【本の紹介】『危機突破の経済学 日本は「失われた10年」の教訓を活かせるか』

【本の紹介】『危機突破の経済学 日本は「失われた10年」の教訓を活かせるか』
                著者 ポール・クルーグマン  訳者 大野 和基
      発行 PHP研究所 2009年6月17日 第1版第1刷発行 852円+税

<<「最悪の打撃を受けている日本」>>
 本書は、アメリカを代表する経済学者の一人、ポール・クルーグマン教授(プリンストン大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授兼任)が日本の読者向けに行った訳者自身による単独インタビューをまとめたものである。クルーグマン教授は、昨年の米大統領選では反ブッシュの旗手としても知られ、民主党大統領候補指名のキャンペーンではヒラリー・クリントン候補のメディケア政策を擁護してきた。また、「貿易のパターンと経済活動の立地に関する分析の功績」によって2008年度のノーベル経済学賞を受賞している。関連した著書に、『嘘つき大統領のデタラメ経済』 三上義一訳(早川書房, 2004年)、『格差はつくられた 保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略』 三上義一訳(早川書房, 2008年)、『世界大不況からの脱出 なぜ恐慌型経済は広がったのか』 三上義一訳(早川書房, 2009年)などがある。
 教授はまた、1980年代のバブル不況後の日本の経済について、流動性の罠に落ちていることを指摘し、デフレ不況に対する日本政府や日本銀行の対応の遅さを繰り返し批判してきており、その著書に『Japan’s trap 恐慌の罠 なぜ政策を間違えつづけるのか』 中岡望訳(中央公論新社, 2002年)がある。
 今回の本書は、冒頭から、今次世界大恐慌で「最悪の打撃を受けている日本」がテーマである。
 「どうして日本は主要経済大国のなかで最悪の打撃を受けなければならなかったのか。」と問いかけ、「このパラドックスを生じさせる主な理由の1つは、日本の経済が、財、とくに耐久消費財の輸出への依存度が極めて高いことである。・・・そして、日本の問題にはもう一つの理由がある。それは、日本がまだ「失われた10年」から完全に回復していないということだ。」と述べる。
 「つまり日本は、世界経済の縮小と円高というダブルパンチを食らっているのです。
 いまの危機の最大の源がアメリカの住宅バブルがはじけたことにあったとしても、日本のスランプのほうがアメリカよりもひどくなっているのです。」
 「いまの日本の経済状況は、日本経済がいかにもろいかを示しているのです。日本経済が、2000年以降にある程度復活したことを認めたとしても、それは輸出に依存したものでしたから、やはり参考にならないのです。」

<<「この危機の犯人リスト」>>
 教授は、今回の世界大恐慌への展開について、「それでも、現在の金融危機が大恐慌以来の最悪の事態になる、まさかグローバルに景気後退してしまうなどとは、私も予測しておりませんでした。」と告白する。
 教授はこうした危機を招いた犯人リストのトップに、グリーンスパン前FRB議長をあげ、市場原理主義を説いてきたすべての経済学者、政治家を糾弾して次のように述べている。
「そして、これほどの被害を招いたのは、もちろん1人の人間によるものではないのですが、そのリストのトップにいるのは、もちろん前FRB議長のアラン・グリーンスパンです。
 というのも、グリーンスパンこそが、誰よりもこの危機を避けることができる権限能力があったからです。しかし、実際に彼がやったことは、その逆のことであり、この危機に突入するのに加担したと言っても過言ではないのです。
 そして、彼は金融規制を強化することを積極的に妨げていました。さらに彼は、多くの人に金融派生商品を広めようとしました。そして、住宅バブルがあることも、進んで否定したのです。ですから、彼こそが犯人リストのトップの人物です。
 ゆえに彼こそが最大の悪人ですが、市場の効率を説きすすめたすべての経済学者、規制をはぎとろうと必死になったすべての政治家も同じく犯人です。
 とくに元共和党の上院議員フィル・グラムは、おそらくグリーンスパンの次に悪人だったでしょう。彼は大恐慌時代の金融規制やグラス・ステイーガル法の銀行業と証券業の分離規定の緩和に、中心的な役割をしました。市場の金融商品も規制しないようにしたのです。」

<<景気後退といかに戦うか>>
 そして教授は、「景気後退といかに戦うか」というテーマの根幹に、セーフティネットの拡大を据えて、次のように述べている。
 「景気後退と戦うのに、まず政府が果たすべき積極的な役割は、本書の冒頭でも少し触れましたが、やはりセーフティネットを拡大することです。
 1930年代において、ニューディール政策により、社会保障、失業保険、給料をよくするための交渉力をサポートすることが行われました。そこで労組運動が大きく拡大し、所得の不平等が大きく減少したのです。そういう変化を、オバマ政権でも見てみたいと思っています。社会保障が70年前に社会にもたらした役割を、医療制度がこれから果たしてほしいと思っています。また景気刺激策も、少なくともアメリカにおける不平等を減少させるでしょう。
 私は2009年3月25日の議会で、医療問題について証言しましたが、いまの経済危機がヘルスケアのような、より長期的な目的の追求にどのように影響するか、ということについても話しました。
 私が主張したいのは、とにかくぐずぐずしていないで早くやれということです。ヘルスケア産業の成長が、いま我々ができる最大のことだからです。いまのアメリカの医療システムは悲惨です。ひどく不公平です。何かあって医師にかかっても、基本的な医療を受けられないということが簡単に起きます。
 解雇されると、保険給付が受けられず、病院にも行けません。このようなリスクがあることは、先進国では特異なことです。いまはある程度妥協した案でもいいので、早く作ることが重要なのです。」
 この指摘は、日本の現実とあまりにも酷似し、共通していることでもある。

<<「失われた25年」へと突き進んでいる日本>>
 しかし現実のオバマ政権については、教授は、「失われた10年」時代の日本との類似性・共通性に警告を発する。
「しかしそうしたことを踏まえても、いまのアメリカの政策を見ると、1990年代の日本のそれに類似してきているように思えます。
 つまり、財政拡大はするが、十分な拡大になっていない。金融政策を実行するが、すぐに限界にぶつかってしまう。さらに、銀行をサポートするが、日本のときと同じように「ゾンビ銀行」問題を抱えながら、足を引きずるようになってしまう可能性がとても強いのです。」
 そして日本自身について言えば、いままさに「失われた25年」へと突き進んでいると警告する。
 「いまの日本は需要が不十分であるという恒常的な問題を抱えているという主張には、誰もがたいてい納得するでしょう。確かにあの「失われた10年」のあとに、一時的な回復がありました。でもその回復は、輸出に依存したものでしたから、磐石なものでは決してなかったのです。そしていま現実に元に戻っている。
 ですから、日本は「失われた10年」ではなかったのであり、いままさに「失われた25年」へと突き進んでいると言えるでしょう。」
 日本がこの危機を突破するには、何が必要なのか。教授はここで再び強調する。
 「私が目を通した日本に関するレポートのほとんどには、日本のセーフティネットは貧弱であると書かれていました。窮状を減らし、スランプの深さに歯止めをかけるためにも、セーフティネットの強化は、いまの日本が間違いなく必要としていることの一つです。」

<<「奇妙な政策」>>
 なお、この本の出版記念として教授はこのほど来日し、訳者のインタビューを受けている。
 ―― 米連邦準備理事会(FRB)が実施した金融機関に対するストレステストの結果をどう見ていますか。
 クルーグマン:ストレステストの結果はIMF(国際通貨基金)の調査結果と一貫していますが、ストレステストそのものに不可思議な点があります。例えば状況がかなりひどい状態のシティグループについては、まだ実行していないことも評価の対象にして、状態がいいように見せていることです。
 ストレステストの前提は現在、銀行に支払い能力がある、ということですが、その前提は間違っています。今の銀行は十分機能していないのであって、いくらストレステストをやってもその事実は変わりません。
 全く意味がないテストではありませんが、先に政策を立てて、その政策を正当化するために、ストレステストをやっただけです。
 ―― 与謝野大臣と話してみて、印象はどうだったですか。
 クルーグマン:今までいろいろな国の財務大臣と話していますが、皆驚くほど無知でした。しかし、与謝野大臣はよく理解されていると思います。ただ知っていることと、それを実際に行動に移せるかは別問題です。
 ―― 日本では景気浮揚策として、高速道路料金の値下げ策を実施しています。こうした施策は有効だと考えますか。
 クルーグマン:独自性のあるアイデアだと思いますが、奇妙ではっきり言えば良い政策とは言えません。
 環境のことを考えれば、逆に高速料金は値上げすべきでしょう。自動車を運転しないと、カネが回らないという状況をつくることが、経済全体に有効なのでしょうか。
 ―― 以前「日本より中国が、先に危機から脱する」と述べていますが。
 クルーグマン:日本に来る前に中国に行ってきましたが、そこで起こっていることは何が本当で何が本当でないのか分からなくなってきました。すべてがフィクションに見えます。
 ですから、最初は中国が危機から脱するのが早いと思っておりましたが、今は分からないというのが率直な考えです。

 なかなか示唆に富む指摘といえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.380 2009年7月25日

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【コラム】ひとりごと— いよいよ政権交代だが—

【コラム】ひとりごと— いよいよ政権交代だが—

○東京都議選の結果が最終的に麻生政権に退場を命じることになった。民主党が第1党となり、自民・公明合わせても過半数に達しなかった。○あくまで地方選挙であると強弁し、責任論を回避しようとした麻生だったが、それではと、古賀選対委員長が辞任を申し出た。○古賀は、東国原宮崎県知事を選挙パンダにと奔走したが、相手が悪かった。悪乗りで「総裁候補」が前提などと高いハードル設定をされておいて、最後はビートたけしの一喝で衆議院選挙出馬を断念する結果となった。一連の報道は、マスコミを賑わしたが、パンダ探しは、逆に自民党の政権末期症状が露呈する結果となった。○都議選後の動きも同様である。野党は、直ちに衆議院に内閣不信任案、参議院に問責決議案を提案したのを受けて、麻生首相は、21日の週の解散予告、8月30日の総選挙を発表する。危機感に駆られた自民党内の不満は、両院議員総会開催への署名活動となった。麻生降ろし派と党内議論派の野合は、3分の1に達したのだが、選挙前の党執行部の恫喝の前に沈静化し、揚句、非公開の懇談会でお茶を濁すだけとなった。○これも、政権末期のただの「内紛」に終わり、国民に政権末期を一層印象づけることとなった。○何をやっても、支持率を下げる結果となり、毎日新聞(07-20)の世論調査によると、次期衆議院選挙で勝利してほしい政党として、民主党が56%、自民党が23%となり、内閣支持率も17%に下落している。○最悪の状態で、選挙に臨むことになったわけである。自業自得とはよく言ったものである。○公明は、すっきりしたもので、衆議院選挙の結果で、下野した場合は、当然連立解消し、選挙結果が僅差などの場合は、キャスティングボードを握ろうということだろう。選挙戦では、大型補正予算でのセーフティネット政策(就労支援のために給付金などの雇用対策や住宅手当など)を自党の成果と宣伝している。小泉改革・新自由主義路線に加担してきた犯歴には全く無感覚である。○そこで、共産党であるが、都議選でも5議席を減らし、惨敗している。倒産が相次ぎ、雇用状況が益々悪化している中で、支持を拡大できないのは、何故なのだろうか。総選挙でも同様の結果が予想されるのだが。○自民・公明政権が、こんな状態の下で戦われる総選挙なので、国民は、一度政権交代して、やり直しては、との風を感じている。○しかし、肝心なのは、市場原理主義・格差容認の社会システムなのか、社会民主主義的改革なのか、ということであろう。当面、自民党を否定しても、次の政権が、政策的には、自民党と代わり映えしない、ということならば、政治の混乱は、さらに継続すると見なければならない。○郵政選挙で、無内容な圧倒的多数を獲得して、自滅した自民党のように、次期政権も同様の経過を辿ることにならないか。○と心配をしているが、取らぬ狸の云々にならぬよう、暑い夏の総選挙をそれぞれの部署でしっかり取り組むこととしましょう。(佐野2009-07-20) 

 【出典】 アサート No.380 2009年7月25日

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【投稿】自壊の道を歩む麻生政権と民主党の課題

【投稿】自壊の道を歩む麻生政権と民主党の課題

<<「麻生ー、さっさと辞めろー」>>
 麻生首相は、やることなすことすべて裏目に出ている。唐突にいかにもしたり顔で提案し、閣僚に指示しながら、事態が混乱するや「最初からこだわっていない」などと空とぼけ、ドタバタ劇を演じて尻すぼみとなった厚生労働省の分割騒動がその典型であった。内閣を統率し、一貫した姿勢を堅持すべき首相としての、「矜持」も識見もなければ、指導性など皆無であることが、その稚拙極まりないその場しのぎの首相の姿勢に露骨に表れている。単に誰かの提案に飛びついただけで、要するに「首相の座」に居座り続けていたいだけなのである。
 とにかく人気回復のネタはないかと、「百年に一度の危機」を利用して、何の一貫性も政策基調も持たない巨大なバラマキ予算を編成してはみたものの、それでも一向に支持率が上昇しない。それは当然である。ばらまく一方で、平然と消費税増税を口にするのである。それも12%への増税である。そこには増税を説得、納得させることのできる哲学も一貫した政治的主張も皆無である。庶民感覚どころか、政治感覚さえ喪失しているのである。
 6/10に政府が示した「骨太の方針2009」は、社会保障費を毎年度2200億円抑制する方針をあくまでも継続し、11年度以降、消費税率を12%程度に引き上げる方針を示し、首相はこれを選挙の争点化することに固執している。与党内からは反対論、異論が続出し、マニフェストの取りまとめさえできない状況である。
 そこで首相は人気回復に躍起となり、露出度の高いイベントに片っ端から出向き、その得意とするはずの笑顔を振りまくが、いまやわざとらしいその悪代官ばりのニヤケきった不快な笑顔がかえってマイナス材料となっている。
 5/31、東京・府中の東京競馬場に姿を見せた麻生首相は、日本ダービーを制した横山騎手らに「内閣総理大臣賞」を授与するため例の笑顔で登場した。すると、会場から「麻生ー、さっさと辞めろー」というひときわよく通る声が投げかけられ、一瞬、会場がどよめいたという。

<<事実上の三くだり半>>
 麻生内閣はいまや完全な末期の迷走状態にあると言えよう。その極め付けが、今回の鳩山総務相の辞任問題である。現与党が息を吹き返す政治的選択としての麻生首相に期待された唯一の活路は、小泉・竹中主導の新自由主義路線、規制緩和・民営化路線からの決別・転換であった。その象徴が日本郵政問題であった。
 郵政民営化の本質が、340兆円にも及ぶ郵貯マネー、簡保の資金をアメリカの金融資本に開放し、叩き売る、そしてゴールドマン・サックス=住友連合にその草刈場を提供する、さらに小泉内閣の規制改革・民間開放推進会議議長となり、規制緩和の旗振り役となって政商役を買って出た宮内会長のオリックスへの利益供与をなんとしても実行する、ということであった。郵政民営化問題の表面化は、こうした隠されていた悪質な目的の本質的な膿が噴き出してきたのであった。不当に安く払い下げられようとした「かんぽの宿」問題は、その隠し切れなかった薄汚れた取引の一端が噴出した重大な疑獄事件であったと言えよう。それらの薄汚い取引がさらに暴露されることを恐れた小泉・竹中一派、それに連なる政財界が必死になって西川社長の続投と擁護に回り、麻生首相に脅しをかけ、首相はうろたえ、決断することもできず、鳩山総務相から「辞任」という事実上の三くだり半を突きつけられたのである。麻生氏を首相候補に担いだ盟友であり、有力閣僚である鳩山氏から、首相の方針は「不正義」と決めつけられて、辞表を叩きつけられたのである。麻生政権の統治能力の欠如がこれほどあからさまに露呈されたことは、もはやこの政権を支える自民・公明連合には明日はないということを示すものであったと言えよう。
 それは、鳩山総務相の辞任会見の「世の中、正しいことが通らない時があるんだなと。今はそういう思いですね。どんなに不透明で悪事をはたらいていても、私がそのことを、はっきり説明を世の中に対してもしてきましたが、今の政治は正しいことを行っても認められないことがあると。・・・私もそういった意味では、政府、内閣を去ることは躊躇しませんでした。」という言葉にはっきりと表れている。

<<「官僚の、官僚による、官僚のための政治」>>
 あの読売新聞でさえ、「今回の問題の核心は、「かんぽの宿」の不明朗な売却手続きなど不祥事が続発しているのに、西川社長が経営者としての責任を果たさなかったことにある。ところが、鳩山氏の発言が「罷免されても再任に反対する」とエスカレートするにつれ、「社長を辞めさせれば郵政民営化が後退する」といった、別次元の議論にすり替わってしまった。小泉元首相に近い中川秀直・自民党元幹事長から、首相が鳩山氏の肩を持つなら「本気で戦う」という発言まで飛び出すなど、党内抗争の兆しを見せ始めていた。首相が鳩山氏を更迭したのは、党内が混乱し、亀裂が一層拡大することを恐れたためだろう。しかし、不祥事に対する説明不足や経営責任を問う鳩山氏の主張には、肯(うなず)ける部分が少なくない。鳩山氏の指摘に共感する人は多いのではないか。」(6/13付け社説)と指摘される事態である。
 この段階での麻生首相の活路は、鳩山総務相と軌を一にし、西川社長の続投を認めず、郵政民営化の実態にメスを入れ、日本郵政問題で筋を通すところにしか存在しなかった。そうすれば、起死回生、支持率回復への大きな足がかりを得ることが可能であった。なぜなら、対する民主党は、新自由主義路線、規制緩和・民営化路線からの転換については態度があいまいであり、むしろ新自由主義路線を唱える議員が少なくはないし、鳩山・民主党党首自身が、閣内不一致を指摘すれども、麻生内閣の路線を「官僚の、官僚による、官僚のための政治」などといった的を打たざる主張を展開している状況である。「政策目標なき政権交代」論はあっても、何よりも、現在の経済恐慌に対する経済政策、不況・失業対策がいまだに不明確、かつ一貫性に欠ける状況にある。民主党ならびに野党連合が決定的な勝利を得るためには、このことこそが問われていると言えよう。
 しかし、自壊の道を歩む現在の麻生首相を先頭を先頭とする自民・公明与党連合党幹部は、民心を読む力をまったく失ってしまっている。民心の、世論の動きにまったく「鈍感」な政治には、もはや退場以外の道は残されていないと言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.379 2009年6月21日

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【投稿】朝鮮半島情勢と麻生総理のお気楽 

【投稿】朝鮮半島情勢と麻生総理のお気楽 

<一気に緊張激化>
 5月25日、北朝鮮は朝鮮中央通信を通じ、「2006年10月に続く2回目の核実験を、前回を上回る規模で成功裏に実施した」と発表した。これを受け、国連安保理は直後に緊急理事会を開催、ロシア選出のチュルキン議長が「核実験は2006年の安保理決議1718の明確な違反」とし「この問題に関する安保理決議の作業を直ちに始めることを決定する」との議長談話を明らかにした。
 日米両国は、決議には武力行使も辞さない貨物検査(海路および陸路での臨検)の義務化を盛り込むことを主張、武力衝突を危惧しこれに難色を示す中国、ロシアとの間で長期間の駆け引きが続いた。
 この間アメリカや韓国のマスコミが「北朝鮮が長距離弾道ミサイル(ICBM)、さらには日本を狙った中距離弾道ミサイルの発射準備に入った」と報道。さらに6月8日、北朝鮮は先に中朝国境地帯で拘束したアメリカ人女性記者2人に対し、労働教化12年の判決を下すなど、金正日政権は対決姿勢を一層エスカレートさせている。
 一方、韓国政府も核実験を受け、PSI(大量破壊兵器拡散防止構想)への全面参加を発表、さらにクリントン国務長官は「テロ支援国家再指定」の検討に言及するなど、朝鮮半島情勢は危うい状況のまま推移している。

<麻生首相の「戦う覚悟」>
 こうしたなか、麻生太郎首相は6月7日、東京都武蔵野市で都議選応援の街頭演説を行い、北朝鮮に対して「戦うべき時は戦わなければならない。 その覚悟を持たなければ国の安全なんか守れるはずはない」と発言、聴衆を唖然とさせた。
 発言を素直に解釈すれば、戦争を想定したものに他ならず、自民党国防部会等が主張する「敵策源地先制攻撃論」と相まって、北朝鮮メディア風に言えば「宣戦布告」に等しいものである。「敵基地先制攻撃可能論」については、1956年に鳩山一郎内閣の政府統一見解として出されたものである。
 米ソ冷戦時代の想定と現在の情勢の変化を考慮することなく、「法理上は可能」などと一般論で開陳した口も渇かないうちに、唐突に北朝鮮攻撃という具体論に飛躍させてしまうのは、北朝鮮が過去繰り返している「○○○を火の海にしてやる」などの過激発言と同レベルの、思慮を欠いた軽率きわまりないものだ。
 ただこれが口先だけであるのは、万人の知るところで、選挙戦を闘う覚悟もない人間が、国民に対して戦争の覚悟を説くなど、笑止千万である。
本人は「国際的な空気を読んだ」つもりなのだろうが、国連などを舞台に、心理戦も含めた丁々発止の駆け引きが展開されている最中に、あまりに単純な発言は、事実上日本政府が蚊帳の外に置かれていることを、自ら証明したものとも言える。

<妥協の「国連決議」>
 日本国内閣総理大臣が世界中にその浅はかさを見せつける中、国連安全保障理事会は6月13日(日本時間)、北朝鮮の核実験に対する制裁決議案を15理事国の全会一致で採択した。
 決議は貨物検査と金融制裁、武器禁輸を主な内容とし、「安保理決議1718」と合わせ、北朝鮮の核兵器、ミサイル開発および核拡散阻止のため、関連物資と資金の遮断をめざすものとなっている。
 同決議では5月25日の核実験を「最も強い表現」で非難し、安保理各国が、国連憲章7章のもとで行動し、同章41条が定めた経済制裁などをとるとしている。これに従い人道支援目的以外の金融、援助は大幅に制限されることとなった。
 米中の間で焦点となっていた、貨物検査に関しては、禁輸物資積載疑惑がある場合、国連加盟国に「公海上では当該船舶が所属する国の同意を得て検査する様に求める」とされ義務化は見送られた。
 要は米中の妥協の産物であり、中国が本気で履行しなければ実効性は保障されないものであるが、麻生政権は日本外交の成果と自画自賛している。

