【投稿】人類全体の課題一地球環境問題(下)

【投稿】人類全体の課題一地球環境問題(下)

<平成3年度「環境白書」>
政府・独占の地球環境問題に対する取り組む姿勢は、平成3年度の「環境白書」と経団連の「地球環境憲章」に表れている。
「環境にやさしい経済社会への変革に向けて」をテーマにした環境白書(4月23日に公表)は、地球環境問題を従来の環境問題と併せて解決することが求められていると指摘して、都市・地域構造から交通体系、生産構造、エネルギー、生活様式まで社会構造そのものを環境保全に適するよう変革していくべきだと強調している。
特に、排気ガス規制を強化しても窒素酸化物(NOx)の環境基準達成が難しい自動車問題に重点を置いて、①電気自動車など低公害車の普及②自転車の利用促進③貨物輸送をトラックから公害の少ない鉄道、海運に移行する-などを提唱している。又、日本の生産効率の高さを支える物流管理方式の「ジャストイン・タイム」が少量多頻度輸送につながり、交通量が増大する原因にもなっているとして見直しを求めている。
経団連が決定した11項目にわたる「地球環境憲章」は、地球温暖化や廃棄物抑制など地球環境保全に企業がどう取り組むかの指針を示し、環境問題に関する経営方針の確立、環境問題担当役員の任命、環境、に関連する社内規定の策定と最低年1回の内部チェックなどを促している。国や自治体の環境規制よりも厳しい基準を自主的に設定するほか、熱帯雨林の乱伐やリゾート地などでの乱開発の抑止を呼びかけるなど、企業経営にある程度影響を及ぼしても、場合に寄っては生態系への配慮を優先しなければならないとの判断を示している。
今後は環境間麓を抜きに企業活動は成立しないとの判断をした。

<環境問題の本質>
地球環境問題は、生産第一主義的傾向が人類の生存のためには変わらざる得ない条件が発生してきたこと、もはや企業が利潤のみを追求する時代は終ったことを明らかにした。地球誕生から45億年の歳を経た現在、人類の生存基盤である地球環境は自然浄化作用の限界を超えて悪化している。かって、「熱核戦争か平和共存か」との命題が全世界を駆け巡った状況とは、本質的に異なる問題すなわち、生産によって引き起こされた地球環境破壊が資本主義・社会主義の区別無く問題となっているのが現実である。
更に特徴的なのは、現在の化石燃料の使用率が高い国家は、社会主義であると言った事実・また社会主義は、化石燃料及び生産原料の大きな輸出国であると言った事実である。今後、これらの克服のためには生産を牲牲にしてでも解決しなければならなくなるであろう。

これまでの経済学は、やはり基本的には成長理論あり、地球は無限(特に土地を)であると言うことを前提にしている。このため、資源、エネルギーを大量に開発、生産、流通、消費することを可能にした近代科学技術とその所産である物質文明は、結果として、公害を拡散して地球全体に広げ、環境が悪化すると言う状態を作り出した。
生産力の十分発達していない時代には、「生産条件」が「生存条件」(人類とその他の生物を支える自然と社会の環境)を規定していたが、今日両条件の間に深刻な矛盾が生まれている。「生産条件」優位の価値体系を築き、生産条件をプラスにするための手段を求めて狂奔してきた世界の国々に、そして企業の行為が、結果において「生存条件」を危機的水準にまで低下させてしまったのである。
これからは、人間が生活できる基本的な条件を満たし得る共同的な経済システムを目指すことによって環境と調和するような経済体制をつくっていくこが重要になってきた。技術的対策だけをやっていても社会システム、あるいは交通体系のほうをそのままにしておけば、結局同じことになってしまう。
今日提起されている地球環境問題(社会生態学)は、今までのように、世界を社会主義と資本主義の国家間の階級闘争としてのみ捉えるだけでは不十分であり、社会主義の発展が人類の発展と連動する必然性を社会主義と資本主義の共存の中で、資本主義の優れた技術・科学を自らの発展のために積極的に取り入れ人類の発展と存続のために社会主義が成長発展し、本来の理性の社会を創造する上に、避けては通ることができない課題として立ちはだかっているのである。
生産が高度に発展した資本主義も、地球環境問題によって一層変質せざるを得ない。(名古屋 Y)

【出典】 青年の旗 No.163 1991年5月15日

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【投稿】河口堰を止める10万人のアクション–長良川DAY–

【投稿】河口堰を止める10万人のアクション–長良川DAY–
               現地参加報告 こんな楽しい運動もあったのか!

この連休にキャンプでも行こうかと思ってきたところへ,BEPALという雑誌で4月29日に長良川河口堰反対の現地行動があることを知り、これは面白そうだと(そんな軽い気持ちで)一度行ってみようと思い、参加をしました。

前夜 カヌーイスト300人がプレキャンプ
大阪から車で4時間走り、前夜の宿営地の長良川と木曽川の背割堤の松林に到着。早速受付をすまし、テントを設営。はじめて長良川にきたのですが、なかなかの景観、雄大な川のほとりで、自然を守れの意味もこれならわかるというものです。
午後8時からミーチングとのことで行ってみますと、だんだんと集まってきます。その数最終的には300人ぐらいかな(?)。
ミーチングと言うより集会と行った感じで、最初は「長良川河口堰に反対する会・東京」の方が、運動の現状みたいな硬い話をされました。
この運動がここ1年ぐらいで建設省と対等の立場で運動が盛り上がり、建設阻止できるかは現在五分五分まで来ていること、相模川など他の川問題での盛り上がりも出てきて、土建業者のための河川「整備」か、みんなの川をどう守るのかを大きな世論にしてきたこと、前環境庁長官をして運動の盛り上がりの中で長良川現地を視察させてきたことなどを報告されたように思います。
長良川は、日本で唯一ダムのない川で、カヌーでの川下りが可能で、かつ自然が残っている、その川を一番「知っている」カヌーをする人達が、この運動に火をつけたようです。東京の人の報告の後、皆さんお待かねの野田知祐さんの登場となります。
野田さんは、ここに集まった連中は別に革新でもなんでもなく、ただ自然をそのままにしておくべきだと思って、そして楽しんで参加している、だから強いんだ、それぞれのやりかたでやって行こうと言うような取り留めのない話をされたんですがこれでぐっと盛り上がってしましました。
次に、東京で相模川の河口堰反対の運動をしている人が現地報告をされます。そしてそこへ前環境庁長官の北川石松衆議院議員(大阪選出)が現れ、我々を激励の挨拶、これもなかなかのもの。
最後は、カヌーイストのローリーさんが、自分のカヌーに名前を書いてくれ、これを今度の建設省への行動にもって行くからと提案されると、みんなで思い思いに、名前を書きましたが、これもなかなかの盛り上がり。(この辺から私も酒が入り、初めてあった人と意気投合に!)
事務局からは、明日の行動の説明がありました。午後2時に参加者が思い思いの方法で河口堰建設反対をアピールしようと言うのが趣旨で、デモなんかより一人一人のやりたい方法で表現したいというのが狙いだとの説明。ここらでもう10時過ぎ、初めてあった人から明日カヌーに乗りませんかとの誘惑に耐え、ひとまず眠りにつきました。

雨も上がって、盛り上がる長良川DAY
アクションは思い思いに
4月29日朝9時30分にイベント会場に到着。事務局は路上駐車はしないようにと警告放送。チャンと警察の妨害が始まっていた。建設省も河川敷の集会には最後まで抵抗していたとも聞いていました。
朝からかなり強い雨で、会場は少し調子が悪かったのですが、なんと10時30分には晴れはじめ、なかなか調子がいい。挨拶にたった反対する会の代表の天野さんも、長良川の運動は絶対晴れると言っていました。河口堰建設が始められてから始まったこの運動が、だんだん現地の人々の中で生きづきはじめ、長島町の住民アンケートでも3割の人が反対し、町長選挙でも善戦をしたことなどが報告されました。 次に北川前環境庁長官が挨拶し、自民党から参加するなの圧力があったが、自然を守るのは保守も革新もない、市民の立場で考えてここにきた、明治9年に木曽川と長良川のあいだに背割堤をつくった先輩の苦労を考えれば、建設はやめるべきだと、なかなか戦略的な発言。(結構受けていました)
今度は、旭堂小南陵参議院議員がでてきて、全国の河川行政について、建設省を批判、農業水利の博士号だけあってなかなか詳しい。自分の問題にしている、なかなかこいつはやるな、次の選挙も行けそうと言う感じ。(翌日の赤旗は長良川DAYを報道しながら、小南陵さんの挨拶について、名前も報道せず、まさに真実を伝える新聞だけのことはある?) ここでも、野田知祐さんが出てきてひとくさり、だんだん盛り上がってきた。

カヌー700艇も反対の意志表示
バンダナ、凧、気球、鯉のぼり、仮装でアピール

いよいよ2時になった。12時に上流から出発した700艇約1000人のカヌー部隊も河口堰に近付く。怒りのシンセサイザーに乗って、全員が反対をアピール。カヌー部隊はパドルをかざし、みんなはバンダナをまわして、・・・こうして長良川DAYの一日は盛り上がったのです。

こんなスタイルの運動、なかなかいける!
主催した「長良川河口堰に反対する会」は、なかなかの強さ。それに何よりみんな楽しんでやっています。前夜の集会で野田さんが「ここに来ているのは楽しいから来ているんだ、それでいいんだ」と言っていました。私自身もその通りだと思う。
革新と言われる労働組合の姿もない、政党も大きな顔をしていない、汗をかいているものが楽しくやっている、住民の考え方も変わってきている、この運動なかなか面白いと思い、良い連休になったと感じて帰ってきた次第です。(大阪 H)

【出典】 青年の旗 No.163 1991年5月15日

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【投稿】統一自治体選挙の結果と地方自治の展望

【投稿】統一自治体選挙の結果と地方自治の展望

統一地方選挙は自民党の大勝、社会党の惨敗で前半戦を終えた。
この中で最も注目されたのは、東京都知事選挙であるが、ここでは東京の前に霞んでしまったかの感のある大阪府知事選挙、府会議員選挙の経過を報告していきたい。
まず、知事選挙であるが、三期続いた岸府政の後継者選びから難航した。一般的には副知事の中から選ばれるとの観測が主流だったが、必ずしも納得して引退を決意したわけではなかった岸前知事が「後継者は庁外から」との意向を表明したことから混乱が始まった。自社公民与党体制を前提としつつも「岸知事(実際は中央)の意向を受けた」自、公と従前から副知事の一人であった中川和雄氏を押す社、民、連合との激しい前哨戦が繰り広げられた。
結果的に、連合大阪が調停役を引き受ける形で、後継者は中川氏に落ち着き、共産候補との対決となった。
このことは、共産党の言う「自社公民なれ合い」がデマであることを物語っているし、与党間の緊張関係は、共産党が考えるほどあまちょろいものではないことである。
ただ、選挙戦自体は、50%を切った投票率が示すように盛り上がりに欠けたものとなったが、これは競争選挙といっても実質は信任投票と同じであったからである。
しかし、この選挙を連合対全労連の対決という視点から見れば、しれつな闘いが展開されたのである。連合は中川氏擁立に大きな役割を果たしたこともあって、選挙戦では全戦線で前面にたって運動を牽引した。
各種集会、イベントの動員は勿論のこと、政策宣伝においても連合の掲げる女性・高齢者対策を中川氏の公約のトップに据えるなど、まさに連合総ぐるみの選挙となった。この意味で、共産党が執拗に宣伝した「財界丸がかえ」との主張も説得力を持たないものであった。だいたい共産党の描く財界対府民との図式は、総労働対総資本という教条を焼き直したものに過ぎず、黒田府政の総括もまともに出来ない共産党の府政批判は多くの府民に受け入れられなかったのである。
同時に投票された府会議員選挙で社会党は、全国的な惨敗のなかでも大阪では1議席を増やし、「平時」の社会党の党勢がどのくらいのものであるかをあらためて明かとなった。
この中で特筆すべきは従来の労働組合出身でない若々しい候補者が立候補し、善戦したことは大阪の社会党と民主勢力に大きな力となったことである。
この選挙で明らかになったのは、全国的な自民党大勝の中でも、重大な選挙で地方色を鮮明にしたものが勝利をし、その前にもはや「革新」対「保守」、更には政党間対決と言う構図は埋没してしまったということである。
逆に言えば、社会党候補者でなくとも、大衆運動があれば福祉制度の充実などは推進できると言うことであり、労働組合を含めた有権者の選択は、シビアになっているということだ。
もちろん将来の選挙で、社会党はある程度議席を回復するだろう。しかし、それはただそれだけのことであり、有権者が選ぶ対象が現在では権力構造の変換まで結び付かず、同じことの繰り返しとなるだろう。
こうした流れを変えていくために、新しい政治勢力の結成を真剣に進めなければならない時期に来ているのである。
その意味で、現在進められている社民勢力の結集構想に注目していかねばならない。(大阪 O)

【出典】 青年の旗 No.163 1991年5月15日

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【投稿】春季生活闘争中間報告

【投稿】春季生活闘争中間報告

連合の91春季生活闘争は、主要単産の闘争が妥結し、最大のヤマ場は終了した。賃上げに関しては、全般的に低調であったが、時短に関しては制度化で一定の前進があった。ここでは、闘争の中間的な報告と今後の労働運動の展望について考えてみたい。
先行相場グループである自動車総連、電機労連、鉄鋼労連、造船重機労連などのIMF-JCの主要組合に対して4月3日に回答が示された。経営側は湾岸戦争を理由に「景気に蔭りが生じた」として、「マイナスα」論を強く主張、賃上げでは一歩も譲らない姿勢を示した。
組合側はこれに押し切られる形で、電機5.55%、鉄鋼4.33%、造船重機5.32%との妥結となり造船重機が昨年と同額を確保したのを除き、いずれも額、率ともに下回る結果となった。
これに対して、昨年ストライキに突入し他単産を上回る実績を確保した全電通、私鉄総連など後発相場形成グループは、額で昨年実績を確保した。連合全体では、率で5.72%額で14687円となっており(加重平均4月9日)、率で0.3ポイント、額で170円昨年度実績を下回った。
これに続く中小、未解決組合は、一部がストライキに突入するなど奮闘しているが昨年度実績を越える成果は厳しい状況である。
一方時短闘争は、完全週休2日制を制度化している電機が、土曜が祝日と重なった場合の金曜振替休日制や年休1-2日増、鉄鋼も常日勤2日、交替勤務3日の休暇増を引き出すなど一定の成果を収めた。
こうした状況を踏まえ、連合の山岸会長は「逆風下の厳しい労使交渉」であったが、「われわれの目標に向け、限りなく前進しつつある。額で昨年実績をクリアーできれば成功との気持ちで対応してきた。もう一歩の踏み込み不足は否めないが、連合効果-相乗効果は表れた。トータルとして一定の前進がはかれた」時短については「JCグループの闘いは、昨年よりも2歩も3歩も前進した。1993年の1800時間に向け、有力な足掛りとなった」と評価した。
連合は今季闘争の獲得目標を賃上げは「昨年度実績と同等もしくはそれ以上」時短は「今年度2000時間の壁を破り、1993年度1800時間にむけた展望を切り開く」としていただけに、当初から困難視されていた賃上げはともかく、時短だけは何としても目に見える成果を上げようと、各単産とも時短にスタンスを移しての闘争を進めた。
確かに大手組合での時短は進んだものの、残業手当がなくても十分な賃金を確保し、さらに下請け、系列、傘下企業にしわ寄せが集中する「カンバン方式」や「ジャスト・イン・タイム方式」が改善されなければ、なかなか全体としての時短は進まない状況にある。この状況を打開していくためには、企業内時短だけではなく、社会的時短を進めていく必要がある。そのためには官公庁の時短や「太陽と緑の週間」はもちろん、学校の週休2日制、地域の特性に応じた実質的な休暇(祭り休暇など)を広く実施していかなくてはならない。こうした取り組みはもはや、労働組合だけの闘争の質、春季闘争の枠を越えるものであり、生活制度闘争の全面的推進を要求するものである。
総評時代の闘いは、経済闘争と政治闘争を巧妙に使い分けて前進した。しかし、連合時代において政治闘争の展望が未だ困難な状況のもと、労働組合に社会性を持たせ、運動を活性化するためには、この問題への取り組みが不可欠である。その意味で、「春闘」の質的な転換を大胆に進めなければならない。
経営側は、春闘に賛成する側も反対する側も、質的変化が分からずに的外れな評論をしている。一方残念なことは組合側にも旧来の「春闘の栄光」から抜け出せない人がいることである。
このような人々を後目にすでに連合は、環境問題、人権問題の取り組みをはじめ社会的イベントへの参加を進めている。今後これらの運動を一層幅広く展開することが望まれているのである。(大阪 O)

【出典】 青年の旗 No.163 1991年5月15日

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【投稿】湾岸戦争は何をもたらしたか?

