天安船底の中央部に集中的にかつ上向きに強大な剪断力と縦方向曲げモーメントが同時作用したケース」(ベンチャー革命:5.23)である。沈没した海域周辺は南北の境界線があいまいな係争区域であり、海の“火薬庫”として知られ、これまでしばしば南北の艦艇による軍事衝突が起きている。事件当時、米韓軍事合同演習が行われており、当然、哨戒艦である「天安」は北朝鮮の潜水艦や魚雷をレーダーやソナーを使って“哨戒”していたはずである。田中宇氏は早くから「天安艦は米潜水艦から誤爆された」という説を採っている(田中宇「韓国軍艦『天安』沈没の深層」2010.5.7)。又は2001年2月のえひめ丸のように米潜水艦と衝突した可能性もある。ロシア海軍予備役大佐は「魚雷攻撃ではなく、弾薬、爆発の可能性が高い。水中音響探知システムで周辺を探知するのが哨戒であり、天安が魚雷攻撃で沈没したとしたら、彼らは海軍ではなく、穀潰しだ」と述べている。

6 米国戦争勢力の主導する極東の緊張
 事件後、米韓両国は黄海上で合同軍事演習を行うと脅しをかけている。日本の横須賀を母港とする原子力空母「ジョージ・ワシントン」をこの軍事演習に参加させるという。これに対し、中国は7月8日「外国軍艦船が黄海など中国の近海に入り中国の安全保障上の利益を損なう活動を実施することにたいして断固として反対する」(毎日:7.9)と表明している。中国の天津市は黄海に面している。天津開発特区にはトヨタをはじめ伊藤忠・田邉製薬など様々な日本企業が進出している。また、韓国の現代自動車・サムスン・LGなどが進出している。アメリカ企業としてはAT&A、コカコーラ、モトローラなども進出している。また、最近重要性を増している大連・青島も黄海に面している。天津から北京までは高速鉄道で1時間である。中国の一大政治経済の中心である。
 このようなところで、戦争状態を引き起こすならば誰の利益なるのか。少なくとも経済が急成長する中国にとって何の利益もない。また、韓国にとっても、これまでの安定した経済成長を台なしにすることである。しかし、米国の戦争勢力は極東に緊張状態を醸し出して軍事予算を獲得することを狙っている。米オバマ政権は軍事費を5年間で1000億ドル(約9兆円)削減すると表明したが、議会側は1兆ドル規模の削減を目指し、努力不足と反発している(日経:7.10)。アフガニスタンでは、苦戦中であり現地司令官を交代せざるを得なくなった。こうした、アフガニスタンや極東の火つけにヒラリー・クリントンが飛びまわっている。オバマは逆にカルザイとの調整や司令官の更迭など火消しに飛び回っている。哨戒艦沈没事件はこうした米国戦争勢力の動きに利用されている。韓国李政権は米の動きにいやいや従わされている。韓国は、2012年の予定だった在韓米軍が持つ朝鮮半島における有事作戦統制権の韓国軍への移管を2 015年12月まで延期することを決めたが、戦争指揮権という国家の存亡を米国に握られた「属国」の悲哀である。

7 国際社会から相手にされない「属国」日本
 前鳩山政権は5月21日に来日したクリントンに恫喝され、普天間基地の辺野古への回帰を表明した。5月24日のNYT電子版は「オバマ米政権の勝利で、鳩山首相にとっては屈辱的な後退」とする記事を掲載した。一国の首相が米軍にとってはさほど重要ではない基地1つで首を切られるということは、米戦争勢力の完全勝利であり、日本国民にとっては最大の屈辱である。わずかな日本滞在後、クリントンは中国を訪問し6日間も滞在し、胡錦涛国家主席を恫喝したが、中国は戦争勢力に同調することはなかった。他方、“完全屈服”した鳩山前首相は5月30日の日中韓首脳会談で、事件を安保理に提起する韓国の方針を支持した。安保理は北朝鮮の“無罪”を声明したが、日本は上げた手をどうするのか。「属国」として戦争勢力に忠実に従い、極東における戦端を開かせるのか。同じ「属国」でも韓国はしたたかに開城団地の権益だけは死守した。これだけ経済関係で緊密化した極東においての火遊びは日本を壊滅させることになる。 