<強硬姿勢の裏側>
 しかしこれに対しても北朝鮮は、同決議が採択された会議を欠席するなど、反発を強め「国連脱退」「3回目の核実験強行」も一部では取りざたされている。
 この一連の瀬戸際外交の背景には、病身の金総書記の後継者問題、「核保有国の権力者」として三男正雲氏に箔をつけるため、など様々な憶測が為されている。金日成誕生100年を迎える2012年までには、「強盛大国」と世襲の実現を図りたいのは確実といえる。
 逆に見れば、残された時間はあまりなく、昨年夏の健康悪化という想定外の事態に焦りを深めた金総書記が、矢継ぎ早に「ミサイル発射」、「核実験」という強硬手段を打ち出しているのは、動揺の反映とも言えよう。
 そしてここに来て、これら北朝鮮が喧伝する一連の成果に大きな疑問符が付き始めている。4月に発射された「テポドン2号改」は、北朝鮮の発表に寄れば、地球の周りを回っているはずである。しかし実際は、飛距離こそ以前よりは伸びたものの、予定された「人工衛星」の軌道投入はおろか、2段目3段目の分離にも失敗し、太平洋に落下したことが明らかとなっている。
 さらに2回目の「核実験」についても、核爆発にともなう特有の放射性物質が、日米韓の採取、測定活動にも関わらず、いまだに大気中から検出されていないことから、「失敗」もしくは、通常火薬を大量に爆発させた「偽装」だったのではないか、との見方が出てきている。
 第1回目の時は、米韓の測定で放射性物質が検出され、核実験の裏付けとなった。しかし今回は、そうした物的証拠がないため、このような疑惑が持ち上がっているのである。

<最後まで「まんが太郎」か>
 考えてみれば、北朝鮮が核実験に失敗、あるいは実施しなかったというなら、その方が、近隣諸国はもとより国際社会にとって良いに越したことはない。そもそも「拉致問題」でも「総書記健康問題」でも「北朝鮮の言うことはみんな嘘である」という姿勢を崩さない勢力が、なぜ「核、ミサイル」だけは素直に信じてしまうのか不思議ではある。
 北朝鮮自身は何があっても「失敗でした」「やっていません」とは言えないだろうし、アメリカもおかしいと気付いていながら、不問にしていた方が日本などをコントロールしやすいことから、「核実験はあった」ということで、問題は推移するのかも知れない。
 この期に及んでも麻生内閣は正確に事態を把握していないようだ。日本政府は国連決議に船舶検査の義務化を盛り込むよう主張していた。にもかかわらず、日本にはその体制が無く、公海上で実施するには新法が必要なことが露呈してしまい、ソマリア沖派兵とはうってかわって「とりあえずは領海内で海上保安庁に任せる」という無責任ぶりである。
 麻生首相には、同じくまんが好きと言われる金正雲氏を日本に招待し「国立まんが喫茶」で一緒にアニメに興じる姿が似合っている。そのほうが平和でいいかもしれないが、残された宰相としての日々を安穏として過ごさせてくれるほど、内外情勢は甘くはないのである。(大阪O)

 【出典】 アサート No.379 2009年6月21日

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【投稿】北朝鮮の2度目の核実験と日本の立ち位置

【投稿】北朝鮮の2度目の核実験と日本の立ち位置
     -豊下楢彦・「昭和天皇・マッカーサー会見」から読み解く-
                           福井 杉本達也 

1 米中との“距離”のとりかた
 北朝鮮が5月26日に2度目の核実験をして以来協議を重ねていた国連安保理の追加制裁決議が6月13日にようやく出された。緊張状態を極度に高め、偶発的戦闘が起こることが予期される船舶の「臨検」については、船籍国の同意を求める内容であり、非軍事的分野に限定されることとなった。核実験から安保理決議までの間に、韓国国家情報院から金正日総書記から三男・正雲?(ジョンナム)氏への権力継承の情報が流された(日経:2009.6.3)。スタインバーグ米国務副長官も「核実験強行やミサイル発射準備など相次ぐ強硬姿勢の狙いが内部の体制固めにあるとの見方を強め」(日経:6.4)、決議直前には北朝鮮問題担当のボズワース特別代表は9日「北朝鮮が一連の行動は米国の敵対的な態度に対応するものとしていることについては、米国には敵対心はないと否定。『米国には北朝鮮を侵攻したり、武力をもって北朝鮮体制を変革させようとする意向はない』とし、北朝鮮に対して6カ国協議の場に戻るよう呼びかけ」(ロイター:2009.6.10)北朝鮮の安全保障を確約した。北朝鮮の意図は「体制の生き残り」であるが、国内的には「体制の引き締め」、対外的には中露・特に中国の影響力をいかに少なくして「独自路線」をとるかである。「権力継承」情報が事実かどうかは確認できていないが、米韓から「体制固め」のみと見られたとすれば、核実験の政治目的は失敗である。
 
2 北朝鮮の位置とチェコの位置
 麻生首相は5月にチェコを訪問した際、チェコを「チェコスロバキア」と言い間違えたが、北朝鮮もチェコも米が提唱した「不安定の弧」(arc of instability)(それを猿真似し2005年の安倍内閣発足時に麻生外相(当時)が提唱した「自由と繁栄の弧」)の最外周部に属する。チェコ・ポーランドにMD網を設置することと、北朝鮮に核実験・ミサイル発射騒動で日本にMD網を整備したこととは、どちらもロシアの核戦略包囲網の一環であり、上海協力機構の包囲網として連動している。オバマ大統領が4月5日にわざわざ、チェコの地において「核軍縮の包括構想」を打ち上げたが(日経:2009.4,6)、「不安定の弧」を不安定化させておくことこそ米英金融資本・軍産複合体の主要目的である。その意味で米英金融資本の北朝鮮の利用価値ははっきりしていた。ところが、イラクで足をとられ、アフガンでも泥沼につかり、NATO軍はパキスタンルートからの補給が困難となり、ロシアルートやイランルートからの補給を考えざるを得なくなっている(日経:2009.3.25・毎日:3.28)。また、ラトビア・ポーランドをはじめとする東欧は金融危機でMDの火遊びどころではなくなってきている。上海協力機構包囲網は今まさに崩壊寸前という状況にあり、北朝鮮の“価値”も米ドルの信認のように低下しつつあるのではないかと金正日“王朝”が考えたとしても不思議ではない。
 
3 ガイトナーの土下座外交
 6月3日の日経は「財政赤字半減中国に公約」という見出しを掲げ、ガイトナー財務長官は「米議会に提示した財政赤字の半減構想を胡主席にも伝えたもようで、事事実上の対中公約とする考えを示した形だ」との記事を掲載した。まさに米国債を中国に買ってもらうための歴史的土下座外交である。覇権が米国から中国に徐々にではあるが移行しつつあることを如実に示すこととなった。そのガイトナーの片思いを逆なでするかのように、5日には500億ドルのIMF債(ドル、ユーロ、円、英ポンドで構成する合成通貨SDR(特別引き出し権)建て)を購入すると発表した。すかさず、ロシアも10日、米国債を売却しIMF債を100億ドル購入するとし、ブラジルも100億ドルのIMF債の購入を発表した(日経:6.3・6.11・6.12)。
 
4 危うい軍拡カード
 4月の北朝鮮の「人工衛星」では日本に落下してきたら「迎撃」するとして、イージス艦やPAC3部隊を東北地方や周辺海域に移動させるなどの一連の「戦争騒ぎ」をやったが、今回も麻生首相は6月7日、都議選応援演説の中で、北朝鮮問題に触れ「我々は戦うべき時は戦わねばならない。その覚悟を持たなければ国の安全なんて守れるはずがない」と語気を荒げて戦争の必要性や軍備増強の必要性を力説した(きっこのブログ:6.7)。中谷元自民党安全保障調査会長は「『座して自滅を待つべしが憲法の趣旨とは考えられない』との鳩山一郎首相の答弁がある。」とし、民主党の前原誠司副代表は「まず遅きに失している感じがする。」とこれに応えた(県民福井=中日:6.6)。自民党国防部会・安全保障調査会の合同部会は6月9日、敵基地攻撃のために巡航ミサイルなども持つべきだとの提言をまとめた。これらとは別に、昨年10月に航空幕僚長を更迭された田母神俊雄氏は、毎月20~30回の講演をこなし、「核を持っている方が日本は安全。日本の政治家だけ持たない方が安全だと寝言を言う」と独自核武装の必要性を煽り続けている(福井:6.5)。
 こうした一連の動きは、米国の覇権が弱まってきていることへの日本側の焦りである。日本はアングロサクソン金融資本の「属国」のまま一緒に沈没するのか、中国の「冊封体制」に入るのか厳しい選択をせまられつつある。北朝鮮と日本とは向かい合わせの鏡で踊っている。違いは、日本には何の戦略もないが、北朝鮮には「体制の生き残り」というはっきりした戦略があることである。
 
5 昭和天皇の「国体護持」が安保体制の出発点
 なぜ、日本には何の戦略もないのであろうか。解くカギは日米安保体制の発足時にある。豊下楢彦関西学院大教授は『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫:2008.7.16)の中で、日本が米軍の占領期から独立するにあたって、米国の最大の関心事は「占領期と同じように、米軍が日本に駐留し基地や国土を自由に使用する権利を確保することにあった」とし、当時、交渉に当たっていたダレスは“無条件に”米軍が日本国土を使用するという「『このような特権』を米国に与える『いかなる政府』も『日本の主権侵害を許したという攻撃』にさらされるであろう」と非常に困難な課題として認識していたのであるが、昭和天皇は講話交渉を担っていた吉田首相をバイパスする形で、『二重外交』を繰り広げたと分析している。昭和天皇は1949年9月のソ連の原爆実験成功、10月の中国革命、50年6月の朝鮮戦争の勃発を「日本有事」「天皇制の有事」ととらえ、「革命」と「戦争裁判」と天皇制の打倒に繋がるものと看ていた。この未曽有の危機を救えるのは米軍以外にはないとし、吉田首相が米軍への基地提供で動揺することは許しがたいことであり、まして、基地提供を交渉カードに使おうとする白州次郎らなどの発想それ自体が認められないと考えていたのである。日本の基地提供と米軍駐留は、天皇制の死守をはかる昭和天皇にとって絶対条件だったのである。結果、日本は無条件的に米軍駐留を「希望」「要請」し、基地の「自発的オファ」に徹するものとし、1960年に改正する旧安保条約には「内乱条項」が盛り込まれ、革命から天皇制を守るきわめて重要な位置を占めていたのである。こうして「国体護持」を保障する安保体制こそ「独立」を果たした日本の新たな「国体」となったと指摘している。
 
6 富田メモの解釈
 こうした文脈で2006年7月20日に日経紙上で公表された富田朝彦元宮内庁長官が残した日記・手帳(「富田メモ」)を豊下氏は読み解く。公表当時、小泉首相の靖国神社参拝問題が日中間の外交の障害となってこともあり非常に注目されたが、櫻井よしこ氏ら保守派の論客からは“捏造”説まで出された。富田メモの靖国神社参拝にかかわる部分である1988年4月.28日の記述で、昭和天皇は「私は、或る時に、A級(戦犯)が合祀され、その上、松岡、白取(原文のまま)までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と述べていた。そもそも靖国神社は天皇のための戦争によって死んだ兵士らを祭る神社であり、天皇の存在なしにはアイデンティティを維持しえない。その神社に天皇裕仁はA級戦犯の合祀後1976年以降一度も参拝せず死去し、現在の天皇明仁も一度も参拝していない。昭和天皇のスタンスは極東軍事裁判に「謝意」すら表明し、「すべての責任を東条にしょっかぶせるがよい」として、日米合作により東京裁判を切り抜けたのである。戦争責任を追及され天皇制廃止の可能性も否定できなかった当時、昭和天皇の側近として奔走したのが松平慶民であったが、その子松平永芳は「親の苦労も知らず」で、東京裁判史観を否定し、靖国神社宮司として東条らA級戦犯を合祀したのであるが、東京裁判の受諾と安保体制は不可分であり、合祀は天皇制の「国体」を根本から揺るがす行為であった。昭和天皇と松平永芳の東京裁判に対する見方は180度異なっていたのである。
 
7 保守派の論調と天皇制
 保守派の論客関岡英之氏は「拒否できない日本」(文春新書)や「奪われる日本」(講談社現代新書)などで、米国の年次改革要望書や郵政民営化の狙いなどを積極的に暴き、アングロサクソン的価値観・グローバリズムを批判してきた。だが、一方では関岡氏は「安倍晋三氏は自民党の結党以来の悲願だった憲法改正のための国民投票法の制定、教育基本法の改正、防衛庁の省昇格という三つの偉業を成し遂げました」(日本会議「日本の息吹」:2009.5)と安倍内閣の憲法改正の一連の流れを積極的に評価するとともに、「奪われる日本」においても「皇室の伝統を守れ」という1章をわざわざ設け、米国の覇権が弱まる中で、「日本の伝統」「天皇制」に独自の国家戦略の根拠を求めようとしている。
 しかし、昭和天皇の対米論は関岡氏の“期待”とは裏腹な無条件の服従であり、東京裁判の絶対承認の上に「天皇制」「国体」が守られたということであり、その結果、日本国土は60年以上にわたり米軍占領下にあり、「沖縄処分」がある。したがって、関岡氏を始めとする右派の論調とは「異様な“ねじれ”現象が生じている」(豊下)のである。小泉・竹中氏といった新自由主義者ばかりでなく、米中の狭間で揺れ動く関岡氏が依拠しようとした「天皇制」=昭和天皇その人こそ、1300年もの歴史を誇る「国体護持」のためにリアリスティックに日本を米国に売り渡した徹底した売国奴であったのである。天皇の外交について「政治的責任を負えないもの、公に説明責任を果たし得ないものが政治過程に介入し影響力を発揮するということは、日本の政治と民主主義の根幹を突き崩すことを意味している。仮に、この状況を評価せざるを得ないとすれば、日本の政治の持つ病根は限りなく深く、日本の民主主義は救いがたく未成熟である」(豊下)。60年後の今日も我々はまだこの現状を克服していない。中部大学の武田邦彦氏は「原爆報道は『凍り付いている』と思う。それは,『現状を報道できず,単に北朝鮮のことだけしか言えない』という報道だからだ。アナウンサーの口元は凍り付いていた。・・現在,アメリカとロシアが持っている核爆弾は2万5000発と言われている。さらにイギリス,フランス,中国など国連の安保理の中心国はすべて「核爆弾」を持っている。『自分たちは正しいから核爆弾を持っても良いが,北朝鮮は間違っているから核爆弾を持ってはいけない』という論理の正当性はいつまで続くのだろうか?」とブログで述べているが、昭和天皇から連綿と続く呪縛から抜け出さない限り、「口元は凍り付いた」ままであろう。

 【出典】 アサート No.379 2009年6月21日

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【本の紹介】『スラム化する日本経済 4分極化する労働者たち』

【本の紹介】『スラム化する日本経済 4分極化する労働者たち』
               著者 浜 矩子(同志社大学大学院教授)
             講談社+α新書 2009年3月20日発行 838円+税

<<「年末底入れ・来年回復」説>>
 このところ、今回のグローバルな世界経済恐慌はそれほどたいしたものではなく、これ以上深刻化することはない、「年末底入れ・来年回復」するという楽観的なシナリオが盛んに喧伝されている。6/9に開かれた日米欧の経済協力開発機構(OECD)経済政策委員会は、今月末に発表する世界経済アウトルック(見通し)で各国の成長予測を前回予測から引き上げることを決め、各国とも生産や貿易が底を打ち、企業心理が改善、世界景気は年末に底入れし、来年には回復に向けた動きが出てくるとの見方を示すという。
 日本でも6/12には、東京株式市場で日経平均株価が、昨年10/8以来約8カ月ぶりに1万円台の大台を回復し、6/12、イタリア南部レッチェで開かれた主要8カ国(G8)財務相会合でガイトナー米財務長官と与謝野馨財務・金融・経済財政相が会談し、日米両国の経済動向について、景気後退が緩やかになり、最悪期を脱しつつあるとの見方を確認したという。
 景気動向はジグザグな過程をたどるものであり、山あり谷ありで予測しがたいものであるが、問題は経済恐慌を引き起こした本質的基本的原因がどのような状況にあるかを掘り下げることなく、主観的願望で判断しては裏切られるばかりであろう。1929年大恐慌時にも、翌年初め株式市場が一時持ち直し、当時のフーヴァー大統領は「好景気はもうそこまできている」と盛んに繰り返し、景気対策や市場への干渉を拒否し、「愚か者による株価の持ち直し」と揶揄される結末となった。
 今次恐慌においても、29年大恐慌以来最悪の金融危機・信用崩壊の最大の原因の一つとなった野放し・不透明・複雑怪奇なデリバティブ(金融派生商品)取引・マネーゲームにかかわった大手金融資本、「大き過ぎてつぶせない」金融機関が、ガイトナーらオバマ政権内の支援者のバックアップの下に公的資金の注入を徹底的に利用して息を吹き返し、いずれも政府に救済されたはずのシティグループやJPモルガン・チエース、ゴールドマン・サックスなどが集まって、ロビー団体「企業金融改革連合」を設立し、問題のデリバティブ取引に対する規制にあくまでも反対する傲慢・強欲な行動に乗り出している。こうした動きに力を得て、また各国の空前の規模の国債増発、市場への緊急資金供給を利用し、これまで現金や国債など安全資産に逃げ込んでいた投資資金、投機資本の一部が、株式や石油等原燃料・国際商品相場、通貨取引市場などに戻り始めているのである。こうして再び膨れ上がった投機資本が、悪化の様相を一段と強めつつある実体経済の動向とは無関係に市場を支配しようとしているのである。

<<日本が真の震源地である理由>>
 さてここで紹介する「本書のタイトルは『スラム化する日本経済』である。いかにもセンセーショナルなタイトルではある。だが、グローバル・ジャングルが砂漠化するとなれば、何が起こっても不思議ではない。本文のなかで見ていく通り、目下、日本では「豊かさのなかの貧困」が深まりつつある。このフレーズから「豊かさ」の部分が消えれば、残るは「貧困」のみである。」と著者自身が「はじめに」の中で述べている。
 本書の構成は、以下のとおりである。

はじめに-グローバル・ジャングルに広がる荒涼なる光景
序 章 グローバル恐慌は第三幕へ
第一章 インフレとデフレの狭間で
第二章 豊かさのなかの貧困
第三章 新・資本主義の構図
第四章 国家がハゲタカになるとき
終 章 砂漠化する地球経済

 序章において著者は、現在のグローバル恐慌について、
 「『影響は軽微』説こそ総じて影を潜めたが、『影響は短期』説は必ずしも後退していない。今なお、全治二年説や全治三年説が少なくない。むろん、その程度の調整ですむに越したことはない。
 だがなぜ、その程度ですむと考えられるのか? そこには大きな疑問を感じざるを得ない。日本のバブル崩壊は『失われた一〇年』をもたらした。一九二九年の世界恐慌は一九三〇年代の不況につながった。全治三年どころではない。歴史的経験則としては、むしろ全治一〇年という数字がおのずと浮かび上がってくる。」と述べる。
 そして今次恐慌の震源地について、以下のように指摘する。
 「ちなみに、どこが震源地であるかにこだわるのだとすれば、むしろ、震源地は日本だという言い方さえできる。
 なぜなら、金融大膨張から金融大破綻につながる今回の展開は、元をたどれば日本の長引く超低金利がもたらしたものだと考えるべき面があるからだ。ゼロ金利政策が続き、政策としてはゼロ金利解除となったあとも、なお、金利水準は限りなくゼロに近い状態に張り付いたままだった。正常化が一向に進まない。
 そのなかで、日本の国内で金利を稼げないジャパンマネーが世界に溢れだし、世界的にもカネ余りと低金利を醸成する展開になった。そのような環境のなかでハイリターンを求める行動が、ハイリスクを内包する危うい金融商品の数々を生み出し、世界にグローバル恐慌の種をばらまいた。それがことの真相ではないかと思う。
 そうであるとすれば、日本は誰かが起こした危機のとばっちりを受けた被害者どころではない。むしろ震源地そのものだ。日本で形成された恐慌につながる力学が、地球経済を巡り巡って、結局は日本に里帰りしてきた。そう考えるべきところだ。
 いずれにせよ、現状において、もっとも危険なことは、問題の根の深さと広がりの度合いを直視しないことである。」
 鋭い指摘だといえよう。

<<下方柔軟化する賃金>>
 さらに重要な指摘は、グローバル時代とは、徹底した賃金最下位争いの時代だということである。著者は、以下のように述べる。

 「一九七〇年代においては、まだまだ、国という囲いがヒト・モノ・カネの動きを制約していた。だからこそ、その囲いのなかで物価と賃金の下方硬直的なスパイラル上昇が起こった。だが、国境を越えた賃金競争が、今やそれを許さない。競争の土俵が一つになってしまったことで、賃金は、むしろいくらでも下がるようになってしまった。下方硬直性ならぬ下方柔軟性の時代である。
 下方柔軟性の時代は最下位争いの時代だ。もっとも早く、もっとも低い賃金レベルに到達できる者が勝利する。そこはまことに熾烈な競争のアリーナだ。最下位記録はどんどん塗り替えられていく。
 かつては中国がこの分野の金メダリストだった。だが、その地位はたちまち後発諸国によって脅かされ、奪われていくことになる。
 次のチャンピオンに輝いたのがベトナムだった。ベトナムの次を狙うのがラオスであり、カンボジアだ。欧州に目を転じても、東欧諸国のなかには、まだまだ賃金の最下位争いに参加する資格が充分にある。
 この最下位争いが続く限りにおいて、賃金はいくらでも下方柔軟化する。そして、そうなればなるほど、インフレはデフレを深化させることになる。下方柔軟な賃金に甘んじざるを得ない人々にとって、インフレになるということは、生存権を奪われることに等しい。そのような立場に追い込まれる人々が増えれば増えるほど、経済活動は全体として活力を失い、委縮していく。インフレが生むデフレの構図だ。」

 ここに「なぜワーキングプアが必要なのか」という論拠がある。
 それは、「金融がグローバル化し、投資機会を求めるカネが世界を股にかけて飛び交うなかでは、企業は常に買収対象となる可能性を意識していなければならない。収益力が落ちれば、株価が下がる。株価が下がれば誰かに買収されてしまうかもしれない。
 このような状況下に追い込まれれば追い込まれるほど、企業はコスト削減と生産性向上の手を緩めるわけにはいかない。そんな彼らにとっては、低賃金労働は不可欠の寄る辺だ。賃金に下方柔軟性がなければ困る。ワーキングプア状態に甘んじる人々がいてもらわなくては、経営が成り立たない。」からである。

