【投稿】2011.3.11 「東日本大震災」の日

【投稿】2011.3.11 「東日本大震災」の日
                               立花 豊(東京) 

 3月11日金曜日午後2時35分ころ、私はお茶の水の順天堂病院の前の路上で、仕事中であった。仕事はタクシーだが、当時は空車(お客様を乗車させていない)状態であった。赤信号で停止していた車を震動は大きく上下に揺るがせ、そして左右に揉みあげ、まるで荒海に漂う小さなボートに乗ったかのように、まったく制御の利かない状態になった。おもわず利いても意味のないブレーキを踏みしめ、ハンドルを握りしめ、視線は頭上に、意識は「このままどうなるのか」という恐怖でいっぱいになった。経験のない大震動に、生命の危険さえ思わずにいられなかった。周囲のビルからは中にいた人々が恐怖に顔をゆがめながらぞくぞくと道路上に出てきては頭上から何か危険物が落下してこないかと見上げている。狭い歩道上は人々でいっぱいになった。気がつくと、10メートル先の路上で手をあげ、タクシーを呼ぶ男性が目に入った。思わず私は、職業的な習慣で彼の前に車を移動させ、後部ドアを開けた。「日経新聞社へ」彼の指示で車を大手町の日経新聞へ向けた。
日経新聞につくまで、赤信号で止まらずとも、ゆるいスピードの車でも地震でハンドルはとられ、この震動がどのくらい続くのかと思わせるほど、長く続いていた。彼を日経新聞社の玄関でおろすと、いままた、手を挙げながら若い男性が車に乗り込んできた。「渋谷の神泉へ」という指示で、車は皇居前を横切り、目的地へ進んだ。皇居前にくると、1000人はいるとおもわれる建設作業員が全員白いヘルメットを輝かせながら、大きく揺れた建設中のパレスホテルの作業場から避難して集合していた。界隈のビルから避難してきたサラリーマンやOLが歩道上に何をするともなく上を見上げていた。まったく人の動きのないニュースフィルムをみるような光景を目にしながら、六本木通りを西に進んだ。目的地の神泉町につくと、男性は降りたが、すぐに別の男性がのりこんできて、今度は逆方向の六本木ヒルズへと指示がなされた。六本木ヒルズでさっきの客をおろすと、またすぐに中年の婦人が手をあげ、新宿駅へと指示された。
 青山1丁目を経由してそのまま外苑東通りから信濃町まできたら、信号が赤に変わり、私は車を停止させた。その時若い女性が歩道上から泣きながら近づき、車のドアを開けようとしたので、私は「どうしました」とウィンドウを下げながら聞いた。「実家がつぶれてすぐに千葉の家へ帰り、連絡したいのです」というので、「どこまで」と聞いたら、「千葉の安孫子近くまで」というので、空車タクシーが既につかまらない状況を察した私は、後ろの中年婦人に「同乗はよろしいですか」と確認のうえ、ドアを開け、女性を乗せた。とりあえず新宿まで婦人をおくると、地震発生からずっとラジオを切っていたため、地震の情報がなく、ラジオのスイッチをいれると、すでに震災直後ですでにすべてのJRも私鉄も停止し、回復は今夜中は無理と報道されており、移動手段はバスとタクシーのみを告げている。しかも高速道路もすべて通行禁止。バスはものすごい渋滞で動きが取れず、時刻表は意味をなさず。バス停にバスを待ってもいつくるかわからない。残るはタクシーだけである。ほとんどの交通手段を奪われた人々は多くが徒歩での帰宅を選択せざるをえなかった。
 私は水戸街道へ車を進めようとしたが、地震発生後2時間を経過した路上はすでに徒歩で帰宅を急ぐ人々で歩道からもあふれ、車道にまではみ出していた。こうした道路渋滞は結局、私たちの目的地の直前の柏まで延々と続いていた。その間、ときおり大きな余震が感じられたが、最初の大きな揺れのあとでは、たとえ震度4の地震でも、もうたいしたこととは思わなくなっていた。夕方4時半に信濃町をでてから5時間たっても、まだ葛飾区の四つ木をこえたばかりのところで、相変わらずの猛烈な渋滞に一向に前進できないタクシーを見限り、若い女性は「もう歩いていきます」と言って車を降りた。まだ安孫子までは25キロはあるが、しかたない。先の若い女性が降車してものの十数秒たつかたたないか、また別の女性が二人乗り込んできて偶然にも「安孫子まで」といった。私はそのまま水戸街道を下ったが、安孫子に着いたのは午前1時半であった。その間、東京を出て県境の松戸を越えても、道路の両側には延々と歩行での帰宅の人々が続いている。おそらく数百万人以上の人々が徒歩で十キロ以上の道を帰宅のため歩き続けたことになる。私は当然だが、飲まず食わずトイレにもいけず、運転を続けた。通常高速道路を使って1時間もあれば十分到着できる安孫子まで、9時間もかかったことになる。
 ここまで震災当日の首都圏の労働者の帰宅状況をタクシー運転手の目で見たことを書いたが、一歩情報が錯綜すれば、大変なことになることは自明のことだ。ここ1週間をみると、たまたま東京の被害が震源地ほどにはほとんどなかったからこそが、パニックもみられずある程度「冷静に」行動できた結果だろう。翌日からは承知のごとく震源地の状況、政府の危機対応への批判、被害の悲劇・深刻さ、日用品の買い占め・品不足、さらに原発・電力とエネルギーの問題へと、報道があふれ、そのテーマも日替わりに変わってきたが、阪神・淡路大震災の規模をおおきく超えんとする東日本大震災の被害が、今後の日本の政治や相互扶助の役割、マスコミ報道の責務、NGOや既成の労働組合の意味、地方自治と中央政府の関係、エネルギー政策の見直しなど、その解決方向への輪郭を改めて描き出すことははっきりしているだろう。市井にある私たちでもそのアウトラインをより強くくっきりとさせる役割を果たすことはできるのではないだろうか、阪神・淡路大震災の経験をふまえつつ。 

 【出典】 アサート No.400 2011年3月26日

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【投稿】在日外国人献金問題の本質 

【投稿】在日外国人献金問題の本質 

 前原外務大臣が在日コリアンから、過去5年間に20万円の政治献金を受け取っていたことが明らかとなり、前原大臣は時を置かずに辞任した。さらに菅総理大臣も同様に政治献金を受けていたことがセンセーショナルに報道された。
 しかし、直後に東北大震災が発生し、この問題は宙に浮いた形となっている。そのため当面これが国会で論議される見通しはないが、くすぶり続ける火種として存在しているのは事実であり、「政治休戦期間」を利用して、この問題の本質を見ておかなければならない。

<日本の民主化と在日朝鮮人政策>
 1910年の併合以来、植民地支配下の朝鮮人(及び台湾人)は、様々な差別を受けていたが、普通選挙法施行後の1925年以降は「内地」在住の者に限り、参政権(国政、地方の選挙権・被選挙権)を保持しており、少数ではあるが衆議院議員や地方議員も存在していた。
 しかし1945年日本の敗戦で民主化が進められ、政治の分野では同年12月の衆議院議員選挙法改正で「婦人参政権」が確立する一方で、朝鮮人、台湾人の参政権は停止されたのである。
 この時点では、在日朝鮮人は日本国籍を有しており、参政権を剥奪される法的根拠は存在しない。また日本国籍を離脱したとしても、GHQ管理のもと策定が進められる新憲法は「内外人平等」などを規定しており、当初案どおり制定された場合、朝鮮人が日本国内に於いて相当の政治的発言力を持つこととなるのは明らかであった。(1945年「内地」人口7200万人、朝鮮人は200万人であり、46年予定の衆議院総選挙で参政権が行使されれば、10人程度の当選者が出ると見積もられていた)
 こうした展開に驚愕した戦後支配層は、憲法草案から外国人保護条項を削除させ、参政権も停止したのである。このように在日朝鮮人は政治的に外国人として扱われていくのだが、当然の権利として民族教育を推進しようとしたところ、日本政府は「朝鮮人はまだ日本国民なのだから日本の公教育を受けなければならない」と民族学校閉鎖という暴挙に出た(1948年阪神教育闘争)。
 これ以降、在日コリアンは1952年サンフランシスコ講和条約の発効を踏まえ、日本国籍からの離脱が確定、外国人登録法管理下に置かれるのだが、その後も「ある時は外国人」「ある時は日本人」として、権力の都合のいいように扱われてきた。

<参政権確立が必要>
 こうした状況に対して在日コリアンは、粘り強い取り組みで権利を徐々に拡大し、1991年日韓協議を踏まえ入管特例法が施行された。これにより講和条約発効前から日本に居住し、発行後日本国籍を喪失した在日コリアン(および中国、台湾人)とその子孫に特別永住者という在留資格が確立された。これで旧植民地出身者と他の外国人は法律上明確に区分されることになったのであるが、それが法律全般に反映されまでには至っておらず、その最も顕著な例が参政権なのである。
 政治資金規正法第22条の5では「何人も,外国人,外国法人又はその主たる構成員が外国人若しくは外国法人である団体その他の組織・・・・・から,政治活動に関する寄附を受けてはならない」としており、杓子定規に解釈するなら前原氏らが受け取った献金は「違法」と言える。
 しかし、同法の外国人規定は、述べてきたような在日コリアンの形成史と処遇を抜きに、一括りにする極めて乱暴なものであり実態から乖離し、入管特例法との整合性からも問題がある。
 昨年は韓国併合100年であり、両国関係、在日コリアン問題に関するさまざまな論議がなされてきた。それにもかかわらずこうした問題が惹起する現状は、100年を経ても、日本社会の排他性、差別性が解消されていないことを如実に物語ることとなった。
 ようやく法的地位は安定した。しかし義務は日本人並みに課すが、権利は制限するという社会的排除ともいえる状態は現在も続いているのであり、その矛盾が噴出したのが外国人献金問題だと言えよう。すなわち、今回の献金問題の本質は、在日外国人の政治参加すなわち広義の参政権の問題に他ならない。
 したがって、抜本的な解決は外国人の参政権確立以外にないのであるが、今後論議される過程で問題が、政治資金規正法の範疇に矮小化される恐れがある。そもそもザル法である政治資金規正法を錦の御旗の如く振りかざすことは論外である。

<問われる政治家のモラル>
 例えば、今回のケースは通名での寄付が問題となっているが、そうした事案の発生は当然考えられることであるにも関わらず、本文にも施行規則にも確認規定は存在しない。福田元総理が在日系企業からの献金を受けていたことが明らかになって以降も、個人献金は続けられてきたわけである。これは疑似日本人として「通名での寄付は黙認する」という暗黙の了解としか解釈できないし、政治家がそれを期待しての措置だったのではないか。
また法の趣旨は「国政が外国の意向に左右されてはいけない」とのことだろうが、個人献金でそんな事態は現実に発生しないことは、政治家は百も承知だったのだろう。(外国機関から工作資金を援助される方がよほど問題である)
 こうした姿勢は「故意か否か」以前の問題である。在日コリアンが何故通名を使用せざるを得ないかを考慮することなく「いただけるものはいただこうと」という考えなら、倫理の欠落以外の何物でもない。
 もし「本名での寄付をお願いすることを周知徹底する」などというレベルの彌縫策が取られても、フィギィアスケートロシア代表の川口悠子選手や白慎勲参議院議員を見ればわかるように、本名で国籍は判断できない時代である。
 今回の問題では、野党はこぞって鬼の首を捕ったように批判をしている。自民党はともかく、地方参政権に賛成してきた公明党や社民党までが調子に乗って同調しているのは、見ていてあいた口がふさがらない。しかし実際は「禁じ手」が使われた以上、今頃眼の色を変えて自らの収支報告書を点検している議員が多数いるはずである。
 基本的人権にかかわる問題を政争の具とすることは言語道断であり、国会再開に際しては、正面から参政権問題が論議されることが望まれる。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.400 2011年3月26日

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【投稿】袋小路に追い詰められた民主党政権

【投稿】袋小路に追い詰められた民主党政権

<<「菅政権に正統性はない」>>
 いよいよ菅政権は重大な危機に陥り、崩壊寸前の状態に追い込まれたといえよう。
 その直接のきっかけは、2/17、民主党の16名の衆議院議員が「民主党政権交代に責任を持つ会」(通称:民主党国民の声)という会派を立ちあげ、「我々は、国民との約束を果たす議員集団であることを、改めて国民の皆様に行動で示すために、衆議院での民主党・無所属クラブとは分かれ、新たに院内会派を設立する。そして同志一同が結束して、『国民の生活が第一』の政策を実行すべく今後、行動を展開していくこととする。」として、「菅政権は国民との約束、マニフェスト(政権公約)を捨てた。菅政権に正統性はない」と厳しく批判し、2011年度予算関連法案への対応については、「マニフェストに照らして判断したい」と述べ、反対する可能性を示唆したのである。会長の渡辺浩一郎氏は、会見では「菅内閣に正当性はない」として即時退陣を強く求めている。
 この会派の【約束を果たす民主党への回帰宣言】は、

 総選挙では、予算のムダを徹底的に削り、新たな政策の財源に充てるとしたマニフェストを掲げ、政権交代を実現した。しかし、「予算の総組み替えなどを行う」と主張していたのに、ほぼ手つかずの一方で、先週、菅総理大臣は、「衆議院の任期中上げない」としていた消費税については、「来年度末までに法的な対応をしなければいけない」と発言し、増税への意欲をあらわにした。
 菅政権は国民との約束、マニフェストを捨てたのである。
 菅政権は、民主党の理念、そして「国民の生活が第一」という国民の皆様への約束をも捨て去ったのである。
 菅政権が本来の民主党の政策を捨て、本来の民主党の政治主導を捨て、本来の民主党の国民への約束を捨て去って省みないならば、それは国民が願いをかけた本来の民主党そのものを捨て去ることになる。
 そして、このことは、本来の民主党への支持の上に比例代表で当選した我々の存在意義すらも打ち消すことになる。
 我々は民主党と国民との約束の上に存在する比例代表の議員だからこそ、本来の民主党の姿とはかけ離れた今の菅政権にはもう黙ってはいられない。みすみす旧来からのしがらみにはまり込み、無原則に政策の修正を繰り返す菅政権に正当性はない。我々は今こそ「国民の生活が第一」の政策を発信し、国民の信頼を取り戻していかなければならない。

 と述べている。菅執行部にとってはまさかの衝撃的な事態の進展である。けしからん、理解できないと叫べども、16人ともなれば簡単に処分も除名もできない。この動きはさらに広がりを見せているが、たとえこの16人でも、菅執行部の方針から離脱をすれば、社民党の協力を得てやっとぎりぎりの衆院で3分の2の勢力による衆議院再可決という最後の望みも完全に絶たれてしまう。もはやこの会派が発足した2/17の時点で、菅政権は求心力どころか、政権維持そのものが不可能な事態へと追い込まれたのである。

<<「見当違いもはなはだしい」>>
 ところがあきれたことに朝日新聞2/19付け社説は「小沢氏系造反 ― 異様な行動に理はない」と題して、「政権党に属しながら、国民生活を人質に取って「倒閣」に乗り出す。政党人として到底許されない行動である。16人は「造反」の大義名分として、菅政権が国民との約束であるマニフェスト(政権公約)を「捨てた」と断じるが、見当違いもはなはだしい。」「進退さえ取りざたされるほど、首相の政権運営が行き詰まっていることは間違いない。しかし、ここでまたぶれることは最悪の選択でしかない。小沢氏の処分を早く決め、マニフェストの見直しや社会保障と税の一体改革も決然として進めなければならない。もはや「党分裂」を恐れて迷い、ためらっている段階ではない。」と、菅政権を叱咤激励しているのである。叱咤激励するのは、あくまでも菅政権が政権公約をかなぐり捨てて消費税大増税路線に突き進むことを何が何でも貫かせたいからである。
 「見当違いもはなはだしい」のは、朝日の社説の姿勢そのものである。なぜ菅政権がここまで信頼されず、政権運営さえままならない事態に至ったかの冷静で理性的な分析すらできずに、「あくまで首相を認めないというなら、会派だけから離れるという中途半端な行動ではなく、きっぱり離党すればいい。その覚悟もないのだろうか。」と挑発さえしている。これほど恣意的で、菅政権を美化・迎合し、増税路線を正当化し、しかも強引な政治的介入をさえ意図した主張は、ジャーナリストが本来もつべき批判的精神とはまったくかけ離れたものである。
 しかしこうした一部メディアの菅政権への激励にもかかわらず、事態はさらに混迷の度を深めている。予算関連法案をめぐって、仙谷由人代表代行が公明党の漆原良夫国対委員長と2/15に会談した際、協力をあくまで拒む漆原氏に対し、「それでは菅首相が退陣すれば賛成してくれるのか」と退陣に言及していたことが判明したのである。首相の側近中の側近が「首相のクビを代えてもいい。何とかならないか」と働きかけ、首相自身はそんな事態をまったく知らされず、寝耳に水の状態であったという哀れな事態の推移である。もちろん仙谷氏は、自派の前原氏を後釜にと狙っているのであろうが、右往左往する菅執行部の与党幹部はなべて内向きの手前勝手な党内派閥抗争に明け暮れ、首相支持派からさえも首相退陣で局面打開を目指す動きが出てきたのである。民主党が2/19に開いた政策担当者会議では、4月の統一地方選を控える現場の地方組織から「今の政権で本当に統一地方選を戦えるのかいま一度考えてほしい。政治的なご決断をお願いしたい」(青森県連)と菅直人首相の退陣論が浮上する事態である。

<<自ら招き寄せた失態>>
 ことここに至るすべては、民主党・菅執行部自らが招き寄せたものである。事態は、一昨年八月末の歴史的な政権交代の意義をことごとく裏切り続け、菅改造内閣で敵対してきたはずの与謝野馨氏を経済財政担当相に入閣させ、その増税路線に内閣の命運を託した菅、仙谷、前原、枝野氏らの未熟かつ無節操な路線がいよいよ破綻に瀕し、引くも進むもままならぬ自縄自縛、やけっぱちの解散か、総辞職か、それとも奇想天外な大連立か、菅氏の姿は、ただただ権力にしがみつきたい中東独裁権力の最後の姿と酷似しつつある。
 菅政権後をにらんで、菅・仙谷・与謝野氏を中心とした民主・自民の増税大連合、小沢・鳩山氏らの「小鳩新党」+国民新党や社民党との連携、あるいは小沢・原口+名古屋の河村氏や大阪の橋下氏などとのローカルパーティ連合、等々、政界再編成が取りざたされているが、いずれも海のものとも山のものともつかない不透明な状況である。
 いずれにしてももはや菅政権を支援し支える世論は皆無に等しく、直近の世論調査では内閣支持率17.8%、不支持率63.7%、民主党支持率11.9%へと急落してしまっている(2/17・時事通信調査)。この事態でもあえて衆議院を解散・総選挙に突入すれば、民主党は立ち直れぬほどの敗北を招くであろうし、それは民主党政権消滅への道でもある。大連立、中連立、小連立を模索しても、菅氏を担ぐ連立などどこからも相手にされないであろう。残された道は、総辞職しかない。しかしそれとてこれまでの路線の踏襲であるならば、一時的な延命措置にしか過ぎない。問われているのは根本的な路線転換なのである。菅民主党執行部が推し進めてきた、自公政権時代に勝るとも劣らぬその財務・外務・防衛官僚言いなりの新自由主義・対米追随・緊張激化・防衛力増強・「第三の開国」・大増税路線からの大転換を、今改めて再構築すること以外に残された道はないと言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.399 2011年2月26日

