青年の旗 1988年1月1日 第129号・130号・131号合併号

青年の旗 1988年1月1日 第129号・130号・131号合併号
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【主張】 年頭にあたって

全般的完全軍縮への歴史的転換を示した1NF条約の締結。
一方、「ブラックマンデー」 (十月十九日)の株式大暴落は世界資本主義経済の深刻な危機を示した。
日本国内では、円高・ドル安の進行の中、産業空洞化と大量失業時代が到来し、昨年一目には昭和二十八年以降最悪の失業率・三%台を記録した。
十一月二十日、全日本民間労組連合合が発足し、労働運動は新たな局面に突入した。
戦後政治の総決算の中曽根政治は、その完成を目指して竹下新自民党政権に引き継がれた。
十一月二十五日から五日間、日本共産党第十八回党大会が開催された。闘う主体の解体的状況の中で「前衛党」としての指導性が問われた大会であったが、結果は前十七回大会で確立した反マルクス・レーニン主義と民族主義路線を深化させたものとなった。特に、自画自賛の核兵器廃絶の闘いが日本原水禁運動を分裂させたこと、社会党主敵論、労戦統一問題における赤色労働組合主義の徹底は、「左」からの運動の破壊者ともなり得る危険なものである。
「売上税」反対の国民的闘いと事実上の廃案。その後の「マル優廃止」を軸とする税制改悪法案の国会通過・成立。国民は政治への参加から益々遠ぎかった。
それをあおるようにマスコミは退廃文化を流布した。「漠然とした不安のなかで、利殖、グルメ、セックス、温泉情報、そしてプロ野球選手やタレントの私生活の話題に逃げ込み、気をまぎらわせている」(十二日三十日、朝日新聞社説)のである。
これらの一九八七年を特徴づける諸事実は、我々が政治・経済情勢の激動と歴史的転換点に位置していることを示している。

<INF締結と核兵器のない世界建設への展望>
一九八七年、人類はINF全廃条約締結という「ついに破滅を避ける道へと向うための大きなチャンス」を手にした。
向う三年間で合計二六〇〇基余りのミサイルと核弾頭が廃棄される。更に、戦略核兵器五〇%削減条約が具体的日程にのぼっている。
ペルシャ湾情勢の政治的緊張激化の中で締結されたこの全般的完全軍縮に向けた「良識の勝利、理性の勝利」を決して逆行させてはならない。
ゴルバチョフソ連書記長は条約締結後の演説で次のように述べた。
「人間は、兵器に毎日、何百万ドルも使わなくてもすむような世界に生きたいのです。人間は生きる権利、自由と幸福の権利、発達した社会が正常に機能するためにしなくてはならない人間の他の諸権利がみんなに保障されているような世界に生きたいのです」
1NF条約締結は、こうした新たな社会建設への歴史的第一歩である。
しかし、当然のことながら帝国主義諸勢力に、その良識を無条件に期待することはできない。
「大切なのは、ABM制限条約を存続させることを前提とする戦略攻撃兵器の大幅削減条約、化学兵器廃絶条約、通常軍備削減条約を一日も早く結ぶこと」が必要とゴルバチョフ書記長は述べた。
その実現に向けた全世界平和勢力の一層の闘いの強化が求められているのである。
すでにゴルバチョフ書記長は「アジア太平洋地域の安全強化と平和協力の道の集団的探求」についての建設的提案を行っている。
本年五月にはSSDⅢが開催される。
INF条約の締結を、NATOと日本などへの軍事的肩代りと軍事分担強化へと転嫁しょうとする帝国主義反動勢力の策動を粉砕しなければならない。
GNP一%枠を突破し、アジアにおける軍事的肩代りを策動する日本帝国主義の路線を転換させるために平和愛好勢力の共同行動と統一を推進していく闘いに全力を注がねばならない。

<深刻な危機に直面した世界資本主義と竹下新政権の政治路線>
十月十九日の株式大暴落は、米国経済の「二子の赤字」が解決されない限り「世界経済恐慌」が必至であることを示した。
その後も円高・ドル安は進行し、十二月二十三日にはG7が開催され「ドル安防止共同声明」が出されたものの、二十八日の外為市場は一時、一ドル一二二円台を記録した。ドル暴落の危機は、いよいよ深まっているのである。
竹下新自民党政府は、十二月二十八日、「六十三年度政府予算案」を決定した。一般合計=五十六兆六、九九七億円(前年度比四・八%増)で、公共事業費=十九・七%増(総額)と防衛費=五・二%増、政府開発援助=六・五%憎が突出し、社会保障費=二・九%増、教育費=〇・二%増が低くおさえられたのが特徴である。
また、内外の重要政治課題である、整備新幹線着工問題、日米経済摩擦激化にともなった市場開放策、新型間接税導入等の税制「改正」はすべて先送りした形となった。
この六十三年度政府予算案に、竹下新政権の政治路線を見ることができる。
それは一語で言って、「調整型・協調型政治」という看板の下で、中曽根前首相の進めてきた″総決算政治″の完成をめぎす路線であることである。
第一に、予算実に貫かれているものは、対米配慮と内需刺激(公共・民活事業を通じた独占へのくれてやり)と社会保障関係費の切りすてである。
第二に、赤字国債発行を一兆八、三〇〇億円減額し六十五年度赤字国債ゼロに一歩近づいたとは言うもののその内実は、NTT株売却収入を当ててのことであり、更に六十三年度税収入を九・五%増と高い伸びを見込むなど、小わば「財テク」頼りの予算となっていることである。
第三に、防衛費のGNP比一%枠突破が完全に定着しつつあることである。防衛費の増額要求がこれ程すんなり認められた例はない。取得する装備についても、防衛専門家の間にすら疑問視する声のある洋上防空構想がほとんど無批判に、ぼう大な後年度負担を引きずりながら受け入れられているのである。
「西欧主要国をはじめ多くの国で国防費の伸びが止まっている。軍事費は聖域ではなくなりつつあるのである。日本だけが逆行してよいのか冷静に考えるべきときである」 (十二月二十九日、朝日新聞社説)。
六十三年度予算案の明示するものは、円高・貿易摩擦を防衛予算増と市場自由化(石炭・農業・林業等)で買い取り、「前川レポート」に示される「弱体産業」のスクラップ化、海外投資・現地生産の促進の産業空洞化と大量失業時代の到来の道である。

<「連合」の発足と労働運動の転換点>
十一月二十日、全日本民間労組連合会が発足した。三十一年間続いた労働四団体時代は終り、労働運動は新たな転換点を迎えたのである。
この転換点を闘い取るために何が問われているのか。
一九八八年は、「前川レポート」にもとづいた具体策が更に実行されるだろう。大量の首切り合理化の嵐がふき荒れ、雇用と賃金の確保が労働者の死活の問題となる。八八春闘は「雇用と賃金を確保できるかどうか」「そのための運動の再構築と統一とはどのようなものなのか」が鋭く問われる春闘である。こうした視点に立って、地域で職場で闘いを組織することが必要である。
「連合」が「多数」を結集しつつも、政府独占資本の「労働運動丸がかえ」の意図や一部右派幹部の意図、労使協調への転落の危険を持つ政策など、大きな問題をかかえていることは事実である。
しかし、「左派結集」をはかり別のナショナルセンターを作ろうとする道は「赤色労働組合主義」の選択である。今問われていることは、「連合」の外にいる活動家を結集することではない。「連合」に結集する労働者を「連合」を闘いの舞台として活動家を結集し、その中味を変革する闘いが問われている。特に、基幹産業である電機、情報産業の労働者や、圧倒的多数の未組織労働者の組織化に「左派」は全力を傾注すべきである。
現実に進行する労働運動の右傾化と労働運動の深刻な危機は、階級的力関係の反映である。オイルショック後の資本の合理化、長時間労働、QCなどの職場管理の攻撃に有効な闘いが組織できず、春闘連敗や労働組合の組織率低下を招いた労働運動の質そのものが問われているのである。

<一九八八年を平和と軍縮・反独占闘争の高揚の年に「労青」全国化の年に>
平和と軍縮、反独占民主主義、統一戦線の旗をかかげた政治指導部隊の登場が問われている。
昨年八月、我々は「全国交流合宿」を開催し、労働青年同盟の全国化と正式結成を早期に実現することを決定した。
一九八八年、達成されたINF条約の成案を打ち固め全般的完全軍縮への輝かしい年とするために、全世界の平和勢力とともに共同の闘いを開始しなければならない。五月に開催されるSSDⅢに向け闘いを開始しよう!
一九八八年、新型間接税導入や「前川レポート」による産業空洞化、大量失業の中で、雇用と賃金を確保し国民生活を守る反独占の大衆的統一闘争が求められている。八八春闘に向け、地域で職場で闘いを開始しよう!そして、労働運動の転換をかち取る年にしよう!
労働青年同盟(準)は、こうした反独占闘争の一翼を担い、全国の労働青年とともに労働青年同盟の全国化・正式結成を達成する決意である。

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【講演録】「統一戦線と人民戦線」の問題について

知識と労働 No43 1987年11月

【講演録】「統一戦線と人民戦線」の問題について

                                小野 義彦

 今日は「『統一戦線と人民戦線』の問題について」ということでお話をします。現代のマルクス主義の最大の課題です。まず関連文献の紹介をしておきましょう。

1、レーニン「左翼小児病」
2、ディミトロフ選集第二巻
3,トレーズ「人民戦線術の諸問題」
4,R ・メドベジェフ「スターリンとスターリン主義」三一書房
5、J ・メドベジェフ「ゴルパチョフ」毎日新聞社
6、ルート・フォン・マイエンペルグ「ホテル・ルックス」晶文社

 

「知識と労働」No43

1987年11月

 今日は今までまとまってお話したことがない「統一戦線」という問題について少し理論的・実際的に取り上げてみようと思います。当然もっと早くやっておかなくてはならなかった、現代の我々に取って最大の問題なんです。今まであまりまとめて話していませんでしたので、今日はそのきっかけという意味でお話してみたいと思います。ある意味では今日の労働運動と社会運動全体のひとつの総まとめへの試みもしたいような考えです。

<統一戦線—-マルクスとレーニン>
 統一戦線という問題は、レーニンの著作の中では「労働者階級の統一」という言葉では度々出てきます。そして「労働者階級の統一」という考え方の中に、レーニンは非常に広い統一戦線を考えていたのたといえるでしょう。それからレーニンの考え方のなかには労働者階級の中のいろんな派閥の統一、右派もあれば、中間派もいる、左派もいる、しかし、パンのため、生活のために闘うことの上では資本との闘いに於て労働者階級は派閥をこえて手をむすぴあい、労働者階級としての統一をはからなければ資本に対し勝利する事は出来ない、これがレーニンが常に強調していた考え方だと思います。それだけにとどまらず、レーニンにはより広い人民層を労働者階級の周囲に、より広い働く人民大衆の層を結合しなければならぬという考え方がありました。
 レーニンは周知のとおり、1920年のコミンテルン第二回大会を前にして、各国共産党のセクト主義的で、独善的な極左的傾向に警告を発し、「左翼小児病」の有害な役割を克服することを呼ぴかけています。そして、1921年のコミンテルン第三回大会では「大衆の中ヘ!」というスローガンを前面に掲げて、統一戦線政策を次のように原則化しています。すなわち、①労働者大衆のできるだけ実践的統一行動を目指し、この見地から全国的にも改良主義者をも含めた具体的協定を結ぴ、②その際、自己の見解を述べる権利を決して放棄せず、③大衆の統一こそ真の統一戦線という立場を貫徹し、④あらゆる政治的傾向をもつ労働者に共通の、真に統合できるような要求が重視されなければならない、というものです。
 さらにその後の1921–22年の演説の中でレーニンは、統一戦線にかんして以下の諸点を強調しています。
①労働運動の中に現に存在している政治的潮流や政党を無視してはならないし、これらと交渉し、協定を結ぶことを拒否してはならないし、そういう闘争にますます広範な労働者大衆を引き入れること、
②改良主義上層部との交渉においては、弾力性を発揮し、小さなことから始め、「議論の余地のない、労働者大衆の直接の実践的な共同行動に関係のある問題だけ」を討議し、「総じて絶対に我慢のならない極度の卑劣さがないかぎり」、交渉を決裂させてはならない。
③統一戦線協定が達成された条件のもとでは、「調印された協定を破ってはならない」し、改良主義組織に対する批判には「もっと説明的な性格を与え、激しい言葉で労働者を辟易させずに、特別に忍耐強く、懇切に批判し、改良主義全体とプロレタリアートの要求の相容れない矛盾を説明しなければならない。」
 そして、レーニンにとっては最後のコミンテルン大会となった第四回大会で、過渡期政府としての「労働者・農民の政府」のスローガンを提起し、その性格を「広範な社会的基礎を確保する、革命的民主主義的性格の政府」と特徴付けたのでした。レーニンの死後このスローガンは、スターリンらによって「プロレタリアート独裁の政府」に直接的に置き換えられてしまい、レーニンの提起した本質的な意味、すなわち統一戦線政府としての革命的民主主義的性格の政府の樹立に向けて闘うことの意味が無視されてしまったのでした。トリアッティも「コミンテルン史論」で指摘しているように、「しかしこれを実際に適用するときに誤りが犯された。そこでこれについて多くの議論がなされ、このスローガンはプロレタリアート独裁の同義語としてのみ解釈すべきであるという結論が下った。だがこれは、このスローガンからすべての特殊な意義を奪い去るに等しかった」。
 1924年の第五回大会になると、労働者・農民の政府は、直接プロ独裁の政府とされ、そして1928年第六回大会では、このスローガン自身もおろされ、プロ独裁への直接の移行のための闘争が必要であるとされる。
 そしてついに1929年第10回執行委員会において「社会ファシズム論」を採択、「社会民主主義は、ファシズムの双生児であり、ファシスト独裁の穏和な一翼であり、ファシズムと社会民主主義は近代資本主義の右手と左手である」とされ、共産主義者はたとえ小さくても自己の労働組合を組織し、直接プロ独裁樹立のために闘うぺきであるとして、統一戦線、同盟の政策が放棄されてしまうのです。
 この段階までくると、統一戦線や同盟政策を考えることは全くの右翼日和見主義とみなされ、民主主義のための闘いなど無視されてしまったのでした。これはファシズムとの闘いの重要性、その広範な社会的基盤に目を向けさせなくさせました。
 ここでさらに強調しておくべきことは、レーニンは1905年の第一次ロシア革命の時点ですでに、「広範な社会的基盤の確保」ということにかんして、『民主主義革命におけるふたつの戦術』の中で、「ここで問題になっているのは、まさに“プルジョアジー“と区別してのプロレタリアートだけではなく」、「専制、君主制、官僚、軍閥、農奴制のあらゆる憎むべき制度の撲滅」を要求するあらゆる民主主義的変革の積極的な推進者である「下層諸階級」である、と強調していることです。
 後にフランスのトレーズやイタリアのトリアッチあたりによって、フランスやスペインに「人民戦線」と言う呼ぴ方がなされるようになるのですが、そう言う考え方の根元はやはりレーニンにあったし、マルクスやエンゲルスの中にもあったといえるでしょう。しかし労働者階級が中核になり、その回りに広い人民層を結集していく、広い人民層と言えば、階級から言えば主として小プルジョアジー層ですね。小プルジョアジーといえば階級としてはプロレタリアートではないが、没落して行けばプロレタリアートに転落して行くわけで、これはプロレタリアートの同盟軍になりうる、という考え方はマルクス・エンゲルスの頃からありました。レーニンは1924年に死んだのですが、20世紀の初めの20年間、これは「帝国主義論」に書いてあるように独占体が形成され、それが金融資本になり、独占の支配が一般化してきます。発達した資本主義国で独占の支配が強まるようになれば、資本家階級の”一般的支配“ではなくなるわけです。マルクス・エンゲルスの考え方は、資本家階級対プロレタリアート、プルジョアジー対プロレタリアート。だから資本家階級自身がまだ分化していなかったのです。だからマルクスの場合には「資本論」になり、プロレタリアートは何万・何十万の資本家階級と対決しなければならなかった。まだ独占資本は出来ていません。1883年にマルクスが死んだ後エンゲルスは1895年まで生きましたから、エンゲルスの時代になると独占資本は形成されてきます。独占の形成は1860年頃からで、その形成がハッキリしてきたのは1880年代だが、決定的な独占の支配が確立し、帝国主義的政策が本格的に出てくるのは1900年代で、20世紀です。レーニンの時代にはすでに独占が形成されていたので、帝国主義の時代の資本論=帝国主義論=独占資本の支配論を今後の本質的問題として展開したのです。この時期にはプルジョアジーが分化してきて、これまでのプルジョアジーの大半は小プルジョアジーにたたき落とされ、大プルジョアジーと巨大プルジョアジーが支配するようになるわけです。この場合、労働者階級はもちろん資本一般に対立しているのだけれども、小プルジョアジーとは敵対関係だけではなく、独占の支配と闘うためにはこの層も同盟軍、あるいは少なくとも中立者に、時と場合によっては味方に引っ張り込まなければならない、そういう中間的な存在になるのです。イタリアやフランス、またアメリカや日本でもひとにぎりの独占資本と金融資本が広範な社会の主要な敵になってきて、労働者階級とその同盟軍になりうる層が独占支配が強まるに伴って非常に広がって行きます。しかしその場合労働者階級自身がまず統一していなくてはこのような配置は生まれない。労働者階級自身が割れていたのでは自分の回りに同盟者を引き寄せることが出来ないのです。労働者階級が自分の陣営を統一する、その場合はじめて中間層・小プル層・その他の雑多な層を、人民大衆のほとんど9割以上を、自分の側に引き付けて独占資本との闘い、反独占戦線、反独占統一戦線を形成することができるようになり、また事実形成するのでなければ、独占との有効な闘いを進めることは出来なくなるのです。

