【書評】山本晴義著 『対話 現代アメリカの社会思想』

【書評】山本晴義著 『対話 現代アメリカの社会思想』
    (2003.10.30.発行、ミネルヴァ書房、2,800円+税)

 現在何事につけても話題に上がるアメリカについては、数多くの著作が現わされて、政治・経済・軍事・民衆等さまざまな側面が論じられている。しかしその中で、現代アメリカの社会思想に関する著作は、本書をもって嚆矢とする。本書は、これまでのアメリカ研究からスッポリと抜け落ちていた側面を照らし出す。この点に注目した著者の慧眼に敬意を表したい。

 さて本書は、現代アメリカの社会思想を第二次世界大戦から今日に至るまで包括的に記述する。章立てに従うならば、(Ⅰ)戦後「アメリカ・リベラリズム」の発展、(Ⅱ)六〇年代「アメリカ・リベラリズム」の崩壊とニューレフト、(Ⅲ)八〇年代アメリカ「新保守主義」の台頭、(Ⅳ)八〇年代アメリカの左翼–アメリカの「フランクフルト学派」、(Ⅴ)グローバリゼーションとポストコロニアリズム、と戦後アメリカがたどってきた道筋を追っていく。

 この道筋は、戦後直ぐの「アメリカ・リベラリズム」が六〇年代に崩壊し、ニューレフトの登場によって新しい局面が開かれるという第一の状況、これに対する保守化の反撃(「ニューライト」)の中で「新保守主義」(ネオコンサーヴァティズム)の進出という第二の状況、そして八〇年代以降グローバリゼーション下でのアメリカ「左翼」のさまざまな変革への試みという第三の状況、と大別して特徴づけられるであろう。この中で本書は、①権力に抵抗する勢力が、旧左翼から多様な諸集団の複数党派のネットワークへと拡大していること、②批判の立脚点が政治的領域から、カルチュラルスタディーズに見られるような、従来の問題提起の仕方そのものを見直すような深まりを持ち始めていることを指摘し、この視点を堅持する。すなわち本書は、現代アメリカの社会思想の検討を通じて社会変革への道を探ろうとする。

 第一の状況において本書は、戦後のオプティミスティックな「リベラリズム」–D.ベル、T.パーソンズ等–の崩壊、諸矛盾の顕在化の中で、公民権運動、黒人運動、ベトナム反戦運動等の多様な運動の爆発を、「旧左翼」に対する「異議申し立て」でもあったとする。その中ではW.ミルズの「多元的なラディカルデモクラシー」やH.マルクーゼの「美的エロス的要求」、あるいはラディカル・フェミニズム(「個人的なものは政治的なものである」)などが取り上げられる。そしてこの時代は、「世界システムにおける『国家』と『市民社会』との力関係が大きく転換し、国家の枠を超えて『社会』の多様な集団(黒人、青年、学生、女性等)がその場に姿をあらわしてきた」、「政治と言えば、もっぱら『国家』あるいは『階級闘争』をめぐる問題(『政治革命』)だと考えられていたのが、社会のさまざまな領域でのいわゆる『ライフスタイルの政治』(『社会革命』)が論じられるようになった」と評価する。

 第二の状況では、ラディカリズム、ニューレフト等の退廃的な現象もあいまって、人種問題から保守化の反撃、「ニューライト」の運動が起こる。政治区分で言えばレーガン大統領の時代に「新保守主義」(ネオコンサーヴァティズム)が台頭する。D.ベルは「『動揺するアメリカ』を解決する鍵を、失われた『プロティスタンティズムの倫理』にかわる『超越的な連帯感』、『公共の哲学』に求め、「自律的な人間」の形成のために「『聖なるもの』の感覚、『宗教の核心となる、何か超越的なものの感覚』を追及すること」を主張するに至る。

 そして第三の状況では、ホルクハイマー、アドルノ、ハーバーマス等フランクフルト学派の思想が精力的に吸収されたこと、また他方では、フーコーやデリダ等の「ポスト・モダニズム」もアメリカ思想界を風靡したという経緯が指摘される。そして本書は、これらのうちでハーバーマスの「生活世界をシステムの植民地化から解放するために、言語コミュニケーションによる、生活・生命の論理」にもとづく「異議申し立て」を評価する。しかし同時に彼が「1968年を境に展開した(中略)ヨーロッパの『近代』に対する知的確信が揺らぐ中で、あくまでも『未完のプロジェクト』としての『近代』を擁護し、未完の啓蒙のプロジェクトを継承しようとする」、すなわち「終始、西欧近代世界の内部、『西洋中心主義』を出ない」姿勢を保持していることを批判する。

 そしてこれに対して、「真の思考は・・・思考自身に抵抗しつつ思考しなければならない」と「否定弁証法」によって「非同一的なもの(他者)」の存在を主張するアドルノ、「ロゴスを基準の中心にしない思惟の可能性を説き、理性を、理性とは別のもの、『理性の他者』との関係のうちで、脱中心化」、「脱構築」、「差延」(ずらす)ことを主張するデリダ、「常識的な思想史、つまり知の連続的、同一性の歴史ではなく、『知の考古学(アルケオロジー)』」、「非連続的で断層をふくんだ知の『歴史』を説くフーコーの主張の持つ意味に注目する。そしてこの展開の中で、「ハーバーマスの視点とアドルノやフーコー、デリダの視点を緊張した統一と考える必要がある」ことを強調する。

 この意味で本書では、近代ヨーロッパ社会を国民国家単位のパラダイムではなく、「世界経済システム」として–「中核諸国家」と「周辺地域」およびその中間の「半周辺の地域」に分かれた一つの有機体として見るウォーラースティンが評価される。つまり「経済発展(中核)と低開発(周辺)は同じコインの背中合わせの両面」(ウォーラースティン)であり、相互に関連しつつ同時に進行するとされる。「だから周辺における労働形態は、古代や封建制の残存ではなく、中核部の賃金と同様、資本主義世界システムにおける労働の一形態」なのである。

 この「『周辺』の視点から『非同一的なもの(他者)』をも包摂していこうとする」ウォーラースティンの視点は、八〇年代から九〇年台にかけてのグローバリゼーションの拡大、ポストココロニアリズムの発展の中で、サイードとスピヴァクの特徴的な思想としてあらわれる。

 サイードは、『オリエンタリズム』において、「歴史的にヨーロッパ(西洋)はオリエント(東洋)を自己とは正反対の他者として措定し、世界をヨーロッパ対オリエントという二項対立によって、自己のアイデンティティを獲得しつづけてきた」として、オリエンタリズムを「オリエントに対するヨーロッパの支配の様式」(サイード)と批判する。しかもそれは、「東洋を生産し再構成するフーコー的ディスクール(言説、話し方)」として存在し、「ディシプリン(規律=訓練)」によって自発的に服従する主体へと仕立て上げられるとされる(「オリエントのオリエント化」)。ここからサイードは、「現在、巨大なグローバリズムの支配の下で、不幸な西洋人と非西洋人がもつ『共通体験』、『重なり合う領域』、『からまりあう歴史』において、西洋と東洋との二項対立を解体する新たな可能性を探ろうとする。

 またスピヴァクは、『サバルタンは語ることができるか』において、サバルタン(「従属的な社会集団」あるいは「下層の人々」–A.グラムシが最初に使用した概念)の声がどのように聞き取られているかという「語る側と聞く側の相互関係」、「知識人主体のあり方」を問題にする。すなわち「問われなければならないのは、自民族中心主義的な主体があるひとつの他者を選択的に定義することで自己を確立してしまうのを避けるためにはどうすればよいか」(スピヴァク)と提起する。

 かくして現代世界のグローバリゼーションに対抗して、「『周辺』、ポストコロニアリズムの視点を包摂して、地域、国家、人種、性差、文化を超えて発展している、『集団的にして個人的』な、多様な運動、『アソシエーション革命』を推し進めていくことが最優先の課題となり、そして『それはマルクスが言う『国家の社会への再吸収』の過程であり、社会主義の世界システムへの過程』となると本書は結論づける。

 このように本書は、現代アメリカの社会思想が、社会変革への道につながっており、拡大深化していることを確信する。もちろんこれに対しての国家権力側からの抑圧の形態の変化やあるいは社会的変化の諸問題(例えば、効率性、計算・予測可能性、管理強化を特徴とする、いわゆる「マクドナルド化された社会」等)についても、今後さらに検討されるべき課題は残されている。しかし本書が提起した視点は、アメリカ社会の考察についての一つの大きな基礎を与えた画期的なものと言えるであろう。過去の総括とともに未来への展望を備えた著者畢生の労作が、多くの読者に向かえられて、運動の糧とならんことを。(R)

 【出典】 アサート No.313 2003年12月20日

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【投稿】早くも公約修正!公明党

【投稿】早くも公約修正!公明党

先の総選挙は久しぶりに面白い選挙でした。達成時期や財源を明記するマニフェストによって従来の選挙戦のイメージが大幅に変わり、有権者が各党の公約をチェックする政治風土ができるきっかけになったと思います。と思っていたらなんでしょうか公明党は。「基礎年金国庫負担引上げ財源を所得税の定率減税の廃止で確保する」という公約を早くも降ろそうとしています。定率減税廃止の是非は議論のあるところですが、せっかく有権者が注目したマニフェストの公約を選挙後ひと月もたたないうちに撤回してしまうとは。これじゃせっかく有権者の関心を集めたマニフェストもやっぱり今までの無責任な公約(ウイッシュリスト)と同じじゃないかと思われてしまいます。だいたい公明党なんて選挙前から絶対少数政党であることが確定してるんだから、マニフェストを出すこと自体おこがましい気がするなあ。もし出すとしたら「何々をいつまでに実現することを約束します」と書かずに「何々をいつまでに実現するために自民党と協議することを約束します」と言うべきだ!これじゃなんだかわからないけど。(近森麻人)

 【出典】 アサート No.313 2003年12月20日

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【投稿】「小泉・安倍効果」なしの選挙結果

【投稿】「小泉・安倍効果」なしの選挙結果

<<まさかの議席減>>
 小泉・安倍コンビの二枚看板で自民党単独過半数獲得・圧勝というシナリオはもろくも崩れ去った。投票日1週間前の11/3に、大手4紙が発表した世論調査では、自民党は地方の小選挙区で民主党を圧倒、都市部でも善戦し、いずれも「自民圧勝の勢い」といった活字が踊り、自民党は単独過半数(241)どころか、常任委員長ポストを独占できる安定多数(252議席)も上回り、全委員会で過半数を握る絶対安定多数(269議席)の可能性さえあると報じていたのである。ところが結果は、自民237(-10)、民主177(+40)、公明34(+3)、共産9(-11)、社民6(-12)、保守新4(-5)、無所属の会1(-4)、その他12(+4)、と自民党が大きく議席を減らし、民主党に予想外の躍進をもたらした。自信満々、単独過半数を確信していた小泉首相にとっては「まさかの議席減」である。「小泉効果」も「安倍効果」もその相乗効果もなかったのである。海外からも「一般の人々は自民党の伝統的なばらまき政治を拒み始め、小泉首相を見限りだした」(11/9 ウォールストリート・ジャーナル電子版)とか、「財政再建や不良債権処理の遅れに対する国民の不満の高まり」(ワシントン・ポスト電子版)などと分析されている。
 各紙が事前の世論調査分析で見落としていたことは、同じそれぞれの調査の中で小泉内閣の支持率が1ヶ月余りの間に12~16%も下落し、47%台に落ち込んでいたことである。この時点ですでに、選挙目当ての小泉内閣のパフォーマンスと無責任な政治姿勢に「ノー」が突き付けられていたといえよう。にもかかわらず各紙が「自民圧勝」を予測したのは、創価学会・公明票のほとんどが自民候補に流れ、自民を大きく下支えすると見たからである。
 事実、公明党は小選挙区には10人しか候補者を擁立せず、他の選挙区では198名の自民党候補を推薦・支援し、そのうち当選者は156名に上っている。公明党の推薦を得た自民の小選挙区候補の勝率は67%という高さである。まさに創価学会・公明票が小泉自民党の死命を制し、命脈を保たせたといえよう。そして、公明党推薦を受けた自民候補者は「比例区は公明党」と支持者に要請した結果、公明党は比例代表で873万(前回776万)票、10選挙区で9議席を確保し、この選挙協力によって議席を3伸ばして、34議席とした。

<<二枚看板、無党派層とらえず>>
 しかしそれでも各紙の出口調査によれば、自民党候補に投票した公明支持層は6割にとどまっている。民主党でも「比例区は公明党」と動いた候補者も存在する。問題はこうした権力維持と打算にもとづいた選挙協力は、広範囲な支持を得ることが出来ず、内輪の裏取引レベルで画策され、組織的締め付けが可能な範囲でしか動作せず、したがって投票率が低ければ低いほど効果を発揮するという宿命を背負っていることである。創価学会・公明党の集票力は全国で800万票あまり、各小選挙区には平均2万5000票あるといわれるが、全有権者からすればしれたものであり、その全てに統制などきくものではない。その意味では、今回の投票率が、これまた事前の予想を外れて、結局59.86%(小選挙区)で確定し、戦後2番目の低さになってしまったことは、事前の世論調査が全て自民圧勝を予想し、その分諦めと棄権層を増大させ、結果として政治不信の大きさをあらためて示したものであったが、逆にそのことが自民・公明にとっては幸いだったと言えよう。しかしそれは薄氷の不安定な勝利でしかない。
 朝日新聞・出口調査によれば、選挙戦の死命を制する無党派層は、比例区では、都市部だけではなく、町村でも半数が民主党に投票し、自民党の倍以上であり、無党派層全体では、小選挙区で51%が民主候補に投票した。東京23区と政令指定都市で58%、その他の市部では51%が民主党に投票し、さらに町村でも41%と、自民党の32%を大きく上回った。 比例区ではその傾向がさらに顕著に表れ、東京23区と指定市、その他の都市で民主党が5割を超えた。前回の総選挙と比べてみても、大都市40%→59%、一般都市37%→56%、町村32%→50%と著しい伸び。同出口調査は、「逆に、自民党への投票率はさほど伸びず、小泉首相・安倍晋三幹事長の二枚看板は、無党派層の心はとらえなかったようだ。」と結論付けている。このことは、数%の投票率上昇で事態は逆転へと大きく変わっていたことを示していると言えよう。