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【投稿】官僚支配と「密約」の闇

【投稿】官僚支配と「密約」の闇
                              福井 杉本達也 

1 対米関係の正当性を揺るがす「密約」の公開
 対米密約について2010年3月9日、岡田外相(当時)の有識者委員会(座長:北岡伸一氏)報告書で一部が明らかとなってきた。その中身は①核搭載艦船の一時寄港・領海通過 ②朝鮮半島有事の際の米軍による在日米軍基地の自由使用 ③緊急事態の際の沖縄への核再持ち込み ④沖縄返還の原状回復費の肩代わり であるとし、このうち③は密約ではないとし、④は文書が存在しないとした。その後も12月22日、今年2月18日にも1972年の沖縄返還をめぐる外交文書が公開されるなど新たな展開がみられる。しかし、その全容が明らかになったとは言えない。当初より外務・防衛官僚はこの問題に消極的だが、マスコミも同様である。「今回の調査には秘密主義に陥りがちな外交を抑止する効果がある」(日経社説:2010.3.10)、「何十年にもわたって国民を欺き続ける。あってはならない歴史に、ようやく大きな区切りがついた」(朝日社説:3.10)など、マスコミは密約を「過去の問題」にしようとしているが、密約は決して過去の問題ではない。戦後連綿と続く密約の存在が現在の日本の政治状況を縛っている。外務省は30年以上経った文書は原則自動公開するというが、時の『最高権力者』であるべき首相にさえ知らせず密約を積み重ねてきた当事者のいうことを信じることはできない。マスコミが密約の追究に消極的なのは現在の対米関係の正統性と日本政府の正統性を根本から揺らがせることになるからに他ならない。

2 沖縄地元紙への鳩山発言こそ正直・非難する者は米国の手先
 鳩山元首相は沖縄の地元紙の共同取材に対し「本当は私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった。…防衛省も外務省も沖縄の米軍基地に対する存在の当然視があり、数十年の彼らの発想の中で、かなり凝り固まっている。…その発想に閣僚の考えが閉じ込められ、県外の主張は私を含め数人にとどまってしまった…海兵隊自身が(沖縄に)存在することが戦争の抑止になると、直接そういうわけではないと思う。海兵隊が欠けると、(陸海空軍の)全てが連関している中で米軍自身が十分な機能を果たせないという意味で抑止力という話になる。海兵隊自身の抑止力はどうかという話になると、抑止力でないと皆さん思われる。私もそうだと理解する。それを方便と言われれば方便だが。広い意味での抑止力という言葉は使えるなと思った」(琉球新報:2.13)と答えた。このインタビューに対し「無責任きわまる発言」(毎日社説:2.16)、「『方便』とは驚きあきれる」(朝日社説:2.16)、「抑止力は『方便』国益損なう無責任な鳩山発言」(読売:2.17)、「放置できぬ鳩山氏『方便』発言」(日経:2.18)とマスコミ各紙は誰かに情報統制されているかのように揃って批判する。また、西岡参議院議長、自民党石原幹事長も「沖縄県民も米国も怒っていると思う」(日経:2.16)と各方面から袋叩きである。
 しかし、鳩山元首相の発言はこのような袋叩きにあうような中身であろうか。防衛・外務官僚が米国を向いて仕事をしていることは戦後60数年間の事実であり、北澤・岡田両氏もその発想に取り込められ、情報は米側に筒抜けとなり鳩山氏が孤立してしまったのである。また、わずか16000人の海兵隊の駐留が「抑止力」ではないことは常識である。辺野古への回帰をひっくり返されること、何としても米国の言う事を聞かねばならないと考える官僚・買弁政治家にとって都合が悪いからである。2008年・福田氏は「私は自分自身のことは客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」と言って対米関係をオブラートに包んで首相を辞めさせられたが、鳩山氏の方がより具体的かつ正直である。宜野湾市の安里猛市長は「抑止力そのものを前首相が否定されたこと自体、新たな基地が沖縄につくれないということだ。(基地建設の)理由がなくなったことからすると良かった」と、発言を評価している(読売:2.17)。

3 外交・防衛を米国に譲渡した「恥」を隠すための「密約」
 「密約に見られる日米関係と吉田ドクトリン」(『葦牙』No36 2010.7)でジグラー・ポールが密約を分析している。吉田茂元首相の下で「日本は本質的に外交政策と国防政策に関する任務を米国に譲渡した」(CRS米議会報告書 2009.7.23)という文書(=いわゆる「吉田ドクトリン」)を発見している。外交と国防を譲渡した国家は独立国家ではない。吉田政権の時代から連綿と現在まで、米国は日本を属国と見なしている。ティム・ワイナーの「Legacy of Ashes, The History of the CIA ,Anchor Books」(日本語訳『CIA秘録』)では、岸信介元首相がビル・ハチンソンCIA情報担当との会合で「日本の外交政策を米国の希望に添うように書き換えると約束した。…岸が要求するのは米政府の秘密裏の支援であった。…自民党の国会議員をCIAにリクルートされることやコントロールされることを党首として岸が許した」とするCIA文書の暴露によって「自民党にとっては大変恥ずかしい形で明確になった。如何に日米両政府が日本国民、沖縄県民を欺いていたのかが、痛い程分かるようになった。…戦後の日本の外交政策と国防政策に関連する任務を米政府に吉田茂が譲渡した。それ以降、岸信介や佐藤栄作の暗躍があって『密約』でもって奇妙な日米関係を築き、日本人を騙し続けてきた。そうした経過のなかで、日本の政治家は、米政府に対しての精神的な依存症にかかったのではないか」(ポール:同上)と指摘している。さらに付け加えれば、今日なお自民党の政治家の多くが「大変恥ずかしい形で明確になった」日本人として「恥」を「恥」とも思わない感覚に陥ってしまっていることである。
 対米密約の基本は「有事の際の米軍による在日米軍基地の自由使用」にある。さらには日本国全土を自由使用させることにある。世界のどこに基地をタダで自由使用させ、米軍人の国内での犯罪を免除し、おまけに膨大な維持費まで差し出している国があろうか。これは米国による占領・植民地そのものである。「思いやり予算」と称する米軍への日本の直接支援の額は、32億2843万ドル、「同盟国」全体の41億4335万ドルの79.9%にあたる。北朝鮮と直接対峙する2位の韓国でさえ4億8661万ドル(11.7%)、反政府デモが活発となってきた米海軍第五艦隊(4200人)が駐留し、対イランの最前線で国土の1/4が米軍基地という8位のバーレーンはさらに1桁違う820万ドル(0.2%)にすぎない。鳩山氏をパッシングする朝日・読売・毎日・日経といった大手マスコミも日本人としての「恥」を知るべきである。
 加藤哲郎早稲田大学教授は米国の情報公開法制にもとづいて米国所蔵日本戦犯資料を調査しているが、それでも「すべてが機密解除されたわけではない。とりわけ戦後日本の国家体制の根幹や、今日の日米同盟の起源に関わる重要資料は、なお残されていると考えざるをえない。…昭和天皇裕仁や岸信介のCIA個人ファイルの欠落に典型的なように、すべてが公開されているわけではない。」(加藤哲郎:「戦後米国の情報戦と60年安保–ウィロビーから岸信介まで」『年報 日本現代史』第15号2010.6)と指摘するように、必ずしも全貌が明らかとなっているわけではない。安保条約制定時に昭和天皇が当時の吉田茂政権とは別のルートでの二重外交を行い、「日本の安全保障にとって米軍が引き続き駐留することは絶対に必要なものと確信している」(ロバート・マーフィー駐日大使メモ・1953.4)として「国体護持」=天皇制の死守と引き換えに日本の国防・外交と沖縄を米国に売り渡したとする仮説が濃厚である(豊下楢彦:『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫)。

5 歴代の密約の当事者を徹底的に炙り出せ
 故若泉敬京都産大教授は沖縄返還交渉において、佐藤栄作首相の密使として沖縄返還の核密約交渉にかかわる重要な役割を果たした。その後、著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)において交渉過程を公表し、沖縄県民に謝罪し、1997年「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取る」として服毒自殺している。
宇沢弘文東大名誉教授は「この際、最小限望みたいのはまず、歴代の自民党政権がパックス・アメリカーナの完全な傀儡となって、平和憲法の志を踏みにじり、日本の歴史、自然、社会、そして人間を崩してきた全過程を詳細に調査して、国民の前に開示することである。そのとき、歴代の自民党政権の指導的立場にあった政治家たちの果たした役割を明らかにし、その社会的責任を徹底的に追及することが、いま日本の置かれている悲惨な、望みのない状況を超克するためにもっとも肝要なことである。」(『普天間基地問題から何が見えてきたか』岩波書店・2010.12.10)と述べているが、その為には、岡田前外相がごまかし、菅内閣で棚上げした密約を掘り下げ、当時誰が責任者だったのか、誰が書類を廃棄したのかを含め徹底的に追及することである。 

 【出典】 アサート No.399 2011年2月26日

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【投稿】修正迫られるアメリカの世界戦略 

【投稿】修正迫られるアメリカの世界戦略 

<アメリカ揺さぶるアラブ・イスラム民主化>
 チュニジアに端を発した北アフリカ・中東のイスラム社会に於ける民主化のうねりは、瞬く間に「アラブの盟主」エジプトを飲み込み、30年間君臨してきたムバラク政権は崩壊した。この波は周辺国にも波及し、大西洋からアラビア海にまたがる、アラブベルト地帯のほとんどの国々で反政府デモが展開されている。
 今回、特徴的なのは親米のエジプトでも、反米のイランでも、またシーア派かスンニ派かという権力のスタンスに関わりなく、現政府に対する抵抗が惹起していることであり、これまでのステレオタイプなイスラムに対する価値観ではくくりきれない動きであることだ。
 エジプトの動きを「反米」として歓迎していたイラン政府も、足下に火がつくと一転して弾圧を強めている。これは他のアラブ、中東諸国も同じであり強権的な支配体制そのものが打倒の対象となっている。
 アメリカは、エジプトなどでの民主化運動の兆候は、把握していたとされているが、実際の事態に翻弄されている。オバマ政権はエジプトの事態に関し、当初ムバラクの早期退陣を暗に求めたが、同氏が思った以上の粘り腰を見せると、性急な政権交代は不安定化を招くとして、トーンダウン。9月までのムバラク留任を容認する姿勢に転じた。しかし、ムバラクの居座りに民衆の反発が強まると、再度即時辞任を暗に迫り、同氏がついに退くと「歓迎」の意向を表明した。
 しかし北アフリカ・中東の民主化の動きは、アメリカの世界戦略を揺さぶり、さらには日本の軍事戦略にも影響を与える可能性を持っている。

<失敗する政権コントロール>
 これまでイスラエルとの融和路線を進め、イスラム過激派を弾圧してきたムバラクはアメリカにとって利用しがいのある権力であり、非民主的政策や一族の蓄財など不正は黙認してきたものの、民衆はそれを許さなかった。
 冷戦時代、アメリカはイラン=パーレビ王権、韓国=軍事政権、フィリピン=マルコス独裁などで同様の過ちを繰り返してきた。いずれの国でも民衆の力で政権は交代し、イランは反米となったものの、韓国、フィリピンは政権交代を繰り返しながらも現在は親米のスタンスを維持している。
 かつてCIAが秘密裏に行っていた対外工作や、表だった露骨な軍事・経済援助での内政干渉=親米政権の維持は不可能で、現在は「対テロ戦争」の名のもと、イギリスなど友好国とともに新たな戦略を展開している。しかし、イランでもアフガニスタンでもそうした政策は失敗しており、アメリカは戦略の練り直しを迫られている。

<引きずられる冷戦の遺物>
 双子の赤字の元、強引に進められたレーガン軍拡は、冷戦終結により軌道修正され、90年代おわりにトランスフォーメーション=米軍再編計画が立案された。対ソ連用に準備された戦力は見直しが必至となったが、肥大化した軍と軍需産業=軍産複合体は既得権擁護のため、ソ連に変わる新たな敵を探し続けてきた。この動きに乗ったのがブッシュ政権である。ブッシュは「アルカイーダ」や「サダム・フセイン」を敵として戦争を進め、大陸間弾道弾や戦域核ミサイルといった重厚長大の冷戦時代の兵器にかわる、無人機などのハイテク兵器やC4I(情報処理システム)の高度化に代表される新たな需要を生み出していった。しかし一方で、11隻の原子力空母や戦略爆撃機は維持され、ステルス機の配備も進められた。
オバマ政権は、ステルス戦闘機F22の追加配備を中止するなど、装備の見直しを進め、昨年2月公表されたQDR(4年ごとの国防政策見直し)では、従来2正面作戦を改め、武装勢力や国際テロ組織に対する非対称戦争への対応を重視することを明らかにした。

<世界から消えゆく米軍>
 しかし、アメリカは昨年8月のイラクからの戦闘部隊撤退、今年7月からのアフガン撤退開始という局面の変化を踏まえての「ポスト対テロ戦争」戦略を描き切れていない。この間アメリカは、中国に対する警戒感を強めているが、中東情勢が不安定化するなかで、再び2正面作戦(アジア、中東)へ回帰するのかも定かではない。
 不確定要素が多い米軍再編であるが、今後確実に進められるのはQDRでも述べられている前方展開戦略の見直しである。
 アメリカ軍は冷戦期、ソ連や社会主義国の侵攻に即応するため、NATO諸国や日本、韓国に戦闘部隊を配置してきた。さらに冷戦後は湾岸戦争を契機に中東地域にも駐留が拡大、フセイン政権崩壊後も「対テロ戦争遂行」のためとして部隊を配置している。
 これらの駐留経費の財政負担は重く、最悪の財政赤字を抱える連邦予算を圧迫している。このため逐次規模縮小は進められているが、今後冷戦の遺物である駐留米軍の全面撤退も考えられる。
 こうした動きに拍車をかけているのが、中東・アラブの民主化運動である。米第5艦隊司令部が置かれているバーレーンや、サウジアラビアやクウェートなどで政権が揺らぐような事態となった場合、駐留米軍撤退も考えられる。

<逆行する日本政府>
 現時点において東アジアでは、中国、北朝鮮の対応と称して、在日、在韓米軍撤退の動きは顕在化していない。とりわけ対中軍拡を進める日本政府は、普天間基地の辺野古移転強行や、思いやり予算の満額回答など米軍をつなぎ止めるため躍起になっている。鳩山前総理は「海兵隊の抑止力というのは方便だった」と本音を吐露したが、菅政権は火消しに大慌てである。
 しかし先日アメリカの民主、共和両党の重鎮議員が日本の共同通信との会見で「日本駐留を含む米軍の前方展開戦略が『財政上の問題になっている』と述べ、米財政赤字が最悪規模に膨らむ中、在日米軍は撤収すべきだとの考えを示した」という。もちろん、これには菅政権の足下を見透かして「思いやり予算をもっと増やせ」という意を含んでいるものと思われるが、「瓢箪から駒」にならないとは断言できない。
 さらに、2月18日公開された外交文書では、冷戦、そしてベトナム戦争さなかの1967年4月に当時のライシャワー駐日大使が、在沖米軍のグアム移転は可能と明言していたことが明らかとなり、はるか以前から「抑止力」は方便であったことが暴露された。
 ただ、米軍は自らの存在意義である仮想敵国をソ連→国際テロ組織と移し替え、「対テロ戦争」が終結に向かう現在、次なる敵として中国を想定している。このため、当面日本政府、防衛省との思惑は一致しており、日米同盟はさらに強化されていくだろう。
 アラブ・イスラム民主化運動はジブチにも波及したが、現在日本政府は「ソマリア近海の海賊対処」のため、治外法権的処遇をジブチ政府に承諾させ、自衛隊駐留基地を建設している。今後の展開次第では厳しい批判にさらされることも十分想定される。
 支持率を回復できず、対米依存を強める菅政権は中国やロシアに対する毅然とした姿勢の前に、アメリカへの対応を変えなければさらなる厳しい批判にさらされるだろう。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.399 2011年2月26日

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【投稿】錬金術の「大阪都構想」

【投稿】錬金術の「大阪都構想」
    —大阪維新の会のマニフェストを問う—
                        元田 隆文

<「大阪都構想」一本槍>
 1月24日に、地域政党「大阪維新の会」は、4月の統一地方選挙に向けたマニフェスト「よみがえる大阪」を発表した。
 その特徴は、今や大阪の街全体が貧困化しているとの危機感を煽りたて、政策の方向性を「成長戦略の実現」のみにおき、そのため手段、仕組みが「大阪都構想(ONE大阪)
であるとする。この構想を実現が、「大阪の景気と雇用を回復し、市民を貧困から解放」し、「強さ、豊さと優しさのエンジン」となるとする。しかし、その他の府民生活、市民生活の抱える問題への政策には一切触れていない。極端なまでの原理的新自由主義的な政策論であり、橋下府政のもとで進行する、教育、文化、セーフティネットの切り捨てなどによる荒廃の問題は一切頬かむりされているのである。

<「大阪都構想」の中味は何か>
 「大阪都構想」は、ほぼ次のように要約できる。
 「成長戦略を実現し、大阪の景気と雇用を回復する仕組みであって、街を豊かにし、市民を貧困から解放することができる。都に広域行政を一元化し二重行政を排除することで都市基盤、産業基盤の整備がすすめられる。知事と市長という2人の広域指揮官の存在が、大阪という都市の方向が定まらないものとしており、二重行政、投資の分散が生じ、都市インフラが貧困なものになっている。指揮官を一人とすれば、私鉄相互乗り入れ、高速道路、高速アクセス鉄道、北ヤード、阪神港などの整備・一元管理が実現でき、国際都市への飛躍・国際競争力向上が図られる。」
 「大阪府と政令市域を統合し、大阪都と特別区(自治区)に再編し、特別区には、中核市並みの権限と財源をもたせ、区長と議員を選挙で選ぶ。区は、数百億円の予算の使い道は決められ、区民生活にかかることは殆ど区で決める住民自治が確立される。大阪市役所から権限と財源を区に取り戻すことができ、地域が自立し、住民に優しい街にすることができる。なお、他の市町村も中核市並みとする。」「都(広域体)の役割により、企業は儲け、給料が上がり、国民所得と税収が上がる。この税収で、基礎自治体では、図書館、ゴミ、給食費など、優しい地域社会を議論できる。なお、国保、介護保険、生活保護などは広域が担う。」

<すぐ分かる矛盾のかたまり>
 まさに、「大阪都構想」はバラ色の未来をつくる打出の小槌である。しかし、ここまで並べ立てると、個別の知識はなくとも、おかしいと思わざるをえないもので、矛盾とウソがすぐばれる底の浅いものでしかない。あえて、幾つかを挙げておく。

