民学同第2次分裂(B)「分裂大会」強行→統一会議結成へ

民学同第2次分裂(B)「分裂12回大会」強行→統一会議結成へ
 
 この項で扱う時期は、1970年3月学生共闘派による「12回大会」強行・分裂、同年3月民学同統一会議結成から、1973年3月「再建12回大会」までの過程。「民学同統一会議」と民学同「全国委員会」、2組織が分立する時期である。
 文書類を紹介しながら、考えていく。
 
「(A)分裂12回大会まで」掲載後、新たにいくつかの文書類が編集委員会に寄せられた。
 
「討議資料 民学同の統一と発展のために」(民学同統一会議発行(1970年4月)。

 1970年3月 全国委員多数(4:3)を唯一の頼みとして、学生共闘派は「第12回大会」を強行する。この大会経過について、統一会議側からの「詳細報告」が掲載されている。

 
 学生共闘派「全国委員会書記局」発行の全国委員会ニュース(1970年3月)の大会経過報告も紹介しますので、比較いただきたい。(全文PDF)

「討議資料」で明らかになるのは、以下の諸点である。(討議資料全文は、こちらへ

(その1)
意見対立のまま、迎えた大会前日の全国代表委員会(3/12)
では、N書記長から「暴力を排した民主的討議で意見対立を克服し、12回全国大会を成功させよう」の文書提案が行われた。採決では、賛成14、反対8、保留2、棄権6という結果となった。(全国代表委員会の定数は、30)
 よって、N書記長による「統一議案」の討議も行うとする提案が、可決された。
 「全国代表委員会」では、圧倒的に「学生共闘」派が少数であった。
 そこで、学生共闘派は、ヤジ(オブザーバー?)と、壇上占拠で、一方的に「全国代表委員会」を終了させる。大会の議事運営委員会・資格審査委員会も、「全国代表委員会」で選出されていない。
(その2)
「資格審査」に関わって、全国代表委員会(3/12)では、「大阪市大」の代議員問題も討議するよう動議が、N書記長側から、提案されたが、これも一方的に打ち切られた。(ヤジと壇上占拠)
資格審査については、1969年8月の流会大会前後から、大阪市大の新規加盟申請者を、学生共闘派支部委員会が、加盟拒否をし続ける、という問題の解決が求められていた。
推測だが、おそらく当時の市大支部の同盟員は、両派あわせて40名程度と思われ、同盟員5名に1名の代議員とすると、市大支部代議員枠は8名となる。
14日の出席代議員(103)委任状(2)で+代議員105名(「全国委」News)。
代議員総数は、199名なので、市大選出代議員の8名を差し引くと105-8=96となり、
大会は成立しない。「統一会議」派は、14日に代議員94名連名の提案を行っている。(市大分を除いて)
市大問題を棚上げにし、市大選出代議員をすべて、「学生共闘」派にする必要が彼らにはあった。この問題について、全国代表委員会で「動議」が出されたが、「ヤジと壇上占拠」という暴力で、「解決」したのである。
(その3)
14日の大会二日目は、「統一会議派」代議員の入場そのものを、動員された「学生共闘派」のメンバーによって、阻止するという、大会の「暴力的破壊」が行われた。全国代表委員会では、資格審査委員会も議事運営委員会も選出されていない。
「資格審査」を受けろ、と「学生共闘派」は主張していたようだが、そもそも、大会の体をなしていないのである。こうして、「開催」された「大会」を認めることはできない。
(その4)
その後、学生共闘派は、大会会場となった会館から、「統一会議派」代議員を、暴力で排除しようとし、会館施設が破損する程の事態となった。そして、警察が出動するという情報があり、「統一会議派」は、不測の事態を回避するため、会館から退去することになるのだが、それに対しても、執拗な暴力行使が行われた。
 この経過は、「討議資料」に詳しく書かれている。

 こうして、大会を暴力的に破壊されたことを受けて、翌15日、N書記長、2名の全国委員は、大会代議員を結集して、民学同統一会議を結成する。

 以後、民学同統一会議、民学同「全国委員会」の二つの組織が並立することになる。
 また、学生共闘派は、増々セクト主義、街頭政治主義、主体形成主義を純化させ、他党派との暴力的対応も増えていった。

(資料1) 統一会議結成アピール (統一会議ニュース No1 1970年3月25日)
(資料2)「討議資料 民学同の統一と発展のために」(統一会議発行 1970年4月)
(資料3)「全国委員会」ニュース(学生共闘派「全国委書記局」発行 1970年3月)

★資料 「二つの学生運動の書物について」(「知識と労働」第2号)
 現政研発行の、「70年代と階級闘争」
「層としての学生運動」批判の論文 1971年5月


★1971年10月 大阪市大における、学生共闘派と革マル・黒ヘルとの内ゲバ事件発生
1971年10月20日 市大支部統一会議 ビラ

★デモクラート No24 71年11月10日
 学生共闘派指導部のセクト主義ゲバルト路線を拒否し、同盟統一会議へ結集せよ!