<<民間委託が貧困者を増やす>>
 さらにそれに拍車をかけるのが自由競争原理主義に基づく規制緩和、公共サービスの民間委託である。「政府が自ら貧困の種をまき、しかも財政難で充分な救済資金を用意できない」事態を現出している。
 「建設労働者、病院の雑用係り、保育施設の補助的スタッフ、学校の給食係り。民間委託された公共事業のありとあらゆる場面で、派遣労働者たちがこき使われる。
 委託元である政府省庁や自治体は、彼らに関する労務管理について、いっさい、責任を持たない。すべては委託先に丸投げされる。委託元のお役所たちが求めるのは効率性と低コストだけである。経費節減が実現されさえすれば、そのための手段は問わない。
 一方で公共サービスの質的向上を口にしながら、一方では、派遣労働者たちを最悪の雇用環境のなかに封じ込めていく。ここに大いなる矛盾と欺瞞があることは明らかだ。.労働福祉という社会政策の要の部分を踏みにじりながら、公共サービスの向上をいうのは、いかにもご都合主義だ。
 そもそも、公共サービスが「豊かさのなかの貧困」を拡大再生産すればするほど、結局は弱者救済のための財政負担も大きくなっていくわけである。公共事業の経費節減を目指した官業の民間委託が、貧困対策のための財政負担の増大をもたらす。赤字が増えた政府はますます経費節減をせざるを得ず、一段と安上がりな民間委託を進めようとする。
 すると、そのことがワーキングプア化する人々をますます増やしていく。このような悪循環に陥ったのでは、一体、何のために何をしているのか、さっぱり分からなくなってくる。
 政府が自ら貧困の種をまき、しかも財政難で充分な救済資金を用意できないというようなことになれば、格差と貧困は広がっていく一方だ。そのような状態に陥れば、経済活力は確実に弱まっていく。」
 著者は、「本来は格差と貧困から人々を救うはずの政策や行政が、格差と貧困を作り出す。グローバル・ジャングルのこの奇妙な力学をどう矯正するか。ここでもまた、我々の叡智が問われるところだ。」と問題を提起する。

<<四分極化する労働者たち>>
 このような事態の結果として、本書のサブタイトルとなっている「四分極化する労働者たち」の問題が提起される。それは、正規労働者、非正規労働者、外国人労働者、そして雇用機会を得られない「労働難民」への四分極化である。著者は次のように述べる。

 「かつて、資本主義の構図は、「資本」と「労働」を基本骨格としていた。ところが今や、我々は「労働」と「労働」が対立する、新しい二元構図の世界へと向かいつつある。そのように見える。なぜならば、今の時代を生きる労働者たちに団結の力はない。
 正規労働者が非正規労働者と対峙している。非正規労働者が登場したことで、正規労働者たちは既得権益の損失に怯えることになった。一方、非正規労働者たちは、労働の世界において二流市民の扱いを受けていると感じて、憤懣を募らせている。
 かくして、「労働」対「労働」の新たな対時の構図が出現している。それは、世界中の企業がグローバル・ジャングルのなかで、苛烈ともいえる生き残り競争を強いられているからだ。生き残るために、何よりも必要なのが徹底したコスト削減だ。グローバル・ジャングルは最下位争いの世界だ。コストについても価格についても、もっとも低水準を制した者が、勝利を博する。
 最下位争いを勝ち抜くために、お雇い経営者も擬似資本家も、徹底的といえるほどに労働を選別する。かくして世は格差社会の時代を迎え、情け容赦ないほどの労働者の格付けが進んでいく。
 しかもこの「労働」対「労働」の新二元論は、次第に三元論的な様相を呈しつつあるのが現状だ。すなわち、「正規労働者」対「非正規労働者」対「外国人労働者」という関係である。この三者が三つどもえで対峙する構図がすでに見え始めている。
 さらにいえば、労働の世界は今や四元対立の世界になりつつある。第四の存在として、そもそも労働者になりたくてもなれない人々が増えているからである。彼らがすなわち、ネットカフェ難民に代表される人々だ。住所不定であるゆえに、雇用機会を得られない。このように「労働難民」化する人々の存在を、見落とすわけにはいかない。」

 以上の論点は、掘り下げが足らないと感じられるが、あくまでも本書の一部分である。著者は「富める者がより豊かになり、貧する者がより貧乏になるような構図を放置していれば、経済活動全体が豊かさを失う。一人勝ちの論理から共存の論理へと、人々の行動原理を軌道修正しなければならない。」と主張する。共感できるところである。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.379 2009年6月21日

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【投稿】総選挙と同化した東京都議選

【投稿】総選挙と同化した東京都議選

<<都議選で麻生に復讐する>>
 東京都議会議員選挙の投開票日7月12日まで、1か月を割った。告示は、7月3日であり、本来は終盤戦のはずであるが、情勢は急速に変転している。
 ここ1週間で、都議選の動向を判断する上で重要な2つの事件が立て続けて起きた。
 一つは、千葉市長選で、民主推薦の31歳熊谷氏が、52.9%の得票で当選したことである。東京都心部への通勤圏内であり、住民は「千葉都民」とさえいわれている。政治意識と投票行動において、「東京都民」と異同はなく、都議選にも同じ傾向が期待される。
もう一つは、警視庁による統一教会幹部逮捕である。容疑は、霊感脅迫印鑑商法である。系列政治部隊と見られている国際勝共連合は、永年にわたり首都圏の各級選挙で自民党に活動家を派遣してきた。この時期での幹部逮捕で、選挙事務所の行動隊配置に、相当の支障が出る候補者もいるようだ。
 馬の鼻先につけたニンジンのように、衆院解散・総選挙を小刻みに引き伸ばされてきた有権者は、その代償をまず都議選において得ようと、国政と都政を一体の塊りとして意識してきているようである。6月に入り、各報道機関の世論調査が続き、その結果は、「麻生自民党」に対する不支持評価が、そのまま都議候補への選択にスライドした様相を強めている。

<<「争点は石原」ではなくなった>>
 6月5~7日に、東京新聞は、都議選に関する世論調査を行なった。その結果は、石原知事周辺にとっては、「分かっていたけど、でも衝撃的」であった。2007年参院選よりも、都政与党(自民・公明)にとって悪い傾向を示している。民主党は、黒い霧刷新都議選(半世紀前1965年)の社会党45議席に迫る勢いを持ってきた。
 石原知事は、対立軸を「石原支持」に移そうと必死になっているが、麻生国政の否定的インパクトがあまりにも強く、その目論見は効を奏していない。
 その上、麻生自身が自民都議全候補者事務所訪問を表明(「異例の自民候補予定者全員の応援入り」毎日)し、14日には「都議選、負けると極めて深刻」(産経)と演説する始末である。現時点でも麻生国政の評価によって、都議選が乗り越えられると考えているのだろうか。それとも、情勢や都民の意向などまったく読めずに、また助言できる参謀が存在しないのだろうか。
(東京新聞調査では、石原都知事支持は、
・支持する41.4%
・支持しない23.3%
・どちらともいえない34.2%
となっている。)

<<東京新聞世論調査の結果>>
 東京新聞都議選調査の数値を追ってみる。
1.投票政党は、
・自民20.3%+公明7.9%=28.2%
・ 民主32.5%+共産4.9%+社民1.3%
+生活者ネット1.1%=39.8%
・無所属6.4%
(なお、同じ調査で、次の衆院選比例での投票政党は、
・自民20.3%+公明7.8%=28.1%
・ 民主36.5%+共産4.8%+社民2.6%
+国民新党0.3%+新党日本0.2%=44.4%
となり、都議選と近似値を示している。)

2.政党支持は、
・自民19.3%+公明7.3%=26.6%
・民主21.2%+共産3.8%+社民0.8%+生活者ネット0.7%=26.5%
・支持政党なし44.1%

3.投票に行くかは、
・絶対行く53.8%+たぶん行く29.5%=83.3%
(前回2005年都議選調査は76.3%で、実際の投票率は43.99%)

<<選挙の目標>>
都議定数は127である。
前回当選は、
・自民48(得票率31%)+公明23(得票率18%)=71(得票率49%)
・民主35(得票率25%)+共産13(得票率16%)+生活者ネット3(得票率4%)=51(45%)
・その他1(得票率1%)+無所属4(得票率6%)=5(得票率7%)
ところが、2007年参院選(比例)では、自民26%、公明12%、民主39%、共産9% となっていた。このときの投票率は57.86%であった。

 個別の特殊な選挙区事情はあるが、あえて概観してみると、
(1) 都議の選挙区は42あり、定数は1から最大8となっている。
(2) 定数1人区は7選挙区あり、前回は、民主の2勝5敗であった。今回これが逆転すると、都議会与野党差は、それだけで6も短縮する。
(3) 2人区は16ある。基本的には1:1になる。
(4) 3人区は5ある。公明が入り2:1となる。
(5) 4人以上区は14ある。複数候補か会派乱立となる。
これらを集計すると、石原与党の自民+公明の過半数割れは十分に見込めることになる。ではそれは、民主の過半数獲得を意味することになるのか。

<<麻生NO!>>
 ところが、民主の立候補予定者は、過半数64を下回る60にとどまる。民主の目標は、都議会における比較第一党になることに過ぎない。
 この候補者が足りなく議席獲得目標を高く置けないのは、前回選挙の35という低水準が大きく影響している。小選挙区制ではない場合、一挙の挽回は困難なことを学ばなければならないだろう。
 自民候補者の多くが、選挙区内ステイク・ホルダーの代表者という性格を持つ。いわゆるどぶ板活動のベテランである。(反面、民主は、全42選挙区に候補者をそろえるために、落下傘さえ用いた。)
 ところが、有権者の判断基準は、麻生自民党に対する評価を基軸にしているようだ。前述したように、麻生自身も「わが身中心主義」を推し進めている。「比較第一党獲得」と宣言し、首相自らハードルを高めた。
 「麻生NO!」と民主が掲げ、麻生自民党は「麻生YES!」とそれに応えた。この構図が、都議選における民主の有利な局面を切り開いてきた。
 さらに、名古屋市長→千葉市長と続いた大都市での首長選挙が、来るべき衆議院議員選挙の前哨戦となった。
 都議選は、さらに強く衆議院議員選挙と一体となった様相を示すだろう。都議選勝利(自民「比較第1党」+公明による過半数獲得)への夢想を、完膚に打ち崩すために、もう一歩の奮闘が必要になっている。
【注】都議選では、石原都政に対する評価も、改めてし直さなければならない。(都民の主要関心事も、前回とは大きく転換してきている。)しかし、今回は論旨を絞ったためそこまで言及できなかった。
(2009.6.16 和田三郎)

 【出典】 アサート No.379 2009年6月21日

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【コラム】ひとりごと—政治を堕落させている自民党・公明党政権—

【コラム】ひとりごと—政治を堕落させている自民党・公明党政権—

○奇妙な政権末期である。内閣支持率は小沢ショックによって一時回復したが、鳩山問題で、再び25%(09-06-15日経調査)、朝日・毎日調査では、20%を下回っている麻生政権に対して、「発言には気をつけて」のような苦言は出ても、政権離脱も含めた連立そのものの是非についてのメッセージが公明党から出てこない。○そして今回の総選挙も連立に向けた政策論議や連立政策の提示・公開もないまま、自公連合のままで総選挙に臨みそうな様子である。○これほど政権に擦り寄る「政党」があっただろうか。ここまでくれば、自由公明党でも合同・結成して、国民の信を問うために総選挙に臨むべきなのである。○国民の声に耳を傾けず、政権入りだけが目的、これが現在の公明党の姿であり、公明党=創価学会の組織力なくして選挙も闘えない自民党。このふたつが「野合」しているものが、現在の麻生政権に他ならない。○最近2冊の公明党=創価学会を扱った書籍を読んだ。1冊は、矢野絢也氏による『黒い手帖–創価学会「日本占領計画」の全記録』(講談社2009-02)であり、もう1冊は、白川勝彦氏による「自公連立解体論」(花伝社2008-10)である。○矢野絢也氏は公明党委員長経験者だが、今は学会から異端者として執拗な攻撃を受けている人物である。学生以来学会員だった矢野氏が昨年5月に家族共々に創価学会を脱会。「黒い手帖」には、公明-学会の暴力・陰謀・マスコミ支配までも、すべて明らかにしたという内容となっている。○矢野氏によると、公明党ー創価学会はこれまでに三つの大きな危機を乗り越えてきたという。一つ目は、1970年の言論出版妨害事件による政教分離問題、第二は、日蓮正宗との対立と破門、三つめは、1990年代中盤の選挙制度の改正=小選挙区制の導入であった。○しかし、小選挙区制は、一面では公明党議員数の拡大に歯止めをかけることになったが、自公連立という枠組の中では、学会票と動員力を駆使して、逆に与党自民党を「支配」することが可能になった。○現時点では、次の総選挙において、自公が少数派に転落する可能性もあり、矢野氏は、公明ー学会幹部は、戦々恐々の状態であるといい、今まさに、4つ目の危機を迎えていると指摘する。○本来公明党には、平和と福祉の党というイメージがある。矢野氏もかつてはそうであったという。しかし、池田大作氏を守るために、連立与党に参加する選択をした以上、消費税にしろ後期高齢者医療、自衛隊の海外派遣などに対しても、自民党との連立を優先して、賛成の立場に回らざるをえなくなり、すでに党内議論も圧殺されているという。○矢野氏は、公明党=創価学会からの脅迫・「暴力的」対応に対して、裁判も起こしている。黒い手帖とは矢野氏の国会議員時代の克明な記録を記した100冊に及ぶ国会手帖である。政教一致があったとする手記を文藝春秋に掲載した矢野氏を批判する学会側は、貴重な資料としての国会手帖を、元公明党議員3名を矢野氏の自宅に向かわせ、脅迫によって持ち去った。生命の危機すら感じさせる状況も綴られているのである。○一方、白川氏は元自民党国会議員であったが、自公連立に原則的反対の立場であった。そのため、当時の野中幹事長によって重複立候補順位を後位にされ、惜敗率はトップであったが落選。その後も執拗な妨害を受け、現在は弁護士活動をされている。○白川氏の論理は明快である。憲法20条に照らして、公明党=創価学会の政権参加は憲法に抵触するというものである。憲法20条には「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と書かれているのである。○そして、自公政権について、森田実氏の文章を引用して批判する。すなわち、「・・・大義名文がなくなった自民党との連立を(公明党は)解消すべきである。自民党と公明党の連立の唯一、最大の大義名分は、参議院での過半数確保にあった。参議院での自民党の議席数が過半数に不足したため、数を補うために連立したのである。だが、去る7月29日の参議院選挙で自民・公明の合計が過半数に達しなかっただけではなく、民主党単独の議席数をも下回った。自民党は衆議院では過半数を上回る議席をもっている。これで政権は維持できる。公明との連立してもしなくても状況は変わらない。自民党と公明党が連立する意味も、大義名文もなくなったのである。それでも両党が離れられないほど一体化しているのであれば、合同すべきである。大義名分なき連立は政治を堕落させる。」と。○さらに公明党は、選挙区での自公連携を通じて、足腰の弱った自民党を支え、実質「支配」していると、白川氏は、その危険性を指摘しているのである。○いよいよ総選挙が近づいている。自民党と連立を組んでいる公明党が、野党に転落した場合どう動くのだろうか。○一方、民主党は、マニュフェスト作りを加速させており、最近になって社民党と国民新党が、総選挙後の連立に言及をし始めたことは、民主党を中心とする政権交替の可能性・現実性の印象を国民に与えている。政策の一致を前提にしているが、連立の土俵に乗ろうという意思、政策の一致点を追及しようという姿勢はまったく正しい。○小泉改革の評価をあいまいにしつつ、不況下の景気再生論議だけで政策転換させつつある自公の「政治的堕落」と対照的である。○名古屋市・さいたま市・千葉市と続いて政令都市市長選挙では、民主党推薦候補が自公候補者を倒して当選し、いよいよ東京都議選が来月に迫っている。○投票率が低ければ、自公協力で勝てるなどという「民主主義否定」の野合連立に引導を渡す日が近づいている。(2009-06-16佐野)

 【出典】 アサート No.379 2009年6月21日

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【投稿】民主党・鳩山新代表が直面する課題

【投稿】民主党・鳩山新代表が直面する課題

<<「一点のやましいところもない」>>
 政権交代を前面に掲げながら、与党自民党とまったく同じ体質の不透明な企業団体献金を平然と受け取り、辞任要求を拒否し、続投の意欲を示しつづけてきた小沢前民主党代表も、ついに辞任を受け入れざるを得なくなった。
 問題は、たとえそれが不当な国策捜査であったとしても、それとの闘いは、そのような政治をゆがめ民主主義をゆがめる金権政治とはきっぱりと一線を引く政治姿勢こそが求められていた。ところが小沢氏は、5/11の、その遅すぎた辞任会見に至ってもなお、「一点のやましいところもない」と「身の潔白」を強調し、民主党の他の幹部もそうした態度を容認してきたところに、この間の民主党の支持率の低下が顕著に現れたのである。
 検察権力の意図的・政治的国策捜査に対する批判と追及は当然なされなければならないが、「一点のやましいところもない」、「身の潔白」はあくまでも手続き上、ザル法である政治資金規正法上でのことであって、そのような巨額の疑惑献金を長年にわたって平然と受け取り、政治活動上の重要な資金源としてきた、そのような政治姿勢自身の不健全性が問われたのである。
 民主党の代表選は、この献金疑惑にふたをしたまま急いで鳩山前幹事長を新委員長に選任し、新規巻き返しに挑もうとしている。鳩山新代表は、党の結束の名の下に小沢前代表を選挙を取り仕切る代表代行という要職に抱えることとなった。当然、代表選では、与党と対決する民主党としての政策論議が明確にされるべきであったが、ほとんど行われることはなく、ただ「政権交代」の言葉だけが強調された。
 しかし問われているのは、何のための「政権交代」であるのかであろう。「政権交代」が必要なのは、アメリカの戦争政策とグローバリズム・新自由主義、それにことごとく追随してきた小泉政権以来の自由競争原理主義が経済恐慌をもたらし、社会を破壊・不安定化させてきた弱肉強食の規制緩和政策、社会的セイフティネットをことごとく危機に陥らせてきた社会保障費削減政策、これらを根本的に転換させる政策転換のためにこそ「政権交代」が緊急かつ切実な要求として提起されているのである。

<<「友愛の日本」>>
 政策転換が明示されない、明確でないような「政権交代」論では、選挙での勝利はおぼつかないし、与党側のふがいなさ、敵失に頼るばかりである。小沢前代表の「政権交代」論は、与党側の弱体化をついた選挙戦術論ではあっても、基本政策での対決、根本的政策転換を掲げた「政権交代」論ではなかった、あるいはそれらを示し得なかった「政権交代」論であったといえよう。
 鳩山新代表は就任後の記者会見で、衆院選の争点には「政権交代の実現」をすえる考えで、「官僚起点から生活者起点。中央集権から地域主権。『日本の姿が変わる』と示していく」と強調している。果たしてこれが、与党との対決の焦点になるのであろうか。危機感も切迫感もない、抽象的な言葉だけが踊ることが危惧される。鳩山氏が代表選公約として掲げた「友愛の日本を創る最重点政策」にしても、年金制度の一元化、農家への戸別補償制度、子ども手当の創設、高校教育の無償化、高速道路の無料化などほとんど小沢前代表の政策と変わってはいない。今回の代表選で鳩山氏は、「日本の少ない医療費予算や 教育予算を 欧米水準に引き上げる」という公約を明示したことは評価できるが、基本的に、現民主党の幹部は総体として、現下の進行しつつある経済不況への認識が甘く、危機感が乏しく、それに対応する政策が前面に出てはいない。もちろんその背景には、新自由主義政策においては小泉・竹中路線とそれほど変わらず、むしろ「構造改革」を自民党と競い合ってきた経緯も存在しており、それがいまや明確に破綻していることに戸惑い、政策転換に躊躇しているのであろう。「チェンジ」されるべきは、民主党そのものともいえよう。
 民主党としてはもっと明確に、危機を克服するためにこそ、「生活第一路線」を堅持し、九条改憲は行わない、武力増強ではなく、平和・軍縮外交へ全面的に転換する、規制緩和と自由競争原理主義から決別し、セイフティネットの再構築、そして何よりも教育・年金・医療・介護・子育て・若年層の就労支援等への財政や金融を総動員した緊急の大胆な不況・雇用・社会保障対策を実行する、金権政治から決別し、企業・団体献金を全面的に禁止する、等を具体的に掲げるべきであろう。

<<「安心社会実現会議」>>
 一方の麻生・自公連合政権は、なし崩し的な政策転換、付け焼刃的なばら撒き政策で事態を乗り切ろうとしている。さらに首相直轄の「安心社会実現会議」なるものを設置し、社会福祉政策を専門とする学者や連合会長、「派遣村」村長の湯浅誠氏まで招いて意見を聞き、いかにも路線転換に取り組んでいるかの姿勢を演出している。
 この間の麻生内閣支持率上昇の要因は、民主党側の敵失によるところも大きいといえるが、こうした路線転換の演出や高速道路料金の引き下げ、定額給付金の支給が貢献したことも疑いないといえよう。
 さらに麻生政権は、既に4月から実施されている自動車取得税と重量税の減免に加えて、追加経済対策において、エコカーへの買い替え、エコ家電への買い替えに対する補助金、エコポイント支給政策を具体化させている。これらが本来の環境政策と合致するのかどうか大いに疑問とするところであるが、麻生政権にとっては利用できるものは何でも政権維持のために利用するという姿勢が露骨に出ていると言えよう。政権与党であるということの有利さを十分に利用しているわけである。
 問題は、現在の麻生政権与党は、それでも決して自由競争原理主義の根幹に触れる政策転換には決して賛同せず、むしろ明確に拒否していることである。それらは、派遣労働の禁止や医療・介護・年金政策において、これまでの政策を決して改めようとしていないことに端的に現れている。あくまでも付け焼刃であって、後で消費税増税で取り返すという戦略なのである。
 民主党や野党側の、中途半端で抽象的、生半可な政策対応では、「政権交代」の展望は容易ではないといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.378 2009年5月23日

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【投稿】「豚インフル」の政治経済学

【投稿】「豚インフル」の政治経済学
                             福井 杉本達也 

1 「豚インフル」と「新型インフル」の間
 WHOは4月27 日に「豚インフル」(swine influenza)の呼称を、「A(H1NI)型インフル」=日本での呼称「新型インフル」へと変えた。呼称の変更は、「豚インフル」では豚肉の輸出に支障が出るという米国の強い圧力によるものである。既に4月26日には、中国が米国のインフル感染州産の豚肉の輸入を禁止している。ロシア、インドネシアなども同様の措置を取っている。日本は米国産豚肉の輸入規制をしないということで、米国から“感謝”されている。インフルエンザは医療の問題ではあるが、政治経済とは無関係ではない。むしろ、感染症=公衆衛生は政治経済と密接に結びついている。WHOという組織は国際機関としての公正さを装いながら、米国の政治経済的利益を代弁する機関である。

2 感染症による緊張状態の創出
 今後さらに深化するであろう世界恐慌下にあって、再び階級社会に分裂しつつある社会を、今回の豚インフル騒動は、危機意識を煽ることによって社会を統合しようとする政治的臭いがぷんぷんする。政府・自治体各機関・大企業では豚インフルが発生した場合、職場にどれだけの割合の職員が残るかという調査をしている。発生段階に応じた人員計画として、たとえば職員の欠勤率が40%の場合は業務はどう継続する、最大80%の場合は既存業務の大部分を縮小するとかをシミュレーションしているが(「事業継続計画(BCP)」)、現在の豚インフルへの対応=「水際作戦」=隔離政策から類推すれば、ある課で豚インフルの患者が発生すれば、その課の全職員のみならず、そのワンフロアの全職員は「監禁」である。むしろ、本所と支所の指揮命令系統をそっくり入れ替える方が「危機管理」対応であろうが、調査者はおそらくそのようなことは考えていまい。本所(自分)だけは感染とは無関係に「生き残り」指揮命令を行えると考えているのであろう。これは非常に危険である。指揮官を除き、他の職員は「鉄砲玉」という軍隊の発想である。しかも、部分核戦争を想定した軍隊である。