【投稿】湾岸戦争は何をもたらしたか?
—湾岸戦争後の世界政治と経済—

<覇者のおごり>
ブッシュ米大統領は、3月6日の米議会で、湾岸戦争勝利の「戦勝報告」演説を意気揚々と行なった。その中で彼は「米国の製品や労働者は二流と言われてきたが、湾岸戦争では一流の能力を見せた」と誇らしげに語っている。自信をなくしかけていた米国人は、日独の支援の遅れをなじる一方で、祝勝ムードに酔いしれ、かつてベトナム反戦運動の激震地であった諸大学ではほとんどの学生が星条旗を手に手に久方振りの勝利を謳歌したのであった。
いわば今回の湾岸戦争は、経済の軍事化と石油価格下落の中であえいできたイラク・フセイン政権が、弁護の余地もないクウェート侵攻という挑発にのせられ、国際正義を後ろ盾にした世界の警察官としての米軍事力の前に敗退したものといえよう。中東で地歩を後退させつつある国際石油資本、冷戦体制の崩壊で縮小を余儀なくされつつある軍需資本、そして世界第一位の経済的地位を脅かされつつある米国経済にとって、これは勝利して当然、しゃにむに押切らねばならない願ってもないチャンスであったともいえよう。それが戦争の全経過に示されており、アラブの独自解決、フランスの調停、ソ連の和平工作も成功させてはならないものであった。性急な軍事解決によって、地球環境に癒しがたい傷跡を残し、軍事力によって押し潰された民衆のしかばねなどには見向きもしない覇者のおごりがそこには露骨に現れている。

<脇役の苦悩>
多国籍軍の名の下に参戦した欧州各国は完全な脇役に追いやられ、しかも今回の戦費は米国の負担はゼロ(米財務長官報告によると、昨年8月から今年3月末までで総額560億ドル、日欧各国からの支援額545億ドル)、それどころか戦費の過大見積により100億ドル近く儲かったと指摘されている。逆に欧州各国は、EC統合を目前にしながら、湾岸戦争参加をめぐって分岐が激化し、しかも各国ともに戦費調達で軒並み財政赤字を拡大させ、それぞれの政権基盤さえ怪しくなってきている。増税なきドイツ統一を公約に総選挙で大勝したコール政権は旧東独経済の復旧コストに加え、戦費調達のために、一転1600億マルクの赤字に転落、公約を投げ捨て増税政策に転換したがために「ウソつきコール」と糾弾されて、地方選で大敗するという事態である。イギリスは、サッチャーの民活路線のもとで工業が壊滅させられ、工業製品の純輸入国に転落していたがために、メージャー政権は湾岸戦争で自国軍の武器弾薬さえ輸入しなければならず、4年ぶりに赤字国に転落、91年度80億ポンドの赤字見通しのもとで人頭税の廃止をめぐって保守党内の分岐がきわだっている。

<ブッシュの「新国際秩序」>
対照的にブッシュ政権は、国民の90%以上の支持を背景に湾岸後の「新国際秩序」作りに主導的役割を果そうとしている。それは他の諸国の負担で、軍縮と軍拡を両立させようというきわどいものである。中東においては、パレスチナという最大の問題を先送りしたまま、対イラク封じ込めのためにサウジなど湾岸5ケ国に180億ドル以上のハイテク兵器、新規武器売却を計画し、対イラク報復自制の代償としてイスラエルに新規軍事援助を行なう等、明らかに軍拡である。その上で米ソ協調による中東地域和平会議の開催、今年前半の米ソ首脳会談、戦略核・戦術核全廃条約交渉にのぞもうとしている。もはや軍事面においては向うところ敵なしという事態のもとで、アメリカが唯一誇れる軍事力を背景に世界の秩序の監視人、警察官の役割を果そうというものである。

<2期連続のマイナス成長>
おりしも米国経済は、9年ぶりという景気後退に入り、昨年10月以来2期連続のマイナス成長(今年1~3月期、実質GNP-2.8%)となり、ほぼ全部門で経済は落込み、短期間では回復しないことが明らかとなっている。このさい湾岸戦争の早期終結・勝利は精神面実体面ともにプラス要因に働くことは間違いない。ましてや自国の負担は一切無く、長期にわたる機雷処理等は日本などにまかせ、復興需要も取りしきれるとあれば言うことなしである。しかしながら、米国財政赤字は92年度予算教書によれば2809億ドル、昨年の予算教書では赤字が251億ドルになるはずであったことからすれば実に11倍の赤字、今年は3811億ドルという空前の規模の赤字が見込まれている。本格的に軍縮に取組み、軍事予算を抜本的に減額し、老朽化と放置政策によってなおざりにされてきた社会的生産基盤への投資(インフラ投資)に力を入れない限りは、経済力の回復は到底望みえない。国防予算の削減では、兵力230万人中80万人カット、軍事基地の大幅削減(国内71、海外36ケ所)、陸軍3分の1化、等により国防費半減案(3000億→1500億ドル)まで出ている。これらがどこまで進むかに米国経済の今後の事態はかかっているといえよう。

<冷淡な日本>
いずれにしても湾岸戦争は、米ソ緊張緩和後の世界の政治経済情勢を画するものであった。ポスト湾岸後の世界情勢について、米独日三極体制なるものがすべてを決定するものとして賞揚されているが、それぞれに内実は危なっかしいものである。ましてやそれぞれに疑心暗鬼、アメリカの世論調査によれば日本の90億ドル追加支援決定の遅さを見て、「日本に対する尊敬の念をなくした」という人々が急増し、貿易摩擦の再燃があおられる事態である。これは平和解決への信念と行動力も持たず、右往左往してアメリカに追随する日本政府に対する批判でもあろう。
さらにゴルバチョフ訪日に関連して、「せっかくやってきたゴルバチョフ大統領を、日本はお土産なしで追返した。韓国の対応と比べても、その冷淡さが目立っている。日本は湾岸でアメリカから見捨てられ、もともと中国、韓国とは真に打解けてはいない。ウルグァイラウンドにも協力的ではない。そこへゴルバチョフというよりはロシアという国のうらみを買った。日本はその経済力を鼻にかけて、高慢なる孤立の道を歩んでいる。その経済力がまさに国際平和、親善を最も必要としているというのに」(日経、4月25日「大機小機」)と指摘される事態である。
あらゆる問題の平和的民主的な解決に向けての、世界的な協調と協力の体制、地球規模的な取組み、国際的な責任の遂行、全人類的な視点の確立なくしてはまだまだ事態は楽観はできないのである。
(生駒 敬)

【出典】 青年の旗 No.163 1991年5月15日

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【投稿】人類全体の課題–「地球環境問題」(上)

【投稿】人類全体の課題–「地球環境問題」(上)

■はじめに
1980年代は、ベルリンの壁の崩壊に象徴されるような、東西冷戦の終りという歴史的な大転換で幕を閉じた。冷戦構造の変化によって、軍事力の比重は大きく低下し、変わって、金融・通商問題などの「地球経済」や「地球環境」が国際的な課題に浮上してきている。
「環境破壊の危機の前では、二極化したイデオロギー的世界という対立図式は却下される。経済圏や軍事同盟の体制の差によって、生命圏を分割することはできない。全ての国が一つの気侯体系を共有しており、一国たりとも自国だけを隔絶する独自の環境防衛上の国境を設けるわけにはいかない。」(シュワルナゼ外相88年国連演説)
このように、世界の生産活動によって引き起こされた地球規模の環境問題に対する認識が広がり、解決に向けた国際条約の作成交渉がいよいよ本格化しようとしている。92年6月のブラジル国連環境開発会議は、「地球温暖化防止条約」「熱帯林保護条約」そして地球上に生息する動植物の種の保護を目指した「生物種多様性(バイオタイバーシティー)保護条約」という将来の地球環境対策の枠組みを決める極めて重要な3つの条約作りを目指している。

■オゾンホールーフロン問題
地球環境問題が、世界共通の課題として取り上げられた最初の国際会議は1972年6月ストックホルムで開催された国連人間環境会議であった。しかし、今回のように国際的に広がりを見せるようになったのは、1980年代の中頃以降である。初めて北極に於て発見されたオゾンホール(大気圏に存在するオゾン層が破壊されてその層に穴があいた状態)は、全世界に大きな衝撃を与えた。
地球上の生物は大気によって保護され、この中で、オゾン層の役割は紫外線・一部の宇宙放射線のコントロールの役割を担っている。この為、このオゾンホールが地球上の多くの部分で発生するならば生物体系に大きな変化をもたらし、紫外線の生物への大量暴露は、皮膚癌の発生(白人の場合この危険性は、非常に大きい)、そればかりでなく、この状況が今後進めば、2,000種類の生物が近い将来死滅すると言われている。
このオゾンホール問題について、各国の科学者によって国際議で討議が繰り返され、原因物質は塩素系化学物質とフッ素系化学物質がその大きな原因であるとの結果を得た。特に問題であるのは、CFC(クロロフルオロカーボン)といわれる化学物質、一般に「フロン」と呼ばれ1930年に開発され、毒性がなく無臭、安定性があり、他の物質と反応しにくいなどの便利な性質を持っているためエアコン・冷蔵庫の冷媒やスプレー缶に不燃物質として大量に安全な物として使用されていた物質が最もオゾン破壊をする物として注目された。その結果、2000年までに特定フロンを全廃する「ヘルシンキ宣言」が出された。

■ 地球温暖化の問題
しかし、同時に進行しつつあった地球温暖化の問題は極めて問題が難しく、原因物質が化石燃料によって大量に排出されCO2である事から対策は現在も充分に進んでいない。「炭酸ガスやメタンガスなど、温暖化の原因が現在のベースで増加し続ければ、地球の平均気温は21世紀末までに現在より約3度上昇するであろう」は、IPCC(国連の「気象変動に閑する政府間パネル」)の結論である。
このIPCCには、3つの作業部会があり、第1部会は、温暖化の将来予潮を担当する部会で、世界の300人の気象研究専門家が1年半前から温暖化の将来予測を行って出した結論が上述の内容であり、更にこの結果「21世紀末まで海面の高さは現在より65センチ上昇する」と予測した。
第1部会の報告を基に温暖化が社会、環境に及ほす影響を調査してきた第2部会は、「海面上昇によりインド洋のモルティブ、太平洋のキリバス等は、国そのものが水没の危機にひんする」と警告している。日本に於いても大都市は臨海地域に集中しているため、対岸の火事と言った事も言っていられない。地球各地の気温や降水量の変化が農業に及ぼす影響は洪水や干ばつ、暴風雨の増加などで発展途上国に大きな影響を与え食料不足などの深刻な被害が生じると警鐘を鳴らしている。
一方、最も重要な温暖化対策を検討してきた第3部会は、まず世界が炭酸ガスの排出規制策を実施しなかった場合、2025年には現在の2倍の排出量(年間120億トン=炭素換算)の見通しを示した。そして、具体的な温暖化対策としては、各産業での省エネルギーの徹底や炭酸ガスの発生量が少ない原子力など代替エネルギーの開発・導入の促進、自動車の燃費改善等をあげた。また炭酸ガスの発生量に応じて金をとる課徴金制度、国別の排出量を取り引きする「炭酸ガス排出権制度」など排出抑制に効果のある経済的手段も検討されている。

■ CO2排出親制の設定と日本の対応
1990年11月、スイスのジュネーブで開催された第2回世界気侯会議で、当初先進国のCO2の排出量削減目標を設定する予定であったが、温暖化防止に積極的に取り組むことを明記しただけにとどまった。
欧州18カ国、日本、オーストラリア等は「CO2排出量を2000年に1990年の水準で安定化」を公約すると共に、条約作りと並行してCO2規制目標などを盛り込んだ議定書も作るべきとの立場をとったが、米国が、「CO2が温暖化の原因であるという科学的知見がまだ十分ではない」ため、条約を国際協力や技術開発の推進など地球温暖化防止のための基本的な枠組みを示すものにとどめ、具体的な規制目標の設定は条約がまとまった後に改めて国際的に論議すべき、と言う立場をとったためである。
これに先立って、日本政府は「地球温暖化防止行動計画」を正式に決定し、本格的な温暖化防止対策に着手することを表明した。この中で、最大の焦点だった二酸化炭素(co2)排出抑制の目標は、「①一人当りCO2排出量について2000年以降、おおむね1990年レベルでの安定化を図る。②さらに、太陽光、水素等の新エネルギー、CO2の固定化などの革新的技術開発などが、現在予測される以上に早期に大幅に進展することにより、CO2排出総量が2000年以降おおむね1990年レベルで安定化するよう努める。」という二段階設定方式であった。
二段階の日凄設定は、1991~2000年の人口伸び率が5.6%と見込まれるため、「一人当り」が達成されても排出総量は1,700トン増加することができるという、環境、通産省の主張を折衷した苦肉の策となった。この背景には、日本の産業界が地球規模にまで広がった環境問題を、世界に冠たる公害対策技術のノウハウを生かすことのできるビジネス・チャンスと受け止めている一方、世界経済の中核に新しい規範として定着させない限り企業の未来はないと言う認識を深めめている表れである。
<以下次号へ続く>     (名古屋 Y)

【出典】 青年の旗 No.162 1991年4月15日

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【投稿】民主主義とネットワーク的組織形態

【投稿】民主主義とネットワーク的組織形態
                           生駒 敬

はじめに
89年以来の現実の社会主義の崩壊過程は、社会主義とは何かという問題と同時に、民主主義と社会主義の問題をあらためて提起していると思います。すくなくともわれわれの間では、本来、社会主義こそが民主主義の徹底であり、その発展形態である、したがって民主主義の土台の上にたたない社会主義などは本来ありえない、というようなことは何度も確認きれてきたことだと思います。しかし現実の社会主義は、およそ民主主義の強化、発展を軽視し、むしろ民主主義=ブルジョアジーの支配形態の名の下に蔑視、ないしは抑圧してきたといえます。このこと自体は、歴史的にも理論的にも検証しなおし、かっこ付きのマルクス・レーニン主義や日共流の科学的社会主義が唱えてきたセクト主義、あるいは唯一前衛党主義を根本的に批判し、それらを克服する理論的思想的政治的立場を発展させる必要があると思います。
ゴルバチョフ氏が「もっと民主主義を!もっと社会主義を!」というスローガンを掲げてイニシャチプをとったベレストロイカは、社会主義の再生を願うすべての人々の願いを託したものでした。しかし事態はきわめて複雑化し、ソ連邦という連邦制の統一形態そのものが問い直される微妙で重大な段階にさしかかっています。その具体的な見通しは、当事者自身にさえまったく不確定であり、振幅の大きさはまさに激動、革命と呼ぶにふさわしいものといえるでしょう。いわば現在の事態は、政治経済文化を含めて社会全体の民主主義的再編成という途方もない課題に直面しているのであって、その帰趨はけっしてひとごとではありえないものです。保守的反動的な解決にならないような国際連帯が要請されていると思います。資本主義によって設定された限界を越える民主主義の発展と強化こそが望まれます。
しかしここでは、以上のような問題意識の上に立って、もっと身近に民主集中制の問題と関連して、現在の段階における民主主義の限界とそれを打破する組織形態について若干の問題提起をしたいと思います。

<民主主義の形式的理解>
民主主義というものをデモス(民衆)とクラティア(支配)に分割して、これは文字どおりの意味、さらには本質論からすれば、政治支配の一形態であり、従ってそれぞれの時代にはそれに照応した民主主義が存在してきたのであって、民主主義の徹底とか、よりいっそうの民主主義といった考え方そのものが誤っているだけではなくて、現在の支配形態を容認し、それに追随するものでしかない、というような議論が時々聞かれます。しかしこのような議論は、実践的には、圧倒的にほとんどの進歩的諸勢力の運動が民主主義のために闘っていることからして、同意にするには値しないと思います。しかしながら、民主主義の発展を妨げるものは何か、その障害をいかに克服するか、そしてそれが社会主義とどう結びつくかという問題は、きわめて現実的であり、焦眉の課題となっています。
資本主義の現実の下での民主主義は、まさに民衆の闘争と強制がない限りは、どんどん後退し、形骸化されることはことさらに強調するまでもないことです。現実には、民主主義=間接民主主義=代議制民主主義=議会制民主主義=一票の投票行使権に矮小化されています。そこでは、とにかく票を獲得することだけが自己目的化し、しかもその選挙運動たるや、およそ民主主義的モラルとはほど遠いものであって、大衆の政治参加というよりは衆愚政治の手段と化しかねない現状です。ここでは単純に民主主義=多数決原理でしかありません。もちろん、議会主義についてこのことだけを強調するのは正しくはありません。政党や労働組合を含めてさまざまな社会グループはそれぞれの利益と目標実現のために、この議会制民主主義を足場にして闘っているのです。
ところが、このような民主主義の形骸化と闘っている民主勢力の側にも、自己の組織内あるいは他の諸勢力との統一戦線や共同闘争、連帯における民主主義となると、とたんに内容希薄、形式的な理解しか持ち合わせていない状況が少なくありません。とりわけそれは日共指導部の現実と、その民主集中制議論によく現れています。昨年末の朝日ジャーナル誌上で「民主集中制名目の中央集権・上意下達構造」に失望した、「批判・反対論は、日和見的敗北主義の異端とされ、民主集中制の破壊者として排除される」という投書に対して、共産党がその後の同誌上で反論しています。例によって決まりきった空文句を並べ立てています。すなわち、「わが党は党の指導や方針への党内批判の権利を党員に完全に保障しており、それを排除するなどというのは全くのでたらめです」というわけです。しかしながら小数意見を主張したがために、「裏切り者」や「脱落者」、「反党分子」等々、悪罵の数々を投げつけられた人々は枚挙にいとまがありません。ところがそうした事実を突きつけられると、結社の自由や団結権などを持ち出して「自由な結社がその性格や目的に応じて合理的な拘束を結社の成員に加える」ことは当然であると開き直ることしかできません。かれらは、民主主義が本来的な内容として獲得してきた基本的人権と平等というものをまったく常識程度にも身につけていないし、理解さえしていないわけです。
ここでもかれらは、組織内民主主義を多数決原理といった程度にしか理解していないし、むしろ集中の名の下にそのことを合理化しているのです。「民主的な討議の上で多数で決定したことは全員が実行する」と通り一遍のことを述べながら、日共指導部は、その民主的な討議の一環としてかれらと異なった意見を表明するや、「嫌悪と軽蔑、唾棄すべき対象」として人格的にも社会的にも打倒すべき対象となるのです。そこには人間としてごく自然なヒューマニズムのかけらも見い出せません。しかしながら民主主義の本質の一つは、このヒューマニズムにあり、人権思想、人類性にあるのです。
さらにこれにつけ加えなければならないのは、唯ー前衛党論です。日共宮本議長は「科学的社会主義を理論的基礎とする党は一国で一つであるべきだ。複数前衛党論は理論的にも実践的にも破綻した」と述べて、自らをそれこそ勝手に「唯一の前衛党」と称しています。そしてその傘下に入らないような組織運動は「反共主義」であり、「右転落」であり、民主勢力の一翼にさえ加えられるものではないという論理です。まさにこのような運動全体に対する覇権主義的な論理は、民主主義的な運動の論理に真っ向から対立するものです。民主集中制と唯一前衛党論のこのような合体は、まさしく民主主義的実践と相入れるものではありません。しかしこのような論理はごく最近までまかり通ってきたものですし、筆者自身が批判をしながらも、これに巻き込まれ、否定的な関与をしてきたことを深く反省するものです。

<質的に新しい変化>
ところで現在の我々を取り巻く状況は、国家や国境、大陸を越えて地球環境にまで至るボーダーレスな国際主義的志向をますます強めると同時に、一見まったく逆に民族から地方、地域、労働現場、職場単位、さらには個々のグループ、生活単位にまで至るローカルな自治的志向が同時に存在し、しかもそれぞれが強化される傾向にあります。
こうした基本的発展傾向は一世代前の状況とは根本的に異なるといえます。複雑であると同時に、より分化、分散し、しかもこれまで以上にに互いに強く結び付き、連帯しなければ多くの諸問題が解決しないという状況なのです。つまり、さまざまな傾向やさまざまな文化、多種多様な要求や課題が共存しながら、せめぎ合い、しかもそれぞれが自治的、自律的であると同時に結合するという方向なのです。
当然、民主主義というものも、現在の形態が固定化されるのではなく、新たな変革をこうむらなければなりません。民主主義の本質的内容である基本的人権と平等、自治の原則があらゆる領域・次元に拡大されると同時に、上から下まで分節化して徹底されなければなりません。とりわけ民主主義的諸権利の経済領域への拡大は、私的資本主義的制限を乗り趨えることを必至のものとしています。資本主義的近代化に対抗して、大企業、大資本の絶対的権力、富の偏在、情報の独占、資源の無制限利用、自然破壊等々に明確な制限を加え、国家と市場、企業に新たな規制を強制し、労働の人間化から消費、文化、芸術、教育、社会的サービス、差別の撤廃、女性の権利、社会と人類の共同財産、環境保護責任にまで至る新たな民主主義的諸権利を確立しなければなりませんし、そのことが可能な状況が生まれつつあるのです。こうしたことは民主主義の変化の新しい段階を画するものであり、これこそが社会主義の民主主義でなければなりません。