 学生共闘派「民旗(93号)」の「反論記事」
「統一」会議諸Gの残慮なキャンペーンに忠告する。(民旗93号)

★1973年1月 高崎経済大支部 統一会議に結集

市大統一会議ビラ

高崎経大支部 統一会議へ結集(1973/01/19)

 高崎経済大学支部は、1973年1月19日支部総会を開き、全員一致で「学生共闘派の指導を拒否し、統一会議への結集」を決議する。この動きに対して、学生共闘派は、高崎経済大学支部のメンバーを拉致して、自己批判を強要するに至る。

★「高崎経済大支部、統一会議結集」を伝える「市大支部統一会議のビラ」
★「理科大、法政大の統一会議メンバーがテロ」(学生共闘派市大支部のビラ」(統一会議ビラにリンク)

 以後、天理大学支部が統一会議に結集、そして1974年12月には、桃山学院大学支部も、支部決議をもって、民学同(中央委員会)に結集する。

★1973年1月  同盟組織の飛躍的強化へ 10周年記念テーゼ作成の成功を

 1973年2月、統一会議は、「再建第1回(12回)全国大会」の招請状を、全国支部、全同盟員に発した。(再建第1回(第12回)全国大会以後の経過は、第2次分裂(C)で詳しく報告予定)

再建第1回大会招請状

再建大会招請状(1973年2月)

【経過】
1970年3月13・14日 学生共闘派 「第12回大会」分裂強行
1970年3月15日  民主主義学生同盟統一会議結成
1970年3月25日  統一会議ニュース No.1 (民学同統一会議編集局)
1970年4月7日  民学同ニュース  No.2(民学同統一会議編集局)
1970年4月20日  民学同ニュース  No.3(民学同統一会議編集局)
1970年4月26日  民学同ニュース  No.4(民学同統一会議編集局)
1970年4月   ★討議資料「民学同の統一と発展のために」
1970年5月11日  民学同ニュース  No.5(民学同統一会議編集局)
1970年5月25日  民学同ニュース  No.6(民学同統一会議編集局) 
1970年6月8日  民学同ニュース  No.7(民学同統一会議編集局) 
1970年6月14日  民学同ニュース  No.8(民学同統一会議編集局)
(※民学同ニュース」各号は、機関紙デモクラートで紹介しています)

1971年5月   現政研批判(「知識と労働」2号)
1971年10月  学生共闘 大阪市大で革マル派と組織的ゲバルト
1971年12月 「統一」会議諸Gの残慮なキャンペーンに忠告する。(民旗93号)

1972年8月   民学同統一会議第4回代議員総会
1972年9月   民学同第5回(再建)大阪府大会

1973年1月19日 高崎経済大支部 支部総会で統一会議への結集を決議。
1973年1月  同盟組織の飛躍的強化へ 10周年記念テーゼ作成の成功を
1973年2月  民学同第1回(再建)全国大会 招請状 発す

【文書リスト】
1970年3月25日 統一会議結成アピール (統一会議ニュースNo1 1970年3月25日)
1970年4月 討議資料「民学同の統一と発展のために」(発行:民学同統一会議)
1970年4月 学生共闘派「全国委員会ニュース」(1970年3月 全国委書記局)

1970年3月25日  統一会議ニュース No.1 (統一会議アピール)
1970年4月7日  民学同ニュース  No.2
1970年4月20日  民学同ニュース  No.3
1970年4月26日  民学同ニュース  No.4 
1970年5月11日  民学同ニュース  No.5
1970年5月25日  民学同ニュース  No.6 
1970年6月8日  民学同ニュース  No.7 
1970年6月14日  民学同ニュース  No.8

1971年5月  「知識と労働」2号 「現政研批判」

1971年11月  同盟統一会議へ結集せよ! 「デモクラート」No24  
1973年1月  同盟組織の飛躍的強化へ 10周年記念テーゼ作成の成功を
1973年2月  民学同第1回(再建)全国大会 招請状

1972年~73年 大阪市大支部統一会議の発行したビラは、こちらから参照のこと。

その他、「民主主義の旗」「デモクラート」各号

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