「統一戦線と人民戦線」草稿

テープ起こし原稿に、小野先生に赤字で修正・加筆をいただいた草稿原稿

<現代の統一戦線の問題–中小資本ないし中小企業とは何か?>
 以上を少しまとめてみますと、統一戦線について、マルクスでは、労働者階級の自身の諸派の統一、労働者階級内部の統一が第一に考えられてきました。しかし独占が成立し帝国主義の時代になってくると、労働者階級自身の統一はもちろんすべての前提だけど、その上にさらに他の人民層、ひとにぎりの独占資本を除く圧倒的多数の人民層を労働者階級の回りに結集していく、こういう統一戦線、人民の統一戦線と言いますか、略して人民戦線と呼んでいる、そういう同盟形態が必然的になってきます。
 その場合に一つ注意して欲しいことは、私は先ほど小プルジョアジーといいましたが、その理解の仕方が問題なのです。プルジョアジーが分化してきて独占査本主義の時代には巨大プルジョアジーが支配するようになり、他方では中小資本が大量に再生産されます。その際、中小プルジョアジーの中にも労働者を何十人、何百人も使っているところがあるでしょう。そこでは労働争議は勿論起こります。しかし数十億を文配しているものとその対応は違ってきます。今で言えば大ブルジョアジーというものは少なくみても資本金10億円以上でしょう。二、三億では中プルジョアジーですね。あるいは小ブルジョアジーかもしれない。そこで資本家階級の中の分化と言うことは、労働者階級の統一戦線に取って考えてみるとやはりこれは階級間の問題であり、小プルジョアジーといえども、一面でプロレタリアートと基本的に対立するプルジョアジーでもあるわけです。
 だが、今度の日本の売上税の問題を見てもわかるように、あれはやっぱり巨大プルジョアジーだけが支持したんですね。大部分の中小プルジョアジーは反対の側に回りました。プルジョアジーにはいろんな複雑な利害や機能があり、単純ではありません。大プルジョアジーは、法人税を下げてもらうことと引き換えに売り上げ税を飲んだという訳でしょう。そして中プルジョアジーも法人税を下げてもらうことには賛成なのですが、彼らの立場は、かならずしも売上税でなければならんというわけではなく、その一般的購買力への影響をより重視したのでしょう。
 だから彼らは動揺的でした。従ってあの場合、プロレタリアートの陣営が強力に統一しておれば、中プルジョアジーの層をも大局的に味方にし、中立化することが可能でした。もうひとつ下の層があります。小プルジョアジー、小プルジョアジーという階層もなかなかむつかしい階級で、理論的にもその整理が難しい。どこからどこまでを小プルジョアジーと呼ぶのか?資本金二億、三億円程度が中プルジョアジーだとすると一億円以下を小ブルジョアジーとするということにもなりましょうか?一応そうしてもいいとおもいますが、数百万円から数千万円までの資本金しかないようなものまでも小プルジョアジーの範疇の中に入れられています。実際には資本とはいえなくて資本の召使のようになっているようなものもその中には多い。本質的にはプチプルといっていいインテリ、官僚、教師などの層もあるでしょう。大学教授なんて言うものにはプチプルもいれば、プロレタリアートに近いものもいる。大プルジョアジーから金をもらってその利益に奉仕しているものもいるのです。このように小プルジョアジーという層はなかなか規定がむつかしいんです。―つだけハッキリしていることを申し上げます。それはいわゆる零細査本の問題です。親父と家族だけでやっている町工楊のような。これははたしてプルジョアジーなのでしょうか?
 プルジョアジーと言うのは、何十人かを搾取する、彼らの不払い労働を占有する、そういう者でなければプルジョアジーとは呼べないのです。町工場の主人は、多少の資本を持っていても、それはプルジョアジーなのでしょうか、それはプルジョアジーではなく、零細企業で、基本的には家族労働だけでやっている、忙しいときだけ、若干の人を雇う、家内工業者なのです。零細企業は勤労者の仲間にいれるべきです。また零細”資本"と呼ぶべきでなく、零細企業と呼ぶべきでしょう。彼らの正体は家内工業者です。大阪近郊は家内工業の多い所ですが、西成、大正、東成など特にそうです。彼らはプロレタリアートそのものの同盟者です。プロレタリアートは、かれらの利害を代表してやらなければならない、彼らは自分自身の利益を守る組織らしい組織を持っていません。部落企業の多くは部落解放同盟に組織されていますが、これは労働者との同盟形態です。
 中小企業と言うのは非常に曖昧な概念でして、その中には資本金何億と言うものもはいってくる、そして下の方には家内工業者・零細企業がいる。これまでの「中小企業」という概念は今日では中小プルジョアジーと零細資本とに分けて扱わねばなりません。その際小プルの中に零細企業が含まれていることが問題なのです。中プルジョアジーは大プルジョアジーの側によくつきます。彼らはひじょうな動揺層です。しかし零細工業者・家内工業者は、そのほとんどがプロレタリアートに近い家内工業者で、或は労働者の熟練工より収入は悪いかも知れない。零細企業の中には、労働者よりもミゼラプルなものもた<さんいる。だからそこをはっきりと区別して対応しなければならないと思います。
 統一戦線の問題に帰りますが、統一戦線と言うのは、今日では人民戦線にならざるを得ない、そういう趨勢の中にある。即ちそれは、労働者階級の統一を中軸とし、その回りに零細企業者やプチプル、広範なサラリーマンその他の雑多な層を引き付けて巨大資本と闘っていく、これが今日の統一戦線であり、人民戦線なのです。

 統一戦線という言菓も、労働者階級の中だけを統一する内部の統一戦線と、統一した労働者階級のぐるりにプロレタリアート以外の小プルジョアジー層や零細企業者や雑多な人民層を結集して反独占統一行動をやる、この二つの場合に分けて考えなければなりません。そしてこの二つは現在益々重なりあってきており、ますます結ぴ付いてきていくのだと思います。

<統一戦線の歴史—ファシズムの登場と人民戦線>
 次は、この問題の歴史的なとりあげですが、統一戦線の問題や人民戦線の問題がでてくるのは労働者階級内部の統一という問題が先行しています。それだけなら独占資本の形成以前、労働運動の発生以来の古い問題です。労働運動はヨーロッパでは200年以上も前から始まっています。労働者は資本を持った強い敵と闘うためにその力を統一しなければならない。労働者の大衆団体は労働組合が主なものですが、それはいろんな思想や宗教や歴史などから様々な色合いの労働組合か生まれました。
 しかし資本との闘いに、パンのために、飢死しないために、生活向上のために闘うと言う必要の前には、思想や宗教やいろんな色あいの相違を越えて手を握りあって、団結して闘わねばならない、これは労働運動の発生と共に古い課題です。だから労働組合の統一という問題は労働運動と共に古い問題なのです。
 けれども労働者の回りに労働者以外の層をも引き付けていくという問題は新しい問題です。これは独占の形成・帝国主義の形成によって新たに呼ひ起こされてきた問題です。1920年代にその根元は形成されてきました。その基礎が形成されてきたといっていいでしょう。けれどもイデオロギーというものは現実の必要や行動からとかく立ち遅れる、すなわち人間はあることに気が付いても、それをひとつの思想体系に形成するには、相当行動から遅れるのです。思想とか理論とかは遅れるが、行動は先行する。マルクスは言ったでしょうー「初めに行ない有りき」と。行いがあってその後に頭がそれについてくる。統一戦線の行いは部分的には1920年代から反独占的な労働者とそれ以外の人民層とが手をつなぐという形をとっていたのです。
 しかし、やはり、反独占人民戦線、反独占統一人民戦線というように思想化され理論化されてくるのは1930年代になってからです。それはある社会的・歴史的な行動を伴いながら形成されてきました。その最初は、1933–34年のフランスとスペインにおける反ファシスト統一戦線、反ファッショ統一戦線の形成であり、以来世界各国の人々の間にこの思想が新しい姿をとって現れてきました。これも初めに行い有りきで、理屈から始まったわけではありません。ファッショが台頭してきて、それが独占資本と結び付いている。そのファッショと闘うにはファッショに反対なもの全てが力を合わせなければならないと、スペインとフランスと、やがて全ヨーロッパの労働者が気が付いたのです。まず一番初めは、フランスで労働運動に反対するファッショが反労働者のデモをやったり、街に火をつけたり、人を傷つけたり、殺したりし始めた。それに対してパリの労働者が自然発生的に抵抗を始めた。そしてファッショの暴力行為を止めさせるためにゼネストをやった。このストライキをやっていた労働者達が気がついたことは、パリの下町で労働者を顧客にしている多くの商店主逹が赤旗を店に掲げ始めた。「労働者がちゃんと働いて物を買ってくれないと食べて行けないから」というわけで、労働者と小商店主達が手を結んだ。多くの知識分子がそれを支持し、そのことが理論化される、そこから人民戦線の考え方が生まれてきたのです。それまでは自然発生的な反ファッショ行動だったものが、統一労働人民戦線になった。そこから「ピープルズ・フロント」・「フロン・ポピュレール」という言葉が生まれてきました。1934年の事です。ファッショに金を出しているのは独占資本です。彼らはもう法律を無視し、直接行動で労働組合をやっつけろ、共産党・社会党をやっつけろと、ファッショ団体を暴れさせ、乱暴狼藉をやらせた。こうしたファシズムに自然発生的に反対する運動から人民戦線運動が出来てきたのでした。
 最初はフランスでしたが、その後スペインでは、36年2月の総選挙で人民戦線派が勝利し人民戦線政府が樹立されました。当然これは軍隊にも波及し、軍隊だって労働者・農民ですから軍隊が赤くなってきたのです。そうするとフランコという極右将校が現れて右翼の将校達を結集し、軍隊どうしの内乱に火をつけた。それがスペイン内乱です。これは人民戦線派とファッショ勢力が武力をもって閥う内乱になりました。このころから「人民戦線運動」というものがマルクス主義のポキャプラリーの中にはっきりと理論化されるようになってきたのです。そのスペインも36年秋以後は政府軍が敗北に追いやられます。それが敗北したのは訳を話すと長くなりますが、はじめは人民戦線が優勢でした。フランコは36年7月スペイン領モロッコで反乱を起こしスペイン本土に上陸したのですが、初期には人民戦線政府軍に殆ど鎮圧されそうな状態でした。それが力を盛り返し攻勢に転ずるようになったのは、全くヒトラーのドイツとムッソリーニのイタリアの政府による国外からの直接の軍事援助・軍事侵略の支援によるもので、36年10月には干渉軍は首都マドリードを包囲しスペイン全土の三分の二を占領する優勢に転じてしまいました。ドイツ・イタリアはフランコ軍に大量の武器、物資、兵員を供給し、スペインに侵入したドイツ軍は3-5万、イタリア軍は5-10万とも見なされています。それに対して人民戦線側には、それに同情を寄せた世界中の知識人・労働者達が国際義勇軍として参戦し、国際混成旅団なども結成されたのですが、内乱戦を闘う人民戦線政府への国際的支援は案外に弱かったのです。フランス人民戦線のレオン・プルーム内閣は、イギリスの圧力の下で、スペイン両派の何れをも援助しない不干渉主義を取り、同年9月には独・伊両国とソ連を含む27ヵ国が、ロンドンでスペイン内戦不干渉委員会を設立しました。しかし独伊はそんなことには全く拘束されず、フランコヘの直接援助を増強しました。この情勢の中で10月になってソ連とメキシコが人民戦線政府側へ武器、物資の援助を開始することになったのですが、それとて上述の不干渉主義の立場を守ることが独伊両国の侵略を“自粛“させるという建前の範囲内で行われたものであったために、人民戦線側の不利は免れませんでした。
 当時スターリンが何を考えていたかは分りませんが、どうも人民戦線派への直接援助よりは、ヒトラーとの妥協–後に39年8月に独ソ不可侵条約調印という形をとって現れる–に狙いをつけていたのではないかと思われます。こうして強まる不利な国際惜勢下に人民戦線政府は36年11月にはマドリードを撤退してバレンシアに移らねばならなくなり、さらに37年10月には最後までファシストヘの抵抗線を止めなかったカタロニアのバルセローナに中心を移しました。しかし、英、仏、ソ連の不干渉主義の建前は、その後も変わらず、ついに39年1月にはバルセローナも陥落してファシストの手に落ち、英雄的なスペイン人民戦線は壊滅させられてしまったです。フランスの人民戦線政府はそれより前38年9月のミュンヘン会談後11月に崩壊していました。

「統一戦線と人民戦線」草稿2

小野先生が加筆・修正(赤ペン・青ペン)

<スターリンと人民戦線>
 こうしてヨーロッパの人民戦線は1939年末迄には、ファシストの攻勢により潰されてしまいます。英仏両国は同年9月のミュンヘン会談により露骨にヒトラーと妥協してしまうのですが、社会主義のソ連もまたファシスト・ドイツに対して強い姿勢を取らなかった点でこの妥協を助けたことになります。この点では、社会主義にもまた責任があったと思います。しかしスターリンのソ連にとっては、ヨーロッパ全体が右にいくか左にいくかは大問題であったわけで、もしヨーロッパで人民戦線が勝利を持続していれば、西欧と社会主義との関係は大きく改善されたことは間違いありません。当時のアメリカはルーズベルトのアメリカで反ファシスト的であった。だから西ヨーロッパで、スペインとフランスの人民戦線が没落しないで、もし政治権力を維持し続けることができていたとするならば、ドイツとイタリアのファシスト政権はもっと早く孤立させられ、つぶすことも出来たはずです。そうなれば第2次世界大戦は起こらなかったかも知れない。おそらく防ぎ止められていただろうと思います。第2次世界大戦はどうしておこったか。スペインとフランスの人民戦線が葬りさられたことが大きな原因であったと言えるでしょう。そこでヒトラーとムッソリーニは猛威をふるい西欧での人民戦線打倒の成果の上にオーストリア・ハンガリーを侵略し、チェコスロバキア攻撃、ポーランドをも制圧していった。なぜその前に止めることが出来なかったのか。問題はここまで行くと思います。だから人民戦線問題と言うのは、現代の歴史を左右する大きな問題になっていたわけです。
 中心的な問題はスターリンの支配したソ連がなぜ本気でスペインに対して効果的な扱助をしなかったという間題にあるように思われます。
 ソ連人民は多数スペインに行き、人民戦線軍に加わりました。スターリンはそれを止めるようなことはしなかった。そして36年10月にはスペインヘの武器援助の方針を決めましたが、それは遠慮勝ちなもので、人民戦線軍にとって決して十分なものではありませんでした。なぜか?訳は分かりません。
 これは歴史的な問題で、将来明らかにされるでしょう。それだけではない。スターリンが人民戦線を余り好きじゃなかったことは事実です。そのことをこれから問題にしたい。
 好きでなかったどころか、スペインに出かけて言った何千人ものソ連人や東ヨーロッパ諸国の労働者や知識人達に対して極めて冷淡な姿勢を取った。当時はコミンテルンがありましたからスターリンは全世界の共産党を動かせたはずです。なぜあのときに政治権力を握っていたスペイン、フランスの人民戦線政府と同盟関係なり援助協定でさえも結ばなかったのでしょうか?スターリンはそうしたものをいっさい結ぴませんでした。
 なぜか、はっきり言えば嫌いだったのでしょう。そうとしかいいようがありません。スターリンはほんとに訳の分からない男です。それどころか反対にコミンテルンの線を使って、スペインで実際に武器を持って闘っていた連中を次々ひっこぬいてモスクワヘ連れ戻したり、牢屋に入れたり、しばしば暗殺したりさえもしました。いわば人民戦線に参加した連中を反スターリン派とみなして決めつけていたのでしょう。そのためにソ連やコミンテルンから参加した連中の間に内紛が起きてくる。もしあのときソ連が表向きでもこっそりとでも、かなりしっかりした「赤い」戦車や飛行機を大量に送り込んでいれば人民戦線軍はもっと強い抵抗が出来たはずです。私は当時京都大学の学生でした。なぜソ連はスペインを援助しないのか、もどかしくてしかたがなかったのです。スペイン人民戦線は日に日に負けていくんです。あのとき戦車や飛行機を十分にスペインに送り込んでいれば、人民戦線政府軍は勝利し、ヒトラーやムッソリー二は第二次世界大戦を起こせなかったはずです。スペイン内戦の当初、ヒトラーはそれだけの力をもってはいませんでした。人民戦線をやっつけたことによって、ファシズムは西欧での勝利を我がものとし、東への侵略を開始したのです。そしてソ連に侵攻していきました。もしあの時スペインに戦車、飛行機の数千台でも送り込んでいれば、戦局と政局を左右することが出来たはずです。そうすればソ連は第二次世界大戦で数千、数万の戦車や飛行機を使わなくてもすんだはずです。人民戦線問題と言うのは、これほど大きな問題だったのです。スターリンは、人民戦線よりも独ソ不可侵条約の締結を過信していたのではないでしょうか?
 そこで統一戦線の問題に帰りますが、統一戦線の一般的問題はレーニンの「左翼小児病」が基本的な点を述ぺています。これは労働者階級自身の統一の問題と労働者階級の周辺の貧しい階級を統一していく問題、共産主義者はセクト主義を無くさなければならないということや幅広い統一戦線を作らねばならない問題など、その基本思想が述べられています。
 次に人民戦線問題は、ディミトロフの選集の第二巻統一戦線、あるいは人民戦線の理論の諸問題ということで非常に詳しく論述しています。これも基本文献です。
 人民戦線を内部から攪乱したソ連のスターリン主義の問題については、あまり系統的に書いた本がまだあまり出ていませんが、これから続々出てくると思います。それは世界的に大きな問題として、近い将来共産主義とマルクス主義の見直し上のもっとも重要な問題となるでしょう。部分的にはすでにいろいろな文献に、そのことが語られています。
 人民戦線の問題をフランスの立場で書いたものがモーリス・トレーズの「人民戦線戦術の諸問題」ですが、私はこれを1936年頃に英訳で読み、終戦直後に翻訳して非売品で出したのですが、後にこれは大月から出版されました。
 スターリンと人民戦線派との関係については、オーストリー人のルート・フォン・マイエンプルグの書いた「ホテル・ルックス」が詳しくふれています。ルートと言うのは女性ですが、御主人もいっしょにコミンテルンに勤務していました。当時モスクワに外国人の共産主義者の合宿所がありました。現在の「インツーリストホテル」(ゴリキー街10番地)、昔はホテル・ルックスと言っていました。このホテルに全世界の共産党から派遣されたコミンテルンの役員達を集めて住まわせていたのです。何も集めることはなかったのではないかと思います。火事や災害にあったり、またもしファシストの襲繋でもあったら、みな殺しになりますから、―つのホテルにいれておいたのはおかしいと思うのです。これはやはりスターリンの政策だったのでしょう。そこヘスパイをおいて、いつも目を光らして、誰と誰が会ったか、誰が面会にきたか、などを監視していたようです。この本には、そんなことをこまごまと書いてあります。スターリンは国際共産主義運動を支配する、自分のコントロール下におくことには強い関心があったけれど、国際的な共産主義運動が、統一して手を握って、強力になることは実は恐れていたのではないでしょうか。世界の至るところの共産党が本当の意味で強力になって、自分の言うことを聞かなくなることを恐れていたのだといえるでしょう。その点では、全く権力主義者だったのです。だから本当の意味でコミンテルンが強力になることを邪魔したのです。各国の共産党は優れたメンバーをモスクワに派遣していました。そういう連中が横の連絡を取ることにスターリンは目を光らせていた。だからそう言う連中の中で人民戦線や統一戦線の議論が沸騰してくることを、喜んではいなかったようです。