<ネットワーク的組織形態>
客観情勢のこのような変化は、それに照応した組織形態を要求していると思います。多種多様な要求と課題、さまざまな傾向と志向、これらを一律に束ねようとすることなどそもそも不可能であるし、反動的なものしかもたらさないでしょう。むしろそれぞれに分岐、分節化し、なおかつ自主的で自律的である組織形態を発展させ、共存させると同時に結合させていくという組織形態が要請されているのです。一言で言えば、それがネットワーク的組織形態です。
現代の技術革新と結び付いて、情報産業にとどまらずあらゆる分野にLANやWANといったものが急速に広がりつつあります。まだまだ原初的ではありますが、これらローカルエリアネットワークやワイドエリアネットワークの特徴は、それぞれの孤立分散的単位のコンピューターや情報手段を相互に結び付けて、それぞれの資源を有効に活用するだけではなく、共通の資源を新たに築き上げ、そこから新たな付加価値を作り出そうというものです。これは、これまでの垂直統合型組織形態では、組織がうまく機能しないことの反映でもあります。
こうした組織形態はわれわれにとってこそ必要なものではないではないでしょうか。もちろん相互に結び付くことだけが重要なのではなく、共通のネットワークに提供される政治的諸資源が決定的に重要であり、政策、方針、情報、文化の資源をお互いに提供、共有し、しかもそれを切磋琢磨し、発展させる共通の場を持ちながら、それぞれの自治と主権において選択し、グラースノスチ(公開性)と民主主義的費任のもとで結合、連帯していくという組織形態なのです。

【出典】 青年の旗 No.162 1991年4月15日

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【報告】街頭日記

【報告】街頭日記

「青年の旗」編集部から湾岸戦争勃発以降の平和運動に関する報告を依頼された。
しかし、私個人の範囲では参加できる集会は首都圏の、しかもごく限られたものにしかなりえない。また参加した行動でも特に屋外のものでは、雰囲気は伝わってきてもとても一人で全体を把握することは不可能である。
発行されている市民団体の通信などを参考に、できるだけ手を広げた報告としていきたいのだが、実際に参加しなければ、その場の雰囲気は分からないだろう(伝えきれるほどの筆力もない)し、そんな文章を「青年の旗」に掲載すること自体意味のないことである。故に以下の報告は私個人が参加した集会の中で、典型的だと思われるものをピックアップて報告し、その後で総括的に意見を述べていきたい。

●1月23日(WED)
「日本l主戦争をやめさせるために何ができるか緊急集会」(主催:日市連、ピースネットニュース他参加者:約300名)
開戦一週間で市民運動が本格的に動き出した。これはベトナム反戦闘争よりも反応が速いらしい。
内容は、高橋武智(わだつみ会副理事長)、国弘正雄(社会党・参議院議員)、堂本アキコ(社会党・参議院議員)の各挨拶、色川大吉(日市連代表世話人)の講演、他。
集会のタイトルそのとおり、今後の課題は、日本の90億ドル軍事援助阻止であるということが強調される。そして、国会でのキャスティングボードを握る公明党を世論で包囲する行動が提起された。
また、「PeaceNow!戦争に税金を払わせない市民平和訴訟の会」から、90億ドル援助差止め訴訟を広く一般市民から原告団を募り、市民平和訴訟として展開していこう、と呼びかけが行われた。

●1月26日(SAT)
「緊急反戦集会-デモ」(主催:市民団体諸派、参加者1200名)
会場である防衛庁裏の公園の脇の道がビッシリと機動隊で埋められる。いよいよ運動への弾圧が強化され始めたようだ。
集会そのものは屋外集会でもあり、各団体アピールで終始。様々ないでたちの人々で会場は入り乱れ、ヘルメットにマスクの集団が独自集会を開いたりとあまり整然とした状態ではない。ふと学生時代に参加した安保デーの集会を思い出す。
集会後、六本木-アメリカ大使館(抗議行動)日比谷公園までデモ。
※この日、ペルシャ湾の原油流出が発表される。この世界がいまだに軍事優先思想に支配されていることを痛感する。

●1月27日 (SUN)
「Peace in 渋谷」(主催:日市連、参加者:300名)
集会と渋谷駅周辺でのデモ(このパターンは以降毎週くり返されることになる)。手作りのゼッケン、プラカードとラジカセを持参して参加。ラジカセで「Give Peace a Chance」と「Imagine」を流し、おもちゃのハンドマイクでがなっていたら、いつの間にかデモの中心になってしまい、シュピレッヒコールをやらされてしまう。
デモ終了後、渋谷駅ハチ公前に移動、他の市民団体と合流して全員でダイ・イン。数百人もの人間がハチ公前広場を埋めつくして寝ころぶ様子はなかなか壮観であった。

●1月31日(THU)
「池袋反戦集会」(主催:非核豊島の会、参加者:50名)
池袋駅頭でビラ撒き情宣後、中池袋公園で集会、終了後池袋周辺をデモ。
このような地域での集会、企画は各地で行われていたらしい。画家の丸木夫妻も、地域の活動家たちと一緒に東松山周辺で毎週デモ行進を行っていたそうだ。

●2月3日(SUN)
「市民アクションデー」(主催:市民団体諸派、参加者:2500名)
2月2日に行われた「国会包囲行動一人間の鎖」の際もそうだったらしいが、かなり権力の弾圧が強化されてきている。今回も、デモの最中に日市連の活動家2名がねらい打ち逮捕されるというハプニングが起きてしまった。これに対する市民の怒りはすさまじく、集会終了後渋谷警察署に100人をこえる市民が抗議に集まった。また、釈放されるまでの2日間、警察署に抗議の電話が殺到し、警察署の機能が一時停滞するほどであったという。
集会には、各地で活動している市民運動の活動家や、歌手の山本コータロー、高木仁三郎氏、弁護士の福島瑞穂氏などがアピール。神奈川県で基地闘争を行っている主婦から、反戦の意志を黄色いリボンをつけることで示そうと呼びかけられる(この呼びかけに共感したK君は、翌日早速黄色い布を買いに行き、平和運動に使うのならとお店の人に割り引きしてもらうという貴重な体験をしている)。私もその日から終戦まで黄色いリボンを帽子につけて歩くことにする。

以上様々な行動のごく一部をピックアップして報告したが、2月3日の行動がある意味でピークとなり、以降残念ながら集会・デモとも動員は頭打ちとなってしまい、集会での行動提起も、「次は××に集まりましょう」といった形に終始してしまう。
リアルタイムで戦争が報道されるという今までなかった今回の戦争が人々に与えた影響もかつてなかったものであっただろう。しかもその戦争に対して政府が憲法解釈をねじ曲げてまで直接にお金を出し、軍隊まで派遣しようというのである。国論が二つに分かれての大論争が展開されも不思議ではない状況であったはずである。しかしそうはならなかった。戦争に、日本の戦争加担に反対する市民の闘いを支援する勢力はこの国のどこにも存在しなかったのではないだろうか。90億ドル援助を阻止するカギを握っていた公明党は早々に賛成を決めてしまい、次に市民団体がターゲットとした小沢一郎をたたき落とす行動も、都知事選での社会党のもたつきにより集中するべき環が見いだせず、運動になっていないのが現状である。しかも社会党の一部から、戦後復興のためなら自衛隊派遣もやむなしという意見が出るに至っては、市民運動は首を絞められたのと同じになってしまう。
ただでさえ今回の戦争では、本来先頭を切って動き出すべき団体がなかなか腰を上げなかった。私が市民運動と行動を共にしたのも、他に身を寄せるべきものがなかったからというのが直接の動機である。戦争勃発当初から、マスコミの大騒ぎをよそに平和勢力の反応は実に鈍かったというのが私の印象である(開戦当日の昼休み、私の勤める会社の組合委員長一某前衛政党党員-は、号外を囲んで浮き足立っている私たちをよそに、「な-んだ始まったのか」とつぶやいて部長代理と将棋をうっていた)。
・・・・いつまでも愚痴をいっていても冗長になってしまうだけで何もならないのでそろそろこの駄文を終わらせようと思うが、最後にもうひとつ私見を述べさせてもらえば、今回の戦争で巻き起こった運動を収斂し、さらに広げていくひとつの展望は先に述べた90億ドル援助差止訴訟闘争にあるのではないだろうか。法廷内外の闘いを支援する平和勢力の今後の闘いを願い、また微力ながら私も行動に参加していこうと思っている。

【出典】 青年の旗 No.161 1991年3月15日

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【投稿】砂にしみいる水のごとき知を!

【投稿】砂にしみいる水のごとき知を!

ここ3、4年世の中が大きく揺れ動き、物の見方、考え方が、それまでとはずいぶん変わってきた。決定的なのは、この間のソ連・東欧の共産主義社会の崩壊であり、そこで展開されている政治的、思想的闘争である。この間のマルクス・レーニン主義をめぐっての問題点を見ると、これはなにも社会主義国家に限った問題と言うより、資本主義社会における左翼・民主主義勢力と自らを規定している組織の運動のあり方や、そこで活動している人の物の考え方における今日的問題点そのものであると言うことに、改めて思い知らされる。
誤解を恐れず、率直にいうなら、これまで正しいと信じてきた世界観がある一つの業界でしか通用しない世界観にすぎなかったのではないかと言うことである。清算主義的な総括は避けなければならないと言う声が開こえてきそうだが、逆に言えぼ「精算的な総括は避けなければならない」という決まり文句が、物事のリアルでアクチェアルな分析を行う理論的作業を避ける結果となってきたのではないだろうか。今の時期「精算主義的な総括云々」といって説教たれるべきではないのだ。これまでの理論的確信を徹底的に疑ってかかるべきである。
これまでの自明の理論に寄りかからず、一度は現実肯定の流れに徹底してつきあってみる必要がないか。今まで、はなから否定していたもの、否定すべきものと考えていたものを、果してそうなのか、自らの頭とぎりぎりの力量で突き詰めてみることである。
検討課題の選択にタプーは設けない。自らの突き詰めた問題意識、結論については、自らが責任をもって公開し、世の中の批評にさらす。安易な仲間意識をもとめない。言論にたいしては言論で返す。「学び、宣伝、扇動し、組織する」という運動論から脱皮すべきである。徹底して物事を探求し、それが社会的に求められているものなら、砂にしみいる水のごとく人々の心をとらえ、政治的なカをなるだろう。ことさら組織する必要などない時代になってきている。いま求められているのは、砂にしみいる水のごとき知である。この知が今の左翼にあるのか!それが切実に求められている。(1991-大阪 T・S)

*お薦め図書「ニセ学生マニュアル」「ニセ学生マニュアル(逆襲版)」「ニセ学生マニュアル(死 闘版)」浅羽通明著 徳間書店

【出典】 青年の旗 No.161 1991年3月15日

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【投稿】91フォーラム関西(2/3)

【投稿】91フォーラム関西(2/3)に150名が参加

去る2月3日「91フォーラム関西・・社会主義・・その根源を問い直す」が部落解放センターで開催され、150名以上の参加者があり、5時間におよぶ討議が行われた。
このフォーラムは、松江澄さんはじめ12名の呼びかけ人から提起され、激動する社会主義の現実を前にしてこれまでの立場、諸個人の関係を越えてフリーに意見交換することを目的に準備されてきました。1月15日にはプレフォーラムも持たれ、事前討議も行われました。
当日の問題提起者は松江澄さん、生駒敬さん、松本健男さん、田畑稔さん、大賀正行さんの5名の方々でした。(発言予定であった大阪唯研の田畑氏は大学入試のため出席が遅れたため、最後にレジュメについて簡単な説明をされました。)

はじめに司会の小森春雄さんから開催に至る経過説明、さらにフォーラムという形態(参加者の自由な発言を保障する形態)、集会の進行の説明がありました。

松江さんは、現存社会主義の崩壊は全面的であり、根底的なものである。根底から見直す視点はフランス革命・パリコムミューンの歴史を歴史的文脈として見直すこと。ソ連東欧の問題では、政治的民主主義と市場経済の成立には相互関係があること。市場経済の中で民主主義をつくりだす契機があり、ソ連にはそれがなかったのではないか、との指摘がありました。
現状の貧困や差別・不平等をなくすための運動、民主主義運動を強めて新たな政治的バランスを作ることを始めるべきではないかと問題提起されました。
生駒さんは、社会主義の名の下にこれまで自明とされてきたものが問い直されているとして、「民主主義・市場・社会化・全人類的課題・・反省と克服の視点」と題した報告がありました。社会主義の名の下にこれまで自明とされてきたものが問い直されている。民主主義に対しては、社会主義よりも低次元のものとして軽蔑する傾向はなかったか、民主主義の土台のない社会主義は存在できず、その欠落は権威主義・官僚主義的な体制とならざるを得ないこと。また、市場については、市場経済を無政府性と同一視し、計画経済に対置してこなかったか。
社会化については単純に国有化と理解し、形式的な社会化を行い、国家機関の所有集中に変質させ、勤労者の地位を喪失させてきた。また、全人類的課題については、階級的視点こそが決定的であり、人類的問題を言うのは日和見主義との傾向があった。これによって労働者階級にとって人類的課題こそが自らの利益の最高の表現であると言うことを忘れさせ、平和・環境・経済になどの課題に対する広範な協力、統一運動を疎外してきたことなどを指摘され、民主集中については、組織は本来自主・自覚に基づくものであり、原則として出入り自由・二重加盟OK・目的に沿ったネットワーク的組織が望ましいことが強調された。
松本弁護士は、ペレストロイカの経済的側面についての分析について報告された。生活物資について安易に準備もなく、市場経済を導入したことが、現在の食糧危機を招いているのではないか、との私見も述べられた。
最後に大賀さんは、新しい思考について、社会観におけるコペルニクス的転回であり、新思考の前提には人類的な危機の深刻な認識があること。新しい思考の条件としては、平和勢力の世界的形成、経済の相互依存関係の形成、などをあげられた。教訓としては、反宮本勢力の敗北について、またセクト主義は人類思想の欠如の表れであることなどを報告された。
その後参加者から、各々の経験や考え方から意見が述べられた。主な発言者では荒木さん(社会主義理論センター)山本正美さん(労研)友永さん、村岡さん(稲妻社)荒木さん、柴山さん(労研)志賀多恵子さん、脇田さんなどが発言し、あっと言う間に5時間が経過した。
最後に松江さんが、違いがあっての統一を大切にしたいと締めくくられ、今後フォーラムを継続していくことを確認して終りました。
フォーラムの報告集の発行が準備されているとのことです。 (大阪 H)

【出典】 青年の旗 No.161 1991年3月15日

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【問題提起】「社会主義をめぐって」

【問題提起】「社会主義をめぐって」   吉村励   (1990-04-29)

<はじめに> ・・・忘れてはならないこと・・
本論にはいる前に、諸君に敬意を表して思います。おそらく、今日来ておられる皆さんは、労戦統一、「連合」の発足に際して、全体としては大きな潮流に乗りながら、しかも現時点においては小数派組合という形で努力しておられる方が多いのではないかと思います。中には一部、資料を送って下さっている方もおられます。
今更繰り返すことはないのですが、労働組合運動というのは、組織された労働市場だという、この原点に戻って行くことが一番必要ではないかと思います。労働市場は言うまでもなく、労働力という商品の販売者と購買者とが出会う「場」。この労働市場は組織された労働市場と原生的な労働市場、或は自然発生的な労働市場にわかれます。原生的(自然発生的)労働市場は自然発生的に個々人が経営者に対して労働力商品の売買契約をおこなう、あるいは売買をおこなう「場」ということになります。今更諸君に言うほどのことではないのですが、このような労働力の売買関係では労働者は形式的には自由であるけれども、内容的には不平等であります。経営者の方が情報にしても経済的地位にしても圧倒的に有利に立つわけです。商品交換と言うのは自由の立場に立たなければならない。従って実質的な不平等を克服するための手段がある意味で組織された労働市場(労働組合)です。しかし、労働市場ですから、これが有利に作用するためには、アウトサイダーが出来るだけ少ないほどいいわけです。同時に、その市場が競争相手である労働者を出来るだけ広く組織されていなければならないのです。アウトサイダーがいない、できるだけ広く組織されているという2点が市場として有利に機能する条件だと思われます。この労働市場ではまず経済的法則が優先して働くわけでありまして、イデオロギーというのも入る余地はないわけです。そしてこの組織された市場というものは人為的なものですから、その人為的なものを運営していく場合に、政治やイデオロギーが入ってくるわけです。特に、市場としての機能を十分に確保するために必要な条件が日本では労働組合法や労働基準法というような形で決められています。だから、まず有利な「組織された労働市場」を形成するという一点で、労働者すなわち労働力の販売者は統一しなければならないのです。これをどういう理由であれ、破る、というのは組織された労働市場が組織された労働市場として十分に機能しないという結果を引き起こします。これを今更諸君に話すことは釈迦に説法みたいなもので、諸君は毎日このために努力されているわけです。しかし、活動に疲れたとき、何となく、心に迷いが生じたときに常にこの原点を思いだして下さい。あとは、私より諸君の方が日常活動を通じて、理論的なことだけでなくいろんな経験・蓄積をされていると思うので、そのことだけは本論に入る前に、常に思いだしていただきたいと思い、言ってみたわけです。

<理論の再検討・再構築のために >
実はおそらく私がそうでありますように、昨年から劇的な形で展開しました東欧諸国の問題について諸君もいろいろ思い悩んでおられると思います。少なくとも、私達が行動の基準にしてまいりました理論の再検討、再構築をする必要に迫られているのではないか、と思うわけです。そこで、私の持っている疑問を諸君にぶつけて何か示唆をいただきたいと思います。しかし、再構築する主体は諸君であります。これは困難なことではありますが、逆にやりがいのある仕事に諸君は当面していると考えていただきたいと思います。
まず、第一に、私達が出発する場合に、マルクスの「経済学批判」の序説のいわいる「唯物史観の公式」がやはり出発点となりましょう。人間は彼らの生涯の社会的生産に於て彼らの意識とは独立した関係に入る。その関係が生産関係であって、その生産関係の総体が世界の基礎構造、いわゆる下部構造を形成する。そして、この下部構造に照応したところの上部構造が生まれる。さらにこの上部構造に対応する社会意識の諸形態(哲学的、宗教的、政治的、法律的、あるいは文化的な意識の諸形態)が生まれる。この上部構造、下部構造、意識と言うものをひっくるめてマルクスは「社会構成」「社会経済構成体」といっておるわけです。そしてこの下部構造を構成するところの生産関係は生産力の形式であります。だから生産の内容が生産力で、生産の形式が生産関係なわけです。この生産関係は生産力が発展すると桎梏に変ずる。そのときに多かれ少なかれ社会革命の時がくる、と言うのがこの内容の大つかみであったと思います。
生産関係と言うのは、実は同時に法律的な意味では所有関係であります。人間と言うのは関係の総体であって、意識が存在を決定する(意識が存在を決定するのではなしに)と言います。これは間違いではないのです。しかし、人間は社会的存在であるのですから、社会的存在が社会的意識を決定するのです。だから、フォイエルバッハやその他の左翼ヘーゲリアンやそれ以前の唯物論に対するマルクス唯物論の優位さは、単に存在が意識を決定するのではなしに社会的存在が社会的意識を決定する、と言うことにあります。我々はこの基礎に則り、いろいろなことを考察してきたのです。そしてこの公式に対しまして生産力が発展の形式から桎梏に変ずる、そのときに革命が到来すると言うのならばそこから第一に、なぜそれでは生産力が発展したイギリスやフランス、アメリカ、ドイツに革命が起こらずに、ロシアやその他の国々、先進国よりは中進国もしくは後進国で革命が起こったのかという問題が提起されました。こういう問題に対しては、スターリンの「レーニン主義の基礎」の中で言われ、それと同じことをコミンテルンの第2回大会のテーゼの中でレーニンが言っているのですが、帝国主義と言うのは、世界経済の鉄鎖であって国民経済はこの世界経済という一つの鎖の中にまきこまれ、或は統合されている。だから生産力と生産関係の矛盾と言うのは帝国主義の段階では、各国的規模で考えるよりはむしろこの鉄鎖の中で考察さるべきであり、そこから鉄鎖の中の弱い環とと言う考えが生まれる。具体的にはその弱き環がロシアであり、中国であり、ブルガリアであると。そして後にはポーランドであり、ドイツであり、日本であると言われたわけであります。私達もほぼこの命題にのっとって考えてきたわけです。