<<『公明自民党』>>
 このような選挙結果は、「改革」の二枚看板をもってしても回復し得ないほど、そして公明・学会票に全面的に依存しなければ維持できないほどに、既存の自民党の支持基盤が崩壊しつつあることをも示していると言えよう。このことは、もはや”選挙の顔”としてあまり役に立たなくなってきた小泉首相にとっては、権力維持の基盤が崩れ出したことを意味しており、公明・学会依存が明瞭となった小泉政権の今後の迷走を暗示している。自民単独過半数を確保すれば、公明の要求を無視しても突っ走れると踏んでいた小泉首相にとっては致命傷である。
 同じことが公明党にとっても言えよう。公明党の立党の理念であったはずの「清潔、福祉、平和」は、今や自公協力によって完全に色あせ、自民党の利権政治やブッシュ追随政策の弁護に追われ、政策の一貫性が失われ、自民党の補完勢力でしかなくなりつつあることが、ますます自己矛盾を拡大させ、支持基盤との乖離を深めるものでしかない。保守新党も解党して自民党に合流した現在では、媒介政党がなく、露骨な自民・公明の一体政権となることによって、もはやそこから逃れるすべが極めて限定されてしまったのである。キャスチングボートを握ったと有頂天になってはいても、都合よく利用され、食い物にされ、結局は一体化されてしまうという自己呪縛である。この事態を、民主党の菅直人代表は「今回の選挙で公明党は自民党を国会運営、選挙と二重にコントロールするようになる。事実上の『公明自民党』になったのではないか」と述べている。
 一方、これに対抗する野党陣営は、反自民・反与党の協力態勢は非常に限られており、民主、社民、共産が競合する選挙区が62もあったことに象徴的である。その多くは野党統一候補であれば、与党候補を打ち破れていたものである。共産党は全小選挙区に候補者を出して与党側を大いに喜ばせ、結果は11減って9議席への激減である。民主党は今回、16選挙区で社民党候補を推薦したが、その社民党は、選挙前の3分の1の6議席への転落である。今回はとりわけ土井党首への攻撃が目に余る形で行われ、公営掲示板の選挙ポスターは、目と口を焼かれる、ポスターごと破られる、拉致被害者の有本恵子さんの写真が貼り付けられる、「土井たか子の首をとれ」という「日本を救う会」の大量の動員者によるキャンペーンが繰り広げられ、「首を取れ」というステッカーが貼られるという異常なネガティブキャンペーンが繰り広げられたと言う。唯一の救いと言えるのは、民主支持層の80%が社民党候補に投票した沖縄2区だけであった。

<<「退屈な2党支配」>>
 問題は躍進を果たした民主党である。確かに民主党は、旧自由党との合併効果により、少なくとも前回29選挙区で共倒れに終わった事態を克服し、単なる足し算以上の成果を上げたと言えよう。それでも無党派層の多くを獲得し、「地すべり的」な勝利によって政権交代を実現するという狙いは果たせなかった。未だ政治的に未成熟であると言えばそれまでであるが、反自民・反与党の政策的対決点がいまだ不明瞭であり、選択を迫れるほどの相違を浮かび上がらせることが出来なかったと言えよう。終盤、自衛隊のイラク派兵反対、高速道路無料化は多いに論議を盛り上げあげたが、各候補者はばらばら、おずおずであったことに象徴的である。
 それでも小選挙区、比例区双方で民主党に投票した人の64%が「所属政党の政策・公約」を挙げ、マニフェスト(政権公約)を重視している有権者が多かったことが出口調査で示されている。しかしそのマニフェスト、いかにも拙速であり、違いも不明瞭、党内合意も不十分、練り上げられていない、等々多くの課題を残している。
 米誌ニューズウィークの最近号の指摘に面白いものがある。「新・民主党の結成で話題にのぼることが多いが「退屈な2党支配」になっては元も子もない」として、「日本は、アメリカより優れた二大政党制を手にできるのか。今のところ見通しは明るくない。自民党と民主党の「マニフェスト(政権公約)」は、政党の名前がなければ、ほとんど区別がつかない。これではアメリカと変わらない。二大政党にこだわることはない。大きな政党が三つ以上あっても、二大政党制と同程度、あるいはそれ以上にうまく機能する可能性はある。それぞれが違う政策を示し、利益が一致したら連立政権を組めばいい。さて、はさみを用意しよう。自民党と民主党からネオコン(新保守主義者)とタカ派を切り離し、「強国党」にほうり込む。両党のリベラル派も取り出して、社民党とまとめて「生活党」をつくる。」(デーナ・ルイス「2大政党制だってバラ色じゃない 」ニューズウィーク日本版2003年11月12日号)というものである。いずれそのような政界再編が必要とされることを今回の選挙は示したのであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.312 2003年11月22日

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【投稿】「再編と改革」が進む東京都立病院

【投稿】「再編と改革」が進む東京都立病院

 2001年4月独立行政法人制度が導入され、国立病院の法人化も決定されている。
 東京都では石原知事の提唱のもと、病院経営本部は「都立病院改革実行プログラム」(H15年1月)を出し「365日24時間の安全・安心と患者中心の医療」を目指して「東京発医療改革」を推進している。

  すでにこれまでに
 1、「東京ER・墨東、広尾、府中」の開設
 2、「都立病院の患者権利章典」の制定
 3、カルテ開示開始
 4、母子保健院の閉鎖
 を行っており、いっそうのコスト削減など経営改善を実施し、さらに15の都立病院の再編整備と「医療サービスの向上」を進める予定である。
 本当に患者中心の医療は実現するのか、本稿では、都立精神病院について考察する。
 都の精神医療を代表するM病院では、病床削減が進んでいる。平成20年までに1160床から890床へ削減の予定で、今年度すでに約60床が削減されているが、そのほとんどが転院と思われる。
 「日本全国で35万人といわれる社会的入院患者の7万2000人を地域に返す」という厚生労働省の指針に合致させていると思われるが、ほとんどが地域に帰る退院でなく転院であることは今後に大きな問題をはらんでいる。

<精神科救急の現状は>
 『脱入院化』を進めるには、精神科救急医療体制を整備し『365日24時間の安心』を用意しておかなければない。
 2003年10月精神科救急学会で発表された「東京都精神科救急医療体制の実績(2002年9月からの7ヵ月間の実績)をみると『電話相談 3387件、24条警察通報(自傷他害の恐れありとして110番通報して病院に連れて行くこと) 2347件、2次救急 146件、身体合併症救急15件』となっている。電話相談の数の多さと実際に受診161件(146+15)のギャップの大きさと警察ルートの多さ2347件が目立つ。この数字からは「なぜ、警察のお世話にならないと治療が受けられないのか」と素朴な疑問がわく。精神病者は『犯罪と同じルート』でよいという考えがあるとしたら「差別」そのものであり、医療を受ける権利が等しく保障されるように東京都の精神科救急体制そのものを再構築すべきである。
 さらに、退院して地域で生活して行く上で外来通院時・また退院時に十分な服薬指導が不可欠である。現状で何%の各患者が十分な指導を受けているか調査が必要だ。
 つぎに「怖くない精神病院」を実現すること。何をされるかわからない精神病院でなく、本人が嫌なことは拒否できるよう「説明と同意」を真摯に追求すべきである。
 これまでは「精神耗弱、混迷状態で話してもわからない」と患者の了解なしの電気ショック療法が日常茶飯事におこなわれていたのではなかっただろうか。患者中心の医療が言われるようになった現在でも、家族が承諾書へ署名することで無制限に医師に電気ショック療法の実施が委任される。気がついたら「記憶を失う」など侵襲的な治療をされた後だったということも起きているのではないだろうか。
 さらに「一度入院すると鉄格子と鍵のかかった病室から生きてニ度と出られない」と思われている精神病院では、患者は気安く受診できない。また家族もよほど悪くならない限り本人が嫌がる病院に連れていけない。そして本当に『精神症状も、身体症状もすごく容態が悪化してから、それも24条警察通報として医療機関に連れて行かれる』そんな状況が読み取れる。患者からみれば「信頼できる医療」とは程遠い。
 大切なのは「早期に直して退院させる」との医療側の明確な意思とその実行である。
 つぎに任意入院の患者は原則、開放病棟で処遇し退院の自由を保障すること。
 最後に、上記のさまざまを保障するために「患者の権利を擁護する代弁者の制度」の創設が不可欠だと考える。軽症のうちに受診でき、短期の入院治療と在宅医療、24時間救急
受け入れが可能になってはじめて脱入院化政策は有意義なものとなるであろう。
 身体的な病状で救急病院に行っても「精神科の通院歴がある人は精神病院へ行きなさい」と診療拒否され、死んでしまった例が先の学会でも報告されている。
 また、開かれた精神病院をめざしてユーザーと医療者の話し合いの場を労働組合が主催し、13回を重ねている「ご近所フォーラム」という会でも、参加者から不幸な結果になった診療拒否の例が何度か報告されている。
 
 <管理当直;32時間拘束の危険性>
 看護師は3交代(8時間拘束)であるが、薬剤師、検査技師、放射線技師と医師の労働条件は、「管理当直」という32時間連続勤務である。2日間の昼勤務と中の一夜間の勤務となり、翌日朝の9時にも帰れず「代休」といわれる休みもない。
 これは、労働基準法や男女共同参画社会の実現の配慮とは程遠い現状である。乳・幼児の世話、老病の親の介護など、家庭での役割はまったく無視されている。労基法の「人たるに値する生活を営むために必要をみたすべき」という理念は「人として家庭で果たす役割も大切」と私は考えるが間違っているのだろうか。
 『管理当直」では、朝の9時から翌日の夕方17:45分まで勤務しなければならない。人の命をあずかる緊張と正確で適切な判断が要求される。夜間でも仕事ができる状態で待機していて呼ばれれば眠らずに仕事をする、「明け」と言われる代休すらない。次の日はまた朝9時から夕方まで勤務しなければならない。「昼過ぎには眠くてたまらない、無意識に仕事はできるがハッとすることがしょっちゅうある」と管理当直経験者は異口同音にいう。
 組合も勤務条件の改善のために再三申し入れをおこなっているが、東京都は無視しつづけている。そのつけは、労働者が病気になったり、過労死したり、子供の世話や親の介護の必要から退職を余儀無くされたり、さらには医療事故となってあらわれる可能性も否定できない。
 「公務員の人件費削減」「給与削減など公務員攻撃」は不況から失業が増えている世間には受けがいいのかもしれない。しかし税金を何に使うことが本当に必要なのか?何時間も眠っていない医師や医療従事者の医療行為を受けなければならない状況が望ましいのか?
 1日も早く本当に患者中心の精神科医療が実現することを望むものである。(E.T)

 【出典】 アサート No.312 2003年11月22日

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【追悼】労働運動に生涯を貫いた人  —原全五さんを偲んで—

【追悼】労働運動に生涯を貫いた人  —原全五さんを偲んで—
                               巣張 秀夫

<写真は、ありし日の原全五さん(89歳の頃自宅にて>

                  
 「原さん」「全さん」と誰からも親しまれていた戦前からの闘士、原全五さんが2003年7月17日の朝、肺炎のため亡くなられた。享年91才でした。
 原さんは、1912年(明治45年)鹿児島県種ケ島で生まれ、17才の時に大阪にきて、鶴橋付近の鉄工所で見習工となり、1932年3月大阪砲兵工廠に旋盤工として入社された。
 原さんに影響を与えたのは郷土の先輩である山田六左ヱ門(通称・山六)さん、大阪で原さんは、当時すでに全協・金属労組で非合法活動をしていた山六さんからいろいろ話を聞かされ、入社翌月の四月に大胆にも仲間二人と三人で、全協・日本金属労働組合大阪支部砲兵工廠分会を結成、五月には共産党に入党されている。
 以来、1933年、35年、38年と三回も検挙、投獄され、38年の検挙で懲役七年の刑を宣告され、敗戦の年1945年9月に刑期満了で堺の大阪刑務所を出獄されたのである。
 原さんは、この当時のことについて「バリさん、わしは偽装転向でもよい、なんとかして刑務所を出て、戦線に復帰して労働者階級の闘いを前進させることが、一番大事なことだと考えてやってきたんや」と言われていたが、私はこの考えに賛成でした。
 原さんが92年4月に発行された「種ヶ島から来た男=一旋盤工の手記」91頁に「検挙されるということは、捕虜にされることで、その捕虜の任務は、あらゆる手練手管を弄して、一刻も早く敵の手中からのがれて戦線に復帰することであり、囚われの身で大言することではないと思う。しかし、そうはいっても多分それは転向者の弁解にもなるが、にもかかわらず、今もこの考えは変わらない」と書かれている。
 
 原さんの戦後の運動は、西成区今池町にあった日本共産党大阪府委員会に行き、再入党をしてはじまった。
 南大阪地区委員会の常任、翌年には地区委員長として、木津川筋の大和製鋼、浅野セメント、国光製鎖、日本鋳鋼をはじめ多くの工場に細胞が確立されていったが、この中でも原さんが百三十名の大和製鋼で七十名の共産党細胞を組織されたことは有名であった。
 1949年4月、西川彦義氏の紹介で産別会議・全日本金属労働組合中央支部の書記局員となり、8月には大金属関西地方協議会担当オルグとなって、再び大阪を中心に活動されることになった。
 関西地協には、小西節治、小森春雄のすぐれたオルグがいて、原さんを加えてこの三人は、川崎造船泉州工場の閉鎖反対、舞鶴造船の首切り反対、木南車輌の閉鎖反対や大谷重工業の年末闘争にからむ、会社側のロックアウト攻撃との闘いをはじめ、数多くの闘争を指導し関西地方の労働運動に大きな影響を与えた。
 原さんの著作、1981年二月発行の「大阪の工場街から=私の労働運動史」152頁に「私と小西・小森の三人組の活動は、私にとって生涯を通じてもっとも充実した活動の時期であった。」と書かれていますが、この当時のことをよく話されていた。
 1950年、占領軍による共産党弾圧、レッド・パージ攻撃などで産別会議が崩壊したため、原さんは再び党中心の活動をされることになった。
 50年の共産党の分裂では国際派で活躍、55年共産党が第六回全国協議会(六全協)で自己批判したので、党に復帰した原さんは北大阪地区委員会の責任者となり、そして58年7月の共産党第七回大会では中央委員候補となられたが、61年の綱領論争では、綱領草案に反対する春日庄次郎氏ら七人の中央委員、同候補とともに「離党宣言」を出して党を離れられることになる。
 以降、原さんの活動は「前衛党を再建」するために奮闘されることになる。
 社会主義革新会議ー統一社会主義同盟ーそして、志賀義雄、春日庄次郎、内藤知周らと共産主義労働者党の結成に努力するが、これも失敗に怒りーその後、内藤、内野、長谷川浩、松江澄らと労働者党を結成するとともに大阪労働運動研究所を創立するなど、一貫して労働者解放、労働者の幸福をめざして闘いつづけられたのである。
 
 私と原さんの出会いは、大金属関西地協に来られた時ですから、五〇年以上のお付き合いになりました。原さんで思い出すのは、(1)若い人に希望を持たれていたこと。いろんなグループの会合に参加してきては、あそこには素晴らしい青年があるぞッと言っては喜ばれていた。(2)労働運動の現状についての理解が早かったこと。労働戦線統一についてなど、左派の皆さんの批判が強かったが、原さんはこれらの人々の説得に当たって下さった。(3)ソ連の崩壊についても、早くから教えてくれたのも原さんでした。
 原さんと一緒に活動された今は亡き小森春雄さんは、原さんについて「柔軟な思考、豊かな戦術、批判力にすぐれ、物事を計画し人を動かすことにかけては実にすぐれた人であった。」と言われていたが、原さんは面倒見のよい心の温かな人でもありました。
( 巣張 秀夫)