<コミンテルン第七回大会と人民戦線派>
 国際共産主義運動では1928年のコミンテルン第六回大会がスターリンの指導下に極めてセクト的で独善的な方針を決めて以後、それへの反省から33年頃から国際的な統一戦線・人民戦線をつくろうという動きが盛り上がってきました。その大きなエレメントは、上記のスペインとフランスで人民戦線の政府が生まれた事、人民戦線運動が遂に政府を握ったということです。次に中国です。毛沢東や周恩来が、まだ権力を握っていない江西省などのソビエトで地方権力を握っていて、それに対して蒋介石が討伐をかけてきたために大迂回の長征戦術を取って、四川省、陝西省迄移動して延安中心のソビエトを樹立しました。この過程で各地の共産主義者を雪だるま式に糾合して、陝西省に都を構えたときには既に何十万の勢力になっていました。それが数百万の大衆に影響を与えるようになると蒋介石はこのソピエトにも討伐をかけたのですが、同時に日本軍が1931年以来満州事変をはじめ、37年からは日中戦争になって中国への全面侵略を始めるに至りました。こうなると蒋介石もやっばり抗日的になり、日本軍と闘わざるを得なくなります。蒋介石は民族主義者ですから、日本と闘う。共産軍も日本と闘う、敵を共にするものですから‘蔣介石と共産軍はなかよくなった訳ではないけれど、自然敵が共通ですから共産党だけを虐めると言うわけにはいかなくなり、こうして抗日統一戦線が結成されてきました。これはついに百万でなく、千万単位で中国人民の中に広がっていき、数億の人民を統一させる動きになって行きました。中国共産党の民族統一戦線という、非常に幅の広い、武装した統一戦線が生まれ、それはヨーロッパにも大きな影響を与えました。だから毛沢東・周恩米などのコミンテルンの中での発言力は強くなってきました。
 それから東ヨーロッパ。ドイツと東ヨーロッパでは政治権力を握ると言うところまでは行きませんが、力強い反帝反独占の人民戦線が生まれてきました。その中でも一番強く盛り上がったのは、プルガリアです。ディミトロフは非常に優れたリーダーでした。ディミトロフはドイツの刑務所につながれていたのですが、反ヒトラー統一戦線の力で監駄から抜け出ることが出来たのです。イタリアではトリアッティ(別名エルコリ)。共産党は地下組織になっていましたが、反ファッショの運動か強かった。トリアッティは地方の共産党の握っていた飛行楊から飛行機でソ連に行き米していたといわれます。人民戦線や祖国戦線で武力をもっていた者はおおかったのです。中国共産党は紅軍を、フランスでは軍部内に人民戦線派が影響力を持っていた。スペインも軍隊と政権を握っていた。
 1935年(昭和10年)コミンテルン第7回大会。ここで「人民戦線戦術」を国際的に承認しようと言うことになってきました。7回大会というのはいわば人民戦線大会で、人民戦線戦術を採用した大会となりました。主役はディミトロフ、トリアッティ、毛沢東、周恩来、トレーズ。このあたりが火をつけて、世界大会まで持って行くことに成功したのです。スターリンは直接にはこの動きにかんでいませんでした。スターリンは後から考えるとこの動きを自分の指導力にとって危険視していたのではないでしょうか。そこでディミトロフやトリアッティに接近するソ連や東ヨーロッパの共産党員に対して絶えずスパイをつけて目を光らせていたのです。
 ところが、人民戦線派の影響力が急速に高まり広がって、7回大会を圧倒し「人民戦線戦術の諸問題」という画期的で統一的な決議を採択して終りました。ところがこれに対して、それは「ホテル・ルックス」の中に詳しく書いてあることなのですが、スターリンはこの大会にスパイを送り込んで、大会で誰が一番おしゃべりをしたか、一番熱心にディミトロフや周恩来やトリアッティを支持したか、それを克明に調べ上げていたのです。そしてこの大会がまだ終らない間から、その中のめぽしい者を、こっそり一人ふたりと引き抜いていたのです。そのことについてマイエンプルグはこう書いています。「あの大会が解き放った感激は、全ての参加者を酔わせて、実際の出来事を見えなくさせてしまった。あのときすでに、舞台の後ろでは、最初の粛清が進行していた—-そして会場に座って喝采していた人の多くが、わずか数ヵ月後にはもはや声を上げられぬ身となった。彼らは監獄へ、追放の地へ消えて行き「抹殺」されてしまったのである。」(「ホテル・ルックス」大島かおり訳、昌文社P219)
 大会の終わり頃には、そのことにトリアッティやディミトロフなどみな気が付いていました。そこでこの大会は統一大会として画期的な人民戦線戦術を決定したのだけれども、実はこの大会そのものが人民戦線戦術を主張する広範な国際的共産主義者とスターリン派との闘争の場だったのです。スターリンは人民戦線派の台頭を抑えることに必至の努力をしました。最後にはトリアッティとディミトロフはどちらも夜逃げをするような形で、自分の国に帰って難を逃れます。しかし多くの各国の人民戦線派は多数がスターリンのいわゆる"粛清“の対象にされました。スターリンの「粛清」と言うのは、35年に始まってそのピークは37、38年で、いわゆる「スターリンの大粛清」となりました。これは何万人ではきかない、何十万人でもきかない。この「スターリンの大粛清」によって、殺されたり、牢屋に入れられたり、シペリヤ送りになったりした人は‘その家族達を含めておよそ何百万人とも言われています。まだこの調査は全部済んでいません。だってスターリン時代がほんとに終ってからまだ10年も経っていないでしょう。プレジネフの時代は、半分スターリンが生きていたようなもので、スターリン批判は出米なかったのです。プレジネフの時代が終って、アンドロポフの時代になって、はじめて公然とスターリン批判が出来るようになった。その前にフルシチョフの時代があり、スターリンを暴露し、批判したけれど、それは中途半端に打ち切られてしまいました。フルシチョフはスターリン派にひきずりおろされたのです。スターリン時代の検討とその犠牲者の調企はまだ本格的になされてはいないのです。
 ゴルバチョフも先ずそこからは手をつけないでいるようです。ソ連の政治経済にまずい点のあることを先ず取り上げ、最後にはスターリンのイデオロギー批判に行かざるをえないでしょう。
 現在でも部分的にはスターリンに触れていますが、本格的な批判まではいっていないようです。「個人崇拝」の「あの時代」とか「あの忌まわしい時代」とか「あのソ連の苦しい時代」とか言って、はっきりスターリンの時代とは言い切っていません。ほんとの意味でのスターリン主義の克服と言うことはまだはじまったばかりの状態にあるようです。しかしいずれそこに行かねば本格的な解決にはならないでしょう。
 そこでスターリンの「大粛清」はコミンテルン7回大会に続く時期に始まって、37年の7月にピークに達した。38年以後は戦争準備が激しくなり、それと「粛清」が重なります。ソ連の一番暗い時代は35年から38年なんですが、これがスターリンの「大粛清」の戦前版です。そのために折角コミンテルン第七回大会が、人民戦線戦術という世界の人民運動に取ってもっとも重要なことを決めておきながら、スターリン主義がそれ以後はぴこることになって、それと対立をしたため、この戦術は各国共産党の基本方針には完全にならなかったのです。人民戦線戦術は各国共産党の物置きの中にしまいこまれてしまいました。ただヨーロッパの党だけは、ファシズムに支配されているもとで反ファッショの地下統一戦線、反ファッショ民族統一戦線という形で地下組織の中でかなり大きな影響力を持つようになります。それは祖国戦線から全人民的な反ファッショ解放運動に拡がって行きます。中国ではも毛沢東主義として。しかし中国の場合は非常に民族主義の色合いが濃い統一戦線、だから統一戦線戦術としての理論的深化は中国では余り行われず、むしろ民族主義に押し流されていったといえるでしょう。

<統一戦線と我々の任務>
 そこで本当の意味で統一戦線戦術、人民戦線戦術をスターリン主義から離れてそれを克服しながら、社会運動・人民運動の中に真の統一を作り上げていく仕事は我々の課題となり、それは今や最大の課題となっているのです。もう私は余り仕事ができません。そこで、これは皆さん自身の課題になっているのだと言うことを今日の結論にしたいと思います。そう言う意味で上述の書物を良く読まれて統一戦線とはなにか、人民戦線とはなにか、それは如何なる形で実現しなければいけないか、ということを勉強するだけではなく、それを運動に適用し、拡大し、少しでも成功を遂げられる事を強く念願しています。

(以上は、1987年6月に開かれた労働胄年同盟準備会の大阪での合宿の講演に加箪したものである。)

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青年の旗 1987年10月1日 第128号

青年の旗 1987年10月1日 第128号
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【主張】 INF削減合意支持!平和原水禁運動再統一の一歩ヘ!

九日十八日、ソ米外相合談は「共同声明」を発表して三日間の日程を終了した。
「声明」では、①米ソ両国外相はINFに関する条約締結で原則的に合意に至った。②首脳会談の日程決定の為、十月に両国外相がモスクワで会談する、③秋(十一月)に米国でソ米首脳合談を開催する、④両国は戦略核兵器の五〇%削減に向けて努力する、⑤核実験に関する問題ついて十二月までに交渉を開始する⑥両国協力に関する八七~八八年の作業計画に合意する等が一致点として確認された。
今回の合意は最終文書に示されている様に、核兵器のが初めて、使われずに削減される可能性を現実のものとした。削減される核弾頭は全体の四~五%にすぎないものの、戦略核の五○%削減、核実験の全面禁止への方向性も明示された画期的なものである。
「核兵器の出現以来、初めて二種類の核兵器の廃絶に合意することが可能になった。これは始まりにすぎず、これが、続くことを望んでいる」 (ソ連シユワルナゼ外相)又、ソ米間で基本的に合意に達したSALTⅡが米では未だ批准されていないことも指摘し、「我々の懸念は協定がきちんと批准されるかどうかだ」 (同外相)にある様に、今後の平和勢力の闘いにかかっているのである。

<未だSDIに固執するアメリカ帝国主義>
米国務長官シェルツは、SDIに関して「SDIの推進をむずかしくする様なさまぎまな規制に米国は同意することはできない」と述べ、SDIをあくまで強行する方針を変えていない。
事実、時を同じく十八日、米国防長官ワインバーガーはSDIの研究水準を開発水準にまで高めることをねらいとした、新計画を発表している。
その主な研究内容は①敵の核ミサイルと弾頭をブースト段階で迎撃するロケット砲を発射する宇宙戦闘基地、②敵ミサイルを識別・追尾しその弾頭が本物か囮かを判断するシステム、③地上の監視・追尾システム④SDIの柱である高速コンピュータによる戦闘管理システム、等である。SDIを更に一歩進めたものとなっている。
アメリカ帝国主義は、INFの全世界への展開を一九七九年以来進めて来た。核戦争を限定地域で展開し、且つ勝利する=「眼定核戦争戦略」に基づいたものであった。この″使える”(欲求にかられる)核兵器INFにより、世界の緊張は激化してきた。この先制核使用と眼定核戦争戦略が、米核戦略の中心に位置し、進められてきたのである。今回のINFの全廃は米核戦略の根幹の部分が破綻したことを意味する。そうであるが由に、レーガンにとっては「SDI」は絶対にゆずれない最終ラインなのである。

<日本の軍拡政策転換へ SSDⅢに向けた出発点に>
既に欧州では、INF交渉の成否が焦点化されつつある。巡航ミサイルの二度にわたる延期を克ち取っているオランダでは、八八年末までの巡航ミサイル四十八基の配備について、「米ソ交渉の行方を見定めてから」という立場を政府に取らせている。又、既に十六基の巡航ミサイルが配備されているベルギーもINF全廃条約を批准した場合、来年の追加配備分の三十二基を配備中止すると発表している。INF交渉の進展が他の軍縮へと大きく左右する条件となっている。
一方、日本においては、先の中曽根の「INFアラスカ配備」も焦点化されていない。現実にアメリカの核戦略の中心がSDIに移行し、アメリカの帝国主義内部での相対的力関係が低下している中で、日本の役割はより明確に且つ重要になっている。一方、主体の側でも平和原水禁運動の戦線も分断されたままである。国際的な有利な核軍縮の流れをSSDⅢを目標に国内で展開し、又、その力を逆に国際的核軍縮闘争に環元するのかが重要となっている。
かかる中、とりわけ今期国際軍縮週間での日本の平和原水禁運動に問われている任務は以下の二点に集約されてくる。
第一に、相対的に日本の安全保障の位置付けが変化し、その在り方をめぐって、職場・地域でこれを議論し得る(すベき)状況になりつつあり、他方、主体の側においては、平和原水禁運動が共通の課題・スローガンを掲げつつも分裂し、総評は三年後に解体する方向性を打ち出している中での、運動の存り方、進むべき方向性を打ち出すことにある。
第二に、前述の第一の議論の下に、来年に予定されるSSDⅢに向けた国内での統一行動、日本の平和原水禁運動の再統一に向けた行動を作り出していく出発点としていくことである。

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青年の旗 1987年9月1日 第127号

青年の旗 1987年9月1日 第127号
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【主張】 平和共存、反独占の予算国会包囲の闘いを職場・地域から!
                             —来年度予算概算要求決定—

<63年度予算の概算要求決定>
政府は七月三一日の閣議において、63年度予算の概算要求基準(シーリング)を決定した。一般歳出のうち、経常的経費は、五年連続で対前年比マイナス10%の枠を続けることになった。しかし、防衛費、政府開発援助費(ODA)は、例外的措置として扱われ、前者は六・二%増、後者は八・六%増の要求枠を認めこれまで通り優遇されている。一方、投資的経費は、五年ぶりにマイナス五%のシーリングを撤廃し、公共事業費は、事実上、前年比二〇%増となる。
そして、それを受けて、63年度予算の概算要求が、八月二二日締め切られた。その内容は、財政再建の旗を降ろすこともできずに、貿易黒字の累積を背景とする海外からの内需中心型の経済政策への転換の圧力の中、わずかにNTT株の売却益を財源とする公共投資の増加によって、積極財政へのポーズをとるという極めて不安定なものとなっている。

<公共事業型予算編成の中味>
一般会計の要求総額は、今年度当初予算比十二・五%の二ケタ増で、六〇兆八七〇五億円となり、初めて六〇兆円台にのせた。大平内閣の一般消費税導入が不発に終わった直後の55年度以来、実質横ばいを続けてきた公共事業の総要求額は、前年度比一六・四%増の約七兆八〇〇億円に達し、公共事業型予算編成の方向が一段と鮮明になった。
しかしながら、このことはNTT株売却収入を活用する一兆円の別枠要求が加わったため行えたものであり、「生活大国実現のため、21世紀を見すえた社会資本の整備」を基本理念とするところから、編成されたものではない。というのも、公共事業費は大幅に増加しているものの、その財源は「臨時・緊急の措置」である株の売却収入を活用しようとする考えであり、しかも、事業分野別要求額シェアは、従来とほとんど変わっていないからである。明確なビジョンに基づいた公共事業費の大幅増ではなく、緊縮財政下で加速された各省各局間の「既得権益固定化現象」を改めて浮き彫りにした。つまり、この期に及んでも今なお、既得権擁護の、独占のための公共事業を推進していく予算編成にすぎないのである。