<社会主義は、何故遅れをとったのか>
ところが、そうしますとさらに問題が残るわけです。この理論で行きますと、生産力の発展の形式が桎梏に変ずる。そして、資本主義的生産関係の基本的な矛盾は、生産の社会的性格と所有の私的性格、つまり私的所有と生産の社会性の矛盾であり、そして生産力が大きくなり生産の社会性が大きくなるにもかかわらず所有が私的所有と言う形態で保持されているから矛盾が起こり、生産力が桎梏に変ずると言われてきたわけです。それでは、何故、社会主義国の生産の社会的性格と生産の私的性格の矛盾が除去されたにもかかわらず、社会主義国の生産力の発展が資本主義諸国の生産力の発展に遅れをとったのか。基本的に、生産力の桎梏となる関係が除去されて、生産力が無限の可能性があったにもかかわらず、何故、社会主義国の生産力の発展が遅れたのか。
こうした問題が提起されてくるだろうと思います。
その場合に、これに対する回答と言うのは、この弱き環というのと関連があるのですが、いわゆる社会主義への移行、社会主義革命が起こったのは、中進国もしくは後進国であった。だから、歴史的にこの後進性を克服するために多くの時を要したのであって、そのために生産力の発展が資本主義諸国に及ばなかったのだ、という言い方が成り立つわけであります。ところが、東欧諸国は別にしまして、ソ連の場合は、1917年から既に73年が経っている。この73年と言うときがソビエトを先進国に変えるのに十分な時間であったのではなかったのでしょうか。だから他の国はともかく、ソ連に関してはこういう言い方はできないのではないかと思うのです。もちろん、第2次世界大戦でのソ連の被害、戦死者の数などは大変なものでありました。こうした被害の大きさが後進性を残しておく原因になったということが言えないことはないと思うのですが、そのウェイトがどのくらいのものであったのか、という問題があります。
次に社会主義と言うのは実は何かということと関連することですが、産業革命を経て労働者が生まれて、その労働者の生活が原生的労働関係と言われる中で非常に惨めなものであった。つまり、労働者の解放を通じて人間の解放を願ったものが社会主義であったと思うわけです。だから、社会主義がいわば、最も人間的、あるいはヒューマニティックな思想であり、運動であったと言えましょう。ところが、実際に社会主義が作られ、私的所有を克服した後では、社会的所有の具体的な形態と言うのは、やはり国有化であり、あるいは国の権限を委譲された自治体所有であり、あるいは協同組合所有であったと思われます。そうしますと、国有にしろ、自治体有(公有)にしろ協同組合所有にしろ、所有の形態が政治に大きなウェートをもってきます。そして、この国家もしくは政治のあり方によって生産力を無限に発展させる可能性があったのに、実際はそれを阻止したというのが2番目の考え方です。今、ペレストロイカをはじめとして、東欧諸国における民主化運動を支持している多くの諸君の立場と言うのはこれに帰着するのではないかと思うわけです。

<生産力をどう捉えるか>
それから、もうひとつの考え方は、いったい生産力と言うのをどうゆうように考えるのかいうことに関連するわけです。知っておられると思いますが、一番公式的な考え方は、生産力と言うのは生産手段と労働力の総体だと、します。そして、それのさらに労働の生産性、~一定の時間に生産手段を駆使してどれほどのものを作れるのかという能率~こういう言わば量にさらに質が加わったものが生産力だと言われるわけです。ところがマルクスは生産力と言うのをさらにいろんな意味に使っておりまして、例えば「哲学の貧困」では、革命的階級、即ち労働者階級それ自体が生産力だと言っている箇所もあるのです。だから、生産力という概念はマルクス自体がいろんな使い方をしておるわけであります。また生産力という場合に、これは軍需生産についても問題となったのですが、軍需生産と言うのは物質を浪費するものであり、このような社会の発展にマイナスになるような生産力というものはこれは厳密な意味で生産力から除外すべきではないかと言う考えもあるわけです。とくに日本では1970年代から高度成長の歪みにより公害問題が生まれてきましたが、こうした公害、あるいは生活環境の破壊~世界的に熱帯雨林をだめにし、一方で地球の砂漠化を押し進めている~今の生産力の発展が果して生産力の発展と言えるのかと言うふうに、生産力概念の問い直しの問題とするのです。だから、我々が生産力の発展と言うときに、特に今、社会主義国における生産力の後進性、資本主義国における先進性、と言う場合に今言った視点からもう一度生産力という概念を見直す必要があるのではないでしょうか。マルクスが「哲学の貧困」の中で、最大の革命的な勢力、労働者階級こそが最大の生産力と言った点、その1点にこだわって生産力と言うものを考えてみますと、労働者階級を腐敗させるような、あるいは労働者階級、人類全体を腐食していくような生産力の拡大と言うのが、今の日本やいわいる先進資本主義各国の生産力の発展、社会主義国での生産力の危機に関して提起されるのではないでしょうか。
「共産党宣言」の冒頭で、「従来の人類の歴史は、階級闘争の歴史であった。奴隷と奴隷主など、これらの闘争は新しい社会を生むか、それとも双方の共倒れに終った」という規定があります。つまり、革命的階級それ自身が最大の生産力である、その革命的階級が、新しい道を解放することがなく、相互の力関係が均衡して共倒れに終ると言うプロセスが進行しており、それは一方における資本主義国における膨大な物的な意味での生産力の拡大と、他方に於ける、地球の言わば汚染として現象しているとも言える。何故、社会主義国の生産力の発展が遅れたのかと言う問題について私達は、したがって次の3点を考慮すべきかと思われます。
一番目が歴史的な後進性、二番目に国有化の主体としての国家、政治のあり方が変わったこと、三番目に、生産力の概念の基本的な再検討が必要であると言うことです。

<国家・党・民主主義>
そして、さらに、今度は、この二番目の国有化、私有を廃止した後の生産の社会的所有の形態と関連して、国有化、国家の問題が出てくるわけです。私は20年ほど前に日本評論社から、現代帝国主義講座の中で「国際共産主義運動の展望と課題」という論文を発表しました。スターリン以来、言われておりますところの、分派を許さない、という考え方は実は誤りではないだろうか。むしろ、スターリンが「レーニン主義の基礎」の中で、分派の存在を許さぬ党というようにしたのは、非合法化に陥られている党であるとか、内戦と戦争の非常事態のもとで、急激に変化するところの情勢に対応して行かなければならないところの党にとっては必要であったかもしれないが、革命と内戦の時代が終った党にとっては、分派の存在が党を活性化し、党内の理論闘争を展開させるための条件ではないだろうか。だからスターリンはレーニンが革命と内戦の時代に書いた文献を平和時まで拡大して、分派の存在を許さぬ党というドグマをつくりあげて、スターリンが党内における自己の政敵を追放していく武器になったのであって、分派の存在を許さぬと言う考え方を改めるべきではないかというようなことを書いたことがあるわけです。今も私はその考え方は変わらないわけであります。つまり、民主主義という場合に、国有化の主体が国家であると、そして国家をリードするのが党、共産党・前衛党と言うことになっていまして、その前衛党の中で分派の存在を許さないと言うことになってきますと、まず、党内の分派、つまり意見の違った集団の自由、の問題が出てきます。そしてもう一つは、階級、労働者階級の党は一つである、そしてそれが共産党だと言う考え方が問題になってきます。労働者階級の党が一つであるというのは、これは終局的にそういうことになるかもしれないが、労働者階級と言うのは一つじゃないわけです。いろんな階層から成り立っているわけです。だから労働者階級の利害を代表する党は、現実には複数政党であり得るわけです。そしてむしろ、プロレタリア階級の党は一つだと言う考え方、終局的にはそう言うことになると言う理想、終着点と、現実の結果を混同するわけでありまして、これが党と労働組合と言う形で結び付きますと、いわいる伝導ベルトの理論と言うのになるのです。本来、複数政党と言うのは、現実には当り前であって伝導ベルトの理論は労働運動の分裂を引き起こすものだということは、何度も私は強調してきました。又、私は労働組合の戦線統一について、党の中では分派の自由があり、また階級の利益を代表するものとしての労働者階級の党は、現実的には複数であり得る、むしろ複数の方が現実的であると述べてきました。そうすると、プロレタリア独裁とこの問題はどう結び付くかということになると思うわけです。この点では、レーニンは革命直後プロレタリアートの独裁を打ち立てたわけですがこのときには内戦があり、さらに言わば対ソ干渉が行われている~米、日本をはじめとする~そして国内は飢えている、という異常な状態の中で、一党独裁を敢行したと考えられるわけです。だからこれだけを取り上げますと、議会主義の否定であります。しかし、こうした歴史的に必然であったところの、ある程度やむを得なかった独裁の形態が1924年、相対的安定期に入って後も、そしてそれ以降も不必要に継続したということが、プロ独裁の名をかたったスターリンの独裁を引き起こし、そして民主主義の発展を妨げたのだと言うことになります。少なくともプロレタリアート独裁と言うのは、労働者階級の独裁であっても、それが複数政党を認めるということになると、複数政党による支配でなければならないわけです。最近レーニンがプロ独裁を認めたことまで過ちであったという理論がソ連内部においても出ているようです。しかし、一体それではこの内戦の時代、世界的な包囲網之中で対ソ干渉が行われ国民大衆が飢えている時代にどういう体制があり得たのかという反論が必要だと思うわけです。だから、歴史の具体的な状況を離れて、プロ独裁がよかったのかどうか、ということは言えないと思うわけであります。むしろ、そういう異常な内戦と革命の時代に、決して望ましくはないけれども、必要であったプロ独裁が、革命と内戦の時代が終わった発展期にまで残ったというところに問題点があった。そしてそれを残すような、それを正答化するような理論がスターリンの「レーニン主義の基礎」をはじめとして、国際的に拡大した、というところに問題点があるのではないか。だから複数政党制と分派の自由と言うのは、当然必要であったと思うわけです。私たちもそうでしたが、はじめ、スターリンの「レーニン主義の基礎」を読んだときはものすごく感動したわけであります。そして「レーニン主義の基礎」などのスターリンの考え方を基礎にして、ソ連共産党史第1版が出たと思うのです。これで教育されたメンバーというのは、おそらくスターリン主義が克服できないのではないかと思います。私自身もかなりこういうスターリン主義の尾を引いておるのではないかと、自問自答しておるわけです。逆に言えば私たちはフルシチョフ報告以後、スターリン主義の系統的な勉強をやってこなかった、というところに一つの問題点があるのではないかとおもうのであります。そして小野さんがおそらく言われたと思うのですが、実は一党独裁と言うのは官僚主義を生み出し、腐敗すると思うのです。これは何も社会主義社会だけでなしに、日本だって、自民党の一党独裁が続けば、やはり腐敗したわけであります。わたしはソ連や東欧をまわって、これを痛切に感じたわけであります。
一党独裁と官僚主義というのは結びついていると思います。民主主義が自由にある国では違った党による政権交替があります。それぞれの省庁の大臣や長官だけでなく、局長クラスまで変わるわけです。一つの党に忠誠を誓っておれば自分が出世できるというのであれば、官僚主義というのが助長されるのは言うまでもないことです。だから、党の中における分派の自由と、労働者階級の中における、それぞれの階層を全面に押し立てて違った意見を述べる政党というのは必然であって、プロレタリアート独裁と言うのは複数政党による政治支配であるというように考えなければならないのではないでしょうか。そして、これが生産力の発展がなぜいわいる社会主義国で遅れたのかという疑問にたいする私流の完全な回答ではないが、それを考えるための一つの足場を提供するものではないかと考えます。くりかえします。生産力概念の基本的な再検討、そして党内のおける、分派、党内民主主義、そしてもう一つは複数政党制、これが疑問解明の重要な柱であると思うのです。

<我々に欠落していたもの>
そして2番目の問題です。マルクスは、人間と言うのは関係の総体であると言いました。例えば、職場における関係がある。また職場との関係で組合との関係、友人との関係、サークルの関係、あるいは家庭内における関係がある。こういう関係の総体が人間である。こういういろんな関係を除いては人間と言うのは何も残らないというのがマルクスの考えである。ところが、女性問題にしましても、人間問題にしましても、マルクスは生産力に対しても生産関係、社会的形式と言うことを強調したわけです。生産力、別言すれば、労働手段も労働力も労働対象も、いつの時代もあるわけです。それがなければ生産は進まない。だからこれは奴隷制社会だろうと、封建社会だろうと、資本主義社会だろうと変わらない。こういう変わらないものを問題にしても仕方がないわけで、それは前提にしておいて、そこにおけるところの形式の違い、その特性を追求するというのがマルクスの基本的な研究態度であったと思います。マルクスの場合、内容はすでに前提されておって、その上に形式における特性を追求する、そうすると、例えば、生産手段における特性、生産手段の機械や道具だけでなしに、高度な装置によるものも生まれてくる。それが個人に所有されておるところから株式会社による所有という形になる。つまり、限定された意味での社会的所有に変わってくる。だからそういう所有の特性を追求することで社会の特性を明らかにする。それがゆえに内容よりも形式における関係を特に強調すると言うのがマルクスの著作にあらわれていると思うわけです。
ところが、マルクスの(私らも含めて)継承者、信奉者は、マルクスが既に当り前のこととして前提としておってあまり言っていない内容についての考察を欠落させていたのです。こういうことがマルクス主義における一つの弱点となって現れたと思うのです。私達はある種の社会的動物ですが、社会的動物である前に動物なんです。そういう一面がマルクス主義では軽視されてきた。それがね、例えば女性問題に関してマルクスの理論がやはり一般の人達に受けない理由の一つになっているように思われます。そして人間は関係の総体だと言う場合にも、マルクスは当然、当り前だと思って前提にしてしまっていたことを我々は省略して、我々の視野から欠落されてしまっていたのです。
私達はこういうふうに考えてきました。下部構造、経済があって、そして下部構造が変わればもとろん社会の上部構造も、社会意識の形態も変わる、もちろん、この下部構造の変化より上部構造の変化が遅れ、さらに社会意識の変化が遅れるにしてもしかし終局的には下部構造の変化が上部構造も社会意識の変化をも引き起こしていく。だから、生産手段が社会的に所有され、自分の労働が即、直接的な形態で社会的労働であるということが容認される社会においては、自分のために働くということは社会のために働くということと直接結び付いており、生産手段の所有が変われば、社会意識も変わっていく。それは歴史的なギャップではあるけれど、終局的にはそれについていくと言う考え方に立っていたと思うわけです。
ソ連においても中国においてもそうなのですが、生産手段が社会化され、上部構造も社会化されていけば、意識も社会化されるであろう、つまり、人間が社会のために規律を持って働くであろうと考えたわけです。このタイムラグがもっとあるのかもしれない。しかし、私達が知る範囲ではソ連でも中国でも私的所有を認め、その生産物を売って、それを自己のものにする範囲ではみんな全力をあげて働くけれども、そうでないところでは何となく、力が抜ける。だから、良く言えば、マルクス主義の人間像と言うのは、理想主義であって、今度の社会主義の変動が、人間に対する理想主義の敗北ではないかということに要約できないこともない。しかし、それではあまりに淋しすぎるわけであります。人間に対する理想主義を失ったら、一体我々はどこへいったらいいのか。
しかし、人間と言うのは動物でありまして、動物と言うのはどんな状況におかれても、楽な状態におかれたら楽なことをしようとする。そういう一面を持っているんですね。まず自分のために働くと言うのが生物共有のものであって、理論と教育によって社会的な側面をもつわけですが、それを絶えず教育と活動によって訓練していかないと、そこへ戻っていくという側面があるのではないか。だから、人間と言うのは合理的存在であると考えてはいけないのであって、実は2面性を持った不合理な存在であると考えるべきかもしれません。マルクス主義であれ、我々が学んできたアダムスミスなどの経済学であれ、人間というのは合理的な存在であると言うことを前提にしています。
実は人間は非合理な存在であって、しかもこういう下部構造から上部構造、社会意識の変化というのは、そう一挙に変えられるものではない。レーニンが商品生産と言うのは絶えず資本主義を生みだしていると言いました。商品生産を拡大したのは資本主義です。しかし、商品生産自体は、エンゲルスも言ってますが、奴隷社会にもあったわけです。つまり、奴隷制社会、封建社会、資本主義社会と、ずっと続いてきた商品生産が資本主義社会になるまでは基本的な生産関係にはならなかったがずっと残ってきたわけです。そして社会主義社会になってもこの商品生産は残ってきたわけです。
この商品生産のイデオロギーというものは実は、我々が生物としてもっている、まず、自分に有利なものを取るというそういうものに基づいてきたのではないでしょうか。一方、時には人間は英雄的行為をするわけです。これも人間の一面なのです。しかしこれはイデオロギーや教育によってでてくるものです。もう一方の動物としての人間から生まれてくるイデオロギーは根強いものがある。
そして何度も言いますが、マルクスは人間の非合理性を省略したわけですが、後世の人間はこれを欠落させて社会的側面だけを強調してきたから、人間の非合理性を忘れて、結局は理想主義ということに陥ったのではないか。これは非常に古い考え方であります。しかしやはり人間と言うのは、つまり、理想主義に、英雄主義に燃えることもあるし、またそのために命を捨てるという犠牲的行為もする。しかし一面においては、わが身さえ良ければよいという動物としての一面をもっているんだという苦いところから、だからそういう人間だからこそ人間を愛するのだというあたりから出発しないと、我々のマルクス主義というのは地に足がつかない理想主義に陥ってしまうのではないでしょうか。