 【出典】 アサート No.392 2010年7月24日

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【投稿】修正加速するアメリカの世界戦略と東アジアの情勢 

【投稿】修正加速するアメリカの世界戦略と東アジアの情勢 

<一方的な移転計画変更>
 この間複数のメディアが、沖縄駐留米海兵隊のグアム移転について、「アメリカ側が当初の計画を変更、沖縄に司令部を残し、戦闘部隊を多めにグアムに移駐させる方向」と報道している。
 これまで2006年のロードマップで示されている、海兵隊8千人と家族9千人のグアム移転については、第3海兵機動展開部隊(3MEF)司令部とその要員が中心とされていた。
 つまり、司令部は後方にさがるが、戦闘部隊基幹は引き続き沖縄に駐留し、「抑止力」を発揮するものと捉えられ、新旧の日米両政府もことある毎にそれをアピールしてきた。
ギリギリまで普天間基地の県外、国外移設にこだわった鳩山前総理も最後には「沖縄に駐留する海兵隊の抑止力が重要なことを学んだ」などと発言、辺野古移設を合理化する口実としていた。
 ところが、去る5月28日、日米安全保障協議委員会(SCC)=日米2+2(外務、防衛閣僚=岡田外相、北澤防衛相、クリントン国務長官、ゲーツ国防長官)が連名で発表した日米共同声明ではアメリカ側の要求でその部分が微妙な表現となった。
 声明では「両政府は、09年2月17日のグアム協定(在沖縄海兵隊のグアム移転に係る協定)に従い、3.MEFの要員・・・の沖縄から米領グアムへの移転が着実に実施されることを確認した・・・米側は、地元の懸念に配慮しつつ、抑止力を含む地域の安全保障全般の文脈において、沖縄に残留する3.MEFの要員の部隊構成を検討する」と書かれている。
 「抑止力を含む地域の安全保障全般の文脈」とは、駐留理由において「抑止力」が絶対要件ではなくなり、トータルな観点=アメリカの都合で、残留部隊を決めると言うことであり、「地元の懸念に配慮」とは沖縄の事情も考えてますよ、というリップサービスと変更は日本のせい、というだめ押しである。
 日本政府が必死になって説明してきた、海兵隊の沖縄駐留理由を否定するような事を突然アメリカ側が言い出してきたわけである。
 移転部隊の差し替えについて詳細は明らかになっていないが、司令部に変わり戦闘部隊数千人程度を追加し、現在普天間に駐留する問題のヘリ部隊も移転する可能性があるという。そうなれば、代替施設を辺野古近辺に建設する必要性はますます薄れていき、これまでの議論は白紙に戻るかも知れない。

<アフガンが最重要>
 こうした決定の背景にあるのは、世界的な米軍再編=トランスフォーメーションに基づくアメリカの世界戦略と「対テロ戦争」が、とりわけアフガン情勢の悪化に直面し修正を余儀なくされ、この影響が、「脅威」の見積もりに於ける日米韓のギャップが存在している東アジアに及び「同地域軽視」として現れていることである。
 アフガン情勢については深刻な事態になりつつある。オバマ政権は今年2月「4年ごとの国防政策見直し」(QDR)を発表。これまでの2正面作戦を見直し、アフガン最優先の戦略を打ち出した。
 これに沿って「立つ鳥後を濁す」ようにイラクからの撤退を進める一方、アフガンに対しては来年からの撤退をスムーズに進めるため、今年中にタリバーンとの「決着」を付けようと増派を進め、この春からアフガン軍と共同で大規模な軍事作戦を展開しているが、状況は芳しくない。
 こうしたなか6月末には派遣軍の司令官であるマクリスタル陸軍大将が、雑誌のインタビューでアメリカ政府批判を展開。激怒したオバマ大統領に召還されたうえでの「辞表提出」という事実上の解任処分を受けた。
 現在、アメリカ軍はカンダハル制圧に向けた準備を進めているが、タリバーンの巧妙な戦術に翻弄され、消耗戦を強いられている。対ソ連用に構築された空母打撃部隊や戦略空軍は、アフガン戦争、イラク戦争の緒戦では威力を発揮したが、本格的な非対称戦争のでは、有効な戦力にはなっていない。