<GNP比一%枠撤廃後の防衛費>
公共事業以外の項目を抑えることで、財政再建の旗印は守りたいという予算編成になっていると報道されているが、その一方で「対外配慮を重視する」という名目の下、はるか遠くまで見通せるOTH(超水平線)レーダーの設置や、最新鋭対空ミサイルシステム搭載のイージス艦の新規導入を盛りこんだ防衛費が、六・二%増、三兆七三五四億円の概算要求となっている。「防衛白書」で示されていた、初の本格的防衛体制ともいえる洋上防空体制の具体化が、予算要求面でも明確になっている。
GNP比一%枠が撤廃され、防衛力整備の新たな指針として、「総額明示方式」が打ち出されている。一月の閣議決定は、中期防衛力整備計画の期間中(86~90年度)の年度防衛費は、同計画が定める所要経費の枠内で決めるとしているのだが、この方式を91年度以降も採用していくというものである。五ケ年の所要経費を決めることが、GNP比一%枠にかわる新たな歯止めとなるはずがない。五ケ年計画は、政府が防衛力整備の目標と段取りを恣意的に決定できるものでありこれを政府決定として固定化することは、防衛費の先取りと聖域化をもたらすことになる。総額明示方式は軍拡目標を示すものにすぎない。
軍事に金をつぎ込むことは、再生産には一切貫献しないばかりか、マルクスが述べているように「海に金塊を捨てる」ようなものである。日本帝国主義が、平時においても軍需生産が日常的随伴物となる、帝国主義の最も腐朽的な性格を前面に出してきていると言えよう。そして、むしろこれまで他の帝国主義との闘争において有利な条件であったものを、自ら投げすてるものでしかない。

<生活関連予算の削減と膨らむ国債費>
こうした条件の下で、福祉・教育・社会保障関係の予算は、徹底的に削り取られている。年金、医療費などの当然増経費のため、来年度の社会保障費は、今年度七千億円増となるが、概算要求基準で四四〇〇億円しか、大蔵省は認めていない。差し引き不足分の二六〇〇億円について、財政当局は、老人の長期入院などを見直すことによって国庫負担を減らしたい意向であり、今後さらに年金・医療費を中心に削減されるのは必至の情勢である。
さらに今回より一層明瞭になったことは、国債費が一五兆四二〇〇億円、実に三六・一%増と、概算要求総額の約四分の一を占めていることである。この点において最も重視すべきことは、国債費の約七〇%、年間約十一兆円もの金が、金融・産業大独占資本に利子の支払いとして取り込まれていることである。緊縮財政のもとで、これら金融資本が最大の不労所得を得て円高不況のもとで最も不生産的な国際的金融投機に金をつぎこんでいるのである。

<政策論争の展開を>
社会党は「新宣言」を具体化し、円高・土地高騰などの現状から転換する二十一世紀プランとして策定していた、総合政策体系「もう一つの日本と世界」(二一世紀への社会経済転換計画)が、九月四日まとめられた。内容は、積極型財政を計画的に展開し、成長経済の中で財政再建を達成する。そして、下水道や住宅、大規模リゾート地の充実などの「生活財」倍増プランを、第一次五ケ年中期計画の課題とするものである。
今後、大蔵省は概算要求を、「六五年度をメドとした赤字国債依存脱却の原則は崩さない」との考えから一般歳出や国債費を厳しく見直し、五六兆円台にまで削減する方針である。どの予算が削られ、どの予算が認められるかは、勤労者を中心とする全ての反独占勢力の統一した闘いの強化が求められる。
具体的対案を提起し、それをもとにした国会包囲に結びつく、地域・職場での闘いが、今こそ求められている。

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青年の旗 1987年8月1日 第125・126合併号

青年の旗 1987年8月1日 第125・126合併号
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【主張】 労戦統一と我々の任務

今年十一月の全民労連(以下、「連合」)発足を目前に控え、労戦統一の現段階では、日教組・自治労を中心とする官公労の動きが焦点となっており、ここでの闘いの方向いかんが、連合発足後の労戦統一全体の動向に、大きな影響を与えようとしている。
我々は、傍観者であったり、評論家であってはならない。今回の労戦統一の背景と、それをとりまく、階級的な力関係を具体的に把握する中、日本の労働運動総体として闘う労戦統一に前進できるよう、全力を上げて闘わなければならない。

<労戦統一の背景>
今回の労戦統一は、七〇年代前半に「挫折」して以降、八〇年九月の「労働戦線統一推進会」結成以来進められてきたものである。
主体の側の背景はどうか。「企業別労働組合」として企業別に分断された状況が、克服されぬまま推移し、また、今日の円高不況の中で、「企業主義」が強まり差別化・分断化は、更に進行している。平均組合員数約二百名で、労働市場をコントロールするという組合の基本的機能を遂行しうる資格を「欠落」し、厳密な意味での労働組合ではない(その意味で、″半組合”)という状態に手がつけられぬまま推移し、今や、春闘十数連敗、組合組織率二八・二%(八六年)、青年労働者を中心とした「組合ばなれ」の進行等、その矛盾は、もはや眼界にきている。労戦統一は、この状態を克服する一つの条件として登場する「必然性」をもっていたのである。
政府・独占の側はどうか。比類なき搾取と収奪をくり返し、巨額の貿易黒字を抱え込み、今や世界一の債権国に「成長」した日本資本主義は、そのこと自体のために新たな帝国主義間矛盾—-異常な円高「攻撃」貿易戦争等–に直面している。政府・独占は、「新前川レポート」に象徴される「産業構造の転換」「内需拡大」により、「危機乗り切り」をはかろうとしているが、これは、帝国主義間矛盾が新局面をむかえる中で引き続きインフレ防止・独占利潤を保障する社会「改革」を狙ったものであり、勤労諸階層には、増税・倒産・大量失業・軍事大国化をおしつけるものである。そしてこのことは政府・自民党がこれまでとっていた「利益誘導政治の崩壊をもたらすものであり、政界再編、更にその受け皿としての、労働戦線の再編成を不可避とするものである。
また、これまで、「日本的経営」のよき「パートナー」として、その一翼を「担って」きた右派幹部にとってはどうか。「日本的経営」を支える三本柱–「終身雇用」「年功序列賃金」「企業別組合」-のうち、「終身雇用」と「年功序列賃金」は、「崩壊」しつつある。右派幹部がとってきた労資協調路線の政策面での表現である「経済整合性ある賃上げ」「賃上げより雇用優先」「生産性に見合った賃上げ」等は、こうした中で、破綻が一つ一つ明らかになってきている。まさに、右派幹部にとっても「指導の危機」が現実化しつつある。彼らはこの「危機」を、労働運動の中から左派の影響力を排除し、弧立化させ、労働戦線の圧倒的多数を、「右寄り再編」することにより、「克服」しようとしている。彼らが、そのために、「統一(もちろん本音は再編であるが)」の旗を振らざるをえなくなったという側面もみなければならない。

<全民労連のもつ二面性>
民間先行による労働戦線統一の「第二段階」として、今年の十一月二〇日、全民労協は、全民労連へ移行する。先述のとおり、連合に対する左派内部の対応は、残念ながらバラバラである。連合への移行は、労戦統一総体からみれば、まだまだ「一里塚」でしかなく、戦う労戦統一に向けて、左派の統一した対応が急務となっている。そのためにも、連合のもつ二つの側面について、具体的に把握していかねばならない。
第一の側面は、「右寄り再編」としてのそれであり、主に右派幹部の意図としてあらわれている。今回の労戦統一の経過の中では、右派のイニシアチブが先行しており、連合の「進路と役割」の中でも、それが色濃くでている(たとえば、「自由にして民主的な労働運動」の「伝統の継承」(綱領)、その「強化・拡大」(基本目標)とあるが、これは、同盟路線の基本理念であり、階級闘争に対立するものとされてきた。)
しかし、この右派幹部の意図が全てにわたり貫徹されているわけではない。現実の方向決定は、背景の中でみたように、こうした主観的意図をこえた、複合的意志の帰結として決定される。連合の基調の中でも、少なくとも「産業報国会」のような翼傘組織とはちがう「労働基本権の尊重」「力と政策」等についてふれられており、左派のイニシアチブにより労働組合として発展・強化していくための一つの手がかりはあるといえよう。
第二の側面は、企業別に分断された日本の労働組合を産業別に再編していく一つの前提条件を内包しているという積極的な側面(労戦統一本来の意義でもあるが)である。連合は、組織人員五三八万人で、その内訳は総評一二二万人、同盟一五二万人、新産別六万人、中立労連一二三万人、その他純中立など一二一万人となっている。数の上では、同盟系が多数を占めているが、産業別にみればいわゆる日本の基幹産業はほとんど組織されている。連合という「舞台」の上で、労働四団体の枠をはずし、労働組合の産業別ならびに全国的な結集を進め、「分裂状態の克服」をはかり、産業別組織へと移行し、日本の労働組合運動総体として戦闘性保持に耐えうる主体を形成していく前提条件を、内包している。
しかし、このことが、右派幹部のイニシアチブにまかせていて達成できないのは、火を見るよりも明らかである。
以上、二つの側面についてみてきたが、結論としていえることは、連合を中心とした労戦統一への左派の統一したイニシアチブの発揮が、決定的に重要になってきていることである。

<我々の任務>
今日、日本の労働者階級は、比類なき搾取と収奪の下におかれながらも、要求をかちとる現実的な展望が示されない中で、個々に分断されている。今回の労戦統一を要求をかちとる力、その現実的展望をきりひらくものにするためにも、闘う路線を、労働運動全体へ拡大する立場から、積極的にイニシアチブを現実の運動の中に発揮していかなければならない。そしてそれは、それぞれのおかれた立場からの、多様でかつ統一した闘いでなければならない。
①官公労において
現段階では、「全的統一」に向け、官公労部門の動向が焦点となっている。しかし、現実には労戦統一を巡る意見のちがいから、分裂の危機に直面しているといえる。官公労部門は、民間と異なり、日教組・自治労等、産別組織の形態を一定ととのえている。したがって、我々は、現在進められている「全的統一」の動きは、分裂を前提としたものにならぎるをえず、こうした「統一」には、断固反対していかなければならない。そして、日教組・自治労を中心に、産別組織として、維持強化することを前提にした、統一のため、闘わなければならない。
②民間労組において
まず、すでに連合に加盟することが確実でかつ右派幹部主導下の組合においては、彼らが、階級的路線を否定し、労資協調路線を進める「旗じるし」にしている「労働組合主義」を、その本来の意味(労働力の一括販売組織としての労働組合の理論と政策・実践の体系)にとらえ直し、その「確立」「強化」「徹底」のため、組合員の要求を掲げ、下からの大衆的闘いを組織していかなければならない。
また、すでに階級的路線が、組合運営に具体化されている先進的組合においては、これまでのべてきたように闘う路線を労働運動全体へ拡大する立場から連合に参加し、共同行動を追求していかなければならない。
右派幹部の「一元支配」とみられているJC大手労組においても、産業構造の転換、「日本的経営の見直し」の中で、「一般組合員」の下からのつき上げは強まりつつある。職場集会での不満の噴出にとどまらず鉄鋼労連傘下組合の「赤旗デモ」 「無期眼スト」、また、電機労連、全電通(総評)の反売上税集会への大量動員等、たとえ一時的とはいえ、組合全体の方針に反映させるケースも生まれている。
従来、基幹産業部門での組合指導を、右派幹部にうばわれた左派の「弱さ」を総括するとともに、これらにどう応えていくのか、どう組織化し、更に発展させていくのか -まさにこの点での左派の統一したイニシアチブが求められている。「階級的ナショナルセンター」等の別組織をつくり、共同行動の基盤自体を失ない、「たもとをわける」のではなく、たとえ困難であっても、基幹産業労働者の多数を「組織」している連合内部での闘いを強化し、変革していく中でこそ、要求をかちとり、社会を変革する現実的展望が切り開かれていくのである。

<労青全国化と労戦統一>
今回の労戦統一は、政府独占の狙う政界再編の動きともからみ、きわめて政治的・階級的なものである。したがって、左派のイニシアチブとは、全般的な階級闘争の分析・評価の上にたった指導性として発揮されなければならない。本来、この任務を担うべき日本共産党は、譲合主義とセクト主義のどろ沼にはまりこんだままで、統一労組懇を中心に「赤色労働組合主義」的な誤りをくり返している。
こうした状況は、左派の統一したイニシアチブの発揮を保障しえる政治指導部隊の登場を急務としている。
我が労働青年同盟は、今年中に全国的正式結成を実現すべく、全組織的な討議にはいっている。全国化の最大の意義は、まさにこの任務に応えていくための組織建設に向け、重大な一歩をふみ出すことである。
全ての青年労働者の共同事業として、労青の全国的正式結成をかちとっていこう!

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青年の旗 1987年6月1日 第124号

青年の旗 1987年6月1日 第124号
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【主張】lNF全廃、「ダブルゼロ」実現へ!—中曽根包囲の斗いを—

(1)NATO「ダブルゼロ」受け入れを決める
 六月十二日、アイスランドのレイキャビックで開催されたNATO外相会議は欧州配備の長射程中距離戦力(IRINK)と短射程中距離核戦力(SRINF)をともに全廃するという、いわゆるソ連の「ダブル・ゼロ」提案の受け入れに同意する、という声明を発表した。NATO内の意見対立に終止符を打ち統一見解を打ち出したことで、ジュネーブのソ米交渉はINF全廃の合意に向けて大きく前進する見通しが強まった。
 これを受けて、レーガンは十五日、テレビ演説の中で「欧州での長射程INF全廃と並んで、世界中の短射程INFを廃絶することをソ連側に提案するよう、米軍縮代表団に指示した」と述べた。 この中でレーガンは長射程INFは当面、米ソ双方が百弾頭づつ残す権利を持っているが、「最終的には、これも全廃したい」と述べるとともに、NATO諸国の支持の上で、米国がソ連の「ダブル・ ゼロ」提案の受け入れを決断したと強調した。

(2) INF全廃の意味するもの
この合意の意味することは、第一に、SALT交渉をはじめこれまでの「軍縮」諸協定が内実においては上限を定めるのみの「軍備管理」であったのに対し、INF全廃合意は実戦配備された核兵器が歴史上初めて削減・ 撒去される、文字通りの軍備縮少である。 合意が実行されたならば、五万発以上あると言われる世界中の核兵器のうち、双方で約六百基程度の核兵器が削減されることになる。
 第二に、 INF全廃は米帝国主義の核戦略の根本転換をもたらさざるを得ないことである。ICBMを基にかつては、ICBMを基軸とする「全面核戦争」「大量報復」戦略による世界の全滅の恐怖の下での均衡が存在していた。 この中で、INFの配備は「全面核戦争」に至らない「限定核戦争」戦略なる幻想を設定し、「先制第一撃」によるアメリカの核の優位と″使える核兵器”を求めてスタートした。ICBMが発射から三十分余で目標に達するのに対して、INFは十分足らずで目的に達する。 その為、INFに対する迎撃が不可能であり、相手の攻撃かコンピュータの異常による誤報かを判断している余裕がなく、誤報による報復もせぎるを得ないものである。 このINFがSALTの網目をくぐり欧州を舞台とした’地域的な核戦争”、軍事的緊張を激化させて来たのである。 欧州反核運動はこのINF配備を契機として高揚してきたのである。
 従って、このINF全廃の合意は欧州を核の戦場とする「限定核戦争」戦略の発動を著しく困難にし、この戦略そのものを破綻に追い込むことは明らかである。核の均衡も、八三年のガーターによるINF配備以前の時点にまで押し戻される。しかし、この戦略の変更が、再び恐怖の均衡、「大量報復戦略」に立ちかえるというわけにはいかないであろうことは明らかである。今まさに、「核のないヨーロッパ」の実現が現実的な課題とし登場した。

(3) ゴルパチョフ提案と日本の位置
 ゴルバチョフ書記長は「現在、我々は欧州の核兵器廃絶をめぎiす積極的な路線を実施しているが、 それは核の危険を他の地域に移すためではない。 我々の日標は核兵器のストックが最も多く集中している欧州からはじめて、全ての大陸から核兵器を取り除く方向に進めることだ。 なぜソ連はアジアに百基の核ミサイルを残すか。—米国も同意しているのだが—それは米国がアジア太平洋地域に強力な核戦力を集結させているからだ。我々は米国が、日本、南朝鮮、フィリピンにある自国の核手段を撤去し、空母部隊を含めてのラインまで後退させることを認めるならばグローバルな基盤でINF問題を解決する用意がある」と述べている。
 現在、フィリピンにおける米軍事基地撤去の斗い、韓国における米帝国主義の傀儡に対する広範な斗いの中で、極東におけるレーガンの核戦略は軍事的にも、財政的にも日本の協力抜きには成り立たない。一方、中曽根はINFアラスカ配備提案、 SDI参加の動きに示される様に、これに積極的に加わっている。 その財政的表現が防衛費のGNP比一%突破という形で表われている。 レーガンの世界戦略の中での日本の位置が増々重要なものとなっている。 同時に日本における平和・ 原水禁運動の国際的使命も重要になっている。