 【出典】 アサート No.312 2003年11月22日

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【書評】『生・老・病・死を考える15章–実践・臨床人間学』

【書評】『生・老・病・死を考える15章–実践・臨床人間学』
 (庄司進一、朝日新聞社・朝日選書、2003.6.25.発行、1300円+税)

 「あなたは八三歳の老人」「代理母制度を認めますか?」「安楽死を認めますか?」「人工呼吸器をつけて生きる」「白血病の長女のため第二子を産む」等々。本書は、これら生老病死にかかわる「臨床人間学」(筑波大学)の講義録である。「その目標は、生老病死に関する具体的な場面をとおして、人間、個々人の人生の意義や生きがいについて考える機会をもつことにあります。すなわち、生や死の問題を『だれかの』という三人称ではなく、一人称の問題として考えること」にある。本書で取り上げられているテーマは、それぞれ重い。しかしこれらのテーマについて他者の意見、価値観の違いに気づくことで、自らの「生きる」ことの意味を考え直すことにつながる。
 講義では、テーマの提示→情報の提供→小人数での自由討論→概要の報告・全体討論→教官個人の意見の発表、という順序で進められる。すなわち、ここでは二人の教官(「臨床人間学」担当の著者と、これに協力する「臨床看護学」の教官・女性)も、自分の意見を述べる一人の人間として位置づけられているのであり、扱う問題の難しさと絡まって、これを見る視点そのものがまた論議されることになる。
 一例をあげよう。「脳死になったわが子の臓器提供」の講義では、「あなたの二歳の子どもが脳死状態になってしまったとき、親として移植のための臓器提供に同意するか?」がテーマとして取り上げられる。現行のわが国の臓器移植システムという制限(15歳以下の者を対象外とする)があるものの、このテーマについては、次のようなものとなった。
 そこでの諸条件–子どもの臓器の提供で何十人というレシピエントが助かる可能性、しかし臓器移植によって子どもの死期を早めてしまうという現実、そして脳死から心臓死に至る短いプロセスで臓器移植の決断を迫られるという状況等々–を考えて、選択肢が二つ提示される。すなわち①「まずは、積極的に臓器移植を行うという選択」、②「もう一つは、臓器移植を拒否し、治療をそのまま続けて、何日間かあとには亡くなりますが、見守り続ける」という選択である。そして②の場合でも、心臓死の後に提供できる臓器(腎臓や角膜など)もあること、また①の場合にも、どこまで提供するかについてさまざまなパターンがあることが指摘される。
 学生による小人数での討論でも意見が分かれ、その中で、脳死をどう見るかについての、日本の文化・死生観にかかわっての解釈、15歳未満の臓器移植を認めるか否か、人工呼吸器をつけられて生きていることの是非等が出される。そして最後に著者と協力教官の意見が示されるのが印象的である。
 著者は、自分の子どもが成人しているのでその意見に従うと言いつつも、「しかし、もし彼女が二歳のときにこういう状態になったとしたならば、積極的な臓器の移植を決定すことはできない(中略)、二年間、彼女と過ごしたことの思いでと分かれていく、その人の死の準備をするのは、一~二日という日数はやっぱりちょっと短かすぎると思います」と述べる。
 これに対して協力教官は、「私はこれまで、どうしても助けてあげられない小さな子どもを抱えたご両親の姿を見てきました。病気の子どものご両親の身近にいて看護をしておりますと、その気持が痛いほど伝わってきます。なにもしてあげられなかった無念の経験が自分のなかにある現在は、できるだけ積極的に移植をしたいと思います。自分の夫にも賛成してほしいと思います」と述べる。
 このようにテーマについての正解はなく、各人がそれぞれの視点から自分の意見を、他と比べながら考えていくきっかけを得ることが最大の収穫とされる。こうして、「無脳児の臓器提供」問題が、「出生前診断」問題が、「アルツハイマー病」問題が議論される。
 本書ではそれぞれのテーマに割くスペースが限られているので、必ずしも充分な議論がなされていない個所もあるが、しかし随所に、ハッとさせられる死生観、人間観が見られる。
 「安楽死」について:「私は絶対に安楽死をしないと思います。(中略)自分に与えられた命をまっとうすること、それには苦しみや辛さも喜びや悲しみも含まれている、それらすべてを味わいつくすことが生きていくことと思っています」(著者)。
 「出生前診断」について:「自分としては、ひどいと思うけど、障害をもった子どもをちゃんと育てる自信もないし、受け入れられないと思っています。最初の診断もちょっと怖いと思うんですけど、でも、産んだからには頑張って育てようと思っています。自分のお祖母ちゃんが、『そういう子は育てられる親のところにしか産まれてこないよ』といっていました。親戚に障害をもった子どもがいますが、私もそういうふうに考えられるようになったらいいなって思っています」(学生)。
 同上について:「また、前任地の病院で、子どもたちが病院のボランティアとしてやってきましたが、そのとき、六年生の男の子が書いたレポートに、『ボランティアは人のためにするものだと思っていた。でも本当は自分のためにするということが今日わかった』と書いてありました。かれは、障害をもっている方の車椅子を押しながら、ふと『あれ、俺ってこんなに優しい気持をもっていたんだ』ということに気がついたというのです。すごくうれしかったし、感動しました」(協力教官)。
 このように本書を通じて、学生たちの、また教官~学生間の真摯な議論が伝わってくるが、これが、医療現場のみならず、ごく日常の社会一般の意識として広がっていく社会が形成されていくことを期待したい。本書はそのための考える機会を与えてくれる書であり、われわれに新たな視点を与え、勇気づけてくれる書である。(R)

 【出典】 アサート No.312 2003年11月22日

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【投稿】 総選挙を終えて–若干の感想–

【投稿】 総選挙を終えて–若干の感想–

 11月9日行われた総選挙の結果について、いくつか指摘しておきたい。

<本格的な小選挙区選挙になった>
 まず、小選挙区比例代表併用制という選挙制度になって3回目の総選挙であったが、私が思うに今回選挙の最大の特徴こそ小選挙区制度の特徴が如実に現れた選挙となった点である。 
 96年の総選挙では選挙直前に結成された旧々民主党は全国300小選挙区に半数に満たない143名しか立候補できなかった。近畿では2府4県47選挙区に21名が民主党から立候補したが、小選挙区での当選は0、比例区でやっと5名当選したのみであり、全体でも52議席であった。
 2000年の総選挙で民主党は近畿のほぼ全部の小選挙区で立候補者を確保し、全国で小選挙区80(+32)、比例区で47(±0)となった。この時、小選挙区で躍進しながら比例区では、まだまだ自民党に水を空けられていた。(自民対民主の比例区得票率は、96年32.8対16.1、2000年28.3対25.2、今回は、35.0対37.2で逆転している)
 今回の総選挙では、小選挙区で267名が立候補し、小選挙区105、比例区で72が当選、いずれも躍進した。但し明らかに11のブロック比例区で違いが見られ、北海道と都市部と言われる東京、南関東、東海、近畿で自民党を越え、北関東、北陸で自民と互角。その他では自民に負けている。比例区の全国集計では、自民を逆転し自民69に対して72議席を確保した。
 社民党候補を推薦した選挙区も加えるとほぼ300選挙区に民主党が立候補させたことにより、この制度の本来の舞台が出来上がった。その上で政権選択選挙となったわけである。民主党が「マニュフェスト」と言う形で、政権公約を突きつけたことも自民党内の不一致を際立たせて国民の支持を得たようだ。
 さらに、小選挙区で100を越える当選者を確保できると比例区でも連動して多くの当選者を出すことができたのである。次の総選挙はいつのことかわからないが、政権の内紛や政治責任などで早まることも予想される。しかし自民党の弱体化が続いている現状では、3年ぐらい先だろう。そうなると小選挙区で破れたが、比例区で当選した議員の場合、選挙区にあっては国会議員として支持を広げる活動ができるので、次回は小選挙区での当選する確率も一層高まる。次回は政権選択選挙の性格が一層強まるのである。
 
<小政党(?)の不振>
 小選挙区選挙は、大きい政党に有利であり、小さい政党でも議席を確保できるように比例代表制を併用するというのがこの制度の趣旨であった。
 しかし、今回の総選挙の特徴としての、共産党、社民党の大幅な後退があった。これに関連して、「さざなみ通信」の掲示板には、面白い投稿を見つけた。
「Ⅰ.(当選した自民党候補の得票)≦(次点の民主党候補の得票)+(落選した共産党候補の得票)となった小選挙区が北海道や東京や大阪などを中心になんと42区、
Ⅱ.(当選した自民党候補の得票)≦(次点の社民党候補の得票)+(落選した共産党候補の得票)となった小選挙区が兵庫と沖縄の2区、
Ⅲ.(当選した公明党候補の得票)≦(次点の民主党候補の得票)+(落選した共産党候補の得票)となった小選挙区が神奈川や大阪を中心に8区、
Ⅳ.(当選した保守新党候補の得票)≦(次点の民主党候補の得票)+(落選した共産党候補の得票)となった小選挙区が愛知県に2区、それぞれあったようです」
 これらを合計すると54区となり、与党3党の獲得した議席から差し引くと「与党」は、221議席となり、「野党」に転落する。300選挙区すべてに立候補させる共産党の選挙方針を批判する内容です。
「公明党が自民党とやっているように、小選挙区は民主党に票を回すから、比例選では共産党に民主党支持者の票を回せよ…。これぐらいの柔軟性とずる賢さを持ち合わせ、人間的魅力のある指導者、たとえば、ユーロ・コミュニズムを提唱した旧イタリア共産党のベルリングエル氏のような指導者が党幹部に登場したら、共産党は甦るでしょう。」と「オリーブの木」さんは結んでいます。私も賛成です。
 政治に「もしも」はないにしても、かつて全電通が社会主義協会系の社会党候補を推薦しなかった選別方式の逆で、元社会党出身の民主党候補や護憲や平和に軸足を置いた候補を選択して支持するというような「介入」の仕方はあったはずです。
 社民党や共産党は、「二大政党の間で埋没した」との言い訳をしているが、とんでもないことだ。そもそも政党連合を組むことなく、二大グループの両方を批判して独立して闘うことを選択している以上、「第3極」として信頼を集め、支持を拡大できなければ「埋没する」のは必然である。これとよく似た内容の投稿が目に付きますが、残念ながら「さざなみ通信」の皆さんは、むしろ共産党をもっと「左」に導く傾向にあり、あまり耳を貸す気はないようですが。
 
 紙面の都合でここまでにしますが、さらに議論するべき「総選挙分析」としては、「自民・公明連立政権の分析」「世襲議員批判の強まりと自民党の候補者不足」「無党派層の政治行動の評価」「低投票率でも民主が躍進したこと」「組織政党共産党が低投票率でも勝てなかった理由」「社民党のこれから」「民主躍進、社民後退が労組に及ぼす影響」などがあるように思う。
 大阪では、12月初旬に恒例の意見交換会を開催して議論する予定なので、紙面に反映していく予定です。(佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.312 2003年11月22日

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【投稿】選挙突入と逆転の可能性

【投稿】選挙突入と逆転の可能性

<<日本はATM?>>
 10/17は、小泉首相にとって落ち着かない日であったといえよう。午前中から道路公団の藤井総裁解任劇進行に気を揉み、午後からはブッシュ米大統領を迎えての対イラク戦戦費負担と自衛隊派遣の手打ち式であり、いずれも解散・総選挙に合わせて小賢しく仕掛けた手練手管が吉と出るか凶と出るか気が気ではなかったであろう。
アメリカの大統領をまで総選挙に利用し、応援に借り出したようなものである。しかしなりふりかまわぬその舞台回しのために、戦後のどの政府もなし得なかった密約まがいの憲法違反行為を国会審議も通さずにあえて踏み出したことは銘記されるべきであろう。
ブッシュ来日前の10/15、政府はイラク復興支援を正式表明し、04年度分は15億ドル(約1650億円)、07年までの4年間で総額50億ドル(約5500億円)もの支援をする方向を明らかにし、さらに自衛隊の年内派遣もいつのまにか「本決まり」で、いずれも国会の議決も承認もなしに決定したのである。いかにも日本政府の自主的決定であるかのような体裁をとったが、密室で秘密裏に決定したことには変わりはない。17日の日米首脳会談では、ブッシュから「日本の大胆な行動は国際的な支援を加速させる。称賛したい」と肩を抱き寄せられ、小泉は有頂天である。しかしこれはまだ手始めである。アメリカはイラクの復興と治安維持にかかる費用を向こう10年間で1000億ドル(約11兆円)以上と計算し、日本は前回湾岸戦争と同様、今回も全体の2割にあたる200億ドル程度の負担を要請し、半年前のブッシュ・小泉会談でこの戦費負担と自衛隊派遣が密約されていたのである。そのことは、ブッシュ大統領が今回の訪日に先立ち「彼は約束を守ると信じている」と駄目押しをしたことにもあらわれており、さらにその前の9/30、アーミテージ米国務副長官が下院歳出委員会の公聴会で証言し、「大統領は金を要求しに訪日するのではない。日本がATM(現金自動預払機)とは考えていない」と述べながら、なおかつ日本が「気前よく」資金拠出に応じてくれるとの見通しを示し、「われわれは日本と集中的に取り組んできた。彼らは気前のいい約束をすると思う」と述べ、資金拠出を確約している国名として日本だけを挙げていたのである。小泉政権はこの密約を大統領訪日直前に「自主的に」実行したわけである。

<<「本質的な」問題>>
日本の「4年で5500億円」はケタ外れの巨額である。15カ国が加盟する欧州連合(EU)のイラク支援額は2億ユーロ(260億円)に過ぎないし、ロシアは1ルーブルも出さないことを決めている。英国でさえ、3年間で1020億円の拠出を表明しただけである。
しかもEUは米英占領軍の「CPAからは独立したチャンネル」で人道援助としての復興資金を提供することを決定している。EU理事会は、復興努力の成功にとっての「本質的な」問題として、(1)イラクの適切な治安環境、(2)国連の強力かつ中心的役割、(3)イラク国民に政治責任を移管する現実的日程表、(4)国際社会の支援を集中する透明性を持った多国的な基金の設立-の四点を改めて強調している。
9/23、ブッシュ大統領が国連で演説し、イラク派兵と資金援助を呼びかけたが、「百九十一カ国のうち一国として支援を申し出た国はない」(仏紙フィガロ9/26付)というほどのブッシュにとっては惨憺たる状況である。
 このほど採択されたイラクに関する国連安保理の新決議1511についても、フランス、ドイツ、ロシアは、決議案採択にさいして、共同声明を発表し、決議案を「正しい方向への一歩」として支持しながらも、「国連の役割」「イラク国民への責任移譲」の二つの点で問題があったとして、軍隊も、資金拠出もおこなわないという態度を明確にし、中国政府も同様の立場の表明をおこなっている。
 米国内でさえ、ブッシュの性急な「イラク攻撃は間違っていた」という世論が急速に強まり、ブッシュの支持率は急降下し始め、このままでは再選は無理という見通しさえ出始めている。米紙ロサンゼルス・タイムズ10/13日付社説は、復興資金がどれだけイラクのためになるのか、誰がどのように使うのかが問題だと指摘。米政府が議会にさえ十分な情報提供をしないどころか、復興事業をチェイニー副大統領関連のハリバートン社のような企業に丸投げして契約しているのは納税者の利益に反すると警告するような事態である。そんなブッシュに小泉が大盤振る舞いをすることは、EUの指摘する「本質的な」問題に、世界の趨勢に完全に逆行する資金提供といえよう。