3 「水際対策」は有効ではない
 国は、「水際作戦」ということで、全勢力を水際に持ってきている。上昌広氏(東京大医科学研究所)は国の豚インフル発症者の隔離対策について「厚労省は、ゴールデンウィークの帰国ラッシュの検疫のため、現に診療にあたっている医療機関の医師・看護師に検疫させようとしました。文部科学省も、検疫業務に当たる医師の派遣を3空港に近い千葉大、東京大、大阪大、京都大、九州大の5大学の病院に要請したのです。他の検疫所や自衛隊の医師・看護師が応援に行くのならまだ理解できますが、病院の体制を強化し、準備を整えなければならない今、病院で診療を行っている医師・看護師を、診療から引きはがすのでは本末転倒です。」(2009.5.6)と述べている。
 全世界で水際対策をやっているのは日本だけである。いくら島国とはいえ、いつまでも水際対策を続けられるはずはない。欧米各国ではSARSの例からも水際対策は有効ではないと結論されている。感染症対策の元締め・岡部信彦感染症情報センター長でさえ「現在の強化した検疫体制を保ち続けて水も漏らさぬようにするのは難しい。現在は機内検疫がうまくいっているが、アジアからの航空機にまで対象が広がれば無理が生じる。どこかの段階で(国内の感染を見越した)医療体制の充実へとスイッチを切り替える必要があろう。」(日経:2009.5.6)と指摘している。今回の豚インフルは北半球ではこれから夏に向かう時期であり、インフルエンザの流行期は過ぎている。これが流行期に向かう時期であれば大混乱が生じる。感染症病棟(病院)の確保はどうするのか、濃厚接触の疑いのある停留者のホテルの確保はどうするのか、大量な停留者を受け入れてくれるホテルなどあるのか等々。今回の国の対応はあくまでもごく少数者の隔離政策による対応であり、インフルエンザのような大規模に流行する恐れのある感染症には有効な方法ではない。政府の目的はいたずらに不安感を煽ることにあるといえる。

4 「隔離政策」の過去
 日本の感染症の隔離政策には暗い過去がある。1907年に「癩予防ニ関スル件(らい予防法)」が制定され、全国に癩療養所を設けられた。戦後、プロミンなどの特効薬が導入され、ハンセン病患者の大部分は全快したにもかかわらず、国は科学的な根拠もなく元患者の隔離政策を数十年に亘り継続するなど、政治的色彩が濃い。多くのハンセン病元患者が岡山県瀬戸市の国立療養所邑久光明園を始めとする全国に点在する隔離施設に収容されていた。「らい予防法」が廃止されたのはなんと1996年4月である。その後も元患者は差別され出身地に帰れないでいる。2003年にもハンセン病元患者のホテルへの宿泊を拒否するなどの事件が起きている。現在の厚労省の政策はこうした過去の反省を全く踏まえてはいない。

5 テポドンで実施済みの危機訓練
 4月5日に北朝鮮は人工衛星の打ち上げ実験を行ったが、これに対し、日本はMD体制で迎撃すると牽制して、MDシステムの弾道軌道直下・及び東京への配置を行った。秋田県など東北及び全国の「地方自治体をもろに巻き込んだ、まさに核戦争への準備態勢の構築である。今回の政府の15兆円の経済危機対策第3次補正予算(2009.5.13衆議院通過)の中で、J-ALERT(弾道ミサイル情報網)の全国一斉整備予算として103億円を計上している。これは、自治体に情報がうまく伝わらなかったという反省によるものだが、救急体制の整備など住民に直結する予算よりも、危機管理の予算が1/3以上を占めるという異常な構成となっている。こうした整備は2003年に成立した「事態対処法」及び2004年の「国民保護法」に基づく一連の計画の一環であるが、自治体に対し住民の生活と福祉とは無縁の水と油の全く異質なもの=「国家総動員体制」を持ち込むこととなっている。
 ところで、北朝鮮の核実験やミサイル発射と日本の一連の“騒動”とその後のMD整備や米軍移転予算の増額などには奇妙なことに相関がある。「朝鮮総連」(中公新書:882円)の著者・朴斗鎮氏も本の中で、北朝鮮と統一教会の関係に触れているが、安倍晋三元首相も、かつて統一教会に祝電を送っている。安倍氏の祖父・岸信介元首相も統一教会と関係があり、米CIAのエージェントで、日本の属国化を維持するために大量の金を貰っていたということが米公文書の公開から明らかとなっている(「CIA秘録」上・下:ティム・ワイナー著:文藝春秋:各1950円)。統一教会は「ワシントン・タイムス」(「ニューヨーク・タイムス」や「ワシントン・ポスト」とよく混同される)という広告媒体を持ち米軍産複合体と繋がっていると考えるのが自然であろう。軍産複合体からは「ミサイル防衛システムは機能しない。ミサイルをミサイルで打ち落とすなど出来ない。」と発言するような鴻池元官房副長官はじゃまでしょうがないのであろう。

6 豚インフルと保護主義
 もう1点は豚インフルが世界経済の保護主義化を煽る可能性である。既に中国などは感染国からの豚肉の輸入禁止をしたが、2,3年前なら考えられない行為である。即WTOに提訴され、世界中から袋だたきに合い貿易制裁されるところであろう。中国は4月29日、昨年発表し今年から実施するとしていた、ITセキュリティー製品の技術情報をメーカに強制開示させる制度(強制製品認証制度)を1年間延期すると発表した(日経:2009.4.30)。米国などの反発が強いからであるが、このような政策を打ち出せること自体、ここ数年間の米国の弱体化と中国の政治的経済的立場の強化と力関係の変化を物語っている。中国は既に米国債最大の所有者・買い主となっており、米国の不当な内政干渉に負けて、坂村健東京大学教授のトロン計画を葬った国とは大違いである。オバマ大統領は5月14日、「中国などがいずれ(米国債の)購入意欲をなくすのは確か。その時には金利を上げなければならない」(日経:2009.5.16)との述べ米国経済が中国に首根っこを押さえられていることとその危険性を公に認めた。米中は相互に依存しつつも矛盾を孕んでおり、中国は豚インフルで米国の出方を伺い、米国は東シナ海や中国の内海である黄海での“調査船”で挑発すると共に、北朝鮮との暗黙の連携による瀬踏みを行っているように見える。また、石油価格でロシアを追い込みつつ、サハリン2の交渉で上海協力機構の内部攪乱を図ろうとしている。日本もその片棒を担いでいる。元々、3.5島返還論は麻生氏自身が打ち出したものであるが、唐突な谷内正太郎元外務次官の北方領土3.5島返還論もその延長線上にある。(日経:2009.4.22)。
東アジアで劇的な力関係の変化が進む中、麻生政権は感染症による鎖国をつづけ、驚くべき売国政策から国民の目をそらそうとしている。広瀬隆氏は2003年から2008年のリーマンショック直後までで東証株式時価総額の340兆円もの金が国際金融資本に持ち逃げされたと計算している。また、1999年からのゼロ金利政策によって、国民の富300~400兆円が海外に流出したとしている(「資本主義崩壊の首謀者たち」・集英社新書)。国民は「創られた危機」に右往左往せず、売国政権を交代させるために冷静な判断をしていかねばならない。

 【出典】 アサート No.378 2009年5月23日

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【本の紹介】『中国は世界恐慌にどこまで耐えられるか』

【本の紹介】『中国は世界恐慌にどこまで耐えられるか』
             著者 仲大軍 訳者 坂井臣之助
        2009年3月2日発行 草思社 ¥1,600 + 税

<<「5つの楽観的シグナル」>>
 この5/7に、中国国務院新聞弁公室傘下のチャイナネットが発信した「世界経済回復の5つの楽観的シグナル」という論評は、「ここ最近、人々は国際経済情勢に対しより楽観的になれなくなっている。しかしどうであれ、希望は存在し、情勢が困難で人々を不安にさせている状況でも、多くの喜ばしいシグナルは現れている。」として、「楽観的シグナルその1」として、「中国と米国のPMIが同時に上昇」を取り上げ、「先週末、中国と米国からうれしい知らせが届いた。中国と米国が発表した4月の製造業購買担当者指数(PMI)は、世界金融危機が発生した昨年9月以来の最高となった。」と指摘。
 次いでその2として、「米国経済情勢の最大変数の一つである不動産市場の暴落が収まってきており、これも実体経済が好転していると解釈できる現象と言える。」
 その3として、5/1以降、ニューヨーク株式市場が反発し始め、ダウ平均は8200ポイントを突破した。その4として、「一時期「国家破たん」の見方が強まった東欧国家にも春の風が吹き始めた。」こと、さらにその5として、「景気の変化に非常に敏感な代表的原材料である銅価格が最近、国際市場において急騰している。銅材は自動車製造や建築の際によく使用される金属で、…過去の経験からして、景気回復時に銅の需要は増加するだろう。」と、実に楽観的な5つのシグナルを披瀝している。
 そしてこれらの楽観的シグナルにおいて決定的なのは、中国の占める位置とその役割である。同論評は、「中国は世界経済を救う過程で中心的役割を果たすと考える人がますます多くなっている。英『フィナンシャルタイムズ』は1日、トップニュースで「中国政府が昨年11月に行った大規模な経済刺激計画はすでに効果を現し始め、多くのエコノミストは中国経済の予測を上方修正している」と報じた。『フィナンシャルタイムズ』のアナリストは、中国政府の「保八(GDP8%成長の確保)」の目標達成は問題ないと見ている。また同日、米『ウォール・ストリート・ジャーナル』も「中国政府が大規模な経済刺激計画を行ってから、米国のタイヤ企業からファーストフードまで、すべてが利益を得ている」と報じた。」と手放しの楽観論である。
 しかし、このところ上昇傾向であった株価は、5/13からニューヨーク株式市場は急落し始めており、GM・クライスラーの破産、失業率の上昇、等々、実体経済の悪化はこれからがむしろ本番ともいえよう。
 そして、安価な労働力、安価な土地、安価な資源、それらの浪費を決定的な武器としてグローバル経済に組み込まれ、外向型発展を遂げてきた中国自身にとっても、これからの本格的な「世界恐慌にどこまで耐えられるか」は、全世界注視のテーマでもある。5/12に発表された4月の通関統計によると、中国の輸出は6カ月連続減少しており、4月の輸出額は前年同月比22.6%減で、3月(17.1%減)よりも減少率が拡大しているのである。事態はそう楽観できるものではない、といえよう。

<<「腐敗と全体主義の時代」>>
 ここに紹介する本の著者・仲大軍(ちゅう・たいぐん)は、同書によれば、「1952年、山東省済南生まれ。上海・復旦大学卒業後、国営新華社通信で経済関連を担当、95年、『中国経済時報』(国務院発展研究中心[センター]発行)記者。2000年、民間シンクタンク「北京大軍経済観察研究中心」を設立。官庁エコノミストとは一線を画し、一貫して庶民の立場に立って積極的に提言するほか、官僚主義政治、既得権益層の固定化を批判。調査・講演のために全国をくまなく歩く実践派エコノミスト」である。

 著者の問題意識は、この著書の見出しにも明確に出されている。
第1章 中国はいかにしてアメリカ発の大難から逃れるか
第2章 今こそ外向型戦略から内向型戦略への転換を
第3章 中国には労働契約法があるだけでは不十分だ
第4章 メイド・イン・チャイナの問題と解決策
第5章 改革から三〇年、拡大する格差、矛盾と深刻な腐敗
第6章 王権政治と官僚政治、民主政治を比較する
第7章 二〇〇九年の経済展望と中国の対応
資料 中国は重商主義を深く反省すべきだ―我が国の発展戦略調整に関する一考察

 著者の政治的立場は、「日本語版への序文」の中で明瞭に示されている。
 「……前世紀の九〇年代以後、経済建設を中心とする改革目標の導きの下、中国政府の権力は日増しに強大になった。二一世紀に入ると、この政府は超級政府へと変質し、たんにマルクス・レーニン主義の普通選挙政治(すべての主要な政府官員は必ず選挙で選ぶ)に合致しないだけでなく、孫中山(孫文)時代の三民主義(民族、民権、民生)からもますます遠く離れ、民有(民族の独立)、民治(民主制の実現)、民享(地権平均・資本節制による経済不平等の是正)は弱められた。こうした局面は国際社会の共通の規範と甚だかけ離れるものであり、これを正し変革することが絶対に必要である。
 だがこのプロセスは苦難に満ち、曲折したものになる。なぜなら現在の中国政治は辛亥革命、中華人民共和国初期に比べ、極端に言えば文化大革命期に比べても退歩しているからだ。その主なメルクマールは、現在の政府がますます巨大になり、すべてを包括し、ますます全知全能の独裁政府となっていることである。」
 著者は、そうした政治的立場から、第5章において、「経済建設を中心とする改革は三〇年間進められ、経済の領域では大きな進展を勝ち取ったが、政治の領域では逆に(一九四九年の)建国以来見られなかったほどの腐敗と全体主義の時代に入った。」と述べ、「どこから来てどこへ行くのか。胡錦躊・温家宝政権は慎重に選択しなければならなくなっている。文革期に批判の対象となったのが政権内の走資派だけだったと言うなら、現在一掃すべきは政権内の汚職腐敗分子であり、もっと言えば汚職腐敗を生む制度である。当時毛沢東が運用したのが大衆手段だったと言うなら、今日取るべき方法は法制を大衆の監督と結びつけることである」と核心を突いている。だが同時に著者は、「総じて言えば、改革開放後のやり方では官僚階層の尊大な振る舞いを抑えられず、中国は新たなルート、新たな方法を見つけ出さねばならない。中国は西側の多党制(複数政党制)の真似をする必要はなく、やはり(改革開放以前にあった)伝統的なやり方を取り、大衆の意見に耳を傾け、問題を解決したほうがよい。中国の伝統的な方法こそ最も有効な方法である。全体主義政治の核心は人であり、人を正しく選ぶ限り、問題は即座に解決しよう。東洋の政治と西洋の政治の差異はここにある。こうした方法を取らなければ天下は大いに乱れ、問題は依然として未解決のままであろう。」と述べる。腐敗と全体主義が本質的には一体であるならば、これは矛盾した立場といえよう。一方で著者は、「中国は共に豊かになる社会主義の発展方向を放棄してはならず、エリート階層の利己主義的な全体主義の発展モデルを、断固として排除しなければならないのである。中国は社会主義の道に戻らねばならない。」とも述べており、民主主義と社会主義との結びつきこそが問われているというべきであろう。

<<アメリカに「拉致された」状態>>
 さて、著者は現下の世界恐慌と中国のおかれた状況をどのように判断しているのであろうか。
 それは、まず第1章「中国はいかにしてアメリカ発の大難から逃れるか」において、「なぜ今日の中国はアメリカに「拉致された」状態(巨額のドル建て外貨準備を持っていることが、逆に人質としてとられていることを指す)にあるのだろうか。なぜアメリカは、一緒になって市場を救済するよう中国に要求しているのか。なぜ中国は如何ともし難い、受け身の状態に置かれているのだろうか。」という問題意識に現われている。
 「その主な理由は、中国とアメリカがあまりにも接近しすぎており、あまりにも関わり合いが深いからである。たとえば、二〇〇七年の中国の輸出総額一兆二〇〇〇億ドルのうち、対米輸出は約四〇〇〇億ドルだった。中国の海外投資の約九〇パーセントが対米投資で、アメリカの国債と住宅供給公社二社、「ファニーメイ」と「フレディマック」の社債などを合わせると約一兆二〇〇〇億ドルにのぼる。アメリカの輸入が減少すればすぐさま中国の輸出に影響し、アメリカで金融危機が発生すれば中国が購入した米国債券はたちまち巨額の損失を蒙ることになろう。それでは、中国の手に残ったドル建ての外貨準備は保全が可能なのだろうか。それは不可能である。なぜなら、今後ドルの大幅下落が起これば、我々が持っているドルは、極端な場合、一文の値打ちもなくなってしまうかもしれないからだ。」と警告を発している。
 そこで著者は、{もしもアメリカの市場救済に参加すれば、肉団子を投げて犬を追い払うようなもので、新たに投入したお金が戻ってくるかどうかを心配しなければならない。中国政府は今、心理的に大きな矛盾を抱えている。それゆえ私は、もはや猶予はできない、何らかの方策を講じてドル債券を在中アメリカ企業の株主権と交換せよ、この方法によってのみ中国の海外資産を保全できると政府に建議したのである。」ことを明らかにしている。

<<「行きすざた私有化、国際化、グローバル化」>>
 著者が問題にするのは、「中国がなぜアメリカに「拉致された」かである。危機爆発の経験と教訓を総括すれば、過去の多くの問題と誤りを見出すことができよう。」として、「それでは、我々は今何を反省すべきだろうか。第一に反省すべきは我々が近年、行きすざた私有化、国際化、グローバル化を進めてきたことである。」として、以下のように述べる。

 朱鎔基氏が首相をつとめた最後の数年間、中国では私有化、国際化、グローバル化の波が勢いを増した。その具体的な流れは以下のとおりである。
 (1)私有化とは、MBO(Management Buyout=経営陣買収。すなわち経営管理者が所有権を山分けすること)の後に、残り少なくなった中・大型国有企業を私有化することである。二〇〇三年以降、この活動が全国で展開され、各地の経済貿易委員会は、期限内に私有化を完遂するよう命令を下した。その結果、瀋陽工作機械工場のような大型国有企業までが急ピッチで私有化を実現した。
 (2)私有化の後は国際化であり、それは具体的には以下のような形で現われる。すなわち、多くの国有企業と民有企業が国際社会とリンクするため、いわゆる戦略投資家となって海外で上場した。中国石油(ベトロチャイナ)、中国石油化工(シノペック)、中国銀行、建設銀行、工商銀行が海外で上場し、株主権を海外の投資家(企業)に売却したが、その結果、これらの外国企業は丸儲けした。
 (3)国際化は同時にグローバル化である。いわゆるグローバル化とは多国籍企業化、つまり国内企業を大量に売り出し、門戸を大きく開けて外資の進出を受け入れ、外資が中国企業を買収したり、あるいは中国企業に資本参加するのを認めることである。
 蒙牛集団(大手牛乳メーカー)、三鹿集団(大手乳製品メーカー)、アリパパドットコム(電子取引大手)、新浪網(SINA。中国のポータルサイト最大手)などの企業株主権の大半が外国人の手に落ちた。これだけでは足りず、一部の政府部門たとえば商務省は、さらに大きな企業売却プランを策定し、甚だしきは、国家経済の命運に関わる一群の企業をすべて外資に譲与しようとしたのである。重機メーカーの大手、徐州工程機械(徐工集団)をアメリカの投資会社カーライル・グループに売却しようとしたのはその典型的な一
例である。

 著者は、「こうした私有化、国際化、グローバル化がすさまじい勢いで展開されていた時、国内の一部の学者などから強力な反対の声、抵抗の声があがった。そこでまず私有化のMBOが強制的に停止を命じられ、次いで銀行の海外上場は民衆から感情的な反発を買い、さらにカーライル・グループによる徐工集団の買収が撤回された。二〇〇三年以降、中国にこのような一群の愛国的な社会勢力が現われなかったら、あるいはこの勢力が精神的なバックボーンとして力を発揮しなかったら、中国企業の所有権はとっくの昔に外資によって山分けされてしまっていたであろう。もしそうなっていたら、アメリカ発の金融危機の後、中国の手中にある外貨準備はその価値を大幅に目減りさせただけでなく、国内の企業資産もみな外国人の手中に落ち、中国はさらに悲惨な境遇に陥ったかもしれない。振り返ってみると、まことに冷や汗が出る思いがする。」と率直に述べている。

<<中国の「新自由主義」>>
 こうした「冷や汗が出る」事態をもたらした原因を、著者は中国の「新自由主義」にあると見る。それは、著者に言わせれば、「社会主義の放棄」である。
 その結果として、「近年、中国の経済理論は完全に西側にコントロールされ、中国政府が起用するのは主に西側諸国に留学した学者である。中国では思想・文化面で、かつてないほどの西側崇拝と迷信が出現しただけでなく、経済面においても、かつてないほど過度の外国依存が見られるようになった。中国の理論界、経済界は二の足を踏むことなく、アメリカの導くモデルに沿って走っていたのだが、幸いなことにアメリカの金融バブルがタイムリーに破裂した。危機が爆発した時に改めて振り返ってみれば、誰が正しく誰が間違っているかはすべて明らかになろう。」と指摘する。
 「この重大な戦略的誤りを振り返った時、我々はなぜ誤りを犯したのか、その原因を探らねばならない。中国が回り道をした根本原因は、思想の制高点(展望がきく要害の高地)が西側に占領され、経済学、政治学の理論が外国人によってコントロールされ、経済政策の制定すら西側政府の直接の影響を受けていることにある。正か否か、見極めのつかない経済発展の方法(新自由主義を指す)がアメリカで問題を起こしてはじめて中国は目が覚め、西側の理論と観点に問題があることを知った。
 中国の改革のなかで生じた最大の問題は、二極分化の自由資本主義の道を歩み、共に豊かになる社会主義の道を放棄したことだ。近年は貧富の格差拡大が進み、全体主義の官僚政治体制がこうした傾向に拍車をかけた。自由市場経済を言うだけで民主平等の政治を言わない自由主義経済学者たちは、二極分化の歩みを加速させ、中国社会の腐敗を促進させた。」
 著者がとりわけ強調しようとしていることは、以下の警鐘に集約されている。
 「今日の中国の最も重要な任務は、なぜ社会主義を行わねばならないかの道理をはっきり見極めることである。なぜなら社会主義のみが社会の富を均衡化し、少数の人々によって富が占有されるのを阻止できるからだ。社会主義は、貧富の格差拡大に向かって社会を二極化へと発展させるものではなく、社会の富を均衡化し、全人民を均衡に発展させる制度を可能にするものだ。近年、我が国では社会の富を均衡化するシステムが働かなくなっており、社会の富を均衡化する法律や政策は欠如したままであり、資産税、相続税など、金持ちの富を制限する税目が制定できずにいる。
 社会主義が放棄されたからこそ、貧富の分化がこれほど猛烈に発展する現象が中国社会に出現したのである。それゆえ、中国は科学的発展観をあらためて樹立しなければならない。最も重要なことは平等思想を確立し、わずかな個人がひたすら富を追求し、財物をかき集める事態を矯正し、わけても経済を発展させるだけで思想道徳を顧みない単一の発展モデルを正さねばならない。三鹿集団による有毒粉ミルク生産・販売事件は、中国社会に警鐘を鳴らした。改革の方向を再び矯正しないなら、中国社会の総崩れは免れがたいであろう。」
 そして著者は、「これからの中国は、内向型の発展の道に戻らねばならない。そしてその成果は人民や一般大衆に与えるべきであって、一握りのエリート特権階層に与えるべきではない。次に中国がなすべきことは、現在の極端な所得格差を縮め、労働者・農民に一定の消費能力を持たせ、安価な製品の輸出を減らし、資源を国内にとどめることである。」と提議する。