<中国とは妥協と協調>
 QDRによれば、中国について「潜在的な敵国に関する記述」で、北朝鮮などとともに触れ、「攻撃型潜水艦や空母の建造、コンピューターネットワークや宇宙空間での攻撃能力向上など・・・で近代化を進めている」として「そうした近代化の長期的意図が何なのか疑念を生んでいる」と指摘しているが、正面とは位置づけられていない。
 この間の「チョナン」爆沈を巡るアメリカの動きをみれば明らかで、QDRの表現とは裏腹に、中国に対する配慮を押し出した行動を見せている。
 当初6月上旬にも黄海で予定されていた米韓合同演習は、国連安保理の動きを見ながら、規模や日程も明らかにされない中、ズルズルと延期。そうするうちに7月9日に、国連安保理議長声明が明らかになった。
 アメリカと中国の妥協による声明は「46人の人命損失を招いた攻撃を非難する」として沈没の原因が「攻撃」であることを認めたものの、攻撃の主体については言及しないという、曖昧な表現のものとなっている。
 こうした決着を見越し、中国は本誌390号で指摘した「何らかの反応」として黄海での米韓合同軍事演習に断固反対することを再三にわたり表明、7月15日には東シナ海でミサイル演習を実施した。
 これらの動きを受け、アメリカも当初の計画を変更。演習自体は行うものの黄海と日本海に分散、懸案となっていた原子力空母「ジョージ・ワシントン」は黄海には入らない方向となっている。
 これらは、韓国と同国に対する「全面支持」を打ち出した日本政府から見れば明らかに弱腰であり、とりわけ韓国にとっては、先の国連議長声明とともにフラストレーションのたまる内容となっている。

<はしごを外すアメリカ>
 韓国に対しては、現在アメリカ軍が持っている韓国軍の指揮権である作戦統制権の韓国への移管について、当初予定の2012年4月から約3年半延期することで、引き続き韓国防衛に責任を持つ姿勢を示した。
 しかし在韓米軍については、一時アフガンへの派遣が検討されるなど、ここでもアメリカの都合が露骨に見え隠れしている。普天間のヘリ部隊などは、アフガン派遣で定数割れが常態化していといわれており、日本の期待とは違い、中国や「テロ支援国家」再指定が見送られた北朝鮮への対応など2の次であることが判る。
 それでは、アフガン情勢が好転し、撤退が順調に進めば東アジアが「作戦正面」=戦闘部隊の貼り付け対象になるかといえば、そうはならないだろう。トランスフォーメーションにおける在外駐留兵力の引き上げは既定事実で、韓国軍の指揮権移管延期などはあるものの、QDRでの実戦部隊の前方展開戦略の見直しはそれを加速化させる形となっている。その具体的な形はアメリカ政府が、今年末をめどに策定を進めている「世界規模の兵力構成見直し」(GPR)で明らかになるだろう。
 現在菅政権は、日米合意の着実な実行を表明し、辺野古移転を推進しようとしているが、民主党政権にとっては2階に上がってはしごを外されたような事態となるだろう。参議院選挙において沖縄で示された民意を踏まえ、空洞化しつつある日米同盟の見直しをすすめることこそが求められている。 (大阪O) 