<<Boots on the Ground>>
 自衛隊のイラク派遣の決定方法も国民を愚弄するものである。国会審議では首相自ら「どこが戦闘地域か、私に分かるわけがないでしょう」と責任を放棄して居直り、「非戦闘地域への派遣」原則に答えられず、答弁不能に陥ったまま、事態をうやむやにし、「いつ、どこに派遣するのか」という野党の追及に一切答えなかったものが、国会を解散するや、ここぞとばかりに“派兵指示”である。まさにブッシュとの密約のだまし討ち的実行である。アメリカは日本にこの際、”Boots on the Ground”(軍靴の派遣)を迫り、イラク情勢が改善するどころか悪化する事態に自衛隊の年内派遣が先延ばしされることを懸念し、アーミテージ米国務副長官が「今さら逃げるな」といったとたんの年内派遣決定である。「(調査団の報告を聞いて)日本としてできることがあると感じた」(小泉首相)と、急遽ブッシュとの会談に間に合わせたのである。国会での審議も承認も一切ない、従来のPKO(国連平和維持活動)派遣の手順さえ踏まない、ブッシュとの密約の実行である。
 防衛庁は南部のナーシリヤとサマワの2都市の周辺に絞り込み、初の「陸自戦時派遣」を決断したという。 陸自部隊は施設、警備、通信、本部管理からなる600―700人で、北海道の北部方面隊第2師団(旭川市)が主力となる見通しである。イラク北中部に比べれば比較的に安全だといわれている南部も危険地帯であることには変わりはない。しかも南部のバスラ周辺はペルシャ湾岸まで続く広大な湿地帯で、塩砂漠ともいわれ、大量に投下され発射された劣化ウラン弾をこの塩が弾殻を腐食させ汚染を進行させているという。水溶性のウランは地下水と土壌をも汚染し、食物連鎖による汚染まで起こし、そして当然派遣される自衛隊員をも被爆させ汚染させるであろう。
 米誌ニューズウィークでさえ、「日本は後戻りできない一歩を踏み出してしまった 」として、「多くの同盟国が「軽い介入」ですませるなかで、日本は大風呂敷を広げすぎた。もう「憲法に縛られている」という言い訳は通用しない。いくら財政危機が差し迫っていても、小切手外交の復活を望むアメリカを黙らせることはできない。北朝鮮の金正日総書記の不気味な影が、アメリカ支援に走らせたのだろう。だが日本は今回、やりすぎてしまったのかもしれない。窮地を招いたのは小泉自身だ。スペインのように立ち回るには遅すぎる。」と指摘している。(日本版10月15日号)

<<「何が違うのか?」>>
 「イラク派遣の是非が総選挙の争点になることは避けたい」、巨額の戦費負担についても、ましてやその財源についても争点にはしたくはない、すべてを「構造改革」に流し込め、これが小泉政権の選挙戦略であろう。小泉首相が絶叫してきた「自民党をぶっ潰す」というスローガンがいつの間にか「自民党は変わった」に取って代わり、たとえポーズといえども自らが対決してきたはずの「抵抗勢力」、そのドンである青木幹雄氏と手を組んだことは、今やその支持基盤が崩壊の危機に瀕している自民党政権の延命こそが小泉政権の最大の目的であり、使命でもあることを小泉首相自身が自覚した結果でもあろう。なりふり構わぬ政権への執着が、あの聞くに堪えないほどの絶叫調の身振り、手振り、口舌に表現されている。選挙向けに急遽取り立てられた安倍幹事長は代表質問で「当選3回の私が幹事長職にあたるという一点でも明らかに自民党は変わった」と強調したが、変わったとすれば、日本が核兵器を使用しても違憲ではない、と広言して恥じない、それほど軽すぎる安倍氏が幹事長に就任するほど軽挙妄動の危なっかしい権力機構が登場してきたということであろう。
自民党をぶっ壊すどころか、デフレ加速政策で経済を破壊し、福祉・年金・医療・介護を破綻のふちに追いやり、先制攻撃論に加担して平和の破壊に加担し、ついには憲法の平和条項の破壊にまで手を染め出したのである。総選挙の対決点はこれらに集約されているといえよう。テレビ討論の場で「小泉改革と何が違うのか」と問われて、民主党の岡田幹事長が「一番の違いはスピードだ。我々の方がずっと速い」と答えるようではおぼつかない限りではあるが、小泉政権のおごり高ぶった姿勢は彼らの末期的な弱点をもさらけ出している証左でもあり、自民党の伸び悩みと敗退にさえつながるものである。
 ある選挙情報調査によれば、「小泉内閣の高い支持率とは逆に、各ブロックで自民党の退潮が歴然としており、民主党が単に議席を伸ばすというだけでなく、最大限に見積もった場合、<民主党203+7-15>、<自民党196+18-3>という逆転がありうると分析している。(週刊ポスト10月24日号)
 自民党政権に終止符を打つチャンスでもあるといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.311 2003年10月25日

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【投稿】混乱の中で、生まれた自治労新綱領「21世紀宣言」

【投稿】混乱の中で、生まれた自治労新綱領「21世紀宣言」

<本部提案、3分の2に達せず否決>
 自治労は、9月28日、東京厚生年金会館において第74回定期大会の続開大会を開催した。この続開大会においては、焦点となっていた「21世紀宣言」新綱領が採択されたが、実は新綱領は、8月の定期大会(横浜大会)では否決されている。その顛末について報告する。
 自治労は、この間、新綱領を組合員討議にかけていたが、一昨年の自治労不祥事の中で討議期間を1年間延長し、今年の8月定期大会での採択をめざした。綱領自体は、私の目から見てもあまり出来栄えの良いものではない。とくに「労使の協働で有効な政府をつくる」というくだりは、主流派の中でも「地方政府(自治体)ならまだしも中央政府を労使で作るとは、どういうことか?」との反発を生んだ。
 一方社民党系13県本部は、岩手県本部(社民党系)出身の竹花副委員長が新綱領の提案責任者であるにもかかわらず、横浜大会の場で新綱領そのものが「労使協調である」「わかりづらい」等の不満含んでの発言を行なう場面もあった。8月の横浜大会では、人事上の不満【君島書記長(長野県本部・社民党系)が副委員長へ、竹花副委員長が自治労共済へ】という処遇への反発もあり、13県本部側が、底流において不信任票へと回った。結果として主流派県本部内反対票もあり、8月大会では賛成票が3分の2にわずかに足りず、否決となった。
 この事態は、自治労各県本部にとって衝撃的なことであった。本部側は、この事態を受け8月大会最終日、緊急の「県本部代表者会議」を開催、「このままでは役員選挙で不信任が出る」「自治労を第二の国労にするのか」等の声が続出し、8月大会を休会とし、9月末続開大会を開催し、役員選挙もそれまで凍結することとなった。

<9月28日続開大会新綱領可決>
 続開大会にあたっては、「自治労の団結のもとに新綱領可決」を方針に主流派、反主流派ともに、全国的な働きかけを強め、続開大会に臨んだ。結果としては、新綱領は、投票総数1000票のうち賛成票748票(3分の2以上)で可決された。しかしながら、反対票238票、無効,白票14票と4分の1の反対票が投じられた。このことの総括は今後必要である。
 いずれにしても、この1ヶ月の混乱に終止符が打たれたわけである。
 裏話をしてしまえば、実は、単組連合体である自治労にとって綱領は、さほど意味を持たない。簡単にいってしまえば盲腸のようなものである。県本部級の役員ですら、旧綱領(階級闘争主義)を、ほとんどが読んでないのではないか。
 今回の混乱と収束は、綱領をめぐる基本路線の争いというよりも、この間の主流派(民主系)と反主流派(社民系)の拮抗や、人事問題を背景にし、ある程度の批判票をと思った反主流派が、幹部の思惑を超え3分の1の批判票を組織したというのが本当のところであろう。
 いま、自治労は、市町村合併や、長期不況のもとでの地方財政危機と賃金改悪、現業・保育等の合理化とのたたかいが急務となっており、戦列の強化と全国的な闘いが求められている。(S・I)

 【出典】 アサート No.311 2003年10月25日

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【投稿】危機感を感じる連合大会 

【投稿】危機感を感じる連合大会 

連合は第8回定期大会をこの10月2日から3日の2日間にかけて開催した。大会スローガンは「組合が変わる、社会を変える~安心・公正な社会を求めて」である。連合は前回の大会で、「この1年を組織拡大と雇用確保に向けて全力を」(笹森会長)としていたが、それもそう簡単に実現できるはずもなく、そのためにこそさきのスローガンが必然的に唱えられたのであった。
ではこの1年間、その目標は実際にどうだったのか。連合は「アクションプラン21」として組織拡大を大目標(60万人)にこの2年間の実績を報告している。これによると、2年間(2001年10月~2003年9月)に293,749人の組織拡大を実現し、うちパートは82,904人であった。地域ユニオンでの拡大は5,321人だとしている。また、達成率は半分にも満たないのだが、29万人あまりの拡大実績のうち、この1年をみるとおよそ13万人だが、後半の2003年4月~2003年9月では92223人と増えていることに若干の救いがあると連合事務局ではしている。しかし、一方でのリストラによる正規雇用社員の減少によって既存組合の組合員数はおしなべて減少し、総組合員数も大きく後退しており、いまだそのスピードは変わらない。連合傘下のUIゼンセン同盟はなかでも組織拡大には大いなる成果をあげたが、組合員数はやはり減少しつつある。
雇用については、失業率をみるまでもなく5%ラインをめぐって前後しているのがここ2年間続き、潜在失業者はおよそ300万人以上は存在しているとすら言われ、雇用を継続しているものでも、従来の労働条件を大きく後退させられている。すくなくとも連合が雇用問題に果たした役割は政府に対して政策提言をした程度にとどまっているといわれてもしかたのない状況だろう。
労働組合のもっとも大事な課題である春闘はどうだったのか。02春闘までは連合台でそれなりに賃上げ目標を掲げ、内容はどうであれ「総かかり体制」を唱えていたが、ついに今春闘では賃上げ目標やガイドラインすら示すこともできず、まさに産別自決・企業別労組自決においこまれてしまった。結果は大手企業はそれなりに業績を反映させた回答を得たが、中小労組は賃上げすらできなくなってきた。中小労組を多く抱えるゼンセン、JAM、全国一般などは春闘後連合に中小の賃金政策について、少なくともガイドラインを示し、中小政策を強化するよう申し入れをした。
こうした昨今の状況は組合をめぐる環境は依然として変わっていないという例証だが、連合は外部の学者・文化人による「評価委員会」を設置し、大会を前にした6月中間報告を発表した。大会では最終報告を発表しているが、この報告を読むと、「当たり前の労働運動」こそ社会に求められていると思われる。報告について詳しくは述べないが、連合の笹森会長・草野事務局長など幹部は、当初この報告を具体的に工程表を作成して実行していくことを明言していたが、大会ではそれを大幅に後退させた方針案を示さざるを得なかった。
大会のもう一つのテーマは会長選挙である。笹森会長は早くから再任を表明していたが、UIゼンセン同盟会長の高木氏が会長選挙に立候補したことから、にわかににぎやかになった(他の役員は事務局長はじめすべて定員内の立候補のため選挙は行われない)。大会選挙に先立って労働ペンクラブ主催による「立会い演説会」が行われた。そこでも私の思っていたことと同様の質問がなされたが、「なぜ高木氏は立候補したのか」ということである。さきの中小問題の申し入れをめぐってというなら理解しやすいが、JAMや全国一般の代議員の票はおそらく笹森氏に向かうはずであり、さらに二人の政策をみてもまったく変り映えしないのである。政治的な理念でもそう変わらないはずであり、「人がかわることで新たなエネルギーを」と高木氏は語るのだが、選挙をする意味がどうにも理解できないのである。結果は事前の予想通り笹森会長が再任を果たしたが、「コップの中」の茶番劇といってもいいくらいの低調な選挙戦であった。
大会はつつがなくスケジュールどおりに終わったが、労働組合をめぐる環境はあいかわらず厳しさがつきまとう。労働組合組織率は20%を切るのは時間の問題だといわれている。評価委員会の報告をどう実行し、実現できるかに労働組合の存亡すらかかっていることに大きな危機感と、そして期待感を感じているのは私だけではないだろう。
(立花 豊)

 【出典】 アサート No.311 2003年10月25日

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【書評】労働運動再生への問題提起

【書評】労働運動再生への問題提起
    「地域ユニオン・コラボレーション論」 小野寺忠昭著
     (2003年2月10日 インパクト出版会 \2,000)

 労働運動をめぐる出版が極端に減少する中で興味深い本と出合いました。偶然に紀伊国屋で見つけたのがこの本である。筆者小野寺氏とは一度だけ東京でお会いしたことがあります。場所も東京上野周辺の飲み屋さんで、地域ユニオン組合関連の会議明けの打ち上げの宴会で同席し、お話をうかがった記憶がありました。もうかなり昔のことではありますが。
 小野寺氏は1943年生まれで、大学卒業後総評東京地評を皮切りに、東京東部エリアで「地区労オルグ」として労働運動一筋に進んでこられた。現「東京地評」は労戦統一経過の産物であり、本書の中では、89年の連合結成を前後して、総評東京地評は共産系と連合系の妥協の産物として存続を続けることとなったが、2003年に最終的に東京地評が全労連に加入することとなり、実質的に総評組織ではなくなったと述べられている。著者が自らを「総評最後のオルグ」と呼ぶ所以である。
 著者は、東京の東部に広がる下町、中小企業が集中しているエリアを中心に、全国一般系の運動・地域ユニオン系の運動のよき理解者・推進者・コーディネーターとして信頼を集められている。
 この本は、著者自身が人生をかけてこられた地域労働組合運動の経過と特徴、組合運動に関わったオルグと組合員が織り成す「物語」を中心にし、総評労働運動そして日本の労働運動の総括とその再生に向けた基本的コンセプトの提示を内容としている。過去4年間「労働情報」誌に連載されてきた文章に加筆されて出版されたものである。