<激動する世界と我々の責任>
最後に、いま起こっているところのペレストロイカを含めた東欧や社会主義国における運動に対する我々の責任と言うことについて触れなければならないと思うわけです。現在、米国と日本で世界の国民所得の3割を占めているわけです。それだけ世界の経済に占める日本の役割が大きくなっているわけです。これは何度も言っていることですが、不況から安定成長期に移るところで、日本の労働者と言うのはものすごい退却をしました。ストライキの件数にしましても、ストライキによって失われる喪失労働時間にしましてもものすごい退却をいたしまして、それが賃上げが少ない割に、膨大な利潤という形で残ったのです。そのために、一方では自分達の首を締めるような、企業における金余り現象となり、それがまた土地投機や土地買収の資金とされ、その上、社会福祉が不自由なために、日本での個人の貯蓄が大きくなり、その貯蓄が銀行を通じて企業にいき、土地を買い占める。今の土地の7割近くが法人の所有になっています。実はその退却が、国際的に他国の労働者が闘いとってきた労働条件に対する攻撃の材料を提供した。いわば、世界的な労働基準の足を引っ張る役割を果たしてきたし、そのうえに、日本の「繁栄」という虚構の繁栄というのが成り立っておるのです。しかもそうした虚構の繁栄に支えられた我々の消費水準の上昇が、言わばデモンストレーション効果を通じて資本主義国に対する幻影を、社会主義国の人々に与えたことは事実だと思います。
しかし、実際には資本主義国には暗黒面もあるわけですが、私達はそういう資本主義諸国の暗黒面を通じて社会主義国に伝えていく責務を果たせていないと思います。だから、今度のリクルート事件でも労働組合としてリクルート事件を追求するデモや行動が組織されなかった。安保のときは国会を包囲するデモをやったエネルギーは遠い昔語りとなってしまった。私達は行動を通じて資本主義の暗黒面を暴露していくことを十分やってこなかった。今度の土地問題でもそうですが、もう土地を、一戸建ての住宅を持つことは不可能になってしまったのです。他の国ではこんな土地の評価の状況があれば、暴動が起こりますよと西ドイツの大臣が言ったと言います。しかし、日本では全くこれを見逃している。しかしこんな日本が米国と共に世界のGNPの3割を占めている。こんな日本に学んでもらうところは何もないと思うのです。ただ日本では利潤のために個人の能力が十分に発揮されています。組織的に生産性向上運動などがなされています。そういうものに対する幻影だけがマスコミを通じて強調される。そしてもう一方の暗黒面が、我々の行動を通じて訴えられない。幻影をもつなと言っても、資本主義をすてて数十年もする社会主義国の労働者が幻影を抱くのは当り前だと言えます。新聞報道によると日本人の8割は現状の日本に満足している。そうしますと実は、社会主義国のあの運動に対しても我々も決して無関係ではない。それほど世界的なことになっているわけです、我々の地位が。しかし、今の日本でも諸君らのような安心して後に託せると思います。どうもまとまりのない話になってしまいましたが、御静聴ありがとうございました。
(昨年4月労青大阪府委員会主催の合宿での講演内容を文章化したものです)

【出典】 青年の旗 No.161 1991年3月15日

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【追悼】追悼 小野義彦先生

【追悼】追悼 小野義彦先生

さる90年11月19日 小野義彦先生が亡くなられた。突然の吐血による入院以来10日間の看護も虚しく、帰らぬ人となった。
生前には、毎年我々の春の合宿においでいただき、卓越した政治経済分析を講義いただき、労働運動や民主運動に関わる若輩の我々に大きな運動の指針を与えて頂きました。
近年はゴルバチョフのペレストロイカに触発され、社会主義運動の反省の色濃い、先生にとっては長年言えなかった事柄を堰を切ったように話されたことをつい昨日のように思いだします。
突然の死が訪れるまで、岐阜経済大学の教員として、また、「知識と労働」誌の編集者として現役の人でありました。書斎の机には赤鉛筆で真っ赤に書き込まれた新聞が残り、整理未了の執筆書類も残されました。昨年の春の合宿では、特にドイツの統一について非常に心配されるとともに、自分自身でもこれまでの社会主義をどのように考えるべきなのか、また今後どうあるべきなのか、若い諸君とともに真剣に追求して行きたいと言われていたのが印象に残っています。

先生の敗戦直後までの運動経験は、「昭和史を生きて」の中で詳しく記されています。戦後は日本共産党の赤旗編集局勤務を経て、京浜地方の労働運動に深く関わられ、その後50年代後半から60年代を通じて、日本の革新陣営全体に巨大な影響を与えた日本資本主義をめぐる論争においては、一方の旗頭として、詳細を極めた論証と説得力あふれる論文を数多く発表されました。それらは、1963年の「戦後日本資本主義論」、「金融寡頭制の確立」、1968年の「戦前と戦時の国家独占資本主義」、1976年の「近代日本資本主義の危機」など数多くの著作にまとめられ、現在においては、もはや疑いの余地なく、先生の理論的正しさが実証され、現時点においてもその理論的核心は生き生きと輝いています。
大阪市立大学の教員になられて以降、大阪・関西の労働運動・学生運動に大きな影響力を形成され、民主主義学生同盟の「生みの親、育ての親」として数多くの活動家を育てられました。東京・関東をはじめ全国で、様々な戦線で小野先生に御指導をいただいた同志達が現在も現役として第一線で活動しています。
70年代以降は「知識と労働」誌を舞台として、政治経済の分析と運動の統一を常に追求されました。また日ソ極東学術シンポジュウムの組織化と定期開催に尽力され、さらには国際太平洋学会の会員として、シベリア、メキシコ、アメリカ、韓国などを駆けめぐり、ソ連、アメリカをはじめ、世界の多くの科学者との交流を通じて、世界の平和と科学の発展、地球環境保護のためになみなみならぬ努力をされてきました。
余りに突然の死。60年以上に渡って進歩と革新の運動に参加された先生の遺志を、その思想を胸に焼付け、労働青年同盟全国協議会に結集する我々は、平和と反独占民主主義、諸運動の統一のために前進することを誓うものです。

【出典】 青年の旗 No.160 1991年2月15日

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【投稿】ペレストロイカの将来への期待と不安

【投稿】ペレストロイカの将来への期待と不安  (森田 一夫)

< リトアニア、ラトビアへのソ連軍の武力行使>
リトアニア、ラトビアにおいて、ソ連軍が武力を行使する事態となった。バルト諸国は最高会議での独立宣言をもとに、ソ連からの一方的な独立を目指していたが、ソ連からの独立に反対する勢力が「国家救難委員会」を組織し、権力の掌握を宣言し、軍が介入するという事態に至ったのである。
バルト諸国でのこの急変については、未だ不明な点もある。軍の行動は誰の指示によるものなのか、ゴルバチョフ大統領は強大な権限をもっているにも関わらず、事態が生じた後で知らされたと語り、「武力の行使に関連する状況は、詳細に検討され、法に従って評価されるべきだ。」との声明を出している。
民族間の対立が、武力によって解決されないことは明らかである。同時に、今日のソ連邦での民族問題が非常に複雑な問題であり、バルト諸国をみても、各民族(共和国)の自決と主権の問題であると同時に、これまでのソ連邦の歴史の結果、各共和国におけるロシア人など他の民族の比重も相当大きいという特徴をもっている。
ゴルバチョフ大統領は連邦の問題、各共和国・民族の問題については次のように語っている。
「主権と離脱権に関する問題はそれぞれ異なる問題である。第4回人民代議員大会で、離脱問題は詳しく論じられた。主権の問題に関しては、本質的な違いはない。一方、連邦からの離脱権に関していえば、その決定は、まさにその民族のみが権限を持つ。共和国における国民投票が最終的な審判となろう。離脱へのプロセスそのものは、もっぱら、法律を基礎にし、すべての歴史、経済、人口・民族分布民族心理上の状況やその他の状況を考慮にいれて実施することができる。
民族の主権と自決権を実現すればソ連邦の崩壊につながると考える人がいる。私はそうは考えない。その逆に、このおかげで私たちの共通の国家の活力が高まると確信している。この共通の国家が何世紀にもわたって多民族国家として形成されてきたというのが現実だ。度のような重大な変化が起ころうとも、この共通の国家は多民族国家としてとどまるであろう。私たちの国は、世界でも最大だ。その崩壊は、率直にいって、地球規模の不安定を引き起こす要因をはらんでいる。私たちはそれをさせる権利はないし、させはしない。」(朝日新聞とのインタビュー)
あとのソ連邦の崩壊はないとの発言は、希望の表明、保守派への配慮として受けとるとして、私としてはゴルバチョフ大統領の連邦離脱プロセスは、真剣な提案であると思う。リトアニア、ラトビアへの軍の行動はあるが、ロシア共和国で主権宣言がされるなど、ソ連における連邦の問題、民族問題は新しい関係が模索されているという流れは消滅しないと思う。しかし、今回の軍の行動はその責任がどこにあるにせよ、民族問題解決にとっては新たな困難要因となっているということができる。

<シュワルナゼ外相の辞任>
シュワルナゼ外相の辞任には世界中が驚いた出来事であろう。彼は最高会議で「独裁制が近づきつつある。抗議のために辞意を表明する。」「『内相の次は外相を追い出す番だ』という最高会議議員の話がマスコミに流れた。だが、だれもこうした動きに反発しようとはしなかった。」「民主派の同志諸君。君たちは四散し、逃げ隠れしている。独裁が近づいている。……わが国で起こっている出来事、我が国民を待っている試練に私としては妥協できない。」と語り、辞任したのであった。
後日、彼は、インタビューに応えて「トビリシ事件、バクー事件(いずれも軍による流血の鎮圧)が繰り返される可能性がある。秩序回復はよい。しかし、それは力を意味する。危機の打開には人民が団結すること。民主勢力が自主独立のために、民主主義を守るため団結することだ。私の考えでは、大統領の新しい権力や他の厳しい手段は役に立たない。民主主義の進展と暴力は共存できない。もし惨事がおきたら、『新しい思考』は意味がなくなり、これまでの対外路線はとれなくなるだろう」と、語っている。
ソ連では、ペレストロイカによる経済改革が成果を見せず、食料危機を初めとする経済危機、民族対立の激化による社会秩序の低下などが増大し、それに対し、「法と秩序の回復」を重視する保守派の勢力が増大している。保守派からは「新思考外交」に対する批判も強く、ドイツ統一や東欧での「社会主義」の放棄を認めた、また、東西軍縮交渉では譲歩し過ぎている、湾岸危機ではアメリカに追随している、といった具合いに。「東欧からのソ連軍の撤退は、シュワルナゼの大きな誤りだった。いま、兵士たちは宿舎もなく、ソ連国内でテントで寝ている」(国防省の機関紙「赤い星」)というように、国内での経済改革の遅れと、軍縮による軍と軍人の処遇を結びつけて攻撃している。国際関係の緊張緩和が本来歓迎されるべきなのにそれによって攻撃されるという皮肉な結果となっているのである。

<苦痛を伴う経済改革>
ソ連経済を立て直すため、ゴルバチョフ政権はこれまでに、個人営業の公認、外国資本進出の承認、個人農の創出、などの試みを進めてきた。中央からの画一的な計画と指令による硬直化を克服するために市場経済への移行をすすめている。
昨年5月には、ソ連政府は、国営企業の株式会社への転換など、多様な経営形態を発達させて、段階的に市場メカニズムの導入を目指す市場経済移行基本構想を示した。しかし同時に、食料品の大幅な値上げなどを打ち出したため、モスクワなど各地で市民の買いだめによる混乱が発生した。
また、市場経済の具体的計画については、五百日で実現させるという経済学者シャターリン大統領会議員の案と緩やかな移行のルイシコフ首相の政府案が対立。ロシア共和国最高会議は9月に、両案の一本化を目指す連邦政府を無視してシャターリン案を承認した。 ソ連最高会議は10月、結局1年半から2年間を一応の目標に、4段階での市場経済移行を目指すゴルバチョフ大統領の妥協案を採択した。
ロシア共和国は11月1日から「五百日計画」の実施に乗り出したが、連邦との調整などもあって事実上、暗礁に乗り上げている。
一方、今年のソ連の穀物生産は二億三千五百万トンにのぼるとみられ、過去最高の78年に迫る勢いにもかかわらず、モスクワをはじめ各地では、さらに従来から問題だった流通の混乱、食品産業の遅れにより食品加工工場の処理能力が追い付かない、などの理由で食料供給が進まず、肉加工物やミルクなどが大幅に不足するという事態になっている。
経済改革は、ペレストロイカにおけるもっとも重要な課題である。それは、社会のあらゆる階層に大きな影響を与えるものであり、これまでになされた改革、また、これからされようとしているどの改革も、政治闘争の大きな課題となっているし、なっていくであろう。ゴルバチョフ大統領もこの点を認識した上で、次のように語っている。「実際この国(ソ連)の潜在力は非常に大きい。科学の潜在力も、人的潜在力も、自然の潜在力も」「だが、このメカニズムには、よい原動力を入れなければならない。私たちは、それは所有制度の改革だと考える。私たちは労働へ強力な刺激をもたらさなければならない。また私たちは徹底的な構造変革を遂行する必要がある。私たちの経済は原料部門が重くなりすぎている。軍事化が過剰である。そして私たちはすでに(やるべきことを)行っている。経済関係の改革もしているし、構造変革をも開始した。そして私たちは先進諸国との広範な協力をも重視している。そしてそのための提案も多い。」「しかし、経済の新しい形態への移行は、困難をともなって進行している。それはわが国の経済実態に起因するものでもあるし、私たちに改革の経験がなかったために誤算や誤りを犯したことにもよる。そして、特に私たちの大きな誤算は、貨幣の量と商品流通のバランスを制御できなかった点にある。」「わが国は金融・信用制度や、貨幣・財政制度の安定化、健全化の段階を迎えなければならない。我々はさし迫った問題に直面しており、消費市場の状況が極度に緊迫をしている。これらを早急に解消することが急務であり、それを解決して初めてわれわれは市場経済に向けて、自由に、大またで進むことができる。」(朝日新聞とのインタビュー)
このような経済改革は、うまく実施できるという保証はない。改革の影響はすべての人をまきこみ、その結果、バチカン内相を解任に、シュワルナゼ外相を辞任に追い込んだ保守派を勢いづけるものになるかも知れない。

<資本主義の方が社会主義よりよかったのか?>
ゴルバチョフ大統領は「私たちが始めた市場経済への移行は、社会主義と資本主義の間の違いをなくすものでなく、私たちが資本主義の社会経済的、政治的倫理を借用することを意味するものでもない。 それに『純粋な』資本主義はどんな社会にも存在しなかったし、まして現在は存在していない。資本主義的所有の形態も、経済、社会政策も重要な発展を遂げてきており、それはしばしば社会主義から借用されたものである。そして現代の社会主義の理念は、市場関係の経験をも含め、資本主義の条件の中で人類の思考と実践が達成したものを否定したり、放棄したりすることを意味するものではない。」(朝日新聞とのインタビュー)と言う。
ペレストロイカとグラスノスチによって、明らかにされたソ連の困難、東欧での激変を見るにつれて、社会主義の衰退のイメージは一層強くなっている。
しかしながら、資本主義も社会主義の登場によって、「福祉国家」となっていったこと、今日においてもその基本的傾向は変わっていないことは、例えば、今日では「高齢社会」への円滑な移行が日本のあらゆる社会階層にとって重大であり、政府自民党にとっても、高齢社会への移行はもっとも重要な政策課題の一つとなっているのである。

<我々もペレストロイカを!>
ペレストロイカは、社会発展のためには民主主義と公開がもっとも重要であることを指摘してきた。さらに、社会発展への熱意と意欲、創造性を持たない人々が官僚的な組織の中で安住し、教条主義的に振る舞い、発展への大きな阻害要因になっていることを暴露してきた。
ペレストロイカは、ソ連社会、共産党での改革を進める取り組みではあるが、ペレストロイカが投げかけている課題と教訓は、民主主義運動、労働組合運動においても当てはまるものである。ゆえに、ペレストロイカの課題と教訓をかみしめて、私たちの運動と組織を点検し、新たな一歩を踏み出していかなければならない。

【出典】 青年の旗 No.160 1991年2月15日

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【投稿】湾岸戦争の早期停戦に向けて

【投稿】湾岸戦争の早期停戦に向けて
    アメリカの戦争開始糾弾!自衛隊の派兵阻止!アメリカヘの軍事協力反対!

(1)戦争開始は解決ではなく、中東戦争に拡大しつつある。
1月15日の国連のイラクのクウェートからの撤退期限の翌日未明、アメリカはイラクへの空爆を開始した。期限切れ以降の水面下のイラクとの折衝は最後的に断ち切られた。アメリカは軍事的「解決」を交渉による解決に先立てた。16日のアメリカによる爆撃は「大成功」と伝えられ、戦争への早期「解決」への幻想を国際的に振り撒いた。しかし、18日、19日イラクがイスラエルへミサイル攻撃によって、事態は新しい局面を向かえている。ヨルダンはイラクへの支持の国会決議をした。イスラエルの対イラク参戦という事態になれば、4度に亘る中東戦争に係わったアラブの国々がもはやイラク支持の立場へとはっきりと変えるであろう。イラクのクウェートの軍事的併合を糾弾しようと、パレスチナ問題がなくなったわけではないのであり。この間題でイスラエルとアメリカは直接の侵略者なのである。
事態の推移は短期的な戦争による決着の幻想を払拭しつつある。アラブ対アメリカ、イスラエルの構図へと拡大していく方向へ進んでいる。フランスなどヨーロッパの各国はイラクのクウェートからの撤退を目的とする攻撃以外には加わらないと述べている。当初イラクへの空爆へ加わった各国は戦争の性質の変化、戦争の拡大に従って協力を止めていくであろう。
地上戦に入れば、少なくとも、数カ月の戦争継続になるであろう。プレジンスキー元大統領補佐官は1日10億ドル、何千人、何万人のイラクの民間人が犠牲になり、米兵の死者も何千人に及ぶだろうと述べている。(月刊ASAHI11月号、1990年)彼によれば、アメリカが解決すべき問題を3つ上げている。
①石油の安定供給(サウジアラビア、アラブ首長国連邦の防衛)、②イラクの軍事力による他国の併合を許さず、クウェート政権の復帰させる、③中東の安定化のために巨大になったイラクの軍事力をなんとかする。当初の経済封鎖という平和的方法では、①の問題はなんとかできるが、②の問題は長い時間が掛からないと解決せず、③の問題は解決しないという。アメリカの軍事行動の目的のひとつは明らかに自らも手を貸して大きくなったイラクの軍事力をたたくことが目的であろう。決して、事態そのものの解決を目指してはいけない。彼は軍事による行動はイスラエルが強く望んでいると述べ、ハイテク戦争の分前としてのハイテク軍備を供与してほしいと望んでいるという。彼は、戦争は事態を複雑化するだけであり、シリアやトルコなどの領土要求をも引き合いに出してしまう可能性もあると指摘していた。