★「大阪衰退の原因は大阪市の存在」
 地域経済の衰退は日本全体の課題である。特に地方制度の関係では東京一極集中の政治経済体制が問題である。府・市問題ではない。
★「広域行政一元化で大阪の成長が可能」
 維新の会のいう広域行政は大阪府域内の大型開発行政投資のみであり、これは過去失敗を繰り返し府・市財政を困難にしてきた既に時代遅れとなったものである。また、現在の広域行政の課題は府県域を超えた課題である。さらに、仮に経済活性化したとしても直ちに住民に還元されるものではない。
★「二重行政の弊害」
 二重行政解消のもとに橋下府政が狙うのは、大学などの文化、セーフティネットの削減であり、また、仮に解消が必要だとしても、大阪市解体とは関係なく実現できるものである。
★「大阪の都市インフラは貧弱。大阪では都市の方向が決まっていなかった」
 淀川左岸線やなにわ筋線の遅延だけで日本第2の大阪の都市インフラが貧弱というのは全くの言葉の詐欺である。また、仲が悪かったとはいえ、地域開発の方向性としてはこれまで府・市は大枠で一致して推進していたのである。
★「行政機能の「広域」と「基礎」の単純な分離。大都市の役割・機能の否定」
 そもそも都制で両機能を分離できるとするところに言葉の誤魔化しがある。政治経済の集中地域において、大都市が広域行政機能を担うというのは世界的なものである。東京都制は、戦時遂行のための東京市自治の否定という生い立ち由来する多くの問題を抱える制度であって、他に例を見ないもので、いまなお特別区では自治権拡充運動が続いている欠陥制度である。「大阪都」は如何に言おうと、こうした欠陥から逃げられない。まして、中核市並みの特別区とはどのようなものであろうか。その事務と財源、権限の具体案が示されなければ論評のしようもない。
★「国民保険、介護保険、生活保護はすべて都で」
 国全体の制度を無視して大阪都だけで制度がつくれるわけはない。また、事業の主体と財政負担主体の分離は問題が多い。

<大阪市の解体は市民自治の解体>
 「大阪都構想」とは、大阪の抱える問題を無理やり大阪市の責任になすりつけ、「都制」が解決するという錬金術のような実現性のない矛盾の塊であり、「一人の司令塔」という分権自治民主主義の否定を狙う以外の何者でもない。大阪市政への不満と大阪市解体とは別問題である。 

 【出典】 アサート No.399 2011年2月26日

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【本の紹介】「日本経済論—「国際競争力」という幻想—」

【本の紹介】「日本経済論—「国際競争力」という幻想—」
      松原隆一郎 NHK出版新書 2011年1月10日 820円+税 
 
 松原教授の著書としては「分断される経済」(NHKブックス)がある。鋭い切り口で、問題を解明していく筆致を記憶している。本書は、「2008年~2010年の社会現象を分析し、日本経済の抱える問題を浮き彫りにする」とカバーに記されているように、扱われているテーマは多岐にわたる。しかし、小泉構造改革論からデフレ論など迷走する経済政策、特に政権政党となった民主党の政策を俎上に載せ、リーマンショック後の現在の円高状況の下、「国際競争力」幻想を断ち切って、新たな公共政策の必要性を提起している。紙面の都合もあり、私が興味をもった論点数点について紹介することしたい。
 
<民主党福祉国家論の誤り>
 戦後一貫して政権党にあった自民党は特に公共投資により景気浮揚策を実施し続けたが、90年代初頭のバブル崩壊後も、「無駄な公共事業」と国民に意識される程、財政赤字を積み上げながら公共事業投資を進めた。「この時点で公共事業や政府サービスといった公共事業は、国民の要望に応じて再編されるべきであった。しかし、それよりも景気対策とすることだけを目的としたために、効果を薄めたケインズ主義に国民は失望を募らせた。」
 この行き詰まりの中で、構造改革を掲げた小泉内閣が登場する。長引く不況は、規制や慣行、制度が陳腐化しているのが原因と説明され、官から民へ、規制撤廃が謳われた。確かに、在任5年間、景気は上向く。一方でトリクル・ダウン効果は生じることなく、富める者は富み、貧困と格差が蔓延する。
 これらに対する国民の不満を背景に政権を奪取した民主党は、「公共事業は、官僚の天下り先確保政策だ」と、所得の再配分を掲げ、子ども手当や農家の戸別所得保障などを行おうとしている。しかし、壊れたコミュニティの再生や社会政策抜きの「バラまき」の景気回復への効果は、果たしてどれ程のものかと著者は疑問を呈する。
 「これらの方針しか思い浮かばないのは、民主党が反官僚(ケインズ)主義ゆえに公的部門の意義を低く見積もり、また小泉構造改革を新自由主義ないし市場原理(至上)主義と誤って解釈したせいだというのが、本書の診断である。」と。
 小泉構造改革とは、その実は「輸出企業を優先する市場介入策だった」のであり、著者は、それは「重商主義」と呼んでおくとする。「重商主義を市場原理主義とみなし、それを批判するのが、民主党的な福祉国家路線である。どちらも解釈の誤りという点で共通する。」「価格競争によって輸出を伸ばしても、変動相場制度のもとでは円高によって相殺されるだけであり、国レベルでは景気対策にはならないのである。内需不足に起因する景気不振から国際競争力によって脱しようとする重商主義は、幻想にすぎない。」と。
 
第一章「経済」をめぐる迷走と論点、第二章「国際関係」をめぐる迷走と論点、第三章「民主党政権」の迷走と論点、第四章「安心」をめぐる迷走と論点、第五章「公共性」をめぐる迷走と論点、と本書は展開されていく。

<「公共性」をめぐる問題>
 筆者の記憶においても、かの「事業仕分け」の印象は強い。費用対効果のみを基準に、文化・教育政策が次々と「仕分け」された。確かに官僚の無駄遣いは批判されるべきだが、何か味気なさも残った。
 著者は、第四章で従来の公共事業、景気対策としての公共事業や社会資本整備と言われるものに、むしろ含まれていない「公共財」の価値とその維持のための取り組みが求められていると解く。まず「自然」そのものが公共財である。そして、「ハコモノ」もそれを運営するマネジメントがうまく機能すれば、地域住民の活動の拠点となったり、社会的連帯の拠点となると言う意味で、組織経営マネジメントも含めて公共財であろう。さらにボランティア的な私的活動も、公共的価値を生み出すとすれば准公共財と言える。江戸時代の寺子屋などがそうある。そして人と人とのつながり、社会資本関係(ソーシャル・キャピタル)も家庭制度や地域社会のつながりもまた、公共財と考えるべきであるとする。
 小泉構造改革が破壊した人間関係、格差をそのままにして「子ども手当」を個々人に届けるだけとなっては、民主党の政策は、人と人とのつながりをどう再建するのかが、見えてこない。ばらまき批判に耐えられないのであろう。
 この他にも、「迷走と論点」として整理された内容には、興味深いものも多いが、是非一読をお勧めしたい。(佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.399 2011年2月26日

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【資料】大阪市立大学学生運動史(1960年以降)

【資料】 大阪市立大学学生運動史(1960年以降)

以下の文章は、2011年2月に発行された「大阪市立大学の歴史」(大阪市立大学・大学史資料室編集 大阪市立大学発行)から、市大学生運動の経過に係る文章(P105以降)を転載したものである。同書は、これが初版であり、幾冊かの改定本が出来ているが、いずれも非売品となっている。
現在最新版が電子ブックとして公開されている。(大阪市大の歴史電子ブック)参照されたい。

3 混沌とする学内事情

大学紛争とは何か

大阪市立大学の歴史(2011年2月発行)

大阪市立大学の歴史(2011年2月発行)

1968(昭和43)年から69(昭和44)年にかけて、日本大学、東京大学における「全共闘」 運動が世間の耳目を集めたが、 本学にも例外なくその嵐が吹き荒れた。 「帝国主義体制を維持・ 強化するイデオロギー的・ 物質的拠点として大学を編成しようとする」「帝国主義大学政策」に反対するとして運動を展開したのである。
全共闘運動は、入るも自由、出るも自由の、ゆるやかな運動体として登場した。 そうした運動体をリードしようとするものはたえず、より「左翼的」な方針を打ち出し、過激な方向へ扇動した。

 また、バリケードの向こう側の権力側の打倒だけではなく、自分たち学生も卒業後には 「帝国主義体制」 を担う存在であるという観点から、 自分たち自身の「自已否定」、次いで「自己解体」へと突き進んだ。

大学紛争前の大阪市立大学

 本学の学生運動の動向はどのように推移したのだろうか。 1960年代前半からみていこう 。
 1962 (昭和37)年には大学管理法案反対運動が盛り上がった。 1962 (昭和37)年6月、 新聞に報道された大学管理法案に関する中央教育審議会答申原案によると、 ①大学の管理運営の執行責任者を学長とし、 学部の責任者を学部長とする、評議会は全学の、 教授会が学部の重要事項審議機関とする、 教授会の構成は原則として教授のみとする、②教員選考の責任者としての学長と、 任命責任者としての文相の権限を明確にする、 大学側の選んだ学長・ 学部長・ 教員の候補者を文相が不適当と認めた場合は、 新しく設置される中央機関に諮って再選考を求める、などを骨子とするものだった。 この案に対して、 9月、国立大学協会総会は反対の意向を明らかにした原案を採択した。 即ち、 大学の管理運営は、大学自らの責任と自覚にもとづく自主的措置によって図られるのが大学自治の本旨であり、画一的な法制化だとして反対した。
 当時、本学は公立大学協会の会長校であり、国大協案に原則的に賛成の立場をとった。 各学部、経済研究所の教授会も反対声明を発表し、個人レベルでも教職員有志が集会等で反対の意思表明を行った。 学生側は全学自治会においてストの賛否を問う全学投票を実施し、スト決行の決定を行った(3分の 1以上の1233名の投票で、 過半数以上の1036名賛成) 。 全国各地では 1万人以上のストが行われていた。 結局、 大学管理法案は国会に上程されなかった。
また、 1967 (昭和42)年10月の羽田事件に関連して、 大阪市会自民党議員団が本学のあり方を問題視した際にも教職員、 学生は一致して対応した。 羽田事件とは、羽田空港において、佐藤首相の南ベトナムを含む第2次東南アジア・ 太平洋諸国訪問の出発を阻止しようとする学生と機動隊の衝突事件のことである 。当時の文相が、 羽田事件を契機として、 全国の国公私立大学の学長を招集し、懇談会を開催しようとしたところ、本学の渡瀬学長は出席しなかった。 これに対して、 11月末の大阪市会決算委員会において自民党議員はこの件を取り上げ、また大阪市会自民党議員団総会で 「市立大学の偏向教育調査特別委員会」 の設置を決めた。 「アカの教育をする大学に大阪市が助成することは筋が通らぬ。 徹底的に調査したうえ、 左翼偏向が改められないときは同党議員団が結束して来年度の同大学関係予算をいっさい認めない」ことを申し合わせたのである。 しかしこの件が新聞紙上で報道されるや、 学間の自由、 大学の自治を侵害するものとして世論の批判が噴出した。 本学でも、教職員、学生から反対の声が巻き起こった。 そのため、自民党市議団は、直後の幹事会において、研究特別委員会は発足させるが(文教研究委員会として発足)、 学問の自由、 大学の自治を侵害するような思想調査は行わないこととした。
 大阪市立大学の教職員、 学生は不当な干渉には一致して行動した。

全学統一自治会はなぜ結成されたのか、 結成後どのように推移したのか

 1960 (昭和35)年の日米安保条約改定時の安保闘争から前述した運動に至る流れのなかで、 1962 (昭和37)年 6月大阪市立大学では全学自治会が結成された。大阪市立大学には、 全学的な学生組織として全学学生協議会(以下、 全学協と略す)が存在していた。 しかし、全学協はもともと大学祭などの全学的行事を行うために、 各学部自治会代表の連絡協議会として発足したものだった。 そのため、全学協は執行権をもたず、その決議は全会一致を条件としていた。 そこで、全学協はそのもとに合同執行委員会あるいは全学闘争委員会を設置して執行権を行使した。 とはいえ、 1960 (昭和35)年の安保闘争の過程で、 学生側は全学協と各学部自治会が同時に執行権を有するという組織的二重性を解消して、 一元的な執行権を有する全学統一自治会の必要を感じた。 こう して大阪市立大学に全学自治会が結成された 。

 しかし、 ようやく結成された全学自治会では、 特に中央執行委員選挙においてセクト系グループ間で激しい主導権争いが行われた。 社会主義学生同盟(以下、社学同と略す)系、 構造改革派に属する民主主義学生同盟(以下、 民学同と略す)系が多数を占める有力グループで、 そこに民青(日本民主青年同盟)系が加わって主導権争いを演じた。

 この当時、 全国的には60年安保時の旧全学連が分裂し、 革共同全国委員会が有力グループとして現れたが、 同派も分裂して、 革マル派と中核派に分かれていた。 中核派は社学同、社青同解放派とともに「三派全学連」を形成していたが、 大阪市立大学の全学自治会は、 執行部に構革派系の勢力が強まったため、「三派系」とも「革マル系」とも異なる独自の位置を占めた。

一般学生の対応

 1960年代半ばに、『大阪市大新聞』は本学学生の意識調査を行った(完全無作為抽出、回答用紙発送400人、回答者256通、回答率64%)。 その質間項目の1つに、 「デモに参加したことがありますか」 (回答者数248)があった。 その回答は、「一度もない」53.2%、「ときどき参加」 42.7%、「よく参加」 4.1%となっていた。現在からすれば、回答者の半分近くが「ときどき参加」「よく参加」と答えているのは驚きだが、 安保闘争の後に行った新聞会前回の調査では、 「参加したことがある」は94%だったのである。 この点について、『大阪市大新聞』は「ここ3年間のデモでどうしても 500名を超えることが出来ないのが分かるが、 4年間で50%の減少はおどろくべきものがある」と記した。 なお、「よく参加するもの」4.1%は全体数に直して110名にあたり、 これは最小規模デモの数、 すなわち活動家の数とほぼ一致するという 。

 本学では、 1962年に誕生した全学自治会が激しいセクト間争いのために統一機能を喪失し、機能しなくなった。 学生数が増加するなか、多くの一般学生は自治会における主導権争いをみたからか、 学生運動から距離を置いた。 他方、全体に比して多数ではないにしても、 大学教育に対する不満をもつ学生のなかで一定数のものが、積極的に上述のセクト争いを乗り越えようとする出入り自由のノンセクト・ ラジカルグループ=「全共闘運動」を形成した。 1960年代後半の大阪市立大学では一部の活動家を中心とする学生運動が行われた 。

大阪市立大学の大学紛争はどのよう に推移したか

こうした学内動向の流れを受けて、 本学の大学紛争の嵐は東京大学と同様に、医学部から吹き荒れた。

1968 (昭和43)年10月、第 1病理学教室の教授と助教授が、学生の面前で、講義担当をめぐって激しく議論をたたかわせた。 その数日後、 受講学生から、①第 1病理学教室の講義、セミナーの正常化、②臨床カリキュラム、③講座制、教授会の運営方法、 について公開質間状が提出された。 その後10月末に、 学生自治組織の学生委員会がこの間題を取り上げ、 特に③を争点とする闘争を開始した。 その際、医学部では学生だけではなく、青年医師連合(インターン生の全国組織)、 大学院生も参加しての医学部民主化共聞会議(以下、 医共闘と略す)が結成されて問題を大きく した。 医共闘が結成される背景には、 早い時期から大阪市会文教厚生委員会でも問題視されていたように、 大阪市立大学附属病院での若手医師の勤務状態のあり方が関係していた。 この点は大阪市立大学に限ったことではなく、全国の医学部で間題となっていた。さて、医共闘側は、以下のような内容を含む「医学部民主化基本綱領」を作成して医学部教授会に承認するよう、強く迫った。

A 医学部最高意志決定機関について

I 医学部最高意志決定機関の構成は、教授、助教授、講師、助手の以上の全
教官で構成し、全員は各自 1票の平等な決定権等諸権利をもつ。 この場合、医学部としての決定は全てこの医学部最高意志決定機関で行う 。 以上を基本原則とし、運営に関し、具体的に検討していく 。

II 最高決定機関の決定に対し異議がある場合、 医学部諸自治機関(学部委員会、青医連、大学院自治会)は、その決定の行使を、一時停止させることが出来る。

Ⅲ 医学部最高決定機関に学部委員会、 青医連、 大学院自治会は発言権のあるオブザーバーとして参加する。

IV 公開制:最高決定機関は全ての審議事項に関し、医学部構成貝全員に公開する。

いわば、医学部教授会の決定に対して学生自治機関等の拒否権を求めるものだった。 そして、 11月 27日から翌日にかけて15時間を超える教授会団交の末に、「1969年4月 1日より最高意志決定機関を発足させるよう各項を内規化するよう努力する 。 以上確認する」 と医共闘は教授会に認めさせたのである 。

しかし、 医学部教授会では長時間にわたる 「大衆団交」 の末の確認である以上無効であるとの議論も展開され、 同教授会の意向はこの確認書をめぐって二転、 三転した。 結局、 医共闘からのプレッシャーの中でついに大学協議会に「基本綱領」を提出せざるを得なくなった。 1969 (昭和44)年 2月 12日臨時協議会において、医学部長はこの「基本綱領」を説明して協議会に意見を求めた。 協議会は、抽象的で、無限定な「拒否権」、「教員と学生の対等」という内容は認めがたいとしつつも、各学部に持ち帰って討議することとされた。
同日午後 8時より、 学長・ 協議会代表と医共闘との大衆会見は、 約400名の参加者が見守る中(学生、教員は半数ずつ)、現在の122教室でおこなわれた。 徹夜で会見を続けた後、 翌日 13日午前 9時半に休憩に入り、 午後 3時半から講堂で再開した。 再開後は約1000名が参加した。 結局合意にはいたらず、午後6時半学生代表は決裂の言葉を発して退場した。 その直後、 2月 14日午前 3時より教養地区 3号館が封鎖された。

大学側は、その頃より、各学部 3名、保健体育科から 1名の全学25名の学生部委貝が、 午前 9時頃から午後10時頃まで数名ずつで常時待機の態勢を組んだ。
2月 17日の臨時協議会では医学部間題特別委員会の設置を決め、 19日に答申案を提出し、 それに応じて 2月20日に文書を公開した。 そこでは、参加の仕方に

ついて、 医学部最高意志決定機関において審議される事項については事前の合議を行うこと、その決定に対して所定の期間内に異議申し立てができることを提示した。 しかし、大学執行部は 2月12~13日の大衆会見の経験にこりて、学生達との大衆会見は紛争が終わるまで行わなかった。 このため、 学部ごとの闘争が激しさを増し(なかでも、 医学部、 文学部の闘争は激しかった)、全共闘の学生の側では、 学長との大衆会見を求める手段として封鎖を拡大していった。

3月 2日には医共闘が医学部基礎学舎を封鎖し、 また 3月24日は全共闘が大学本館を封銀、したのである 。

そのため、 1969(昭和44)年 3月 3 ~ 5日に予定されていた入学試験は、 3号館封鎖のために学外で、 しかも 2日間に圧縮されて行われた。 また、例年行われていた全学統一の卒業式は中止せざるをえなくなり、各学部ごとに分散して学部長から卒業生に対して証書が手わたされた(この年、 医学部については紛争のため卒業者はゼロとなった) 。
以上のような事態に対して、大学側は 3月協議会で設置を決めた 「大学改革準備委員会」(その後大学改革委員会へ発展)、 「大学間題特別委員会」 の発足を記した 「大学改革問題について」(4.7改革案)を 4月 7日に示して打開を図ろうとした。 しかし、大学改革準備委員会を数回開催したが、 医学部教員会(教授を除く 医学部の教員で組織) との話し合いの結果、 「学長の諮問機関」 という位置づけを返上して自主的な委員会を志向し、職員、学生、教員三者の話し合い開催に努力するものとしたが、結局、医共關の要求によって解散した。