<東京東部ブロックの特徴>
 江東六区(墨田、台東、荒川、江東、江戸川、葛飾)は古くは江戸時代から荒川、墨田川などに沿って地場産業が栄えたエリアだったが、1960年代には伝統的な地場産業と対照的な重工業、製鉄、製紙産業などの素材型大工場が進出するとともに、その下請け・孫請けとしての中小・零細企業群が生まれた。
 こうした中小・零細企業には未組織の労働者が多く、この東京東部地域も同様であった。1960年代には、安保闘争敗北にもめげず多くの活動家がこの地域に集まり、労働者の組織化に燃え、中小企業労働者の組織化を進めた。
 その手法は、産業分野や業種にとらわれない地域合同労組方式であり、その集合体としての「全国一般方式」と呼ばれる労働組合である。この労働組合は業種にも企業系列にもとらわれることなく、地域を基盤として労働者の連帯と協同を基礎にしていた。それを支えたのが著者をはじめとする「オルグ」達である。
 
<オルグ稼業の魅力>
 労働組合を作ることは企業内では一種の「秘密結社」をつくる作業が必要で、慎重な非公然の仕込みから始まる。そして結成・公然化、労働委員会への提訴など。まさに、手作業であるが、経済的側面の要求闘争であると同時に、社会的道義を体言した運動であり、作っては潰される「賽の河原の石積み」と言われる程の営みの中で、信頼と連帯の意識と組織を作り上げていく作業であった。
 1960年代は中小企業労働運動の前進の時期であったが、70年代~80年代は大企業の寡占化と下請け中小企業への支配強化が進むと同時に組合弾圧という意味でも企業倒産が続出し、反倒産・反失業の厳しい闘いが繰り広げられた。その中から、背景企業の責任を追及し、親会社・メインバンクに責任を追及する運動を総がかりで追求する「総行動方式」が編み出されていく。「権利はゆずらない・首切りは許さない」をスローガンとする東京総行動が1972年6月に始まる。全金仙台川岸争議での「親会社に使用者責任あり」との判決により「法人格否認の法理」を確立させたことも運動に弾みを付けた。
 
<産別組織と地域運動>
 日本の労働組合を分析するにあたって、ひとつの切り口は、産別組織と地域組織である。総評時代は、産別組織の縦のラインと同格に地域の横のラインが地区労として存在し、中小未組織を包み込む地域の連帯を形成できた。著者によれば、比較的緩やかな産別体制であったからでもあった。60年代から70年代まで地域組合と共闘して運動を盛り上げたのが、公労協(全電通、全逓、国労)と地公労(水道)と区職労などの公務員部隊であった。そして、総評時代には全国に300人の地区労オルグが配置され、交付金による財政措置でその活動が維持されてきた。
 こうした地区労運動が弱まる契機となったのは、一つには大産別組合による産別強化論と総評自身が地域運動を産別補助的に位置づけ、あいまいな戦略しか持てなかったこと。二つにその影響もあって本来の産別的機能を持てないのに擬似産別として「総評全国一般」を立ち上げたにも関わらず、分裂してしまったことなどを上げられている。
 そうした中でも、東京東部地域では、組織は分裂しても「東部オルグ団」を結成して、争議運動や組合つくりの協力体制を組むことができたという。さらに、組合結成後比較的安定して組合員数の多い組合が、「結成の恩義」を忘れず、財政的にも政治的にも地域運動に返していくという「仁義」を持っていたことが、70年代以降の運動を支えた。これらの組合を筆者は「旦那(衆)組合」と呼んでいる。
 産別論と地域運動については現在の連合労働運動にも当てはまる。連合は発足時から産別主義を取り、産別加盟を原則とした。地域組織は加盟した地域組織の地域支部のみから構成される。結果として方針議論は府県連合であっても(それもない場合もある)、地域連合は、下請け運動と選挙のみという結果をもたらし、争議支援や未組織への対応は二の次という状態もある。800万連合と呼ばれた結成時から10数年、組織拡大が叫ばれて久しいが、今の連合運動の抱える大きな課題でもある。
 
<総評の総括と労働運動の再生>
 第一章は、「ローカルから見た組合のかたち」と題して、上記のような東京東部の地域運動の経過やその歴史が語られている。第二章は「総評の総括」と題されているが、興味深いのは「オルグ」の項であり、地域労働運動を担ってきた職人としての「オルグ論」である。オルグとはオルガナイザーの略であり、最近は余り耳にしない言葉になってしまった。組合活動に従事するという意味では、組合書記という事務屋、組合のプロパーなどという言い方が多いように思うが、オルグはまさに組織者であり、地域に職場に入りこんで労働者を励まし、相談にのり、組織する。「(委員長や書記長などの)労働運動家は運動・組織ヘゲモニーとしての権力であったが、オルグは特定の権力も権威もなく、持っているものと言えば、運動における具体的な個別の指導力であり、ノウハウであった」「総評運動におけるオルグは職人に近い独立性をもった職業であった。」と述べている。
 「労働者理念の再建」の項では、「地域労働運動の意義とは結論的に言えば『社会性』と「友愛』である。」「労働組合の最も組合的な運動は、この労働者の争議・組織化・共闘活動である。」「・・・労働組合=道具論ではなく・・・日本の労働組合運動において、労働者の友愛と仁義を幅ひろく追求してきたのが地域労働運動であり、・・・この地区労は・・労働組合の『隣組』をつくってきたのである」「・・・協同というものを最も主張しなければならない労働組合の協同性が無残にも崩壊している認識が必要である。従来の国民国家・社会における友愛と道義の基盤である協同の崩壊が深く進行している。ことここに至り、労働運動に限らず社会運動は、あらゆる意味において『協同』を提起できないかぎり、大衆運動は成立しないのではないか」と述べておられる。ここに著者の思いは凝縮されているように思うので引用させていただいた。
 
<自主管理から自主生産へ>
 第三章「東京総行動と争議」、第四章「運動再構築の要素」についてでは、70年代以降の反倒産・反失業闘争の具体的経験を通じて、労働組合・労働者自身による自主生産・労働者企業の実践に至る経過と展望が語られるとともに、労働と社会において今進行している事態の中に、見つめるべき運動再構築の要素が示される。リストラ、個別労使紛争、管理職ユニオン、派遣労働への対応などである。
 
<地域ユニオン・コラボレーション>
 第五章では、「エピローグ新たな時代を繋ぐ」として労働運動の新たな展開にむけて特徴的なテーマが展開される。
 著者の語り口は豊かな実践に裏打ちされて、厳しいと同時に暖かく、そして今後の戦略的視点も明らかにされておられる。「今、近代100年に匹敵するような運動を胎動させた過渡期的運動が既存の労働運動内部で起こり、また全く意外なところからも起こってくる。そしてそれは、底辺の潮流に対応して、何ものにもとらわれない自立した運動と組織であることが、とりわけ要請されているのではないだろうか」と。
 著書の題名である「地域ユニオン・コラボレーション」は、労働組合運動の過去の財産と将来の可能性に思いを込めて決められたという。
 労働運動・社会運動に関わっている方には是非一読していただきたいと思います。
(佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.311 2003年10月25日

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【追悼】全さんのこと ( 大木 透)

【追悼】全さんのこと    大木 透

最近、全さんにお会いする機会はありませんでしたが、昔は頻繁にお会いした。それは、少々形式張った会合の席であったり、下打ち合わせのような気楽な話し合いの場であった。一緒にめしやへも行った。
しかし、今、それらの場面を思い出してみて、これといってドラマティックな事柄が思い出せない。あれほどよく知っていて、その人柄に敬服していたのに、これは不思議なことである。つまり、それこそが全さんという人物の特質だったのだと思う。常に淡々としていて、どんな人にもおもねることなく、誰を蔑むこともない態度、その安定感というか透明性というか、そんな流れにこちらも包まれていて、興奮することもなく、緊迫した関係になることもなかった。
全さんのことを悪く言う人はおそらくひとりもいないと思う。全さんがいると頭でっかちの遣りようにブレーキがかかり、安心感を与えた。「ビラを撒こう」が口癖だった。「ビラはお前が書け、俺は撒きにいく」と言われたこともある。
全さんがその生涯をかけて希求してやまなかった、「普通の人の普通の幸せ」がますます失われていく。
全さんはとても安らかに眠ることなどできないであろうが、それはそれで全さんらしいことだと思う。(大木)

関連文書:【追悼】労働運動に生涯を貫いた人 by 巣張秀夫 (アサートNo.312)

(原全五さんは今年7月に永眠された。彼の著書『種子島から来た男–一旋盤職工の手記–』(1992年ウニタ書舗)の後書によると、「1912年種子島に生まれ、18歳から大阪で旋盤工に。1932年大阪砲兵工廠に入り、全協金属に加盟、同時期共産党入党。1933年検挙–起訴猶予、1934年多数派に参加。1935年検挙、1937年起訴猶予。1937年春日庄次郎らと共産主義者団結成、1938年検挙、1945年出獄。1946年共産党南大阪地区委員長、同府委員、1948年産別金属書記、1950年党分裂で国際派に所属、1958年共産党第7回大会で中央委員候補、1961年綱領論争で少数派となり離党。その後社会主義革新運動、労働者党、新・民主主義連合に所属」とある。70年代80年代にはいろいろな会合でお目にかかったことがあります。まさに大正・昭和・平成と人生を革新運動にささげた方であり、労働運動の大先輩でもあります。原さんを偲んで、来月号にも投稿を掲載する予定です。佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.311 2003年10月25日

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【投稿】小泉再選と解散・総選挙が提起するもの

【投稿】小泉再選と解散・総選挙が提起するもの

<<いつの間にか「挙党一致」>>
 自民党総裁選は、小泉再選で決着が図られた。しかし2年半前の前回総裁選とはまったく様相を異にした裏取引選挙であった。小泉氏がたとえパフォーマンスにせよ「抵抗勢力」に対決して、「自民党をぶっ壊す」とまで発言して全国民的関心を呼び、史上空前の80%以上の内閣支持率を獲得した前回とは打って変わって、いつの間にか「挙党一致」がスローガンとなった出来レースであったと言えよう。小泉氏の圧勝と言いながらも、実は他の3人の候補者にもそれぞれに満足のいく票を融通し配分しあったという、マニフェストも、政策の相違もまったくその場しのぎのおざなりで、シラけきった一幕物の芝居でしかなかったのである。それは「抵抗勢力」にとって少々難はあっても御しやすく、むしろ大いに利用できる存在と化した小泉政権を当面存続させなければ、間近かに迫った解散・総選挙も乗り切れないという差し迫った状況の産物でもあろう。
 その象徴が、自民党内最大派閥であり、利権集団でもある橋本派幹部の青木幹雄参院幹事長の「寝返り」であろう。同氏は、昨年の参院代表質問では、「一方的に過ぎる改革のやり方には批判が出ている」、「特定の民間人がテレビでもてはやされ、政治、経済の流れがつくられている現状は大いに不満である」と野党顔負けの首相批判を展開し、「抵抗勢力」を代表して公然と対決姿勢をあらわにしていたのである。ところが今回は、「総理を支持する。しかし、総理が公約にしている道路公団の民営化や郵政民営化には反対」、「人物は認めるが、公約は認めない」と一転し、ついには「小泉さんには裏切られたことはない」と小泉再選支持をわざわざ表明するに至ったわけである。小泉改革なるものの実態を見てみれば、確かに青木氏にとっては「裏切られたことはない」のであろう。仕上げに総裁選を目前にして青木・小泉会談が持たれ、小泉氏は「青木さんはあれこれ条件は出していません。潔く、男らしい」と意図的に持ち上げ、「改革の芽をつぶす動きとは断固戦う」と叫んできた当の本人と「抵抗勢力」代表者の2人の間の蜜月を誇示したのである。当然何らかの“密約”、“裏取引”が交わされ、いずれかが膝を屈したのであろう。客観的には小泉氏が「抵抗勢力」に膝を屈し、「抵抗勢力」は小泉氏なしには権力基盤・利権構造を維持できないがゆえに総理・総裁の座を提供したのであろう。“密約”そのものである。月刊誌で痛烈に小泉氏を批判していたはずの堀内派の堀内会長も「経済政策は一致しないが、総理を支持する」と表明してこの動きに続いた。

<<「毒まんじゅう食ったんか」>>
 こうした流れに取り残されたのが橋本派幹部の野中広務元幹事長であった。総裁選直前に「自ら退路を断って、最後の情熱と志を、小泉政権を否定する戦いに燃焼し尽くしたい」と決意を披瀝したが、それは捨て身の政界引退表明へと追い込まれたものともいえよう。同じ派に所属する青木氏と村岡兼造会長代行を「目先のポストに惑わされているのではないか。政治家として許せない」と痛烈に批判し、さらに続いて村岡氏が首相支持を明言したと聞くと、野中氏は『何をぅ?毒まんじゅう食ったんか』と怒り心頭に達し、同じ派閥の同僚議員を名指しで糾弾する異例の事態となったが、時すでに遅しであった。
 野中氏は9/16、外国特派員協会で講演し、青木氏や村岡氏の名前を上げて「許せない」と怒りを込めて批判したのはもちろんのことではあるが、野中氏は同時にデフレ経済を放置し、むしろ悪化させている小泉内閣の姿勢を批判し、それに事実上追随しているマスメディアの姿勢にも矛先を向けている。「少し株価が回復して、政府やマスコミは景気が良くなったと騒いでいるがそうでは断じてない。街には失業者、ホームレスがあふれ、1日100人が自ら命を絶っている」、そんな実態にもかかわらず、マスコミは「“小泉再選”をあおっている感じがしてならない」と述べ、「昨秋、社内で倒閣を決めたはずの新聞社は、一つのスクープをもらった見返りに小泉支持にひた走っている」と暴露し、「テレビの討論番組では小泉批判をする評論家は外されている」し、これでは「まるで戦前みたいだ。マスコミは戦前の報道を再検証してほしい」と厳しい、正当な注文をつけている。
 しかし野中氏らのこうした抵抗にもかかわらず、自民党総裁選をめぐる動きは、9/20の投票日を待たずに決着していたのである。小泉氏以外の3候補自身が投票日を待たずして半身の姿勢に転じ、「小泉さんを引きずり降ろすということではない」(藤井候補)と言い出し、「いくら訴えても政策で勝負が決まる状況ではない」(高村候補)と諦めを公言し、「小泉では日本が潰れる」などと言っていたはずの亀井氏までが「私は自民党を愛している。党を出る気はない」などと、党内での地位低下に腐心する始末である。盛り上がりも迫力も緊迫感もない談合総裁選の出来レースに出場させられたこの3候補は哀れな役回りをさせられたのだともいえよう。