(4)INF全廃の破壊を許すな
 新たな核軍縮への局面を切り開きつつあるINF合意であるが、西独は自国領土内にあるパーシンク1a七十二基の核弾頭(米国の保有)は今回の削減対象からはずすことを主張している。 又、 NATOの一部からは、「INFの全廃により、通常戦力の不均衡が存在している」という声が出されている。 又、双方が百弾頭残すという長射程INFの配備地域や全廃の検証問題等解決を要する問題は多い。 帝国主義者へ INF全廃の’破談”への口実を与えてはならない。 INF全廃後の’新たな核の均衡, を造り出してはならないし、残されるであろう「SDI」中止へと斗いを継続させ得るトータルな暴露の下での斗いが今、我々、日本の反独占勢力に問われている。

 

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青年の旗 1987年5月1日 第123号

青年の旗 1987年5月1日 第123号
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【主張】 求められる春闘の「再構築」–大手民間妥結–

現在、八七春闘はJC、NTT、電力、私鉄の賃金交渉が決着する中でその大きなヤマ場を超えた。政治的にも四月二十三日、国会で売上税が事実上廃案の土俵に乗ったことにより、二十四日の統一ストは中止、官公労も政府交渉で人勧完全実施努力の回答を得たことで十七日のストを中止、民間中小を残しつつも、八七春闘はその大勢が決まったと言わねばならない。
結果は、経営側による「鉄の重し」が依然として強く、JCは軒並み「昨年マイナス」となった。すなわち、鉄鋼の今年ペアなし定昇のみを受けて、昨年の鉄鋼の今年ペアなし定昇のみを受けて、昨年の鉄鋼のペア分二六〇〇円を金属大手の昨年ペア分から減額したものが今年の他のペアとなったのである。「鉄を買って物を作る産業としてあちらの苦境をよそに決める訳にはいかない」(自動車労連)ということでの経営側の「気配共闘」を労働側が崩せなかった結果である。鉄は表舞台からは去ったものの″陰の主役”の役割を果たし、見事に「低率・分極の春闘」を演出したのである。鉄鋼・造船は春闘史上初のペア無であり、鉄鋼に代わってIMF・JCの牽引役を担わされていた電機大手は三・六%と自らの歯止めを基準より〇・一ポイント高い水準を獲得したものの十四組合の同率決着は果たせず終った。業績好調のトヨタも回答引き出し目標額だった三・五%に到達できぬ三・四六%であり金属大手はいづれも史上最低の賃上げ率となったのである。一方、業績好調のNTTは八日午前十時からのストを背景に一万一六〇〇円(四・九四%)を獲得、又、電力は九八五〇円(三・九四%)で結着した。そして、第三週決戦とした私鉄はこれらを受けて、一万八〇〇円(四・五九%)を引き出し一発妥結となった。金属とは明暗を分けた形である。
「私鉄は高すぎたが、全体的には額にしても率にしても良心的にやったと言えるのではないか。まあまあのところにおさまった」とは日経連会長大槻の弁である。三%台の賃上げ水準では、政府見通し消費者物価一・六%上昇を加味すれば、実質貸金アップは二%足らずにすぎない。今年も「経済整合性論」にもとづく要求決定がなされた訳だが、結果は「経済整合性論」の破綻をあますところなく明らかにする事になったのである。同時に、八七春闘連絡会で統一要求目標として決定した「六%もしくはそれ以上」の賃上げ要求は、何の波及力も持てないで終った。もはや各ナショナルセンターのどこも相場形成力を持ち得ないまま、産別ごとバラバラという状況が生まれている。

八七春闘は急激な円高の進行という帝国主義間矛盾の激化の中で闘われた。急激な円高による為替差損を労働に押し付け独占の利益を擁護するのか、それとも円高不況による生活悪化を防ぎ、雇用を増大するのかがまさに今春闘の争点となるべきであった。しかし、現実にはこの間の春闘と同様に「賃上げは企業の利益があってのもの」との独占側の土俵の上にしか闘いが組まれずその経果、金属労協等二百の大手組合は史上最低の三・五一%(日経連中間報告)となった。しかし、独占は今日の深刻な円高不況の前に、企業別組合労使協調を維持してきた年功序列賃金体系、終身雇用体系の見直しを開始(一部では既に実施)しており、独占自らが労使協調路線の前提をくつがえす段階に至っている。既に労働サイドも貨金体系の見直しを進める中で、企業別組合が持つ限界と産別組合の必要性をますます意識できる状態においやられている。
八五年九月のG5以来急速に進行する円高は四月二十八日現在で既に一三七円台を推移するに至った。独占は円高差損を”コストダウン〃”競争力の維持”の名目で労働者・人民に犠牲転稼し、大幅な人員削減・合理化、賃金抑制、更に子会社、孫会社の整理、下請孫請の見直しを″大手を振って”断行している。その結果、八六年のGNPの実質成長率は二・五%と過去十二年間で最低水準になっている。又、八七年三月の失業率は三%、完全失業者は一八二万人と過去最悪の水準、製造業の倒産件数は三六八二件、なをも製造業の四二%が″雇用調整”なる人減らしを計画しているのである。
日本独占は、円高差損を全て労働者に押しつけ、中小資本の再編を進行させながらも、尚も出口が見出せないでいる。円高のデメリットを労働者・人民に転稼し、いわゆる国際競争力を維持すればするほど、ますます貿易黒字はふくらみ、円高に拍車がかかるという事態である。円高による独占の犠牲転稼と生活悪化を許さず、雇用の拡大、ワークシェアリング、賃金の大幅引上げを克ち取る闘いが求められる。

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青年の旗 1987年4月1日 第122号

青年の旗 1987年4月1日 第122号
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【主張】 売上税事実上廃案に、独占優遇税制にメスを

<売上税事実上 廃案に!>
 四月二三日の原衆議院議長のあっせんによって、国会の混迷にひとまず終止符が打たれた。
 原議長のあっせん案は、売上税関連法案を議長預かりとし、①税制改革をできるだけ早期に実現するよう各党が最大限の努力をする。②このため、衆議院に税制改革の協議機関を設置する。③同法案の取り扱いについて、今国会で結論がえられない場合は、各党の合意で措置する、というものである。
 このうち③で、各党合意がえられない場合は、廃案になるとされている。今の形の売上税について、与野党が合意する可能性は、一〇〇%ない。とすれば、審議未了、廃案になることは明らかだ。今回の売上税法案は事実上廃案になる。
 それに対し野党は、「完全勝利」と表明しているが、あっせん案の①でも、将来の財政需要を展望して、無前提的に、直間比率の見直しが唱われ、今後の間接税導入に道を開く礎となる可能性は多分にある。
 共産党だけが、唯一この案に反対し、「マル優廃止は含まれていない」 「大型間接税導入に道を開くもの」と、政府・自民党の論理を先取りしているが大切なことは、このあっせんを引き出した運動を評価し、前向きに次の闘いを進めることにある。四月二九日の中曽根訪米の手みやげとして、六二年度予算の成立は、何が何でも成しとげねばならないものであったとしても政府・自民党に売上税関連法案を棚上げにさせ、六二年度予算を衆院強行採決させずに、廃案にまでおいこんだのは、国民各界各層の反売上税の世論を背景にした、四野党の統一した力であることを、確認しておくことは重要なことである。

<税率一%の「福祉目的税」導入か>
 新型間接税導入の案として、有力なものとして、竹下案があろう。自民党の売上税最終妥協案として作成されたものであるが、その骨子は、①売上税の名称を改め、「福祉税」とし、年金・医療などの社会保障関係費の財源に充てる福祉目的税とする。②非課税品目業種を全廃し、税率は一~三%に引き下げる。③実施時期は六三年四月以降とするが、国民に公約した所得税法人税減税は、六二年度から先行実施する、というものである。
 この「福祉目的税」については、社会党が一昨年発表した「中期社会経済政策」に、基礎年金の財源を確保する福祉目的税構想を打ち出しているため、福祉目的税としての新型間接税導入について、野党の合意がえられやすいという論評がされている。しかしながら社会党の提案している税は、事業主の支払う賃金、利潤などに一定の税率をかける所得税型付加価値税(直接税)で、逆累進性の強い大衆課税である消費税としての付加価値税である売上税とは、性格が異なる。
 福祉の財源が、逆累進性の強い大衆課税である間接税でまかなわれることは、我々は断じて承認できない

<独占優遇の不公平税制にメスを!>
 三月二六日に、四野党共同の「昭和六二年度税制改革の提案」が発表され、その中の「不公平税制の是正」として、①有価証券譲渡益の課税強化、②土地の譲渡所得課税の強化、③非課税貯蓄の限度管理の徹底、④貸倒引当金繰入限度額の適正化、⑤タックス・ヘイブン(軽課税国)対策、外国税額控除制度の強化、⑥受取配当益金不算入の圧縮、⑦支払配当軽課制度の廃止⑧配当課税の改革、⑨給与所得控除の頭打ち制度の復活、⑲租税特別措置の見直し、給与所得者と事業所得者との不均衡是正 があげられている。
 その内、④の貸倒引当金について、富士銀行が、所得申告もれにより、国税当局から重加算税が追徴された。六一年三月期における約一千億円にのぼる貸出金が本来ならば貸倒引当金の対象とならないのに、無税の貸倒引当金の対象として計上し、その分の所得を損金扱いしていたというものである。貸倒引当金の制度は貸出金の焦げ付き、回収不能など万一の事態に備えて損金扱いで積み立てておくもので銀行経営の健全さを確保するために必要不可欠な制度である。ただし、預金を担保とした貸し付けなど、貸倒れリスクの伴わない融資については除外されている。ところが約一千億円の融資が、帳簿の上では貸出金となっているが、実は預金見合いの貸付け、つまり譲渡性預金(CD)などの形で、同行の口座に環流していたわけである。そうなると、その貸付金は、貸倒引当金の対象とならないにもかかわらず、引当金として積み増し、それだけ所得から漏れさせていたのである。もう一つ浮き彫りにした問題は、貸倒引当金の繰り入れ率である。現行税法では繰り入れ率は、貸出金の〇・三%であるが、実際の貸倒発生率は、厳しい審査があり、担保もとっているので非常に少なく貸倒発生率は多く見積もっても、貸出金全体の〇・一%程度と言われている。ということは、現実よりも三倍も多く損金扱いをし、それだけ課税対象となる所得が少なくなっていることを意味している。
 これはもちろん、独占優遇の不公平税制の氷山の一角にすぎず、またそれに加え、不正利用が行なわれているのも明らかである。しかしながら、「マル優」のように、不正利用が行なわれているから、優遇制度そのものを廃止する動きは、政府・財界の方からは、当然のことながら見受けられない。
 不公平な税制をただす会が発行した「昭和六一年度版国民のための税制」で、不公平税制の是正で増える税収として、一三兆円もの数字をはじき出している。独占優遇の現行税制にメスに入れることによって、減税の財源は出てくるのである。

<本格的な税制改革の論維の展開を>
 今後の税制改革の動きについてだが、衆院内に設置が決まった、税制改革のための与野党の協議機関(国会税調)では、「減税の取扱いが焦点」になると言われている。自民党の中では、今まで公約違反かどうかの入口での論議であったが、今後は、野党を本格的な税制改革論議の土俵に引っぱりこむことに成功し、減税先行を人質とした新たな間接税論議に野党もいや応なく入っていかぎるをえなくなるという声もきかれる。
 社公書記長が、「社会労働評論」五月号で提唱した「反売上税共闘を政権構想づくりにまですすめる」ことが、今後、注目すべき動向となってくる。四野党共同の税制改革が、社会党のイニシアのもとでどこまで反独占的な改革がすすめられるかが問われてこよう。
 これから減税の財源論議がまきおこされるわけであるが、それにもまして、労働者の闘いが出遅れている。反独占の立場から、租税特別措置の廃止などでの独占への増税、軍事費の削減こそ我々労働者が掲げねばならない。そうすることによって初めて、四野党に反独占の政権構想を迫ることができるのである。

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青年の旗 1987年3月1日 第121号

青年の旗 1987年3月1日 第121号
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【主張】 歴史的転換点に立つ87春闘

八七春闘は売上税導入・マル優制度廃止阻止を目指す国民的な闘いの渦の中で闘われようとしている。「今春闘の具体的な課題は賃上げであり、雇用の確保であり、税制改悪反対であり、防衛費のGNP比一%枠突破反対であり、労働時間短縮ならびに労基法改正であるが、それらの根っ子はただ一つ、自民党と財界のとってきた路線に対する闘いである。つまり八七春闘は中曽根内閣と真向から対決し、政治と経済の流れを変える春闘である」(黒川議長、二月五日、総評臨時大会)。八七春闘はこの総評議長あいさつに示される「政治春闘」の色合いを強めつつある。なぜならば、政府自民党の進める政治・経済政策がほんの一握りの独占資本のために独占資本以外の全ての人々に犠牲を押しつけようとしていることが益々鮮明に浮かびあがりつつあるからである。労働者階級はもとより、中小商工業者、百貨店・スーパー店主、農民が続々と売上税反対の闘いに立ち上がり、数々の県議会、市町村議会が反対決議を採択し、自民党内部にすら動謡が表われている。かかる中で、売上税の最終的な、そして最も大きな被害を受ける労働者階級の首切り、賃下げ攻撃と闘う八七春闘の大衆的闘いの高揚と、その闘いの売上税阻止闘争との結合によって、労働者階級が売上税阻止の広範な闘いの軸となって反独占統一闘争を前進させ、この国の政治と経済の流れを根本的に転換させ得る条件が拡大しつつある。八七春闘を職場から大衆的に闘うことの持つ意味は極めて大きい。

<「円高」を口実とし、強まる合理化・賃下げ攻撃>
八七春闘を前に、「円高」を口実とした雇用合理化・首切り、貨下げ攻撃と労働者階級にはかつてなくきびしい攻撃がかけられている。本年二月の失業率はついに三%を突破し、完全失業者は一八二万人と統計史上最高となった。鉄鋼大手五社が春闘前を狙い打ちしたように提案した合理化案では、五社で四四三00人が削減され、雇用人員は現状の四分の一に減らされようとしている。神戸製鋼では雇用合理化と共に賃金制度の改悪(年功要素の圧縮、能力・業績をより反映した体系への移行)が策動され、三月からは事実上三%の賃金カットが導入されようとしている。「円高」の直撃を受けている製造業・輸出産業では全体の事業所の中の四二%が「残業規制、中途採用の削減・停止、臨時雇用者の再契約停止・解雇」といった雇用「調整」を計画しており、中でも一時休業や希望退職募集・解雇にまで進む事業所が少しつつ増えている。
更に、この間の労働者派遣法、男女雇用機会均等法に続き、変形労働時間導入を柱とした労基法改悪が目論まれており、資本による搾取強化のための労働諸法改悪攻撃が強められつつある。

<「円高」をバネに超過利潤拡大を狙う独占資本>
独占資本は「円高」をバネにしてこれまでに蓄積してきた超過利潤を維持・拡大するための国内産業再編と海外への積極的な資本進出、そして一層の強搾取と労働者階級への犠牲転嫁を進めんとしている。円高不況と言われているにもかかわらず独占資本の経常利益はこの十年間で四倍、内部留保は三倍に膨れあがっており、この独占の超過利潤には手をつけないままに、雇用合理化、賃下げが行なわれ、次々に海外へと生産拠点が移されようとしているのである。競争力の弱い産業・業種、中小企業の切り捨てと大量失業を前提とした産業構造調整を打ち出した昨春の「前川レポート」は「円高」を契機とした独占資本の超過利潤拡大のための産業構造再編・海外進出を進める選択を政府・独占が示したものであった。進行しつつある資本主義の全般的危機の深化の下での帝国主義間矛盾の激化、なによりも最大の資本主義国・米国の債務国への転落と急速な国家財政赤字・貿易赤字の拡大、その一方で、国民一人あたりのGNPが米国を抜いて世界一となった日本の経済的影響力の拡大、この日本で生産的投資先を見出せず増大する一方の過剰資本、この日本の遊休資本によって三割が買い支えられる米国の巨額な財政赤字、このような矛盾の危機的拡大の下で日本の政治府・独占が選択したのが「円高」を契機とした産業構造再編・海外資本進出、そして労働者階級をはじめとする独占資本以外の全ての階層に対する犠牲の転嫁である。今春闘の背景で進みつつある軍事費GNP比一%枠徹廃、国家防衛秘密保護法上掟策動はかかる政府・独占の選択に見合う政治路繰、政治支配体制作りに他ならない。

<雇用合理化・貸下げ・売上税と闘う釘春闘を!>
八七春闘は日本の労働運動にとって戦後の労働運動の中での一つの大きな転換点になろうとしている。独占資本による産業構造再編を伴うこれまでにない深刻な雇用合理化、賃下げ攻撃によって、これまでの日本型労資関係の中で意識形成されてきた年功序列賃金、終身雇用、企業内労働組合の枠そのものが突きくずされようとしている。今春の日経連労問研報告が「近年のわが国の労働・雇用環境に生じつつある変化」への対応の必要性に言及して最後にまとめているのは、独占資本にとっても今日の変化に対応した新しい労資関係の確立し、これまで同様独占利潤には手をつけさせずにおく関係を維持する必要にせまられていることを示すものである。一方、労働者階級の側においては、今秋の全民労連結成へと動きつつあり、これを労資協調路線の方向に進めつつある指導部の意図や、逆に、この結成の動きに対して政治的線引きを行ない、孤立して「階級的」労働運動を「守ろう」とするよう窒息図が存在している。しかし、これらの意図とは独自にこの進みつつある労働者の統一を、敗北し続け、組織率三割を切った日本の労働者階級と資本との力関係を克服せんとする労働者の意識と団結に依拠して、産別統一闘争、産別統一組織へと拡大する条件は拡大している。その条件と闘いの課題は資本の側が自ら与えてきており、労働者階級の今春闘の闘いは進みつつある労働者の統一の方向と内容に極めて大きな影響を与えずにはおかない。その意味で87春闘の持つ歴史的意味は重大である。
「政治春闘」の色合いが売上税阻止の闘いの拡大や統一地方選をひかえて益々濃くなりつつあるが、このような状況の下で「(売上税反対は)銭を取る手投に使うのではない・・・売上税阻止闘争をやるならば最後まで納得する闘いをやる春闘に」(私鉄総連)という総評臨時大会での主張を確認しておくことは重要である。進行しつつある雇用合理化、賃下げ、労基法改悪と大衆的に闘う中で、売上税阻止の闘いと結合し、その広範な闘いの高揚、反独占統一闘争の前進によって、日本の政治と経済の転換へ進まねばならない。

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青年の旗 1987年2月1日 第120号

青年の旗 1987年2月1日 第120号
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【主張】 税制改悪粉砕・中曽根退陣へ!