(2)国連平和法案の論議をまったく無視する海部政権-自衛隊派兵阻止!戦争協力反対!
国会での自衛隊の派兵、アメリカへの援助の論議は荒唐無稽である。平和憲法の精神にたって、自衛隊の派兵はできないこと、援助は武器、弾薬に使わないこと、等の答弁が一切無視されている。この戦争の見通しを一切持たない日本政府の政策なら一切しないことが和平への協力であろう。戦争への荷担は深刻な長期化に役立つのみである。
今、思いを胸の打ちにとどめてはいけない。形に行動に現すときである。あらゆる所で「わたしは戦争はいやだ」ではなく「この戦争には反対だ」というべきではないだろうか。反対の世論が累々たる死体の山を前にしてしかできないはずはない。過去の多くの経験を私たちは持っているはずだ。ベトナム戦争の記録、レバノンの虐殺の記録(「サラーム」)などなど。多様な行動を作りだし、人々の心を結びつけよう。
(3)湾岸戦争の早期停戦にむけて
この戦争は問題を解決しない。それどころか戦争の継続は事態を複雑化させるだけであり、戦争後に新たな問題を生み出すだけである。フセインの領土要求には、帝国主義の国益による国境線の確定という歴史的根拠があるだけであり、パレスチナ問題の存在がアラブの人々のフセイン支持の背景になっているのである.これらの問題を無視して、イラクとの妥協の余地はない。アメリカこそ事態の平和的解決の棟々な案を拒否してきた張本人である。フセインをここまでかたくなに追い込んだのはアメリカである。戦争の停止とフランス、サウジアラビアなどの第3国による調停が事態を解決するだろう。そこでは、イスラエルによる侵略の問題を見ないアメリカの立場の変更が要求されるであろうし、単純な戦後国境の確定の原則は中東には適用されてはならないのではないか。中東の国境問題は現在の問題であり、米ソの枠組の中で解決しえない問題なのである。中東諸国自身の利益を中心にした国際会議が開かれるべきである.
今は戦争反対の世論によって各国を戦争から手を引かせることである。日本から1人の自衛官も出させない。人殺しの金を1円たりとも出させない。戦術核、トマホークを積んだ艦船を出させない。戦いが必要であろう。
(1.19 東京K,都委員会旗開きにて提起)

【出典】 青年の旗 No.160 1991年2月15日

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【投稿】自治労における展望なき日本共産党の分裂策動

【投稿】自治労における展望なき日本共産党の分裂策動

この数年、日本共産党は、自らの影響力と資金源を確保し、選挙戦でのこれ以上の後退を食い止めようと、様々な大衆運動、とりわけ労働組合運動において組織分裂を進めてきた。
特に日本最大の単産である自治労では熾烈な組織攻防が展開された。
結果として、日本共産党の「一大攻勢」は惨散たる敗北に終わりつつあるが、日本共産党は例の如く「大本営発表」を繰り返している。
こうしたことから、ここでは、主戦場となった東京と大阪の経過をたどってみたい。
自治労内の日本共産党のフラクションは、愛知、京都、などの7県本部を始め、政令指定都市市職、県職のほかいくつかの単組、および自治労主流派の県、単組内の公然非公然の組織をもって構成され、その数30万と公称していた。
日本共産党の指導部は、連合の発足に照準を合わせ、第2の自治労を結成せよ、と総攻撃を命じた。 この中で、首都であり、組合員12万人を要する東京都職員労働組合の動向が最も注目され、「首都決戦」の様相を呈した。
もともと東京都職員は、本分庁(都庁職員各支部)と特別区職員労働の連合体であり、実際の労働条件の交渉はそれぞれに「権限」が存在していた。また基本貸金確定や、一時金闘争などは交通労組や水道労組を合わせた都労連単位で行われていたので、いわば「中2階」的存在であった。
日本共産党は、長らく、都職の執行部を支配していたものの、自治労主流派や、新左翼も抱えた運営であり、強引な分裂策動は行えず、一定の妥協路線を取ってきた。
しかし、先にも述べたように連合の発足、「全労連」の旗揚げ、という急展開の情勢の下、もはや城内平和に安住しているわけにはいかなくなったのである。
もっとも、それまでの作風にのっとり、「中立化」というまやかしの選択を揚げた。
しかし、大阪や全国の戦線で「戦場離脱、玉砕」が相次ぎ、開戦間無しに30万以上の組織化という目標の達成は到底不可能なことが明らかになり、二の足を踏む部分も出てきた。
これに慌てた日本共産党指導部は、主力である都職の突撃を厳命したのである。これを受けて、都職執行部は、一方的な自治労脱退を大会で決定しようとしたがかなわず、その後の支部単位の役選では勢力の後退が続き、強行策は裏目に出てしまったのである。
こうしてついに、昨年全支部で一票投票となったわけだが、これも予想を上回る日本共産党の敗北となり、組織勢力は自治労7万、日本共産党5万と逆転してしまった。
もっとも前提として、都職は分裂させずに、自治労系支部連合、自治労連支部連合を作り、それが上部団体一産別加盟単位-になるとの了解があったので看板だけは残ったことになる。
こうした結果となったのは、日本共産党が無茶な作戦を強行したことにつきるが、自治労主流派の大衆運動と組織問題をリンクし、自治労運動の優位性を示していった(10.21,横田基地包囲動など)努力がある。
大阪では、既に80年代の初めから、自治労主流派と日本共産党「衛都連」の組織戦が展開されていたが、全国状況を先取りする形で前面戦争に突入した。
戦線はこれまでの衛都速から、大阪市内に一気に拡大し、89年には1万4千人の大阪府職労が分裂し、自治労府職が再建された。
そして、これと前後して、「衛都連」の少なからぬ単組で、自治労への結集を目指す単組が誕生した。
このような反転攻勢ともいえる自治労主流派の動きに対して、日本共産党は大阪市職・大阪市従で分裂を強行、「大阪市労組」をデッチ上げた。しかし、その組織力量は、市職・従、合わせて2万6千人に対して、わずか600人であり、その幹部は圧倒的優位の敵に対する切り込みを、無能な指揮官から命じられた下級将校のようなものだ。
また、衛星都市のいくつかの主流派単組でも組合の10%に満たない人員で日本共産党が第二組合を形成したが、何らの庁内的、社会的影響力も持ち合わせていない。
大阪の場合も、賃金闘争や労働時間短縮などの取り組みで、自治労運動の優位性が明らかになり、組合員は、的確な判断をしていったわけである。
こうして、組織戦において自らが分裂をしかけたにもかかわらず、各所で戦線が崩壊してしまった日本共産党は、少数分裂の単組をもって、「○○市でも自治労連結成」などを宣伝しているが、その実は、インパール作戦における帝国陸軍「師団」と同じである。
それでも、日本共産党指導部は、「進軍ラッパ」を吹き続ける。東欧「社会主義国」で起こったことが、自らの支配する組合内でも起こっていることにも気が付いていないまま。 この進軍ラッパは最前線で疲れ果てた下級カードルには、レクイエムに聞こえるに違いない。(大阪 0)

【出典】 青年の旗 No.160 1991年2月15日

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【巻頭】1991年にあたって

【巻頭】1991年にあたって

<反独占民主主義路線の革新と一層の発展をかち取ろう!>
我々の組織とその周辺の人々は、1970年代以降に学生運動を経験し、「平和と平和共存、反独占民主主義、統一戦線」の旗を掲げてきた。これらは政治的なスローガンとして現在も十分に有効であり、ますます、その実現が現実的となっている。
平和を求めることが第一義的であることは、湾岸戦争の現在も明らかである。
戦後の冷戦政策の時代、ベトナム戦争反対の闘いから全欧安保、80年代欧州での反核運動の大きな高揚をへて、全面軍縮、東西の共通の課題としての核軍縮、そして通常兵器の削減に至る過程は、こうした平和を第一義的に追求してきた我々の路線が正しかったことを証明するものである。
さらに、反独占民主主義と一般民主主義闘争を重視してきたことも我々が「革命あそび」に陥るのを防ぎ、労働運動をはじめ部落解放運動や在日韓国朝鮮人の反差別の闘い、障害者解放運動・市民運動など様々な民主主義運動に多くの活動家を送りだしてきた。民主主義を実現すること、運動の過程・組織運営においても民主主義を貫くこと、党派の利害を大衆運動の利益の上に位置付けないことは、我々の「党派性」であり、理論の域ではなく、むしろ思想として我々の体の一部と言えるものである。
統一戦線については、運動を組織する原点である。現在の日本の政治状況を見ても、反自民・反独占で一致する勢力の統一、統一行動の必要性はますます労働者・市民の認識となっている。一昨年以来の参議院での保革逆転という政治状況は、平和や勤労者の生活向上のための具体的政策をめぐって、一層革新の側の統一を求めている。

<新たな政治の激動と民主勢力の前進のために>
今世界と日本は、今までにもまして全てが絡み合い、相互に影響しあいながら、様々な課題の解決を巡って、進歩の側と保守的な勢力の攻めぎ合いの舞台となっている。
今回の湾岸戦争では、単純な侵略主義のイラク対平和主義の国連・多国籍軍というような明確な色分けは不可能である。クウェートへの武力侵略は断じて許せないものであるが、中東の中の富の配分の格差は過去の植民地支配の結果というべきものである。アメリカ・多国籍軍の武力行使の開始は決して「和平」を求める声に応えるものではなかった。
アラブ・イスラムの中での解決は、いかにハイテク兵器を駆使してもそれだけで解決することは不可能であろうし、このままでは戦争の長期化は避けられない。
ハイテク兵器の駆使は、膨大な戦費となり、ブッシュは日本に負担を強く求めている。90億ドルの援助は、おそらく軍事的費用に充てられるであろうし、和平に役立つものではない。湾岸戦争と日本の関係で言えば、日本の平和外交、そのビジョンが問われている。
経済力に追い付かない国際的な外交姿勢に対する国民の眼は鋭く、新たな政治的対立の課題となることは必死である。自衛隊の海外派遣も昨年の「海外協力法」の破産の経験から、憲法論議を抜きに強行するならば、国民の大きな抵抗が待っているだろう。
我々は、職場地域から平和を守り、即時停戦、日本の戦争への荷担の中止を求めて行動を起こして行かねばならない。

91春闘の準備が進められ、連合結成2年目の春闘が闘われる。5年を越える高景気の持続という中で、時短と賃上げが大きな課題である。特に、労働者間の格差の縮小、土地・住宅・高齢福祉対策など政策的な課題も重要である。
また、高景気の労働力不足の中で、一面で労働条件は自然と上向いている。しかし、労働者の権利という面からは長時間労働、変則的勤務形態の増加、無権利状態の労働者の増大という現実もある。制度政策要求を強め、連合の力を本物にしていく必要がある。
また、労働組合の体質も新たな革新が求められている。言い古された組合民主主義ではあるが、官僚主義と保守的体質はまだまだ根強いものがある。
我々は、労働者の組織の強化と生活の向上のために一層奮闘するものである。

平和・人権(民族的権利も含む)・民主主義・環境問題は世界共通のキーワードとなり、国を越えて、人々の運動は結び付き、意見を闘わせ、連帯することを求める。

<社会主義の惨めな現実とその精神的衝撃>
国際的な問題に眼を転ずればここ2年間で劇的な世界の変化が進行してきた。
特に、ソ連・東欧の問題では、不安と失望的な感想抜きに語れないような現実がある。
85年にソ連でペレストロイカが開始された。最初は、政治的な民主主義のレベルであった。過去の社会主義の暗部というべき事実が公表され、過去の指導者への批判も行われた。もちろん、経済の停滞、社会の停滞、というなかでペレストロイカ(加速化)のための、党と国家、政党と行政機構の整理も提起されてきた。こうしたソ連の自己切開、改革の流れの中で、東欧の民主化は準備され、89年の秋一斉にに解き放たれた。
そこで、明らかになったことは、我々が世界の三大革命勢力の一つとして学んで来た「社会主義世界体制」の非民主主義的実態であり、ロシア革命以来70年を経た社会主義の惨めな現実であった。
理論的にどう解釈するか以前に、精神的ショックこそが我々を捉えたのである。
そして、社会主義の現実とともに、党、政治の問題も同様であった。東欧では共産党は姿を消し、社会民主主義の党がとって替わった。「民主集中制」「プロレタリアート独裁」「党の指導性」云々の理念は理論的にどうあれ40年間も「社会主義」の下で生活してきた労働者市民によって事実上否定されてしまった。
こうして、少なくとも我々にとってここ20年間運動の基礎と考えてきた社会主義をめぐる理論的な事柄が新たな検討の対象であることは、共通の認識となっている。
労青は自己を党と自己区別をしてきたし、MLを学ぶものと位置づけてきた。
民学同がそうであったように、労青も民主的青年組織の位置づけを逸脱したことはなかった。確かにそうなのだが、民主主義こそが社会主義の入口であるという意味で、我々の組織は世界の進歩的勢力としての社会主義を信頼(!)してきた。
平和と民主主義の勢力として、世界の平和を求める人々との連帯を掲げつつ、根底的には社会主義の存在を抜きに平和は語れないという意味で、社会主義を身近に感じてきたのである。
社会主義の崩壊とも見える現実はけっして他人事ではなく、我々自身の問題と捉えたいし、深刻な問題として我々自身の前にある。
我々の仲間は、自らの問題としてソ連・東欧の激動を見てきた。評論家ではなく、共にこの時代を生きていく、切り開いていく同志として。
我々に求められているのは、根本的な問い直しをけっして焦ることなく行っていくことである。この過程は、誰かが答を用意するのではなく、各人の学習、検討、組織的な討議を通じて進められねばならないし、討議の枠は従来の狭い枠に留まることはできない。

<我々の認識についての反省>
理論のレベルに至る前に、我々の認識の仕方の中の教条的な面、党派性の名の下にあった固定観念についてはこの際、徹底的に整理すべきであろう。我々自身は、ソ連・東欧の国内的に否定的な事実、人権と民主主義の面から同意しがたい事実が歴史的にも、現実にも存在することについてそれなりの認識はもっていた。しかし、帝国主義に反対し、世界の平和と民主主義を守る社会勢力としての社会主義国家・体制としては、我々の側にあるという認識をもってきたのである。
しかしながら、東欧の社会主義の現実や、ソ連に於て30年代以降スターリンと国家が人民に対して、党の重要な活動家にたいして行ってきた粛清の現実、民族政策のあやまりなどについて、我々の問題意識にあったとしても、議論や研究の対象としては十分に捉えていなかった。それは、根本的には社会主義における民主主義の問題であった。
帝国主義と社会主義という世界体制の問題とその国内での非民主的体制と言うものを統一的に捉えることが出来なかった。社会主義は守るべきもの、「母なるロシア」の認識はアプリオリなものであった。
すでに、ソ連では大量の歴史的文書、いままで公表されなかったものが公表され、あらゆるものが批判・研究の対象となっている。事実を事実として公開し、批判・研究の対象とし、議論できるという良い条件が整いつつある。われわれも、「事実」を事実として認識することは国内の大衆運動や自ら関わる運動の際には、当然のことであり、それ抜きでは一歩たりとも前進することが出来ないのは自明のこととはいえ、社会主義や党派的な問題では事実を事実として認識できなかった反省に立って、あたることが必要である。

<克服可能か?ソ連の状況>
勿論、ソ連や東欧の人民が直面しているのは、深刻な経済的危機であり、民族対立である。残念ながら危機を解決する経済措置やそれらを進めるべき政治的指導部においての不安定であり、人民の統一が困難になりつつある。市場経済の導入とはいうものの、70年代の石油ショックから省エネルギー化、コンピューター化をすすめた資本主義諸国との経済的国力の差は覆うべくもなく、国内の経済混乱はソ連でさえ食糧不足から飢餓も懸念される事態となっている。
少なくともゴルバチョフの政治的立場は今もっとも危険な状況にある。我々は1985年にソ連共産党書記長に就任して以来のペレストロイカについては、停滞の社会主義を革新する偉大な試みであり、その精神と軍縮において世界の流れを変えた新思考路線を断固として支持するものである。
しかし、昨年来の大統領制の導入・市場経済の導入を明確にして以降の国内動向はゴルバチョフの政治的指導力には、様々な諸条件も絡まり明らかな陰りを見せている。
改革派といわれる人々も、国民の統一の方向を、言葉ではなく、実行あるものとして提起できていない。あらゆる意味で社会の機能回復がまず求められるべき状況である。
今後のソ連の動向には、我々の予想もしないシナリオもありうる。諸問題の民主的な解決、経済の再建、ペレストロイカの成功を願わずにはおれない。

<ペレストロイカから何を学のか>
ペレストロイカは、社会主義70年の歴史総体を問題にしてきた。その核心は民主主義を徹底し、人々の総意を発揮させ、社会・経済を活発化させ、社会主義を再生する壮大な革新運動である。
ソ連の場合は、経済の停滞の現実から、社会の革新、社会組織の革新と活性化がもとめられ、民主主義的原則が取り入れられつつあった。官僚主義・共産党独裁から複数政党制、党と政治行政組織の独立など民主主義の保障の方向にある。
我々の労働組合や社会運動組織の中に同様の体質がないと誰が断言できようか。反独占民主主義の路線を取っていたとは言え、まだまだ同様の体質を残してはいないだろうか。目的のためには民主主義の否定も許されるかのような体質は現実にある問題である。

<組織のあり方に関わって>
労青は、民主主義・民主集中制の理解について、5年前に徹底した議論を行ってきた。結成時の議論である。大阪府委員会は討議資料を発行し、東京都委員会は見解を出してきた。
ソ連や東欧の激変があったからといって、過去の論争を清算的に総括することは避けなければならない。現時点で再度組織討議の中から新たな確認が求められているし、様ざまな問題について今後討議の場をつくりだしてい必要がある。
この論議の過程で我々は「論争・公開・統一」の原則を確認してきた。組織内の民主主主義は生かされてきた。只、それ以後、さらにこの立場が豊富化され、強められたかといえば、不十分であった。今後の課題は、公開論争、出来るだけ広い論争の場をどう保障するか、また各々がどれだけ自分の意見を持ち、粘り強い論議を行える力をつけていくのかという問題である。一人ひとりの努力が必要であり、組織の体制が不可欠である。

我々の組織を「政治同盟」か「活動家の交流組織」のいずれとするのか、また、平和運動の形態をどうするのか、連合の評価は現時点でどうなのか、社会党をどう評価するか、社会主義論、などなど新しい意味での思想闘争、政策、政治論争の開始を組織的に保障し、盛り上げることなしに、民主主義など絵に書いた餅に等しいものである。今後は「青年の旗」を通じて積極的な論議を起こしていきたい。

<広大な統一民主勢力の創出を!>
1991年の年頭にあたり、問題意識をまとまりもなく連ねてきた。なにか整理しなければならないとの問題意識が今みんなの共通の意識といえる。
今年一年で整理できないかも知れない。日常の労働運動や様々な運動、勿論仕事の中で忙殺されてしまうこともあるかもしれない。しかし、我々が作り上げてきた「運動と組織」は、こうした論議と総括なしに守り、発展させていくことは不可能である。
平和と反独占民主主義・運動の統一のために今年一年労働青年同盟全国協議会に結集して共に闘おう。広大な民主勢力の統一と前進のために!。(H)

【出典】 青年の旗 No.160 1991年2月15日

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青年の旗 1990年4月1日 第159号

青年の旗 1990年4月1日 第159号
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【政治】 政・財・官の癒着構造を許さず、勤労諸階層の生活向上を実現する
公平・公正な軽済構造へ—日米構造協議—-

日米構造問題協議会の中間報告が四月六日、日米で同時に発表され、同日日本ではこの報告の内容が閣議にて了承された。今回の協議での合意事項での日本側報告の主たる内容は、一、公共投資の拡大、二、市街化区域内の農地の課税強化三、独禁法の改正と罰則規定の強化、四、外為法改正による対日投資促進、五、内外価格差是正策の実施と定期的モニタリング制度の導入、六、大規模小売店舗法、(大店法)の改正、などである。特にこの間米国側からの強い要求によって争点になっていたとされる大店法については、一年後の大幅改正、更に改正から二年後の「見直し」が明記されたほか、公共投資では期間十年間の総合的を公共投資計画の策定とその支出総額の最終報告での明示、独禁法については来年度改正による課徴金の引き上げなどが報告に盛られた。