5月には文学部学生への暴力事件、 事態の改善を求める経済学部学生の自殺などの事件が次々に起こり、 また同月には医学部教員会の日当直拒否闘争、医共闘による一部教授の軟禁が起こった。 そして、 6月 11日医学部教員会は新規入院ストップ、入院ゼロ、外来ストップの方針を可決するまでに過激化した。
これに対して、翌12日に医学部長、病院長連名で「地方公務員法の規定に違反する行為である」 旨の警告文を発した。 その結果、 事実上の業務命令が出されたこと、運動自体の前途がみえなくなったこと、教員会執行部の会議運営が強引なものだったこと、 によって教員会は分裂へと向かった。
もう一方で、 6月に入ってからは封鎖学生の体制は崩壊しつつあった。 当初、教養部 3号館が封鎖されたとき、 少なくとも 180名を数えたといわれる封鎖派学生は、当時すでに30~50名に減少しており、時には封鎖中の学舍に「籠城」している学生は最低数名の場合もあったといわれる。 出るも自由、入るも自由という全共聞運動の組織原則そのものが、 このような激減をもたらした 1つの原因だった。 かなりの数の学生が、封鎖学舎から故郷に直行して、そのまま戻らなかったと言われた。 その過程で、 内部における主導権は、 「全共闘」、 ノンセクト・ ラジカルから、民学同左派のグループへ、さらに中核・ 社学同赤軍派へと移行しながらますます過激化していった。 その後世間を驚愕させた赤軍派による「よど号」ハイジャック事件、連合赤軍による浅間山荘事件には本学出身者が関わっていた。
大学側は、 7月 9日大学問題特別委員会が「大阪市立大学改革案要綱」(7.3改革案)を提案した。 以下がその中心的な内容である 。

第 1部 大学の理念
第 3章 大学の構成員とその地位
大学は教貝、学生、職員によって構成される。 そしてこれら 3者はともに大学の使命を分担している 。 したがって大学の使命の達成には、 これら 3者の協力がぜひとも必要であり、またその協力においては、教員、学生、職員がそれぞれ自主的かつ積極的に行動する主体であることを前提とする 。 この意味でこれら 3者は対等である。
A 教員
一教員は大学における『責任者』である。
B 学生
一学生は被教育者であると同時に、 教員のおこなう研究と教育に対する 「批判者」 でもある 。 そして学生はとくにこの批判を通じて大学の発展に寄与する。
C 職員
一職員の大学における地位は、教員にとっても学生にとってもひとしく 「協力者」である。

第 2部大学改革の基本的方向第 1章構成貝の参加
下記の事項について、 大学の各決議機関はその審議に先立って学生自治組織(当該決議機関と対応するところの学生自治組織)の正式の代表と十分な合議をおこない、 しかる後それぞれの機関で審議、決定する。 I)カリキュラムの編成、 II)履修に関する諸規定の制定・ 改廃、 m)教育・ 学習施設の建設・ 利用、

Iv)学生の福利・ 厚生施設の建設・ 利用・ 運営、 V)学費の改訂、 VI)学生参加
の方式に関する事項、 Ⅶ)その他教育 ・ 学習に関する重要事項
事前合議にもかかわらず、 各決議機関でなされた決定に対し学生がわが不満をもつときは、所定の期間内に一定の手続きをへて異議を申し立てることができる。

第 3章 研究教育体制第 1節 研究・ 教育組織
身分的職階制を廃止し、研究・ 教育・ 管理・ 運営における教員間の支配機構を廃する一現行の講座制は解体し、 それに代わるべき新しい研究と教育の単位を編成する。 原則として研究単位と教育単位を一致させるものとする。

第 2節 教育体制
教養科目の重要性にかんがみ、 教養教育課程と専門教育課程とを時期的に分離せず、 かなりの程度に重複、 平行させながら実施する方式にあらためる。 これによって学生は精神的な受容能力の発達に応じて、 教養科目を選択履修することができる一専門教育課程の改善および充実は、研究・ 教育組織の再編成をまって、学生と協議しながら、漸移的に実施するが、基本方針として2、 3の点をあげる 。 知識のつめこみ、 職業教育化の傾向を反省し学科目の内容の精選に努力する 。 入学当初から、 教養科目担当者以外の学部全教貝と学生との接触の機会をできるだけ多くし、 ある程度の専門教育を平行的に実施する。

第4章 産・ 官学協同問題
大学における教育の日的は、 現存社会が要求する単なる高級労働力の養成ではなく、真に社会の進歩に役立ちうる人材の養成にあることを銘記して、大学ほ
んらいの教育目的を見失わないようにつとめる。 同時に、大学における研究は、大学固有の特質をもち、 研究の分野における大学の社会に対する貢献は、 なにより研究上のこの特質を通じておこなわれることを忘れないようにする。

以上のような改革案によって、全共闘運動のいう 「帝国主義大学政策」 との批判に応えようとした。 この「7.3改革案」に対して、教員は紛争解決の「切り札」 となることを期待した。 しかし、 「協力者」 と規定された職員からは否定的評価を受け、 封鎖をしている学生はおろか、 一般学生の評価もはかばかしくなかった。 もう一方で、 8月 8日「大学の運営に関する臨時措置法」が成立した 。 この法律は、 大学紛争が生じて 9 ヶ月以上経過しても紛争の収拾が困難な場合、 当該大学または学部の教育・ 研究機能の停止の権限を文部大臣に与えること、 さらに 3ヶ月以上経過しても紛争が収拾困難な場合には、廃校措置を執ることのできる権限を文部大臣に与えるものだった。 この規定を本学に当てはめると、 2月14日教養部 3号館の封鎖を起点にすれば11月 13日がタイムリミットだった。 「話し合い路線」 は完全に行き詰まった。
9月 17日、 他大学の赤軍派の逮捕学生の自供に基づき、 赤軍派の凶器準備集合罪の捜索のために機動隊が出動して医学部基礎学舎の捜索がおこなわれた 。
9月 22日には封鎖下の医学部学舎から出動した赤軍派を名乗る学生が医学部附属病院付近の交番 2箇所に放火、 焼き討ちをする事件が起こり、 23日基礎学舎は再び捜索をうけた。 大学協議会は 「医学部および病院のほとんど全面的な封鎖によって、 診療機能は麻痺し、 市民に過大な迷惑をかけるに至ったこと」、

「『赤軍』 の暴力行為による社会的不安と、 それにたいする大学の社会的責任はもはや放置できない段階に達したこと」 ( 9月 30 日付 「大阪市立大学協議会声明」)から、 ついに、 9月30日府警機動隊300名の出動を要請して、 医学部学舎、付属病院の封鎖を解除した。 さらに、 10月 4日には、杉本町キャンパスの封鎖を解除するため府警機動隊600名の導入を要請した。

1969 (昭和44)年 1月の東大安田講堂の籠城や、 また同年 9月の京大時計塔の抗戦の中心がセクトであり、 またセクトの中心的メンバーがその抗戦に参加していたのに対して、本学の場合には、セクトは籠城に加わらず、最後の籠城者はノンセクトだった。 セクトは、封鎖を利用し、途中でその主導権を握り、「帝国主義大学解体」 にいたる極左的スローガンを次々と乱発して封鎖を長びかせ、自己のセクトの運動の拠点として封鎖を利用し、最後の局面にはいるとセクトの勢力を温存するために、 「ネズミが沈む船からいち早く逃げ出す」 と言われるように、封鎖現場を捨てたのである。 次項に述べるように、セクトグループの温存は引き続いて、 大阪市立大学を悩ますことになる 。
10月20 日から商、 経、 法、 文の 4学部と教養部の授業を 2号館、 3号館で再開し、 12月 1日から医学部でも全面的に授業が再開されるに至った。 大学紛争は、教職員、学生に対して深刻な心理的影響を残し、物的被害もことのほか大きかった。 大学全体の被害総額は図書の被害を別にして約 1億5000万円で、 紛争によって生じた附属病院会計の赤字は約 4億円と見込まれ、 授業再開に最低限必要な応急の復旧整備費だけでも 5000万円を超えると予想されたのである 。予算建設委員会は、 大学自体で10%分の予算を保留して復旧にあてるとともに、復旧整備委員会の設置を提案した 。 復旧整備委員会を通じて順次復旧整備が進められた。

大学紛争後、 寮問題が新たな火種に

前述したように、 本学の過激派は大学紛争後も生き残り、 その後も大学を混乱させることになる。 というのは、過激派学生は1977 (昭和52)年 1月 17日に完成したばかりの新寮という根城を確保して、 そこから教養地区で行われた政治セクト間の暴力的抗争に出撃したり、教養地区の授業妨害、試験妨害に向かったからである 。 なお、 暴力的抗争は教養地区と理工地区の間の公道まで及んだことがあった。 その公道を近隣の小学生や幼稚園児が通学路、 通園路として利用していたので、 保護者からの要請もあって大学は登下校する子供達の安全を守るため、 1971 (昭和46)年度から、教員が午前、午後ともに10人ずつ教養地区正門前に立って路上警備をおこなう 「路上当番」 を行っていた。 それでも、1975(昭和50)年 6月 4日には路上警備を行う前に、登校する学童の面前で、 中核派学生が革マル派学生を襲撃し、 死者が 2名に及ぶという事件が起こった。

大阪市立大学の学生寮の推移

前述したように、 1960年代初めには、都風寮と杉本寮という 2つの学生寮が存在した。 その 2つの寮はともに老朽化していたことから、 1962 (昭和37)年4月に全学協から新学生寮建設の要望が示された。 また1963 (昭和38)年 9月には自治会によってアンケートが実施され(学生数3840、 回収2755、 回収率72%)、回収者の約半分が入寮を希望していることが判明した。 もう一方で、 当時はセクト間の激しい争いや全共闘運動の登場する以前でもあったことから、 学生部側は 「自治共同精神を養う寮生で自治でよい。 問題が出たときは学生部委員会でやれる。 高い立場で審議する。 寮生をこえ、学生としてでもできる」(『大阪市立大学学生寮の歴史』)という言葉に端的にあらわれているように、寮生の自治に対して絶大な信頼をもっていた。 そこで、学生部は新寮の検討を進め、収容人員 1000名の寮を 5 カ年計画で建設し、 まず第 1期分200名寮建設案を大学側に提案した。

大阪市に対して、 大学は現実性を考えて、 80名寮の建て替え案を要求した。しかし、 80名建て替え案に対してゼロ査定が続くなか、学生部の熱意に、大学として1000名寮の建設計画を打ち出し、 第 1期分200名寮建設を決定した。 やはり、大阪市は認めなかった。 その理由として以下が考えられた。 第 1に、寮生は寮費、 光熱水費の不払い運動を展開していたからである 。 この頃、 文部省より、 学寮管理に必要な経費は大学負担とし、 私生活に要する経費は寮生負担を徹底させること、それに先だって負担区分(光熱水費、人件費、消耗品費、食事材料費など)を明確化するようにとの通達があった。 それに対して寮生側は反発した。 第 2に、 寮規定間題が解決されていなかったからである 。 この点は1970 (昭和45)年 4月、 大阪市の監査で指摘された。 大学が入寮者の氏名すら把握していないことに問題があるとし、 寮の管理体制について抜本的改善を求めていた。

それでも大学は学生との約束を守りたいとの思いから、 とりわけ大学紛争後に大阪市に対して熱心に要求を続けた 。 その結果、 大阪市は本学の熱意を受けて、 3条件の履行を条件に 1974年度予算の復活折衝で新学生寮建設を認めた。
3条件とは、新寮完成後に当時入っていた寮から立ち退くこと、寮費を支払うこと、 寮生名簿を提出することであった。
これに対しては、 都風寮、 杉本寮の自治会から 「大学当局のどす黒い野望=百名寮建換策動粉砕に向けて進撃せよ!」 との批判ビラが配布されたように強く反発したものの、 1974(昭和49)年10月建設のタイムリミットを前にしてとりあえず3条件について柔軟な態度をとった。 この時点にいたって、 ようやく大学の熱意は寮生側に伝わったかに思えた。 しかし、 1976 (昭和51)年10月の新寮竣工時には以前のような預なな態度となった。

学生部は1976 (昭和51)年11月 25日に学生部長名の文書 「新学生寮について」を出し、 3条件の履行を説き、寮側が「数回にわたり交渉にのぞんでいた学生部委員に対して常識では考えられないような成圧を加え、あくまで自己の説を通そうとする態度に出た。 このため交渉は目下難航を極めている 。 しかし学生部委員会としては、なお解決への熱意をもっている一」と、自重を求めた。

これに対して、 活動家学生は学生部長室の占拠という行動で応え、 ついに学生部と寮生の交渉は決裂した。
交渉の糸口を絶たれた大学執行部は、 それでも話し合いによる円満解決を願って、学生部長を経験した当時の評議員を交渉役として再開した。 その交渉に先立つ1977 (昭和52)年 1月の臨時評議会において大学執行部は、 寮生が過激化して、非常手段に訴えることになるのを避けるためか、 「学生側が3条件を認めるまでは開寮しない」 とする評議会と学生部委員会の間で確認されていた基本方針をくつがえし、学生との交渉によって新寮への仮入居と杉本寮の 1年間の存続を容認した。 さらに評議会は話し合いの妨げになるとの判断で、学生部委員会の方針である上記11月25日の文書 「新学生寮について」 を撤回したのである。 こうして、 1977(昭和52)年 1月17日には、学生側は大学の関係者から鍵を受け取り整然と入寮するという 「実力行使」 で新寮へ入居を果たした。

1977(昭和52)年度は、以上のような「話し合いによる解決」路線のために学年末試験は長期に延期され、 日本育英会の奨学金貸与は休止された。また、廃寮するはずの杉本寮についても、「団交」の末、 1977(昭和52)年 6月に当時の学生部長は杉本寮の存続を約束してしまい、 杉本寮補修のために一般の予算から流用せざるをえなくなった。 その後、 1981 (昭和56)年度には杉本寮の老朽化で倒壊の可能性あり、 との調査が報告され、 1986 (昭和61)年 1月28日徹夜団交の結果、建て替えを確約してしまう 。 また新寮(「志全寮」)でも寮生は寮費を含む諸経費を払わなかった。

以上の出来事は一層大阪市や大阪市会をいらだたせた。 市会では自民党から共産党にいたるすべての会派が大学に寮間題の解決を追った。 経済研究所教授崎山耕作が1986 (昭和61)年 4月に学長に就任した際、 「大阪市と大学は物凄く冷え切った、 つめたい関係にあった」 と述懐するほどの関係に陥っていた。 寮問題の解決は避けられなかった。

(以下、略)

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【投稿】政権交代の意義を抹殺する菅改造内閣

【投稿】政権交代の意義を抹殺する菅改造内閣

<<「本をお読みになったうえで任命」>>
 民主党・菅政権はついに重大な背信の道を公然と踏み出し始めた、と言えよう。一昨年8月30日の総選挙における政権交代の意義が完全に踏みにじられようとしているのである。今や、菅・仙谷・前原・枝野・岡田氏ら主導による自民党・小泉政権時代と見まがうほどの対米従属路線、財界・巨大資本に言いなりの自由競争原理主義・新自由主義への屈服路線、そして財務官僚一辺倒の財政再建至上主義と大増税路線によって、あの政権交代選挙がもたらした意義と使命、期待は完全に葬り去られ、風前の灯と化そうとしている。あの政権交代選挙で有権者が選択し、民主党政権に要求したのは、まさにこのような悪臭紛々たる自民党政権時代の三つの路線からの訣別であった。ところがたった一年数か月も経たないうちに、とりわけ菅政権になってから明らかになったことは、民主党政権の自民党化・小泉化であり、「気がつけば『小泉政治の復活』」である。
 その極め付けが、今回の内閣改造である。菅氏は自ら「最強の態勢」と胸を張っているが、そのお粗末さはあきれるばかりである。
 その象徴が、今回の内閣改造で与謝野元財務相を経済財政担当相に起用したことである。与謝野氏は、財務省の言いなりの増税推進派として知られる悪名高き政治家であり、その自著の表題からして「民主党が日本経済を破壊する」(文春新書)として民主党政権をこき下ろし、「民主党のマニフェストは純粋に選挙用のフライングフィッシュ(毛バリ)みたいなもの」と酷評していた政権交代選挙の意義を全否定する人物である。しかも先の総選挙で小選挙区候補として落選し、自民党枠の比例復活で辛うじて復活当選しながら、その自民党を離党して「たちあがれ日本」の共同代表になり、今回菅氏に誘われるや、またもやそこを離党して、与えられたポストにいけしゃあしゃあとおさまりかえる、まさに背信・背徳の政治家である。与謝野氏は先の自著で「70歳を超え、閣僚も党の役職も数多く経験させてもらった。今さら、あれがやりたい、これがやりたい、などない」などといっていたことも知らぬ顔で、「菅直人首相は本をお読みになったうえで任命されたと思っている。」と開き直っている。こんな人物を「民主党とかなり共通性は高い」と重要閣僚に迎え、「最強の態勢」の柱に据えて胸を張る菅氏には、与謝野氏と同じ背信・背徳の共通性があるのであろう。

<<食って掛かる官房長官>>
 菅氏が与謝野氏を起用したのは、消費税の大増税路線を確かなものにすること、ねじれ国会を乗り切るために自民や公明と連携する呼び水としての役割、さらには公明、自民とも大連立を模索するための布石のつもりであろう。しかし当の自民、公明幹部は「信頼関係を自ら放棄した人が先頭に立っても、誰もついていかない」と述べ(自民・石原伸晃幹事長)、菅首相が唱える超党派協議に応じない考えを示し、「立ち枯れ効果、倍増だ。今のタイミングでは、消費税や社会保障の議論のためには逆効果」(公明幹部)と、そのみえすいた浅ましい根性が見透かされ、かえって事態を悪化させているのである。菅氏ならびに民主党執行部の稚拙さが、ここでも露呈されているといえよう。
 その稚拙さのさらなる象徴が、官房長官への枝野氏の起用である。民主党が大惨敗した昨年7月の参院選で、枝野氏は党幹事長、安住氏は選対委員長であったが、どちらも大敗の責任を取らず、昨年9月の内閣改造では枝野氏は幹事長代理、安住氏は防衛副大臣に登用され、今回は枝野氏は官房長官、安住氏は国対委員長に引き上げられている。政治的責任を一切取らないで済ませられる、この党の無責任性の象徴でもある。どちらも反小沢派の急先鋒であり、菅氏や前原氏の言いなりになる仲間内で固めたお手盛り人事の典型と言えよう。
 何よりも菅氏が見落としている、あるいは知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる枝野氏の決定的な弱点は、その稚拙極まりない反中国姿勢である。以前にも紹介したことであるが、菅首相が昨年10/1の所信表明演説で「中国との戦略的互恵関係の深化」を基本方針に掲げたその翌日の10/2、さいたま市での講演において、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件に触れて、「中国との戦略的互恵関係なんてありえない。あしき隣人でも隣人は隣人だが、日本と政治体制から何から違っている」「中国に進出している企業、中国から輸入に依存している企業はリスクを含めて自己責任でやってもらわないと困る」「中国は法治主義の通らない国だ。そういう国と経済的パートナーシップを組む企業は、よほどのお人好しだ」と言ってのけ、いわば中国への絶交宣言、断交宣言に等しい発言をしながら、その発言の責任も問われることなく居座り続け、今回あろうことか内閣を代表する官房長官の地位に引き上げられたのである。対中緊張激化に利益を見出す前原路線との照応関係が見て取れるが、中国を「悪しき隣人」と呼んだことについて記者団に聞かれると、「良い隣人だと思うか?」と食って掛かるような理性と謙虚さ、品位さえも失い、個人的憎悪をエスカレートさせることしかできないこのような政治家が政権の中枢に居座り、政権を代表するとなれば、日中間の平和的共存関係は根底から破壊されてしまい、政治的経済的に計り知れない災厄をもたらすことは明らかである。ここでも菅氏は重大な誤りを犯してしまったと言えよう。