<異例の幕明け>
 一月二六日、第百八通常国会が再開されたが、その幕明けは異例なものであった。昨年七月の衆参同時選挙で大勝し、三〇五議席を背景に自らが掲げる「戦後政治の総決算」路線を完成すべく、あわよくば自民党総裁の任期長期延長を狙い、首相の座に固辞する中曽根であるが、彼は今回の施政方針演説のなかで、衆参同時選挙での「大型間接税は導入しない」という公約を破棄した売上税の導入・マル優廃止を中心とする税制の抜本的改革、そしてかっての四次防に至る中期防衛計画という総額明示方式に対する厳しい反省に立って設定され、一九六〇年以来、自民党政府が一貫して公約してきた防衛費の対GNP比1%枠の突破という戦後政治を画するような重大な課題に対して、ほとんど何らといっていいほど説明を行わなかったのである。このため野党は一致して首相の「補充演説」がなければ代表質問ができないとの主張を行い、当初の日程を五日間も遅れての論戦となったのである。こうした事態は、三〇五議席を背景とした中曽根の国民を愚ろうした力の政治姿勢を示すとともに、政府・自民党の予想を上回る売上税反対の世論の高まりを前にして、何とか焦点をずらし、論議を避けようという姿勢のあらわれでもある。

<売上税の重罪>
 ここで、改めて「売上税」の問題点を整理しておこう。売上税は、四三の例外品目を除きあらゆる物とサービスの取引に、製造、卸・小売の各段階でかかる間接税で、最終的には消費者がまとめて負担する仕組みとなっている。大蔵省の試算でも純増収分だけでも二兆九千億円、物品税や電気・ガス税など八つの既存の間接税を吸収すると五兆八千億円の規模にふくれあがる、まさに典型的な「大型間接税」なのである。
 売上税の導入によって、まずもたらされるのは物価の上昇である。大蔵省の試算では五%の税率の売上税が導入された場合の物価上昇率は一・八%となっているが、便乗値上げや端数切上げによる値上げ、公共料金上昇などに伴う人件費増、流通業者の事務費負担増などを考えると、一・八%を大きく上回ることは間違いない。また、売上税導入による物価値上げは、急激な円高による不況の進行のなかで、さらに消費者の消費意欲に水を差すとともにその一方で、輸出並びに海外投資の促進を伴い、国内においては、不況が一層進行し、国際的にはアメリカを中心として貿易摩擦問題がますます深刻化するであろう。
 第二に、今回の所得税・住民税の改悪案と同じように、低所得者ほど負担が重いという逆進性が強く、税制の原則の一つである累進制に基づく(垂直的)公平性の確保から大きく後退するものである。なぜならば売上税は、生活必需品にも原則として課税されるので収入に占める消費支出の割合が相対的に大きい所得の低い世帯ほど税負担の割合が大きくなるからである。
 第三に、中小企業・小売りは税の自己負担と事務負担の増加で、経営そのものが脅やかされ、売上税倒産ともいうべき事態を通じて流通の合理化が進むことが予想される。年間一億円以下の事業所は免税としているが、こうした事業所は、現行の流通機構のなかからはじきとばされてしまうであろう。
 第四に、今回の売上税導入は、「防衛費」の対GNP比一%枠突破と政府が再提案を狙っている国家秘密法と加えて「軍拡路線をひっぱる三頭立ての馬車」(社会党土井委員長)であることは明らかであり、歯止めなき軍事費増大へと連続するであろう。売上税は、いったん導入されれば、税率が一%アップで一兆一千六百億円もの増収となり、政府にとっては国民に直接的な痛みを感じさせないで容易に増税できる税制なのだ。こうしたことは当初の導入の際にくらべて軒並税率が大幅に上がっているEC諸国の例を引き出すまでもない。

<売上税粉砕の一大国民運動を>
 こうした公約違反の大型間接税である売上税の具体的内容が明らかになるにつれて売上げ反対の声は高まり、一大国民運動へと発展しようとしている。すでに二十日、社会、公明、民社、社民連の四野党で結成された「売上税等粉砕闘争協議会」の初会合が開催され四党は、売上税などの粉砕をめざし、院内にとどまらず院外においても結束して運動を展開していくことを確認し、そのためにも百貨店協会、売上税反対中央連絡会議をはじめ各業界、消費団体に呼びかけ連携を密にし、幅広い国民運動を展開することを決めている。
 また、四野党と全民労協を含めた労働五団体は「中曽根政権の退陣を含む全面的な政治対決も辞さない」とする共同闘争宣言を発表し、二月一日には、「税制改悪、売上税粉砕二・一中央集会」を一万人規模で開催することを決定している。総評も「不公平な税制をただし、大型間接税の導入をとりやめ、所得税の大幅減税を求める」一千万名著名運動を独自で展開するほか統一自治体選の立候補者に対して売上税反対を誓約させる運動を展開することを決めている。
 中曽根の国民収奪・軍拡路線を許さず、国民諸階層の広範な結集を克ちとり、統一地方選勝利から中曽根を退陣においこもう。

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青年の旗 1987年1月1日 第119号

青年の旗 1987年1月1日 第119号
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【主張】 1987年を労働青年同盟の正式結成・全国化の年に!

全国の同盟員、「青年の旗」読者、ともに闘ってきた諸グループ、支持・協力者の皆さん!
労青(準)東京都委員会、大阪府委員会、愛知グループは、一九八五年一一月の労青(準)結成一〇周年アッピールを契機に、八七年末までの労働青年同盟の結成に向けて、具体的に着手することを決定しました。
労青(準)は、これまで東京、大阪、愛知を中心として職場・地域から労働運動平和運動、民主主義諸闘争を大衆的に発展させるため、積極的に闘ってきました。今後さらに、これらの闘いを統一、発展させるため、大衆的・民主的に闘っている諸グループ、青年労働者の皆さんに対して労青の正式結成に向けた取り組みに、ともに参加されることを広く呼びかけます。
労青(準)が結成された一一年前は、ベトナム解放闘争が勝利し、帝国主義の戦争政策の破綻と全世界の社会主義勢力・平和勢力が大きく前進した時でした。また七三年七四年のオイルショックを契機に独占の危機は一層深まり、これらを打開するため、労働者階級に犠牲を転嫁する総需要抑制政策に大きく転換する時でもありました。
そして今日、平和をめぐる情勢は、米ソ首脳会談に見られるように核兵器全廃の課題が目前のものとなってきており、これに抵抗するレーガン・中曽根政権は一層、追い詰められてきています。こうした中で日本帝国主義・独占資本の政策は、より露骨に一握りの独占資本以外のすべての勤労諸階層、反独占諸階層に犠牲転嫁と、その生活と権利の破壊をもたらそうとする極めて反動的なものとなっています。とくに円高・ドル安の下で、新たな大量首切り・賃金切り下げ・合理化政策がさらに推し進められようとしています。そして、こうした政府・独占の政策に対する労働者階級の不満・矛盾が増大する中で国労攻撃に代表されるように、これに反対する労働運動・民主勢力に対する攻撃も一層、強まっており、この不満と怒りを、独占資本とその擁護老達に集中し、反独占統一の大衆闘争へと発展させることこそが、今、求められています。
とくに、この間の「売上げ税」導入策動・「老人保健法」改悪などで明らかなように、政府・独占の攻撃の前に労働者階級、中小業者、農漁民、学生をはじめすべての勤労諸階層の利益は、益々一致し闘いの課題と矛先は一層鮮明になりつつあります。
それだけに、こうした「首切り」「賃金引き下げ」「大増税」反対という具体的な課題に基く広範でかつ統一された大衆闘争を職場・地域から構築していくことが、今日ほど重要になっている時はありません。
そのために反独占勢力の統一を力強く推進する共同闘争、統一戦線、組織統一は大胆に進めなければなりませんし、その推進力は情熱的な青年労働者の力にかかっています。ここに私達が労青の正式結成・全国化を闘いとろうと決意したのは、まさに、この平和と反独占の統一闘争の一翼を担うべき民主的・大衆的青年同盟の建設が緊急かつ重要な課題であるからに他なりません。それだけに労青の正式結成に向けた闘いは、一層、職場・地域から大衆的な統一闘争を推進すると同時に、より一層広範な全国の青年労働者と共に勝ち取られるべきものと考えます。

すべての同盟員の皆さん!「青年の旗」読者の皆さん!支持・協力者の皆さん!そして何よりも全国の青年労働者の皆さん!共に闘い、この偉大な歴史的任務を共に担おうではありませんか!

一九八七年一月一日

労働青年同盟(仮称)
結成準備会
東京都委員会
大阪府委員会
愛知グループ

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新時代 第250号

新時代 第250号 1987年1月1

核戦争阻止・中曽根内閣打倒
民主主義学生同盟中央委員会年頭アピール

(1面 → 1・2面 3面 → 3・4面)

1面  ←PDFは、こちらから 臨教審路線と対決しよう
2面 部落解放基本法制定 大学人のつどい開催 〇近大人権教育シンポ成功〇闘春
3面 今こそ核実験全面停止を
4面 核実験に対するソ連政府声明
〇新年ともに闘おう
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青年の旗 1986年12月1日 第118号

青年の旗 1986年12月1日 第118号
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【主張】 大増税・収奪強化策動を阻止しよう

十月二十八日の政府税調の答申を受け、税制改革は党税調の審議に舞台を移した。当初、十一月二十八日に党税調案を一本化する予定であったが、反発が相次ぎ、取りまとめ案の提示さえ行うことができなかった。
さて税制改革の大まかな骨格についてだが、それは税率五%の日本型付加価値税導入(一世帯あたり十六万円の負担増)、マル優廃止後一律二〇%課税の増税を行うとし、この増税を財源に、四兆五千億円(三千億の相続税の減税は見送られるもよう)の減税を実施するというものである。
「減税のための財源としての新型間接税」、「増減税同額だから良い」ということが強調されている。しかし、増税は、逆累進課税の強い間接税を一層強化するものである。減税も、所得税の最高税率を引き下げ、累進性を緩和するものであり、また、法人税の実効税率を引き下げるという内容でもある。そして、事業所得や資産所得に組み込まれている現行の数多くの特別措置・累進緩和措置には何ら手がふれられていない。結局、今回の税制の抜本的改革の狙いは、大企業と大資産家の減税の財源を低所得者等国民大衆から収奪することにあると言えよう。
シャープ勧告以降、わが国の財政制度は、不十分ながらも、資本主義が不可避的に生み出す所得格差を、課税という形での強制的収奪を基礎に、財政を通じた第二次分配によって穴埋めし、所得分配の是正を図るというところに、その立脚点を置いてきた。それ故に課税は累進制をとり、直接税中心主義が採用されてきた。しかしながら、大企業と大資産家に対して、様々な累進緩和措置・特別措置を行うことによって、租税民主主義の内容を骨抜きにしてきたのが、これまでの歴史である。ところが、今回の税制改革は、従来の税体系の枠内での手直しではなく、租税民主主義を真向から否定した、非民主主義的税体系の移行を指向しているのである。
以上指摘してきた狙いをオブラートに包みこむための、そして、七九年に一般消費税導入を掲げて挫折した大平内閣の二の舞をくり返さないための戦略を、中曽根首相は打ち出しているが、様々な抵抗、反対がまきおこっている。
日本型付加価値税については、食料品、教育・社会保険診察・輸出・金融取引等の非課税品目や課税対象となる事業所の年間売上高(免税点)を設定し、限定性をもたすことによって、「国民各層に投網をかけるような大型間接税は導入しない」という公約に違反するという批判をかわそうとしている。
しかしながら、非課税といっても、例えば食料をとってみると、食料生産段階、加工段階、流通段階での肥料・機械・運輸・倉庫管理等の税額上昇分の価格への転嫁は避けられず、日本の複雑多投階な流通機構は一層大幅な価格上昇をもたらす。また、一切の税額を価格に転嫁できるといっても、過当競争にある中小企業は、容易に価格引き上げを行いえず、つまり身銭を切らぎるをえないため、零細企業での納税期の資金繰りや事務量の増加は、彼等の負担を一層強めざるをえない。これらの攻撃に対し、全国四〇〇万店の小売店が結集している全国中小小売商連盟等が中心となって大型間接税反対、マル優廃止反対の大集会を開き、抗議の姿勢を示している。
マル優廃止については、根強い反対運動を行っている郵政省に対して、郵貯の預入限度額の引き上げ、国債の窓口販売、郵貯の一部自主運用等の見返り措置を用意し、態度の軟化を図ろうとしている。しかしながら、自民党内の郵政懇でさえも、郵貯利子非課税の立場を堅持している。また、十一月十三日段階で全国市町村の九八・八%が、マル優非課税存続を求める議会決議を行っているなど、広範な根強い反対運動が存在している。
最後に、福祉目的税として日本型付加価値税を導入するという動きについてだが、そもそも新型間接税導入が前提になっていることからも明らかなように、新型間接税導入のために、野党の共感を得るという、ただそれだけのために、福祉が取り引きされている。臨調行革攻撃の下、勤労大衆の福祉の要求には深刻なものがある。しかしながら、そこから福祉にあてるためには、新型間接税導入もやむなしというのは、勤労大衆の立場に立った主張ではない。なぜなら、現行の税体系の下での、大法人・大資産家の優遇措置の是正には何ら手をふれずに、しかむ、逆進課税の性格の強い間接税を財源として、福祉にあてるというものだからである。
勤労大衆の福祉の要求には、深刻なものがある。減税の要求もそうである。政府・独占が、そのための財源として、大型間接税導入・マル優廃止を国民に訴えている現状を踏えるならば、我々は、我々の立場から財源を積極的に展開していかなければならない。
社会党・公明党・民社党も独自の財源論を展開している。それは、グリーンカード(少額貯蓄利用者カード)の導入、キャピタルゲイン課税の強化、富裕税の創設などを、減税の財源とするものである。我々はそれに加え、金融資本が最大の不労所得を得ている。国債の金利払いの凍結もしくは国債の金利の引き下げ、また赤字国債大量発行をも、減税の財源とすべきことを要求しなければならない。また「六五年赤字公債依存体質脱却」の公約実現が絶望視される中、自民党内部においても、建設国債増発により緊縮財政から積極財政への転碑を求める突き上げも激しくなっている。
しかしながら、自民税調は一二月五日マル優廃止、日本型付加価値税の導入を骨子とする改革案をまとめ、中曽根も「公約で増税しないといっているので、税調の改革案が公約違反になるはずがない」との人をぐろうする詭弁を弄し承認した。
我々は大型間接税導入阻止・マル優廃止反対を統一スローガンとし、内需拡大、積極経済への転換をめざす広範な大衆運動を構築していかなければならない。

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青年の旗 1986年11月1日 第117号

青年の旗 1986年11月1日 第117号
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【主張】 ソ米首脳会談レーガンのSDl固守糾弾!
                                                  SDI阻止から核兵器廃絶へ前進しよう!