 【出典】 アサート No.392 2010年7月24日

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【本の紹介】『税を直す』

【本の紹介】『税を直す』
      著者 立岩真也・村上慎司・橋口昌治
      発行 青土社 2009年9月10日発行 2,200円+税 

<<菅首相の迷走>>
 何が何でもとにかく10%以上の消費税増税にしがみつき、年収200万、300万、350万、400万と日ごと場所ごとに基準が変わる戻し税や食料品などへの軽減税率などその場その場で思いつくままに発言し、そのあまりのブレの大きさと不用意さに大反発を食らい、迷走の果てに、今度は消費税論議にまったくふたをし、参院選大敗北を自ら招いてしまった菅首相を先頭とする民主党政権の人々、このあきれた思い上がりもはなはだしい人々は、そもそも税制論議などはなから真剣かつ十分にに精査・検討・論議などまったくしていなかったことを暴露してしまった。年収400万円以下となると納税者の8割以上にも達するという、これらの人たちが1年間に支払った消費税全額をすべて集計して還付するなどという、まったく非現実的で膨大な経費がかかり、30%以上の消費税にしなければ逆に減収をさえ招きかねない、何のための増税なのかその目的をさえ疑われる、その場しのぎの思い付きで、とにかくこの選挙戦を乗り切ろうなどという政治姿勢そのものが、投票権を行使する有権者を冒涜する浅はかな行為であったといえよう。当然の厳しい審判を受けたわけである。
 ここに紹介するのは、昨年9月に発行されたものであるが、政権交代の意義を実りあるものとするために、ぜひともこのような民主党政権の人々に頭を冷やすために精読してもらいたい一書である。もちろんそのためだけに紹介するものではなく、税の累進性を強める、という所得再配分にとってごく当たり前のことが税制論議から抜け落ちていることを丁寧に検証し、累進課税に対して常に持ち出される常套句的反論を事細かに取り上げ、その問題点を丹念に検証し、反論し、本来あるべき当たり前の「税の直し方」を提起している、非常に意義深い問題提起の書である。

<<税の大きな目的と意義>>
 著者の立岩氏は、本書の冒頭、「はじめに」において「予算を増やさねばならない。しかし難しい。だから増やせない。節約し、減らせるところを減らさざるをえない。しかしそれも限界があるから消費税だとか目的税だとか。そんな具合になっている。だが、その前に、多くを得たところから少ないところに移すことをするのがよい。基本的には、ただそれだけのことを述べる。」とその立場を明確に宣言している。
 さらに著者は、「序 要約的な短文」において「この国の政府にはお金がないと言われる。しかし、税金を上げる前に、無駄使いを減らそうということになる。たしかに不正な使用はなくすべきではある。ただ冷静に考えるなら、それで節約できるのはたかがしれている。次に、私自身は、支出しなくてもよいあるいは減らしてよい費目が多々あると考えるが、そこは意見が分かれるところだろう。そして、みなが知っているように、削るべきでない社会保障・医療に手がつけられてしまっている。
 そこで、仕方ない、消費税を上げるしかないということになる。所得税等では現実には取りはぐれが出てしまうのに対し、金を使えば自動的に支払うことになるから、この税の利点はある。私は絶対反対という立場には立たない。
 けれどもそれよりすべきこと、できることがある。つまり、課税の累進性、つまりたくさん持っている人がたくさん税を出す仕組みをきちんとさせればよい。多くの人が忘れているが、そして少なからぬ人が知らないことなのだが、この国はしばらく前に累進性を緩めてしまい、そしてずっとそのままにしてきた。さしあたり課税の仕方をもとに戻すだけでもかなりのことができる。だからそうすればよいと思う。」と述べる。
 「第1章 分配のために税を使う」においても「そこで、言いたいことはきわめて単純なことである。市場において多くを得てしまったところからそうでないところに財を金を移転することが税の大きな目的であり意義であり、それをしかるべく行なうべきである。そのことによって、必要だが足りないとされてしまっているものを得ることができる。
 具体的にどうするか。今どうするか。はっきりしている。一つに、税の累進性を強めることである。それは穏当でないと言う人がいる。まったく穏当だと思うが、いくらかそれを受け入れ、ひとまずは以前の税率に戻すというのでもよい。それ以前に、何度もその率が切り下げられてきたことを知らない人もいるのだから、まずそれを知ってもらいたいと思う。」と述べる。