<<「沖縄切り」>>
 しかも枝野氏は、国交相が担当していた沖縄担当大臣を兼務するというのである。これも沖縄県民にとっては許しがたい暴挙ともいえる仕打ちである。枝野氏は就任にあたっての菅直人首相からの指示について、「官邸で普天間問題を担当する官房長官が直接、沖縄担当相を兼務することで、より強力な推進ができると判断したと聞いている」と説明しているように、菅氏じきじきの沖縄担当大臣への起用である。枝野氏は、1/14の就任会見では、米軍普天間飛行場移設問題について「沖縄の立場に立ち、物事を受け止めて考える中で、(名護市辺野古に移設する)従来の政府方針をどう進めるか努力したい」と述べ、日米合意を見直すどころか、あくまでも辺野古移設を推進する考えを表明している。
 しかしその枝野氏はあろうことか、昨年11月に稲嶺進名護市長らが上京し、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設撤回を政府に求めようとした際、関係省の政務三役との面談ができなかった事態が生じたが、この時「政府方針に一致しないので会わない」「政治パフォーマンスには応じられない」と指示し、事実上、門前払いをした張本人である。その時の11/9付け琉球新報は「政府に従わない異論を排除して恥じない。少数意見を切り捨て、民主主義を否定するに等しい前代未聞の対応だ。」「沖縄との溝が広がるばかりの民主党だが、聞く耳さえ持たなくなったのか。その狭量さにあぜんとする。」と報じられた枝野氏である。就任記者会見であつかましくも「沖縄の立場に立ち」などと述べているが、「沖縄の立場」に聞く耳さえ持たない、「沖縄の立場」に一度も立ったこともないそんな枝野氏が、なぜ沖縄担当相なのか。そんな人物に菅首相が「より強力な推進ができると判断した」のはいったい何なのか。それは「沖縄切り」であると言えよう。
 1月15日付け琉球新報の「疑問だらけの危うい組閣 公約破棄、官依存の『背信』」と題する社説は、「政府、自らに異論を持つ者は排除しても構わないという姿勢の枝野氏の沖縄担当起用は『小沢切り』とともに、菅内閣の『沖縄切り』の表れかとさえ思える。」「普天間問題で『県外移設』との県民の圧倒的な声には耳を全く傾けず、移設先を名護市辺野古とする日米合意の確実な履行を繰り返す北沢俊美防衛相は留任した。前原誠司外相も同じだ。」「普天間問題についても、県民の声を無視し、官僚のシナリオだけを頼りにしている閣僚ばかりだ。これでは官僚にとって扱いやすい『最強の内閣』にすぎない。」と断じている。ここでも菅氏はさらに重大な誤りを犯したと言えよう。

<<ダラディエ路線>>
 しかし大手マスメディアはそろいもそろって菅政権の変節と背信を大いに歓迎し、改造菅内閣を叱咤激励している。1/15付け読売社説は「今回の与謝野氏の入閣で政界再編の芽が出てきたとも言える。与謝野氏が言うように、国の命運を左右するような課題には各党が「政争の場を離れて」取り組むべきだ。」と主張し、「首相が「政治生命」をかけると言明した消費税を含む税制と社会保障制度の一体改革や、環太平洋経済連携協定(TPP)への参加、日米同盟強化に取り組む体制を整えることだ。」「菅首相の不退転の決意と実行力が問われよう。」と激励している。1/15付け朝日社説も「政権の最優先課題は一体何か。覚悟が見えず、すぐふらつく。そんな批判を首相は浴び続けてきた。目指す目標を明確にし、人事を通じ実行する態勢を整えようとした意図は理解できる。」と今回の改造を礼賛し、「『チーム菅』をがっちりと組み上げ、活発に機能させていくことである。」とまるで手放しの激励である。1/15付け日経社説もまた「首相は不退転の決意で民主党内をまとめ、税制の抜本改革やTPP参加への道筋をつける責任がある。」とエールを送っている。
 「チーム菅」の実体は、菅・仙谷・前原・枝野・岡田+与謝野ということであろうか。それは、政権交代の意義と使命を徹底的に貶めるためのチームでしかない。それは政権交代以前の自民党政権時代への回帰、対米従属、財界従属、財務官僚従属のチームとも言えよう。
 田中秀征 [元経済企画庁長官、福山大学客員教授]氏は、一時は盟友でも会った菅氏について「首相になる前の菅首相には、4つの敵、もしくは4つの縁遠いものがあった。それは(1)自民党、(2)財界、(3)官僚組織、(4)米国である。これらに距離を置く彼の姿勢は、『革新無所属』を名乗っていたり、社民連に在籍していた頃は今よりはるかに鮮明であった。ところが、政権交代後、彼にはこの4つに対してなりふり構わず接近している。もしも、自民党が大連立を申し入れれば、彼は直ちにそれに飛びつくだろう。その条件は『菅首相の続投』だけである。」「私は菅首相を見ていると、第二次大戦直前のフランスのダラディエ首相を思い出す。ミュンヘン会談でヒトラーと妥協して大戦に道を開いた人だ。ダラディエは、左翼政党から登場し、大臣、首相となるにつれて右旋回を続けた。そしてついには労働運動を弾圧したり、国民に向かって発砲するに至った。しかし、ダラディエは、最終的には左翼はもちろん保守勢力からも信頼されなくなったのである。保守勢力からすれば、かつての同志であった労働者に銃を向けるのであれば、いつかは自分たちに銃を向けるのではないかと疑うのも当然だ。」と厳しく指摘している(ダイアモンドオンライン1/6付け)。
 今や権力亡者と化し、政権にしがみつくことだけが目的と化してしまった感のある菅氏に、このような真摯な警告が届くのであろうか。いずれにしても政権交代の意義を抹殺するような政策に「政治生命」をかける菅政権は、早晩行き詰らざるを得なくなる。民主党は重大に岐路に立たされており、心ある人々の奮起が望まれる。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.398 2011年1月22日

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【投稿】TPP参加は「平成の売国」

【投稿】TPP参加は「平成の売国」           福井 杉本達也

1 突然のTPPへの参加表明
数ヶ月前まで全くなじみの薄かった国際協定をめぐり激論が交わされている。環太平洋戦略的経済連協定(TPP)という太平洋地域の貿易自由化を目指す、新たな多国間協定である。TPPが注目を浴びたのは、菅直人首相が昨年10月1日の所信表明演説で唐突に「国を開き未来を開く」として、アジア太平洋諸国との懸け橋として、「経済連携協定(EPA)・自由貿易協定(FTA)が重要です。その一環として、環太平洋パートナーシップ協定交渉などへの参加を検討し、アジア太平洋自由貿易圏の構築を目指します。」と参加検討を表明したのがきっかけである。しかし、当初マスコミは「評価できるが、農産物関税の引き下げなど困難な国内調整を伴う。『有言実行』の覚悟が試される」(日経社説:2010.10.2)とあまり相手にしなかった。ところが、前原外相が日経新聞と米戦略国際問題研究所(CSIS)との共同シンポジウムでジョン・ハレム所長やジョセフ・ナイ教授、石波茂自民党政務調査会長らを前に「外交の一番の優先課題は経済外交に尽きる。百パーセント関税自由化をするということを考えると、日本のFTAのレベルはかなり低い。環太平洋戦略的経済パートナーシップ協定(TPP)にも入るべく検討している。第1次産業の割合1.5%を守るために、残り98.5%が犠牲になっている」(日経:10.20)とぶち上げてからがぜんマスコミは騒ぎ出した。米国の“承認”を受けたうえでの発言であると“正式に”確認されたからである。

2 「東アジア共同体」に対抗するための「TPP」
『日米同盟VS.中国・北朝鮮―アーミテージ・ナイ緊急提言』(文春新書:春原剛:2010.12.20)において、リチャード・アーミテージ元米国務副長官は鳩山政権の「東アジア共同体」構想には非常に驚いたとし、中国と日本は「『米国を含まない共同体』について語っていたようだ」とし、「我々にはそれについて何も知らなかった。そうした態度は友人(=『属国』と訳すべき)にはあるまじき行為」であると怒り狂っている。ナイはさらに具体的に「ASEANプラス3(日中韓)」が「ASEANプラス1つの貿易協定(One Free Trade Association)や、「ASEANプラス3つの貿易協定(Three Trade Agreements)となり、「米国への差別的行為を伴う場合は米国による報復を伴うことになる」と恫喝している。既に経済の重心が大きく東アジアに傾きつつある現在、米国抜きの「ASEANプラス3つの貿易協定」は、米国にとっては何としても阻止しなければならない喫緊の課題である。そこで取り出してきたのが、TPPである。構成は、アジアの英米金融資本の出張所・シンガポールとブルネイ、アングロサクソンのオーストラリア・ニュージーランド、南米では米国の息のかかり、「メルコスール」(Mercado Comun del Sur-ブラジル、ベネズエラ、アルゼンチン等の南アメリカ関税同盟)から距離を置くペルー・チリなどである。参加・参加表明は9カ国だが、GDP比率は米国が67%、日本が24%で9割を占め、後は取るに足りない経済規模であり、事実上の「日米FTA」となっている(日経:2010.10.28)。しかも、関連するものは農産物や鉱物資源などの一次産品のみである。これらに「ASEANプラス3」のような、世界の生産拠点である中国、金型など自動車部品産業の集中するタイ、1980年代から機械産業を育ててきたインドネシアなどのような域内での強い経済的結びつきや一体感はない。(マレーシア・ベトナムのTPPへの参加意向は不均衡貿易の中国への牽制の意味がある)。また、東アジアでは1997年のアジア通貨危機への対応として発足したアジア金融協力体制=チェンマイ・イニシアチブも順調に機能している。ASEAN諸国は当時のIMF・米国の仕打ちを忘れてはいない。TPP参加をそれに変わりうる「平成の開国」などというのは詐欺にも等しい。

3 日本を米国に売るための「TPP」
「第1次産業の割合1.5%を守るために、残り98.5%が犠牲になっている」との前原発言は実に作為的な暴論である。あたかも農業以外のすべての産業がTPP参加によるゼロ関税によって利益を得るような論理であるが、実際に利益を得るのは自動車や電機など一部の競争力の強い輸出産業にすぎない。日本の貿易額のGDPに占める割合は13%t程度(2005年現在)で3億の人口を抱える米国と同水準あり、30%を超すドイツや韓国、20%超のイギリスやフランスなどと比較して高い水準にはない。「着うた」や「デコメ」などガラパゴス現象と揶揄される日本の携帯電話はフィンランドのノキアや韓国のサムスン、LGのように海外にはほとんど輸出されていないが、これは逆にいえば日本の国内市場が相対的に大きく、海外市場開拓の必要性が少なかったからである。前原の発言は過剰設備を抱える一部の輸出産業のために他の8割の産業を米国に売る議論である。

4 形を変えた「年次改革要望書」
そもそも、TPPの具体的内容に関する情報がきわめて不透明である。TPPの第3回会合では24部会が立ちあげられ、政府調達や知的財産権、金融、投資、労働などの分野で議論が進んでいると記されている(『東洋経済』2010.11.13)。公共事業の入札や郵政民営化・医療・年金・労働の自由化なども含むのか。とするならば、それは2008年10月15日以降出されていない米国からの「年次改革要望書」(「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書」(The U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative))の復活そのものである。前自民党政権下で過去10数年に亘り「要望書」のお望みどおりに、財政投融資と郵政の解体、年間3000人法曹養成(結果、食えない弁護士の大量出現)、労働者派遣法の改正、新会社法による日本企業買収のための三角合併制度等々を行い、米国に金融・会社・労働者・国の制度から魂まで売ってしまった。今の日本はその“負債処理”で汲々としている。“無条件一本勝負”よりも「米韓FTA」という“条件闘争”を選びTPPに参加しない韓国の方がまだ日本よりは賢い(鄭仁教韓国荷大教授:日経:2011.1.8)。

5 日本農業はTPPでは存立しえない
農業は製造業と違って、自然的条件の違いが重要である。米国の1戸当たりの平均耕作面積は約200ヘクタール、オーストラリアは約3000ヘクタールなのと比べて、日本は1戸当たり2.2ヘクタールにすぎず、それを10ヘクタールにしようが20ヘクタールにしようが誤差の範囲内である(金子勝:県民福井 2010,11,26)。このような自然条件の違いを無視して、ゼロ関税の市場競争に任せれば農業は成り立たない。
朝日新聞は1月1日の社説で「TPPへの参加検討を菅直人首相は打ち出したが、『農業をつぶす』と反対されフラついている。だが手厚い保護のもと農業は衰退した。守るだけでは守れない。農政を転換し、輸出もできる強い農業をめざすべきだ」(朝日社説2011.1.1)と主張するが、どうやって「輸出もできる強い農業」を作るのか。社説はあたかも日本だけが農業を保護しているかに書いているが、真っ赤な嘘である。TPPの主役で世界最大の農産物輸出国の米国でさえ、膨大な補助金によって農業を支えている。バイオ燃料推奨も補助金の一種である。2008年に成立した農業法(Food Conservation and Energy Act of 2008)では5年間で2850億ドルの予算を組むとしている。米国は常に「他人には厳しく、自らには甘い」ダブルスタンダードである。
農業の構造改善を進めるため農地や用水路、農道などの整備を行う土地改良事業はピークの1997年度には1兆2300億円に達したが、民主党政権下の2010年度予算では前年度比63%減の2129億円に大幅削減された。同事業によって、これまで10a以下の零細農地は20a→30a→60aへと規模拡大されてきた。一方、事業は地元負担金(数%~20%程度)の償還が終わるほぼ20年ごとに30aの改良農地をさらに1haへ、2haへと大規模公共事業として繰り返され、土建業に再投資され、自民党の政治基盤となってきた(野中広務氏は全国土地改良事業団体連合会会長)。しかし、いくら規模拡大するといっても地形上の制約からも1haの農地を米国のように100~200haに拡大することは日本では不可能である。土地の制約を無視して、生産性を上げるとか、構造改革をするとかいうのは画にかいた餅である。規制緩和し、農業以外からの参入や野菜工場・工業のような大型機械によって日本農業の再生を夢見る者もいるが、米国においてさえも歴史の最適解は、大型家族農業経営であった。資本主義的経営が根付かなかったのは、自然を相手にする農業の特質ゆえである。ソビエトの集団農業化(コルホーズ・ソホーズ)、中国の人民公社が失敗したのも、同じ理由である。農業以外からの資本の導入は、イデオロギー以外の何ものでもない。零細農家を大量に抱える中国やASEAN諸国も同様であろう(参照:「TPP参加は誤り―日本の米作・畜産は規模拡大策では存立しえない」伊東光晴:『エコノミスト』2010,12,21)。

6 恫喝すれば“従順に従う”日本人
朝日社説はさらに続けて「民主は公約を白紙に 」との小見出をつけ「思えば一体改革も自由貿易も、もとは自民党政権が試みてきた政策だ。選挙で負けるのが怖くて、ずるずる先送りしてきたにすぎない。民主党政権がいま検討している内容も、前政権とさして変わらない。どちらも10年がかりで進めるべき息の長い改革だ」と、“どっちもどっち”の対米従属路線が続くことを支持する。メッセンジャー・ボーイとして米軍産複合体の意向をオウムのごとく繰り返す前原外相や日本のマスコミ、米国の恫喝に右往左往する菅首相や経済人を見るにつけ、かつて、キッシンジャーに「Of all the treacherous sons of bitches,the Japs take the cake.」(「裏切り者どもの中で、よりによって日本人野郎がケーキを横取りした。」-1972年、ニクソン訪中の成果を田中角栄首相が日中国交正常化とういう形で横取りしたことに対して:共同通信2006,5.26-孫崎享『日本人のための戦略的思考』より)と言わしめたような政治家や日本人が『属国』から“駆除”されてしまったのかと思うと嘆かわしい。

【出典】 アサート No.398 2011年1月22日

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【本の紹介】「日本共産党VS.部落解放同盟」

【本の紹介】「日本共産党VS.部落解放同盟」
 筆坂秀世・宮崎学共著 にんげん出版 モナド新書 2010.10.31 940円+税 
 
 なかなか懐かしい取り合わせの表題に引かれ、手にしたのが本書である。著者は、筆坂秀世氏・宮崎学氏の共著となっているが、展開は対談形式となっている。
 問題意識は、「はじめに 日本共産党と部落解放同盟とは何であったのか」に明らかにされている。1920年代に日本共産党と部落解放同盟の前身の水平社は産声を上げた。戦時中は権力の弾圧の中で逼塞されるが、戦後、解放の息吹の中で甦り、貧困と差別に反対して、少なくとも1960年代前半、同和対策審議会答申が出されるまでは、共同の立場で戦線を構成していた。しかし、その後、答申の評価を巡り対立が始まり、1970年代の矢田教育差別事件や八鹿高校事件で対立は決定的となり、「暴力的」対立まで至る。
 しかし現在、共産党の方は、不況の到来とともに蟹工船ブームや派遣切りなどの反資本主義的ムードの中で、勢力を拡大するかに見えた時期もあったが、2009年総選挙、2010年参議院選挙で、得票を大幅に減らし、党員の高齢化が目立つなど、党勢・運動は縮小の方向にある。一方の部落解放同盟も、2010年3月の全国大会で同盟員が7万人を切り激減していることが報告され、同盟員の平均年齢が60歳を越えているという。昨年の参議院選挙では、松本治一郎以来の議席を失うという事態となった。
 「時代の状況も違い、時代の課題も違うなかで、共産党、解放同盟にかつての光輝に満ちた闘争の再現を期待するのがまちがいかもしれない。しかし、現在の状況が、新しいかたちで虐げられた者たち、辱められた者たちを大量に生み出しているとするならば、「党」「同盟」という形態ではなくても、抑圧と汚辱に立ち向かう結集のあり方が探られねばならないだろう。そのためには、かつての党と同盟の「正の遺産」だけではなくて、「負の遺産」が仕分けされ、「何をなすべきか」とともに「何をやってはならないか」があきらかにされていかなければならないのではないか。本書は、そのための一つの試みである。」と記されている。
 
<差別は支配の道具か>
 第一章では、差別は本来人民の中にはないものであって、支配する側がもちこんできた、だから、権力と闘うことが大切である、という「差別は支配の道具」であるという考え方について検討が行われている。「共産党は、独占資本の搾取・収奪を強化するために差別を分裂支配の道具として利用していると、差別と独占資本を結びつけて考えていました。この点は解放同盟も同じでした。(司会者)」
 宮崎「差別は、権力支配の道具としての側面は持ちつつも、主たる側面はそうではないんじゃないのか。差別を権力支配の道具という一面でしかとらえない限界を、同盟も共産党ももっていた。・・・分裂支配の道具として以外の要因は、どこにあるのか、ということですが、その前提として、民衆の中の差別意識の問題がある。・・・権力支配の道具というとらえかたの範疇を越えられなかったところに、ある種の限界があったのではないかと思っているわけです。」
 さらに、革命のための活動家を吸い上げるための大衆組織=解放同盟と考える組織論があり、共産党が国民政党に「変質していく」過程の中で、解放同盟との対立が起こってきたという分析がされる。
 「第一章蜜月の中に生まれていた対立の萌芽」の中では、こうした点が中心の内容である。1970年代前半期、私の高校・大学時代は、すでに対立が頂点に達していた時期であった。60年代の運動に分裂・対立の萌芽が内包されていたと言う議論であり、その内容は、差別の本質論、共産党の組織論に問題があったということになる。
 