<<マニフェスト>>
 9/20、「圧勝」をしたはずの小泉首相は同日夕、記者会見を行い、「今まで進めてきた構造改革路線を着実に進めたい」と述べはしたが、案の定、「抵抗勢力との対決」は完全に影を潜め、「挙党一致」、「挙党体制」がしきりに強調され、解散・総選挙向けの裏取引人事が鮮明になりだしている。そして、衆院の解散・総選挙について「そろそろ解散・総選挙があってもおかしくない」と指摘、十月にも解散、十一月総選挙に打って出る考えを強く示唆している。
 しかしながら、小泉首相が解散・総選挙を意識して9/8日に発表した政権公約は、およそマニフェストには程遠いペラ一枚の代物である。小泉的表現はあれど、具体性がなく、およそ抽象的で無内容、そして変幻自在な旧態依然たる選挙公約と全く変わるところがない。自民党内でさえ議論の積み重ねも討論の対象にもならなかったおざなりなものである。もちろん、総選挙で選択を迫れるようなものではない。そもそもその成り立ちからして、自民党にマニフェストなど要求することが間違っているのであろう。9/18に発表された民主党のマニフェスト第一次草案と比べれば、比較の対象にならないほどお粗末なものである。マニフェストだけをとるならば、民主党との政権交代は必至であり、必要不可欠である。民主党のマニフェストには、自民党の政策と対決する具体的で革新的な提案がかなり提起されている。しかし、民主党の実態を反映しているのであろう、平和・安全保障政策について、憲法9条問題についてはいまだ具体的な政策を対置しえていないのである。
一方の小泉政権は、総裁選直前の8月に憲法9条の改正を言い始め、2年後の10月までに自民党として改正案をまとめ、自衛隊を軍隊として明確に位置付け、これまで政府が違憲としてきた「集団的自衛権の行使の容認」も視野に入れている。今回、総裁選では4候補ともに「9条改正」を掲げ、さらに総裁選後、自民党幹事長に起用された安倍・前官房副長官は「小型核兵器の保有なら憲法上問題ない」と発言して物議をかもした人物であり、対北朝鮮外交では挑発・強硬路線を良しとする、ブッシュ路線に最も親近感を抱く人物でもある。すでに 防衛庁は来年度軍事費(防衛関係費)の概算要求の中で、これまで研究段階だった「ミサイル防衛」の導入(千四百二十三億円)に初めて踏み込んだほか、空母型のヘリコプター搭載護衛艦(一隻、千百六十四億円)など、米軍事戦略との一体化をはかり、本格的な海外派兵体制づくりと対北朝鮮対応の軍備拡大要求が目白押しである。こうした小泉政権の軍事拡大・アメリカ追随路線と対決できるマニフェストでなければ政権交代は現実のものとはなりえないと言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.310 2003年9月27日

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【投稿】瀬戸際にいる金正日と小泉純一郎

【投稿】瀬戸際にいる金正日と小泉純一郎

<中露の「裏切り」>
 8月27日から3日間にわたり、北京で開催された「6カ国協議」は、次回の開催を原則として確認し終了した。
 当初は北朝鮮お得意の「ドヤキャン」も予想され、なまじ開催にこぎ着けても「途中退席」、日程を消化しても「今回限り」といった事態も懸念されていただけに、論議の枠組みが維持されたことは、予想以上の成果といわなければならない。
 この背景には、これまでの歴史的経緯から北朝鮮に一定の理解を示していた中国、ロシアが、対応を変換、日米以上の強硬な姿勢に出たからに他ならない。
 中国は今年2月厳寒のさなか、3日間にわたりパイプラインを閉鎖、北朝鮮への重油の供給をストップさせた。さらに9月上旬からは中朝国境警備を公安警察から、人民解放軍に移管したことを明らかにした。 
そして9月20日には胡錦濤政権のナンバー2、呉邦国全人代常務委員長がダメ押しのため訪朝した。胡政権は古い共産党幹部たちと違って、北朝鮮に対する特別な感情など、持ち合わせていないようである。金正日がこれ以上駄々をこねると、さらに強硬な手段に出ることも予想される。
 一方のプーチン政権も昔のことなどすっかり忘れているようだ。ロシアは、8月22日朝露国境に近い沿海地方バラバシュ地区で「北朝鮮難民対策」を想定した演習を実施。
さらに同時期、日本海周辺で朝鮮半島有事やテロ対策を想定した、多国間合同演習をも行った。これには日本の海上自衛隊や韓国海軍も参加、北朝鮮はオブザーバーとして招聘されたものの不参加だった(当初から不参加を見込んでの形式的な要請である。自らが対象とされている演習に参加できる訳がない)。
 このように中露両国が、手のひらを返したように圧力をかけ始めたことは、織り込み済みの日本の圧力(万景峰号へのPSC)など比べものにならないくらい、北朝鮮にとっては重大な脅威となっている。チンピラがこれまで庇ってもらっていた兄貴分に「おまえが悪いわ」と言われたのも同然である。金正日政権はいよいよ追いつめられてきた。
 6カ国協議の席上、北朝鮮代表がロシア代表を非難したうえ合意文書を拒否し、ホスト役の中国の顔に泥を塗りかねない対応に出たのも、こうした苛立ちの表れである。わかりやすい反応だが、あまりに幼稚と言わざるを得ない。

<新兵器登場せず>
 こうした中、9月9日の北朝鮮建国55周年記念式典に注目が集まった。パレードに新型ミサイルが登場するのではないかというのである。ミサイルや主力兵器が登場すれば北朝鮮は強硬姿勢を全世界に示したことで、今後の交渉は困難に、登場しなければ不要な刺激を避けた、という観測である。
 結果として、ミサイルはおろか戦車や装甲車などの車両部隊も登場しなかった。したがって、金正日が「挑発はしません」とのメッセージを送ったとの見方が一般的である。
しかし、当日のパレードはそんな政治判断の結果ではなく「新型ミサイルなど最初からなく、戦車が出なかったのは燃料と部品がなかっただけ」(軍事評論家・神浦元彰氏)という主張があるが、その通りだろう。
 変わって徒歩部隊が行進したのだが、兵士が「鉄帽」を装着しているのを見て「これは戦闘準備が完了したというサインだ」とテレビで指摘した元北朝鮮工作員がいたが、これも穿ちすぎである。
この人が、陸上自衛隊の観閲式や総合火力演習を見たら「日本は明日北朝鮮に上陸する!」と叫ばざるを得ないだろう。
 いずれにしても、北朝鮮の軍事力はとても冒険主義に打って出られるような状況ではなく、核開発も事実上ストップしている。
 北朝鮮としては「国体護持」のため、軍事力以外の打開策を必死で探っているのである。

<6カ国協議の弱い環>
 北朝鮮がねらっているのは、5カ国の分断である。そのターゲットは韓国に絞られている。6カ国協議の直前韓国で開催されたユニバーシアード大会での「美女応援団」に象徴されるよう、同一民族をアピールし韓国世論の取り込みをはかろうとしているのである。
 これに対して廬政権はソウルでの国旗焼き捨て事件、大会会場での乱闘事件などに対して、直ちに謝罪するなど、北朝鮮対しての配慮を見せている。
 弱腰とも言われるこうした姿勢の背景には、南北融和を掲げて当選した政権の性格もあるが、アメリカの軍事力行使に伴う北朝鮮の「窮鼠猫を噛む」的な反撃、金政権の崩壊による内乱状態の勃発などの激変により、韓国が被るであろう重大な影響を憂慮してのことがある。
 北朝鮮はそこを突いて、韓国からの経済援助の継続、日米との遊離をもくろんでいるわけだ。しかし、こうした戦略が功を奏するかは疑問である。廬大統領の支持率は就任当初の9割台から7月末には2割台に急落、9月末に与党民主党は分裂し、政権基盤は一層弱体化した。
 さらにアメリカから2000名規模のイラク増派要請を突きつけられ、これを受ければ強固な支持層である反米世論の反発も予想される。
 廬大統領の支持率低下の要因は、経済政策の失敗もあり「親北姿勢」のみではないのだが、今後さらに太陽政策の修正と対米協調を迫られることになるだろう。
 このように韓国は北とアメリカに挟まれ、しばらく動揺を続けていくだろう。

<日本政府の無策ぶり>
 北朝鮮を巡り周辺各国が、様々な動きを見せる中、具体的な戦略を描けていないのが日本政府である。
 この間目だった動きといえば、万景峰号への実質的な「臨検」、不審船を引き上げて「さらし首」にしたことや、北朝鮮の脅威を臭わせた軍事力強化構想(精密誘導爆弾、弾道ミサイル防衛、ヘリ空母の導入など)くらいである。
先の総裁選でも対北朝鮮政策などまともな論議にもならなかった。藤井元運輸相が「北の手先」とキャンペーンを張られたり、「北にいる拉致被害者、家族はほとんど死んでいる」と発言して家族会から抗議された亀井静香の応援に、石原慎太郎が行き「外務省の田中審議官は爆弾をしかけられて当然」と言い放つなど、政争の具以下の訳のわからない展開だった。
 低レベルの総裁選で圧勝した小泉総理の頭には、総選挙のことしかない。1年前自分が何をしたのかは、もう忘れているのだろう。自分自身も瀬戸際に来ていることの自覚がないようだ。
 6カ国協議でも日本が「拉致被害者を帰せ」と主張するのは当然としても、会議総体としての獲得目標は核開発阻止の一点で行くべきであろう。
 日本政府としては、強硬姿勢の継続-拉致被害者5人の家族の帰国-国交正常化交渉の再開という構想を描いているようだが、これはあくまで拉致問題解決の戦術であって、核開発問題解決への戦略ではない。これで米韓中露との連携がはかれるのだろうか。
 核開発問題は、6カ国協議の場で北朝鮮が、IAEAの査察で検証可能な形で核開発を放棄することでしか解決しないだろう。さらに朝鮮半島、東アジアの安定のためには、北朝鮮が中国式の社会経済体制を持つ国として再生する方向で、周辺国の合意が得られるだろう。
 日本政府としてはそうした構想を描き、実現に向けた動きを進める中で、拉致問題の解決や国交正常化も可能なことを、説明すべきであるし、小泉政権に能力がなければ、11月にも実施される総選挙では、それが可能な政権をつくらなければならないのである。
( 大阪O)

 【出典】 アサート No.310 2003年9月27日

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【投稿】奇妙な内閣の誕生

【投稿】奇妙な内閣の誕生

 自民党総裁選挙で何とか小泉が再選された。予想どおりとは言え、圧倒的とはならず、むしろ印象的には苦戦とも見える。国会議員票でも200票に届かなかった。亀井以外の他の2候補の政策は曖昧で、構造改革は支持するとか、小泉路線は継承するという中途半端な主張ばかりであった。総裁選挙が告示された時点で、マスコミを取り込んで「小泉再選確実」と報道を行わせ、勝ち馬に乗り遅れるなキャンペーンでやっと乗り切れたという雰囲気である。おそらく党員の選択ポイントは、政策の是非ではなく、総選挙に勝てる顔なのか、どうかという一点である。そして、奇妙な内閣改造・自民党内人事が行われる。
 総選挙が10月解散・11月に行われることは、確実視されていた。総選挙が実施されれば当然国会議員も入れ替わる、選挙の結果次第だが。単なるイメージを変えるための人事なのである。醜聞の絶えない山崎に換えて、拉致問題で強硬な発言をして「国民的人気」があるという安倍を幹事長に据えただけの事である。新しさなど1ヶ月もすれば色あせる。
 「挙党体制」のための内閣改造、即ち自民党のための内閣改造でしかない。このあたりが、なぜか奇妙な内閣である所以であろう。小泉政権がその存続のために政府を私物化しているのだ。
 マスコミの姿勢について、政治評論家の森田実も自らのホームページで厳しい指摘をしている。総裁選の最中に小泉に批判的な見解を述べないようあるマスコミから要請があり、そうした前提つきの出演を拒否したという。総裁選中のフジテレビの朝番組の政治評論は他の評論家に挿げ替えられていた。
 確かに一政党の党首選挙にすぎないのに、総裁選挙中のテレビ・マスコミは、4候補を軒並み登場させた。小泉以外の候補には厳しい質問をして、小泉のいい加減な回答への突っ込みは控えるような姿勢を感じた。小泉を持ち上げるような姿勢であり、小泉自民党ならば、何がやってくれそうな雰囲気つくりに加担しているとしか思えなかったのは、私だけだろうか。森田実のホームページ「言わねばならぬ」は是非チェックしていただきたい。
 マスコミは、若い新幹事長の誕生で「自民党は劣勢を盛り返した」などと、小泉自民党に媚を売っているが、幹事長の仕事は党内調整であり、乱立する候補者の調整から政治資金の配分まで、裏仕事にすぎない。イメージは新らしくとも実務は未知数であろう。
 小泉構造改革の成果・中身で言えば、選挙は敗北必至なのである。そもそも何の改革も進んではいない。郵政改革しかりで何の具体案も提示されてはいないではないか。
 国民年金保険料の未払い者が4割に近づき、現在のみならず将来への不安が広がっている。国家予算は4割が国債という借金によって賄われ、すでに破綻状態である。株価が10000円に回復したと言っても、アメリカ・G7の「日本円・人民元」叩きから、円高が急速に進んで、つかの間の円安・株高にも陰りが見え始めている。小泉の政策に国民は何か期待できるものがあるのか。
 さらに、小泉の盟友ブッシュは、イラク占領下のゲリラの横行でアメリカ国内に戦争遂行に嫌気が蔓延したために、このままでは大統領再選が危うい状況となっている。単独主義で戦争を始めて、今更国連に援助を懇願するというのもおかしな話であろう。来月のブッシュ来日は、復興資金の要請が目的だが、アメリカの言いなりになって日米同盟の強化という方向が果たして国民の支持を受けることができるかどうか。
 ともかく、総裁選挙・内閣改造が終わり、10月10日解散、28日総選挙告示、11月9日投票というスケジュールは確実となった。自民党単独での過半数割れから政権の交替めざして野党の奮起を期待したい。(佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.310 2003年9月27日

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【書評】徐京植『半難民の立場から–戦後責任論争と在日朝鮮人』

【書評】徐京植『半難民の立場から–戦後責任論争と在日朝鮮人』
                   (2002.3.25.発行、影書房、2,800円)

「植民地支配、世界戦争、大量殺戮に特徴づけられた二十世紀は、まもなく終ろうとしている。その最後の十年間、日本における『証言の時代』は、日本と日本人が過去の国家犯罪への謝罪と償いを通じて新しく生まれ変わるための好機であった。日本国民が国民大多数のコンセンサスを得て、アジアの被害民族に深く謝罪し、個々の被害者にその損害を賠償することは、過去の犯罪の償いという意味からだけでなく、未来の東アジアにおける相互信頼の醸成と平和の確保のためにも避けて通ることのできないプロセスである。元『慰安婦』などの被害者証人は、その意味で、いわば未来の平和のための証人であった。