<<ガイトナー米財務長官の訪中>>
 著者は現下の恐慌の進展に照らして、中国政府に対して、きわめて具体的な提議を行っている。
 「中国が損失を免れる上での第一の目標は、二兆ドル近い外貨準備を防衛することである。中国は金融面ではアメリカによって「拉致された」被害者だが、中国の手中には駆け引きのカードがある。中国が損失を具体的に回避する第一の方法としては、我が国の海外債券を使ってアメリカの在中国投資企業の株主権を買い取ることである。アメリカの大手自動車メーカー、ゼネラル・モーターズ(GM)が上海に投資しているが、中国は米国債を使ってその株式を買い入れ国有化しなければならない。アメリカの在中投資企業が、中国の安全保障に関わる企業であればすべてその株券を購入し買収する、つまり外資企業の国有化を進めるべきである。
 中国が損失を回避する第二の方法は、我が国の企業が海外で売却した株主権を速やかに買い戻すことである。近年、我が国の少なからざる大型国営企業が安い価格で海外で上場したが、中国は金融危機というこの時機に、国益の観点から介入し、これら上場国営企業の株主権をできるだけ早期に買い戻さねばならない。その対象となるのは中国石油、中国石油化工、工商銀行、建設銀行などの大型国営企業で、我が国の主権基金(政府ファンド)が真っ先になすべきことは、これらの企業の海外にある株主権を買い戻し国有にすることである。」
 こうした建議に最もあわてているのはアメリカ当局である。この5/14、オバマ大統領自身が、「中国などはいつか米国債の購入に飽きてくる。購入を控えた場合、資金借り入れのための金利を引き上げなくてはならず、米経済に悪影響を与える」との発言まで行い、急遽、日本の頭越しに、ガイトナー財務長官が5月末に中国を訪問することが発表され、6月1、2の両日に中国政府高官と会談し、米中経済関係を強化するという。ガイトナー氏は今年1月の財務長官承認の議会公聴会の際に「中国は人民元を為替操作している」と批判していたのだが、今や、巨額の景気対策を打ち出した中国を評価する姿勢に一転して、なだめることに必死なのである。
 中国の現状を把握する上で、タイムリーな好著と言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.378 2009年5月23日

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【投稿】オバマ核軍縮演説と麻生首相親書

【投稿】オバマ核軍縮演説と麻生首相親書

<<安倍・前原の危険な二人三脚>>
 いまさらこんな人物にあれこれ語ってもらいたくはない、その第一位に上げられるのは安倍晋三元首相であろう。施政方針演説をしたその直後に突如政権を放り出した無責任首相が、このところの北朝鮮の人工衛星ロケット・ミサイル発射騒動に乗じて俄然元気を取り戻し、またもや危険な戦争挑発・改憲路線の推進に自らの存在価値をかけ、あわよくば政権復帰をさえ狙っているのであろう、歯の浮いた浅薄な発言を繰り返している。
 憲法九条改憲ではお互いに同志的関係にあるのであろう、安倍氏と民主党の前原誠司副代表は揃ってアメリカに出かけ、息を合わせてオバマ政権に文句と注文をつける発言を繰り返している。
 先ず安倍氏は、米・民主党政権に政策的な影響を及ぼしてきたブルッキングス研究所を訪れ、そこでの講演の中で、オバマ政権が北朝鮮政策で2国間協議を排除しない姿勢を示していることに対し、露骨な警戒感を示し、「北朝鮮が日米を離反させる意図で米朝対話を進める危険性を常に頭に置いておかなければいけない。原則を大切にして、核や拉致の問題を完全に解決することに資する協議でなければならない」と注文をつけ、北朝鮮問題を受けた国連安全保障理事会の対応が、拘束力を伴う決議でなく議長声明にとどまったことについても、「残念」と失望感を示し、暗にアメリカの弱腰外交を批判し、問い詰めたのであった。小泉訪朝には安倍氏はただ随伴しただけで、それ以降、日本の政府・与党が対北朝鮮外交では何ら有効な直接対話の努力もしないで、ただただ非難と制裁のエスカレートを叫び続けて、六カ国協議のアメリカ代表からさえ不快感を示され、国際的に孤立している自らの姿に気づかない、井の中の蛙、大海を知らずのあきれた姿勢である。
 だがこんな安倍氏を励まし、呼応するかのように、民主党の前原氏は同じく4/17、ワシントン市内で講演し、北朝鮮のミサイル問題を取り上げ、「5~8個の保有が推測される核弾頭とミサイルが結び付いたら悪夢だ。(日本には)ミサイル防衛網整備と発射基地攻撃能力の保有が必要だ」と強調し、北朝鮮基地の攻撃が可能な防衛力を日本は保有し、整備すべきだと述べたのである。以前に安倍氏が述べた対北朝鮮先制攻撃論を、民主党の前原氏がより露骨に表明したわけである。日米の軍需関係企業、軍産複合体は大いに拍手喝さい、さらなる安倍・前原支援を申し出ていることであろう。
 安倍氏は、講演後の質疑で、「政権交代すれば民主党の外交政策は」と問われて、「この質問に答えるには、一緒に来た前原さんを連れてきた方がよかったかもしれない」と述べ、「前原さんが民主党政権で首相になれば、自民党とほとんど変わりがない」と請け合ったのであった。この発言には、両者の浅薄で、底の浅い、本質的同一性が浮かび上がっている。まさに、危険な二人三脚である。

<<「ポンコツ政治」>>
 しかもこの危険な二人三脚の当事者である安倍氏に、「外交の麻生」を持って任じているはずの首相が、直接自らの意思を伝えるのではなく、オバマ大統領宛ての親書を託し、4/13の首相官邸での記者会見で「米国と連携して核兵器の廃絶に取り組む意向を伝える親書を、14日から訪米する安倍元首相に託した」と発表したのである。
 しかし、オバマ大統領がチェコの首都プラハで演説、「核のない世界」の実現に向けた新政策を打ち出したのは、4/5である。このときオバマ氏は、「米国は、核保有国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核保有国として、行動する道義的責任がある」という政治姿勢を明確にし、「核のない世界」を目指し、「核の脅威に対応するため、より厳しい新たな手法が必要だと改めて思い起こした」として、「核兵器のない平和で安全な世界を追求する責務を米国が負っていることを、私は明確に宣言する」とのべたのである。そして、ロシアのメドベージェフ大統領と、核兵器を大幅削減する新条約を年内に締結すると合意したことを明らかにし、ブッシュ前政権がストップをかけていた包括的核実験禁止条約を批准し、さらに兵器用核分裂物質の生産禁止条約の交渉開始を目指すと明言し、「米国の安全保障戦略の中での核兵器の役割を減らす」と宣言した、明らかにブッシュ政権の核政策からの大きな転換であり、画期的な意義を持つものである。
 何よりも米国の大統領が、日本の広島、長崎への原爆投下を念頭に「核兵器を使った道義的責任」を語り、核廃絶への決意を表明した、この歴史的意思表明には、日本の首相が直ちにそれに応え、その意義を高く評価し、その思いを重く受け止め、被爆国政府として、核軍縮と核廃絶にむけて日本が先頭に立って努力をすること、これまでとは質的にちがった全国民的全世界的努力に日本が傾注することをこそ明確にすべきであった。ところがこのときには、首相は「日本は核軍縮を一貫して言ってきた数少ない国。米国が取り組むのは極めていい傾向だ」、などという、まるでその歴史的意義もその画期的政策転換の意味することも理解していない、被爆国の当事者であることをも忘却した評論家のような、通り一遍のひとごとのようなコメントを発表しただけであった。それから一週間以上も経過した10日後になって、安倍元首相に親書を託したことを明らかにした。いくら右翼的好戦的姿勢で同じであり、同志的関係であるとはいえ、核武装論・先制攻撃論を唱えて恥じない、従軍慰安婦問題ではその存在をすら否定して米国議会で追求をされた、このような人物に、オバマ大統領の重要な政策転換に関してそれとはまったく相反する時代錯誤的な主張を展開するこのような人物に親書を託する、その政治的鈍感さは救いがたいものである。『ニューズウィーク日本版』3月11日号に「世界が呆れる」「ポンコツ政治」と書かれるのも当然といえよう。

<<「国連脱退くらいの話」>>
 折りしも日本では、それこそ戦争ごっこのようなマスコミを総動員した「ミサイル騒動」が展開され、それに乗じて日本のさらなる軍備拡大、先制攻撃能力保持、核武装論までが再び登場しだしている。読売新聞の憲法九条改憲に関する世論調査では、昨年とは逆転して改憲論のほうが九条擁護論を上回ったと報じられる、意図的にきな臭い事態が醸成されている。
 4/6に行われた自民党外交、国防両部会の合同会議では、山本一太参院議員が「対北朝鮮に対しては、自衛権の範囲内での敵基地攻撃を本気で議論することが抑止力につながる」と主張するなど、自衛隊の先制攻撃・「敵基地攻撃能力」保有についての意見が相次ぎ、翌4/7の自民党役員連絡会では、坂本剛二組織本部長が、北朝鮮のミサイル発射について「北朝鮮が核を保有している間は、日本も核を持つという脅しくらいかけないといけない」という趣旨の発言をし、国連安全保障理事会での決議の採択が難航していることに対しては「国連脱退くらいの話をしてもよい」とまで述べたという。
 そしてここでも安倍元首相が4/7の民放テレビ番組で、日本の核武装について、「核の危険が近くにあるわけだから、核戦術についての議論はあり得る」との認識を示して、再び核武装や先制攻撃論について自らの存在感を高めることに躍起となっている。
 支持率の低迷にあえいでいた麻生政権は、この「ミサイル騒動」でいたずらに国民の不安を煽り、「破壊措置命令」などという戦争前夜の状態を演出し、イージス艦や迎撃ミサイル配備体制をこれ見よがしに誇示し、大本営発表体制を築き、地方自治体や市町村にまでそれに従わせ、ここぞとばかりに強硬姿勢を競い合い、武力行使を容認し、国際緊張を煽ることで支持率を回復させる、それこそ麻生好みの安易で危険な路線に希望を見出そうとしている。
 問題は、このような路線に対抗すべき民主党が一貫した平和外交政策、「対話」と「平和」と「軍縮」の政策で対決する姿勢をまったく提示できておらず、むしろ前原副代表のような意見が野放しにされ、自民党に利用され、振り回されているところに、現在の民主党の政治的沈滞状況が凝縮されているといえよう。民主党は一刻も早く、体制を一新し、このような自民党の路線に対決できる平和政策を提示できない限りは、政権交代などまったくおぼつかない、といえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.377 2009年4月25日

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【投稿】外国人管理と排除—入管法改定の狙うもの—

【投稿】外国人管理と排除—入管法改定の狙うもの—

<外国人管理を一元化>
 政府は、3月3日、6日「住民基本台帳法」(住基法)「出入国管理及び難民認定法」(入管法)および「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国に関する特例法」(入管特例法)の各改正案と「外国人登録法」(外登法)の廃止案を閣議決定し、開会中の171通常国会に上程した。
 日本はこれまで、外国人については長年、在日朝鮮人を主要な対象として、「入管法」(1951年制定当時は政令)と1952年制定の「外登法」の2本立てで管理をしてきた。
 しかし在日コリアンを中心とした民主勢力の闘いによる、指紋押捺制度の段階的な廃止から全廃など「外登法」の度重なる改正や、1991年の「日韓覚書」に基づく特別永住資格=「入管特例法」制定によって管理体制形骸化が進んだ。
さらには90年代以降の「合法(日系ブラジル人、中国残留邦人の子孫など)」、「非合法(オーバースティ、無資格者など)」を問わない外国人労働者の大幅な増加による外国人の多国籍化によって、軸足を「ニューカマー」に移した管理システムの再編が迫られていた。
 これまでも政府・法務省はアメリカの進める「対テロ戦争」への協力を口実に、2007年にはテロリストの上陸を阻止するとして、新規入国者からの指紋採取と写真撮影=「生体情報認証制度」を導入するなど、巻き返しとも言える「入管法」の強化を行ってきた。
 しかし、今後東南アジア各国とのFTA(経済連携協定・現在はインドネシア、フィリピンと締結)による、介護・福祉労働者の受け入れ、さらには来年からは難民の第3国定住制度試行(当面はミャンマー難民)がはじまる。こうした「外圧」に加え、経済界の要求する安価な労働力の確保という「内圧」により、日本社会の「国際化」は一層進むこととなる。
 こうした情勢の変化を踏まえ政府・法務省はこれまで、外国人の「出入り」だけをチェックしていた「入管法」へ在留状況の管理システムを加味し、一気に外国人管理一元化を強行することとしたのである。
 今回の「法改正」では在日外国人を①旧植民地出身者とその子孫など「特別永住者」②定住者など各種在留資格を持つ「中長期在留者」(前述の日系ブラジル人や中国残留邦人の子孫、FTAによる労働者などはここに含まれる)③オーバースティなど「非正規滞在者」という三つのカテゴリーに分類することとなっている。
 これら外国人のうち①と②には、それぞれ法務省が地方自治体を通じICチップを埋め込んだ「特別永住者証明書(永住者カード)」および「在留カード」を発行し、「改正住民基本台帳法」に基づく外国人住民基本台帳に登録する一方、③については「在留カード」の発行や台帳への登録は行われない。

<処遇改善は不十分>
 今回の改訂の問題点は、①については、表面上日本国籍者に準ずる自治体住民として扱うものの、ひきつづき法務省の管理下におかれ、カードの常時携帯義務や罰則は「外登法」廃止にも関わらず、「改正入管特例法」でそのまま継続される。
一方で目立った改善点は「特別永住者カード」への記載事項が、現在の「外国人登録証明書」に比べて減るくらいであり、今回の「改正」では事実上の放置状態に置かれていると言っても過言ではない。
 ②については、とりわけ「不法就労」摘発のため、「在留カード」には就労可否欄がもうけられ、仕事に就こうとした場合カードを提示しなければならない。さらに事業所も「就労不可」の外国人を雇用した場合、ペナルティを受けることになる。
 また「在留カード」登録事項の転居や転職など各種変更については、変更から14日以内など届け出を細密、厳格化し、偽造や虚偽記載など違反者には刑事罰が科せられる。
 入管局が登録事項等に虚偽が無いかを、外国人が就労、留学している事業所、学校に情報提供を義務づけ、居住する自治体とは専用回線で情報の照合を行い、警察とも綿密な連携を進めるとするなど、管理システムと法務省権限の強化が著しいものとなっている。
 ③については、住民サービスの対象から除外されるのはもちろん、基本的には「日本に存在してはならない者」として扱われる。
 外国人や支援団体からの批判に対し、政府・法務省は、労働基本権が保障される「就労研修」資格新設や、再入国要件の緩和を認めるなど、一定の権利拡大や住民票の発行等、「市民サービス」の向上をもって、在日外国人の利便性に配慮した内容であることをアピールしている。

<目的は管理強化と排除>
 しかし、見てきたように外国人関連法案改定の目的は、主には「中長期在留者」の管理強化であり、無資格在留者の排除徹底であることは疑いない。
 とりわけ、先に述べた就労以外にも公共、民間の各種サービス、特に入居やクレジットカードなど契約関係において「在留カード」の提示が求められることが「指導」され、そうした光景が常態化する恐れがある。   
 さらに入管一元管理により、これまで「外登法」下では、福祉や教育施策などにおける、自治体や公立学校の裁量が可能であったが、「改定入管法」下では、「法定受託事務」であっても、それらが大幅に制約され自治体が「入管の出先化」することが懸念される。
 これらのことは多くの外国人支援組織が進める取り組みに、重大な影響を及ぼすことになる。今後懸念されるのは、現在の経済情勢とあいまって、排外主義が進みかねないことである。
 この間の事態は、経済界の唱える「外国人労働者受け入れ」の本質が、いかなるものであるかを明らかにした。
 すでに日系ブラジル人など多くの外国人労働者が職を失い、家族共々不安な日々を送ることを強いられている。安定した在留資格である「定住者」でさえこうした状況に置かれているのである。
 在留資格を持たない「非正規滞在者」はさらに悲惨な状態にある。この間大きく報道された、フィリピン人のカルデロンさん一家のケースでは、長女ののり子さんへの在留特別許可は出たが、両親は帰国せざるを得なくなった。ネット上では一家と支援者に対する悪罵が飛び交っている。

<共生社会の実現へ>
 しかし、一家が住んでいた埼玉県蕨市では、約2万人の支持署名が集まり、3月3日市議会で「カルデロンのり子さん一家の在留特別許可を求める意見書」が全会一致で可決された。また、大阪府八尾市でも、同様のケースで退去強制が迫られている中国人一家への支持署名が1万7千人を超えている。
 入管法改定に対する全国レベルの取り組みでは、1月24日には多くのNGOが東京に結集し「管理ではなく共生のための制度を!NGO 共同声明」が発せられた。さらに2月19日には日弁連が「新たな在留管理制度の構築および外国人台帳制度の整備に対する意見書」を公表、管理強化に走る政府・法務省に警鐘を鳴らしている。
 麻生内閣は未曾有の不況を奇貨として、日本人と外国人の分断、さらには外国人相互の分断を図ろうとしている。そして新たな外国人管理制度は、住基ネットを端緒とする市民管理システムを、さらに高度化させるための「社会実験」ともいえる。
 民主勢力は日本から排除されようとしている外国人に対する個別支援と、入管法改定反対の取り組みを結合させ、全ての在日外国人が安定した生活を送れる制度作りを進め、真の国際化、多文化社会を実現しなければならない。 (大阪O)

 【出典】 アサート No.377 2009年4月25日

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【書評】『ランド 世界を支配した研究所』アレックス・アベラ著 

【書評】『ランド 世界を支配した研究所』アレックス・アベラ著 
               (牧野洋訳 文芸春秋刊 2,095円)
                          福井 杉本達也 