<<反射的な反論>>
 「第2章 何が起こってしまったのか」において「変化は、消費税導入にあたっての騒動に比べれば、いつのまにやら、静かに、起こった。税率の変更は、段階的に、だがわりあい短い期間になされた。まずたしかに今では高いと思われるかもしれない税率が高いとされ、低くされるのだが、次にはその低くされた税率が高いとされ、といった具合に引き下げられていった。それがもたらしたものは小さくはなかった。消費税導入前の最高税率は七〇%だったが、導入後五〇%に、一九九四年改正でさらに三七%にまで引き下げられた。」と述べ、最高税率の引き下げが自民党政権時代に意図的、計画的、短期間のうちに実行され、具体的には、「最低税率一〇・五%から最高税率七〇%の一四区分だった所得税は、一九八七年に、最低税率一〇・五%から最高税率六〇%の一二区分になった。次に一九八八年、一〇%から五〇%の五段階。そして一九九九年、一〇%から三七%の四段階になった。」経緯を明らかにする。
 そこで、税の累進性を強化すべきだ、あるいは以前の状態に戻すべきだと提起すると、税の専門家なる人々ほど、あるいは財務省幹部から、聞き覚えのある反論がさまざまに繰り出される。
 「累進性を強くすればよいというと、ほとんど反射的に、ある人々から言われるのは経済によくないという話だ。・・・それよりはもっともな理屈も言われる。一つは、勤労意欲、事業意欲、労働インセンティブである。累進性が強化されると人は働く気をなくし、かえってよくないというのである。・・・もう一つが、国境・越境のこと、例えば、税を上げれば富裕な人たちが国外に逃げていってしまうという話だ。」
 著者は、それは本当にそうなのだろうかと疑問を提起し、思索的で綿密な議論を展開し、その論拠や根拠が実ははっきりしてないことを、懇切、丁寧に論じていく。

<<税の累進性の強化>>
 「第2部 税率変更歳入試算」において、現時点の最新統計データに基づいて、二〇〇七年の「民間給与実態統計調査」と「申告所得税標本調査」を用いた試算を行ない、「試算結論を概略すると二〇〇七年の税率で給与額に関する源泉所得税が八兆七五七四億円、申告所得税が三兆七〇七人億円であったのに対して、一九八七年の税率に戻した場合、源泉所得税が一二一兆九八四六億円、申告所得税が五兆二四〇〇億円となり、六兆七五九四億円の増額となる。」ことを明らかにしている。つまり、一九八七年の累進税率構造に戻すことで、源泉分と申告分を合わせて六兆七五九四億円の増額が可能になることを示している。
 これは所得税に関してだけのことであるが、立岩氏は、より広く税の累進性をとらえ、「税の累進性を強化してよい。むろんそれは、個人のその年々の収入に課される税の累進率だけを指すのでなく、資産・遺産も含めてのことである。また、様々に存在し指摘される不合理を正すことによって得られるものも大きいはずである。よく言われるように、様々に複雑な控除等も整理すべきはした方がよい。消費の場面での徴税も、うまく機能させることができるなら、否定するものでもない。「累進消費税」と呼ばれる案もある。それらとともに、所得税については累進性をいくらかもとに戻すぐらいのことはできるし、した方がよい。それは効果的で現実的な案である。
 所得税の税率を戻すだけで年に数兆円にはなる。その数倍あった方がよいとして、さらにどこからどれだけを得て、何に使うか、具体案は様々に考えられようが、基本的に得たものは、所得保障と福祉・医療といった社会サービスのために使う。前者は当然直接人に渡る。後者かはとんどもその仕事に就く人が得る。それで今起こっている問題のかなりの部分について、だいたいのかたがつくと考える。すぐに具体的にできるしすればよいのはこのことである。」と強調する。
 今回の参院選では、自民党でさえ、路線転換をしたのであろうかと思わず目を疑うが、そのマニフェストに「個人所得税課税については……高所得者の税負担を引き上げるとともに、歳出面も合わせた総合的取り組みの中で子育て等に配慮して中低所得者世帯の負担軽減を図ります」と公約せざるをえないほど、税制は弱肉強食の自由競争原理主義が支配し、金持ち優遇税制が野放しになされているのである。
 「税を直す」ことが喫緊の課題である以上、「多くある人は、少なくある人よりも、より多く負担する」という当たり前の税制を確立することの重要性を論じた本書は、貴重な問題提起といえよう。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.392 2010年7月24日

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