しかし、日本において、この証人たちは尊ばれなかった。むしろ、しばしば辱めさえ受けた。『証言の時代』は、無残な現実を私たちの眼前にさらけ出している」。

本書の著者、徐京植がこう書いたのは、2000年のことであった。あれから21世紀となった現在、事態はむしろより悪化して、かたくななナショナリズムと全くの無関心とが手を携えて進んでいるように思われる。本書は、「在日朝鮮人」の立場から、日本社会のあり方を厳しく問い続けてきた著者の姿勢を鮮明に示す書である。

著者によれば、「在日朝鮮人」とは、「日帝の植民地支配の歴史的な結果として旧宗主国である日本に住むことになった朝鮮人とその子孫」と規定される。すなわち「在日朝鮮人が①『少数民族』一般とは異なり、『本国』をもつ『定住外国人』であること、②「『移民およびその子孫』一般とは異なり、その定住地がほかならぬ旧宗主国であること」という特質に加えて、「③その本国(とくに『北』)と日本とが分断されているという、ヨコにもタテにも分断された存在」である。そしてこの複雑な状況が、個々人の内部にまで抱え込まされている。またこの状況は、「祖国」(祖先の出身地〔ルーツ〕)、「母国」(自分が現に国民として所属している国家)、「故国」(生まれたところ〔故郷〕)が分裂した存在とも定義できる。ちなみに著者の場合には、「祖国」は「朝鮮」、「母国」は大韓民国、「故国」は日本ということになる。そして在日朝鮮人の置かれている状況は、これら三者が分裂しているというのみではない。

「その『故国』と『祖国』とが価値において対立しているということが、いっそうの問題なのである。『故国』である日本社会の多数派は天皇制をはじめとする植民地支配の時代以来の価値観を改めようとはしない。それどころか近年では、日露戦争は正義の戦争であった、日本の挑戦植民地統治は善政だった、劣った朝鮮人を日本人並みに引き上げてやった、などという醜悪な自己中心主義の言説が台頭している。そうした価値観は『祖国』朝鮮のそれと真っ向から衝突するほかない」。

このように著者は、在日朝鮮人の複雑な位置を踏まえて、近年日本社会の危険な動向とそれに伴う「断絶」を指摘する。著者は、この「断絶」を、アウシュヴィッツの生き証人の作家、プリーモ・レーヴィの例を引いて語る。

すなわち、人間の理解・表現能力を超えたアウシュヴィッツの悲惨な出来事について証言するという必死の努力を続けたプリーモ・レーヴィは、その凄絶な体験を全身全霊で語るなかで、かえって自分の周囲に冷たい無関心や無責任な批評–「そんなことは想像できない、実感がもてな、信じられない、重い、暗い、はては『ルサンチマンはもうたくさん』など」–を見出すことになった。「こうしてプリーモ・レーヴィはアウシュヴィッツの証人になっただけでなく、その証言が一般社会に伝わらない、理解されない、真摯に受け止められないという『断絶』の存在を証言する証人にもなったのだ」。

これと同様のことが、元「慰安婦」の証人たちにも生じている。

「証人の数は多くはないが、いないわけではない。証言がないのではない。しかし、ほとんどの人々は、無知と無関心、愚かさや浅薄さ、利己主義、根拠のない楽観主義、想像力の貧困や共感力の欠如–その他どんな理由からにせよ、証人の姿を見ず、証言に耳を傾けないのである。ここに、二十世紀を特徴づける深い『断絶』が口を開けている」。

著者は、この日本社会の責任を明確に問うための手がかりとして、ハンナ・アーレントの「罪」と「責任」の区別を提示する。それによれば、「罪」は個人に帰属するべきで、集団に帰属されるべきではないが、「集団の責任」には2つの条件がある。すなわち、①「自分が行なっていないことに対する責任があると見なされること」であり、②「自分の自発的行動によっては解消できないしかたである集団(集合体)に成員として属していること」である。それ故この責任は、常に政治的であるとされる。

この視点から言えば、「なるほどこのように『罪』と『責任』は画然と異なるものであるが、当事者でない戦後世代に『罪がない』という側面のみが強調されて、『責任がある』という側面が捨象されてはならない。そもそも明確に『罪』がある当事者たちが平然と跋扈し社会の中枢に位置を占め続けているのが日本社会である」。そして現在の日本社会で圧倒的な部分を占める中心部多数派日本国民にとっては、この視点を欠落させていく傾向がある。しかしこの傾向を黙認していくことは、むしろ現在の「罪」につながると著者は強調する。

「『証言の時代』の十年間を経たいま、『知らなかった』『気づかなかった』というような言い訳はもはや通用しない。考え抜かれたものであるのか、それとも、あまりにも考え足りないのかはともかくとして、『意図的怠慢』という告発は大多数の日本人たちにも向けられなければならないであろう」。

著者のこの言葉は、まさしくわれわれ自身に向けられており、われわれの姿勢が問われていると言えよう。

著者の他の著作–『プリーモ・レーヴィへの旅』(1999年、朝日新聞社)、『断絶の世紀 証言の時代–戦争の記憶をめぐる対話』(高橋哲哉との共著、2002年、岩波書店)等–ともども、現代日本社会への批判と警告に満ちた書である。(R)

 【出典】 アサート No.310 2003年9月27日

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『詩』 けったいな老人

『詩』 けったいな老人

                  大木 透

ずっと
見て見ぬふりをして
マンホールの底に隠れ
蒼天駆ける
赤い★たちの
日夜の巌流島を
薄目を空けて
そっと
見つめていたという

老人は
「なんだか不吉だねえ」
「これで見納めかねえ」
と言いながらも
まんざら
不快でも
不満でも
なさそうで
どこか
まだ見ぬ世界へ
放り出された
新生児のように
駅のベンチで
じっと動かずにいた

レシーバーから聞こえる
実況放送のドラマが
触れられる
老人の宇宙であり
歴史であった
老人の頬に
明滅していたのは
この街の
シンボルの光だった

俺も思う
春が過ぎ
夏が過ぎ
秋になっても
この暑さ
月と並んで
火星が輝き
通天閣の頂上の
獣王は
真下の動物園の
檻に向かい
今世紀はじめての
叫びをあげている

そういう
ほんとうに
変な秋だが
この老人が
哀しい弁証法の
話をするのは
ちょっと
意外だった

彼は言う
あてどない
つかまえどころのない
真空の中を
浮遊しているみたいで
哀しくて
空しいのだと

対立物の統一こそが
いのちの証
流氷のない
オホーツクの海で
空転する
砕氷船に乗って
優勝パレードをしたって
ちっとも面白くないと

待ってくれ
俺は
こんなに
ひねくれてはいない
それでも
心底
老人と乾杯したくなった

我慢すれば
またいいことがある
わけもなく
そう思って
俺は
思わず
老人の肩を抱いて
こう言ってやった
「照れるなよ じいさん」
「来年からまた巨人が強くなって」
「ヘーゲルやマルクスが喜ぶさ」

(二〇〇三・九・一六)

【出典】 アサート No.310 2003年9月27日

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【投稿】政局再編への胎動と小泉政権の存亡

【投稿】政局再編への胎動と小泉政権の存亡

<<「新・非核三原則」>>
危険極まりない戦争の暗雲が垂れ込める中、今年の8・6、8・9の広島、長崎両市長の平和宣言は、一言一言に熱い思いが込められ、心に強く訴えかけるものであった。
秋葉忠利・広島市長は、平和宣言の冒頭で「被爆者が訴え続けて来た核兵器や戦争のない世界は遠ざかり、至る所に暗雲が垂れこめています。今にもそれがきのこ雲に変り、黒い雨が降り出しそうな気配さえあります」とその深い憂慮を述べ、その原因について、
「一つには、核兵器をなくすための中心的な国際合意である、核不拡散条約体制が崩壊の危機に瀕しているからです。核兵器先制使用の可能性を明言し、「使える核兵器」を目指して小型核兵器の研究を再開するなど、「核兵器は神」であることを奉じる米国の核政策が最大の原因です。」と明言し、さらに、
「しかし、問題は核兵器だけではありません。国連憲章や日本国憲法さえ存在しないかのような言動が世を覆い、時代は正に戦後から戦前へと大きく舵を切っているからです。また、米英軍主導のイラク戦争が明らかにしたように、「戦争が平和」だとの主張があたかも真理であるかのように喧伝されています。しかし、この戦争は、国連査察の継続による平和的解決を望んだ、世界の声をよそに始められ、罪のない多くの女性や子ども、老人を殺し、自然を破壊し、何十億年も拭えぬ放射能汚染をもたらしました。開戦の口実だった大量破壊兵器も未だに見つかっていません。」と、米英の対イラク戦争、これに追随する小泉政権の主張に鋭く切り込み、
「被爆者は米国のブッシュ大統領に広島を訪れるよう呼び掛けています。私たちも、ブッシュ大統領、北朝鮮の金総書記をはじめとして、核兵器保有国のリーダーたちが広島を訪れ核戦争の現実を直視するよう強く求めます。何をおいても、彼らに核兵器が極悪、非道、国際法違反の武器であることを伝えなくてはならないからです。」と、ブッシュ・金正日両氏が広島を訪れることを強く求め、そして日本政府に対しては、
「また「唯一の被爆国」を標榜する日本政府は、国の内外でそれに伴う責任を果さなくてはなりません。具体的には、「作らせず、持たせず、使わせない」を内容とする新・非核三原則を新たな国是とした上で、アジア地域の非核地帯化に誠心誠意取り組み、「黒い雨降雨地域」や海外に住む被爆も含めて、世界の全ての被爆者への援護を充実させるべきです。」と、要請している。

<<「北東アジア非核兵器地帯の創設」>>
伊藤一長・長崎市長も「今年3月、米英両国は、イラクの大量破壊兵器保有を理由に、国連の決議を得ることなく、先制攻撃による戦争を強行し、兵士のほか、多数の民間人が犠牲となりました。国際協調による平和的解決を求める私たちの訴えや、世界的な反戦運動の高まりにもかかわらず、戦争を阻止できなかったことは、無念でなりません。」と、その無念さを率直に表明し、核兵器をめぐる状況について、
「昨年1月、米国政府は、核兵器を巡る政策・戦略の見直しを行い、小型核兵器などの開発や核爆発実験の再開を示唆し、場合によっては核兵器の使用も辞さない姿勢をあらわにしています。一方、インド・パキスタンの核実験に続いて、朝鮮民主主義人民共和国の核兵器保有発言が、国際社会の緊張を高めています。核軍縮と核兵器拡散防止、あらゆる核実験禁止などの国際的取り決めは、今や崩壊の危機に瀕しています。」と警鐘を鳴らし、日本政府に対して
「日本政府は、被爆国の政府として、核兵器廃絶へ向け先頭に立つべきです。日本の軍事大国化や核武装を懸念する内外の声に対して、専守防衛の理念を守り、非核三原則の法制化によって日本の真意を示してください。近隣諸国と協力して、朝鮮半島非核化共同宣言を現実のものとし、日朝平壌宣言の精神に基づき、北東アジア非核兵器地帯の創設に着手すべきです。」として、「非核三原則の法制化」、「北東アジア非核兵器地帯の創設」という差し迫った具体的な政策を提起している。
この広島・長崎両市長の平和宣言とはまったく対照的なのが小泉首相の両市式典における挨拶であった。首相は、「人類史上唯一の被爆国である我が国は、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの堅い決意の下、平和憲法を遵守し、非核三原則を堅持してまいりました。…」云々と述べたものの、平和政策ではなく、戦争政策に積極的に加担し、平和憲法に相反する戦争諸立法を次から次へと成立させ、まだ次なるもくろみをしながらの、まさに白々しい限りの演説であり、何の新味も一切の政策提言も決意表明もないものであった。それより以前にまったくの原稿棒読み、「感動した!」を連発する「熱血演説」どころか、何の思いも熱意も伝わらない、スケジュールをこなすだけの冷血演説そのものであった。

<<「孤立と危機を招く災い」>>
一方、韓国の盧武鉉大統領は、日本の植民地支配から解放された八月十五日の「光復節」にあたり、忠清南道・天安の独立記念館で行われた日本による植民地支配からの解放記念式典で演説し、北朝鮮の核問題の平和的解決とともに、在韓米軍撤退の可能性にまで言及し、北東アジアの平和と繁栄のための地域協力を呼びかけ、「北朝鮮の核問題は早期に必ず平和的に解決されるべきだ」と強調。「問題解決の糸口が見え始めた」として六カ国協議への期待を示し、「北朝鮮はこの機会を逃してはならない。核を放棄し改革と開放を成功させるべきだ。核兵器は決して体制保障の安全弁にはならない。かえって孤立と危機を招く災いになるだけだ」と述べ、核問題の平和的解決の上に立った地域協力と経済協力・開発支援政策を行う考えを明らかにしている。
その「6カ国協議」は、8月27日~29日、中国・北京で開かれる。8月13日、北朝鮮外務省は、朝鮮中央通信を通じ談話を発表し、「われわれは米国に何か贈り物のように安全保障や体制保証を要求しない。国際社会から援助を受けるために核抑止力を放棄するなどということも論議の余地もない」と、核放棄の「見返り」としての体制保証や経済援助に対しても否定的な立場を示した。こうした北朝鮮の核武装や危険な挑発政策に最もほくそえみ、喜んでいるのは米国のネオコングループであろう。ミサイル防衛網に多額の軍事費を要求できるし、各国をそれに巻き込み縛り付け、膨大な利益と権益を当て込めるからである。互いに敷居を高くし、挑発することによって、客観的には米国と北朝鮮は手を組んでいるともいえよう。
しかしこうした危険な核政策は、盧武鉉大統領が真剣に訴えているように、「核兵器は決して体制保障の安全弁にはならない。かえって孤立と危機を招く災いになるだけだ」ということである。これはどの国についても言えることである。盧武鉉政権はこの道を拒否している。小泉首相は飼い犬よろしく、ただブッシュに追随するだけである。この姿勢、落差の違いが、小泉政権の軽さと無責任性を象徴しているとも言えよう。

<<「一兵卒として行動する」>>
その小泉首相にとってもっとも気がかりな点は、最近の支持率の低下傾向とイラクでの米兵への攻撃激化だという。何しろ、非戦闘地域に自衛隊を派遣するイラク特措法の審議で「イラクに非戦闘地域があるのか」と聞かれて、「私に聞かれても判る訳がない」と胸を張る首相である。派遣する時期が総選挙後になることにだけ画策し、気を揉んでいるのである。
そして小泉内閣の支持率は報道各社とも軒並み4~5%減少し、42~45%前後である。とりわけ首相にとって気がかりなのは女性層での支持率大幅減(6.2%)である。その理由は相次ぐ女性蔑視発言と自衛隊イラク派遣への懸念、そして「討論拒否の高飛車な首相答弁への反発」と報道されている。
そして気がかりがもう一つ加わった。それが自由党の民主党への合流である。壊し屋といわれる自由党の小沢党首が、一切の条件をつけず、民主党の「一兵卒として行動する」と宣言して、民主党の菅代表との間で、民主党の人事や名称、政策を現状のまま、事実上、自由党を吸収する形で合流を決めたのである。小泉内閣成立以来、小泉首相vs自民党内抵抗派という意図的に作られてきた構図・演出が、裏取引や妥協でその正体が透けて見え始めた時期でもある。解散・総選挙を目前に控えた時期の両党の決断は、小泉政権にとって大いなる気がかりとなってきたのである。
菅・小沢の両党代表は、仙台を皮切りに8日から全国行脚を始め、新党への期待値が徐々に高まると見られており、「自民党を中心とした政権の継続」と「民主党を中心とした政権に交代」を望む人が、どちらも34%で伯仲するという結果が出ている(8/12朝日第2回「連続世論調査」)。政局の再編成への期待感の表れともいえよう。