<革命か改良か>
 最初の対立の端緒は、同対審答申の評価であった。部落差別の存在を認め、特別対策の必要を内容とした答申について、解放同盟側は「運動の成果」と評価したが、共産党は「毒まんじゅうだ」と批判した。さらに、共産党から除名された「反党分子」が、同盟内にいるとして解放同盟の大衆団体としての独立性を無視し、敵対勢力と規定し、後に共産党の影響力の強い県連・支部を同盟から離脱させていく。
 60年代は共産党自身の内部に党内闘争を抱え、旧ソ連派(日本のこえ他)、中国派などが離脱・除名されたが、解放同盟内に影響力は残ったことも、問題を複雑にした。
 著者両氏とも「毒まんじゅう論」は誤りであったという立場である。宮崎氏は改良を否定した運動はありえないし、党レベルの議論を乱暴に解放同盟に持ち込んだと批判され、筆坂氏も「社民主要打撃論」に繋がる誤ったものだったとする。後に、共産党も地域の要求を掲げることは必要と、1967年に方針転換をすることになるが、対立は続き、左翼的批判が右翼的批判に変化していったと指摘されている。
 
 第二章同和対策は毒まんじゅうか–解放同盟内での対立、第三章矢田事件、八鹿高校事件–同盟と党の暴力的対立、第四章全面的な路線対立・組織対立へ、第五章部落解消論と利権問題と、二章以下は、対立段階を4段階に分け、対立の過程について対談が進むことになる。
 このあたりのくだりは、私にとってはも読者にも復習のような内容になります。特徴的な指摘について紹介したいと思います。
 コンプライアンスについての指摘がある。両者とも、コンプライアンスを重視する傾向にある。もちろん、法令順守という考え方や法律を求める運動そのものに問題があるわけではない。社会運動の指導者や本部が、告訴告発主義を取ったり、法律制定に軸を置いた運動を中心にすることで、「もともとの運動のスタートにおける問題意識から完全に遊離してしまっている、ということじゃないのかな。解放同盟が自力救済を捨てきれないところがまだ救いかもしれない(宮崎)」
 次に、属地主義と部落外在住者の組織化の問題である。行政闘争の成果や社会経済環境の変化によって、逆に部落を出て行く若者が多い。所得が上がれば部落外に住居を求めることも可能になる。一方で同和対策は未だに属地主義を取っている。その中で、解放同盟員の激減も起こっている。地区外同盟員を認めているとは思うが、同盟の運動論、組織論として、議論されるべき問題だと感じた。
 利権の問題も俎上に上っている。運動の論理としての窓口一本化の運動側からの正当性について両氏とも認めるところだが、そこから同盟幹部と行政の官僚との癒着が生まれる可能性が強い。食肉問題でも農水省幹部利権との関わりが指摘され、官僚の側の問題が指摘されている。地方官僚の場合、同和関係職場が出世の条件になっている実態もある。2000年代に入って相次いで発覚した大阪・関西の利権問題でも行政側の関与が指摘されている。
 私も身近にある大阪の運動体と運動について、行政に依存しすぎる解放運動になってしまったと感じている。
 
<解放同盟のゆくえ>
 第五章の最後には、両氏の解放同盟への率直な意見が盛り込まれているが、解放同盟の今後の再生について、非常に否定的な意見となっている。
 筆坂「結論的に言えば、部落解放同盟の歴史的役割は終わったと思います。・・少なくとも経済的に言えば被差別部落だけが著しい貧困状態にあるわけではないでしょう。・・・解放同盟の存在意義が希薄になってきたことは、肯定的に評価すべきだと考えます。」
 宮崎「(党と解放運動の関係)それ以上の問題として総括すべきは「官」との関係ではないか。「官」からも「党」からも敢然と自立した運動を、なぜ展開できなかったのか。そのことを考える時期に来ていると思います。解放運動という組織の先行きを案ずることはない。むしろ、水平社、部落解放同盟を支えた人々の精神が風化すること、そのことを私は憂えています。」と。
 
<「補論」について>
 最後に補論として、「日本共産党と部落解放同盟の対立の歴史的・社会的背景」(大窪一志)が収められている。対談形式の本書の中では、まとまった論文(?)として、読むことができる。高度成長期に乗り遅れた被差別部落大衆と同盟が、同対審を梃子に運動を拡大させ、一方で、共産党の支持基盤が、最貧困層から中流層へシフトし、党勢が拡大していく中で共産党が変質していったこと。戦前の水平社アナ・ボル論争に遡る階級闘争と個別大衆運動の利害と指導を巡る問題が、両組織の対立の歴史と重なることが、簡潔にまとめられている。
 
<運動の再生のために>
 私は、筆坂・宮崎両氏のような否定的な見解に同意するものではない。しかし、大衆運動としての解放運動が明らかに混迷していることは事実であろう。その原因を切開し、現実に起こっている被差別市民の要求と課題に依拠し、運動の再構築が必要であろう。その議論の素材として、一読の価値ありと考える。(佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.398 2011年1月22日

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【訃報】小坂さん、逝く

【訃報】小坂さん、逝く
(1月16日、幾度もカンパを頂き支援をしてくださった小坂貢さんが永眠された。) 

いったい今の政治はどうなってるんかね
くだらないことばかり議論して
肝心なことはほったらかしじゃないか
ところで小沢のことを詳しく書いた本があるかね
それそれ、それを買ってきてくれたらありがたいんだが

ベッドを横切るテーブル
山のような週刊誌や月刊誌、単行本
片っ端から読んでは、電話、電話
矢のような質問と情報提供
飽くことを知らぬ知識欲

閉口すること多かりし日々であったが
幾度もその鋭い指摘にはっとさせられた
そんな小坂さんがついにただただ眠る日々
テーブルに読まれもしない週刊誌や月刊誌
今、あらためて電話の声がよみがえる

(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.398 2011年1月22日

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【日々雑感】私なりのファシズム論

【日々雑感】私なりのファシズム論

 いつも、だるい記事で大切な紙面を汚している者で、申し訳なく思っておりますが、最近は、世論全体が、何かファシズムに流されかけるような危うさみたいなものを感じるのは私だけでしょうか、私の考えすぎなのでしょうかね?
 大阪の橋下知事を中心とする「大阪維新の会」等の動き、名古屋の河村市長、鹿児島の竹原市長の動き等を見るとき、何かヒトラーが出てきた時の世相によく似たものを感じるのですが・・・・。
 私の20~30才頃に上映された映画で、原作名が「野獣たちのバラード」、上映名が「ありふれたファシズム」を思い起こすとき、巧みな弁舌、デマゴギー、アジテーションで、人々の不満を背景に、ヒトラーのファシズムが台頭してきましたね。
 派手なパフォーマンスや、メディアを駆使した世論調査で、多くの人が騙された、小泉・竹中路線に、彼等の動きも似てますね。
 「ボクは、ボクは」とか「ぶっ潰すんだ」とか、単純さとか奇抜さとかで、大衆受けを狙っているのだろうが、そのバカさかげんが、私は不愉快でなりません。
 ある予備校の先生が「ヒトラーは、反ユダヤ人を掲げ、橋下知事は、反公務員ということで煽っているのが似ている。雑多と純粋という問題を考える時、文化や政治では、雑多という概念の方が優れている。なぜなら、アーリア人の優越、ゲルマン人の純潔等の誤った思想に結びつくから」等の意味のことを言っておられたと、息子が私に話してくれました。私は「その先生の目のつけ所は正しいし、的を得ていると思うよ。なかなか良い先生やねえ。」と褒めておきました。
 この機会に”おのれの敵を知れ”との思いからファシズムのことを私の持っている電子辞書の百科事典で引き出し、書き出してみましたが、その中の関連事項のボタンを押すと、次から次へと山のように資料が出てくるのには驚きました。その内容は、又の機会に譲るとして、良い勉強の機会になったと思います。願わくは、この国のファシズム化が、私の危惧で終わってくれと祈りつつ、ペンを置きます。(2010年12月15日 早瀬達吉) 

 【出典】 アサート No.398 2011年1月22日

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【投稿】デッドロックに乗り上げた菅政権

【投稿】デッドロックに乗り上げた菅政権

<<「怒りを通り越してあきれ返る」>>
 12/13、仙谷官房長官は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設について「県民に甘受してもらいたい」と述べた。この発言について12/15付け琉球新報・社説は「『甘受』発言 駄々っ子はどちらなのか」と題して、「あきれた無神経ぶりと言うほかない」と断罪している。
 「しかも『情と理を尽くして説得する』と述べている。駄々っ子をあやすかのような口ぶりだ。駄々っ子は沖縄側と政府と、いったいどちらなのか。」「仮に普天間飛行場を県外移設したとしても、在日米軍基地の沖縄への集中度は73・9%から72・4%に下がるにすぎない。こんなささやかな要望すら、駄々っ子扱いする政府には、怒りを通り越してあきれ返る。」「辺野古移設の理由も支離滅裂だ。仙谷氏は『一朝一夕に、明日、全ての基地を国内のほかの地に移すわけにはいかない』と説明した。沖縄側がいったいいつ、『1日で全ての基地を移せ』と要求したのか。」「『自分のところで引き受けようという議論が国民に出ていない』とも述べている。議論を提起すべき官房長官がひとごとのように論評するのでは、何をか言わんやだ。」と実に手厳しい。
 さらに、しかも県民の反発を受けるや「仙谷氏は『沖縄が総反発するような受け止めをしているとすれば、撤回もやぶさかでない』と述べた。まるで県民の受け止め方が誤りだと言わんばかりだ。なぜ県民が反発したのか、この人には永久に分からないだろう。」と、仙谷氏は完全に突き放されてしまっている。
 そしてやはり12/15付け沖縄タイムス・社説は、【甘受(かんじゅ)】「さからわずに甘んじて受けること」(広辞苑)。「やむをえないものとしてあまんじて受け入れること」(大辞泉)を引用して、これまた手厳しく論じている。
 「仙谷氏は『私の徳島県を含めて、自分のところで引き受けようというような議論は国民的にも出てないわけですね』とも発言している。よくそんなことが平気で言えるものだと思う。他府県の『ノー』には耳を貸すのに、なぜ沖縄の『ノー』には応えないのか。なぜ基地政策だけは公正な行政が実現できないのか。先月行われた県知事選で仲井真知事は『県外移設』にかじを切った。民意に従い、条件付き県内移設から転換せざるを得なかったのである。再選直後には、公約に基づき菅直人首相に日米合意を見直すよう求めている。仙谷氏の発言は民意を否定するばかりか、仲井真知事に対しては、選挙公約の破棄を公然と勧めているようなものだ。民主主義の否定、地域主権の否定である。」
 今や「菅内閣の舌禍王」とまで言われる仙谷由人官房長官であるが、このような恥知らずで傲慢な発言はいくら撤回したとしても、その本性や意図をさらけ出した取り返しのつかない事態を自ら招いているといえよう。そこには一片の誠実さも反省さえも見えないのである。

<<「説得すべきは米国だ」>>
 そして12/18、今度は仙谷官房長官の意をそのまま受け継いだかのような菅直人首相本人の沖縄訪問であった。
 これまた12/18付け琉球新報・社説は、「説得すべきは米国だ」と題して、「『普天間基地は県外に』という仲井真弘多知事に、菅直人首相は辺野古移設容認を迫った。会談が平行線のまま終わったのは当然だ。民意に背を向け聞く耳を持たない政治とは何だろうか。会談が行われた県庁の前には『(日米合意を)撤回せよ』と書いたプラカードを持った人が大勢集まり『帰れコール』を繰り返した。多くの県民も同じ気持ちだろう。普天間移設について菅首相は『強引に進めるつもりはない。しっかり誠意を持って話し合う』と強調したが、時間がたてば、容認に変わると思っているとしたら大間違いだ。沖縄を説得する誠意とエネルギーは、米国に向けて使うべきだ。」と、菅政権の本質的な欠陥と根本的な政策転換を厳しく求めている。
 この会談に際しても菅首相は、いかにも不用意かつ不誠実な発言を繰り出して仲井真知事の説得に乗り出し、「沖縄の皆さんにとっては辺野古はベストな選択ではないかもしれないが、実現可能性も含めるとベターの選択ではないか」「ベストは確かに県外・国外かもしれないが、過去からの経緯、あるいは国際情勢を考えた中で、ベターな選択として辺野古移転をもう一度皆さんにも考えていただけないか」と述べたのである。この「ベター」論は仲井真知事らが自公政権下で展開していた、いわば前時代の論理である。菅首相からすれば、仲井真知事に取り入ったつもりであろうが、魂胆が見えすいている。仲井真氏にとっては知事の座を確保するためには、ベター論を切り捨て、「県外移設」に舵を切らざるを得なかったし、そうしなければ県民の総意に反して、伊波洋一氏に敗北していたであろう。当然のこととして仲井真知事からは、「県内移設はバッド(駄目)の系列でしかない」「日米合意の見直しをぜひお願いしたい。『県外へ』というのが私の公約であり、政府も真正面から受けていただいて、県民の思いを実現できるようお力添えをお願いしたい」と切り返されてしまったのである。もはや菅首相には打つ手なしである。

<<たった2分の辺野古上空視察>>
 菅首相は今回の沖縄訪問で「県民に総理自身の考えを伝えたい」と述べていたが、市町村長や市民には誰一人会わなかった。説得するどころか、会いたくもなかったのであろう。そして肝心の「ベター」な移設先である辺野古には足を踏み入れることもなく、キャンプ・シュワブ(名護市辺野古)沿岸部の上空をたった2分ほどのヘリコプター視察をしただけであった。その辺野古の海岸の砂浜には、5・28日米合意を「撤回せよ!」と大書した紙をシュプレヒコールに合わせて突き上げ、抗議する住民、敷き詰められた「NO BASE!」(基地はいらない)という大きな布文字、「民意は基地建設 NO」の看板が首相を待ちうけていた。菅首相はそれらを眼下に見て、事実上逃げ帰らざるを得なかったのである。
 菅首相は「県外・国外移設と言ったのにできなかった」と述べているが、そもそも菅政権自身を含めて民主党政権は、これまで一度も普天間基地の県外・国外移設を目指して米国はもちろん、沖縄以外の地に正式要請などしていないのである。「できなかった」のではなく、する意思も意欲もなく、「しようとすらしなかった」のである。今、そのことが問われ、菅政権に限らず、今後のどのような連立政権であれ、日米合意を見直さない限り、事態は解決しないし、県内移設はもちろん、辺野古新基地建設などはどのようにあがいても不可能となっていることをこそ認識すべきなのである。
 いずれにしても菅政権は完全にデッドロックに乗り上げてしまったといえよう。急落する支持率、民主党内部の抗争もさることながら、大連立や小連立を策謀しても、相手からさえ心中することをためらわれる事態である。菅首相本人、仙石官房長官、岡田幹事長、前原外相が前に出ている限りは、民主党政権の維持、存続は不可能な事態に突き進んでいるといえよう。自民党の復権を許さないためにも、民主党執行部はこの際、総退陣し、人心一新、政権交代の初心に立ち返った路線の根本的転換に踏み切るべきであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.397 2010年12月24日

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【投稿】アメリカのパワー衰退とユーラシア大陸の台頭

【投稿】アメリカのパワー衰退とユーラシア大陸の台頭
                            福井 杉本達也

Ⅰ.軍事パワーの誇示
 12月14日朝。日米共同統合演習に加わっていた空母ジョージ・ワシントン(GW)が、母港・横須賀基地に戻ってきた。今回の共同演習に参加したのは、日本の陸海空自衛隊からは3万4000人、艦船は約40隻、航空機は250機にのぼる。米軍は陸海空及び海兵隊か兵員1万人余り、艦艇約20隻、航空機150余機。合わせて4万4000人、60隻の艦艇、400機余りの航空機が演習に参加した。日米の合同軍事演習史上最大規模であり、11月に黄海を中心に行われた米韓の合同演習の6倍の規模であった。12月10日『NAVY News Service』は演習終了後の“記念写真”を配信したが、GWを中心に強襲揚陸艦「エセックス」とヘリコプター搭載護衛艦「ひゅうが」が脇を固め、イージス巡洋艦「カウペンス」・イージス艦「こんごう」・ミサイル駆逐艦「JSマケイン」・ヘリコプター搭載護衛艦「ひえい」など20数隻の艦艇を付き従えるものであり、憲法上の制約は全く無視され、自衛隊が米軍の一部として一体的に運用されている実態が如実に示されている。

Ⅱ.経済パワーの衰退
 陸を支配する者から海を支配する者にヘゲモニーが移行した16世紀から1970年代前半まで先進国は途上国の資源を安く買い叩き、反対に加工した製品を途上国に高く売ることによって儲けてきた。例えばイギリスの産業革命はインドの綿花を安く買い、それを加工して綿製品をインドに高く売ることによって発展してきた。欧米先進国(日本を含む)の人口は1870年代には地球全体の15%(現在人口は10億人)になったが、これら15%の人々が残り85%の発展途上国を従属させ資源を収奪し著しい不等価交換により利益を享受してきた。ところが、第1次オイルショック後の1974年以降の30数年・特に中国がWTOに加盟した2001年以降はBRICsなどの新興国が非常に力をつけ、新たに40億人もの人口が先進国並みの生活水準を享受しようと加わってきた。原油価格は1973年までは1バレルたった2~3ドルだったものが、第2次オイルショック直後の1980年には30~40ドルに上がった。1990年代は20ドル前後で推移するが、バブルの2008年には一時147ドルまで跳ね上がり、現在も80ドル台で推移している。結果、先進国は交易条件が悪化し、実物経済では稼げなくなり、金融に活路を見出していくこととなる。たとえば日本の鉱物性燃料の輸入代金は1994年には4.9兆円だったものが、2008年には27.7兆円にまで膨らんでしまった(参照:『超マクロ展望 世界経済の真実』水野和夫×萱野稔人)。

Ⅲ.金融空間への拡張と最終的な失敗
 交易条件の悪化によって実物経済で儲けられなくなった先進国・特に省エネ技術などで遅れをとったアメリカ・イギリスなどは実物空間から金融空間への展開を図ることとなる。それが1980年代からの「国際資本の完全移動性」の提唱であり(日本国内の用語では「金融の自由化」であり、「聖域なき構造改革」)、世界の余剰マネーを掻き集めアメリカのコントロール下において自由に使おうとするもので、1995年から2008年の間に100兆ドルもの実物に裏付けのされないカネが作られた。そうした行き場のないカネが、ITバブル・住宅バブル・サブプライムローン問題などを生み出し、最終的に2008年9月のリーマン・ショックで崩壊することとなった。