<日米構造協譲とは>
日米構造問題協議会は昨年夏以来進められてきたものである。諸外国との貿易不均衡が拡大し、貿易赤字の縮小を目指してもなかなか前進しをいことを口実に米国政府は八十八年「新通商法」を定め貿易不均衡の「改善」に乗り出した。特に貿易赤字の六割を占める対日貿易赤字を縮小させるべく米国政府はこの「新通商法」の中のスーパー三〇一条を強力に運用し始めた。スーパー三〇一条とは、米国通商代表部からみて、ある国の貿易・商習慣が不公正であると判断できれば相手国と交渉を行い、相手国が交渉に応じ、指定した期間内にその「不公正」であるものが是正されず米国にとって目に見える成果が得られなければ、米国通商代表部が相手国に対して自動的に制裁を課するというものである。昨年五月、米国通商代表部は日本を不公正貿易国と名指しすることは避けたが、日本のスーパーコンピューター、人工衛星、木材製品をスーパー三〇一条の調査対象品目として指定した。同時に米国ブッシュ大統領はこれとは別枠にして、「日本経済には構造的を障害があるからそれらを取り除くため」として流通機構、土地利用、金融系列の問題をどの経済構造問題での日米間協議を提案した。これが現在進められている日米構造協議の発端である。協議は今後も継続され、七月に米国ヒューストンで開かれる先進資本主義国首脳会議(サミット)で「最終報告」が発表される予定になっている。

<世界経済の大きな構造変化の中での日米経済協議>
一九六〇年代後半からの繊維に始まり、カラーテレビ、鉄鋼、自動車、牛肉、オレンジなどと個別製品を巡って両国間で「調整」が繰り返されてきた日米貿易摩擦が、ついに両国それぞれの経済構造について見解を述べ合い、「改造」を要求せざるを得ないまでに激化してきた背景には今日地球規模で進む大きを変化がある。一九七〇年代、二度のオイルショックが引き起こした世界同時不況、インフレ、生産性の低下、失業増大などといった資本主義世界経済を襲った危機への資本の側からの対応策………高度の技術やエネルギー、原料の節約に基づく経済…産業構造の改革の進展………が今日の世界に及ぼしている影響を見ないわけにはいかない。マイクロエレクトロニクス革命に象徴される科学技術革命の進展による生産諸力の飛躍的増大、そして多国籍独占体の拡大を背景とした経済のボーダーレス化、情報化、モノやサービスや資本が国家間を自由に行き来するという状態の急進展。生産手段の私的所有の下でこの飛躍的に拡大された生産力が無政府的に、しかも地球上の隅ずみで行使される結果は地球環境の破壊に象徴されるこの地球、人類そのものの生存の危機に行き着きかねない状況を生み出し、また、生産諸力の拡大による競争の激化が資本主義世界に於て日、米、欧の三極を中心として繰り広げられる中で、地球規模でみればそれ以外の地域との間での格差の急激を拡大、飢餓と貧困に象徴される発展途上諸国の後進性克服の問題は一層鋭さを増すこととなった。こうした構造的な変化に対する対応は既に地球上いたる所で進められている。ソ連の新思考外交に牽引されながら進展する核軍縮と対になって進む開発援助計画。環境破壊防止のために検討される生産の無政府的拡大に対するより理性的な規制、一方での環境破壊防止そのものすらを新たを利潤拡大の場にせんとする資本の動き。閉鎖された社会主義経済圏をグローバルを相互依存の深まる世界経済に解放しつつ生産諸力の拡大を進めるという経済改革と一体になって政治・経済・社会のあらゆる領域で進む社会主義の再建。日、米、欧三極間での経済競争の中で一九九二年市場統合を目指す欧州の資本主義諸国、世界最大の債務国とをり慢性化した国家財政赤字・経常収支赤字を抱えをがらも巻き返しを狙う米国、一方、一九七十年代からの構造変化を最も効率よく成し遂げをがらも国内に先進資本主義国中最大規模の国家財政赤字を抱え、またこれからの世界経済に互していくために国内における多くの経済構造の変化を遂げねばならをい日本。これらの進みつつある世界経済の構造的変化が現在進行している日米構造協議の背景にある。
そして深刻を経済・貿易摩擦を抱えをがらも、米国市場なくしてはなりゆかない日本と、債務を日本からの資金でファイナンスしてもらうことをしには立ちいかない米国という関係を維持しながらこの協議は進められている。

<外圧利用で国内利益還元構造を固めてこれた政府・自民党>
今回の「中間報告」に対し、米国政府は「大幅な進展が達成できた」(ブッシュ大統領)と評し、今秋の中間選挙を控えて議会、有権者に対して米国政府の働きかけの成果をアピールするとともに、「最終報告」で米国政府が望む成果が上がらなかった場合に、「中間報告」で得た「よい感触」とのギャップの大きさを「口実」として、新たな要求、あるいは制裁の発動を行える余地を残したものといえる。一方、日本政府は「国民生活の質の向上と消費者の利益の増進を図り、わが国経済を世界経済とより調和のとれた姿としていく上で、わが国経済構造の改善は、大きく貢献するものであり、国益にかなうものである。‥…中間報告に盛られた日本側の処置は、困難を国内的な過程を経て到達したものであり、また今後の実施に当たっては、痛みを伴うことも予想されるが、私は、これはわが国の国益を増進させるために必要であり、かつ、国際社会の責任ある一員としてわが国が負うべき責務であると信じており、…」との首相談話を発表した。「国民生活の質の向上と消費者の利益の増進を図る」といいつつ協議に於て如何をる要求が米国側から提出されているのか、それが実施された場合消費者が受ける利益、不利益はどのように予想されるのか、をどといった情報をいっさい主権者に示さず関連する業界対策だけをひそかに進めるという姿勢は、「外圧」を利用して国内利益還元構造を固め直し(「外圧」によって自民党離れを起こしそうなこれまでの支持集団には補助金をそそぎ込んでつなぎ止め)、政界・財界・官界の癒着構造を一層深化させ、資本の利潤拡大の道を温存するというこれまでの政府・自民党のやり方を繰り返そうとするもののように見える。しかし政府・自民党がこれまでと同じ様を対応ではもはや乗り切れをいと考えていることも事実であろう。

<公平・公正な勤労者に望宣しい経済構造への転換を>
日米構造協議に於て日本側が問われているのは日本政府自身が認めているようにこの国の経済、そして政治のあり方が消費者の方を向いてこなかったこと、すをわち、生産者、資本による利潤拡大を第一義としてきた経済構造を転換することである。本年年頭以降、日、米、欧の三極構造の中で日本の円だけが他国の通貨に対して下落を続けている。日本からは資本が流出し続け、昨年一年間では貿易黒字の二・五倍の資金が海外に逃げ出している。強いと見られていた日本の経済構造に対して、それらの構造は今日世界で進みつつある経済構造の変化に対応し得るのかどうか不信が寄せられている。急激な技術革新が日本経済の強さの一因であることは確かだが、同時に、株高や地価高騰などによる経済の投機的体質、それらを可能とする株式の持ち合いや無原則な土地政策、また貧しい社会資本と長時間労働に象徴される勤労者への犠牲転嫁が日本経済の強さの背景にあることも事実である。これらの構造に象徴される日本経済の底の浅さが、社会主義国の変革に有効に対応できないでいる外交政策、リクルート疑獄などこの間の国内政治の状況に如実に示された民主主義の根の弱さなどとあいまって外国為替市場における円安の大きな要因となって現れているといえる。
相互依存を深め、人類全体・地球規模の課題に直面する世界経済に於て、ある一国だけが突出した経済競争力を持ち続けることは困難になろうとしている、効率第一主義、利潤拡大第一主義に対して、公平と公正という規制が強められねばならない状況が世界に於てつくりだされつつある。大きを経済力と強い競争力を有している日本の資本主義もこれらの国際的な規制を受けざるを得ない。また国内においても不平等、不公平の急激な拡大に歯止めをつけるべき必要性の合意は形成されつつある。日本政府が「国民生活の質の向上と消費者の利益の増進のための構造改革」と言わねばならない客観的条件は国際的にも国内的にも整えられている。問題はこれを建前だけに終わらせ実質的には資本の側の権益・利潤拡大の道を温存・拡大し、勤労者、民衆に新たな負担が押しつけられるような形で日米構造協議の結果を終わらせてしまうのか否かであろう。客観的な条件を勤労者、民衆の側にとって有利なものとなる方向へ切り開いていく闘いが必要であろう。
経済のボーダーレス化が進み、世界各国の相互依存関係が益々深まりつつあるにも係わらずこの日本のみ孤立して、独自に「革命」ができるとでも考えているのであろうか日本共産党は「屈辱的を日米構造協議は打ち切れ」と主張しているが、これは現実に進展しつつある国内外の諸情勢とは全く無関係の、また現実を変革していくための政策・展望とは無縁の主張と言わざるを得ない。一方、他の野党も、この日本が直面している課題にどのように対応し、勤労者、民衆の生活の真の向上と、公正さ公平さの拡大を効率の上昇の中で合わせて実現して行くための政策を示すには至っていをい。どのようにこれらを実現していくのかの論議が、与野党逆転の参議院を活用して民衆の前に公にされ、民衆の要求と、その要求実現のための闘いが国会の論議と結び付くようにすべきであろう。

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青年の旗 1990年3月1日 第157・158号

青年の旗 1990年3月1日 第157・158号
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【選挙】 –第三九回衆議院総選挙の結果について–
                                  高い投票率に示された国民の選択
                                 日本の将来が語られない「知的空白」

第三九回衆議院議員総選挙の結果自民党は前回の当選議席三〇〇には及ばなかったもののいわゆる安定多数である二七一議席を大きく越える二八六議席(追加公認含む)を獲得、社会党は前回より五三議席増やし追加公認を含めると一三九議席という一九六〇年代の議席水準に回復し、その一方、公明、共産、民社各党は大幅に議席を減らした。

<極めて高かった投票率>
今回の総選挙に於て特徴的であったのは投票率が極めて高かったということである。各種の事前世論調査においては八割を越える人々が「投票する」と答え、
実際に七三・三%もの有権者が投票に参加した。このよう極めて選挙への関心が高かった背景には、第一に昨年夏の参議院選挙での与野党逆転を受けて既に参議院では与党自民党が小数派になっているという国会の状況の下で、衆議院という国政の主舞台で「一九五五
年の保守合同以来一貫して政権の担い手が自民党であったという状態に変化が起こるかもしれないという社会的な認識」の存在があげられる。昨年の参議院選挙における社会党の大勝と対称的な自民党の大敗北はこの国に於て自民党に替わる政権の誕生を可能ならしめ
る社会的な構造の大きな変化が生じていること、自民党一党による永年の政権の独占に対する批判と不満が大きく育ちつつあることを明らかにするものであった。この「今後の政権の担い手が替わるかもしれない」という社会的な意識が極めて高い投票率に(保守の側からも、またそうでない側からも)反映したといえる。
第二の背景は、日々の生活に係わる消費税、住宅・土地問題、社会保障の未来、農業の未来など自らの生活に係わる問題、しかも政治に依ってしか解決されない問題の存在を有権者が実感しており(これらに対する具体的な解決策は殆んどの政党からも提示されなかったにもかかわらず)この政治の現状を変えなければならないという意識が有権者の中に大きく形成されつつあることが高い投票率に反映したといえる。

<自民党安定多数確保と、社会党議席回復>
そしてこの高い投票率の結果が自民党による安定多数の確保と社会党の議席増、公明、共産、民社の減少であった。総選挙公示二週間前に行われた朝日新聞世論調査によれば「与野党の勢力伯仲を期待」が四八%で、「自民党の安定多数を期待」は二五%であった。政党支持率は昨年参議院選挙以降自民党は四〇%台後半でほぼ横ばいを続け、野党の支持率合計も四割台を維持し続け政党支持率でみる限りほぼ与野党にらみあいのこう着状態のまま総選挙は行われた。また結果からみれば社会党の議席増は単に前回の負け過ぎ(八五議席)の反動というだけではなく、いわゆる「追い風」が依然として残っていることを示すものであった。社会党は一三〇選挙区のうち七四選挙区でトップ当選、二人当選区(単独推薦含む)は十七誕生し特に公明、民社など「中道」政党が弱い東北・北海道では二人当選区が七誕生、前回五〇あった空白区も八に減っている。これらの事前の有権者の反応、及び社会党への「追い風」にも係わらず結果は「与野党伯仲」どころか自民党が楽に安定多数を越え(得票率では前回三〇〇議席を得たときよりも三.三ポイント減少しただけであり、これも無所属で立候補した中曽根、藤波両議員の分を加えれば減少は更に少しでしかなかったことになる)、社会党は他の野党の議席を得て躍進した(社会党の得票率は前回があまりにも少なすぎたこともあって七ポイント程増加しているが、他の野党の減少した得票率の総計・・・三・七ポイントと自民党の減少分が社会党の増加になっている)という状況である。
こうした結果になった背景には、第一に自民党に替わる政権の構想が野党の側から示されず、また候補者の数を見ただけで闘う前から自民党が過半数を割ることが起こり得ないと判断せざるを得ないような状況しか野党の側が作り出し得なかったということがあげられる。野党第一党たる社会党に得票が集中したように自民党一党による政権の独占に対し不満と批判を持っている民衆は多く存在しているが、では自民党政治に替わってどのような政治が目指されようとしているのか有権者には示されていなかったのである。一生涯かかっても住宅すら手にすることができなくなった都市近郊の勤労者、とにかく今のままの自民党農政の延長には日本農業の未来は見えないことを実感している農民、自民党・官僚・業界一体となった利権構造がリクルート疑惑に象徴される腐敗の温床であることを、自民党政治が持たざる者と持てる者の間に極めて大きな不公平をもたらすことを、自民党の政治家が中央から補助金や公共事業を取ってきてもそれだけではその地域の生活・そこに居住し働く人々の生活が良くなりはしないことを民衆は実感し始めている。民衆が閉息感を感じて変えたいと思っているこの自民党政治に替わる政治の構想・理念、どのような人々のためにどのような課題に対してどのような方向・視点から改革を進めようとしているのか(たとえ具体策まではいかないとしても)、そうしたことすら自民党に替わるものとして野党の側から統一して提起されることはなかった(自民党政治のどこを継承するかというような話だけはあったようだが)。「自民党一党による政権の独占に変化を生じさせられるかもしれない」という民衆の期待はこうして消耗させられた。逆に東欧・社会主義国の現状と照らし合わせた保守の側からの宣伝「自民党が政権を担当してきたからこそ経済成長できた」もあって、「政権構想も定まらない不安定な部分へ政権を移すより、まあ参議院は自民党少数なのだから、たとえ様々な不満はあっても今回は自民党の方がまだまし」と有権者が選択する状況が自民党の手と言うよりも野党の側に依って作り出されていたのである。第二の背景には、保守の側の総力をあげた防衛戦であったということがある。三〇〇億円といわれる企業献金(しかもその中には消費税導入-物品税廃止の成功報酬というべきような自動車業界・家電業界などからの献金も含まれている)、かつてない規模の企業ぐるみの選挙運動と動員に象徴されるように昨年の参議院議員選挙での自民大敗北によって保守陣営の中に生まれたかつてない危機感をバネに、自民党は争点を曖昧にしたまま東欧情勢をバックボーンとし自民党以外が政権を取った場合の不安感を保守陣営の中にかき立て、かつてなかったほどのカネのばらまき・利益誘導、企業ぐるみ選挙・しめつけを行ったのである。その結果が選挙に反映されたといえる。また、前回の総選挙以降のカネ余り、円高、株高などを背景としながら、自民党政府が進めた土地政策、資産家優遇政策によっていわゆる「持てる者」の層が一定広がると共にその持っている資産が拡大し、これらの中で潜在的に保守支持が強まる傾向が生じたこともある。昨年九月の日本の株主総数は延べ約二千八百二十万人でそのほとんどが個人資産家であり、この数は前回総選挙前の八五年九月より一千万人も増えている。更に、消費税が簡易課税、免税点などその欠陥故に利益を得ることができることをこの半年間で実感した業者が昨年の参議院選挙とは変わって自民党支持に回ったことも考えられる。大蔵省の試算では簡易課税、免税点などの優遇処置で最大約四千八百億円もの消費者から業者に支払われた消費税が国庫に納められないといわれており、いわばこの四千八百億円が業者の買収資金と言うべき役割を果たしたことになる。第三の背景は言うまでもなく公明、民社、共産の各党の議席減、特に民社党(十二減)、共産党(十減)の大幅な議席減がある。民社党の敗退はいわば自民党補完物というべきような曖昧な政治姿勢(特に消費税導人の際にみられた)にその原因を発している。共産党は前回より議席で十、得票数で七万人、得票率で0.八%減らした。共産党の敗因はなによりも労働戦線再編や消費税廃止の闘いなとに公然と分断を持ち込むセクト主義・統一戦線政策の不在にある。そして国内外で大きく動いている社会的な構造変化に対する無理解、この構造変化に照応し民衆の側から次々に出て来る要求を実現するための新しい形態と質を持った闘いの構築に向けた政策の不在にある(あまりに硬直したかれらの政策を見るにつけ、現在の日本国内に生じている問題、民衆が解決を要求している問題とその原因についての現状把握は支配政党よりも劣っているのではないかと思わざるを得ないことが多々ある)。「東欧問題」が最大の敗因であって、次が自民、民社、公明そして社会党の一部による「反共攻撃」などという根本的な問題に立ち入らない「総括」(二月十九日、常任幹部会)を繰り返しているようでは今日に至るも、この先に期待をよせる五二二万もの人々を裏切ることにしかならないであろう。

<憂慮すべき事態>
今回の衆議院選挙を顧みて今後の日本の政治を考える上で注意を払っておくべきことがある。それは自民党から共産党まで総じてこの激動する世界の中でどのような世界と円本の将来を考えるのか全くと言っていいほど語られなかったことである。冷戦時代終了後の安全保障政策、世界一の債権国・世界の金融市場を揺るがすジャパンマネーの供給国・世界第三位の軍事費大国日本の一挙手一投足が世界全体に与える影響について、またこの日本の民衆の日々の生活が世界中から輸入されるもの世界中へ輸出しているものなどに示されるように世界と深く係わりを持っていることは殆ど語られることがなかった。いわば新しい時代に照応した国内外政策は全く提案されなかったのである。与野党含めて国内的な課題にのみ(特に地元にどんな利益をもたらせるか一に終始し、更に困ったことには自民から共産まで「コメは一粒も輸入させない」に象徴されるように極めてナショナリステックな対外策しか提案していない。世界経済における相互依存性が極めて高くなりしかもこの国の動きが世界に大きく影響を与えざるを得ない程の経済力を持ちながら、世界に対して「ノー」と言うだけの政策しかないのでは世界の混乱要因にしかなれない。
もう一つの点はリクルート関係議員が与野党に関係なくほとんど当選したこと(但しその多くはさすがに得票を減らしてはいるが)、財界からの巨額の献金・カネ・利権・地元・圧力団体優先の利益誘導政治、個人の思想信条を歪めかねない企業ぐるみ選挙、一方でこれまた組合による組合員一人一人の思想信条を侵しかねないような特定政党支持のための機械的・一律の全組合員からの選挙支援資金徴収……英国の中立系紙インディペンデントはこれらの状況を「民主主義の根がこの国(日本)では浅く、選挙戟は知的空白の中で行われる」と評したそうである。この国の民主主義をより徹底させようとする勢力にとってこれは克服し変革していかねばならない重大な課題である。一方、民主主義破壊を進めてきた保守勢力にとってすら深刻な事態といえるであろう。冷戦構造の陰で「西側陣常の一員」と言っていさえいれば良かったのが、冷戦構造の終わりと共に、自らが同盟国と呼んでいた西側陣営と呼ばれる先進資本主義国からすら共通の民主主義のレベル(そのレベルがどの程度のものであるかは別として)にすら達していないと言われかねないからである。