 昨年9月のリーマンショック以降、書店には世界恐慌・金融危機関連のコーナーができている。本書は、戦後アメリカを代表するシンクタンクの歴史を描いたものであり、直接金融危機を扱ったものではないが、その世界を支配した思考回路=社会哲学は今回の金融危機をもたらした経済学の考え方そのものである。「ランド」という研究所の名前はResearch ANd Development(研究と開発)の頭文字からとったものある。ランドは第二次世界大戦後、ソ連の脅威に対抗する軍事戦略研究のため、原爆を開発したマンハッタン計画のような軍部と科学者の連携を戦後にも継続しようと民間の研究所として誕生した。委託者は空軍であり、最高の頭脳を集めるべく、毎年、莫大な研究費が投入された。
 原著のタイトルは「Solders of Reason」(合理性の兵士たち)であり、ランドの研究者・出身者の考え方は「数値至上主義」と呼べるものであり、人間は物質的利益という意味での合理性に基づいて行動する合理的存在だとし、人間の行うことはすべて分類できて、計測できて、配分できるとする信念である。ランドの研究者は17世紀のイエズス会のように「数値至上の世界観」「客観的合理性」という教義を信じる兵士として、自らのイメージするところに従って、神のように世界を作りかえることを目的とし、国全体の主導者、計画者、延臣の役割を担うことであった。
 本書の軸となっているのは、大恐慌時代にトロッキスト系の革命労働者党同盟に所属し、その後ネオコンの教祖的存在となった核戦略研究家ウォルステッターであるが、最も興味をそそられる部分は、ランドの創設期に関与したケネス・アローである。アローは、後に史上最年少でノーベル経済学賞を受賞することとなるが、1948年に研修生としてランド入りした。アローに与えられた仕事は、核戦争に際してソ連の支配者(特にヨシフ・スターリン)がどのような行動を取るかについてシミュレーションすることであった。人間行動を数値化し、一連の方程式、公式、定理で表そうと試みた。その過程で、人間は集団として合理的決定をすることは不可能であるという『アローのパラドックス』という定理を導いた。アローは、人間というものは合理的であると仮定し、自己の利益の最大化を求めて行動するという一貫した選考を持っているとした。その行動の背後にある論理は文化的なものではなく、あらゆる人間に共通するものであると仮定した。科学的法則は普遍的であり、資本主義の科学者と共産主義の科学者にそれぞれ違った選択肢の体系があるわけではないとした。社会を集団=階級を基本として編成させようとするマルクス主義は間違っている、人間は集団によって規定されるのではなく、個人的利益の追求が人間活動のあらゆる側面を定義しているとする『合理的選択論』の基礎を確立した。この『合理的選択理論』はその後のアメリカの打ち出す政策の土台を構築することとなる。この理論が企業に適用されると、企業は社会的な存在であるにもかかわらず、株主に対する責任以外の社会的責任からはいっさい解放されることとなり、政府に適用されると、「政府は問題を解決してくれない。政府こそが問題なのだ」(ロナルド・レーガン)という「小さな政府論」に繋がっていった。この理論は、政府の適切な介入によって人々の感情が刺激され消費を促すというケインジアンを駆逐し、市場原理主義者・サプライサイドの経済学者を政権中枢に押し上げた。
 アローについて、第1次ブントの創設メンバー(ペンネーム:姫岡玲治)の1人であり「比較制度分析」の権威・スタンフォード大学名誉教授の青木昌彦氏が日経新聞に連載した「私の履歴書」(単行本:『私の履歴書 人生越境ゲーム』日本経済新聞出版社 2008.4.24)で紹介している。数理経済学の聖地・スタンフォード大「セラ・ハウス」の項で、「どれをとっても当代超一級の学者で、世界中から優秀な若手研究者を集めていた。日本人に限っても宇沢弘文、森嶋通夫、稲田献一、根岸隆、村上泰亮ら錚々たる諸教授がかつてのセラ・ハウス組だ。」とし、氏の隣部屋にはコルナイ・ヤーノシュ(ハンガリーの経済学者・ハーバード大学名誉教授)がいたと書いている。
 原子爆弾の開発や「ノイマン型コンピュータ」とも言われ現在のほとんどのコンピュータの動作原理を発明したフォン・ノイマン(ハンガリー名:ナイマン・ヤーノシュ)も1950年にランドの職員となっている。ノイマンは有名な『ゲーム理論』の生みの親である。ゲーム理論の中で好まれる「囚人のジレンマ」でソ連とアメリカが軍縮をするかどうか、相手が裏切って先制攻撃をするかどうかを研究した。しかし、ランドの結論は「囚人のジレンマに対する解答には真の解答はない」というものであった。
 また、1960年春、若い技術者ポール・バランは、ソ連の爆撃機がわずかな数でもアメリカ領土内に入れば、アメリカに深刻な打撃を加え、電離層の中で核爆発の影響が広がり、無線通信が全て不能になるかもしれないと考えた。アメリカのミサイルを発射するために必要な指令・制御・通信システムは何も残らないことになると。バランは神経細胞の相互結合で構成される『ニュートラルネット』に関心を持っていた。人間の肉体は、あるシステムに負荷がかかり過ぎると、別のシステムが救いの手をさしのべてくれるという柔軟な対応ができる。バランは低周波のAMラジオ局に注目し、全国に散らばるAMラジオ用アンテナを代替手段としてICBMを打ち上げるという独創的案を考え出した。ただ、非効率的なアナログ回路を使っていては雑音が多すぎるので『デジタル』化しなければならないと考えた。さらにバランの発想が画期的だったのはメッセージをデジタル化しただけでなく、『パケット』へ小分けしたことである。残念ながらバランの場合、時代の先を進みすぎていて、世界が二進法に進む用意が整う前であった。1966年、今日のインターネットの原型である国防総省の「ARPANETは」    イギリス人科学者のドナルド・デイビスの考えを採用した。
 ウォルステッターの重要な歴史上の功績は『フェイルセーフ』(多重安全装置)の概念である。今日の原発の安全管理を始め、様々な分野にこの概念が使われている。「もし核爆弾搭載の爆撃機が誤ってモスクワに向けて出撃したら、どのように呼び戻せばよいか」という課題である。ウォルステッターは攻撃命令が確かに出ていることを確認するため一連の「チェックポイント」を設け、爆撃機がそれぞれのチェックポイントでチェックを受けなければ、攻撃を続行できないようにすべきだと考えた。任務続行を求める具体的な指示がない限り、爆撃機は基地に帰還する。無線通信の一部に障害が発生していたのだとしても帰還する。安全側に倒すということである。フェイルセーフの概念は空軍に採用され、1979年には電話交換手のミスで誤報が流れ、実際にこのシステムが機能することとなった。
 1947年、ランドのエンジニアであったエド・パクソンは『システム分析』という概念を思いついた。パクソンは1945~46年に戦略爆撃調査団のコンサルタントを務めていた。パクソンの考えた「システム分析」は第二次世界大戦中の「オペレーショナル・リサーチ」(OR)から派生したものである。ORはイギリスで開発された。狙った標的を最大の衝撃をもって破壊するためには、爆撃機への搭載機器などの荷重は全体でどのくらいにしたらいいのか?敵の攻撃を防ぐために対空砲をどこに配置すべきか?護送船団の規模は?目的を述べ、利用可能なデータを分析し、改善策を提案し、実験し、結果を分析する。ランド設立前のコルボムはORを使って、日本に出撃するB29の効果を高めるにはどうしたらよいかを分析した。結論は「機上に搭載する装甲機器のほとんどを捨て去れば、B29は基地からより遠くまで、より上手に、より安全に飛べる」というものであった。B29に搭載された焼夷弾は日本の民間人を標的に最大限の被害をもたらすことを目的としたものであった。1945年3月の東京大空襲は人倫を無視したORの “大成果”であった。
 しかし、ORには統計に依存するというアキレス腱があった。既知のデータがなければ機能しない。既にあるものから最前の結果を導き出す手法であり、以前から存在している環境に自分を適応させるという非常に“ヨーロッパ的”手法である。しかし、パクソンらのシステム分析は全く“アメリカ的”であった。既に存在する現実に制約されることを拒んだ。システム分析の質問は、我々はここから何を望んでいるのか?我々の目的は何か?もし目的を達成する手段が存在しないのなら、それらを作るのはどれだけ難しいのか?コストは?期間は?現実の世界には一定の選択肢しかないという考え方を捨て去り、自ら望む方向へ世界を変えてしまおうと努力する方法・精神である。その場合、仮説を立てることとなるが、その問題のあらゆる側面を数量化して仮説を検証する。しかし、検証不可能な友情や誇り、士気といった人間的な要素は実証不可能として切り捨てられてしまう。
ランダイトは人間の存在で重要なものはすべて数字で表すことが可能であり、数字で表すことによって人類はその原動力、つまり自己利益を把握できるという。アローによれば、自己利益とは商品の物質的な消費であり、自由民主主義にとって最高の政府は、消費を無限大に刺激する政策を取る政府であるとする。しかし、ランドの『合理的選択理論』はいつも「何が最適か」と問うが、「人々が何を望んでいるか」とは問わない。“自由な国”のトップレベルの科学者・エンジニア=自称専門家達が密室で決めるのに都合のよい理論である。ランドは一種類の合理性だけが存在するような架空の数学的世界を仮定したが、その思い通りに行動してくれるほど従順な人々だけで世界が構成されているであろうか。しかし、現実は違う。「私欲(self-interest)が競争を通じて社会全体の幸福(well-being)を増大させるというのが、アダム・スミスを始祖と仰ぐ経済学の基本的視点であったが、この25年間で生じたことは、情報の不完全性からスミス的世界は妥当しないということである。それは市場全体にいえる。とくに、金融市場は不完全情報の典型である。エンロン(Enron)やワールドコム(WorldCom)は確かに私欲を追求した。しかし、その私欲は社会全体の幸福を増大させなかった。金融という産業が私欲を追求した結果、経済は底なし沼に沈みつつある。」(スティングリッツ NYT:2008.10.16)。この間、得をしたのは上流階級であり、損をしたのは中流階級であった。人口の上位5%が富の60%を握り、企業経営者の平均報酬は平均的な労働者の400倍になった。ランドの『合理的選択理論』は歴史性を持たない“共和国”・人造国家アメリカにおける国際金融資本の独裁・支配に相応しい理論であるが、人々がランドに背を向け、国際金融資本に牙をむき出しにしてかみつく日が来るかもしれない。

 【出典】 アサート No.377 2009年4月25日

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【本の紹介】『原発と地震-柏崎刈羽「震度7」の警告』

【本の紹介】『原発と地震-柏崎刈羽「震度7」の警告』
                 著者 新潟日報社特別取材班
            発行 講談社 2009年1月30日 1500円+税

<<無知・無責任「逆転判決」>>
 先月の3/18、名古屋高裁金沢支部で、国内最大級の北陸電力志賀原発2号機について、16都府県の128人が北陸電力を相手に運転差し止めを求めた訴訟の控訴審判決が行われ、高裁は運転差し止めを命じた06年3月の一審・金沢地裁判決を取り消し、住民側の請求を棄却する逆転判決を言い渡した。
 一審・金沢地裁判決は、国内55基目の商業用原発として営業運転を始めたばかりであったこの志賀原発2号機に対して、1、直下地震の想定が小さすぎること、2、考慮するべき断層による地震を考慮しなかったこと、3、耐震設計の際、地震動の想定に使われている「大崎の方法」に妥当性がないこと、などを主たる理由として「電力会社の想定を超える地震動が原子炉の敷地で発生する具体的な可能性があるというべきだ」と認定し、「被告の耐震設計は、地震によって予想される本件原発周辺住民が受ける被害の内容や規模に照らして相当と評価し得る対策を講じたものとは認め難い。よって、原子炉を運転してはならない」という主文の判決を結論としたのである。営業運転中の原子炉の運転差し止めや原子炉設置許可の取り消しを求めた訴訟で、原告の訴えが認められたのはこれが初めてであり、なおかつ地震動が原発運転差し止めの主たる理由として認められたのは歴史上初めてのことであった。まさに原発震災への画期的な警告を発した歴史的判決であった。
 そしてこの地裁判決が予見したとおり、07年3月には能登半島地震が発生し、問題の志賀原発2号機は想定の約二倍の揺れを観測し、さらに、その4カ月後の新潟県中越沖地震では、東京電力柏崎刈羽原発の揺れは680ガルを記録、東電の想定(最大加速度220ガル、耐震設計300ガル)をはるかに上回ったのであった。
 ところが名古屋高裁金沢支部は、こうした現実をまったく考慮することなく、「活断層の評価や地震の揺れの調査手法は最新の知見を反映している」「安全対策は国の新耐震指針に合致し、震災で住民が被ばくする具体的な危険性もない」「原子炉の安全は保たれている」として、「住民らの生命、身体、健康を侵害する具体的危険性は認められない」と言い切ったのである。地裁判決とはまったく逆の判断である。その判断根拠は、「原子力安全・保安院によって概ね妥当と評価されている」ということにつきるのである。上級裁判所に行くほど、国やその出先機関の主張をそのまま鵜呑みにし、責任を回避し、逃げ回る司法の姿をさらけ出している。
 判決は「安全対策は国の新耐震指針に合致し」としているが、この改定を余儀なくされた06年9月の新耐震指針でも、耐震設計指針は震度についてM7.0からM7.3程度までを考慮することが示されているにもかかわらず、判決は「地表地震断層が明瞭に現れずにマグニチュード7.3の規模の地震が発生するということはできない」から原告の主張を採用する必要はなく、北陸電力のM6.8でよい、とまで主張して新耐震指針をさえ無視し、既知の地表地震断層が無い場合でもM7.3の地震さえ起きているとの原告主張に対して、裁判所はそれさえも認定しなかったのである。その際、鳥取県西部地震を既知の活断層によるものとするなど、無知と判断能力のなさはあきれるばかりである。
 さらに、一審以降に隠ぺいしていたことが明らかになった臨界事故や、その後発生したタービン損傷事故についても原告側の主張を退け、「07年3月の能登半島地震でも放射能漏れにつながるような原子炉の損傷はなかった」などと述べているが、このとき志賀原発の2基の原発は、臨界事故隠し(1号機)とタービン損傷(2号機)のために止まっていたがために、重大事故には至らず済んだものであって、運転中であれば危険で深刻な事態が当然予測されたものであって、そのことに思いも至らない、北陸電力側の主張をことごとく認める無責任判決であった。
 そして、この判決の最も決定的な欠陥は、最も間近に直面した2007年7月16日の新潟県中越沖地震の深刻な体験が全く考慮されていないことである。この地震が東京電力柏崎刈羽原発を襲った被害の深刻さに少しでも触れると、控訴審判決は維持できないであろうと本能的に感知し、徹底的に回避したのだともいえよう。

<<緊迫の証言>>
 ここに紹介する『原発と地震-柏崎刈羽「震度7」の警告』は、2007年7月16日の地震発生1週間後の7月23日から約1年間にわたり、新潟日報が、原発と地震の問題を深く掘り下げた連載、特集、関連ニュースの報道を展開し、その長期連載企画「揺らぐ安全神話 柏崎刈羽原発」と関連ニュース報道が高く評価され、2008年度の日本新聞協会賞(編集部門)を受賞し、日本ジャーナリスト会議のJCJ賞も受賞し、このほどそれらをまとめた単行本として発行されたものである。そこに明らかにされている緊迫の証言は、身の毛もよだつ、という表現以上のものがあり、いくつもの偶然が重なってたまたま人類的大災害にいたらなかったにすぎない、人間の愚かさを告発し、原発震災という未知の領域の深刻な事態を警告している。
 その緊迫の証言の一端を同書から見てみよう。まずは地震直後の2007年7月16日午前10時13分。
 ・ 運転中の柏崎刈羽原発7号機の中央制御室、運転責任者の目崎俊弘(44)は「立っていられない」ほど強く横に揺さぶられた。思わず本棚につかまった。・・・操作パネル手前の天井にある照明が次々と落下、音を立てて割れた。目崎は次に「隠れろ」と叫び、机の下にもぐり込んだ。・・・
 ・ 7号機では、冷却用の復水機に蒸気を引き込むためのボイラーが地震で故障、通常は自動操作で冷やすところを、手動でやらざるを得なかった。
 ・ 岩盤に直接建てられた原子炉建屋の揺れも激しかった。協力会社の男性作業員は「わっ」としゃがみ込んだ。「逃げる余裕なんてない。自分の身を守ることで精いっぱいだった」
 ・ 原発構内の事務本部1階には災害時の司令部「緊急時対策室」があり、・・・だが「入り口の防火扉がゆがんでいて開かなかった」
 ・ 変圧器の火災、もうもうと立ち上がる黒煙、ところが、肝心の消火配管が地震で寸断、・・・

 このように、突如襲う地震は想定外の事態を次々ともたらし、人間が適切に対処できる時間も余裕など無きに等しい事態をもたらす。さらにその後の深刻な事態が次々と明らかになる。
 ・ 同二時半ごろ、(放射性物質がありえない)原子炉建屋三階の非管理区域の水たまりから放射性物質が検出された。・・・結果は最悪だった。水は床下を伝わって地下一階の排水槽にたまり、自動ポンプで日本海に放出されていた。
 ・ 5号機では炉内の水を循環させるジェットポンプと呼ばれる配管を留める金具にずれが見つかった。燃料集合体に今も地震発生前から許容範囲内でのずれはあったが、地震の揺れで斜めになり、引き抜けないトラブルが発生。炉内が大きく揺さぶられたことを示した。
 ・ 6、7号機では、緊急停止の際などに核分裂反応を抑え、原子炉を止める役割を果たす制御棒計三本が一時、引き抜けなかった。
 ・ 原子炉圧力容器内以外では6号機で原子炉のふたを開ける作業で使うクレーンの継ぎ手部分が折れた。ふたなどの開閉中に地震が起き、ふたが炉内に落ちる可能性について、東電は「クレーンは落下しない措置が取られている」と安全性を強調するが、部品交換以上の措置は取っていない。
 ・ 原発は、核分裂反応による熱で水を蒸気に変える。蒸気を基に発電機を回すのがタービンだ。点検では全号機のタービンで羽根と羽根が擦れ合って削れた跡を確認した。修理方法は未定だが、傷の程度などから羽根は交換せず、表面を磨いてなめらかな面に戻す作業になる見通しだ。
 ・ タービンは一分間に千五百回転している。破損して遠心力によってミサイルのように飛び散った場合、周辺機器を壊す恐れも指摘される。経済産業省原子力安全・保安院によると、米国の原発で一九九一、九三年に「タービンミサイル」事故が相次いで発生。発電機や復水配管などを傷つけた例があっただけに、中越沖地震で、高速回転中だったタービンが軽微な損傷にとどまったのは幸いだったともいえる。

<<「思考停止の政治」>>
 不幸中の幸い、偶然のなせるわざでたまたま世界的規模の被害をもたらす大災害を免れただけであることをこれらの事態は明らかにしているといえよう。同書が明らかにしているところによれば、「柏崎刈羽原発では、激震が残した傷跡は軽微なものまで含めると、〇七年十二月現在で三千件を超える。最も高い耐震性が求められる原子炉内の重要機器の一部も定位置からずれていたことが分かり、まだまだ被害の全容把握には至っていない」のが実態であり、「隠れた損傷」、機器の揺れはけた違いに大きく、「独立行政法人原子力安全基盤機構の高島賢二は「柏崎刈羽では、ほぼすべての機器で想定値を超えた。『安全余裕がある』で済ませてはいけない」と警鐘を鳴らす。中越沖地震の強い揺れで各機器に安全余裕の限界領域にまで達する力が加わり、性能の限界に近づいたのではないかと懸念するからだ。」と指摘されている。
 ところが、東京電力は柏崎刈羽原発の5月営業運転再開を目指しており、4/7、新潟県の泉田裕彦知事は、県が設置した「原子力発電所の安全管理に関する技術委員会」が、機器の点検作業が最も進んでいる7号機(改良型沸騰水型炉、135.6万キロワット)の安全性について、再開容認の見解をまとめた最終報告書を知事に提出したのを受けて、「運転再開に向けた前提条件の安全性はおおむね確保されていると受け止めた」と語り、運転再開容認の姿勢を明らかにしている。
 しかし、この「技術委員会」委員の一人である立石雅昭新潟大教授が、7号機の事実上の運転再開に当たる「起動試験」入りにあらためて反対する意見書を県へ提出し、同意見書で立石氏は、同原発沖の活断層評価などについて「審議が尽くされたとは思えず、見解には同意できない」と主張していたことが明らかにされ(3/22)、泉田知事は同委員会に対し、「(委員間の意見の)溝を埋めるよう努力してほしい」と求めていたものである。そこへさらに、4/11、柏崎刈羽原発敷地内で火災事故が発生、同地震後の同原発内での火災が9件と相次いでいることから、4/21に新潟県議会全員協議会に再開を諮る予定であったが、この火災事故を受けて知事は「延期したい」と表明、月内にも見込まれていた「起動試験」入り、運転再開が遅れる見通しとなっている。 安全を無視して運転再開にあせる東京電力、それを後押しする国、その間をふらふらと揺れ動く地方自治体。
 新潟日報の取材に答えて、作家・高村薫さんは「本当に助かったのは、阪神大震災のエリアに原発がなかったことです。」「今の政治には防災だけに限らず、国民の命を第一に守るという発想はない。三日間は自力で生きてくださいというのが国の防災計画。そんなものは生き延びられたらの話です。問題はいかに死なせないかということなのに、そういう発想はない。思考停止の状態。そういう政治をつくったのは私たちです。きちんと政治を見詰めてこなかった。国民一人一人が自分で思考することからすべてが始まる。それしかないんです。」と強調している。まさに至言である。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.377 2009年4月25日

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【コラム】ひとりごと—群馬火災から、再び「無届老人ホーム」について—

【コラム】ひとりごと—群馬火災から、再び「無届老人ホーム」について—

○筆者は、昨年12月のNo373に「無届ホーム増加の意味するもの」を書いている。介護施設不足から、無届老人ホームが増加していること、無届であることから行政のチェックが届かず、安全上も問題が多い事を指摘した。○3月19日群馬県の「無届老人ホーム」で起こった火災は、正に心配していた事が起こったというしかない。○多くの入居者が死亡したこともあり、それ以後マスコミも「無届老人ホーム」の問題を取り上げ始めている。○あの火災以後に焦点化したように見られているが、実は1月のNHKの番組以降、厚労省は、一定の実態把握に動きだしていた。○その番組では、千葉県や茨城県など関東地方に、無届老人ホームが多い事実を取り上げていた。その入居者の多くが東京都内から転居してきており、東京都内の福祉事務所が生活保護費を支給しているというのである。番組では6畳くらいの和室に男女の区別なく3~4人を詰めこんている「施設」が紹介されていた。○問題の多い無届ホームに入所させている点もさることながら、本来これらは介護サービス付きのアパートといった性格であり、入居すれば生活保護の実施は、「施設」のある千葉や茨城の自治体に引きがれるのが原則である。しかし、入居後も引き続いて東京都内の福祉事務所が保護費を出していたのであった。○こうした保護の特例実施例が1000人以上存在している、そんな番組であった。○東京都内での認知症や一人暮らしが困難になった高齢者の施設は圧倒的に不足しており、このような実態が生まれたのである。○生活保護は単に費用を負担するだけではなく、定期的な訪問が必要である。しかし、都内から遠距離にある「施設」では、訪問も途絶える。どんな実態の施設なのかの把握もできない。○今回の群馬の「施設」で多くの死亡者を出したのは東京都墨田区から転居した方が多かった。○このNHKの番組以降、1月下旬であっただろうか、厚労省から福祉事務所に「社会福祉各法に規定されない高齢者住宅」についての実態調査依頼が届いている。○この結果は群馬火災の後、3月31日に公表され、全国に無届老人ホームは579箇所と報告されている。(老人福祉法適用の施設は4110、15都道府県がゼロと回答。)しかし、これはかなり少ない数字であろう。そもそも現状では「届出の必要のない」施設ということであり、実態把握は難しいからである。おそらくその倍以上の「施設」があると見るべきだろう。○群馬火災に驚いた厚労省は、生活保護受給者が入居している無届ホームについて、生活保護のケースワーカーが、火災防止機器の有無や防火体制を調査するよう指示を出している。消防署の専門官がすべきことであり、根本的な把握になるはずもないが。○1990年代であったか、長崎県の老人グループホームの火災で多数の死者がでた。その後老人施設の場合、延べ面積が1000㎡を越える場合、各部屋にスプリンクラー設置が義務付けられた。○無届ホームの場合は、単なるアパートとして建設されるか、既存の住宅や建築物が利用される。○当然、防火義務は建物の持ち主ではなく入居者自身ということになる。○要介護3や4の高齢者が対応できるはずもない。○今回の群馬の施設も、夜間は外から施錠されていた。火事になって対応が遅れた場合、外に出ることもできないのである。○既に指摘したように、無届ホームには、生活保護受給者が多い。住宅費や介護費用が必ず支払われるわけで、事業者は安定な経営が出来る。当然防火施設などは、消防署の指導があっても、「うちはアパートや」と逃れようとするのである。○これも「貧困ビジネス」の一つである。貧しいものをネタに金儲けをしている連中が経営している場合が多い。○かつて、NPOを名乗って働けなくなった人をアパートに入居させ、食事は弁当をひとつ、生活保護費をピンはねする「ビジネス」が流行ったが、この時はひどい待遇に入居者が逃げ出した。しかし、高齢者の場合、それができない。もの言えぬ人も多いからである。○貧困からの脱却を支援するのが福祉である。しかし、無届ホームの実態は、貧しい人を「貧困な施設」に送り込んでいることを示したのである。○今後厚労省は、一定の基準を満たさない「無届ホーム」への生活保護費に規制を設けて対応することになると思われる。○しかし、問題は圧倒的な施設の不足である。寝たきりを増やさないための介護保険制度であったが、核家族化の進行と単身生活者の増加により共同生活施設の需要は、想定をはるかに超えているようにも思える。小規模であっても、しっかりとした安全の運営が確保された、そして安価な共同生活施設の充実が求められている。(佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.377 2009年4月25日

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【投稿】深まる金融・経済恐慌とG20

【投稿】深まる金融・経済恐慌とG20

<<G20第2回金融サミットに向けて>>
 3/14-15、ロンドンで開かれた主要20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議は、共同声明を発表し、「世界の成長を回復し、貸し出しを支えるためのさらなる行動と、世界の金融システムを強化する改革に合意した」と成果をうたい、世界的な経済危機に対するG20としての対処方針を明らかにした。その骨子は、
・各国は成長を回復するまであらゆる必要な行動をとる
・保護主義に対抗し、自由な貿易や投資を維持する
・財政出動の速やかな実施と、国際通貨基金(IMF)による評価
・各国の中央銀行は必要な限り金融緩和を続ける
・ヘッジファンドや格付け会社を登録制にし、情報も開示する
というものである。
 今回の会合は、4月2日にロンドンで開かれるG20の首脳会議(金融サミット)に向けた準備会合と位置づけられ、全世界を襲う未曾有の金融危機と大不況に対するG20としての対処方針を示すことにあった。
 第1回G20緊急サミットは、昨年11月にワシントンで開かれ、(1)市場の透明性と金融機関の説明責任を強化(2)市場の適正な規制と監視の強化(3)各国の規制当局の連携(4)新興国の発言権の拡大などを含む国際金融機関の改革――などが盛り込まれ、優先度の高い項目を「行動計画」として規定、実施状況を協議するため、2009年4月30日までに再度会合を開くことを決めたのであった。しかしこんなことは07年以来のサブプライムローン破綻問題以来自明のことであって、具体策こそが求められていたが、それが皆無であり、総花的で即効性はなく、「サミットは何もなかったに等しい」と酷評され、市場からは完全に無視されたものであった。これを議長を務めたブッシュ前米大統領が「大成功だった」と自讃し、Goodbyeと宣言発表会見を結んで事実上サヨナラし、麻生首相は「歴史的なものと後世、評価される」と大見得を切って、第2回金融サミットについて「日本は開かれる場所としてふさわしい」と自己の保身・延命策丸見えの東京開催案を提起したがまったく相手にされなかったいわくつきの会合であった。