Ⅳ.「スマートパワー」のストーリー
 フォーリン・アフェアーズ誌2010年12月号で、ハーバード大学のジョセフ・ナイも金融危機の結果、今後、アメリカの文化も経済も21世紀初頭のようなパワーを失い、世界的な優位を保つことはないとの認識を示している。しかし、軍事パワー領域は一極支配構造の状態にあり、アメリカはその大きな優位を当面維持していくとしている。中国はどれほど経済成長しようとも、その軍事力と経済力がアメリカの覇権を脅かすほどにまで大きくなることはまずない。それにははるかに時間がかかるし、中国はそれを達成する前に政変が起きるとする。アメリカの覇権を脅かすのは、日中韓が一体化した東アジア共同体だけであり、この3国が共同体を形成してしまうと、アメリカをはるかに上回る力を持つことになる。したがって、アメリカの戦略としては日本と中国の仲を悪くさせ、東アジア共同体ができる可能性の芽を摘むことであるとし、アメリカが主導して日中韓の仲を裂き、日本、インド、オーストラリアその他の国を「エンゲージ」して、中国に対抗させ、中国のパワー増大というリスクに備えた保険とする。力の衰えた米国は他国の力を借りなければ望むような結果は出せないことを認識したうえで、情報化時代におけるハードパワーとソフトパワーリソースを組み合わせた「スマートパワー」をいかに形成するかだと説く。

Ⅴ.基軸通貨体制とその揺らぎ
 1971年のニクソン・ショックによってドルと金との兌換が停止された。その後のドルの基軸通貨としての価値を実質担保してきたものは石油である。ドルが基軸通貨だからこそ、アメリカがいくら財政赤字で経常収支も赤字でも、中国や日本をはじめ各国はドルを買い支えてくれる。結果、ドルはアメリカに還流し、それでモノも買えれば逆に世界各国に投資もできる。しかし、1999年1月より統一通貨ユーロが発足して以降、ドルの基軸通貨としての地位は揺らいできている。石油のドル取引という基軸通貨の根幹を揺さぶろうとしたのが、イラク・フセイン政権の石油のユーロによる取引きであった。アメリカによるイラク戦争の真の目的はユーロによる石油代金の決済を阻止することにあった(『金融危機の資本論』本山美彦×萱野稔人:2008)。
 基軸通貨ドルの威信の低下を決定的に示したのは、11月12日にソウルで開催されたG20である。アメリカは会議を前に「経常収支数値化 (経常黒字・赤字を一定範囲に収める)」というピ ンボールを投げて新興国を動揺させ、イギリスやカナダ、豪州などアングロ・サクソン・グループによる中国包囲網を画策したが、逆に中国・フランスなどによる逆包囲網により孤立し「経常目標」はお蔵入りとなってしまった。結果として、ドルを世界中に散布するFRBの超金融緩和策は手足を縛られてしまった(福井:2010.11.13、「通貨戦争の行き着く先・ドルにそっぽ向くフランスと中国」倉都康行『エコノミスト』2010.12.14)。

Ⅵ.石油・資源の市場による支配
 1970年代以降、資源ナショナリズムにより、産油国の油田の多くは国有化され、石油価格の決定権は一旦OPECに移った。その価格決定権を奪ったのが1983年に創設されたWTI先物市場である。WTIはアメリカ南部のテキサス州を中心に産出される原油でアメリカ国内で産出される原油の6%・世界で産出される原油の1~2%ほどでしかないが、その価格は世界の原油価格の中で最も有力な指標となっている。実際のWTIの1日あたり産出量は100万バレルに満たないにもかかわらず、先物の1日あたり取引量は100倍の1億バレルを超えるという「現物」抜きの詐欺的市場であり、石油を金融商品化することによって、カネの力で市場を操作し価格決定権を取り戻したのである。
だが、ロシアと中国は2010年9月に東シベリア・タイシェットから国境・スコボロジノを経由して中国黒竜江省の石油化学工業の中心大慶を結ぶ「太平洋石油パイプライン」第1期工事を完成した。ロシアでは引き続きスコボロジノから極東ナホトカまでの第2期建設を始めている。2014年に完成を予定であり、東シベリア産原油のアジア向け輸出を拡大する。ユーラシア大陸の原油がパイプラインで結ばれることは、アメリカによる市場支配(海洋支配)からの離脱を意味する。原油取引は相対取引であり、ドルの支配から逃れ、ルーブル=元などによる取引が可能となる。また、ロシア・ガスプロムと中国とのガスパイプライン交渉も妥結し、2015年には西シベリアからの天然ガスが中国に供給されることになる。

Ⅶ.ユーラシア大陸
アメリカは大西洋と太平洋の2つの海洋からユーラシア大陸を取り囲んでいる。大西洋の先には金融資本の母国イギリスが、太平洋の西側には属国・日本があり、中間にイスラエルを置いて西と東の両側から大陸に睨みを利かせる。しかし、このスペイン-オランダ-イギリス-アメリカと続いてきた海洋覇権の支配構造は今大きく揺らいでいる。1つは中国を始めとする新興国・40億人の経済発展によって、経済の軸足がアメリカから新興国・特にユーラシア大陸に傾いているからである。2つには金融危機により再び金融が実物経済よりも儲かるという時代は終わり資金がアメリカに環流しなくなったからである。3つには海洋を通過せずにパイプライン・鉄道・道路によりユーラシア大陸内陸部をつなぐ手段が開発されてきたことである。4つには基軸通貨ドルに代わりうるユーロという通貨ができたことである。今後ともしばらくはアメリカの軍事力の優位性は動かないであろう。しかし、それは海洋を通過しない取引・国際金融資本の支配下から離れた取引が活発化するにつれますます空洞化するであろう。6月29日に中国―台湾間で経済協定が結ばれたことにより、既に、東シナ海ではジョージ・ワシントンやカールビンソンの増派ではとても埋めきれない海洋覇権の綻びができつつある。新防衛大綱は南西諸島の防衛力を強化するため「動的防衛力」を掲げるが、与那国島の西に人為的な崖を作るのか、日本をユーラシア大陸の大陸棚の一部として位置づけるのか先は見えている。クリントン政権時代の国防長官ウィリアム・J・ペリーは「日本のような同盟国に対して、私は正直に米軍が二正面作戦の遂行能力を持っていないことを伝えるべきだ」と思っていると正直に書いているが(日経:「私の履歴書」2010.12.17)、事を全く理解できないのは、前原外相や長島昭久らだけである。 

 【出典】 アサート No.397 2010年12月24日

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【投稿】軍拡進める新防衛大綱 

【投稿】軍拡進める新防衛大綱 

<「仮想敵国」を明確化>
 今年3月、北朝鮮が韓国海軍艦艇を撃沈、9月には尖閣諸島近海で海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件が発生、さらに、11月23日の北朝鮮による韓国延坪島砲撃、これらに対する日米韓の大規模軍事演習の展開など、東アジアの緊張を高める憂慮すべき事態が連続した。
 こうしたなか日本政府は12月17日新たな「防衛計画の大綱」(新防衛大綱)と「中期防衛力整備計画」(中期防)を決定した。新防衛大綱では、「基盤的防衛力構想」から「動的防衛力」への変更を掲げ、中国の軍拡と影響力拡大を「地域・国際社会の懸念事項」と明記。部隊編成も南西方面重点に切り換え、海上、航空自衛隊の増強を図るという、中国を事実上仮想敵国と明確にした軍事ドクトリンを打ち出した。
 今回明らかにされた大綱、計画は、中国、北朝鮮の動向を受けてのものと思われがちだが、「基盤的防衛力構想」の転換、「武器輸出3原則」の見直しなどの内容は、政権交代以前から防衛省によって周到に準備されていたものであり、今回の決定は追認にすぎない。
 麻生内閣時代から検討が始まった新大綱は、09年12月策定予定だったのを、鳩山政権成立を受け1年先送りすることとなった。その間に一連の事態が発生したわけであり、それらのことが新大綱の危険な内容に免罪符を与える事となった。

<基盤的防衛力構想とは何か>
 新大綱の最大の要点である「基盤的防衛力構想から動的防衛力への変更」については、「基盤的防衛力」を「自衛隊の部隊を全国均等に配置する考え」などという、部隊運用の問題であるかのような解釈が流布されているが、これはとんでもないすり替えである。
 「基盤的防衛力構想」というのは、1976年に初めて制定された防衛大綱で導入されたものである。これは、極東ソ連軍の兵力に係わらず、限定的な侵攻に対処しうる最低限度の常備兵力を保持し、これを超える有事の際は「戦力の急速な拡大」などをもって対処するという基本方針である。
 これは、ソ連軍に対抗し、日本も随時兵力を増強すべきという、陸上自衛隊(制服組)を中心に主張されてきた予算、権益拡大のための「所要防衛力構想」では、軍拡に際限がなくなるのを封じ込めるため、内局(背広組)が創りあげた構想であった。
 1954年の創設以来、4次にわたる防衛力整備計画を経て、自衛隊とりわけ陸自の兵力は当時21万5千人にまで増大、さらに陸上幕僚監部は24万人体制を要求していたというが、防衛大綱制定により頭打ちとなった。
 言ってしまえば「基盤的防衛力構想」というのは、有事に「急速な戦力の拡大」など間に合うはずもなく、本気でソ連の侵攻など考えていないことの裏返しであったのだが、「憲法9条」「専守防衛」という枠組みを逸脱しないための歯止めでもあった。これに基づき各自衛隊の隊員、正面装備の定数に「たが」がはめられていたわけである。 
 ただ厳密にいえば隊員数と装備の数は同一に論じることはできない。戦車、戦闘機、護衛艦は同じ定数であっても、個々の性能が向上すれば大幅な戦力増強が可能となる。もっとも、性能向上には調達費増が不可分で、それには「防衛費GNP1%枠内」という蓋があった。

<軍縮から軍拡へ>
 制服組としてはなんとか「基盤的防衛力構想」をとっぱらいたいと望んでおり、79年のソ連のアフガン侵攻以降の情勢を踏まえ、86年に策定された中期防衛力整備計画をばねに一層の軍拡を目論み、87年には中曽根内閣で防衛費GNP1%枠が撤廃された。しかし直後のソ連崩壊で第1の仮想敵国が「消滅」するなど、80年代後半は自衛隊の希望とは逆方向に情勢は進んだ。
 90年代に入ると、北朝鮮の核や弾道ミサイル開発で朝鮮半島の緊張が高まり、軍拡のチャンスが訪れたかに見えたが、北朝鮮では役不足であり、さらにバブル崩壊後の経済状況下では、それどころではなく、1996年の防衛大綱では陸自の定数は16万人とされた。
 ところが2000年代に入ると、中国の著しい経済発展と軍事力増強という、あらたな展開が惹起してきた。さらに同時多発テロに続くアフガン、イラク戦争でアメリカの世界戦略見直しに拍車がかかり、東アジアで日本が軍拡を進めるまたとない機会が巡ってきたのである。
 そして2004年、第2次小泉内閣で約10年ぶりに防衛大綱が改定された。そこでは、国際テロなどに対応し、抑止重視から対処重視への転換=「多機能弾力的防衛力構想」、国際貢献活動の基本任務格上げなどが明示された。しかし基盤的防衛力の有効な部分は維持することとなり、また小泉総理は靖国参拝で中国との緊張状態をつくりだし、イラク派兵を強行したが、軍拡自体には熱心でなかったため、自衛隊にとって「半歩前進」という結果となった。
 その後06年の郵政解散のどさくさの中で閣議決定された防衛白書では、中国の台湾侵攻と尖閣諸島攻撃に言及、これへの対処を促進させる内容が盛り込まれた。小泉政権後、福田はともかく、安倍、麻生というタカ派内閣下、自衛隊は改訂から5年足らずで、大綱の見直しを進めていく。そして最初に述べたように09年8月に新大綱の叩き台となる「安全保障と防衛力に関する懇談会報告書」が作成されたのであるが、直後の政権交代で改訂は1年先延ばしとなった。当然、内容的にも軍拡に歯止めがかけられる方向での再検討が進むと思われたが、普天間基地問題を巡る鳩山内閣の迷走で、自衛隊、防衛省の思惑どおりに進むことになる。

<軍事費は素通りで「空母」建造>
 新政権下、事業仕分けなど様々なチェックを経て09年12月新年度予算案が閣議決定された。しかし防衛予算については防衛省の要求が社民党からもさしたる反対もなく、ほぼ要求通り通る見通しとなり、10年3月正式に予算化された。なかでも全長248m満載排水量24000tの「平成22年度計画ヘリ搭載護衛艦(22DDH)」(軽空母)建造が認められたことは、新大綱の装備的先取りともいえるものである。
 海上自衛隊のヘリ搭載護衛艦(DDH)は4隻体制で、現在順次新型艦に更新中であるが、それらは格段に大型化するため、満載総トン数は08年度までの27400tから約86000tに、搭載可能な哨戒ヘリは12機から48機へと飛躍的に戦力は拡大する。また、これら新DDHは小規模な改良でアメリカの「F35」戦闘攻撃機(航空自衛隊次期主力戦闘機候補)の垂直離着陸型を運用することが可能である。
 DDHを核とする海上自衛隊の対潜部隊は、ソ連の潜水艦に対抗するため整備された戦力であるが、ソ連崩壊で無用の長物と化しつつあった。しかし、近年の中国海軍潜水艦の増勢を理由に甦ったのである。これらは事実上の「所要防衛力」の構築である。
 これらは、現在62隻ある中国海軍の潜水艦を「第1列島線」の内側に封じ込める任務に充てられる。さらに新防衛大綱では、潜水艦定数は6増の22、護衛艦は1増の48隻とされ、そして艦艇だけでなく現有のP3Cに代わる国産のP1対潜哨戒機も配備予定である。近い将来海自の総兵力は、中国が空母を1隻程度戦力化しても「所要防衛力」をも超えていくのではないかと考えられる。
 鳩山総理は、普天間代替基地に関して「海兵隊ヘリの訓練は、これらのヘリ護衛艦で行えばいいのでは」とか「海兵隊は抑止力だと判ったなどと」の仰天発言を連発し、「東アジア共同体」すなわち東アジアにおける軍縮と緊張緩和政策を放棄したことを満天下にさらした。

<振り回される民主党>
 こうした民主党の基本姿勢は、菅政権でも継承され今回の決定に至った。自衛隊念願の「基盤的防衛力」の廃棄は達成された。しかし本来対置されるべき「所要防衛力」という概念は既成事実化しているため示されず「動的防衛力」という構想が示された。
 本来、それらは対立する概念ではなく「基盤的防衛力の動的運用」と言えば済むものである。実はこれまでも陸自は全国の部隊を北海道に急速移動させる「北方機動特別演習」を毎年のように行い、05年からは逆に北海道の部隊を本州に移動する「協同転地演習」という「基盤的防衛力の動的運用」を実施しており、ことさら新機軸のように言うことでもない。
 新大綱の「動的防衛力構想」とは、前大綱の「多機能弾力的防衛力構想」を一歩推し進め、先制攻撃をも含むだろう能動的戦力運用を基本方針とすることであり、「専守防衛」の形骸化ともいえる。
 今回、中国の脅威を理由についに「基盤的防衛力構想」は廃止され、「武器輸出3原則」も風前の灯である。陸自は隊員定数と正面装備の削減を飲まされたが「肉を切らせて骨を断った」も同然だ。次の自衛隊、防衛省の目標としては「集団的自衛権」の行使だろう。
 これについては、先の北朝鮮による延坪島砲撃の際、菅総理が「周辺事態法の適用云々」と述べたように、朝鮮半島でアメリカ軍が戦闘行動に入るような状況が惹起した場合、いつ発動されてもおかしくない。
このように自民党政権でできなかった軍事政策が次々と実現していっている。民主党政権は「政治主導」を言いながら、混沌とする情勢とナショナリズムに振り回されつつ自衛隊、防衛省に軽視され、いいようにあしらわれている。 
 鳩山前総理を公然と批判した陸自幹部自衛官や、尖閣ビデオを流失させた海上保安官が出てくるのはこういう背景があるからである。武官の政治問題といえば、古くは「超法規行動」の栗栖統幕議長から田母神空幕長までは将官の問題発言だった。しかし現在は様々な規制が解かれ、規範が緩むという空気の中「現場指揮官の問題行動」が懸念される事態となっている。
 政権交代の成果は着実に、しかし真逆の方向で現れている。野放図な軍拡に歯止めをかけるため、海自においては総トン数規制を導入するなど、早急にソフト面、ハード面にわたる暴力装置の適正な管理システムを構築しなければならない。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.397 2010年12月24日

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【投稿】アマゾン・ボイコットを! 

【投稿】アマゾン・ボイコットを! 

 以下に紹介する公開書簡の筆者であるエルズバーグ博士は、周知のように、1971年、ベトナム戦争当時、いかにこの戦争が勝算のない、泥沼に引きずり込む、人々を欺く戦争であるかを、戦争遂行者である幹部自身の発言や行動によって具体的に暴露し、後にペンタゴン・ペーパーズとして知られるようになった米軍の最高機密報告書を内部告発し、ベトナム反戦運動をさらに拡大させ、戦争終結に大きな役割を果たしたことで知られる。当時のニクソン政権は、ペンタゴンペーパーズのニューヨークタイムズ等、新聞への掲載を国家機密文書の漏洩であり、国家安全保障に脅威を与えるとして、氏を「アメリカで最も危険な男」と呼んで指名手配し、氏は窃盗、情報漏洩の罪で起訴され、反逆罪でも起訴されかけたが、「政府の不正」の前に裁判は却下された。
 今回の国際内部告発サイト・ウィキリークスの米外交機密文書漏洩事件に際しても、オバマ政権は、「公電暴露は国際社会への攻撃」「米国の財産を盗んだ」「これは犯罪だ」「国家安全保障に脅威を与える」として、政権自身の犯罪的行為を棚に上げてウィキリークス攻撃に必死であり、圧力をかけ続けている。以下の公開書簡は、エルズバーグ氏自身のホームページに発表され、ウィキリークスのサイトに掲載されたもので、以下に仮訳として紹介するものです。(生駒 敬)
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ダニエル・エルズバーグ 2010/12/02
アマゾン・カスタマーサービスへの公開書簡

2010年12月2日

 私は、本日アマゾンが、ジョー・リーバーマン上院議員や右派議員の脅しに直面して、ウィキリークスのウェブサイトのサーバー利用を抜き打ち的に終了させるという、その卑劣さと奴隷根性に愛想をつかされてしまった。私はこれ以上、司法当局や行政当局が熱望している、あの中国の恣意的な情報の統制と内部告発の遮断を奨励するような、そんな企業とは一切付き合いたくはない。
 ここ数年私は、アマゾンから新刊および中古書籍を月100ドル以上も消費してきた。しかしもうこれでおしまいである。私はアマゾンに、私の優待会員登録とアマゾン・クレディットカードならびにアカウントを終了し、同社のファイルから私との取引およびクレディット情報を削除し、今後一切の通知を送らないことを要求するものである。
 私は、他の多くのアマゾンの利用者が私と同様に感じ、私と同様の対応を行っていることを承知している。より広範で、よりすばやいボイコットが望まれるし、ベターである。お互いに連携し合い、ボイコットを広げ、アマゾンに自らの事業を掘り崩していることをしっかりと知らせることが望まれる。私は本日、友人たちに代案を提起することを要請し、パウェルブックスやハーフプライスブックス、ビブリオ等々への乗換えを追求するつもりである。
 アマゾンからの乗換えがさらに進行するならば、アマゾンが行った行為を公開で釈明せざるをえない事態に追い込むであろう。そうすれば、アマゾン内部で、事態を把握し、持ち込まれた政治的圧力と、それに対する同社幹部たちの権力者に額づく軽率な追従の詳細を証拠立て、その情報をリークするよい機会となるであろう。彼らはそれをウィキリークス(現在はそのサーバーはアメリカ外にある)に送ることもできるし、名の知れたジャーナリストやブロガー、あるいはまた、アマゾンとの間の書籍購入を打ち切ったアンチウォー・コムのようなサイトに送ることができるであろう。