<新しい傾向>
またこれからの民主主義陣営の闘いに於て積極的に評価しておくべきことも見られた。その一つは資本主義か社会主義かというような考え方ではくくりきれない新しい考え方、例えば、自民党一党支配の下での利益誘導政治による生産者サイド(あるいは企業の論理)対消費者サイドへあるいは人権、環境、福祉などを主題とする考え方)というような新しい対決軸が登場してきているのではないだろうか。その意味でこの国の政治を変えていく統一戦線のあり方、その運動について一層検討を加える必要がある。日本資本主義がどのような状況に至っており、それが民衆の状態にどのような変化を引き起こしているのか、特に八十年代の自民党政治の過程で持てる者と待たざる者に象徴される階層の分化がどのように進んできたのかを改めて検討し、戦略を再編する必要がある。
もう一つは社会党の選挙運動の中などで多くみられたように労働運動、労働組合運動と消費者運動・反原発運動などに代表される市民運動との新しい関わりのあり方が模索され実践されているということである。これは今日の日本の状況の中で制度政策の提案とその実現ということを掲げて連合が結成されたことに示されるように、労働運動、労働組合運動が経済的要求の実現のみにとどまらず、生産諸力の発展に照応した労働とそのありかた、労働者・民衆の生活全般、社会のあり方まで考え、提案し、闘い取って行かねばならない時代になっていることを示すものではないだろうか。

<今後の政局>
国会は衆議院解散前と同じく衆院では自民党が安定多数、参院では自民党が過半数割れという状況の下で続くこととなった。予算と条約、それに首相指名に付いては衆院の議決が優先し、法案に付いても参議院での否決後改めて衆議院で三分の二の多数で可決すれば成立する。しかし今の自民党の議席では三分の二に届かない。自民党以外の野党が結束していれば一本の法案も成立しえないという状態が少なくても五年間は続くわけである。参議院だけとはいえ消費税廃止法案の成立、被爆者援護法実の成立など、僅か半年間とはいえこの国会の状況が民主勢力の闘いにとって決して少なからぬ可能性と意義を持つものであることは実証されている。この機会を最大限活用し、この国の今までの政治のあり方を転換させ、民主主義を徹底させる新しい内容・形態・質を持った闘いの前進・拡大をこの国の社会の深部で進んでいる構造的な変化に照応しながら創り出していくべきであろう。
当面問題となるのは消費税である。政府・自民党は消費税は認められたと評価しているが、多くの民衆はそうは考えていない(総選挙直後NHKが行った「徹底討論・政治は変わるか」の中で実施された世論調査に依れば「自民党が過半数を大きく上回ったことで消費税が認められたと思う」人は二五%にすぎず、「認められたと思わない」人が七四%であった)。なにしろほとんどの自民党議員は消費税に対する見解を表明しないままに選挙戦を闘ったのである。参議院選挙では廃止を訴えた側が勝利し、半年後の衆議院選挙ではともかく「廃止するとは言わなかった」側が勝利したのである。すなわちもう一度元に戻って将来の日本をどのようにするのか、そのため税の収入、税の使い方はどうしていくのか、現状はどうなっているのか、どこからどう変えていくべきか改めて論議をすべき条件は存在しているし、またそうしなければならない。政府・自民党は改めて論議し直すことなどには当然応じる姿勢はみせないであろうが民衆の側はそうではない。改めてこの社会的な不公平・不公正を是正するための政策・運動が創り出されねばならないし、そのための闘いを開始しなければならない。
この闘いの場はどこか、それはなによりも連合をはじめとする労働組合、職場、地域でなければならない。民主勢力の側が日本の新しい状況、社会構造の大きな変化に照応した運動の建設を求められているように、保守勢力・支配階級もその支配を延命しより強固なものとするための戟線の再編に迫られている。その支配階級が買収の手を延ばそうとしているのが連合であり、また連合の一部幹部の中にはその誘いに呼応しようとする動きを見せる者がいることも事実である。しかしこの間の事実は連合はやはりその抱える八百万労働者の要求、考え方を(四千二百万人の労働者全体をも網羅しようとしているかどうカという点ではまだまだ弱いと言わざるを得ないだろうけれども、八百万というこの国の歴史上では最大数の働く人々の考え、要求、希望を)反映せざるを得ないということである。この連合の内外での闘い、連合を中心にして日本の労働運動を民主的に前進、拡大させるための闘いが重要であって、それが衆議院選挙後の九十年代の日本の政治のありように大きな影響を与えるものとなるであろう。

<投票行動の特徴>
第39回衆議院総選挙は、衆知のとおり、自民党安定多数・社会党議席増という結果に終わった。今回の総選挙における有権者の投票行動には以下のような特徴がみられる。
投票率-今回の総選挙は、表1から分かるように、86年、83年の総選挙よりも投票率が上昇している。このことは、有権者の政治への関心の高まり、主権者としての意識の高まりを示しているといえる。また、都道府県別で見ると、都市部よりも、東北・山陰・九州などの地方農村部の方が高くなっている。これは、コメ自由化に代表される農業政策への農民の関心の高さに起因するものといえるだろう。、
自民党得票率-自民党の得票率は、86年総選挙とほぼ同じであり、83年よりも上昇している。また、昨夏の参院比例区の得票率と比べると倍増している。しかし、参院比例区は、86年衆院同時選挙の時でも25・6%(衆院は37・9%一であり、衆院と参院を単純に比較することはできない。
野党得票率-社会党は83・86の時よりも、得票率をほぼ1・5倍上昇させている。一方、他の野党(公明・共産・民社等)は、得票率が落ちている。このことは、昨夏の参院選ほどではないが、早急に政治変革を求める声が依然強いことを示しているといえるだろう。
消費税-当選者数からみれば、「廃止より見直し」である。しかし、一貫して消費税導入に反対した社会党が得票率をのばし、導入に手を貸した公・民両党の得票率が落ちていることから、消費税に対する不満・批判は根強いことがうかがわれる。
「リクルート」候補-リクルート疑惑関連候補は残念ながら、一人(自民・高石)以外は全員当選した。しかし、しかしほとんどの候補が得票率を落としており、リクルート疑惑に対する国民の批判がなくなったわけではない。

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青年の旗 1989年12月1日 第155号

青年の旗 1989年12月1日 第155号
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【主張】 「労働運動新時代」に新連合の闘われる課題

 十一月二十一日「日本労働組合総連合」が結成された。
 一九八〇年に労働戦線統一推進協議会が結成されて以降、様々の論議と組織再編を重ねての一つの到達点である。
 この日、新連合の結成に先立ち、総評の解散大会が行われ、三十九年の歴史の幕を降ろした。これで、総評、同盟、中立労連、新産別の旧ナショナル・センターはすべて解散し、まさに「労働運動の新時代」の幕開けとなった。
 すでに連合は、賃金・時短、さらに七月の参議院選挙では「追い風」に乗り、独白候補十一名を当選させるという政治的な強大な力を持った組織となっていた。
 これに官公労働者が合流し、八〇〇万人の組織としてスタートする新連合は大きな可能性を持っている。
 しかし、なにもかも手放しで喜ぶというわけにもいかない。新連合が解決しなければならない課題は数多く存在している。
 第一に、新連合が掲げる「ゆとりある豊かな社会づくり」をどう具体化していくかである。
 連合は賃金闘争とともに労働時間短縮を、重要な運動の柱として取り組み、そしていくつかの成果をあげてきた。これに官公労の「閉庁-時短闘争」が合流することによって、この運動はさらに前進するものと思われる。しかし、制度として獲得した時短も実際に使えなければ「絵に書いたモチ」にすぎない。これまでも、有給休暇の取得率が低いなかで、今後どう実際に時短を進めるか、産別内外の調整も含め、新連合の役割は重要である。
 さらに、新連合結成は、社会党の躍進、好景気の持続というかってない好条件の中である。今後、景気の後退が再びやって来た場合、かってオイルショックの時、労組として合理化を受け入れた事態の再来を招くのか、それとも「ワーククシェアリング」などによって、貸金水準を守り、雇用も守ることができるのか。後者の選択に向けて「力と政策」を最大限発揮しなければならない。
 第二は、制度、政策闘争である。現在世界は、社会主義国の変化も含め、政治・社会・経済・文化・生活などで転換点を迎えている。たとえば、二十一世紀に入れば高齢化社会が否応なしにやってくる。これに対し、定年後三十年も含めた人生プランの確立を進めなければならない。すでに、民間単産では、こうした取り組みを重要課題として推進している組合も多くあるが、なにより「豊かな老後」を保障する年金制度や、「福祉施設」の拡充が必要である。
 さらに、教育・医療・環境・平和・人権など新連合が担わねばならない課題は数多く存在している。この様な運動の推進にあたっては多くの蓄積を持つ旧総評系単産、とりわけ自治労・日教組の役割は大きなものとなるだろう。
 これに対し、企業内組合運動が中心だった単産からは戸惑いや反発もでるだろう。核兵器廃絶や軍縮、部落差別撤廃といった課題は統一して取り組まれるだろうが、特に「原発」を巡る問題では「脱原発」派と推進派の単産が新連合内に存在することになり、当面新連合としては、反対も賛成も決められないだろう。
 しかし、世界のすう勢は明らかに、脱原発の方向に向っており、近い将釆結論が出るに違いない。
 いずれにせよ、新連合が掲げる「人間優先の福祉社会づくり」のためには、大担にこれまでの活動領域から、踏み出す運動が求められており、多数派を獲得するためには、市民運動や地域社会との結びつきが不可欠なのである。
 第三に、ニれらの要求を実現するためには、大衆運動の強化とともに、政治変革も重要である。既に、新連合は参議院において独自の勢力を形成しているが、今後、衆議院はもとより、首長・地方議員クラスでの連合勢力の進出が必要である。それは、社・公・民の再編も含めた反自民・民主勢力の統一を基調とする一大政治勢力の課題につながってくる。
 ソ連邦のベレストロイカ・東欧の劇的な変化の中、国際情勢は確実に平和と東西協力の時代へと移行している。今や体制の違いをことさら強調した論議は今日的情勢には合わないこととなってきている。
 この様な状況を踏まえ、「西側の一員」ではなく、「世界の一員」の立場から世界平和と経済不均衡の是正を進める政治的立場に一刻も早く連合は立つべきである。
 連合の課題の第四は、中小企業労働者やパート労働者の組織化である。産業構造の変化により、雇用形態は大巾に変ってきた。
 昔ながらの本工中心主義にいつまでも固執するようでは圧倒的な未組織労働者からは、エゴ集団としか見られない。パート労働が「本来あってはならない労働形態」から、社会的位置を持つようになった現在、パートはパートとしての諸権利を保障させる取り組みが重要となっている。中小企業労働者の組織化も、いわゆる「下請け」 「関連企業」の組織化ももちろん、よりきめ細かい運動の為には、地域レベルでの取り組みを強力に展開しなければならない。その為には、新連合の地域-行政区単位での組織建設を早急に進めるべきである。
 こうした地域での組織確立は、労働運動プロパーの課題だけでなく、福祉や平和・人権といった民主主義の発展にも必ず貢献するだろう。
 もう一つの組織強化の課題としては、反連合勢力、とりわけ日共(全労連)との関係がある。
 日共は百万の集票組織を維持するために、多くの労働組合を分裂させ「全労連」を結成した。この組織に未来はないことは明らかである。なぜなら、日共「全労連」はこれまで歴史の流れの中で否定されてきた、スターリン主義に基づく、社民主要打撃論、赤色労働組合主義、伝導ベルト論など、非民主主義的要素を全て狭い世界の中に凝縮して、合わせ持つ組織だからである。
 この間の東欧の事態に関し、日共は「ソ連の政策の押し付けが原因」などと言っているが、そもそも日共が批判していたのは、ソ連の対西側外交政策であり、ソ連国内のスターリン主義は批判してこなかった。まさに、東欧諸国で問題となっているのは、国内の民主主義の問題であり、問題のすりかえである。
 それでも日共は「自由と点主主義の宣言」などを持ち出してくる。東欧諸国も外側(西側諸国)に向っては、平和だとか民主主義とかを唱えてきた。しかし、自分達の権力下でする内側(国内)ではまったく違う現実があった。
 日共も自民党に対してや実現しない日共政府の幻想の中で「自由と民主主義」をいくら叫んでみても、現実に自分が支配する小さな世界=労働組合の内部でそれが保障されているかが問題になることを認識しなければならない。

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青年の旗 1989年11月1日 第150・151号

青年の旗 1989年11月1日 第150・151号
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【主張】 「新連合」を闘いの場に内外から変革の闘い強化を

<十一月二-日「新連合」発足、 労働運動新しい局面へ>
 十一月一二日、総評が解散し「新連合」が発足する。一九七八年の民間先行による労働戦線統一への動きは、一九八二年の「全民労協」、続く「連合」を経て、ようやく官・民の「統一」へとこぎつけたのである。
 しかし、新連合の発足が労働戦線統一の背景にあった春闘の連敗、組織率の低下などに象徴される「労働運動冬の時代」に終止符を打つ第一歩となるためには、克服しなければならない課題が山積みされている。
 第一に、「新連合」への参加をめぐって、ここ数年に渡り単産で職場で激しい組織戦が行われた。その結果、多くの民間単産・官公労が「組織分裂」を余儀なくされた。特に、新連合の中で総評労働運動を継承発展させていくべき勢力であった「自治労」「日教組」の分裂は、今後の労働運動にはかりしれない損失を与えた。
 そして、「新連合」発足を前後して、日本共産党の指導のもと「闘うナショナルセンター」と、連合にいけない組合の結集を目指す社会党「左派」を中心とした「全労協」とが発足するという事態が生み出された。かくして、お互いがお互いの立場を否定し合うことによる、労働運動の再編の新たな出発となったのである
 第二に、「新連合」発足への過程で、「労働運動冬の時代」を克服するための真剣な討議は行われたのだろうか。「連合への参加・不参加」を決定する過程で、「何故このような事態になったのか」「克服するために何が必要なのか」という討議は、実は空回りしていたのではないか。
 労働運動にとって最も重要な「統一と団結」が、かくもはかなく崩壊していく姿は、政界再編がそのまま労働運動の独自性を無視して行われた結果としか考えられないのである。
 そして、諸外国から非難の的となっている日本の労働者の低賃金・長時間労働の克服を、そして未組織労働者の組織化を含めた組織率の拡大を、産業構造転換に対応した労働運動のあり方等、こうした諸課題については今後に先送りされているのである。
 第三に、「連合」の目指す労働運動の姿が、ここ二度の「連合春闘」や「消費税反対闘争」の中で明らかになったことである。
 それは、従来の末端からの要求積み上げとその中での討議による統一と団結の強化を背景に、団体交渉・ストライキによって要求を実現していく運動とは全く別のものである。「連合」の重視するものは、数の力を背景に政策提案を行い、その政策の「質」によって要求を実現していこうとするものである。そして、産別、地域、職場での独自課題は、それぞれが自主的に(連合の基本政策から逸脱しない範囲で)自決すべきという運動路線である。
 こうした路線では、「労働運動冬の時代」を克服できないことは明らかである。(しかし、この点を指して「連合は労働組合でない」という立場を取ることは誤りである)
 そして、組織・未組織労働者の不満や要求はその多くが産別、地域、職場の課題へと追いやられることにより、そこにおける闘いのあり方が今後の「新連合」の方向性を左右する勢力の創出の重要課題となるのである。

<「新連合結成」と日本共産党の果たした役割>
 統一労組懇結成から今日まで、日本共産党は自党支持者でないものは「反共=右派」と決めつけ、「右派」指導下にある労働者を「右派」へと追いやることに全精力を費やしてきた。労働者の真の要求を導き出し、粘り強く説得し実践の力で「反動」の中でも組織作りを行う任務を「堂々」と放棄し、そのことによる「右派」の「選別排除」を口実に別の「闘うセンター」を組織しようとしている。「右派」「左派」の闘いの熾烈烈な闘いの現場を放秦し、その責任を「右派幹部」へと一切転嫁する姿に共産主義者の指導性はかけらもない。
 にもかかわらず、彼等の指導下に存在する約一八〇万人(公称)の労働者は極めて献身的で優れた活動家である。
 そして、彼等の対応の不統一は、平和運動での社民主要打撃論(社会党は平和の敵)、国政での課題による統一戦線指向、労働運動での赤色組合主義の純化と矛盾をあらわにしている。そこに統一して流れていることは、選挙対策の大衆追随主義である。そして、「闘うナショナルセンター」は、そのための実行部隊としての役割を担わされている。

<「全労協」はどこで闘うのか>
 そして、「連合へも統一労組懇へも行けない組合・活動家の結集を目指した」労研センター・「全労協」は、結果として「新連合」を内部から変革し得る総評労働運動が育てた最も素晴らしい勢力を、その最も困難な闘いの場から遠ぎける役割を果たしてしまった。
 日本の労働運動を変革するために、日本の基幹産業である第三次産業を組織する「新連合」を変革しなければならないのである。そのための勢力が、「連合の外」で結集し外から変革の旗を振ろうとしている。
 それで労働運動が階級的に変革することが可能ならこうした事態にはなっていないはずである。

<単産・地域・職場で、真の活動家を結集する努力を>
 労働運動に新しい局面が到来している。それは、「新連合」の発足を、結局は政界再編の小道具に解消するセクト主義に追いやってしまうのか、それとも「労働運動冬の時代」を克服し得る全労働者の労働運動へと取り戻していくのかの闘いである。
 その舞台は今、単産、地域、職場でどのような闘いを、党派を超えて献身的で職場の仲間や職場のあり方を産業のあり方を真剣に考える活動家を、いかに組織していくことができるかということにかかつていると言っても過言ではない。
 そのカギは、「あなたはどこを支持するか」ということではなく、「長時間労働と低賃金と、住宅・年金問題に示されるように将来も見えない生活に、産業が生き残るためには多少の犠牲もやむを得ないという「正当」らしき議論に、豊かさというキャンペーンにどこか首をかしげる人達」に、展望と確信を与えることのできる、政策の提案と地味ではあってもその実践が、その積み重ねと豊富化が求められているのである。
 「職場で、地域で連合の運動の限界を克服する運動を、連合の内外で創出しよう!」

カテゴリー: 青年の旗 | 青年の旗 1989年11月1日 第150・151号 はコメントを受け付けていません