<<「老人党」入党希望の殺到>>
さらにふって沸いたように登場してきたのが、精神科医で作家の、なだいなだ氏(74)が旗揚げした「老人党」である。インターネット上のサイトに入党希望のアクセスが11万件以上も殺到しているという。なだ党首は、「あまりの反響と反小泉の熱気に驚いています。今年4月、病院に行ったら医療費負担が5割増しにされたばかりか、無料だったクスリ代まで請求された。こんな仕打ちに同世代の老人は黙っているのか。そうホームページに書いたところ、ガソリンの中にマッチを放り込んだように燃え上がった。老人だけでなく、現役サラリーマンや、10~20代の若者からも多くの声が寄せられ、今の政治に不満や怒りを持っているということを実感しました。次の選挙では何かが起きる予感がします」と語る。
老人党の目的は、小泉政権を選挙で退場させようというものである。ヴァーチャルな政党であると断りながら、「われわれの目指すところは二つあります。戦術的な対応と、戦略的対応です。当面の選挙において何とか勝つというのが戦術的対応です。あえて、野党の有力候補に投票することです。これは戦術です。民主党なんて、自民党と代わり映えがしない、と考えている人も多いことでしょう。でも戦術として、有力野党に投票する。
二つ目は、長期的な展望をもって、日本の政治を変えていくことです。国民を無視した政治家が、選挙で落ちる、という常識を根付かせることが戦略的な目標です。」「ともかく政治的閉塞の状況からの脱出に必要なことを議論すると同時に実践に移していかねばなりません。全国的に選挙を面白くしていくことが必要です。そのためには年齢を超え、組織を超え、党派を超え、とりあえず、与野党が、交代する状況を作る必要があります。」この呼びかけが多くの人々の共感を呼び始めたのである。政局動乱へのこの流れを大きく、強く、太くしていくことが求められている。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.309 2003年9月27日

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【投稿】デフレ時代をどう生きるか

【投稿】デフレ時代をどう生きるか

経済の現状をどう考えるか。様々な判断場面において基礎になる問題であろう。公的にも私的にもである。我々の世代の多くは、現在高校や大学に通う子供を抱え、そしておそらくはバブルの前後にローンを組んで住宅を取得し、そして今、賃金が下がり続けるという現実の中にいるだろう。
また10年に渡って資産価値が続落している現実は、切実な問題でもある。狭いマンションを買い換えようとすると、資産価値の下落、例えば2500万円で買ったマンションが、売るとなれば1000万円がいいところ。まだローンは半分以上残っている。新築マンション価格が下がってきているとは言え、二重にローンを払い続ける場合も出てくる。
かつて筆者も労働組合の役員として、生活設計に見合う賃金ラインというものを要求した経過もある。もちろん、年功賃金を前提とした上の議論ではある。しかし、まだその頃はバブル崩壊の少し後だったとは言え、将来に対する「まだ何とかなる」との意識があったような気がする。しかし、もはや賃上げすら期待できず、現状維持も困難。所謂生涯設計というものが立てられないのである。
さらに、小泉構造改革がさらに拍車をかけている。市場原理主義ともいうべき竹中大臣を中心とする「改革」路線と「抵抗勢力」とも言われる「守旧派」の従来型公共事業の拡大路線、いずれにも期待ができないことは明白としても、一体今の経済、そして今後の経済はどうなるのか。最近読んだ経済本の中から印象に残ったものを紹介しながら考えてみたい。

○インフレの世紀からデフレの世紀へ
21世紀そのものが「構造的デフレの世紀」になると主張する論者がいる。水野和夫氏や榊原英資氏である。榊原氏は、元大蔵省財務官も務めた政府中枢に席を占めた経験を持つエコノミストだが、現在は、小泉改革・政権からは距離を置いて論陣を張っておられる。
3月には「構造的デフレの世紀」6月には「デフレ生活革命」を出版している。
「構造的デフレの世紀」では、これまでのマクロ経済学がデフレ・インフレの指標に資産価格の動向を組み入れておらず、財・サービスの価格変動と区別された資産価格の1990年以降の引き続く下落こそは、日本が1960年代以降の構造的インフレから構造的デフレの時代に入ったことの証左であり、構造的デフレにどう対応するか、という意味での構造改革の目的の明確化が必要であるのに、小泉構造改革はその戦略が不明確となっていると批判する。
そして、世界的にも1990年代以降、物価の上昇傾向は鈍化の傾向にあり、日本だけに留まらず世界的なデフレ傾向にあると仮定してもいいと論じる。
世界的デフレの原因は、第三次産業革命としての技術革新と冷戦後のグローバリゼーションの進行、そして中国・インドなどの低価格・高品質製品の市場への大量投入を挙げている。(著書の後半はマクロ経済学批判を主な内容としている)
同様に、21世紀は100年デフレとなると論じている論者が、水野和夫氏(三菱証券チーフエコノミスト)である。「100年デフレ–21世紀はバブル多発型物価下落の時代」を著しておられる。米10年国債利回りが急低下しており、1960年代を下回る水準となり、消費者物価もテロ事件以前からマイナスに転じている。バブル崩壊後の米経済は今後せいぜい年平均1%程度の成長となり、株高構造の崩壊以降は貯蓄率の上昇も現れており、消費が頭打ちともなれば、消費需要の低迷は、一層の米物価下落を意味する。日本だけがデフレなのではなく、世界的なデフレが進行していると。

○デフレ時代をどう生きるか。
榊原氏は6月に出版された「デフレ生活革命」において、構造的デフレを前提に、これまで半世紀に渡り、構造的インフレの中で生きてきた我々の常識を転換する必要を具体的に示している。これまで土地資産価格は常に上昇するとする土地神話を前提に、持ち家政策が採られて、勤労者もそれを受け入れローンを組んで住宅を購入するのが「常識」となった。しかし、これはインフレを前提にしているもので、資産価格の下落が続く前提では、負債を増やすこととなる。さらに賃金も下がるとなると益々固定の借金返済は負担増となる。持ち家より賃貸にシフトすべきという。
すでにバブル時代に住宅を購入し、その後の賃下げ・リストラで負担に耐えられずに自己破産に至る勤労者が急増しているのが現実でもある。
本書の興味深いのは、単に経済上の発想の転換に留まらず、大量消費・大量廃棄を生んできたインフレ時代の生活の有り様から、モノとカネに縛られない自然と共存する生活・生き方への転換=「生活革命」を実現する、というある意味思想的な提起も含まれている点である。
残念ながら、年功賃金・定昇・ベースアップはデフレの下ではもはやありえない、という点だけは、そう簡単には行かないよ、というのが私の考えであることは付け加えておきたい。インフレ前提の賃金体系から変更する場合、様々なルール作りが求められるわけで、労働組合のコミットなしには、できない。当然労働組合の側にも参加路線とともに政策提起が問われてくるととなる。

○森永卓郎「年収300万円時代を生き抜く経済学」
この著書も結構売れているようだ。図書館で借りて読んだので今手元にないので詳細な紹介はできないが、賃金低下を前提として、違う生き方を提案していたように記憶している。決して貧しいという生活ではない、豊かな生活の提案というところでしょうか。残業はしないで、家庭を大切にしバカンスもそこそこ楽しむヨーロッパ型の生活をめざしては、というものです。
両著とも、「賃金低下」を前提とし、「豊かな生活は可能」と説かれる点共通しており、賃下げもやむをえないという状況判断を流布している点、俄かに同意できないところではあります。オランダなどでは年収300万でも立派に「豊かな生活」をされている現実があるとは言え、国民性にすべてを還元することはできないし、社会保障や住宅や物価水準の問題など社会的に解消すべき問題も同時に明らかにすべきでは、とも感じます。
一方で、家庭や地域生活を犠牲にして仕事に打ち込む、みたいなライフスタイルからの転換を図る動きも決して少なくなく、若い世代や、早期のリタイヤで田舎暮らしみたいな志向も生まれている世相の中では、説得力を感じる方も多いのではと感じました。週間ポストでも大前研一氏が、同趣旨の連載をされているようです。生活スタイルを変えよう、という提案です。

○果たして、21世紀はデフレの世紀なのか。
一方的に紹介をしてきましたが、デフレ論は論壇でも議論の対象となっており、日本は確かにデフレだが、それが世界的なものなのか、長期に渡るのか短期になるのかと。
榊原氏も、好況・不況とデフレ・インフレは絡みあうとは言え、別の問題として認識すべきだと述べられている。デフレであっても景気が持続することもある。大英帝国の繁栄期はずっとデフレだったとの指摘もされている。
いずれにしても、高度成長は過去のモノとなり、マスの時代から個性の時代に移り、より個人の判断が重視される時代になってきていること。そして個人の責任が問われるとしても、労働組合や地域のNPO、政治組織・政治参加を通じての改革への参画が必要だということだろう。
道路公団の民営化を掲げる小泉政権だが、これで高速道路は未来永劫無料にはならないということだし、国土交通省の天下りは絶対に無くならないということだろうから、来るべき総選挙できっちり自己主張をしようと思っていますが。(H)

【出典】 アサート No.309 2003年9月27日

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【雑感】 真夏の夜の夢

【雑感】 真夏の夜の夢    by 大木 透

島田雅彦の小説「無限カノン」の第2部「美しい魂」が出た。単行本になった第1部「彗星の住人」、第2部より先に出た第3部の「エトロフの恋」とあわせて通読してみた★この第2部の刊行が変則的なった事情は、噂を含めて言うと、次の通りである。すなわち、連作「無限カノン」の第1部として、『彗星の住人』(新潮社)が出たのは、00年11月。「蝶々夫人」のモデルという設定の女性から始まる血族4代の恋物語が時代を追って語られた。第2部『美しい魂』の刊行は1年後と予告され、主人公のカヲルと、やがて皇室に嫁ぐことになる幼なじみの不二子の「最も危険で」「描くことの難しい」恋のてんまつがいよいよ書かれるはずだった。しかし、この出版は、雅子妃の出産時期と重なった。ヒロインが雅子妃と同一視され、興味本位で読まれて騒ぎになることを危惧した版元は出版延期を決めた。作家も同意のうえだった。そのいきさつを明らかにした島田の「『美しい魂』は眠る」(単行本『楽しいナショナリズム』所収)では、皇族を描いた小説で出版社社長宅が襲撃され死者が出た「風流夢譚」事件の影響にも触れている。「無限カノン」は三島由紀夫「豊饒の海」4部作、なかでも『春の雪』を思わせ、『源氏物語』の恋物語を現代において描き直す試みともいえる。ヒロインは海外生活が長く、大学卒業後は国連勤務という設定はある部分雅子妃とも通じている。このため、「新潮」掲載にあたっては、ヒロインと雅子妃が同定されないための改稿が若干なされ、650枚の原稿は630枚になった。「同定されるおそれがあるのが私人の場合でも、配慮するのは同じだと思う。小説がスキャンダルの背後に回るのは避けたかった」と島田は言っている★これを通読するに際して、当然のことながら、品性下劣な私は、この事情なるものが、この小説にどのように投影されているかを知ろうとした。それは文学作品をまともに読もうという姿勢ではなくて、どこかテレビのレポーターのような感覚に導かれていた★この出版延期の事情が、なるほどと思わせる特定人物への同定が至る所に出ていて、それを探るだけでも興味はつきないし、エンターテインメントとしては水準の高いものだった★しかし、この一年半の間に、この出版をめぐって、背後でどんな人々が活躍し、どんなつばぜり合いが繰り広げられたのかということを考えると、どうみても、同定されている側となんらかの阿吽の呼吸のやりとりがあったのではないかと思うのは私の偏見だろうか。「風流夢譚」や「セヴンティーン」がどのような「騒動」を引き起こしたかを知る作者や出版社が、この間に、そういう事態を避けるためにさまざまな手だてを駆使したと思うのが当然だろう。そして、それが一段落したので、新潮八月号に発表されたのだと推測する。もちろん、発表されてからまだ日が経っていないから、これからなにが起こるか余談を許さない。が、私は、多分、大事には至らないのではないかと思う★こう思う確たる根拠はないが、これは実に壮大な大河小説であり、その大道具として、皇室の過去、現在、未来が同定されているのであるが、そこに描かれた皇室の姿は、現在の皇室(特に皇太子夫妻)が許容できる、あるいは、望んでいる方向とさして齟齬をきたすものではないと推測されるからである。描かれている、自然神の象徴としての皇室という見方、真善美に通暁した人間的な皇太子と不二子こと皇太子妃の人柄、これらは、イギリスのダイアナのスキャンダルとくらべると、国民の規範になりうるほど立派で、それこそ、日本の象徴を担うに足るものである★ということになると、作者が目指した「歴史の記述から除外されているのは感情だが、その背景には当事者たちのやむにやまれぬ思いが重要な要因としてあり、歴史を作る原動力ともなる。とりわけ複雑に働くのが恋愛です」、「歴史は事後的に構成されるものだけど、出来事が起こった時には違うパースペクティブがあったはず。歴史を当事者のエモーションの側から眺めてみる試みです」という試みが、こうした皇室や原節子などと同定されるような人物を登場させることによって、首尾良く実現されたであろうか。断じて否である。こうした「スキャンダラス」な「同定」によって、読者の目はそこに集中してしまって、作者がこの小説にこめた真意をくみ取ろうとする熱意を冷えさせてしまうのではないか。そういう悪い効果しかもたらさないことに、作者はなぜこだわったのだろうか。まさか、島田が、皇室の大衆化の宣伝のお先棒を担ごうという殊勝な考えを抱いたとも思われない。これらについては、今後、明らかにされることを期待したい★まあ、ともかくも、今は、この「無限カノン」三部作が、無事、完結したことに拍手を送りたい。願わくば、これが、これから、文学の領域での活発な論議の対象にされる範囲にとどまって、けっして社会的事件の契機などにならぬことを切望する。作者の考えた、荒涼たるエトロフから緑深き皇居へ「安全なサーバー」を経由してメールが届くという発想は、それだけで、読者に夢を与えてくれる。私は、正直言って、こうした仕掛けの妙を十分楽しませてもらった。

【出典】 アサート No.309 2003年9月27日

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