<<米経済はがけから落ちた」>>
 この第1回金融サミットから四ヶ月、その二ヶ月前の金融危機の発端となった昨年9月のリーマン・ショックから半年、事態は改善されるどころか、世界的な金融恐慌の進展が、いよいよ実体経済へと波及し、日米欧、先進諸国はほとんどすべてマイナス成長に陥り、世界経済は09年の今年、戦後初めてのマイナス成長に転じ、世界の貿易量の減少幅も過去80年間で最大になることが確実視され、さらにそのマイナス成長が長引く「大不況」(ストロスカーン国際通貨基金〈IMF〉専務理事)、1929年恐慌を上回る経済恐慌への危機感が募りだしている。
 しかもこの間、世界的な金融不安は収束していないばかりか、欧米金融機関の経営危機が再び深刻さを増してきている。07年の10月には1万4000ドルを超えていたニューヨークダウ平均株価が、この3/9には6500ドル台まで下落し、金融関連株はリーマン破綻直前と比較して、シティ17ドル→1.7ドル、JPモルガン・チェース41ドル→23ドル、バンク・オブ・アメリカ33ドル→5.7ドルと、下落率はシティが9割、バンカメが8割、JPモルガンでも4割に達する下落であり、シティ株の一時1ドル割れは歴史上初めての最安値であった。東京株価も07年の7月には1万8000円台であったものが、この3/10には、日経平均7,054.98円と6000円台目前にまで下落している。
 3/3にはオバマ米大統領がブラウン英首相との会談後、米国株は今が「買い時」、「長期的な視点に立てば、株を購入するのは得策だ」との見解を示したにもかかわらずこの有様である。オバマ氏は「株式市場の日々の乱高下は気にしない」と強調したが、市場は大統領肝いりの金融安定化策に対する失望売りで応えたのであった。著名投資家のウォーレン・バフェット氏が「米経済はがけから落ちた」と発言する事態である。この間、米欧金融機関への公的資金の注入や政府管理下に置いたりする動きが一挙に広がり、政府の財政負担も急膨張しているにもかかわらず、金融危機収束の展望はまったく見えてはいないのである。
 そして実体経済への影響は深刻さをさらに増している。3/6に米労働省が発表した2月の雇用統計によると、失業率は前月より0.5ポイント高い8.1%と、約25年ぶりの水準に悪化し、非農業部門の雇用者数は1949年10月以来、約59年ぶりの大幅な落ち込みとなったことも明らかになった。雇用者数の減少は14カ月連続であり、雇用減は昨年1月からの合計で約440万人に達し、米雇用情勢は戦後最悪のペースで悪化が続いている。毎月60万人を超すペースで雇用が失われていることからすれば、年内には1000万人以上の雇用喪失となってしまう事態である。

<<GDP比2%目標>>
 G20財務相・中央銀行総裁会議は、経済規模で世界の85%を占めるG20が、直面する危機克服策でいかなる対処方針を打ち出し、いかに足並みをそろえられるか、先進国と新興・途上国間の利害対立をいかに調整できるか、それが焦点であった。共同声明は「世界の成長を回復し、貸し出しを支えるためのさらなる行動と、世界の金融システムを強化する改革に合意した」と成果をうたい、各国の経済対策について「需要を刺激する上で力強く、抜本的」と評価した。
 会議でガイトナー米財務長官は、「世界が一緒に動かないと、米国も深く長い景気後退に直面する可能性がある」との懸念を表明し、G20諸国が足並みを合わせ、国内総生産(GDP)の2%に相当する財政刺激を来年まで毎年実施する「2%目標」を呼びかけたのであった。しかし現実にG20各国が表明・実施中の景気対策で、GDP比2%以上を満たすのはサウジアラビア3.3%、スペイン2.3%、豪州2.1%、米国と中国各2.0%の5カ国にとどまり、日本は1.4%、独1.5%、英1.4%、仏0.7%、伊0.2%という現実であった。このため米国側には「主要20カ国の中には、今後の景気刺激のために十分な資金を出していない国々がある」との不満がくすぶるが、ユーログループは、G20を前に「欧州勢に追加の財政努力を求める米国の呼びかけは好ましくない。我々は回復策を先に進める準備を整えていない」(議長のユンケル・ルクセンブルク首相)と不快感を表明。ドイツのシュタインブリュック財務相も追加策に必要な「新たな資金はないだろう」と発言、フランスのサルコジ大統領は「問題は歳出を増やすことでなく、危機の再発を防ぐ金融規制のシステムを導入することだ」と牽制したという。欧州連合(EU)は加盟各国に毎年の財政赤字をGDP比3%以内と義務づけているが、すでに進行中の危機対策で、09年にユーロ圏の財政赤字はGDPの4・0%に膨らむ見通しである。まずはマネーゲームを暴走させ、実体経済を空洞化させたアメリカ発の金融規制緩和・ビッグバンを徹底的に改め、金融規制の徹底を優先させることが筋というわけである。
 日本は米国に同調する姿勢をとり、与謝野財務相はガイトナー長官と会談し、GDP比2%という「そのレベルは超える」追加刺激策、GDP0.6%分に相当する3兆円を超える財政出動を打ち出す方針を表明したが、会議は結局、アメリカが求めてきた数値目標は盛り込まれなかった。

<<「通貨切り下げ競争」>>
 さらにG20財務相・中央銀行総裁会議に出席していたブラジル、ロシア、インド、中国の新興4カ国(BRICs)の財務相は、共同声明を出し、国際通貨基金(IMF)における各国の出資比率の見直しと新興国の発言権拡大を強く求め、原油価格の下落などを受け、ルーブルを切り下げたロシアのクドリン財務相は、現実は「切り下げ競争と呼べるだろう。ある国が切り下げれば、他国も追随せざるを得ず、問題になる」と述べ、世界的な「通貨切り下げ競争」への警告を発する事態であった。
 共同声明とは裏腹に、利害は錯綜し、保護主義の蔓延と通貨切下げ競争への怖れが、当面をつくろう妥協的な、具体性のない合意をしか生み出さなかったともいえよう。4/2からのG20金融サミットが金融恐慌と経済恐慌の真の脱出口を見出せるのかどうか、危ぶまれる事態が現出されたのである。
 このロンドン金融サミットに対して、イギリスの労組全国組織・労働組合会議(TUC)とその傘下の労組および非政府組織(NGO)が、この3/13に、「人間を第一に」と題した政策提言を共同で発表し、3/28に「人間を第一に」「雇用を、正義を、気候変動対策を」のスローガンを掲げた、共同のデモンストレーションを呼びかけている。
 金融・経済恐慌脱出の最短で決定的な役割を果たすものは、3兆ドルから6兆ドルもの過酷な経済負担を強いているイラク戦争、アフガニスタン戦争を即刻停止させ、それらに関与している全外国軍隊を早急に撤退させるという、戦争経済から平和経済への転換を明確に打ち出すことである。オバマ政権はいまだにこのメッセージを明確に打ち出せずに、逆のあいまいな戦争関与政策に拘泥していることが、恐慌脱出への真の展望を見出せなくしているのである。そして第二は、国際・国内両面における市場原理主義からの決別を明確にすることである。それは、投機経済と野放しの弱肉強食経済に最大の責任を有する多国籍企業・国際金融資本・投機資本に対する徹底した民主的規制を課すこと、同時にそれらの国際的資本移動と収益に対して国際的共通課税を課すことを国際的ルールとし、それらを原資とした地球規模の環境対策、貧困対策、雇用対策、食糧危機対策、これらを包括した国際的規模のニューディール政策、29年恐慌におけるニューディール政策を上回る、「人間を第一」とした「雇用、正義、気候変動対策」の世界的規模でのニューディール政策を打ち出すことが要請されているのである。
 しかし日本の政局は、こうした要請からまったくかけ離れたものとなり、「死に体」同然となってきた麻生政権は、自己の延命にのみ汲々とし、謀略的な西松献金事件に一喜一憂し、小沢民主党はこれに振り回されて、この危機的経済状況に最も必要とされている基本政策を打ち出すこともできず、新執行部構築、反転全面攻勢という局面打開のイニシャチブも取れないでいる。猛省が促されるところである。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.376 2009年3月21日

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【投稿】経済恐慌下で旧財投復活?-密かに針を戻す与謝野財務相

【投稿】経済恐慌下で旧財投復活?-密かに針を戻す与謝野財務相
                            福井 杉本達也 

1 国際金融資本は「崖から落ちた」-米国発金融恐慌は第二段階へ
 米シティグループの政府管理下入りに続き、英銀行大手のロイズ・バンキング・グループも3月7日、2,600億ポンド(3,700億ドル)のリスク資産を英政府の資産保護スキームに参加させることに合意したと発表、実質国有化されることになった。こうした動きをきっかけに世界的に金融不安が再燃している(ロイター:2009.3.9)
 米AIGへの支援額は1,500億ドル規模となっており、アメリカの人口を3億人とすれば、赤ん坊から老人まで一人当たり500ドルすなわち約5万円がAIGに支払われる。今回さらに300億ドルの追加支援。アナリティックスのアナリスト、ドン・ビックレー氏は、政府によるAIG救済の規模が最終的に2,500億ドルに達し、そのほとんどが返済されない可能性があるとの見方を示している。「厭債害債」氏は「AIAとかALICOとか『主として海外で事業を展開している』保険会社を米国政府がコントロールしてしまった…せっかく簡保とか民営化しそうだと思ったら、今度はアメリカ国営保険ですか?という猛烈な脱力感にさいなまれそうですね。…このような個別保険会社に対しての政府支援が米国法域内でおこなわれるならそれは各国マターなんですが、日本で営業している会社に事実上の支援をつけて営業を継続させるというのはいかがなものなんでしょうかね?…今後100年ぐらいはアメリカ様におかれては、他国の非関税障壁とか不公正な貿易慣行とか補助金がどうのとか一切口にされることはないと信じておりますが。」と皮肉っている(blog「厭債害債」:2009.3.5)。
 米著名投資家ウォーレン・バフェット氏は9日、CNBCテレビに出演。米国経済は「崖から落ちた」と形容した上で、米国経済は最悪ケースに近いシナリオに沿って推移しており、「すぐに回復に転じることはあり得ない」と述べた。

2 郵政民営化をめぐる暗闘
 こうした金融恐慌の最中、日本では郵政民営化をめぐって昨年12月26日に日本郵政がかんぽの宿70施設をオリックスに一括譲渡すると発表したが、今年1月6日に鳩山総務相が「国民が出来レースと受け取る可能性がある」と述べこれに待ったをかけ、2月13日にオリックスへの譲渡を断念させた。その間に麻生首相は2月5日の衆院予算委で「郵政民営化には賛成ではなかった。内閣の一員として最終的に賛成した」「今4つに分断した形が本当に効率としていいのかどうか、もう一回見直すべき時に来ている」「総務相だったが、郵政民営化担当から外されていた。濡れ衣をかぶせられると甚だ面白ない」との一連の「郵政迷走」発言を繰り広げた。これに対し、2月12日、小泉元首相が「怒るというより、笑っちゃうくらい、ただただあきれている」と批判した。しかし、こうした小泉氏側の反撃にもかかわらず、鳩山総務相は24日の衆院総務委で、「日本郵政が検討している(敵対的)買収防衛策だけではなく、外資規制も検討事項だ」と述べ、郵政民営化に伴うゆうちょ銀行とかんぽ生命保険の株式上場計画に関し、外国資本による金融2社の株式買収に歯止めをかける考えを示した。その間にG7での中川財務相「酩酊記者会見事件」があり、そして、3月に入っては民主党小沢代表への西松建設献金疑惑事件である。しかし、この一連の動き・事件を権力側の内紛・あるいは野党側の失策などと個別バラバラに見てはいけない。

3 日本郵政の運用資産の中身
 郵政事業は「郵便局㈱」「郵便事業㈱」「㈱ゆうちょ銀行」「㈱かんぽ生命保険」に4分社化され、その持株会社として日本郵政株式会社があり連結決算を組んでいる。日本郵政㈱の資本金は3兆5,000億円で全額「財務大臣」=国民が保有している。2008年9月末のゆうちょ銀行の総資産195兆円であり、うち国債が156兆円(80.1%)、地方債が6.8兆円(3.5%)、残りを社債が4%程度を占める。財政投融資預託金は2008年3月期決算をもって0となった(郵政民営化委員会(田中直毅委員長):「郵政民営化の進捗状況」2009.1.14)。かんぽ生命は総資産110兆円で、うち国債が71兆円(64.8%)、地方債が4兆円(3.7%)、貸付金が19兆円(17.4%)、社債が9.2兆円(8.4%)などとなっている。
 これだけ国債の保有率が高ければ、当然ながら総資産に対する当期純利益率は低い水準に止まる。ゆうちょ銀行の場合0.14で、都銀の0.22、地銀の0.21と比較すると2/3でしかない。これでは巨大な金融2社を維持できない。「金利リスクから市場リスク・信用リスクへ、リスク配分のリバランスを進めていくことが必要である」として、取り敢えず2008年5月から「クレジットカード」「変額個人年金保険」「住宅ローン媒介業務」を認可している。しかし、巨大資金の運用先としては余りにも小粒である。民営化委の意見聴取では、「機関投資家型のビジネスモデルを目指すべきである。」との声が強い。
 さらに、2008年10月15日の米年次改革要望書でも「米国は、郵政の民営化と改革が完全に市場志向型で実施されるならば、日本経済にとって多くの潜在的利益があるプロセスであるとの認識から、引き続き重大な関心を払っている。」とし、「かんぽ生命による新たな、または変更された保険商品の導入、ならびにゆうちょ銀行による新たな貸付業務および他の金融商品の元売りなどが郵政金融機関に認可される前に、郵政金融機関と民間金融機関の間に対等な競争条件が確保されるよう引き続き求める。」として、競合する分野への進出に釘を刺している。がんじがらめに縛られれば、巨大な資金の脱出先は海外投資以外にはない。

4 先例-農林中金の海外投資の失敗
 海外投資へのお手本になると、これまで郵政が熱い視線を送ってきたのが、農林中金であった。しかし、そのビジネスモデルはあっけなく崩れた。農林中金は今年2月20日、総額1.9兆円という巨額増資を発表したが、これは、リーマン・ブラザーズ破綻以降の国際金融恐慌下で1.5兆円もの有価証券の含み損を抱えたからである(11月27日現在)。農林中金は単協や信連から豊富な余剰資産を預かり、国内外で債券や株式などの有価証券で運用してきた。農林中金が海外投資に“飛躍”を遂げたのは90年代後半、バブル崩壊後の超低金利で、国債中心の投資ではグループを支えきれなくなったことにより、活路を米国などに求めたからである。しかし、積極的海外展開は完全に裏目にでた。2008年9月末現在の農林中金の運用資産は58.1兆円となっている。そのうち有価証券が33兆円を占める。うち外国債券が13兆円で1兆円の評価損・その他が10.3兆円で1兆円の損失を出している(農林中金ディスクロージャー誌)。今後の損失は予測できないが、23兆円うちさらに2~3割が評価損になるとすると、4~7兆円という恐るべき額になり、とても農協や信連への奉加帳回しで補填できる金額ではない。たちまち自己資本が10%を割り込み、国際金融市場から締め出されることになる。その時は農林中金が23兆円の債権もろともに沈むこととなる。

5 恐慌下における政策金融機関の役割の増大
 日経は「再膨張する政策金融」という特集記事を組んだ。金融危機に対応し、政府は政策金融をフル活用した企業への資金繰り支援など異例の対応を次々に打ち出している。政府系金融機関改革で昨秋に“民営化”した政策投資銀行がCPを買い入れることとなった。政府系金融機関の日本政策金融公庫の資金で政投銀に2兆円のCP購入枠を来年度末まで設ける。損失が発生した場合は政府が一部を補填する。財務省は最大6,000億円の負担を想定する。また、大企業・中堅企業向けの低利融資として、公的資金で08年度、09年度にそれぞれ最大1 兆円を融資する(日経:2009.2.24)。
 また、国際協力銀行(JBIC)は昨年10月に中小企業金融公庫などと統合、政府系金融機関の日本政策金融公庫の一部門となった。先進国事業向け融資は「民間で担える」として原則撤退したばかりだった。だが昨秋以降、状況が一変。「必要なドルを調達できない」と、欧米に進出する自動車メーカーなど大手優良企業からも悲鳴が上がり、急遽、中川前財務相がJBICによるドル調達支援検討を指示し、廃止後わずか3カ月での先進国事業向け融資が復活した(日経:2009.2.25)。
 さらに、金融危機で一時的に経営の傾いた企業に公的資金を活用して資本注入する制度の新設だ。産業活力再生特別措置法の適用認定を受けた企業を対象に政投銀や民間銀行が資本支援する。保証枠は最大1.5兆円。損失の5~8割を政策金融公庫が保証し、最終的には政府が負担する。既に半導体大手のエルピーダメモリや全日空・富士重工など数社が同制度の活用を検討すると表明。経済産業省には問い合わせが急増している(日経:2009.2.28)。

6 秘密裏に、しかし、大胆に旧財政投融資の復活を図る
 政投銀の09年度計画の資金調達額は1.5兆円であるが、財源は財政融資借入金が21%、財投機関債が16%、長期借入金が21%などとなっている。国際協力銀行の場合も08年度の9,000億円の資金調達は財政融資資金借入金が4,000億円、政府保証外債が1,800億円などとなっている。いずれにしても政策金融機関の資金調達は国家信用に頼らざるを得ない。
 総資産で見ると、政投銀は約12兆円、商工中金は11兆円、政策金融公庫は旧国民金融公庫部門が7兆円、旧中小公庫部門が7兆円、国際協力銀行部門が20兆円であり、全て合わせても57兆円規模でしかない。この他、中小企業への信用保証や貸付枠を30兆円に拡大し、又、金融機関へは別途、新金融機能安定化法よる資本注入枠12兆円を用意したが、今回の底のない恐慌下にあってはこれだけでは全く不十分である。
 国際金融資本の『総本山』で金融の「社会主義化」が進む中、ついに与謝野財務相も『宗旨替え』を行った。10日の参院予算委で小泉政権の経済政策を「国民金融公庫とか中小企業金融公庫とか商工中金とか日本政策投資銀行とか農林漁業金融公庫とか、こういうものを結局民営化しようと。政策金融機関も不要だ(と判断した)」と評価し、「不況が来ないことを前提とした経済学で、間違いだった」との認識を示した(日経:3.11)。これは極めて重大な橋本政権以降の歴代自民党の経済政策の転換である。「金融ビックバン」・「政策金融機関の解体と民営化」・「郵政民営化」路線の完全な行き詰まりを公に認めたのである。
 3月11日の日経は政府が政投銀がCP買い入れなどを行う危機対応業務に対し、ゆゅうちょ銀などが基金に政府保証つきで低利融資すれば、政投銀の緊急融資枠を数兆円に拡大でき、一方でゆうちょ銀行の余剰資金の運用先も増えるとする“観測記事”を1面トップに持ってきた。このストーリは既に有田哲文・畑中徹氏らが「政投銀が貸出しをする資金の出所の大半は、財務省から借りる財政融資資金や政府保証債を発行して調達したものだ。現在の財政融資資金は財務省が市場から集めたお金だが、かつては郵便貯金や年金から強制的に集められた財政投融資資金が使われていた。その政策投資銀行は2008年10月に国が株式を持つ特殊会社になり、2012~2014年までに完全民営化する。完全民営化されれば自分で債券を発行して資金を調達しなければならなくなる。…それよりも郵便貯金と一緒になったほうが調達にかかるコストが安いのではないか、という見方が出ている。…そんなことになれば、かつて調達を把っていた郵便貯金と運用をしていた政府系金融機関が元のサヤに収まることになる。」と指摘しているものである(『ゆうちょ銀行』東洋経済新報社2007.9)。

7 財政投融資制度の「改革」は何のためだったのか
 そもそも、財政投融資制度の「改革」は2001年4月に始めたが、それまでは、郵便貯金は全額が大蔵省所管の資金運用部特別会計に預託されていた。それをやめて、郵貯は郵貯で自主運用、資金運用部特別会計は「財政融資資金特別会計」と名称変更して、財投債を発行して資金調達し、商工中金などの各財投機関は財投機関債を自らが発行して資金調達するというスキームであり、郵便貯金・資金運用部・財投機関の三者全体が巨大な金融機関として繋がる仕組みを解体「民営化」しようとする目論見であった(小西砂千夫:『特殊法人改革誤解』東洋経済新報社:2002.8.22)。小西氏は「財投というシステムそのものの欠陥であったのか、財投という政策手段を使いきれなかった政治の問題であるのか」と問い、「財投というシステムはそれなりに制御できるようなシステムになっており、その政策手段を後年度の負担を考えて慎重に運用できないことに原因があった」とし、「財投というシステムに切り込むのではなく、その政策手段のガバナンスを高める仕組みを開発」すればよかったと批判し、「政策手段を破壊することは、本当は危険である。経済運営における危機管理ができなくなる」と警告していた(同上)。そして、今回、経済恐慌下で小西氏の警告どおりの結果が招来している。国際金融資本のいわれるままに「郵政解散」まで行ってシステムを破壊した責任はいったい誰が取るのか。

8 レモン社会主義
 NY株価に連動し、3月10日の日経平均は7,000円割れ目前まで下げバブル後最安値を付けた。こうした中、公的金融を一方的に収奪しようとする動きもある。政府・与党は銀行等保有株式機構の20兆円枠を使って株式指数に連動する上場投資信託(ETF)を買い取る検討を始めた。この原資を政府保証するというものである(日経:3.7,3.13)。3月7日付けの日経社説は「三月末の決算期を前に、企業が資金調達に四苦八苦している。平時なら十分に存続できる企業もがカネ詰まりで破綻してしまうようなら、日本経済にとって重大な損失となる。政府・日銀は公的金融も活用して資金繰りを死守してほしい」と、これまでの主義・主張を180度転換したかのようである。しかし、政府が直接介入して株価を買い支えるというのは常軌を逸している。ポール・クルーグマン教授は米政府の銀行救済策を”lemon socialism”(レモン社会主義)と皮肉っているが、これは「socialized losses, privatized profits(損失の社会化、利益の私物化)」である(NYT:1.30)。2008年中の外国人の日本株の売越額は3.7兆円であった(日経:2009.1.15)。さらに今年に入っても2.2兆円もの売り越しをしており(日経:3.13)、日本経済の相対的状況及び円ドルの為替レートから、まだ比較的有利な日本の市場から急速に資金を引き揚げている。こうしたところに公的資金を原資にした資金を突っ込んでも国際金融資本の餌食になるだけである。