十月十一日、十二日とアイスランドの首都レイキャビクで行われたソ米首脳会談は、″原則的な合意″から一転して″決裂″へ、次回の会談の日取りさえ決められないという″劇的″な結果からだけでなく、何十年にも及ぶ軍縮交渉史上、忘れることができない数少ない一つとなるであろう。
それは、この会談において、核軍縮の目的とその可能な合意の枠の設定という点でより高い段階にはいったということ、つまり、核兵器全廃という偉大にしてかつ困難な事業が現実的で可能であることを全世界の平和を希求する人々がはっきりと確信することができたからであり、そして、誰がこの平和と社会進歩の推進者であり、誰がそれを妨害しているのかを改めてはっきりとさせたからである。
過去の歴史的事象がそうであるように、時の経過が人々に改めてその歴史的事象の歴史的価値を認識させる。今何の会談は、その経過と結果が″劇的″であったからなおさらである。現在、この会談の両当事者であるソ米の首脳は、自国民はもとより全世界に対して会談の内容を明らかにしようとしている。

<画期的なソ連の軍縮提案>
一方の当事者であるゴルバチョフ・ソ連共産党書記長は、一四日、二二目と二回にわたり、テレビを通じて今回の回談の概要を説明する演説を行った。それによるとソ連が今会談で行った提案は、一月一五日にソ連が打ち出した西暦二〇〇〇年までの核兵器廃絶提案に立脚したもので、第一に、例外なしにすべての戦略兵器を五〇%削減する。第二に、ヨーロッパにあるソ米の中距離ミサイルを全廃し、速やかにアジアにある同型のミサイルに関する交渉に入る。また、ソ連がその凍結を直ちに提案した射程距離一〇〇〇キロ以内のミサイルに関する交渉を始める。第三に、弾道弾防衛システム)(ABM)制限条約の制約を強化して核実験の完全禁止に関する大幅交渉を始める。具体的には、少くとも十年間条約破棄の権利を行使しない双務的義務を負い、その間に戦略兵器を廃絶するというものである。
そして合意の達成を容易にするため、ソ連は、第一の点において、ソ連領に到達できるアメリカの中距離ミサイルとアメリカの前進配備兵器を戦略バランスに含めることについて従来の要求を取り下げ、第二の点についてもイギリスとフランスの核ミサイルは計算に入れなくてもよいと譲歩してきたのである。まさにこれは「レーガン大統領が戦略防衛構想(SDI)を放棄するのを拒否できないような代価を大統領に払うという申し入れ」(ワシントン・ポスト)なのであった。

<「潜在的合意」とSDIへの固執>
こうしたソ連の提案と譲歩を基にして重要なことは米ソ首脳の問で、ソ米の戦略攻撃兵器は一九九六年までに全廃できるし、そうしなければならない、欧州にあるソ米の中距離ミサイルの完全廃絶及びアジアにあるこのクラスのミサイルの抜本的削減についての合意に達したということである。そして、さらに重要な点はこうした原則的合意にかかわらず、第三点目の今後十年間のABM制限条約の尊重という「十年」をめぐって、ソ連の「核ミサイルの廃絶に向けた期間、つまりSDIも必要でなくなる期間」という理解に対し、アメリカが「十年経過すればSDIを配備することができる」という、つまり、ソ連に攻撃核兵器システムの大幅削減を要求しながら、自らの戦略防衛システムの開発についてはフリーハンドを獲得しようとしたこと、SDIに固執したことが、先の原則的合意を「幻の潜在的合意」と化し、「核廃絶」という全人類的な希望の実現を遠ぎけてしまったのである。

<高まる米国内でのSDI反対の声>
十三日付のアメリカの有力紙ワシントン・ポストは「レーガン大統領の支持者の多くは、大統領は合意を熱望しているのではないかと思って見ていたのにも拘らず、大統領はそれを受け入れなかった。彼は核ミサイルを防ぐ効果的な楯を探求するという当初の目的にあくまで固執している……レーガン大統領は手ぶらで帰国した、まさにその理由を説明しなければならなくなったのである。」と論評し「SDIは核防衛兵器である」という従来の説明では納得できないということを米国民の良識は訴えているのである。
一四日行われたレーガンの演説は、従来の主張をくり返し、SDIの堅持を強調、さらにこともあろうに会談のわずか四日後の一六日にまたもや核実験を行うといった挑発行為にでたのである。これに対し、二二日には、SDI反対の米科学者グループ三団体がSDI反対の新たな行動計画を発表、二〇日にはワシントンなど全米各地でSDI反対の大衆的デモが展開されるなど米国内部においてもレーガンとその陣営が依存する産軍複合体に抗議する声は日増しに高まっており共和党内部においても様々な意見が出されてきており、経済政策の失敗とともに中間選挙においてもレーガンは苦しい闘いを強いられるのは必至である。

<問われる日本政府の姿勢>
こうして世界はもとより米国内部においても孤立を深めるレーガン政権にとって、唯一といってもいい支持者が中曽根である。中曽根は一四日、SDIで米支持の講演を行い、一七日には、倉成外相がSDIのために米の核実験を容認する国会答弁をするなど中曽根政権の姿勢は極めて反動的である。また、日本政府のSDI研究参加以来、日本企業の米国の産軍複合体への接近が急速に進んでいる。今こそ、中曽根の軍拡、SDI容認政策に対する闘いを強め、国際的な反SDIの闘いの一翼に合流することが何よりも問われている。

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青年の旗 1986年10月1日 第116号

青年の旗 1986年10月1日 第116号
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【主張】 核実験全面禁止!SDI阻止!ソ米首脳会談・軍縮週間の成功へ

九月九日、中曽根自民党政府は米帝国主義が対ソ核戦略の飛躍的増強を目指している総合核戦争戦略=SDIへの参加を閣議決定した。決定後発表された官房長官談話は「(SDIは)非核の防衛システムによって弾道ミサイルを無力化することにより究極的には核兵器の廃絶を目指すもの」「核兵器の大幅な削減を通じて、より安定した東西関係がもたらされ、ひいては核兵器の究極的廃絶が実現される」としてウソとギマンに満ちた参加決定の理由づけを行なった。中曽根自民党内閣は、概に参加を決定している西独・英・イスラエルに続き、米帝レーガンと共に対ソ対社会主義の核戦争戦略を積極的に担う立場に立つことを明らかにしたのである。この間議決定二日後に開会された第一〇七回臨時国会冒頭の所信表明演説で中曽根首相は「国際国家日本の実現」を訴え、そのための「応分の負担」を強調した。すなわち米帝国主義の帝国主義陣営内における政治的・経済的影響力低下の一方で、世界のGNPの一割を占めるに至った日本がそれに「応分」の役割りを担うべきとの立場を強調したのである。その「応分の役割り」とは、軍事的には「(SDI参加決定は)日米安保の効果的運用に資する」との所信表明に示されるように、安保条約に基づく軍事同盟関係を新たな質を持った対ソ核戦略体制強化・拡大へと高めあげることであり、政治的には、「日韓併合には韓国側にも責任がある」との藤尾発言を単に「(外交上)アジア近隣諸国との関係に悪影響を及ぼす」問題としてのみ処理し、日本の侵略戦争の史実をあいまいにし、更には正当化しようとすること、そして、「北方領土」問題を「不動の方針」として掲げることによって、反ファシズム統一戦線の闘いの成果そのものをくつがえそうとする反ソ、反社会主義の強化である。
SDI参加決定を糾弾し、その徹回へ闘いを拡大せねばならない。
この極東において核戦争の脅威がまた高められようとしている一方で、昨秋のソ米首脳会談以降一歩づつ動きはじめていたデタントと軍縮の動行は、九月二二日、欧州軍縮会議での最終文書採択によって大きな一歩を記した。最終文書の合意には武力不行使宣言を中心とする政治的信頼性醸成措置と軍事活動の事前通告、査察を始めとする軍事的信頼性醸成措置が含まれている。特に軍事活動の空・陸からの査察手段・現地査察について合意が成立し、事前通告の対象粋が大きく拡大したことは、帝国主義陣営が査察問題を軍縮合意を拒絶する口実として一貫して用いていたことを考えるならば大きな前進といえる。この結果はジュネーブで継続中の東西戦域核削減(INF)交渉、中部欧州兵力相互削減交渉を大きく前進させるものとなるであろう。75年の全欧安保協力会議ヘルシンキ宣言に端を発し、二年八ケ月の歳月をかけて合意された今回の最終文書は、70年代後半、そして80年代に入ってからの米帝レーガンを先頭とする核戦争挑発に堪えて、79年SALTⅡ調印以来七年ぶりに世界の平和勢力が手にした軍縮合意である。最終文書は十一月四日からウィーンで開催される第三回全欧安保再検討会議に提出され、東西軍縮の次のステップについて交渉するための基本原則とされ、87年1月1日からは「政治的拘束力を持つ」文書として発効することになる。欧州に限っていえば、東西の緊張関係が今明らかに新たな方向に転換しようとしているのである。
この新たな転換を引き起こす大きな力となっているのはソ連を先頭とする社会主義国である。一年以上に渡るソ連の一方的核実験停止、昨秋のソ米首脳会談を経て本年発表された二十一世紀までへの三段階での核兵器廃絶計画などのイニシアチブは、世界の平和勢力の闘いに展望と確信を与えている。昨年の会談の合意を踏まえてソ米首脳による首脳会談が十月十一、十二日とアイスランド・レイキャビクで開催されることが発表された。欧州で一歩づつ固められつつある緊張緩和と軍縮の動きがこの首脳会談へも反映され、核実験の停止、SDI中止へと進むようにこの首脳会談へと世界中での世論と行動を組織しなければならない。米国は九月三〇日には今年九回目、ソ連の核実験停止以来十六回目の核実験を行ない、SDIと共に睦・海・空全ゆるレベルで進めつつある核戦力近代化の一環であるBl爆撃機実戦配備開始を発表している。これらの姿勢に示されるように首脳会談で帝国主義・戦争勢力の頭目であるレーガンに核実験停止、SDI中止を合意させることは決して容易なことではない。しかし、欧州軍縮会議最終文書に示されたデタントヘの新しい動き、そして帝国主義間での経済摩擦、SDI参加での利害関係対立の激化や、レーガン自身が交渉に応ぜぎるを得ないという情況の下で、三大反帝平和勢力の闘いの有機的結合を更に強め、平和勢力と帝国主義・戦争勢力の力関係を一層平和勢力有位のものへと変えていくことは可能であるし、今回の首脳会談をそのための一つのステップとして世論と行動を組織せねばならない。
そして、ソ米首脳会談直後に全世界で展開される国連軍縮週間の闘いは、会談の結果を踏まえて核実験停止、SDI中止へと闘いの隊列を拡大するものでなければならない。特に、日本における闘いは、欧州とは逆に緊張を激化させる役割を積極的に中曽根自民党内閣がはたしている情況を準え、これを阻止することが極めて重要になっている。国際平和年ということもあり、非核自治体宣言をあげた多くの自治体での取り組みが企画されるなど、九回目を迎えた国連軍縮週間の行動は極めて多様な形態と大量の規模で取り組まれようとしているが、これらが軍事大国化の動きに歯止めをかけ、世界の平和勢力の闘いに連帯して核戦争を防止する闘いへと拡大・発展することは重要である。

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青年の旗 1986年9月1日 第115号

青年の旗 1986年9月1日 第115号
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【主張】核実験全面停止、SDI阻止、防衛費1%枠突破阻止で軍縮週間へ向け闘おう!

86年の防衛白書が八月八日に閣議で了承された。本年の白書の特徴は、①防衛計画の大綱に対する評価の変化、②日米軍事協力に対する積極的評価の二点にある。白書は防衛計画の大綱によって達成せんとする「防衛」力が示されている別表の「内容の変更することは可能であり」、これを変更しても「大綱の基本的考え方を見直したことにはならない」との立場を示した。既に中曽根政権誕生後一貫して「大綱の見直し」が自民党の側から主張されていたことを考えれば、大綱そのものは変更させないようによそおいつつ、軍事力を規定した「別表」の変更によって大綱そのものを変更せんとすることは充分予想され得ることである。しかし、事態の重大さはそれのみにとどまらない。防衛計画の大綱は76年三木内閣の下で採択された。それは「特定の差し迫った侵略の脅威に対抗するというよりも全体として均衡のとれた隙のないものであることが必要である」(76年度防衛白書)という「基盤的防衛力構想」の下に、「平時において十分な警戒体制を取り得ると供に、限定的かつ小規模な侵略までの事態に有効に対処し得るものを目標」としていた。この防衛計画大綱の採択一週問後に閣議決定されたのが「防衛費の村GNP一%枠」である。76年に確立されたこれらの防衛政策–「基盤的防衛力整備構想」「防衛政策大綱」「GNP一%枠」–は政府・自民党によって「平和時の防衛力」と命名されはしたが、軍縮への方向を指向したものではなかった為、この十年間の軍拡、憲法違反の自衛隊の拡大、日米安保体制の拡大・強化をなしくずし的に許したことは事実である。しかし、一方においては、これらの防衛政策が、世界の平和勢力と共にベトナム反戦を闘い、70~71年の中曽根防衛庁長官によって策定された「第四次防衛力整備五ケ年計画」という大軍拡政策に反対した日本の平和運動を背景として確立されたものであり、当時の政府・自民党とこれを支える独占資本が「経済重視・軽武装路線、軍事費はそのための掛け捨て保険」ともいうべき路線を選択していた結果の防衛政策であったと言うことができる。
防衛計画の大網策定当時の代年に確立された政府・自民党の防衛政策は「ソ連脅威」が急速に強調され始め、防衛白書にも大きく記述されるようになった80年頃から変更されてきていた。そして「別表」の変更によって実質的に大綱の変更に踏み込むことが本年の白書で宣言されたことによってその変更は決定的となった。本年の防衛白書発表と相前後して、「防衛費枠は一%程度に見直すべき」との主張が栗原防衛庁長官、伊東政調会長など自民党の側から行われているが、こうした点にも政府・自民党そして独占資本がその防衛政策を質的に変更させんとしていることが示されている。
その変更における政治的・軍事的表現が日米軍事協力の拡大である。白書は日米防衛協力について莫大な分量で詳述し、「今後とも、日米共同訓練を積極的に実施していく方針」を明らかにしている。そして、今日の「日米防衛協力」がいかなる政治的・軍事的意味を持つかを国内外に認識させようとしたのが八月二四日のトマホーク積載艦船ニュージャージー佐世保入港である。極東ソ連軍の拠点ウラジオストック、チタを直接攻撃できる中距離巡航核ミサイルの発射戦艦が日本に寄港したという事実は、日本が英国や西独のバーソングⅡ発射基地と同様の対ソ核攻撃基地としての役割を名実ともに担う立場になったということである。
本年の防衛白書そして、GNP一%問題に見られる政府自民党、独占資本の防衛政策の変更、いわば「経済重視・軽武装」路線からの転換と、帝国主義陣営の対ソ接戦略への積極的な参加は、今日の資本主義世界体制が直面する深刻な危機と、その中での米帝国主義の力の相対的低下、一方での日本の持つ政治的経済的影響力の増大という情勢の下での必然的帰結と言えるであろう。
防衛白書に示されたこのような路線の下で政府・自民党は今秋にもSDIへの参加、GNP一%突破の既成事実作りを狙おうとしており、日本の平和運動に課せられた任務は重大である。特にむかえる十月二四日からの国連軍縮週間においては、ソ連の本年末までの核実験停止措置を背景に米帝レーガンに対し、核実験停止・SDI中止を迫る世界中の反核・軍縮・平和の闘いに連帯し、核戦争防止の闘いを担うと供に、中曽根自民党内閣の軍拡救策を阻止する広範な統一闘争を展開することが要請されている。
被爆41周年にあたる本年の平和・原水禁運動に示された特徴は、米帝レーガンのSDI推進を象徴とした未曽有の核軍拡の下で核戦争の危機が益々深刻なものとして受け取められ、非核自治体運動、核兵器廃絶運動連帯など反樟・平和の行動の裾野が拡大しているということであり、その一方で、日本共産党の方針上の誤りとセクト主義によって原水協・日本平和委員会が原水禁世界大会の分裂を引き起こし、原水禁国民会議は核軍縮という闘いの内容を益々薄めているということであった。核兵器廃絶のみを主張し、そこへ至る具体的道筋も、連帯する勢力も示し得ず、一方においては核軍縮の聞いの内容が骨抜き化されていこうとしている下で、広範に存在する反核・平和の意志を核軍縮と日本の軍事大国化阻止の方向へ導いていく為の共同行動・統一行動の構築が急がれねばならない。

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青年の旗 1986年8月1日 第114号

青年の旗 1986年8月1日 第114号
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【主張】 大衆闘争の前進と統一こそが反撃の要
                                                                      –衆参同時選挙の結果と教訓–

<自民党の大勝>
中曽根の掲げる「戦後政治の総決算」か「中曽根政治の総決算」かを争点とした衆参同時選挙は自民党が衆院選で前回(八三年一二月)より四五議席を増やし保守系無所属も含めると三〇六議席と史上最高の議席数を獲得した。一方、野党は社会党が前回より二七議席も減らし、百議席を大きく下回る八七議席、公明、共産両党はほぼ横パイ、民社党も議席数を大きく減らし、三九議席から二六議席となった。これにより自民党は絶対過半数を大きく上回り国会情勢は与野党伯仲から再び自民党の絶対安定多数となり、中曽根の任期延長あるいは自民党総裁三選の線も浮上してくるのは必至であり、労働運動をはじめとしたわが国の民主運動にとっては、今以上に厳しい時代を迎えることとなった。

<「自民大勝」の実態>
だが、こうした自民党の大勝も自民党の政策に対する国民の支持を表わしたものではない。大勝した衆院選でも絶対得票率は三五%で、三分の一強の支持でしかなく、都市部では二~三割台政党であることは変わりないのである。参院選比例区では自民党は得票率三八・六%(前回三五・三%)にとどまっており、社会党も二〇〇万を上回る票を上積みしており、前回の一六・三%から一七・二%へと上昇しているのである。衆院選で自民党は三九〇万票を増やしたが、その内訳は野党の既存票から百万票、投票率上昇分二九〇万票となっており、また、自民党の衆院選と参院比例区選での得票率の差(約六百票)に見られるように地域の利益誘導をテコとした前回の選挙棄権者に対する組織化という点が自民党が野党に大勝する要因となったのである。