貴社(もはやそうではないが)へ
ダニエル・エルズバーグ

【追記】12/16、この書簡の筆者・エルスバーグ氏(79)が逮捕された。ワシントンのホワイトハウス前で、アフガニスタン戦争に反対する抗議活動が行われ、雪が降る中、数百人の人々が「戦争をやめろ」と気勢を上げ、デモは平和的に行われたが、終了後、警察から解散を指示された後も立ち退かなかったという理由で131人も逮捕され、その中にエルスバーグ氏も含まれていたのである。同氏はデモ前に会見を開き、ウィキリークスの活動とペンタゴン・ペーパーズ事件には共通点があり、その内部告発情報の公開は「大きな称賛に値する行動だと考える」として、「ウィキリークス」支援の呼びかけも行っていた。 

 【出典】 アサート No.397 2010年12月24日

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『[新装版]ナチュラル・ステップ』(スウェーデンにおける人と企業の環境教育) 

【編集部への通信】 カール=ヘンリク・ロベール著
  『[新装版]ナチュラル・ステップ』(スウェーデンにおける人と企業の環境教育) 

 景観市民運動に力を注いでおられる読者のOさんより、「アサートで勉強させていただいています」と述べられながら、「地球環境問題に取り組みはじめました」として、上記の本を「一人でも多くの方に読んでいただく」普及活動の案内をいただいた。本書は18年前に書かれたもので、日本では1996年に新評論から日本語版が出版され、その後品切れとなっていたものである。スウェーデンの環境保護団体「ナチュラル・ステップ」の主宰者である著者が、医師として、癌の研究者として、細胞の立場から見た環境問題を出発点にして、「われわれがいま直面している地球環境問題に一人一人が個人として、一企業一企業が組織として、どう向き合っていけばいいのか、その指針を分かりやすく示しています。18年前に書かれたとは思えないほど新鮮かつ普遍的」なことから、このほど[新装版]として同じ出版社から再刊された、ということです(2010/10/15発行、2500円+税)。目次は以下のとおりです。
第1章 展望
第2章 医師と社会、そして自然
第3章 ナチュラル・ステップとは何か?
第4章 細胞を出発点に、ゴールの「環境モデル国スウェーデン」へ
第5章 単純化を排したシンプル主義
第6章 エコロジー的企業経営システム思考
第7章 現代の知的混迷―合理性をまとった迷信と成長の概念
第8章 科学者と政治家と
 以上、Oさんからの本書の紹介といたします。(I) 

 【出典】 アサート No.397 2010年12月24日

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【投稿】菅内閣・民主党政権凋落の真の原因

【投稿】菅内閣・民主党政権凋落の真の原因

<<沖縄版ニューディール政策>>
 11月11日に告示され、28日投票の沖縄県知事選挙の激しい闘いの火蓋が切って落とされた。沖縄県那覇市の県庁前公園で行われた出発式で、無所属新人で前宜野湾市長の伊波洋一さん(社民・共産・社大推薦)は、1000人に達する支持者、支援する人々を前に、基地の県内移設には断固として反対すること、そして「私はぶれることなく、辺野古への新基地建設に反対し、海の埋め立てを認めることはありません。新しい基地をこの沖縄に作らせる日米両政府の圧力を、県民の力で撥ね退けていこうではありませんか。私は沖縄が自らの意思で基地を取り除き、平和で豊かな沖縄を皆さんと共に作っていきたいと思います。」と力強く決意表明を行った。そして「相手候補の後ろには、日米両国政府が控えています。決して簡単な選挙ではありません。日米両政府相手の選挙であるということは、沖縄県民と日米両国との闘いであるのです。県民をあげてこの選挙に勝利し、私たち県民の意志を、日米両国ならびに世界に示していこうではありませんか。」と真摯に訴えた。
 この「決して簡単な選挙では」ない、「日米両政府相手の選挙」に際し、伊波氏は「平和で豊かな沖縄」を作るために、「今回、新たに沖縄版ニューディール政策を打ち出しました。これは総合的な政策です。県民の福祉や県民の暮らしを良くしながら公共工事を行っていく、産業を興していく、そのような政策です。沖縄本島だけではなく、また北部だけではなく、先島までさまざまに産業振興を行ってまいりたいと思います。」として「沖縄版ニューディール政策」を明らかにしている。それは、新たな雇用の創設と失業率の低下を実現するために、沖縄の観光を、農業や漁業や文化や、さまざまな分野とコラボレートする政策、第1次産業、農林水産業を全県下で推進し、それを製造・加工する製造業をしっかりと育てていくこと、県民のための医療、宮古・八重山・先島の病院を守り、県民の命を守り、暮らしを守り、そのようにして雇用を作り、7%台の失業率を5%台に低下させる、ものとして提起されている。

<<「沖縄の海兵隊不要」>>
 日米両政府に決定的、本質的に欠けているのは、このようなニューディール政策である。軍事優先主義と自由競争原理主義からの転換としてのニューディール政策である。
 オバマ民主党は、この11月の中間選挙においてなぜ大敗したのか? まずなによりもイラク・アフガンの泥沼の戦争からの脱出どころか、ブッシュ時代にも劣らぬ展望のない戦争政策にのめり込み、戦争・軍事産業を喜ばせども、湯水のごとく垂れ流され費消される軍事費はとどまるところを知らず、オバマの「チェンジ」は単なる空約束であり、事態はより悪化していることを見抜かれたのである。
 11/10に発表された大統領の諮問機関「財政責任・改革国家委員会」は、国防関連費を2015財政年度までに1000億ドル削減すること、在外米軍の3分の1削減などを含む草案を発表しているが、これに対して、ゲーツ国防長官は「国防戦略を考慮していない」と批判、国防費は毎年3%の伸びが必要だと反論するような政権である。
 11/18に発表された米国の安全保障分野の有識者46人の同委員会委員長あての書簡は、この1千億ドル削減草案の内容でさえ「不十分」だと批判し、「これまでオバマ政権は、国防総省を予算削減の例外としてきた。これは近視眼的だ。このことは、米国の軍事力の基盤でもある経済の力強さの回復を難しくする」と主張、「安全保障を犠牲にすることなく、国防予算を大幅に削減することは可能だ」として、具体的には、目的が不明確な任務の廃止、米軍の規模自体の縮小、海外展開部隊の縮小、イラク戦争やアフガニスタン戦争のような方式の戦争を避けることによる陸軍、海兵隊の規模の縮小、兵器調達過程の見直しなどを挙げている。
 11/19、民主党の重鎮バーニー・フランク議員は、「海兵隊の役割は変化した。沖縄や欧州にある不要な米軍基地をまず撤去するべきだ」と、沖縄の海兵隊不要論を改めて唱えている。
 沖縄の海兵隊不要論を日米交渉の重要な議題とすることが今こそ必要であることを、これらの事態は明らかにしているといえよう。

<<沖縄自衛隊10倍増計画>>
 さらにオバマ政権は、規制緩和・弱肉強食の新自由主義に一貫して妥協的姿勢をとり続け、「チェンジ」で掲げたニューディール的政策がことごとく頓挫し、葬り去られ、期待を失望へとチェンジさせてしまった、そのことが、ブッシュの戦争政策継続と不可分のオバマ大敗の理由である。オバマ民主党の「大不況克服・弱者救済」政策は、共和党の「新自由主義・小さな政府」、「勝ち組・金持ち優遇」、財政再建優先政策の前に妥協に妥協を重ね、失業率は高止まりしている一方で、膨大で手厚い救済策によって保護され救済された大手金融資本が、何の責任も取らされることなく、規制政策さえどんどん骨抜きにされ、今再び投機的マネーゲームで我が物顔に振る舞い、オバマ政権を逆に指導・監督している現実が、ここでも見抜かれたのだといえよう。
 同じ事態が日本においても進行している。
 沖縄の知事選を見据えたかのような民主党政権の対中国強硬路線は、前原外相・枝野民主党幹事長代理の危険で挑発的な路線によって繰り返し緊張が煽られ、沖縄の米軍基地や海兵隊の存在、米軍の抑止力を合理化し、辺野古新基地建設を沖縄県民に押し付ける絶好の緊張材料として利用されている。時系列で見れば、むしろ仕組まれたかのような緊張激化路線である。外相が先頭に立って相手国を「ヒステリック」などと暴言を吐き、幹事長代理が「悪しき隣人」などとわざわざ他国を傷つけ、「中国との戦略的互恵関係なんてありえない」などと自らの政権の基本政策をさえ否定し、中国との絶好・断行宣言に等しい挑発てき発言を敢えて行い、問題点を指摘されても開き直り、謝罪も取り消しもしない、このような幼稚極まりない閣僚や幹部が平然とのさばっているのである。首相は彼らに発言の撤回や注意さえできない。
 彼らは沖縄本島ばかりか、与那国島への陸上自衛隊200人の配備や、下地島空港の自衛隊基地化、宮古島への陸自配備、さらには石垣島へと沖縄の先島諸島への自衛隊配備を目論み、2020年までに沖縄の自衛隊を現在の10倍の2万人規模に拡大する計画など、とんでもない軍事力強化・対決路線を沖縄で具体化し、着手に乗り出そうとしている。北沢防衛相は11/11の衆院安全保障委員会で、与那国島を含む先島地域への陸上自衛隊配備に関して「下地島空港は、国を守る防衛省、自衛隊としては大変魅力がある。実際に活用できるか検討していきたい」と呼応している。

<<”仙菅ヤマト”が沈没する日>>
 しかしこのような前原・枝野主導の緊張激化・対決路線は破綻せざるを得ないものであり、すでに菅政権そのものの外交失策、外交不在、迷走外交として身動きさえできない状態に追い込まれている。まともに話のできない日中首脳会談、これまでの合意もすっ飛んでしまった日露首脳会談、ただただアメリカを後ろ盾にし、ごまをするAPECでの対米従属外交、こうした外交姿勢は、ことごとく政権交代の意義を自ら否定するものでしかない。政権交代の基軸を持たない菅首相は事態の進展にうろたえ、事態の悪化を防止し、取り繕う外交しかできない茫然自失の状態である。
 当然のこととして、今や内閣の支持率は急落し始め、ついに民主、自民両党の支持率の逆転現象さえ生じ始めている。菅内閣の支持率は、どの調査も危険水域の30%を割り、27%前後に落ち込み、時事通信調査では政党支持率でも民主16.2%に対し自民16.5%と逆転されてしまっている。各地の地方選挙でも民主党の連敗が続いている。
 政権交代が実現してまだわずか一年数ヶ月である。期待するほうが無理だといえばそれまでであるが、問題は、政権交代が目指したものとはあまりにもかけ離れてしまった現在の菅政権の現状にあるといえよう。
 『サンデー毎日』(11/14号)は「いったい、何のための政権交代だったのかー。未曾有の円高が進むなか、景気対策に何の手も打たない菅・仙谷政権。「国民の生活が第一」の大義は消え失せ、政権維持に汲々としているのが実態だ。末期症状の”仙菅ヤマト政権”が沈没する日は近い。」として「”仙菅ヤマト”が沈没する日」を予想し始めている。そして『週刊朝日』(11/12号)は、「仙谷・菅コンビが弄ぶニッポン最大不幸社会がやってくる」と題して特集を組み、「いま、菅政権が進める高齢者医療制度”改革”の中身を知ったら驚くだろう。・・・悪名高い『後期高齢者医療制度』のほうがマシだった!」と、菅首相の「最小不幸社会」ならぬ「最大不幸社会」政策を取り上げている。
 軸足を失った菅政権が、政権交代の意義とはまったく相反する新自由主義・小さな政府論・財政再建優先主義に陥ってしまっていいる実態こそが、菅政権凋落の真の原因であるといえよう。とすれば、民主党はこのような政権を早急に脱出し、根本的な政策転換を図るべく新たな体制を再構築すべきであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.396 2010年11月27日

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【投稿】高速増殖炉「もんじゅ」の棺桶化が進むのか

【投稿】高速増殖炉「もんじゅ」の棺桶化が進むのか
福井 杉本達也

1.『炉内中継装置』の落下事故
高速増殖炉「もんじゅ」で8月26日に、原子炉容器内に据え付けていた『炉内中継装置』(長さ12m、直径55cm、重さ3.3t)の撤去作業中、装置を原子炉容器のナトリウム内に落としてしまった。原子力開発研究機構では、当初は簡単に吊りあげられるものと高をくくっていたが、炉内中継装置の上部管と下部管の継ぎ目部分が、落下による衝撃でつぶれ外側に5mm膨らんでいることが分かった。装置と装置を通すために『遮蔽プラグ』と呼ばれている原子炉の蓋に空けられている『スリーブ』と呼ばれる穴との隙間は2.5mmしかなく、この歪んだ部分が引っかかって抜けなくなっていることが分かった。原子力機構では、しかたがなく、このスリーブといわれる蓋の部品といっしょに中継装置を引き抜くことを決めた。

2.炉内中継装置とは
炉内中継装置とはもんじゅ特有のものである。もんじゅでは原子炉を冷やし同時に発電用に熱を取り出す『冷却材』として液体ナトリウムを使用している(普通の原子炉=『軽水炉』では冷却材には水を使用する)。ところが、ナトリウムは取り扱いが厄介である。 常温で水・酸素と反応し、発火する。量が多いと爆発する。空気中の水分でも、コンクリートに含まれる水分でも反応する。普通の原子炉では、燃料の交換は原子炉の蓋を空けて燃料を格納容器の上部に設置してあるクレーンで吊りあげて交換する。ところが、もんじゅではナトリウムが空気と反応して爆発するので原子炉を開放しての燃料交換はできない。通常、もんじゅではナトリウムが空気と反応しないようにナトリウムの液面と蓋の隙間には不活性ガスであるアルゴンガスを封入している。そこで、蓋に『スリーブ』という小さめの穴を空け、そこに『炉内中継装置』という部品を差し込み、蓋の上部=炉外と炉内へのMOX燃料の出し入れをする。コーヒーカップを原子炉容器に見立てると、プラスチックの蓋があり、そこに小さな穴を空けてストローを入れる。炉内中継装置はこのストローに当たる。中のコーヒーはナトリウムである。だが、炉内中継装置はこのナトリウムを吸い上げるのではなく、ナトリウムに浸かっている燃料棒を引き上げる。しかし、炉外に出ると直接空気と接触する恐れがあるので、原子炉容器の階上にあり作業空間でもある格納容器内にこの装置をすっぽり包む『原子炉機器輸送ケーシング』(長さ約16m・直径約1m)という円搭型の部屋を用意する。燃料は液体ナトリウムにどっぷり浸かっているので、その表面にはナトリウムが付着しており、ケーシング内にもアルゴンガスを封入しておく。通常ならば引き上げた燃料は台車のついた『燃料出入装置』(アルゴンガスを封入した)に移し替えて格納容器外へ運び出す。ところが、今回、この肝心の中継装置が抜けなくなってしまったので、栓をされた容器と同じように燃料を出すことも入れることもできないにっちもさっちもいかない状態になったのである。

3.炉内中継装置を引き抜くことは可能か?
炉内中継装置(3.3t)とスリーブ(3.6t)を一体で引き抜くには、これまでのケーシングでは小さすぎる。以下は全くの想定であるが、スリーブの直径は約2mであるから、それ以上の直径のものが必要となる。高さは16m~20m、引き上げた部品をいったん横に置き、ナトリウムが漏れないように再び穴に栓をするなどの内部での作業性も考慮すれば、直径は最低でも5~6mと原子炉容器に匹敵する巨大なものが必要である。しかも、2つの部品で6.9tもの荷重を吊り上げなければならない。現在のグリッパーと呼ばれるクレーンでは最大4.5tまでしか吊り上げることはできない。10t以上のクレーンを内部に設置する必要があり、構造体はそれだけ剛性が要求される。しかも、内部にはアルゴンガスを封入しておく必要があり、空気や水分が入らないよう気密性が要求される。さらにそこで、蓋のボルト外し、締め(溶断?)などの人的作業が必要となると、人はどのような格好でケーシング内で作業するのか。宇宙服のようなものでよいのか。狭い密閉された空間での最大限に危険な状況が想定される。しかも取り外した中継装置の下の部分はナトリウムが付着している。長さ12m・最大直径2mもの構造物をケーシングから空気に触れずにどのように外に運び出すかも考えねばならない。そのようなことが可能なのか。可能だとしてもいくら金が掛かるのか。数百億円になる恐れがある。

4.もんじゅは永久に”封印”されるのか
一度機器の設計をしてみて、その金額の膨大さに躊躇してしまうのか、機器を製作しても再度引き抜きに失敗してしまうのか、はたまた、その恐れの間を逡巡するのか。原子力機構の倉本敦賀本部長は「同装置を引き抜いた後、原子炉内に損傷などがないか調査する必要はないとの認識を示したうえで、『40%出力試験の11年度中の開始は可能』と強調した」(福井:2010.11.18)が、出力試験など夢のまた夢=『妄想』である。ひょっとすると、もんじゅをこのままの状態で放置してしまおうという暴論も出てきかねない。しかし、炉内にはMOX燃料が入っており、ナトリウムは固化させるわけにはいかない。液体のままナトリウムを維持するには電熱器でナトリウムを常時暖めておく必要があり、もんじゅの維持管理費は1日約5500万円掛かるとみられ(朝日:2010.11.18)、年間で200億円にもなる。ところが、マスコミはこの重大な事故をほとんど報道しない。地元の福井新聞でさえその取り上げる紙面は小さい。14年間の中断がもんじゅへの関心を薄くしているともいえるし、都合の悪い事実にマスコミ全体が目を瞑る動きもある。さらに、報道の姿勢は原子力機構の発表をそのまま垂れ流しするだけで、それに対する質問・疑問・独自取材というものが全く見られない。特に普通の原発とは異なり、液体ナトリウムを扱うもんじゅは技術的解説記事が欠かせない。ところが、解説記事は一切見当たらない。福井新聞でもこの間、唯一「フォーカス福井」で「もんじゅトラブル・装置回収難航は必至」という企画を組んだだけである(福井:2010.10.15)。一方、経済界では福井商工会議所の川田会頭は北陸新幹線の福井県内着工問題と抱き合わせで「高速増殖炉『もんじゅ』の運転再開に当たって県が求める地域振興と『大いに絡めていきたい』」と述べている(福井:11.2)。 事故の重大性を指摘する発想は一切なく、儲かればいいとばかりに駆け引きの道具になってしまっている。なぜ、ここまで知的堕落が進んでしまったのか。もんじゅを”封印”しても原子炉内にはプルトニウムを含んだMOX燃料と放射能を浴びた大量の液体ナトリウムが残る。それを永遠に管理することなどできはしない。このままでは「白木地区」は、「敦賀市」は、そして「福井県」はもんじゅの生き埋めの墓場になる。壮大な無駄かつ危険なもんじゅをこれ以上運転させてもならないが、”封印”させてもならない。

【出典】 アサート No.396 2010年11月27日

カテゴリー: 原発・原子力, 杉本執筆 | 【投稿】高速増殖炉「もんじゅ」の棺桶化が進むのか はコメントを受け付けていません