9 政策転換に露骨に反対する国際金融資本のエージェント=マスコミ
 ところで、今回の経済政策の転換へのマスコミの反応は“悲惨”なものがある。上記の与謝野氏の発言について、朝日(3.13)は小さな囲み記事程度の扱いであり、他紙はほとんど無視である。また、3月10日の日経社説は「麻生政権には小泉政権以来の構造改革路線にブレーキをかける閣僚が少なくない」とし、6日の参院予算委で与謝野氏が「一時期、規制緩和はすべて善であるという信心がはやったが、間違った信心だ」と述べたことに、「反改革の流れを見すごすことはできない」と国際金融資本を代弁した批判に終始している。日本の資金を“勝手に”日本国内で使われては困るのである。
 その一方で各紙・TVは何の裏づけも取らず、西松建設献金問題や拉致被害者と金賢姫“元工作員”?との会見の怪情報を垂れ流し続けている。経済が恐慌の谷へと重落下しつつある中、何としても日本の資金を確保したい国際金融資本は必死である。北朝鮮が人工衛星を打ち上げるとするものをMDで打ち落とすと挑発し、6カ国協議の合意事項を無視して東アジアにおける緊張を煽り日本に揺さぶりをかけている。
 3月8日のテレビ朝日「サンデー・プロジェクト」で、田中真紀子氏は、「既得権益を守りたい1割の勢力が政権交代を絶対に阻止したいと考えている。検察・メディアを活用して世論の誘導を働きかけている。日本人がどれだけマチュア(成熟している)であるかが試される」と述べ、また、政治学者の飯尾潤氏も民主党に対し「代表の問題を組織としてうまく処理できないようでは、政権を担当してからも難題を自ら解決できないのではと疑われる。そう考えれば、この問題は、民主党が政権担当能力を示すべき機会なのである。」(福井:2009.3.10)と分析している。正に今、日本人とその政党の成熟度が試されている。

 【出典】 アサート No.376 2009年3月21日

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【本の紹介】『小林多喜二-21世紀にどう読むか』

【本の紹介】『小林多喜二-21世紀にどう読むか』
               著者 ノーマ・フィールド
               岩波新書 2009年1月20日発行 780円+税

<<恐慌の「心的な前触れ」>>
先月の2月1日に放映されたNHKのETV特集「しのびよる破局の中で」に出演した辺見庸氏は、昨年2008年6月8日の秋葉原事件を取り上げ、これは三ヵ月後の株の暴落を端緒とする金融恐慌、そして経済恐慌への「心的な前触れ」であった、と指摘している。
この事件は周知のように、25歳の、トヨタ自動車系列大手、関東自動車工業の工場への派遣社員であった男性が、レンタカーとして借りた、赤い帯の入った白色の2tトラックで東京・秋葉原交差点の赤信号を突っ切り、横断中の歩行者を跳ね飛ばし、タクシーと接触して停車して車を降りた後、道路に倒れこむ被害者や救護にかけつけた通行人・警察官を立て続けに、所持していた両刃のダガーナイフでメッタ刺しにし、7人を死亡させ、10人に重軽傷を負わせた事件である。すでに進行しつつあった派遣切りに直面して、「生活に疲れた。世の中が嫌になった。人を殺すために秋葉原に来た。誰でもよかった」などと犯行の動機を供述していることからして、これはすでにその時点で、個人的な特異な事件といったものではなく、こうした青年を救い得ないセーフティネットの欠落した日本の政治・経済・社会が招いた、重大な社会的事件であったと言えよう。
辺見氏は、この事件と関連して、1929年~36年のまさに大恐慌期に活躍した作家・夢野久作の作品「れふきうた(猟奇歌)」から次の二首を取り上げ、
「自分より優れた者が 皆死ねばいゝにと思ひ 鏡を見てゐる」
「白塗りのトラツクが街をヒタ走る 何処までも/\ 真赤になるまで」
秋葉原事件と、そのあまりにも酷似した「心的」状況、今の時代の特有の悪、「忍び寄るかつてない破局」を警告する。
この「猟奇歌」を読むと、さらに
「自分が轢いた無数の人を  ウツトリと行く手にゑがく」
「殺すくらゐ 何でもない と思ひつゝ人ごみの中を 濶歩して行く」
「満洲で人を斬つたと 微笑して 肥えふとりたる友の帰り来る」
という歌が見られる。この三首目はまさに、恐慌の解決策を満州に求めた1931年9月18日の満州事変、大日本帝国陸軍・関東軍が自ら鉄道線路を爆破し、満州(現中国東北部)全土の占領に乗り出した時代状況と重なっている。

<<パンデミック>>
辺見庸氏はさらに、現在の危機的状況は「単層」のものではなく、1920年段階とも30年段階とも違った、異質の危機、破局が同時進行するパンデミック(ペスト、インフルエンザのような感染大爆発)だと指摘する。そこでは、人々は一切の権利がない、保障されない、ポイ捨てできる存在としての人間という商品に落とし込められる。しかし、逆に今は、人間の価値を問い直すチャンスでもある、と指摘して、フランスの作家アルベール・カミュの『ペスト』を取り上げる。最初は人々は、ネズミの死体を見てまさかと思う、つまり過小評価する。とんでもない事態が進行しているとは思いたくない。そしてペストが蔓延してしまうと、事態をごまかし、つらさを隠し、これは一時的なものだと考え、ペストでの死者をその日の数だけでしかみなくなって、日常化し、慣れてしまう。カミュの言葉、「絶望に慣れることは、絶望そのものよりもさらに悪いのである。」を引いて、辺見氏は、今のわれわれはこうした「無意識なすさみ」の中にあると指摘する。
1943年のドイツ・ナチス軍の占領中に書かれ、戦争、ファシズムという疫病に対する抵抗を象徴する作品として受けとめられたこの『ペスト』では、「天災というものは、事実、ざらにあることであるが、しかしそいつがこっちの頭上に降りかかってきたときは、容易に天災とは信じられない。この世には、戦争と同じくらいの数のペストがあった。しかも、ペストや戦争がやってきたとき、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった。」と述べられている。
こうした事態の中で、『ペスト』の主人公・リウーは、「ただひざまずいて、すべてを放棄すべきだなどといっている、あの道学者たちに耳を貸してはならぬ。闇の中を、ややめくら滅法に、前進を始め、そして善をなそうと努めることだけをなすべきである。」という立場を堅持し、「聖者に対してよりも敗者に対して連帯感を持つ」と語る。
新潮文庫版の訳者である宮崎嶺雄氏は、「誠実の人リウーを中心に、神を信じるパヌルーから理性を信じるタルーにいたるまで、できるだけ広く人々の立場を糾合して、「人間」のための強力な人民戦線を結成しようとしているように見える。コンミュニスムとキリスト教とのあいだに、より人間的な第三の道を求めようとしているカミュの立場を、これほど遺憾なく表現しえている作品はない。」と解説している。

<<『蟹工船』ブーム>>
さてここで、ノーマ・フィールド著の『小林多喜二 - 21世紀にどう読むか』の紹介である。
著者のノーマ・フィールド氏は、「エピローグ - 多喜二さんへ」の中で、「この原稿に向かったとき、『蟹工船』ブームなどおよそ想像もできませんでした。あなたについてものを書くことが世間によって認められることは喜ぶべきなのでしょう。でも、格差社会に喘ぐ人たちが増えたためのブームである以上、憂うべきだという考え方もあります。・・・今、読者が『蟹工船』を買うだけでなく、実際読んでいるなら、自分たちの現状を、驚きをもって認識する手がかりであることを発見するはずです。そして、そこからあなたの他の作品に手を出し、人々が、団結のために葛藤する姿を見て欲しいのです。それは連帯への欲求に目覚めるために、です。かすかになってしまったこの欲求自体に息を吹き込むために、です。」と述べている。
著者が指摘するように、非正規雇用の増大、ワーキングプア層の拡大、そして経済恐慌の進展と同時にそれに先駆けて無慈悲に推し進められた派遣切り、こうした社会的経済的背景のもとに、昨年は小林多喜二著『蟹工船』が再評価され、書店の目立つ一角を占め、新潮文庫の『蟹工船・党生活者』が50万部以上のベストセラーとなり、流行語大賞の中にもあげられる事態となった。
この『蟹工船』は、全日本無産者芸術団体協議会の機関誌『戦旗』1929年の五月号、六月号に発表されたが、六月号は発売禁止となり、その後戦旗社から三つの単行本として刊行され、二つの版は発売禁止となり、直接配布によって総計3万5千部が売り尽くされたという。当時の状況下では異例のベストセラーであった。しかもこの作品中、十章の献上品の缶詰に「石ころでも入れておけ!」という文章で作者は召還され、1931年に不敬罪で追起訴を受けている。それにもかかわらず、同年八月の『読売新聞』紙上では、この作が1929年上半期の最大傑作として多くの文芸家から推薦されたという(角川文庫版の手塚英孝「作品解説」による)。さらにこの『蟹工船』はいち早く舞台化され、翻訳を通して世界に広がり、1933年までに中国語、ロシア語、英語に訳されたのである。
それが80年後の今日にブームとしてよみがえった。ノーマ・フィールド氏は、「ブームはつくられるものであると同時に起こるものである。意図的な働きかけと幅広い状況の出会いであり、偶然と必然の融合でもある。」と指摘している。まさにそのとおりであろう。氏は、「『私たちはいかに「蟹工船」を読んだか』に集められた2008年のエッセ-コンテストの入賞作に、ネットカフェ部門の23歳の男性の詩」の中程の二行
「足場を組んだ高層ビルは 冬の海と同じで 落ちたら助からない。
でも落ちていなくても もう死んだも同然の僕だ。」
を引用し、「ひとつのイメージで多喜二の作品と現在を見事に結び付けている。」と述べている。
雨宮処凛著『闘争ダイアリー』(集英社、2008年5月10日刊、1470円)でも、著者は「生まれで初めて『蟹工船』を読み、打ちのめされた。それと同時に、『蟹工船』の時代に逆戻りしていることをひしひしと惑じた。共通点はいくつもある。例えば、集団で貧しい人々が蟹工船に乗り、働かされる。出身は、函館の「貧民窟」や東北の農家。「斡旋屋」が絡み、働く人々は蟹工船に乗るまでの汽車代、そして毛布代や布団代などを取られ、蟹工船に乗る時点で既に借金を抱えている。・・・一方、現代のプレカリアートたちはどうか。「斡旋屋」ではなく、人材派遣会社は北海道や東北、沖縄などに多くの事業所を抱えている。どこも若年失業率が高く、最低賃金の安い地域だ。そこで「月収30万可能」などという誇大な求人広告をバラまき、入を集め、まるで人さらいのように群馬あたりのトレーニングセンターに連れていく。そこから全国の工場に「派遣」する。しかし、給料からは寮費や光熱費、そして布団やテレビやこたつやカーテンの「レンタル料」が差し引かれ、手元にはいくらも残らない。」「私たちは蟹工船に乗っている。知らないうちに」と述べている。
これは必然的な出会いであったとも言えよう。しかしこの出会いは、ノーマ・フィールド氏の言うように「人々が、団結のために葛藤する姿を見」、「連帯への欲求に目覚め」、「かすかになってしまったこの欲求自体に息を吹き込むために」、生かされねばならないであろう。
小林多喜二の時代の当時の共産党の社会ファシズム論や社会民主主義主要打撃論は、いまだに現在の共産党によって克服されたとは言い難い状況ではあるが、カミュが指摘するような地道で誠実な闘い、以前とは質的にも異なった幅広さと裾野の広い闘いこそが、今次恐慌の中で問われていると言えよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.376 2009年3月21日

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【投稿】オバマ政権「チェンジ」の放棄と麻生政権の混迷

【投稿】オバマ政権「チェンジ」の放棄と麻生政権の混迷

<<「対テロ戦争」の継続>>
 「今日から米国再生に取りかかる」。1/20、黒人として初めて米国大統領に就任したオバマ氏は、会場を埋め尽くし、期待を込めて見守る人々に向かってこう高らかに宣言した。しかし、その期待に反し、新大統領は「わが国は暴力と憎悪の広範囲におよぶネットワークと戦争中だ」と述べて、ブッシュ前政権がそうした事態をもたらした責任についてはなんら触れることなく、それを「チェンジ」することにも触れず、「暴力と憎悪の広範なネットワークに対する戦争を戦う」という表現で、引き続き「対テロ戦争」を続行させることを明らかにした。
 さらにオバマ氏は、「われわれは自分たちの生き方について謝ることはしないし、それを守ることに躊躇はしない。そして、テロや罪のない人々をあやめて目的を達しようとする者に断言しよう。今こそわれわれの精神はより堅固であり、打ち負かされることはない。われわれは勝利する」と断言し、「コンコード(独立戦争の激戦地)、ゲティズバーグ(南北戦争の激戦地)、ノルマンディー(第2次世界大戦で連合軍が上陸作戦を行った場所)、そしてケサン(ベトナム戦争の激戦地)のような場所で闘い、死んでいった人々のこと」を賞賛し、「今このときも、はるか遠くの砂漠や山岳地帯をパトロールしている勇敢な米国人」に感謝の念を捧げる。しかし、アメリカの独立戦争や反ファシズム戦争は肯定しえても、ケサンはベトナム人民のアメリカの帝国主義・植民地戦争に対する独立戦争の激戦地である。これは、こんな程度の歴史認識しか持たず、アメリカの負の歴史についてさえ何の反省も教訓をもいまだに見出していないオバマ氏の立ち位置を明らかにしている。
 こんな認識であればこそ、引き続き「対テロ戦争」を続行させ、「自分たちの生き方について謝ることはしない」のであろう。オバマ氏は、「我々は責任を持って、イラクをその国民たちにゆだね、アフガニスタンでは苦労して得た平和の構築を始める」とあいまいな表現で述べているが、対イラク戦争・対アフガン戦争を開始したブッシュ政権の責任については一切触れず、なおかつそのブッシュ政権の国防長官ロバート・ゲーツをはじめイラク・アフガン戦争泥沼化に責任ある軍上層部をそのまま新政権に引き継ぐという、政権交代時には前例がない、前政権の戦争政策はそのまま引き継ぐという意図を明確にしたのである。大統領選最中に表明していた、ブッシュの一方的強行路線から、国際協調と対話路線が、政権発足と共にあいまいにされ、就任演説でもぼやかされ、現実に、1万7000人規模のアフガン派兵増派を直ちに決定したことは、オバマ政権によってはこれまでの戦争政策が「チェンジ」されるものでないことを明らかにしたといえよう。
 オバマ大統領は、初のアフリカ系アメリカ人の大統領就任という極めて大きな歴史的意義をもっていることからすれば、オバマ氏こそがアメリカ社会から無視され、抑圧・差別されてきた人種や民族、性差、そして何よりも貧富の差について、これらを克服する社会的政治的意義を明確にし、「チェンジ」する意義をこそ鮮明にすべきであったといえよう。しかしオバマ氏は、そのことをあえて避けたのである。

<<「チェンジ」から「責任」へ>>
 オバマ氏は就任演説の冒頭で「われわれはいま危機の真っただ中にある。果てしない暴力と憎しみに対し戦争を続けている。一部の強欲で無責任な人々のせいだけでなく、皆が困難な道を選び次の世代に備えることができなかった結果、経済はひどく脆弱になってしまった。家を失い、仕事は減り、商売は行き詰まった。医療費は高過ぎ、学校制度は失敗している。われわれのエネルギーの使い方が、敵を強化し、私たちの星を脅かしているということが日々明らかになるばかりだ。」と嘆いている。
 しかし、この深刻な経済恐慌から脱出する最大の近道は、前政権の戦争政策を全面的に否定し、戦争経済から平和経済への転換を明確にすることである。この転換は、大統領選の最大のテーマであり、その点であいまいであったヒラリー候補をもかわすことができたオバマ勝利の最大の要因であったことからすれば、即刻可能であり、しかもそれが及ぼす積極的プラス効果はアメリカ国内のみならず、全世界に計り知れないほど大きい。そうした転換こそが、期待されていた「チェンジ」であり、対イラク・対アフガン戦争、好戦的愛国主義とそれに基づいた民主的諸権利の剥奪、社会的不平等と格差の前例のない拡大、ブッシュ政権時代の悪夢に終止符を打ち、市場原理主義がもたらした史上最悪の経済危機から脱出するオバマ政権の中心的課題でなければならなかった。
 しかしそうした「チェンジ」をオバマ氏は選択しなかった。「チェンジ」への期待を打ち砕いたのである。当然というべきか、就任当日のニューヨーク株式市場のダウ平均株価は8,000ドル以下に急落し、前週末比332.13ドルという暴落、歴代大統領の就任日としては史上最悪の下げ幅となった。
 そしてオバマ氏が「チェンジ」の代りに、政権発足のその日に提起したのが「責任」であった。オバマ氏は言う、「いま求められているのは、新たな責任の時代だ。不承不承ではなく、むしろ喜びをもって進んで責務を果たすことだ」と。そして金融破綻を含めた現在の危機を「私たち全員の失敗」と言い、「新たな責任の時代であり、国民一人一人が自分自身と米国、世界に義務を負うことを認識しなければならない」とまで言う。
 翌日のニューヨーク・タイムスとワシントン・ポストのトップ記事の見出し は、「新たな責任の時代」であった。ウォールストリート・ジャーナル紙は、「スピーチに込められたメッセージは、危機の原因をブッシュ政権やウォールストリートや、今日経済的な損失を被ったものを批判するだけでは充分ではなく、国民総体がそれに連座・共謀したということを受け入れなければならないということだ」とまで書いている。オバマ演説の本質があけすけに語られている。これは、ブッシュ政権やウォールストリートや富裕層やその政策遂行責任者を免罪した総懺悔論である。その典型が、ニューヨーク連邦銀総裁のティモシー・ガイトナーの財務長官への任命である。ガイトナー氏こそは、ブッシュ政権下での金融危機に、バーナンキFRB議長やポールソン前財務長官とともに重大な責任を追及さされるべき当の人物である。こんな人物を財務長官に昇進させたのである。逆に、その被害にあった当事者にまで責任を転嫁し、すべての国民に対して「不承不承ではなく、むしろ喜びをもって」これエから償ってもらうことを予告する「新たな責任の時代」の到来である。これは、これからも一層深刻化し、拡大するであろう金融危機、経済恐慌の原因を、わざわざ曖昧模糊たるものにして、その真の原因を隠蔽し、その責任者を救済し、さらに社会保障やセイフティネットなどの政府支出の削減と抑制を正当化することを宣言したようなものである。

<<クリントンの「成果」>>
 そして一方的に米政権に追随し、そのことによってよりいっそう危機を深めてきた日本の政治的経済的危機が、いよいよ混乱の極みに達してきている。
 麻生政権はもはや風前の灯となりながら、与党連合には泥舟から逃げ出そうとする政治的雪崩現象が起きている。日本の政局は、わが息子に議席を世襲するという前時代的選択しかできなかった、ブッシュに追随し、ブッシュに奉仕すること、その弱肉強食と自由競争原理主義を露骨に実践し、日本社会を一路破綻に導いてきただけの元首相が一言、現首相を批判しただけで、収拾がつかないくらいの混乱である。この深まる政治的経済的危機の被害を受けている庶民の目から見れば、まさに「怒るというより笑っちゃうくらい、ただただ、あきれている」のは、まさにこの発言をした小泉氏とそしてこれに受けて立つこともできない麻生氏、両氏に対して、自民公明連合政権に対してなのである。小泉氏の発言は、かんぽの宿売却問題をめぐる小泉・竹中・オリックス宮内連合の悪事が暴露され、徹底追求されることへの恐れと苛立ちからであることは明白である。これに差別的極右反動的発言をあえてすることに存在意義を見出してきた中川財務相のG7での泥酔記者会見が、さらに麻生首相を追い詰め、この思想的同志をかばい、ついにかばいきれなくなった顛末は、麻生による解散・総選挙を決定的に不可能なものにしてしまったといえよう。
 今や麻生内閣の支持率は、10%台どころか、ついに一桁の9・7%という世論調査まで現れている(日本テレビ、2/13~15調査)。
 この日本の政局の混乱のさなかにヒラリー・クリントン米国務長官が来日し、日本政府との間で、在沖縄米海兵隊のグアム「移転」に関する協定の署名を獲得したのであった。この協定で、米海兵隊のグアム「移転」に関して、日本側が経費の六割にあたる約61億ドルを拠出することを再確認し、同時に協定は、米政府がグアム「移転」に必要な措置を進めるには、沖縄の普天間基地に代わる新基地建設(同県名護市)で日本政府が具体的な進展を図ることが「条件」だとまで明記させている。これは、06年に日米両政府でまとめた「ロードマップ」を、急遽、協定にあえて「格上げ」したものであり、協定は国会の承認を必要としており、政府・与党は協定批准承認案を今国会に提出する方針である。それが今回急に浮上してきたのは、「衆院で三分の二の勢力があるうちに、条約と同レベルの拘束力を持つ二国間協定を結び、政権交代が実現しても、合意内容が変更されたり破棄されることがないよう縛りをきつくする」ものであることが明白である。沖縄県民の意思とかけ離れたこの協定は、さらに「移転」目的以外の使用は認めないと言いながら、実際にはグアムでの米軍基地増強のために、財政支出の対象が際限なく拡大する余地と危険性を内包したものである。
 2月18日付け沖縄タイムスの社説は「[グアム協定署名]むなしく響く負担軽減」と題して、「協定締結の動きが突然、表面化し、内容(全文)も知らされないまま、あっという間に協定が交わされ」、「グアム移転協定の中身は、県民生活に深くかかわり、県の将来を大きく左右する。県議会が昨年七月、「名護市辺野古沿岸域への新基地建設に反対する意見書」を賛成多数で可決したのは、問題の重大さを認識したからだが、県議会の意志は今回、一顧だにされなかった。」ことを糾弾している。
 さらにクリントン国務長官は、麻生政権の先行きに対する不安から、民主党の小沢一郎代表との会談を実現させ、小沢氏からは「私は日米同盟が大事であることを、ずっと以前から、最初から唱えてきた」との言質を取り、小沢氏は「国務長官と継続して話ができるよう、選挙で勝つ」と述べ、「政権交代」に強い意欲を示したという。
 小沢氏は、2/16に放送されたFMラジオの番組で、アフガニスタンへ米軍を増派するオバマ政権の方針について「いくら兵隊を派遣したって絶対に勝てない。ベトナム(戦争の経験)で分かってる」と述べ、疑問を呈し、日本のアフガン支援について「みんなが食べていけるように農地をつくり直して豊かにするのが一番だ。政権を託されたら、そういう貢献をする」と述べ、これまでの見解からすれば大いに評価できる意見を表明していたにもかかわらず、また、民主党は米軍普天間飛行場の県内移設に関する日米合意に反対しているにもかかわらず、いずれについても今回の会談では触れなかったという。内向けと外向けの使い分けなのであろうか、不信感を増幅させるだけである。小沢氏はこれまで「今日のアフガニスタンについては、私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したい」として、国際治安部隊への武力行使をともなう自衛隊の派兵を主張していたことからすれば、どのような整合性をとるのか、一向に不明である。こうしたことにも民主党の不明確さと不安定性が反映されており、与野党逆転、政界再編が迫っているだけに、与党ばかりか、野党混乱の要因ともなっていることを明確にし、何を「チェンジ」すべきなのか、政策的結集軸を明確にすべきであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.375 2009年2月28日

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