<「自民大勝」をもたらしたもの>
しかし、こうした事態は、一方で、政治的経済的に重大な岐路に立たされ、たとえ「ウソつき」と言われても、無理をしてでも同日選で起死回生を狙わぎるを得なかった危機意識に支えられた策略であり、参院選だけでは自民党が闘えなかったというのが真相である。
それゆえにこそ、政府・自民党は、都合の悪い救治的経済的に重大な選択・争点(円高対策、内需拡大策、福祉削減、増税、スパイ防止法、軍事費一%枠、SDI参加、靖国法案、憲法改悪等々)をすべて回避し(一切の公開論争の拒絶)、逆に自らを拘束し、危機に追い込まれかねない公約(「大型間接税は導入しない」「マル優は残す」、大型補正予算)をまであえて断言して選挙戦を乗り切ったのである。
また、野党が対置すべき積極的な政策転換の政策をもちえていない中で、自民党ニューリーダーは「二一世紀までに社会資本を充実させる政策」(宮沢)、「ハイテク中心の第三次産業革命の必要性」(安倍)を売り込み、党首並みの扱いの中で、野党を政策論争の対象外にさせ、派閥の競い合いの中であらゆる保守層、権力機構、資本を動員し、相乗効果を高めさせたのである。

<野党の敗北をもたらしたもの>
これに対して野党側は、反自民・反中曽根の連合政権構想、政策協定がまったく追求されず、小手先の単なる議席維持のためだけの選挙協定が先行しただけであった。その中で、社会党は、選挙最終局面で「ゆるやかな連合」政権構想を 平和・軍縮、積極経済政策への転換、戦後民主政治の継承を中心に提起したが、時期すでに遅く、具体政策に欠け、公・民の自民すり寄り構想の前にただ提起されただけであった。また、共産党は、自民にもまして野党攻撃に没頭し、生かされるべきその中曽根対決路線がセクト主義の合理化のみに使われ、広範な統d戦線戦略をまったく提起しえなかったのである。
特に、経済政策について共産党の民主的効率的行政改革論にみられる行革攻撃への屈服からいまだに全野党が脱却できておらず、公・民両党は行革路線に引きずり込まれたままであり、積極的拡大経済政策が自民党からしか出されていないのが現状である。このことは、独占資本の論理である行革・民営化攻撃と対決することを避けさせ、本来革新勢力が獲得すべき中小企業、零細企業、商工業者を逆に保守の側に追いやることとなっており、これが都市における自民党の復調の要因となっている。その意味では「生活保守主義」が勝利したり、「生活の豊かさ」・中流意識に基づく「安定」の路線が勝利したのではなく、円高不況の一層の深刻化のなかで保守の側の積極政策が、革新の側の活力のない保守的政策を上回ったのである。
しかし、「自民大勝」後の経済情勢は予想をはるかに越え、質的に悪化している。円は一五〇円台に再突入、史上最高値を連続更新し、内外の公約四%成長はもはや達成不可能となり、貿易黒字も縮小するどころか拡大し、放置できない情勢となっている。緊縮路線はもはや維持することができず、路線転換が求められているが、大型間接税導入、三兆円補正予算等を巡って、矛盾と対立がますます激化しており、今こそ大衆闘争の前進と統一が求められている。

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青年の旗 1986年7月1日 第113号

青年の旗 1986年7月1日 第113号
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【主張】 SDI阻止!核実験全面禁止!を掲げ
                                                           被爆41周年の闘いに合流しよう!

<ソ連の軍縮攻勢>
ソ連はジュネーブでの包括的軍縮交渉第五ラウンドに以下の様な新たな提案を示した。
① ソ米両国がABM条約から少なくとも一五年は離脱しない。これを条件にSDIの作業を研究室の研究レベルに制眼する。
② 戦略攻撃軍備(ICBM、SLBM、重爆撃機)は等しいレベルで制限する。この場合、相手方の領土に到達する中距離軍備の問題は、地上発射の長距離巡航ミサイルの問題点をも含めて、別個解決する。
この間、交渉が欧州各国のソ連領土に到達する核兵器とSDIをめぐり合意に至っていなかった。その間にレーガンはSDIの研究参加に英国、西独などの合意を取り付けたのをはじめ、最近では大気圏でのミサイル迎撃実験に成功するなど、SDlで着実に既成事実を積み重ねている。
このソ連の大巾な譲歩はレーガンの軍拡に足かせをはかせる為の緊急かつ現実的な条件を示したものといえる。何としても軍事的な緊張の激化に歯止めをかけたいというソ連の意欲の表われである。この間ソ連は二千年までの三投階核全廃をゴルバチョフ書記長が提案したのを皮切りに、首脳会談の開催と「軍縮実現」の合意をレーガンとの間で取り付け、停止されていた包括的軍縮交渉、中欧兵力削減交渉等々の再開を実現させた。ワルシャワ条約諸国首脳会談では通常兵力の百万人削減計画提案を行なった。
そして、何よりもソ連は核実験の停止を実行している。昨年の八月六日-アメリカ帝国主義が史上初めて核兵器を使用した-から停止をはじめ延長に延長を重ね、期眼を今年の八月六日に再度設定した。核実験全面禁止は国連の場での帝国主義国以外の一貫した要求であり、今年二月には非同盟六カ国首脳からの「ソ米両国への次の首脳会談までの核実験の停止要求」も出されている。ソ連の核実験停止延長はこの非同盟諸国の提案に答えてのものである。

<被爆四十一周年の闘いへ>
今年の八月六日は例年以上に重要な局面を迎えている。昨年の八月六日がソ連の一方的な核実験停止声明で迎えた以上のものである。反帝勢力は全面的核実験停止に句け、着実な闘いを展開してきた。ソ連をはじめとした社会主義諸国・ワルシャワ条約諸国は、核実験の停止の実例と様々な軍縮提案を指し示してきた民族解放勢力の闘いも、非同盟諸国政府の提案に見られる様に結実している。今、残されているのは、統一した国際労働者階級の闘いである。未だに核実験を続け国際的に孤立するアメリカレーガンを先頭とする帝国主義者の手足をしばる闘いを自国内で展開することが求められている。ソ連が停止の期眼としている八月六日までに何としてもレーガンを包囲する闘いで、核実験の全面禁止に結びつけなければならないのである。
かかる中、被爆四十一周年の原水禁運動が全面核実験の停止に向けて重要な闘いとなっている。しかし、残念ながら、今年は78年以来続いた、禁・協の統一した世界大会の開催が困難な状況に陥っている。その一方で様々な団体が八・六-九を焦点とした取り組みを進めている。
五月に結成された「核兵器廃絶運動連帯」は六月一一日の第二回賛同者会議の発表では、新たな賛同者として一五九団体個人を加え、団体三〇、自治体九五、個人四一四に呼びかけ人三四人を加え、総計五七三に及んでいる。そして、八月の行動として、東京での国際′フォーラム・国民大会の開催を決めている。又、昨年から進められている「草の根市民のつどい86」も取り組まれる。
これらに代表される取り組みは「これまでの」原水禁運動に対するアンチとしての「巾広」統一を目ぎしている為、当面の緊急な課題に対する闘いを困難にしている。核兵器廃絶は一致する。ではその為に今何が必要なのかという課題の選択が求められている。
又、広島のYMCA国際平和研究所ではレーガンに対する核実験停止を求める電報運動を進めている。又日本考古学協会では「原爆ドーム特別史跡指定の請願」運動を進める等、課題の実現に向けた現実的な運動を始めている。
これら、八月六日・九日を焦点とした取り組みが様々な団体で行なわれていることは現実の核軍拡に対する危機感の表われであるし、様々な団体が様々な取り組みで八月六日を迎える事は続けなければならない。しかし、この様な運動の集約の場であり、年間の統一方針確立の場である「世界大会」が開かれない状況は平和原水禁運動に対する決定的な損失であり、日本の反独占闘争の現状を如実に表わしている。
かかる中、我々に求められている事は、全ゆる職場地域で八月六日・九日を焦点とした恒常的取り組みととりわけ今年は核実験の全面禁止を求める声を全ゆる場から築きあげ、広島・長崎へ合流しよう。

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青年の旗 1986年6月1日 第112号

青年の旗 1986年6月1日 第112号
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【主張】 核実験全面停止の実現にむけ
                                                           –ソ米首脳会談の即時開催を–

米レーガンは五月二十七日、戦略攻撃軍備に関するソ米間の法的合意文書-一九七二年の暫定協定と一九七九年のSALTⅡ条約の今後の順守を米国が事実上拒否する旨を声明した。
SALT条約の議会への批准を一貫してサボタージュしてきたレーガンではあるが、調印以来条約そのものはまがりなりにも守って来た。「新たな軍拡により核弾頭が増加するから枠を突破する」という。条約の本末を転倒させた論理は断じて許すわけにはいかない。これまでのSALTⅡの枠内の軍拡から大きく歩み出そうとするレーガンの態度は明確である。自らが選択したSDIを軸とした核兵器増強計画の完全実施に踏み込んだことである。

<広がる核実験停止の闘い>
ソ連は昨年八月ハ日から一方的に停止していた核実験を一九八五年末まで延期し、同時にレーガンに対して、このモラトリアムに応じるように呼びかけてきた。更にソ連は、ゴルバチョフ・レーガン首脳会談後もモラトリアムの継続を三月一日まで再延期してきた。
又、二月二十八日、アルゼンチン、ギリシャ、インド、メキシコ、タンザニア、スウェーデンの非同盟諸国の首脳は『宇宙での軍拡を防止し、地上での軍拡を終わらせる』ことを助けるような具体的措置が今日までは何ら合意されていないことに懸念し」「両国首脳会談が軍拡競争を停止する具体的ステップについて合意する極めて重要な機会となる」よう「首脳会談までの期間、あなたがた(ソ米両国)にいかなる核実験も行わないこと」そして「包括的核実験の禁止協定の交渉を促進する」ことを求める書簡を送った。
この書簡に答え、ソ連は更に今年の八月六日までの核実験停止を延長した。一方レーガンは、非同盟諸国そしてソ連の提案に対して拒否を続け、現実に核実験を繰り返しているのである。
核実験の停止は核軍拡競争に急ブレーキをかけ、核兵器の質的改良と新型核兵器の開発を停止し、核軍備廃絶に至る実際的な道に入ることを可能にする。
米議会下院の軍備管理・軍縮特別公聴会での証言では、「米核実験の目的は九〇%までがSDI兵器の開発・研究にある。核実験では核エネルギーを使用するエックス線レーザー兵器の研究が大きな比重を占めている」(エネルギー省、オフト防衛担当次官補代理)、「SDIでは核エネルギー兵器(NDEW、エックス線レーザー等)の実用化の可能性を探ることもきわめて重要」(国防省・ギヤフニー核戦力・軍備管理担当次官補代理)と述へている。
この発言に示される様に今の核実験はSDI計画と密核に結びついている。核実験の停止に向けた闘いはまさに、レーガンのSDIに対して、足かせをはめる重要な闘いとなっている。

<ソ米首脳会談の即時開催へ>
五月十四日、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長はテレビ演説の中で「私は、我々を受け入れてくれるなら、西ヨーロッパのいかなる国の首都でも、あるいは広島でも、早急に合い、核実験の禁止についての合意を達成しょうとのレーガン大統領への提案を確認します」と呼びかけた。この間リビアヘの米レーガンの侵略により遠のいていた首脳会談がクローズアップされている。
核実験を全面的に歯止めをかけ、核軍縮へ大きく歩み出す可能性を持つソ米首脳会談の開催地の一つとして、日本、そして広島を選んだ事に対して、我々は歓迎する。そして、広島の荒木市長も広島での首脳会談を歓迎する旨の書簡を送っている。
一方、中曽根はゴルバチョフ書記長の広島での首脳会談の開催の呼びかけに関して「公式な通知を受けていない」 「広島を政治的に利用したら困る」と述べている。SDIに積極的に協力し、国内で軍拡を押し進める中曽根が如実に表われている。
今や、核実験の即時停止、宇宙への軍拡防止に難色を示しているのは、レーガンや中曽根をはじめとした帝国主義者と一部軍需独占体のみである。レーガンさえ応じればソ米の首脳会談は実現できるのである。今求められているのは、彼らを包囲する労働者階級を先頭とした闘いである。

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青年の旗 1986年5月1日 第111号

青年の旗 1986年5月1日 第111号
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【主張】 中曽根政治に終止符を!–東京サミットが示したもの–

<「臆面なくかつ冷血な国際テロリストおよびその共犯者」のサミット>
東京サミットが採択した「国際テロリズムに関する声明」ほど、今回のサミットの厚顔無恥な帝国主義の立場をさらけだしたものはない。声明の中にある「国際テロリズムを主唱し、政府の政策の具として臆面なくかつ冷血に利用」しているのは、リビアの首都トリポリの目と鼻の先で大規模な挑発的軍事演習を行い、サミットを直前に控えてあえて危険きわまりない爆撃を行ったアメリカ帝国主義およびこれに同調するサミット参加諸国以外のなにものでもない。
リビアを名指しにしたこの反テロ東京声明についてレーガン政権は手離しの喜びを表現しているのであるが、事態はそれほど単純ではない。アメリカが最も期待した対リビア経済制裁については合意をまったく得られず、レーガンの親友中曽根までもが「声明であげた措置は各政府の判断で行うとされており、われわれは独自の判断でやる。日本の中東政策は変わっていない」と記者会見で発表する始末である。
これでは何のために共同声明をまとめあげたのか、「一部協議、一部儀式、大方は儀式」 (タイム誌)とまで表現される単なる大袈裟な政治ショーとしてのサミットの実態を象徴している。

<ソ連・核軍縮提案に一切応えられず>
「政治宣言」にかんしては、空虚な言葉の羅列に終始し、内容の貧困さは目を覆いがたいものである。それにもかかわらず、何とか表面を取り繕うことができたのは、ふってわいたようなソ連・チェルノブイリ原子力発電所の事故であった。しかし、大々的な反ソ・キャンペーン、反ソ政治ショーにも眼界があった。西暦二〇〇〇年までに核兵器を地球上から全廃しょうというソ連・ゴルバチョフ書記長の核軍縮提案には何らの対案も持ち合わせていないし、反論することさえできなかったのである。
サミットの全体を通して核戦争を宇宙にまで拡大する最も危険きわまりないSDlにかんしては一言も触れることができず、核実験の全面禁止・核兵器の削減廃絶にかんしては表面的な言葉さえ登場しなかったのである。こうしたサミットからは、軍備増強論が大手をふってまかり通っても、平和と軍縮へのイニシアティブは一切出てくるものではないことを改めて示すものであった。

<中曽根の孤立>
日・米・欧帝国主義ブロックの解決しがたい矛盾と対立を際立たせたのは「経済宣言」をめぐる論議に噴出したといえよう。とりわけ中曽根の孤立は、米欧帝国主義ブロックの共同戦略でもあった。
中曽根はレーガンとの会談で「為替相場は安定が大事だ」と訴えて、頼みの綱のレーガンから協力を取りつけようという淡い期待を寄せたのであるが、「大局的にいえば、為替相場の調整、変化は対外バランスの調整に役立つのも事実である」というまったくつれない返事で、ロン・ヤス関係を生かした思惑は見事に外れたのであった。そして、ローソン・英蔵相にいたっては「日本を除くすへての主要先進工業国は円相場がさらに上昇することを期待している。もしそうならばいいとすれば驚きである」と断言したのである。

<「政策転換のコンセンサスなし」>
「経済宣言」はさらに、「国際政策協調構想」なるものに基づいて、GNP成長率、インフレ率、金利失業率、財政赤字比率、経常収支及び貿易収支、貨幣供給量の伸び、外貨準備、為替レート等の指標による「多角的経済運営監視」を行うことを確認したのである。これはそれぞれの帝国主義諸国間の先鋭化する矛盾と対立に基づいた「相互監視」であると同時に、明らかに何よりも日本に向けられた監視である。
中曽根は、わずかに「経済宣言」のなかに「有益なら市場介入」という言葉が挿入されたことをもって「成功」であったと強弁しているのであるが、ヤイター米通商代表は「中曽根首相は四月の訪米時に、内需拡大を国民的目標としたにもかかわらず、帰国するやいなやこの約束を忘れており、これは日本政府に政策転換のコンセンサスがない証拠である」と語気強く批判を展開している。
かくしてサミットは、多角的自由貿易交渉にかんする新ラウンドの開始時期の決定も出来ず、中曽根はあらめる面で思惑が外れてしまった。独占資本を代表して石原・経済同友会代表幹事は「為替問題では不満足だ。機動的な協調介入の必要性をもっと強調してほしかった」と不満を表明した。
今回のサミットは、レーガン、中曽根、サッチャーの時代が確実に終焉しつつあるにもかかわらず、政策転換のコンセンサスをつかみえない帝国主義諸国の実態、矛盾と対立をさらけだしたものといえよう。逆に言えばこうしたなかでこそ、平和と民主主義勢力に有利な力関係に逆転できる、そのような政策転換のイニシアチブをとることのできる情勢が到来してきていることを強調すべきであろう。レーガン、中曽根のような政治を許さない、支配階級の矛盾にくさびを打ち込む、裾野が広く広範で強力な統一戦線を形成するために総力を結集するヱとこそが平和・民主・進歩・労働の勢力の基本的な任務でなければならないのである。

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